2008年12月13日土曜日

おかあさん('52)     成瀬巳喜男



<喪って、喪って、なお失いゆく時代の家族力>



序  母子の変わらぬ情愛



成瀬作品には珍しく慈母観音が登場する映画だが、例によってその内実は甘くない。

「秋立ちぬ」の残酷さが人為的な環境によるものであるのに対して、この作品の残酷さは自らの力で軌道修復できない不幸に起因する。遣り切れないほどの哀切感が余情に張りついて止まない前者と比較すると、後者には、ほのぼのとしたユーモアや明るさが全篇を貫流していて、その心地良さに束の間浸ることができるのである。

これは、前者が「残酷の中のぬくもり」という、成瀬ワールドを特徴づける一つのテーゼで押し切れたのに対し、後者が、全国児童綴り方集「おかあさん」をベースにして、脚本化した制約があったことと多いに関連するだろう。

即ち本作は、初めから「母子の変わらぬ情愛」を映像化することから逸脱できなかった枠組みの中で勝負したのである。

そして当然ながら、成瀬はこの勝負に勝ったのだ。

成瀬は、ここでも成瀬だった。

人生は思うようにならないのだ。

だからと言って、簡単に人は死を選べない。

苛酷な状況下でも人は生きねばならぬ。

そのとき人は、自らの生を繋いでいくちっぽけでも、自分なりに納得し得る何かを手に入れるだろう。

それがなければ生きられないと思わせる何か、それは他者と結ぶ関係であっても、有りっ丈の感情を投入できる趣味であっても、或いは、ナルシズムを誘(いざな)うような幻想の世界であってもいい何か、そこに自我が棲むだけで得られる安寧やぬくもりのようなもの ―― それが求められるのだ。

それを求めても手に入れられない苛酷さだけが、人を多いに落胆させ、しばしば、絶望の淵に追いやってしまうのである。

成瀬巳喜男監督①
そんなギリギリの世界を、成瀬はリアルに、堂々と、時には殆んど突き放すような文体で映像に記録し続けた。

日常性の裂け目から弾き出された緊張や不安、揺らぎ、それが収斂されていくであろう場所を弄(まさぐ)って迷走する以外にない、思うようにならない切々たる人生や、それがどこか落ち着ける場所に何とか繋ごうとする思いのさまを、淡々だが、しかし厳格な筆致で描き出した。要約すれば、それが成瀬映画である。


「おかあさん」というホームドラマ風の感動篇もまた、そんな成瀬ワールドの範疇から微塵も逸脱していなかった。



1  リアリズムに変容するホームドラマ



―― 成瀬映画にしては珍しい、そのダイレクトなまでに感動的なストーリーを追っていこう。



慈母観音のような田中絹代演じる母がいて、戦災で消失したクリーニング店の営業再開を夢見る父がいた。

そして、肺を患う長男と明朗闊達な長女、幼く愛くるしい次女がいて、腕白盛りの甥がいた。

その詳細を記していこう。

映像は叙情的な旋律がなお繋がって、そこに家事に勤(いそ)しむ一人の母の日常的な振る舞いを映し出していた。

そこに、明朗闊達な長女のナレーションが追い駆けていく。

「私のお母さんは、よそのお母さんに比べると、少し小っちゃくて、小ぶりなので、長い箒(ほうき)が大嫌いです。短い箒は慣れているから苦しくないと言います。お母さんは、眼の開き方が優しくて、私は大好きです。進兄さんはラシャ屋の奉公から病気で帰って来ました。ラシャ(注)の埃で病気になったのだそうです。妹の久子は私の言うことよりも、お母さんの言うことの方をよく聞く癖があります。見かけによらないお洒落です。これがあたしです。おねしょの布団。勿論、私のではありません。則子おばちゃんから家に預かっている哲ちゃんです。満州から引き揚げて来たのです。お父さんは、もと腕のいい洗濯屋です。私たちはポパイの父ちゃんと呼んでいます。この隆々とした力瘤(ちからこぶ)を見て下さい。子供のときから、重い蒸気アイロンで鍛えたのだそうです。今は工場の門衛です・・・」


(注)厚い毛織物の布地で、かつては軍服や冬物服地として必需品だった。ラシャ屋にあって、ラシャ切り鋏を器用に使いこなす、匠の技を持つ伝統的な職人がいたことでも知られる。「羅紗」とも書く。


長女の名は年子。

左から年子、母の正子、甥の哲夫、次女の久子
彼女のナレーションによって、自分を含む福原家の家族の構成が明るい口調で紹介されていくことで、この厳しい「ホームドラマ」の幕が開かれた。

父の名は良作。

ナレーションにあるように、かつては腕の良い洗濯屋だったが、戦災で店を失ったため、現在は守衛の仕事をしている。

父の夢は洗濯屋の再建にあり、そのために毎日必死に働いているが、戦後の苦境下にあっては、家族の「食」を保障する、一家の長(おさ)の普通の役割を果たしているに過ぎないであろう。

そして、母の正子は飴売りなどをして副職に精を出すが、それ以上に家族の面倒を見る生活に追われている。

母もまた、当時を生きた普通の母親の生活と特段に変わる様子を見せることなく、父の夢の実現のために、殆んど等身大の日常性を繋いでいる。

長男の進は肺を患っていて、現在は自宅で療養する日々を過ごしているが、その病状は一進一退といったところだ。

更に、元気溌剌の年子の下に、一人の妹と、福原家に同居する一人の甥がいる。

二人とも冒頭の紹介にある通り、素直で天真爛漫な児童。

とりわけ、甥の哲夫は寝小便の常連で、映像では、布団干しの苦労を担う年子の諦め顔の表情が滑稽含みで映し出されていく。

年子の母・正子の妹である哲夫の母は、美容師の資格を取るために必死で社会的自立を目指して修行中なのだ。

そんな家族風景の簡単なスケッチの中に、戦後を生きるこの国の人々のごく普通の生活様態が凝縮されていることは言うまでもないであろう。

この国の戦後は焼け跡の荒廃した風景から、それぞれが自らのサイズに合った秩序を復元するか、或いは、新しい価値観念の下で新鮮なイメージの生活ラインの構築を目指して、それぞれに、一見、馬車馬の如き日常性を繋いでいたのである。

しかし、そんな凡庸な家族風景であっても、ホームドラマの予定調和に終始しないのが成瀬の映像宇宙である。


そんな家族の物語を、もう少し追っていこう。

「いい音。あたしは、お父さんの大好きな、お醤油をかけた煎り豆を、ポリポリ噛む音を聞くと、爽快な気分になって、急に食欲が湧いてくるのです。お母さんは20年間、この音を聞き続けてきたと言っています。豆があれば、お父さんは何にもいらないのです」

年子のナレーションの音調は、相変わらずホームドラマ風である。

彼女は冬は今川焼き、夏にはアイスキャンディーを売って、遣り繰りが厳しい家計を何とかサポートしている。


信二郎と年子
彼女には、近所のパン屋の息子である信二郎というボーイフレンドがいて、その会話の内容もいかにも青春ドラマの趣を表現するものだ。

しかし、福原家のホームドラマは、突然、リアリズムの様相を呈していく。

肺疾患の完全療養のために施設に入れた長男の進が、その施設を失踪したという電報を福原夫妻は受け取った。

「バカやろうが。せっかく無理して入れてやってんのに」と父。
「食べ物でも悪いんじゃないかしら」と母。
「食べ物が悪いったって、ウチより悪い所はないだろう」
「どうしたのかしら?」
「帰って来ても、甘い顔するな」

一人で心配してオロオロする正子の元に、ランニングシャツを泥だらけにした哲夫が、泣きながら帰って来た。

「哲ちゃん、犬に引き摺られちゃったの」と久子。
「もう着替えるもの何もないのよ」と正子。

母代わりの正子は、タンスの中から久子のスカートを出してきて、それを哲夫に着替えさせたのである。

「あら、ひどいわ!あたしの」と久子。

いかにも、お洒落に関心のある女の子の言葉である。

「いいじゃないの。貸しといてあげなさい」

母のこの一言で、娘と甥は聞き分けるしかなかった。

久子にからかわれながらも、スカートを穿(は)くことを躊躇(ためら)わない児童の素直さは、均しく貧しい時代が生んだ生活風景以外の何ものでもなかった。

母の心には、療養所を脱走した進のことばかり。

彼女は久子に命じて、八百屋に夏蜜柑を買いに行かせた。

それは、夏蜜柑の好きな息子が自宅に戻って来ることを意識した母の配慮であった。

父の良作は、そんな正子の行動を、傍らにいて見て見ぬ振りをしている。

その直後、自宅の裏庭に進が顔を出したのである。

「母ちゃん・・・」と進。

母は息子を家の中に入れようとした。

しかし息子は入れない。父の視線が飛び込んできたからである。

「何で逃げ出してきた」

父のこの一言は、殆んど権威的な表出でしかない。

「お上がり」

母は父の視線を制して、息子を家の中に入れたのである。

その夜の、母と息子の柔和な会話。

長男の進(左)
息子は既に布団の中にその身を包んでいて、母は息子の手を握っている。

「どうして帰って来ちゃったの?」
「母ちゃんの傍で寝たかったんだ」
「どうして?」
「どうしてって、何となくそんな気がして。ここで寝てくれよね、母ちゃん」
「ああ、いいとも」
「病気うつるかな?・・・安心した」

母の柔和な表情を確認して、息子はその一言を残したのである。

それが、映像で残した進の最後の言葉になった。


「人間は何のために生まれるのでしょう。そして、なぜ死ぬのでしょう。今までいた人が消えていってしまうなんて・・・あたしのお父さんも、お母さんも、こんな風に消えてしまったら、あたしはどうしよう」

兄・進の墓の前での、妹・年子の心の呟き。

だが、映像は長男の死を映さない。映す必要がないからだ。

この時代、人の死は殆んど日常的な世界の出来事だったのである。

だから映像は、長男の最後の言葉を刻んだ後の、妹の墓参りのシーンだけで充分だったのである。

まもなく、福原家は自宅でクリーニング店を開いた。

しかし、夢にまで見た店の開店の時期に合わせるかのように、良作の健康が優れなくなっていく。

木村(左)
その代わりに店を手伝うようになったのが、父の弟子であり、シベリアからの帰環兵であった木村である。木村は真面目で、仕事熱心な男であった。

そんな木村も、良作の具合が心配でならない。

良作を往診に来た医師は、夫の様子を聞いた正子にはっきりと答えた。

「今始まったばかりの病気じゃないですな。あんなになるまで放っておくなんて、もう全然・・・」
「ダメでしょうか?」と正子。
「よほど、無理をしていますな」
「早くかかるように言ったんですがねぇ・・・」と木村。
「先生、後、どの位?」と正子。
「どの位と言われても、困りますな・・・ま、お大事に」

医師はそう答える以外になかった。

正子と木村は、医者の後姿を見送って呆然とするばかり。

その夜、木村は良作に入院を勧めた。

しかし良作は頑として受け入れない。

「・・・俺は体に自信があるんだ。入院なんかしたら、死ぬような気がするよ・・・そんなにひどいって言ったかい?」
「いやぁ・・・」と木村。

木村の表情はいかにも確信性がなく、自分の身を案じる良作に、呆気なく悟られる類の反応だった。

嘘をつけない男の正直さが露呈された後に、現実の難しさを認識する良作の率直な心情が吐露された。

父の良作
「どうして俺はこんな病気になったのかなぁ?過労って言やぁ、戦時中の方が商売上がったりで、焦ったが・・・」
「それが今頃になって出るんだよ・・・」

木村はその後、手振りでアイロンをかける真似をしてみせて、明らかに、職務上の過労が良作の健康悪化の原因であるかのように話した。

「商売じゃないか・・・ガキの時分からやっててなぁ、アイロンで死ねば本望だよ」
「全くだよ」

二人はここで同時に笑い声を上げるが、良作のそれには痰が絡んだような重い咳を随伴していた。

その夜、良作は正子に昔話を語っていく。

「面白かったなぁ。初めてここで所帯を持った頃は、夢中だったからなぁ。何しろこの町で、クリーニングという店は、俺の家一軒きりだったからなぁ。二人でびしょ濡れになって洗ったり、4年目に電話買ったときは嬉しかったなぁ。名刺を一軒一軒配り歩いて、今度電話が引けましたから、ご注文はいつでも飛んで伺いますって、そう言って歩いた格好まで眼に見えるようだ。母ちゃんも若かったな、あの頃は・・・俺は晩に豆つまみながら、焼酎飲むのが何より楽しみだったよ・・・」

二人はその後、昔、狸やイタチを飼っていた頃の思い出話に花を咲かせた。

話し疲れた夫を気遣って、就寝させた後、じっと夫の顔を見つめる妻。

彼女は一人外に出て、抑制的に嗚咽する。

その姿は、哀しみを一人で背負っていかねばならない運命を前にして、懸命に耐えているようでもあった。


夏祭りの日。

久し振りに、福原家に明るさが戻ってきた。

年子
盆踊りの歌謡コンクールの仮設舞台で、「花嫁人形」を思いを込めて歌う年子。

綺麗な浴衣を着て、久子がそれに合わせて日舞を踊っている。それを応援する哲夫と信二郎。

その後、信二が「オー・ソレ・ミオ」を力いっぱい歌い上げていく。

それを聞く信二郎の両親は、盆踊りの歌に不相応な息子の歌に、照れ臭さのため早々と退散した。

信二郎を応援するのは、舞台の袖で彼の独唱を笑顔で見守る年子のみだった。

一方、早々と自宅に戻っていた久子は、哲夫の母の則子から、美容師試験のための稽古のモデルにされて、長い髪をバッサリと切り落とされ、オカッパ頭になっていた。

それを鏡で見た久子は、突然泣き出した。

「毛がなくなっちゃった・・・リボンが結べない」

その泣き声に、母の正子が娘の元にやって来て、優しい口調で説諭する。

「チャーコ(久子)は則子叔母ちゃんの役に立ってあげたんでしょ。則子おばちゃんはひどい目にあって、満州から引き揚げてきた人なのよ。哲ちゃんのお父さんの代わりになって、一生懸命働かなければならない人でしょ。チャコの髪の毛ぐらいあげなさい。・・・ねえ、それくらいの親切ができない子じゃないわね。いつも言ってるでしょ、チャコにはお父ちゃんも・・・父ちゃんも母ちゃんもあるんだから、哲ちゃんたちには優しくしてあげなきゃいけないって。ねぇ、分ったら、頭の毛くらい文句言うんじゃないの」

この時代、母のこのような説諭の口調は、子供たちの小さな我が儘すらも封印する説得力を持っていたのである。

次女の久子は、もう、この一言で何も言い返す術を持たなかったのだ。


福原家に再び不幸が襲って来た。

しかしそれは、殆んど予約された不幸でもあった。

一家の主である良作の具合が悪化して、遂に病の万年床の中で逝去してしまったのである。

「10月の空は青く澄んで、どーんと、どこかで、花火の煙が上がっていそうな日でした。私は、この日のことを一生忘れることができません」

年子のこのナレーションの後、映像は病を更に悪化させた良作に、母の正子が必死に入院することを勧めている描写が回想的に映し出されていた。

「ねえ、そんな分らないこと言わないで。決めてきたんだから入院して下さいよ」
「バカ言うなよ」
「お金と命のどっちが大事なんですか?」
「そんな金がどこにあるか考えてみろよ・・・」
「そんな分らないこと、言うんじゃありません。いつもあんたに負けてはいましたけど、私今度は絶対に譲りませんからね」
「嫌だよ」
「こんなに頼んでもですか?私の一生の頼み、聞けないんですか」
「うるさいな、黙れ!」

その声にはもう張りもないし、迫力もない。

その苦しい言葉の後から、激しい咳込みがあった。

突然、「母ちゃん!」と叫ぶ良作の声が、断末魔に喘ぐ者の辛さを運ぶようにして、狭い家屋内にいた家族の耳に侵入してきた。年子は母の正子に促されて、医者を迎えに行った。

「父ちゃんが死ぬ!父ちゃんが死ぬ!」

未舗装の路を必死に走る年子の感情のうねりを、それを代弁するかのような斉藤一郎の、そこだけは特段に激しく、溢れる感傷を込めた音楽が画面を支配する。

花火の煙が上がっていそうな快晴の秋の日。

常に一家の大黒柱でなければならなかった父の良作が、殆ど約束された病を克服すべき何ものもなく逝去したのである。



3  母の似顔絵を取りに帰る次女、嗚咽する母 



通夜の晩、福原家の経済事情を案じる叔父夫婦は、養子の話を密かに交わしていた。

「この際、やっぱり一人もらおうじゃないか」と伯父。
「そう、良作さんはこの前話したとき、承知していたんですから。本家のことだからって」と伯母。
「そうすれば、ここの家も助かるだろうしな」

現在、子供のいない夫婦には、亡くなった息子の代わりの気持ちもあって、福原家の三人の子供のいずれかを引き取る決意をしていた。

木村から教わる正子
良作の死後、木村の強力な助けがあって、福原家の生活風景は以前と変わらないような日常性を保っていた。

アイロンを未だ覚えられない正子は、仕事の大半を木村に依存する以外になかったのである。



ある秋の日曜日。

年子とのデートを心待ちにしていた信二郎は、「ピカソパン」を焼き上げて、彼女を待っている。

しかしそこに現われたのは、年子と久子と哲夫の三人だった。

二人の子供を含む4人のレクレーションが、画面いっぱいに明朗なタッチで映し出されていく。

信二郎のお得意の「オー・ソレ・ミオ」の旋律が、BGMとして静かに流される中で、何が出てくるか分らない「ピカソパン」を手にして、子供たちははしゃぎまわっている。

年子と子供たち
楽しくて仕様がないのだ。

公園の開けた草むらに、二人の男女がパンを片手に座っている。

そこで信二郎は、意外なことを口にした。

「年子ちゃんとこのお母さん、あの人と一緒になるんだって?」
「え?」
「ほら、手伝いに来ているあの人」
「捕虜のおじさんのこと?」
「うん」
「誰がそんなこと言ってた?」
「ちょうどいいんじゃないかって話していたよ、近所で」
「やだぁ」
「君がいくらサービスしたって、母さん幸せにならないからな」

これが二人の会話の全てだった。

映像はその後、ピクニックから戻って来た福原家の三人を映し出していく。

それは、楽しいはずのレクレーションが、年子の心に些か重い気分を乗せただけの何かを暗示するものだった。

ピクニックから戻って来た久子に、母の正子はさりげなく養女の件を切り出した。

「ダメよ、そんなこと」と年子。
「伯父ちゃんの所には、跡取りが誰もいないからね。どうしても一人欲しいの・・・学校も上まで行かしてあげようって言われるんだけど・・・チャーコにはそうした方がいいんじゃないかと母ちゃんは考えるのよ。あんたも、もう大きいんだから、自分のことばかり考えないで、人にしてあげることも考えるような子になれたらいいなと思うの・・・」

いつものように、柔和な語り口の母がそこにいた。

しかし、その母の話の中身は、子供が即答できるほど軽いものではなかった。

久子は終始、無言を貫いた。そこに既に、次女の正直な気持ちが露呈されているのだ。

その晩、布団の中から、長女の年子が母にその思いを告げたのである。

「母ちゃん・・・」
「あら、まだ起きてたの?」
「ねえ、母ちゃん、働くわ、あたし。父ちゃんの代わりに。働くから、ねえ・・・」
「働くから?」

年子はそれ以上何も語らなかった。

しかし、長女の思いを理解している母には、それ以上の言葉は残酷だった。

まもなく、福原家に則子が訪ねて来た。

彼女は念願の美容師試験に合格して、その資格を取得したことを報告に来たのである。則子の訪問は、福原家を少しだけ幸福な気分に包み込んだ。

その晩、則子は息子の哲夫と、年子、久子を伴って、映画館に行った。

映画を最後まで観終わったのは、則子と年子の二人。年子は、恋愛映画の観賞に愉悦を感じる年頃になっていたのである。

そんな年子だからこそ、母と木村の関係が気になってならないのだ。

彼女は悉(ことごと)く、母に向けられる木村の笑顔が不潔なものに見えてならないである。

木村もまた、そんな年子の視線が気になり始めていた。

年子は自分の悩みを信二郎に打ち明けたが、年子の母の幸せを重んじるボーイフレンドの言葉に反発するばかりだった。

そんなことがあって間もない夜、寝床の中で、久子は年子に自分の思いを告げた。

「やっぱり行くわ、あたし」と久子。
「どこへ?」と年子。
「伯父ちゃんの家へ」
「え?」
「だって、伯父ちゃんたち、寂しいでしょ。可哀想だもん。母ちゃんだって可哀想よ。あたしが行けば助かるのよ。家だって今日、お米屋さん来たけど、母ちゃん配給取らなかったのよ」
「バカね、うどんの方が経済だってこと知らないの?バカね、女のくせして」
「うどんばかり食べてたら、母ちゃん可哀想じゃないの。姉ちゃんだって、洋裁学校行きたいんでしょ?あたしだって、考えてんのよ。そうバカバカって言わないでよ」
「だって、バカだから、バカって言うんじゃないの!」
「何よ、自分だってバカじゃないの」
「バカよ、行くなんて!」
「焼きもち!」

年子は眼に涙を溜めながら、妹を軽く叩いた。

妹は姉の気持ちが分っていながらも、自分なりに考えたことを分ってくれない姉に、その遣り切れない思いをぶつけていく。

そこに母が入って来て、姉妹の様子を怪訝そうに窺っている。

「だって、チャコったら、伯父さんち、行くって言うんだもん」

養女にいくことを決意する久子
この年子の一言に、母は何も反応できなかった。

未だ心の整理ができない年子は、寝床から起きて、針仕事をする母の傍らに寄り添っていく。

「どうしたの?」と母。
「母ちゃん、木村のおじさんと一緒になるって、皆がそう言ってるわ。嫌い!あたし、嫌い!そんな母ちゃん」
「何を言っているんです。笑われますよ。母ちゃんは皆のためばかり考えてばかりいるんだから、余計な心配はしなくたっていいの。チャコが行くにしたって4月からだから、ずっと先の話でしょ。皆でそのときは、お花見でも行こうよ。」

娘はもう何も言えなかった。

母が全てを受容してくれたからである。

娘は母に、ほんの少し、受容してもらうだけの甘えを投げ入れただけなのだ。

4月になった。桜が満開の季節である。

現在の向丘遊園地
福原家の4人は、向丘遊園地に遊びに行った。

それは次女の久子が養女にもらわれて行く前の、最後の家族揃っての行楽だった。

その思い出作りの中枢に、リボンを髪の両端に結んだ久子がいた。

「母ちゃん、面白かったわね」と久子。
「良かったわね・・・」と母の正子。

それ以上の言葉は必要なかった。

慣れない行楽の疲れを隠して、母は特別の思いを込めた貴重な一日を過ごしていた。

名状し難い寂しさが母の心の奥に残されていて、それを必死に押さえ込む母の孤独感は、何ものにも埋められない人生の運命(さだめ)を括る強靭さによってのみ、ギリギリに支配されていたと言えようか。

そして、久子との別れの日がやって来た。

「何でも用事言いつけて、やらせて下さい。悪い所は、ビシビシ叱ってやって下さい」と母。
「また、遊びにおいでね」と年子。

久子は頷くだけだった。

人の良さそうな伯父の手に引かれて、久子は福原家を後にした。

哲夫は久子が欲しがっていた箱を手にとって、それを久子に渡すために追って行った。

喜ぶ久子の表情の内に、初めて子供らしい振る舞いが垣間見えた。

その直後、久子は家に走って戻って来た。

久子は、自分の机の上に飾ってあった母の似顔絵を取りに帰って来たのだ。

それを持って、走り去って行く久子を見て、母は嗚咽する感情を懸命に抑えていた。


福原家に起った次の変化。

クリーニング店を一手に支えていた木村が、独立を名目に福原家を離れていったのである。

木村
それは年子の視線を意識する、木村なりの判断だったのだ。

木村は自分の代わりに新しい奉公人が来た事実を見届けて、この家での自分の役割を全うしたのである。

それは良作に対する、彼の最後の奉公だったかのようだった。

やがて、甥の哲夫も則子に引き取られていくであろう。

更に長女の年子も、信二郎と結ばれて、この家を出て行くに違いない。

そのとき、福原家には正子の他に、奉公人の少年しかいなくなるのである。

正子はそんなことを考えたのか、その表情には、母としての役割を果たし終えた安堵感以上に、言い知れぬ寂しさが映し出されていた。

「静かな夜は更けていきます。そして明日も雀の声で幸せな朝がやって来るのです。お母さん。私の大好きなお母さん。幸せですか?私はそれが心配です。お母さん。私の大好きなお母さん。いつまでも、いつまでも生きて下さい。お母さん・・・」


この長女のナレーションが、甥と戯れる母の復元力をフィルムに刻み付けながら、痛切なまでに心に残る、一篇の映像を括る言葉になったのである。


*       *       *       *



4  残酷の中のぬくもり



貧しいが、この平和な六人家族の日常性に走った最初の裂け目、それは長男の病死だった。

一時(いっとき)療養所に入れられていた長男が、脱走の果てに求めたものは母のぬくもり。慈母観音の求心力は、いつの時代でも、この国では絶対的なのだ。

勿論、成瀬は、長男の死という定番的な泣かせ所を描かない。

家族の死が日常的であった時代において、その残酷な裂け目を綿々と記録したら不幸の安売りになってしまって、成瀬的映像の本質が霞んでしまうのだ。

これは、次に訪れた父の死の描写においても同様である。

成瀬は、「死」を見せることを極端に嫌う監督なのだ。

肺を病む長男の進
彼は非日常の極点である人の死を、日常性の範疇の内に括った男でもあった。

人が生まれたら、必ずいつか死ぬ。

それは、生命あるものの自然の摂理である。成瀬は死を特別なものと考えない映画監督なのである。

ともあれ、一家にとって二人の大黒柱を喪った母には、心を病む余裕すら与えられない。

夫の弟子で、腕の立つ職人の手を借りて再開したクリーニング店を切り盛りするが、家計の遣り繰りはあまりに困難すぎた。

そんなとき、一家の困窮を救おうと伯父夫婦が次女の養子縁組を申し入れてきて、苦慮の末、その話を受託する母。

次女が一家を去る前日、母は長女、甥を伴って遊園地に出かけた。

遊園地で思い切りはしゃぐ子供たちの傍らに、恐らく、最初で最後の宴を見守る母がいる。

チャーハンをガツガツ食べる子供たちの中心に、食事に箸をつけられない母がいる。

日常性が三度(みたび)裂けていく現実を前に、母だけが揺らいでいた。

それでも母は、一家の日常性をなお繋いでいかねばならない。

母の復元力を中枢とする家族力の物語は、特段に珍しい風景ではなかったのだ。

成瀬はそんな当然過ぎる日常性を淡々とフィルムに刻んでいく。

これは、「喪って、喪って、なお失いゆく時代の家族力」というテーマの内に、「残酷の中のぬくもり」という日常性のリアリズムを張り付けた、一級の「ホームドラマ」であったと言えるだろう。

家族との別れの日。

いかにも成瀬らしい、質素な別れの儀式。

突然、次女は思い出したように家に戻った。自分が描いた母の絵を取りに行ったのだ。それを見つめる母。しかし、「お前を養子に出すのは止める」などという、テレビドラマの如き、お涙頂戴の愚かな演出は、ここには微塵もない。見つめるだけの母は、必死に別れの寂しさを封印するしかなかったのだ。

まもなく、伯父の家に着いた次女は、自分が描いた母の肖像画を壁に張ろうとした後、始めて使うであろう勉強机の引き出しにその絵をそっとしまい込んだ。

今日から新しい親になる伯父夫婦への複雑な気配りが、既に、この少女の自我に形成されていたのである。

映像を通して、最も印象的なこのシーンが語るのは、家族が少しずつ分離していく避け難い悲哀に他ならない。

それでも、貧しさの故に親を替えた子供たちを、豊潤な現代の感覚的視点で被害者呼ばわりするのは傲慢ですらあるだろう。

子供たちもまた、悲哀の向うに希望を掴み取ろうと懸命だったのだ。

ラストシーン。

香川京子扮する長女が、預かっている甥っ子とじゃれあう母を見て、心の中で問いかける。

「私の大好きなお母さん。お母さんは今幸せですか?」

問いかけられた母の表情が、画面一杯に映し出されていた。

子供の相手になった喜びの表情から次第に笑みが失われていき、疲労とも安堵ともとれる複雑な表情の中に、切ないまでの内面の揺らぎが投影されていた。

ほんの僅かな季節の移動の合間で、集中的に肥大化した日常性の裂け目。

人生は残酷なのだ。

たとえ、それを厚化粧のオブラートで包んでも、裂け目のない日常性などは存在しないのである。

そして、裂け目の中からぬくもり(安らぎ)が作られる。

ぬくもりの継続感を、私たちは「幸福」と呼ぶ。

しかしこの継続感は、程よい心地良さで収めておかないと痛い目に遭うだろう。

少な過ぎるぬくもりより、過剰なぬくもりの方が性質(たち)が悪いのだ。

ぬくもりで保護されすぎた人生には、ぬくもりの意識すら生まれない。

「幸福」の実感も殆んど曖昧になってしまうに違いない。

「想像の快楽」で遊ぶ余地が少ない幸福感の稀薄さ。人間的なものから遠ざかっていく怖さが、そこにある。

正確に言えば、人間だけが「幸福」を実感するのである。

それは大脳を肥大させることで、自我という化け物を作った人間の宿命でもある。だからこそ、その自我の作られ方、作り方が、一人の人間の人生を決定づけてしまうのだ。

「おかあさん」という映画は、一級障害者の私にそんなことを存分に考えさせてくれた。これは充分に感じさせ、考えさせる映画だった。

成瀬巳喜男監督②

この映画をB級作品としか観れない批評家たちの、訳知り顔の能書きは蹴飛ばして済むことだが、しかし、この作品はおろか、成瀬の存在すら知らない「ハリウッド嗜癖症」の映画ファンに、成瀬映画の鑑賞機会をもっと多く与えて欲しいと思うのは傲慢すぎるだろうか。

閑話休題。

「おかあさん」の慈母観音のような主人公は、果たして、「残酷の中のぬくもり」を手に入れたのか。

自分の子を養子に出して、妹の子の面倒をみる慈母観音の視線の内側には、再開して少しずつ軌道に乗り始めたクリーニング店の細(ささ)やかな成功と、愛すべき子供たちの健全な成長をひたすら祈る思いだけがある。

この思いの中に、慈母観音の幸福感が充分過ぎるほど詰まっている。

それ以上求めないという境界線を、彼女は熟知しているのだ。

そんな強靭さが、日常性の裂け目を修復する源に、頑としてある。

それは、ある特定の時間の終りと、その始まりの区別すらつかない現代人の感性では、とうてい逢着できない世界かも知れない。

思うようにならない人生こそが、普通の人生である。

このシンプルだが、深々とした成瀬のメッセージ。

少なくとも、私はここに一筋の光明を見出すことができた。

成瀬作品は私にとって、「リビング・ウィル」を鮮明にしてもなお、その残り少ない生命を再生産してくれる稀有なる映像群なのである。

とりわけ、繰り返し観ても必ず落涙してしまう本作こそ、或いは、成瀬映像の原点であり、到達点であるかも知れないと思われる今日この頃である。

(2006年10月)

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