2008年11月28日金曜日

幕末太陽傳('57)      川島雄三


<自由なる魂が隠し込んだ侠気 ―― 或いは、孤独なる確信的逃走者>



 序  様々な煌(きらめ)きや哀感を張り付けて



 日本映画史上に異彩を放つ奇跡的傑作である。
 
 観れば観るほど、作り手の熱い思いが伝わってきて、恐らくその時期に、そのような状態に置かれた作り手が、それ以外に表現しようのない映像を、まさに作るべくして作った必然的であり、且つ、偶発的でもあったが故に決定的表現を刻んだ奇跡的な作品であるとの感が私には強い。

 登場人物も皆、活き活きしていて、それぞれが、それ以外にないというような身体表現を貫徹させていて、その圧倒的存在感をそれぞれのエピソードの内に様々な煌(きらめ)きや哀感を張り付けていて、蓋(けだ)し印象深い作品だった。

 ―― 本作のストーリーに言及する前に、簡単に映像のバックグラウンドについて触れておこう。
 


 1  ラジカル・ボーイの血気と、労咳病みの「能動的ニヒリズム」



 時は幕末。

 カオス的状況下にあった江戸四宿の中の、品川宿の遊郭が本作のステージになっている。

 因みに、江戸四宿とは、品川宿(東海道)、内藤新宿(甲州街道)、板橋宿(中山道)、千住宿(日光街道、奥州街道)のこと。それぞれ江戸に入って来る旅人たちが、最後の宿としてそれぞれの出入り口に当るこれらの宿に宿泊する楽しみがあり、当然、鼻の下を伸ばした男どもには、宿場にある遊郭で存分に羽を伸ばす狙いもあった。

 当時、これらの遊郭は、運上金を幕府に納める公認の遊郭である新吉原に対して、「岡場所」と呼ばれた私娼窟でもあった。

そこには飯盛り女と呼ばれる遊女たちがいて、とりわけ、品川遊郭の飯盛り女は吉原遊郭に次ぐ品格を誇っていて、明和以降の飯盛り女の数は五百人を越えるほどの盛況であったと言う。

 江戸の庶民もその品川宿に行くために、「御殿山の桜見物」や紅葉狩り、更には、美しい海が見える景勝地への物見遊山に託(かこつ)けて、女房どもを説き伏せたというエピソードも多く残っている。そこでは潮干狩りもできたというから、さぞかし一大娯楽空間であったと想像されるのである。
 
 そんな娯楽空間に集まったのは、庶民ばかりではない。

 各藩の江戸藩邸に出入りする多くの若い藩士たちにとっても、宿場遊郭は格好の欲望処理の場であった。そんな連中の中に、時代を憂うる攘夷派の藩士が多く含まれていたのは、まさに幕末的状況と言えるものであった。

 言わずもがなのことだが、1853年にペリーの砲艦外交の恫喝に屈して、時の幕府はあっさりと長きに及んだ鎖国政策を放棄し、1858年には日米修好通商条約を結ぶに至る。やがて列強各国とも当該条約を結ぶに至るが、その条約の内容は、「治外法権」と「関税自主権の放棄」という屈辱的なもの。

 当然、国粋主義の砦であった水戸藩を中心にして、尊王攘夷運動が活発化した。そのリバウンドとして、条約を一方的に締結した井伊直弼の志士狩り(「安政の大獄」)があり、それが却って過激派を刺激し、翌年、桜田門外の変によって、大老井伊は暗殺されるに至ったのは周知の事実。

 
吉田松陰像(ウィキ)
これが、日本史を劇的に変えていった。

 その歴史をリードしたのは長州藩である。中でも、「安政の大獄」で師(吉田松陰)を殺された松下村塾生を中心とする青年たちの意気は荒く、彼らはまもなく京都で新撰組と死闘を演ずるに至るが、歴史はまだそこまで進んでいなかった。

 歴史が決定的に動いていくほんの少し手前の沸々と泡立った時期に、徳川将軍の膝元で、彼らは攘夷という名のテロを決行したのである。攘夷のターゲットにされたのは、不平等条約以降、日本との貿易額を60%を超えていたとされる英国だった。

 因みに、砲艦外交の先鞭を付けたペリーの国は、時恰も南北戦争の前夜にあって、対日貿易どころの騒ぎではなかったのである。

 時は、1862年(文久2年)の12月。

 松蔭門下のリーダー格だった高杉晋作(当時24歳)が仲間を引き連れて、英国公使館を襲撃し、全焼させるという事件を起したのだ。世に言う、「英国公使館焼討ち事件」である。そしてその場所こそ、品川御殿山であった。彼らは4ヶ月ほど前の生麦事件(薩摩藩主島津久光の行列を、馬で横切った英国人を殺傷した事件)に刺激を受け、薩摩藩への対抗意識もあって事件に及んだのである。

 
そしてそんな物騒な連中が、本作の舞台となった品川の宿場に集結していた。紛う方なく本作は、事件寸前の状況下にあったラジカル・ボーイと、本作の主人公である佐平次が微妙に絡み合って、きな臭い時代の中でもしぶとく生きる男や遊女たちの生態を活き活きと映し出していた。

 そこには、明日をも知れぬ時間を生きるラジカル・ボーイの血気と、労咳(肺結核)病みの主人公の「能動的ニヒリズム」(ニヒリズムを超えて、自己肯定の人生観に至るというニーチェ的な概念)とが交叉する緊張感が印象的に描き出されていて、まさに、死の陰影深く漂う人間ドラマの一級の秀作が、ラジカル・ボーイによる事件の殆ど1世紀後に当る、この国の高度成長の助走期の只中に無造作に放たれたのである。
 


 2  江戸落語の世界



 そして、本作のもう一つのバックグラウンド。それは江戸落語の世界である。

 私は中学時代に、勉強そこのけで落語ワールドにのめり込んでいたから、本作のベースになった落語にかなり親しんでいた。そんな思い入れもあって、本作に容易く感情移入しやすかった。
 
 因みに本作には、「居残り佐平次」を中枢に、「品川心中」、「明け鴉」、「芝浜」、「お見立て」などの話がエピソード的に盛り込まれているが、しかし、本作は落語ワールドから本質的なところで切れていると、私は考えている。

 本作に於ける主人公が、居残りの結果、自分の住まいとなった行燈部屋の中で、一貫して「心の底から笑っていない」からである。そこに、コメディ仕立てでカモフラージュされた本作の特異なる闇の文脈が横臥(おうが)していて、常に何も起こらない平凡な世俗の日常性とシニカルに切れている、もう一つの映像世界が漂流していると考えられる所以であった。

 

 3  八面六臂の居残り佐平次



 ―― 背景説明が長くなったが、本作のストーリーを丹念に追っていこう。

 
 攘夷に狂奔する若き「志士」たちが、馬で逃げる二人の英国人を抜刀して追っていく。しかし、ピストルで応戦する英国人に太刀打ちできる訳がない。一人のラジカル・ボーイがその銃丸に倒れて、呆気なく彼らの攘夷は頓挫した。男は懐中時計を落として、その場を立ち去って行く。

 男の名は、志道聞多。後の井上馨である。

 そして、この男が落とした時計を拾ったもう一人の男がいた。町人である。彼の名は、佐平次。本作の主人公である。

 映像はそこから一転して、現在(映画制作時の昭和32年)の品川の町の賑わいを紹介した後、再び、本作の舞台となった品川宿、「相模屋」を映し出した。
 
佐平次が仲間三人を引き連れて、相模屋に乗り込んで行く。金もないのに芸者を呼ぶわ、酒を頼むわの大盤振舞いである。

 別の部屋では、攘夷に失敗した聞多の一行が頭領と目される男と物騒な話し合い。

 頭領の名は、高杉晋作。その晋作は聞多の説明から、逃れた英国人が異人館の技師であると知って、一瞬顔色を変えた。彼らは攘夷の危機を脱した英国人が、品川御殿山に逃げ込んだことを確認したのだ。早速、晋作の発案によって、一党は異人館の焼討ちの決行を合意するに至ったである。そんな熱気むんむんの激越な空気の中に、一党の一人である久坂玄瑞が入って来て、彼らの計画の無謀性を痛烈に批判するが、ラジカル・ボーイたちの勢いは全く止まる気配がなかった。
 
 
一方、その夜、仲間を帰した佐平次の元に、店の若衆が勘定書きを持ってやって来た。

 佐平次の答えは明快だった。
 
 「あれだけ遊ばせてもらって、馬鹿に安いじゃないか・・・気の毒だがな、今日はここには持っちゃいねぇんだ」
 
 結局、佐平次は翌朝までに金を揃えておくということで、若衆を口八丁で追い返したのである。
 
 翌朝、佐平次が気だるい顔をして起きて、部屋の向こうに広がる海を見た。

 手前には、犬の死骸が打ち寄せられていて、思わず吐き気を催す男の表情からは、昨夜の生気は消えていた。そこに昨夜と違う若衆が勘定書きを持ってやって来て、佐平次は相変わらずの口八丁でその場を切り抜けるのである。
 
 階下では、相模屋の道楽息子の徳三郎が吉原からの朝帰りで、両親から散々説教を受けている。息子は「付け馬」(勘定の取り立て人)と一緒に帰って来て、親にその支払いを督促する。頑として応じない親に対して当て付けるように、道楽息子は法華太鼓を叩いて、宿泊客に向って、「女郎買いは止めろ」などと叫ぶ始末。
 
 「勘当だ!勘当にします・・・義理の子に、これほど馬鹿にされる筋合いは・・・」
 「そうです。あたしの子はお前さんの子。たとえお前さんがいいと言っても、あたしが許しません・・・」
 
 前者が、番頭上がりの義父の伝兵衛、後者が徳三郎の実母であるお辰の言葉。ところが道楽息子には、そんな常套句は全く通用しないのだ。

 一方、女郎部屋では、板頭(いたがしら=岡場所に於ける筆頭格の遊女のこと)を巡って確執する遊女のおそめとこはるが、些細なことから言い争いになり、遂には庭に転がり落ちて、そこで取っ組み合いの大立ち回り。

 女郎たちの喧嘩が、朝風呂に入っている佐平次の耳に届いていた。彼の隣には、殆んど肩を寄せ合うようにして、高杉晋作が入浴している。佐平次が突然小唄を唄い出すと、晋作は「止めてくれんか」と制止した。その理由を聞く佐平次に、晋作は答えた。
 
 「それは俺が作った文句だ。眼の前でやられちゃ、さすがに照れる」
 
 二人はその関係を、少しずつ縮めていったのである。武士と町人が同じ浴槽に入って、会話をする。それも殆んどため口での会話。宿場の遊郭では、江戸の町人文化が花盛りだったのだ。
 
 佐平次は初めに来た若衆から、勘定の精算を再三に渡って迫られた。そんな若衆に放った一言。

 「この俺が、懐に一文も持っていねぇってんだから、おかしいじゃねぇか」
 
 若衆は彼の連れに勘定を取りに行こうとするが、佐平次は彼らの所在どころか、その名も知らないと言う。佐平次が連れて来た連中は、全て初対面の遊び仲間に過ぎなかったのである。慌てる若衆に、彼は平然と言ってのける。
 
 「どうにもこうにも、今更しょうがないねぇ」
 「しょうがないって言ったって」
 「成り行きでげしょうなぁ」
 
 若衆は泣き伏すばかり。それを知った伝兵衛とお辰は、番頭と若衆に給金の棒引きというペナルティを科した。その場に居合わせた佐平次は、結局行燈部屋に閉じ込められて、代金代わりに無給労働をすることになったのである。

 その行燈部屋は蜘蛛の巣が張っていて、とても人が安穏に生活できる場所ではなかった。それでも嬉々として部屋に篭った佐平次は、そこで一人になったとき、今まで映像で見せたことのない陰気な表情を刻んでいた。彼は労咳病みなのである。そんな環境が健康にいい訳がないのだ。
 
しかしそこから、佐平次の本領発揮の場面が展開されていく。

 行燈部屋を一歩踏み出した人の前では、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍が冴え渡るのである。晋作らの溜まった勘定の形に、自分が修理した懐中時計を取って来て、佐平次はそれを勘定場に持って来た。まず、宿場の旦那夫婦に、その才覚の片鱗を見せつけたのである。

 そんな彼の才覚は、親子喧嘩をも上手に収拾させてしまうのだ。

 仏壇屋の親子が、こはるに恋焦がれて書かせた同じ起請文(誓紙)を持っていることが発覚し、大喧嘩になった。こはるはもはや、弁明の余地がなく、部屋の中で逃げ回るばかり。そこに同じ起請文を掲げた佐平次が飛び込んで来て、生きのいい啖呵を切るや否や、刃物でこはるに襲いかかった。
 
 「やい、こはる!てめえはよくもこの俺に、一人ならずも三人まで、よくもこんな起請文を渡しやがったな!」
 
 佐平次は上手にこはるを逃がして、部屋に残った仏壇屋の親子に、こはるのために店を潰した経緯を泣きながら語り、却って親子に同情される始末。挙句の果てに仏壇屋から金を幾らか施されて、その場を見事に収拾し切ったのである。勿論、これは佐平次が仕組んだ狂言だったが、こんなエピソードの中に、この男の並々ならぬ才覚を窺うことができるのである。

 佐平次を中心とする物語の中に、「品川心中」という落語の噺が挿入されている。そこでの主役は金造である。

 貸し本屋のこの男は、借金で首が回らない売れっ子遊女のおそめから、心中話を持ちかけられて、嫌々ながら二人で海に飛び込むことになった。真っ先に飛び込んだのは金造。しかし、それは後ろからおそめが押したことで、飛び込む羽目になったのである。まさしく無理心中だったのだ。

 ところが、借金の片が付いたという仲間の婆やの報告で、おそめは気が変わり、相模屋に戻って行く。戻って行った海の中から金造が上体を起して、濡れ鼠の体で彼も生還した。男が飛び込んだ海は浅瀬だったのである。そして、この噺にはまだ先があった。それは、殆んど落語の世界と言っていい。

 さて、女に騙された金造は幽霊になって、おそめの前に現われたのである。
 
 「おそめさん、俺は実は死んだんだよ。いっぺん死んだんだけど、また生きけえって来たんだよ。今生きたてのほやほやだよ」
 
 怯える振りをしたおそめが、もう一度金造の部屋に戻って来たとき、金造の寝ていた枕元には、位牌だけが一つ置いてあった。ここでおそめは初めて、金造が化けて出て来たことを信じたのである。

 怯え慄くおそめの元に、外から棺桶を担いだ人足がやって来て、その棺桶の中に入っている金造の遺体を引き取って欲しいと言うのだ。慌てふためく相模屋の番頭や遊女たちの前で、事態を収拾したのはまたもや佐平次だった。

 彼は薬缶のお湯を、その棺桶の遺体にかけたのである。

 驚いたのは遺体の方だった。

 金造は飛び上がって、人足の仲間と共に逃げ帰った。それを追う佐平次。そして路地裏に入ったところで、佐平次は番頭が人足たちに払おうとした香典を、皆で山分けしたのである。これもまた、佐平次の仕組んだ狂言だったのだ。この一件によって、相模屋での評価が鰻上りの佐平次に対する、若衆たちの嫉妬と不満を封じ込めたのである。
 

そんな佐平次に、おこまやおそめが惚れ込んでいく。

 しかし彼は、板頭を争う遊女に何の関心も示さない。胸を病む男には、女の存在は邪魔者でしかないかのように見える。現に、男は自分の城である行燈部屋の中で、胸の薬の調合に余念がないのだ。
 
 一方、徳三郎は、道楽が過ぎて座敷牢に幽閉されてしまった。徳三郎を思う女中のおひさは、彼に食事を届けに行った。

 「おひさ、俺、こんな所に入れられたら、三日も持たずに死んじまうぜ」
 「若旦那、あたいをおかみさんにして下さい」
 「何?」
 「あたい、お女郎に出されるんです。それよりは、若旦那のおかみさんになった方が・・・」
 「それよりは?」
 「はい。一人で逃げようと思ったんですけど、そうすりゃ、お父つぁんが困るんです。若旦那のおかみさんになってしまえば、その借金も帳消しになるし・・・」
 「おめぇ、そんなふてぇ了見を一体誰に?」
 「自分一人で考えたんです。お父つぁん、一生かかったって、五十両なんて大金できっこないし、あたいの家じゃ、ここよりももっと寒いところで寝てるんです。だけどあたい、やっぱりお女郎なりたくないんです。ね、おかみさんにして下さい」
 「ふうん、今日はびっくりすることばかりだぜ。こいつは一番、考えざぁなるまいか」
 「ね、あたいと駆け落ちして下さい。どこかでほとぼり冷ましてしまえば・・・」
 「そんなこと言ったって、おめぇ、こいつはぁ・・・」
 「あたい、居残りさんに頼みます。何とか、ここを出られるように」
 「冗談じゃねぇよ。あいつは銭にならねぇような仕事は、いくら頼んだって、おめぇ」
 
 おひさは父親の借金の形で、遊女に売られようとしていた。彼女は、自分を思う徳三郎と駆け落ちする覚悟なのである。
 
 
一方、晋作たちは異人館の焼討ちを明日に予定していた。その暴挙に、久坂玄瑞だけが強硬に反対する。それに対する晋作の答え。
 
 「単に異人館を焼くというのではない。安政の屈辱的な条約に火を付けるのだ・・・なぁ久坂、俺は外国の領土と化した上海を見てきた。今にして幕府の迷妄を打破しなければ、日本は第二の上海になる」
 「ならばなおさら、焼討ち如き愚挙は!」と久坂。
 「愚挙とは何か!」と聞多。

 二人は刀を抜き合おうとして、それを高杉が止めた。ラジカル・ボーイたちの勢いは未だ継続していたのだ。結局、玄瑞も焼討ち仲間に加わっていったのである。
 
 その頃、おひさは佐平次に駆け落ちの一件を頼んでいた。

 彼女は今は返済できないが、毎年一両ずつ返して、十年後には、合わせて十両の金を払うというのだ。そのおひさの意気に感じて、佐平次はその困難な仕事を引き受けたのである。映像で初めて見せる、佐平次の男気であった。

 その佐平次の男気が、肩で風を切る侍にも向けられた。ラジカル・ボーイたちは決行を明日に控えて、その熱気が相模屋の一画を完全に支配していた。そこに、のこのこと出入りする佐平次が、彼らの危ない話を盗み聞きした疑念を持たれ、秘密の漏洩を恐れて彼を斬るということになった。その役を、首魁格の晋作が引き受けたのである。
 


 4  「首が飛んでも動いてみせまさぁ!」



 一艘の小舟が、沿岸に浮んでいる。
 
 そこに二人の男がいる。晋作と佐平次である。晋作が突然、「斬る!」と言い放って刀に手をかけた。船の縁に後退した佐平次は、落ち着き払って切り返す。
 
 「野暮は止そうじゃございませんか。旦那方が異人館を焼こうが焼くまいが、あっしら町人には関わり合いのねぇこって・・・」
 「ここまで打ち明けたからには、生かしておけん!」
 「へぇー、それが二本差しの理屈でござんすかい。ちょいと都合が悪くなると、こら町人、命はもらったて言いやがら。へへへ、どうせ旦那方は、百姓、町人から絞り上げたお上の金で、やれ、攘夷の、勤皇のって騒ぎ回ってりゃ、それで済むだろうが、こちとら町人はそうはいかねぇんだい!てめぇ一人の才覚で世渡りするからには、へへへ、首が飛んでも動いてみせまさぁ!」
 「ようし、ええ覚悟じゃ」
 
 晋作は、抜いた刀で佐平次を追い詰めていく。追い詰められた佐平次は、舟底の栓を抜こうとした。刀で迫る侍に対抗したのである。
 
「さあ、やれるもんなら、ばっさりとやっておくんなさい」
 
 結局、晋作は刀を納めることになった。彼は佐平次の度胸を試したのである。晋作は佐平次に、御殿山の異人館の絵図面を入手することを頼んだのだ。佐平次はここでも、ちゃっかりと商売のことを忘れていなかった。

 そして佐平次は、大工であるおひさの父を通して、見事絵図面を入手した。それを持って晋作のところに乗り込んだ際、彼は新たに別な依頼を加えたのである。その依頼とは、侍たちの船の中に駆け落ちする男女を一緒に連れて行くことであった。全てに於いて抜け目がない佐平次は、晋作から絵図面の代金をも受け取ったのである。
 


 5  確信的逃走を完結した男の身体疾駆



 その夜、佐平次の行動は迅速だった。
 
 座敷牢の鍵を盗んだ彼は、牢内にいる男女を救い出して、船着場で待つ晋作たちの元に連れて行く。その際、彼がおひさに言った言葉がある。
 
 「ちょうど潮時だ。十年経ったら勘定をもらいに行くからな」
 
 この男もまた、相模屋からの確信的逃走を固めていたのである。そんな男が晋作に対しても、粋な計らいを依頼した。船の中で、徳三郎とおひさの仮祝言を頼んだのである。意気に感じた晋作は、当然それを引き受ける。佐平次の男気に、徳三郎とおひさも深々と感謝することを忘れなかった。更に男は、晋作から再び懐中時計の修理を頼まれたとき、一言返そうとした。
 
 「じゃあ旦那、そのときには間違いなく、一つ・・・」

 その後の言葉を、晋作が代弁した。

 「分っておる。修繕代は払う」

 晋作のその後の言葉は、男の心に深く食い刺さっていくものだった。

 「でも貴様、大分悪い咳をしているが、そのときまでに持つか?」

 一瞬、佐平次の顔が歪むが、すぐにジョークで返していく。

 「旦那は、お侍には惜しいねぇ」
 
 かくして、高杉一行らの攘夷の決行が開かれたのである。
 
 まもなく、御殿山の異人館の焼討ち事件が発生した。高杉一党らの行動である。相模屋の連中は、対岸で燃え盛る火事を見て、愉悦していた。
 
 「物騒な世の中だよ」
 
 佐平次は、そう一言呟いたのみ。

 
東禅寺・最初のイギリス公使宿館跡
相模屋の女主人のお辰は、火事を見物する遊女たちに、「大引け(閉店の時刻・筆者注)だよ!」と注意して、彼らを部屋に戻した。いつの時代でも、対岸の不幸は自分の快楽になるようだ。まして英国公使館が焼討ちされたのだ。高杉晋作らの攘夷の決行は、少なくとも、品川宿の溜飲を下げる効果になったという訳である。

 佐平次は、なお自分に言い寄って来るおひさとおそめに別れを告げた。 
 
 「グズグズしてたら、夜が明けらぁ」
 
 その一言を残して、相模屋を後にしようとする佐平次に、若衆が難題の解決を求めて来た。杢兵衛大尽(もくべいだいじん)がこはるを待っているので、嫌がるこはるの代わりに話をつけて欲しいというもの。逃走の機先を挫かれた佐平次は、止むなく大尽の相手を引き受けたのである。
 
 以下、落語の「お見立て」をベースにした、コメディ風の味付けがたっぷり描かれていく。
 
 「こはるさんのことに付きまして、ちょいと・・・」と佐平次。

 大尽の待つ部屋を開けた佐平次を、甲高い方言が襲いかかってきた。

 「おお、こはるは患ってるって言うが、いっていどこが悪くて、どんな按配っこだが、ぼやぼやしねえで、早く話してくんろぅ、じれってぇ」
 「へぇ、これはどうも。あっちもこっちも、悪いようなんでござんしてねぇ」
 「あっちもこっちもでは、分んねぇでねぇか」
 「へぇ、確かその、腎とか、肝とか・・・」
 「腎と肝とでは違うでねぇだか、このトボケが」
 「ええ、確かそのぅ・・・」
 「医者はどこだか?その具合っこはどうだか?・・・分らねぇのか!」

 ここでもう、佐平次は開き直るしかなかった。

 「ええい、すっぱりきっぱり言っちまうがね、実はこはる姉さん、けっくれけぇって、もうおっちんじまったんだね」
 「あれ、死んだ・・・死んだか・・・」
 
 泣き出す大尽は、気分を戻すや、今度はこはるの墓に案内しろと、佐平次を強く促した。佐平次は、ここまできたら逃げ出すしかなくなった。寺を案内すると言い残して、大尽の部屋を出た佐平次は、自分の荷物をまとめて、密かに表に出た。

 するとそこに、見るからに恰幅の良い杢兵衛大尽が待っていたのだ。佐平次はとうとうこはるの墓を案内する羽目になり、近くの寺院の墓地に大尽を連れて行ったのである。

 墓地に入っても、特定できる訳がないこはるの墓を巡って滑稽な会話が、如何にも落語の演目をなぞるように繋がっていくが、逃げる算段のみを考える佐平次の冴えのなさが印象的な場面でもあった。他人の墓を掃除する佐平次。

 それと気付く大尽に指摘され、佐平次はいよいよ開き直れず、放った一言。
 
 「へへへ。墓にぁ、とんと縁がねぇもんでござんしてね」
 
 ここからの会話には、不気味なほどのリアリティがあった。

 「馬鹿こけ、縁がねえっつうて、人間は、はぁ、一度はおっちぬもんでねぇか」と大尽。
 「へへへ。あっしなんぞは、若うござんすから、まだまだ」と佐平次。
 「うんにゃ、分ったもんでねぇ。おめぇ、さっきから妙に悪い咳べぇ、こいてるでねぇか」
 
 度々、他人から指摘される病に触れられて、そのことを最も気にする佐平次の表情から、迎合的な笑みが失せていく。彼はもう、この状況からの脱出しか考えなくなった。小さな他人の墓を抱いて落涙する大尽の脇をそっと通り過ぎて、佐平次の脱出行は成功するかに見えた。ところが、「童子」と記された墓石を見て、それが子供の墓であると知った大尽は、離れていく佐平次を呼び止めて、大声で叫んだ。
 
 「これ、若ぇ衆!本当の墓はどこだ!」
 「えぇい、どこでもお前さんの良さそうな墓を見立てておくんなせぃ」
 
 これが、佐平次の開き直りの啖呵。それに対する大尽の返しも強烈だった。
 
 「これ、地獄さ堕ちねばなんねぇぞ!」
 
 そこまで言われた佐平次が放った、究極の捨て台詞。

 「地獄も極楽もあるもんけぇ!俺はまだまだ生きるんでい!」
 
映像は、確信的逃走を完結した男の身体疾駆を映し出して、閉じていった。

       
                        *       *       *       *

 

 6  自由なる魂が隠し込んだ侠気 ―― 或いは、孤独なる確信的逃走者



 「自由なる魂が隠し込んだ侠気 ―― 或いは、孤独なる確信的逃走者」
 
 これが、私が命名した本作の副題である。

 この副題の中に、本作で描かれた中枢的メンタリティが包摂されていると考えているからである。これは一見して、ニヒリズムの衣裳を装いつつも、ある種の男の侠気の物語であり、その孤独なる人生の確信的逃走を完璧なまでに描き切った魂の記録である。

 佐平次という男の生きざまを本質的に捉えるならば、私にはそれ以外の形容が当て嵌まらないのだ。まず第一に、彼がその体内に存分なほどの血流を内包する自由なる魂であるということ。第二に、覚悟を括った孤独者であるということ。そして第三に、確信的逃走者であるということ。それらの固有なる人格的特性が、佐平次の中枢的メンタリティを支配する要素である、と私は把握したい。
 
 ―― それぞれを検証していこう。
 


 7  自由なる魂



 まず、「自由なる魂」について。

 これは、本作で描かれた佐平次の行動様態を見れば瞭然とするだろう。彼は何ものにも縛られていないのである。本質的に自由人なのだ。煩わしい人間関係にも、肩の凝るような様々な規範にも、身分制の秩序にも縛られず、品川遊女たちの誘惑からさえも自由であった。

 一見すると、この男は金の亡者のように見える。

 しかし、この男の身体表現を仔細にフォローしていくと、彼の金銭感覚が極めて合理的であり、且つ、それ自身が自己目的化された吝嗇(りんしょく)性の故でないことが判然とするのである。彼が金に拘るのは、確信的孤独者が世俗と繋がってギリギリに生きていくための道具であると括っているからである。彼はそれによって高価な薬剤を手に入れ、それを自ら調合し、服用することで、カオスの世界を生き抜いていくつもりなのだ。

彼は誰にも依存しない。

 一切の難局を、ひたすら自らの才覚で乗り切って行こうとする。人を信用しない代わりに、誰をも寄せ付けない。常に世の中をシニカルに見ているから、他者と距離を確保して生きていくしかないのである。しかし彼の人生態度は、決して自暴自棄的な流れ方を見せてはいないのだ。

 そんな生き方に対して、ニーチェ流に言えば、「強さのニヒリズム」とか「能動的ニヒリズム」と呼ぶことも可能である。彼は人生の一瞬一瞬をとても大切にしていて、その時間を自分の才覚で支配する生きざまにアイデンティティを感じているようにも見えるのだ。彼は「生」を決して疎(おろそ)かにしないし、ペシミズムにも捕縛されていないということ、これは決定的に重要な把握である。

 彼はそんな自分の生き方を、恐らく、その前半生で学習してしまったのであろう。従って、彼の生き方のニヒリズム的様態は、「弱さのニヒリズム」とは完全に切れていた。彼は超越的で、特定的な価値観に縛られることなく、常に状況を支配し得る自らの才覚によって、自らの身体表現をその都度愉悦しているようでもあった。この男は一貫して自立的なのである。
 
 同時に、彼の自由なる魂は、それ以外に振舞うしかない特定的状況の中で露呈される、言ってみれば、彼特有の人生態度という風に把握できるだろう。

 彼の周囲に蔓延(はびこ)るキャラクターは狡猾だったり、エゴイストだったり、単なる見栄っ張りだったり、むやみに刀を振り回す志士もどきであったり、遊女に利用されるだけの好色漢だったり、或いは主体性のない気弱な若衆だったり、能力がないくせに嫉み深い輩だったり、等々というような連中ばかり。

 そんな連中に対して、この男は常に冷めている。存分なほど笑いを振り撒くが、心の底ではいつもどこかで、「連中と自分は違う」と思っているようなところがあるのだ。だから彼は、連中から金をせしめる行為を平然とやってのける。それだけだったら、この男のニヒリズム的様態は、人間不信の裏返された曲線的思考のそれと殆ど変わらないであろう。しかしこの男には、その自由なる魂が隠し込んだ侠気というものが厳として存在していたのである。
 
 この男のそんな侠気を映し出すエピソードは、おひさと徳三郎に対するその行動様態の中にあった。

 男は遊女に売られていく娘を助けたのである。

 その娘に惚れる道楽息子の存在が娘の逃走に不可避であると知って、男は道楽息子も一緒に救い出してしまうのだ。

 このエピソードこそ、本作の主人公について描かれた物語の中枢的位置づけを示すものである。男は女から、一年に一両ずつ貯めて、十年後に十両のお金をもらいに行くという名目の下に、二人の脱出行をサポートするが、無論、その名目は、男の照れ隠しの物言いでしかない。男は女のそんな毅然として、覚悟を括った潔い態度に、内深くに潜む男気を刺激されたのである。
 
 「十年?しかしこのご時世だ。十年先には世の中もすっかり変わるぜ」
 
 男が女の甘さを指摘したとき、女は男にこう言ったのだ。

 「世の中が変われば、あたいも変わります。もっとお金が貯まってるかも知れません」
 
 こう言い放った女の自立的な態度に、男は心を動かされたのである。

 この男は、最も自立的な生き方を貫く自分の流れ方に誇りを持っているから、おひさという娘の中に見た強い自立心に深く打たれたのだ。恐らく、男はこういう人間がたまらなく好きなのである。それは、男がサポートした多くの連中とは異なる個性との出会いだったのである。言わずもがなのことだが、高杉晋作もまた、そんな種類の人間だったと言えるだろう。

 因みに、その高杉晋作との絡みの描写について、些か気になる箇所があるので、それについて簡単に言及したい。

高杉晋作との有名な、船の中での町人気質の侠気を見せたシーンが、それである。

 ここで男が放った決め台詞(「首が飛んでも動いてみせまさぁ!」)の内に、作り手の思いが存分に仮託されていると見るのは自然である。私はこの、映像の勝負を賭けたような究めつけの描写に対して、多くの観客の、ごく普通の反応の範疇に収まる程度に於いて評価している。「攘夷」と喚いて肩で風切る侍たちと、江戸町人の意地の対峙を描くという作り手の強いモチーフを表現するには、このような描写の導入を必至とせざるを得なかったと思うからだ。

 然るに、その決定的場面で、男はあまりに格好良過ぎなかったか。

 その格好良さが、何か歌舞伎世界の形式主義に流れ込んでいったようにも思われるのだ。佐平次=スーパーマンであることを、敢えて強調したかのようなこの描写の映像的な位置付けを、私は特定的に拒絶する者ではないが、それほどに不可避なる描写であったと自負(?)するならば、そこでの構図の確信的なシンプルさが際立つほどに、佐平次のスーパーマン性だけが必要以上に浮き上がってしまったのではないか。

 更に付言すれば、この描写に於ける高杉晋作(石原裕次郎)の学芸的な芝居の拙劣さが、「傲慢な侍」の振舞いと対峙する江戸町人の、その心意気を描こうとする作り手のモチーフを、相当程度削り取ってしまったようにも思われるのである。そしてその分だけ、佐平次が切った大見得の格好良さが必要以上に浮き上がってしまって、歌舞伎世界の形式主義の印象を残してしまったのではないか。無論、人それぞれ好き好きだが、少なくとも私には、その点だけが気になってしまったのである。

 それにも拘らず、この描写で見せた男たちの心の探り合いは、ある意味で相互の似た者性を確認し、それを検証する場面として興味深いものがあったのは事実。

 全く身分の違う二人が、その固有の人格の重量感によってのみ対峙し、合理的で、賢明なる和解に至る緊張含みの見せ場でもあったからである。自由なる魂で生きる男は、同じく自由なる魂を持つ男の度量と交叉し、それを愉悦したかのようでもあった。

 ともあれ、以上のエピソードを見る限り、この男のニヒリズム的様態の仮装性を端的に物語るものであったと言えるだろう。男の自由なる魂は、精神病理と近接した者のそれと完全に切れていたのである。



 8  覚悟を括った孤独者



 次に、「覚悟を括った孤独者」について。
 
 
これは、他の二つの人格的テーマとも当然脈絡するが、男が労咳を病んでいたという問題がその根底にある。

 労咳は当時、「約束された死の病」である。この「約束された死の病」に対して、男は少しでもその約束の履行を伸ばそうと必死に生きている。これが男の問題の全てと言っていいほど、男は必死に生きている。

 だから男は決して、心の底から笑える幇間(ほうかん=たいこもち)にはなり得ない。男は、そこだけが特定された病室であるかのように、行燈(あんどん)部屋の中でひたすら薬剤を調合し、それを服用することを止めないでいる。その病室の中で、男は饒舌を拒み、遊女の侵入を好まない。そこは、男が自らの病と格闘する特定的空間以外の何ものでもないからだ。

 しかし、男はその病室を一歩外に出ると、有能な幇間に変貌し、有り余る才覚によって、物騒な攘夷派の侍たちとも平然と渡り合うのである。
 
 男には常に、二つの世界があるのだ。
 
 その世界の中枢に病室である行燈部屋があり、そこで出来る限り「約束された死」の履行を伸ばしていく。もう一つの世界は、「約束された死」の履行を伸ばすために、その才覚によって際立った自立の活路を拓き、そこで得た金銭によって高価な薬剤を購入する手立てに繋いでいく。だから男は、その世界に於いて命を張って生きていく。とうに覚悟は括られているのだ。

男が遊女を拒むのは、元来、色好みの志向がないからではない。女との交わりは、男に「約束された死」の履行を早めてしまうと考えるからである。

 そのあまりに抑制的な人生態度の根底にあるのは、男のストイシズムからではなく、男が限られた時間の中で、限りなく自立的に、限りなく世俗のズブズブの柵(しがらみ)から自由でありたいと願う心であるかも知れない。男は覚悟を括った孤独者なのである。キルケゴール的に持ち上げれば、男は括り切った「単独者」であるということだ。
 


 9  確信的逃走



 最後に、「確信的逃走」について。
 
 大雑把な印象で言えば、男の振舞いは、その場限りの浮薄なる世渡り人のようにも見える。しかし物語を仔細に俯瞰していくと、男の振舞いは殆んど確信犯的なそれであることが瞭然とする。

 ファースト・シーンを想起してみよう。

 
男が品川宿に踏み込んで来たとき、そこには三人の仲間がいた。
 しかし、彼らは男の朋輩でも何でもなく、単なる行きずりの遊び人たちだった。そんな男たちに芸者を呼んでの大盤振舞いをした挙句、佐平次のみが居残った。他の三人はその夜の内に帰させて、男は一切の債務を自分で負ったのだ。

 この行動が示すものは、男が詐欺的な食い逃げする狡猾さとは無縁なメンタリティの持ち主であるということである。常識的に考えれば、男の振舞いは、奉行所に訴えられる不届き千万な無銭飲食の類の犯罪である。男はしかし、自分だけでも逃げられた場にいながら、そんな破廉恥な「逃走」を選択しなかった。男は確信的に相模屋に入り、確信的に飲み食いし、そして、確信的に居残ったのだ。

 ついでに言えば、居残っても、その才覚で切り抜ける自信を持って、男は確信的に居残ったのである。しかし、それは永久就職の場を手に入れるための居残りではなかったことが、物語の展開で判るようになる。それでも男は確信的に居残ったのだ。

 なぜなのか。

 合理的に考えれば、一時(いっとき)の住処(すみか)を確保し、そこで糧道を繋ぐためと見るのが自然であろう。果たして、男はその日の食を充たすためだけに相模屋に居残ったのか。どうも話の展開をフォローしていくと、そんな消極的な理由だけでは済まない何かが、そこに垣間見えるのだ。

 それは男が、まさに頃合の、相模屋という格好のステージで自己表現した様態の内に収斂される何かであるだろう。

 その何かとは、男が単にそこで食い繋ぐためではなく、その頃合のステージを存分に奔走することで、男にとって絶対的に必要とする金銭を獲得し、それをある一定のラインまで貯えるためである。男は自分の胸の病気を治療するための、必要なだけの金銭を手に入れる必要があったのだ。だから、男は確信的に居直って、確信的に貯えて、そして、確信的に逃走するつもりだったのである。

 然るに、男はその世俗極まるステージで、詐欺的行為を働くことによって金銭を手に入れようとはしなかった。そこに、男の人生の美学があった。そしてそれは、「逃走の美学」と繋がる何ものかであったと言っていい。

 男は恐らく、状況が自分に被せてくる様々な規範や負担を、定着者としての人生の内に引き受ける生き方を好まなかった。男は定着的人生よりも、能動的な放浪の人生をこそ、自分の人生に最も相応しいと考えていたのであろう。そして、それを可能とする才覚が、男の中に存分なほど蓄積されていたのである。だから男は、自分の健康を不断に庇いながらも彷徨し、その「逃走の美学」によって、「潮時」がくれば、風の又三郎のように、幕末のカオス的状況の只中を泳ぎ切っていったのだ。
 

ここで重要なことは、男は狡猾に食い逃げし、卑劣にも食い荒す一切の所業とは無縁であったということである。

 男は少なくとも、自分と拘った凡庸なる者たちに、それ相応の満足感を保障し、しばしば、それ以上の幸福感を与えることさえ吝(やぶさ)かではなかった。遊女を巡る醜い親子の争いを和解させたり、心中の片割れにされた痘痕面(あばたづら)の男の復讐心をも充足させたりもした。そして遂に、能動的な自立を求める女の逃走を、殆んど侠気の世界でサポートしたのである。

 それが、男の「潮時」のシグナルとなったのだ。そして男は確信的に逃走を図り、決め台詞を残して、新たなる生命の再生産に向って疾駆していったのである。

 では、男が常に確信的に逃走しようとするライト・モチーフには、一体何が張り付いているのか。

 恐らく、男は自分の自我を縛って止まない凡庸な日常的世界から、限りなく自由でありたいと願ったのであろう。男は、定着というものの実体が囲繞する規範の網から、常に自由でありたいのだ。男は本質的に自由なる魂である。自らが依存する対象を必要としない単独者であり、そして、その魂の振れ方を安定的に保障する生き方こそ、男の逃走的人生であると言っていいだろう。
 
 ところが、物語の最後に、男のそんな小気味良い生きざまが殆んど通じないエピソードが用意されていた。

 杢兵衛大尽とのエピソードがそれである。

 そこでは、男の軽快なテンポが悉く崩されて、あまり格好良いとは言えない破綻を露呈してしまったのである。男の「逃走の美学」が、杢兵衛大尽の執拗な身体表現によって、完璧なまでに破綻を来してしまったのだ。居残り佐平次の真骨頂が崩されて、男は最後の最後で、開き直りとも思える逃走を演じて見せたのである。

 なぜなのか。

 簡単である。相手の男があまりに誠実な人柄であり、遊女の墓に自分の思いを伝えに行こうとするほどに情の深い男だったからである。このような男の前では、居残り佐平次の軽快な身体表現が通用しないという落ちまで付いて、この一級の滑稽、且つ哀切なる人間ドラマは括られたのだ。

 

 10  映像作家の最高到達点



「幕末太陽傳」―― 宿痾(しゅくあ)に苦しめられた映像作家の分身とも思える「自由なる魂」を、その映像の中に奔放自在に躍動させた本作は、その映像作家の最高到達点であると同時に、邦画史上に残る奇跡的傑作であるという一般的評価を、私も支持する者である。

 本作の存分なる魅力のコアが、落語の題材を上手に集めて、それを一本のシナリオに結実させたライターたち(山内久=田中啓一、今村昌平、川島雄三)の力量に因るところが大きいが、それ以上に、恐らく、嵌るべくして嵌った感のある、フランキー堺という稀有な個性を主人公に起用した作り手の慧眼(けいがん)と、本作に賭ける作り手の強い思いにこそ最も因っているであろう。
 
 正直、スタイリッシュな演出手法が眩しいまでの、カリスマ的なる川島雄三の作品をあまり好まない私にとって、本作だけは例外的(?)に群を抜いていて、その才覚を絶賛することを惜しまない上出来の逸品になっていた。

 その最大の理由は、佐平次=フランキー堺=川島雄三という乱暴な把握が成立するかのような、ある種の人格的一体感を髣髴(ほうふつ)させる鮮烈なイメージ喚起力にある。そして、常に「死」の影を引き摺りながらも、決してペシミズムに流れない主人公の生きざまに、素朴に共感できる描写の鋭い切れ味にも敬服する次第であった。

 最後に不満を一言。

 高杉晋作との絡みの描写への言及の際にも触れたが、登場人物の多くが、その役がまさに嵌り役であるかのような絶品の演技を披露していたのに対して、ラジカル・ボーイを演じた若き日活のスター俳優たちの表現力のお粗末さは、観る者の眼を覆うものがあった。 誰も彼もが拙劣過ぎたので、そのリアリティの欠如に正直辟易した次第である。彼らの演技の中に、幕末期の泡立った状況下に於ける切迫した感情を読み取れというのは、殆んど不可能であると言っていい。

 これらのスターたちが、後の日活アクション・ムービーの、その無国籍的な世界を支配するドル箱俳優に飛翔する流れを作り出していったことを思えば、まさにその杜撰さの原点が、本作のラジカル・ボーイ性の内に包含されていたと見ることができるであろう。

 これは半分以上ジョークだが、商業的娯楽映画を必ずしも否定しない私の許容範囲を超えた、その後の当社の濫作のうねりに、遂に、最後まで馴染めなかった私の思春期の映画彷徨の本音を吐露したかったまでである。

(2006年9月)

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