2008年12月21日日曜日
名画短感⑥ 人情紙風船('37)
山中貞夫監督
時代劇といえば、戦後の東映のオハコの娯楽映画のエース。
しかし、長屋の住人の脳天気さという印象を相対化させてしまう程に、ここに描かれる際限なく陰鬱な江戸期の人々の描写のイメージは、まもなく前線に放り込まれる運命にあった27歳の青年監督の、その絶望的なメッセージを映し出している。
恰もそれは、戦前に作られた時代劇の印象を定番付けてしまう程なのだ。
とりわけ、前進座の俳優を起用した本作の中でも、粋な小悪党である髪結新三を演じた中村翫右衛門(3代目)と異なって、海野又十郎という、主体性も馬力もない冴えない浪人役を演じた、河原崎長十郎(4代目)の憂鬱な表情が忘れられない。
仕官を拒絶され、一人、雨中に立ち竦むシーンである。
一貫して、「喪家の狗(いぬ)」(餌をもらえず、元気のない犬)の印象を残すだけの惨めな役どころだった。
それは、溝口健二の「元禄忠臣蔵」(1941年製作)という長編映画で、大石内蔵助を演じた俳優とはとても思えない「喪家の狗」の裸形の姿なのである。
寧ろ、この海野又十郎という浪人像は、「どっこい生きている」(山本薩夫監督)という佳作で、主人公の失業者を演じた河原崎が見せる陰鬱な表情と重なるのだ。
共に自死を考えるが、一方は未遂に終り、他方は既遂する。
生と死を分けたのは、家族の愛情の違いではない。
絶望の淵に立たされて、そこで未来を覗く僅かな余裕があった者と、それがなかった者との違いだった。
「人情紙風船」という映画には、最後まで救いがない。
「弱きを助け、強きを挫く」という、「人情時代劇」の定番的な主題性を包含しながらも、鑑賞後の感懐の内に、未来を覗く一片の余裕も入り込めないのだ。
時代の重苦しさが、山中貞夫という男の自我を断崖の恐怖の際(きわ)まで追い詰めていったのだろうか。
全篇を貫流するニヒリズムのモノトーンの中で、心の内側深くに、一定の安寧の秩序すら作り出せなかった者の哀切さが、べったりと張り付いていた。
時代が映画を作ったのだ。殆ど、病理の映画を作ったのだ。
それ故か、この映画は、時代が移ろっても、この国の曲線的な映像史のうちに鮮烈に刻印され、そこに奇跡的な輝きを放っている。
単に、時代の病理を描いたからでない。絶望的な人間のさまを、絶望的に描き切ったからである。
映像に映し出された者たちの表情に、それを創った者の絶望が念写されてしまったのだ。
そこに、一切の出口が閉ざされたかのような、酷薄なペシミズムが分娩されてしまったのである。
高々、5年間の映画監督生活で残した、26本の作品の殆ど全ては焼失してしまったにも関わらず、作品を貫く「律動感と明朗さ」という山中映画の本領は、明らかに本作で削り取られてしまっているのだ。
その「律動感と明朗さ」が削り取られたような遺作に込められた無念な思いは、彼の「遺書」の有名な言葉からも読み取れる。
「昭和一三年四月一八日
遺書
陸軍歩兵伍長としてはこれ男子の本懐、申し置くことナシ。
日本映画監督協会の一員として一言。
『人情紙風船』が山中貞夫の遺作ではチトサビシイ。負け惜しみにあらず(略)」(「日本人の手紙第八巻 遺書」リブリオ出版)
「個人」として生き切ることが困難な時代に、なお呼吸を繋いでいくしかなかった稀有な表現者の、その圧倒的なペシミズムに共振せざるを得ないのは、同様に、くすんだ色彩を脱色できない者の心のラインが、いよいよ過剰に反応してしまうからだろうか。
少なくとも、私にとって、この映画はいつまでも特別な何かである。
テーマや描写の厳しさを追求すればするほど、私たちが直視したがらない、何か生来的な脆弱さを否応なく曝け出していく。
曝け出す者の普遍性が、作品の普遍性を保証したのだ。
正直言えば、偶然性に依拠し過ぎたシナリオ構成や、長屋における人質の場面の安直さに象徴されるように、物語の作り方の随所に粗雑さが感じられたのも事実。
それにも関わらず、ファーストシーンでの長屋の浪人の縊首が伏線となる構成力の技巧は、ラストシーンの夫婦心中に繋がる男の絶望が、妻の内職の紙風船が風に吹かれて溝に落ちたまま流されていく映像の閉じ方の内に表現されていたが、最後まで登場人物の死を描き出すことなく、観る者に深い余情を残す「凝縮された86分」の世界は、声高にならない映像の持つ決定力を充分に検証するものだった。
ローアングルによる長屋のセットの安定感、自然の情景の効果的な描写によるリアリティ溢れる構図と、物語の中枢から切れたシーンの大胆な省略は、その後の映画史に決定的な影響を与えたことを了解し得るものだ。
一作ごとに、余分なまでの通俗性を削ぎ落とす映像構築を果たしてきたと評価される、件の青年監督の表現作家としての成長は、殆ど未知の領域の開拓者であったと言えるかも知れない。(画像は、小津安二郎とのツーショット)
河竹黙阿弥の歌舞伎狂言(「髪結新三」)を原作とした本作は、既に70年前に、日本映画がどれ程の水準に達していたかを示す決定的な一篇だった。
【余稿】
本稿の最後に、映画から読み取れる日本人の精神的風景について。
その1
「自死」で始まって、「自死」で閉じていく物語の中に、この国の人々の「自死」に対するハードルの低さが窺えたということ。
「身の潔白証明」としての「切腹」という「死の様式」が、少なくとも、具体性・現実性を随伴しない「観念の閉鎖系」である限りにおいて、支配階級としての「武士」の専売特許であったと仮定するならば、「切腹」という「死の様式」とは無縁な庶民・浪人層の人生の閉じ方は、縊首という「自死」の選択が手頃な方法論であったに違いないということか。
そのハードルの低さに、時代の制約を感じないほどである。
その2
「一体、どうするつもりなの?」
これは、家老の息子との縁談話の進展に業を煮やして、質屋の娘が、相互に思いを寄せる番頭に迫った覚悟の一言。
他にも、女房に仕官を責っ付かれる、甲斐性のない浪人の存在を見ても判然とするように、この国では「家父長制」全開の戦前においても、「疑似肉食系の男」と「疑似草食系の女」という関係バランスが貫流していたということだ。
このことは、戦前に作られた多くの邦画が証明するもの。
以上の2点は、平成不況の中で、いよいよその本質を露わにしてきたように思われるのである。
従って、「勝負に負けて涙を流す男」のハードルの低さは、癒し系全盛下にあって、底なしの状況を呈しつつあるようだ。
(2010年3月)
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