2008年12月10日水曜日

証人の椅子('65)     山本薩夫


<「僕もう、絶対転ばんさかい」――それを語る者、語らせる者>



 序  カタルシスを必要としない映画



 力強い映画である。しかし最後まで「ミシシッピー・バーニング」を観終わったときのような、予定調和的なカタルシスが手に入らない。

 冤罪を訴えて怯まず闘う、被告とその身内たち。この描写のリアリズムは、実話を題材にしたリアリティに因っている。映画の完成度も高い。社会派の作品にありがちな過剰な思い入れも抑制されている。不条理な状況に放り出された人間たちのその苦闘のさまが、粘り強く、それ故に深々と描かれていて、一本の秀作に結実された。カタルシスを必要としない映画だったのである。



 1  徳島ラジオ商殺人事件



 ―― この実話映画のストーリーを、詳細に追っていく。


 「それはありきたりで、平凡な、曲のない(注1)事件のように見えた・・・」
 
 この冒頭のナレーションから、その後の世論を沸騰させるような冤罪事件と目される、際立って陰湿で、忌まわしい事件の幕が開かれた。

 1953年11月5日、徳島市の小さなラジオ店で、その事件は起きた。家族の者が寝静まった夜、当店に強盗が押し入って、その店の主人が殺害されたのである。

 主人の名は、山田徳三。体全身に9箇所の傷を受け、それが致命傷となって絶命したのである。また徳三の内縁の妻である洋子も数箇所の傷を負ったが、幸い致命傷にならず、一命を取り留めた。

 彼女は病院のベッドで、担当の刑事に事件の経験譚を生々しく語っている。

 彼女によると、寝床に入ってウトウトし始めたとき、外から男の声が聞こえた。
 
 「奥さん、奥さんおいでるで」
 「誰で?誰で・・・」
 
 その声の主を特定しようと、洋子が呼びかけた瞬間、相手の男の激しい圧力を受けて、その圧力に抗っていた主人の徳三がまもなく倒れ込んだ。その傍らにいた洋子もまた、左脇腹に鋭い痛みを感じて、その場を動けなくなるが、逃走する犯人を追って行ったと言うのである。

 目撃者は何人かいたが、事件が夜の闇の中で起きたので、顔の判別が困難だった。匕首(あいくち)の持ち主が逮捕されたが、目撃証言と合致せず、結局釈放されることになったのである。いよいよ事件は、迷宮入りの様相を呈することになっていく。


(注1)「曲のない」とは、「面白みがない」とか、「つまらない」というような意味。


徳島地方検察庁(ウィキ)
徳島地方検察庁内で、検事たちが捗らない事件について協議している。

 事件が起きて七ヶ月、その間十数名の容疑者がリストアップされ、その中で一人の容疑者が最も疑われ、三度も拘留されることになった。しかしその容疑者の取調べの結果、決定的な証拠を得るまでには至らなかった。

 この時点で、警察がマークした全ての容疑者は、結局、「シロ」という結論に達したのである。最期に残されたのは、凶器とされる匕首一本。その匕首をテーブルの上に置いて、検事たちは迷宮入りしそうな事件の成り行きを不安視していた。

 そこに、一人の若い検事が新しいアングルで事件に焦点を当てることを提起した。検事の名は山口。彼は物盗り説を否定して、内部犯行説を主張したのである。その根拠は、盗まれた金品がなく、しかも滅多刺しの残忍な犯行から見て、犯人の動機が怨恨にあるというもの。

 これまでの捜査の結果、被害者の徳三には恨まれるような事情がないということで、山口検事は、内縁の妻である葛西洋子を真犯人と睨んでいた。検事は彼女が推理小説の愛好家であり、また徳三の籍に入っていない内縁関係の事情についても、高い関心を持ったのである。

 山口検事は、洋子と親戚関係にある浜田陶器店の主人である流二を厳しく取調べた。
 
 「お前は洋子と、家で何を打ち合わせしてきた?言って見たまえ」
 「何って、別に・・・」
 「ないはずがない。君は山田の家に一時間近く居たはずだ。何を打ち合わせしてきた!」

 この厳しい取調の結果、幸いにも流二にアリバイがあることが確認され、釈放されるに至ったのである。
 
 山口検事は、葛西洋子が真犯人であることを立証するために、様々な状況証拠を集めてきた。それを会議で説明し、検察内の空気を確実に支配していく。彼は、洋子のみが動機を持っていると主張し、彼女の戸籍謄本を検察関係者のの前で示したのである。

 そこから若い検事の、自信満々の弁舌が開かれていく。

 「洋子は過去二回結婚し、二回ともに結婚生活に失敗して離婚しています。その後、徳島市内でバーを経営中に被害者と知り合い、やがて情を通じるようになり、山田の妻、現在大阪で暮らしていますが、その柴田ヤスコを追い出すようにして、山田と夫婦になっています。

 ところが生来浮気な山田が、去年の春頃から未亡人の某女と懇ろになり、今度は洋子が自分がかつて追い出した先妻と同じ立場に置かれるようになった。しかも洋子の場合、結婚して十年になるのに、まだ籍にも入っていない。そのために将来に不安を覚え、絶望するようになった。

 そうした不安を、山田の先妻との間の長女、竜子や実姉の久子に、数回に亘って、愚痴交じりに述懐したというようなこともあります。たまたま業者関係の招待旅行会に、徳三が洋子を差し置いて、某女を同行しようとしたことから夫婦喧嘩になり、挙句に徳三と別居して、昭和町の子供たちの仮住まいに行き、5、6日してようやく家に戻ったのですが、本件が発生したのは、実に帰って来た晩の翌早朝のことです。以上報告を終ります」
 
 山口検事の一見合理的だが、しかし多分に心情的背景のみを重視した、殆ど主観による長広舌が捜査の流れを決定した。

 まもなく、ラジオ店の店員である二人の少年(坂根、柳原)が事情聴取を受け、彼らの供述から葛西洋子が逮捕されるに至ったのである。
 
 「何言うてんの!ウチは被害者やないの。主人殺されたんやないか!犯人やない!」
 「知りまへん。坂根や柳原が何言うてるか知らんが、ウチはあの子らに何も頼んだ覚えはありまへん」
 「ウチは無実や!あんたら皆、クビにしたるわ!」
 「電線切れ、なんてそんなアホな!第一、匕首なんかで切らんかて、家にはペンチもニッパーも商売道具屋やけん、ちゃんと揃ってます!」
 
 彼女は以上の供述を重ね、自らの無実を強弁していたが、遂に、疲労困憊の中で自白に追い込まれてしまった。
 
 「私は、昨年11月5日、朝早(はよ)う、まだ夜の明けきらん内に、夫徳三を刺身包丁で殺しました。今後処分を受け、刑務所へ行った後は、子供のことをお願いします」
 
 ところがその直後、彼女は自白を翻した。

 「あの自白は、嘘や!あんたらに無理やり言わされたんや。主人殺して、ウチが何で幸せになるの。子供まであるのに。主人おらんようになって・・・何で・・・アホらしいわ・・・。検事はん、あんたらどうかしておりませんか?」
 
 今度は、坂根進の供述。洋子の前で、彼は供述を迫られる。

 「はい。僕は頼まれて電線切ったんです」
 「誰に頼まれたんだ?」
 「奥さんです。奥さんが、抜き身の短刀を脇腹に突きつけて、これで切れ、言うたんです」
 「嘘、皆、嘘!坂根さん、あんた夢見てたんでないの?」と洋子。

 彼女の心中は、嘘の供述をされた怒りで一杯になっていた。
 
 次は、柳原正夫の供述。

 「奥さんに言い使って、駅前の日下組の事務所に行ったんです。若いヤクザが出て来て、山田ラジオ店から来た言うたら、これ持って帰ってくれと言うて、その匕首が・・・その柄の所に巻いてあるダイヤル糸(注2)は、いつか奥さんが巻いているのを見て、僕手伝ったことがあります。その糸に間違いありません」
 

(注2)真空管ラジオ用の専用糸で、0.7mmほどの強さを持つ。


 坂根進の供述。

 「昭和町の家に知らせに行く途中で、橋の上から奥さんに頼まれたものを捨てました」
 「何を捨てたんだね?」
 「新聞紙で包んだ血のついた刺身包丁です。それから交番に知らせに行きました」
 「確かに刺身包丁、間違いないな?」
 「新聞の先から包丁の先が出とったけん、間違いありません」
 「ドタン、バタンという音で、眼が覚めたんですわ。それで柳原君と二人で母屋の方に見に行ったんです。縁先から中を見ると、寝巻きのまま、大将と奥さんが掴み合いみたいな喧嘩をして、それで障子の影に隠に入ってしもうて・・・」

 少年たちの決定的とも思える供述に、洋子は激しく反応した。

 「ハハハハハ・・何言うてんの!見た?ほんまに見たんか、あんたら。見るはずないやないの。真っ暗だったんよ。まだ夜だったんよ。何、デタラメ言うてんの。検事さん、どないなこと言うて、嵌めようとしてもアカンわ、ウチがやったんやないもの、ウチやないもの」
 「お前たちが供述したのは、デタラメなのか!」
 「とんでもない!嘘と違う」と坂根。
 「奥さん、ええ加減にしたらどうですか?ええ加減に、本当のことを言うたらどうです?僕らもえらい迷惑しとるんじゃ」と柳原。
 「奥さん、頼むわ!もう30日も上、泊めらてるんじゃ。早う、家に帰らして」と坂根。「こっちは本当のことを言うとるんや。奥さんが嘘言うから、僕ら家に帰られへん。頼むわ、奥さん」と柳原。
 「嘘、皆、嘘や!嘘や!嘘や!」
 
 葛西洋子は、二人の店員の供述を語気を強めて否定した。


徳島地方裁判所(ウィキ)
そして一年半に渡り、通算して16回開かれた法廷で、検事が無期懲役を求刑した後、徳島地方裁判所に於いて、第一審の判決が下された。

 「懲役13年に処する。分りましたか?」と裁判長の主文の宣告。
 「控訴いたします」と葛西洋子被告。

 その結果、高松高等裁判所に於ける第二審の裁判は、更に一年八ヶ月かかった。そして控訴審での判決が下された。

 「控訴を棄却する」

 その後、判決理由が述べられるが、被告席の洋子は裁判長に詰め寄って叫んだ。

 「ひどい!ひどい裁判や!もう虐めるのは勘弁して・・・」
 
 直ちに洋子は退廷を命じられた。

 その後、裁判長から淡々と判決理由が述べられていく。その内容は、彼女が主張する無罪の根拠を否定するものだった。

 閉廷後、山口検事は記者会見の場で、彼女が如何に有罪に値する人物であるかということを、得意げに捲くし立てていた。
 
高松刑務所(イメージ画像・JUGEM
まもなく、高松刑務所に収監されている洋子から、弁護士に上告を取り下げるという連絡があった。それを聞いて、洋子の義理の娘である竜子と、彼女の姉、そして浜田流二夫婦は連れ立って、刑務所に洋子を訪ねた。彼らは、洋子が罪を認めたという事実を認知できなかったのである。
 
 「お母ちゃんには最後まで頑張って欲しかったんや!ウチらもどこまでも頑張るけん!」
 
 号泣しながら、竜子は洋子に訴えた。
 
 「竜ちゃんには、ほんま済まん。堪忍してや。お母ちゃんが泣いたのは、取り下げに決めるまでは、5日も10日も泣きながら考えたんや。ウチはもう、人さんにはどう思われても構わん。四人の子供たちにだけ信じてもらえたら、それでええ。そう思って取り下げたんや」

 「おばさん!」と流二。

 「そりゃ、あんたらの言う通りやねん。ここで取り下げたら、ウチが犯人やということになる。それはよう分っとる。そやけんな。こんな風に裁判続けたら、真犯人というものが出て来んような気いする。ここはひとつ、ウチが一旦服罪して、刑期満たして、世間に出てから、お父ちゃんの仇、自分で探した方がええと、そう考えたんよ。

 ウチはもう裁判ちゅうもんが、信じられんようになってしもうた。なんぼ無実や言うても、分ってもらえん。この胸ん中引き裂いて、この通り無実や言うて、見てもらおうと思うとるくらいなのに、それでも分ってもらえん。

 そんな当てにならん裁判に無駄にお金使うて、折角、お父ちゃんがこさえよった財産を、お湯や水みたいに使ってしもうたら、どないなるんや。大変な物入りなんよ・・・無実やいうこと晴らすのに、大変なお金が要るんよ。今年になってから、家も土地も人手に渡してしもうて、そんなことじゃ、お父ちゃんや子供たちに申し訳のうて」

 「それはちょっと違うで。子供らに必要なのは、金やないで。お母ちゃんの無実を証明することや。でなくて、子供たちの幸せも何もないやんか。ほやからな・・・」

 「流二さん、ウチも考えたんよ。子供たち皆、これからやいうのに、上の学校にも行かなならんのに。現に竜ちゃん、大学行くつもりやったのに諦めて、幼稚園の保母さんやって働いてるやないの。ウチはそれが辛いんよ。義理の仲やから、余計辛い。ウチ一人がこうしているために、皆が滅茶滅茶になる。ウチさえ辛抱して、上告取り下げて、あと8年刑務所で勤めたら、それでええのやないか思うて。姉さん・・・それもな、やっぱり人の道やないか・・・」
 
 洋子の振り絞るような事情説明に、周囲の者たちの涙が繋がって、もう誰も何も言えなくなってしまった。

 

 2   検察審査会の勧告  




沼津警察署(イメージ画像・ウィキ)
まもなく沼津警察署に、ラジオ商店主殺しの真犯人と称する者が名乗り出た。当然の如くと言うべきか、権威の失墜を恐れる検察局は、その者の説明に根拠がないとして否定したのである。
 
 しかし浜田流二は、この真犯人を名乗る者の出現に心を動かされた。彼は被告が依頼した在京の今井弁護士のアドバイスを受けながら、やがて陶器店の仕事を犠牲にしつつ、事件の真相解明に乗り出していったのである。

 彼が弁護士から指摘されたのは、坂根と柳原の証言の検証だった。既に柳原の兄から、弟の証言が嘘だったことが供述調書に取られていて、それを確認している流二は柳原と会った。
 
 「僕や。僕や、ダメなんです。僕やあのとき子どもで、何じゃ分らんじまいで、人に言われたら、ただその場からもう早く逃げたいばっかしで・・・」
 「人って、誰や?」
 「違うんのです」
 「山口検事か?」
 「これはつまり・・・あれです・・・とにかく僕らあのときは子供で、経験もないし、怖い一心やし・・・坂根君もいつか、二審で呼び出されて証言し直すのが嫌で、家出して大阪に行ったとき、ブロバリン(注3)を飲んだって・・・」
 「自殺やないか、それは」
 「映画館の中で飲んで、最終回が終ってから掃除婦に起こされて、それから空き地で寝て、明くる朝眼が覚めたって・・・薬飲み過ぎて失敗したって、笑ろうて話してくれました。坂根君もきっと・・・」
 「本当やろうね、その話。いつ聞いた?」
 「へえ、まあ・・・僕、店の用事の途中で出て来とるけん・・・もう、堪えて下さい!」

 そう言って、柳原はその場を、急ぎ早に立ち去った。もうこれ以上話したら何もかも崩れるという不安を、彼は抱えているようだった。当然の如く、流二は坂根の自殺未遂の話を聞いて、ますます彼らの証言に疑いを持つことになっていく。

 彼はその後、坂根の居所を突き止めた。坂根は和歌山のダム工事の現場で働いているということだった。彼は直ちに、現場に向ったのである。


(注3)不眠症の特効薬で鎮静効果もあるが、長期間服用すると、依存性を生じると言われる。


 和歌山のダム工事の現場。

 しかし、そこに坂根はいなかった。彼は飯場の炊事婦から、坂根が「阿波踊りはいいで」と言っていたことを耳にして、徳島に戻った。
 
 帰宅した流二を、意外な客が待っていた。学生服姿の柳原である。
 彼は流二に会うなり、自分の懐から書類を取り出した。
 
 「これ、読んで下さい。僕の本当の・・・こんでええか、悪いか・・・」
 「君の供述書か?」
 
 驚く流二に、柳原は明瞭に答えた。

 「そうです。供述書です」
 「そうか。よう書いてくれたな。読ましてもらうよってな」
 
 興奮した流二は、その供述書を読んでいく。
 
 「私は、16歳でした。嘘をつく気はありませんでしたが、結果を見ると嘘をついたことになります。気が咎めてなりませんから、真実を書きます。

 はっきり言えば、私は怖かったのであります。怖くてならなかった。それから逃げたい一心だった。ただただ一日でも早く刑務所から出たかった。取調が二十日間もあったのです。毎日毎日、検事さんに厳しく調べられた。私が正直に言っても、検事さんは聞いてくれませんでした。どう言っても、そうではないだろう、こうだろう、お前は間違っているのだと、言うのです。私はそうです。違います。どちらでもいい・・・調書ができる。私はそれに指印を押す。検事さんはいつもこれを言えば出してやると言われ、またこうこう言えば、奥さんのためになるのだと言われました。

 ボーとなっている耳元で、それはそうじゃない、お前は間違ってるんじゃと言い続けられると、私は自分の知らなかったことでも、そうだったかと思って、“そうです”と言ってしまいました」
 
 これを読んだ流二は、素早く動き出した。


徳島駅前(イメージ画像・ウィキ)
彼は今井弁護士の仲介で、既に徳島に戻っていた坂根進を、柳原と対峙させたのである。それは、新聞社の立会いの下で行われた。全て流二のお膳立てである。季節は阿波踊りが町を闊歩する真夏であった。
 
 「・・・僕が公判廷で証言したことは、皆嘘でした。ただ、その場を何とか通り過ぎたい一心で、検事さんの言われるままになっていたんです。いつやったか、ここにいる坂根君と夜道を自転車で帰りながら、いつか時期がきたら、ほんまのことを言わんか、と話しおうたことがあります。坂根君も僕と同じようにきつい目に遭ったんじゃないか、ほう思いました」
 
 この柳原の会見の後、記者からマイクを向けられた坂根は、あっさりと答えた。

 「わいは言うことないなぁ」
 「けんどなぁ、今の柳原君の話はどうや?二人で何か相談し合ったいうのは」と流二。
 「言いがかりやなぁ。わしゃ、ほんなこと言うた覚えはないな。身に覚えのないこと言われるのは困るな」と坂根。

 一向に自分の話に取り合う態度を崩さない坂根に、柳原は語気を強めた。

 「言いがかりと違う!言いがかりと違うで!あれは一審が終わってからや。二審が始まる前か後かはっきりと覚えとらんが、町からの帰り道、一緒になった・・・」
 「いつ頃のことや?」と坂根。
 「いつのことやったか・・・」と柳原。
 「いい加減なこと言うな。証拠もないこっちゃしな、これは。言いがかりや言われてもしょうがないでないか。どこに証拠があるんかいな。見せてもらったら納得するんだけんどな。そうでもないと、わしゃ、困るな」

 ここぞとばかりに反撃に出た坂根に対して、柳原は感情を噴き上げていく。

 「良心がないのんか、君は!なんぼ飯場暮らしまでしたけんちゅうてからいうて、根性まで腐ったんか」
 「良心の問題やないわな。ほれはほれ、これはこれ」
 
 今や成人した二人の店員は、記者会見の場で対決する図式を露呈してしまった。

 その後、流二や記者の追及に、坂根は平然と答えていく。知らぬ存ぜぬの一点張りである。匕首を川に投げ捨てたことや、電線を頼まれて切ったという話の矛盾を、彼は長時間に渡って追及されるが、しかし状況は変わらなかった。
 
 「まあ、しょうがないですわ・・・」
 
 この流二の一言で、その日の会見は終ったのである。

 しかし、その会見場に地検の事務官が居るのに気づいた流二は、その事務官の後を密かに追った。阿波踊りで盛り上がる繁華街の中を潜り抜けて行って、事務官が戻った料亭の一室に流二は乗り込んだ。そこには山口検事が待っていて、流二は二人に向かって吐き捨てるように言い放ったのである。
 
映像より
「・・・たかが、16か7の子供の舌先三寸で、店は潰れるわ、財産はのうなるわ、子供らはいっぺんに親なし子になるわ、亭主殺しのお袋の子や、後ろ指は刺されるわ、ウチの叔母はな、13年間も監獄に入るんやで、13年でっせ。あんたな、オギャー生まれた子がな13年経つと、中学に行きよるんでっせ。そんな長い間、監獄の中で暮らさなあかんのですわ。皆、眼も口も開けられん始末になったんや!皆、あんたのお陰ですけんな。ええ、あんた!大したもんやな!」
 
 その後、流二は今井弁護士を伴って、坂根進の実家を訪ねた。

 彼らは決して諦めないのだ。二人は坂根が自殺未遂を起こしたことを指摘して、彼の頑な心を必死に溶こうとしたのである。

 この二人の訪問が、遂に青年の心を動かした。

 まもなく彼は法務局の人権擁護課を訪ねて、柳原のケースと同じように新たな供述調書を作って、それを公表したいと申し出たのである。彼は人権擁護課の担当者に、自分が山口検事の恫喝でニセの供述書を作ったことを正直に吐露したのだ。

 一方、この事実を知った山口検事は、上司に自分の正当性を懸命に訴えた。検事局は、被告がゆくゆくは再審に持ち込む腹積もりであることを読んで、その対策を立てていくことになったのである。

 やがて柳原と坂根は警察に自首し、高松高等検察庁に偽証を告訴した。日弁連は、二少年の偽証を提訴することなどの動きによって、国会の法務委員会は徳島事件を追及し、法務大臣は再審への努力を確約した。そして徳島市の検察審査会(注4)は、二少年の偽証と洋子の無罪を最高検、最高裁、法務大臣に勧告したのである。しかし、マスコミ紙上を賑わしたこの事件に対して、検察庁はその後半年経っても全く動く気配がなかった。
 

(注4)検察官が不起訴訴処分した案件の適否を審査する機関で、審査員は各地区の有権者の中から選ばれる。
                 


 3  叫ぶことを止めない男



 事態は流動的だった。

 警察は浜田流二の身辺を徹底的に洗うことで、明らかに別件逮捕の要件を見つけ出そうとしていた。流二はそれにめげず、なお活発に動いている。彼は柳原から、「坂根が転んだ」との噂を聞いて、直接本人に確かめに行ったのである。

 「浜田はん、検事さんみたいに聞くの止めてや!堪えて下さい。わし、民事の裁判のとき言うた通り、偽証したんやけんな。そりゃもう、今まで通りや。変えてへんよってにな!」

 その言葉を残して、坂根は立ち去った。

 その坂根を連れて流二は上京し、そこで今井弁護士と連れ立って、検事総長室を訪ねたのである。

 しかしそこでの反応は、信じ難いほど冷淡なものだった。今井弁護士から、流二が聞いた好ましくない情報。その一つは、徳島地検が二少年の不起訴を決めたらしいということ。もう一つは、坂根の供述が転々とするので信用性に欠け、記者クラブでは、それを記事として取り上げらる意向がないということ。

 落胆した流二は、上京の列車の中で気になった坂根のバックの中の薬のことを思い出し、急いで旅館に戻った。彼は坂根のバッグの中の薬を取り出して、それがポリゾール(注5)であることを確認した。流二はなお自殺を考えている坂根を、激しくく責め立てた。

 浜田の思いを受けて、坂根は本音の一端をを漏らす。

 「浜田さん。僕はもう辛うてな。僕一人のために、皆えらい目に遭わされた。これでもし東京で、この上言うことを聞いてもらわれへんかったら、いっそのこと・・・」
 「アホな。坂根君。わし、さっきな、スイスイ行かんで、頭にきてしもうたんや。堪忍な」
 
 坂根は、流二の言葉に思わず落涙してしまった。
 彼もまた、その思春期以降、苦悩の人生を繋いできたのである。

 二人が泊まっている旅館に今井弁護士がやって来た。

 弁護士は「地検で検事正じきじきに見解を発表した」として、それを要約したものを説明した。それによると、板根の申し立てには浜田流二の脅迫誘導の可能性が高く、また柳原の証言は真実性を欠き、結局二人の証言には動機の任意性を欠いていて、しかも弁護士自身が、流二と共に「証人威迫罪」(注6)の疑いがあり、法の適用を検討しているとのことだった。しかし今井弁護士は、再審の可能性がまだ充分残っていると二人を説得するが、流二はその遣り切れない思いを吐き出した。
 
 「先生、証人威迫罪って何です?威迫って脅かすいうことですかいな」
 「バカな話さ!」
 「僕みたいな者に、何ができる思うてるんのや。たかが、瀬戸物屋ですわ。持っとる銭かて知れてる。税金使って軍隊みたいな組織持ってる検察庁を相手にやで、瀬戸物屋が何ができる。脅かしにも何もならんやないか・・・」
 「浜田君、分ってるよ。分ってる」

 「先生、真実ゆうものは、二つも三つもあるもんや。坂根君がさっきな、偽証したかどうか、わしだけしか知らんのや。わしの言うことは、どないなるねん言いますねん。そうでんな、先生。裁判所や検察庁いうところは、理屈の戦争しとるんやもんな。真実を探り当てようなんて考えてへんのや。検事さんかて、人間やろ。家で、子供に1足す1は何ぼや聞かれると、2と答えるやろ。その人が検察庁の門の中に1歩入ると、1足す1が2でのうなる。おかしな所ですわ。真実言うもんは、何ぼ言うったって、一つしかあらへんのや。そんな簡単なことが分らないなんて、アホや。検事さんてあれ、一体どんな人間ですねん」
 
 浜田流二はどこにいても、叫ぶことを止めない男である。

 一民間人でありながら、自分が目撃し、その身で経験した権力の理不尽な横暴に対して、もう引き下がれない所にまでその身を置いてしまっているのだ。


(注5)住宅建材用の接着剤で、密着性と耐水性、耐候性に優れていて、半田(スズと鉛の合金)付け性が非常に良好であるとされる。

(注6)「自己若しくは他人の刑事事件の捜査若しくは審判に必要な知識を有すると認められる者又はその親族に対し、当該事件に関して、正当な理由がないのに面会を強請し、又は強談威迫の行為をした者は、一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する」(刑法105条の2),

 
 一方、その権力の中枢にあった山口検事は、上司に呼ばれて取り調べの信憑性について探られたが、結局、「検事(検察)一体の原則」(注7)という権力の論理の内に収拾されることになる。山口検事に対して、左遷の辞令が下りることで、権力は事態を大事にすることなく取り図られていくことになった。


(注7)上意下達の組織力によって、全国の検察官が一致団結して捜査に望むという意味の言葉。

 
 「浜田さんのところに行っている私の手記が正しいのです。今まで迷惑のかけっ放しですが、これでもう叱られることもなく、また喜んでもらうこともできないことは誠に残念ですが、これ以上ご心配をかけることはできませんので、何一つお父さん、お母さんに良いことができず、残念でたまりませんが、これ以上生きていることは、お父さんをはじめ、家中の人に心配と迷惑をかけることは、私自身たまらないのです・・・」
 
 これは、坂根進が認(したた)めた遺書である。その遺書を確認するように黙読して、浜田流二は傍らにいる坂根進に思いを込めて語った。
 
 「な、坂根君。自殺するなんてアホやで。僕は好かんな、そんな弱い生き方。そりゃ、君が苦しんだのはよう分るよ。そやけどな、それだけのエネルギーがあったら、検察と戦ったらええのや。へこましたれ!第一な、君がもし死んでしもうたら、ウチの叔母は永久に助からんのやで」
 「すんません。僕もう、絶対転ばんさかい」
 
 二人は徳島に戻る列車の中で、殆ど確信的な会話を繋いでいた。二人の表情には、笑みさえ浮かび、最後には力強い意思表示によって固められていた。事件の解決は未だ見えなかったが、それでも決して諦めることを知らない者たちの存在が、やがて大きな力となって時代を動かしていったのである。
 
 「黙っていることは、言えないのでない。言わないのでもない。意味が相手に通じないのだ。表現の無能、無力、感情の行き詰まり、放心だ。抵抗する何ものも持たない者の唯一の武器は、それよりない。黙っていても、考えてはいる・・・」
 
冨士茂子さんの「死後再審」
これが、映像の最後に映し出された葛西洋子の、その手記の一部である。

      
                    *       *       *       *

 

 4  「人間の弱さと強さと誇り」についての映画



 この映画は冤罪を激しく糾弾し、それを告発する作品だが、しかし反権力的で、反体制的なメッセージを安上がりなパッケージに包んで、観る者に対してそれを情緒含みで押し付ける作品では決してない。

 確かに作り手の思いの中に、国家権力がその見えない共同意思によって、特定の犯罪の関与者を特定的に作り出し、そこに「犯人」という否定的記号を被せて、裁いていく「冤罪の構造」に対する問題意識によって、映像表現を確信的に繋いでいく信念の在り処を読みとることが可能である。

 しかし、もしその思いが過剰に零れ出て、誰の感性にも届くことがない居丈高な絶叫によって虚空に雲散霧消してしまったら、取るに足らないプチ・ナルシズムのケチなプロパガンダ映画で片付けられてしまったに違いない。

 本作はさすがに、映画作りに長けた映像作家の手腕が冴えて、そのような純情芝居に流れる陥穽に嵌らなかった。それは紛れもなく、一級の人間ドラマとしての表現世界を構築することに成就した秀作であったのだ。


 ―― 以下、その根拠について明らかにしたい。


 私の本作に対する把握は、次の一点のテーマに尽きる。

 それを要約するとこういうことになる。
 
 即ち、「追い詰められた状況下での人間の脆さと惨めさ、それに付随する狡猾さ、そしてそれでもなお堕ち切れない者が拘泥する自己尊厳の感情と、状況を反転させていくときの強靭さや執着心」、という長い文脈がそれである。簡潔に言えば、本作は、「人間の弱さと強さと誇り」についての映画であるということ、これに尽きると思う。

 従って私の言及は、本作の主要な登場人物の内面世界への考察ということになるであろう。それらの人物を、私は一応三人に絞ってみた。葛西洋子、坂根進、浜田流二の三人である。

 一人ずつ考えていこう。



 5  精神的孤立感 ―― 自白の構造の中枢の概念



 まず、主人公の葛西洋子の場合。
 

 彼女についての描写はあまりに痛々しいが、しかしその心の振れ方と言動の変化は、人間学的に学習の素材に満ちているとも言える。何よりもまず、彼女は最も痛切なる被害者として映像の中に映し出されていた。当然である。彼女は傍らで入眠せんとする配偶者を、自分の眼の前で殺害されたのである。そればかりか、自らも犯人の凶器によって深い手傷を負い、そのまま入院する運びになったのだ。

 そして、その入院中に刑事たちが事情聴取にやって来て、自らが生々と記憶するおぞましい事件について繰り返し詰問されるのである。未だ入籍されていないとは言え、自分の内縁の夫が惨殺され、その深刻な記憶を何度も想起することを外的に求められるとき、人はその状況に果たしてどこまで耐えられるのだろうか。こればかりは、経験した者でないと了解できない心理であると言えようか。

 葛西洋子はそんな心理状況下で、事件と向き合っていくことになったのだ。しかも捜査は遅々として進まず、犯人は一向に逮捕される気配はなかった。そして、あろうことか、彼女は事件から半年あまりしか経ない苛酷な状況下で、自らが夫を殺害した犯人として逮捕され、起訴されるに至るのである。その間、彼女は検事の厳しい取り調べにあって、自分の想像が全く及ばない世界で、恐らく人並みでしかないその自我が集中的に甚振(いたぶ)られ、追い詰められていったのだ。

 その結果、彼女は自白した。

 自白を余儀なくされる状況が、そこに形成されたからである。通常の観念では、自分が殺ってもいない犯行を認め、且つ丁寧な状況説明まで加えて、供述調書を取られるという心理状況は、犯行に直接関与していない限り理解し難いと考えるであろう。このような観念は実は、人間の精神とか自我というものの変わりにくさについて、過剰なまでの信頼心がその根柢に横臥(おうが)しているからこそ形成されるのである。人間の心というものは、それほど強靭ではないのだ。

 
私たちが「良心」と呼んでいるものの正体は、まさに私たちの思考の中枢を司る自我それ自身のことである。人間の自我とは、本質的には、社会に於ける自らの適応戦略と生存戦略を合理的に図っていくための羅針盤と言っていい。

 それは恐らく、大脳新皮質(注8)の前頭前野(注9)と呼ばれる部位で機能し続ける物理的根拠を持つ何かである。この自我があるからこそ、私たちは「快不快の原理」で遊んできた幼児期をいつしか脱し、物事の行動基準を「損か得か」、または、「善か悪か」という判断によって図っていく知恵を身につけることが可能となるのである。

 後者の原理は、「現実原則」と言ってもいいし、或いは、「神の原理」と言ってもいいだろう。「神の原理」=「善悪の原理」=「良心」のことだが、しかし、「現実原則」=「損得の原理」を随伴する能力の強みこそが、まさに自我それ自身の強みとも言えるのである。


(注8)脳幹(延髄、橋、中脳、間脳の総称)、大脳辺縁系(本能的行動や情動系等を司る大脳皮質の部位)と並ぶ人の脳の、最も固有なる機能、即ち、理性的働きを司る脳と言っていい。

(注9)目標を決めて、それに向かって努力したり、人の心を思いやったり、しっかりとした耐性を育てたり、創造活動に専心したり等々、最も人間らしい振る舞いをする部位であると言える。          


 ここで何より問題なのは、このような生存・適応戦略の中枢とも言える自我が、その能力の範疇を超える状況下に置かれるとき、その機能が一時的に停止状態になったりすることで、自我それ自身の中枢的機能が劣化しさえすることがあるということだ。

 これが、私たちの限界状況下での、ごく普通なる反応様態なのである。私たちが「心の強さ」と呼ぶとき、それはどこまでも、私たちの自我が正常に機能し得る臨界内状況下での目立った精神的営為について、自画自賛しているに過ぎないイメージラインを全く越えていないのである。

 勿論、そこには個人差があり、その落差感の印象が、人間の人格的営為の優劣や評価を固めてしまうとも言える。しかし私たちの中では、確かにその個人差が際立つほどに明瞭ならば、その落差性を最大値に示す者たちの相互了解性の成立は困難であると言わざるを得ない。だからこそ「心の強い者」は、「心の弱い者」のその弱さを努力量の絶対的不足として認知してしまうのであろう。

 しかし人生には、努力量のレベルによっては解釈不能な事態が存在する事実を、切に認知する必要がある。私たちが自我の誘導によって時間を開いていく特別なる生物、即ち、ホモサピエンスであるということの正しい認識と自覚こそが、全ての人間的な問題へのアプローチの原点であるということ、それ以外ではないのだ。

 葛西洋子の話に戻す。
 
 彼女もまた、一人の普通の自我を持つ人間だった。しかも女性であり、且つ、夫を目前で殺された深刻な経験を持つ主婦であり、同時に母でもあった。その一件だけで充分にPTSD(心的外傷後ストレス精神障害)に罹患する危うさを持っていたが、しかし、彼女はPTSDに囚われる時間的余裕すら与えらずに逮捕され、経験したことがない苛酷な尋問を受けたのである。

 しかも当時の日本は、サンフランシスコ講和会議で形式的な独立を果たしてから間もない戦後の混乱期を、未だ脱していなかった。戦後のGHQ(連合国最高司令官総司令部)の「民主化計画」(注10)によって、この国の多くの思想犯を葬った特高警察(注11)は解体され、一応形式的には民主国家の、民主的警察の体裁を施していたとは言え、なお警察国家の古い体質が濃密に張り付いていて、それが度重なる冤罪事件を惹起させる背景にあった。「徳島ラジオ商事件」もまた、その一つだったのである。
 

(注10)旧憲法(大日本帝国憲法)の下で、政治犯を弾圧するために設置された「特別高等警察」のこと。「特高」と略される。1911年に警視庁に設置された特別警察課に淵源し、1928年に至って全国に配置された。

(注11)その本質は、その国の「安全と安心」を米国に丸投げするという、言わば、絶対依存的な「骨抜き国家」にする「脆弱化戦略」(ソフトパワー戦略)とも呼ぶべき統治戦略であったと、私は考えている。  


 そして冤罪のベースにあったのが、「見込み捜査」という、極めて非科学的な刑事事件捜査の常套的手法である。これは捜査官の予断と偏見によって、人格についての印象や不確かな状況証拠のみで犯人を特定し、しばしば「別件逮捕」という奥の手を使って逮捕し、法が許す限りの拘留期間を駆使して、一気に「自白」に追い込んだのである。

 葛西洋子の場合、それが徳島地検の若きエリート検事の手によって断行されたという訳だ。検事は恐らく自分の出世欲との絡みもあって、迷宮入りの事件の解決を狙ったものと思われる。彼が外部犯行説を否定して、内部犯行説を声高に主張したとき、そこには最も事件の犯人として相応しい人格の持ち主が特定されるに至ったのだ。それが、葛西洋子であった。

イメージ画像・ブログより
あまりに激甚に襲ってきた環境の変化によって、彼女はその拘留期間中、顕著な精神的孤立感を覚えていたはずだ。当初は犯行を否定し、その意志を貫き通すかに見えたが、二人の少年店員の嘘の供述によって、彼女の自我は完全にその解放の出口を失ってしまった。そして遂に、不本意な自供に追い込まれてしまったのである。その心理的背景には、極度な精神的孤立感が存在したのである。
 
 この精神的孤立感こそ、自白の構造の中枢の概念と言えるものである。

 犯人と特定された被告が狭い密室に拘禁され、且つ、家族との接見を妨害される。密室となった自分の周囲には自分の供述を全く信じない男たちばかりがいて、選択肢が一つしかない供述を暴力的に迫って来るのである。

 このような状態が何日も続くと必要以上の疲労が蓄積され、次第に普通の自我の持ち主なら、「拘禁性ノイローゼ」と呼ぶべき精神状況に追い込まれていく。これが精神的孤立感の極限の様態であって、この孤立感の深まりの中で次第に正常に機能しなくなった自我が、自らの防衛的な生存戦略の一つとして、関与してもいない自白に流れ込んでしまうのである。自白することによって少しでも楽になりたいという気持ちが、そこに間違いなく存在するということだ。

 それもまた、自我の生存・適応戦略の一つの有りようであるとも言えるが、しかしそのとき本人には、自白することによって蒙るであろう、激甚なリスクと被害についての配慮が削られてしまっているのである。まさに、その事実をこそ見落としてはならないのだ。洋子の場合、この心理状況が極限的な形で現出してしまったのである。
 
 しかし、彼女は自供してまもなく、その自供を否定する供述を開いていく。

 だが調書は既に作成されているから、彼女の場合、その自白の否定の論拠は、「罰逃れ」の手段としてしか周囲やメディアに認知されないのである。一度自供してしまうと、全ての被告は絶対的に不利になる状況に置かれた時代が、この国にも根強く存在していたのである。

 然るに彼女だけが、自分が犯人でないことを確信的に主張できた。

 以来、彼女はその主張を最後まで崩すことなく、その意志を生涯に渡って貫き通したのである。彼女の自供が、特殊な心理的閉鎖状況下での供述であればこそ、彼女はその異常な状況から少し解放された後、弱っていた自我を回復させ、真実の供述を開くに至ったという説明で了解されるのであろう。

 彼女が上告を断念した理由は、家族に与える迷惑の感情であった。

 その感情の中に心理的理由も含まれているが、それ以上に裁判費用の捻出の負い目もあった。しかし家族にとって上告の断念は、犯罪の認知に繋がるので、却って家族に及ぶ精神的被害も大きくなってしまうのだ。結局、葛西洋子は上告断念の決断を変えず、服役するという厳しい道を選択したが、再審を求め続けるその心は最後まで変わらなかったのである。

 偶発的に一つの刑事事件の二重の被害者になった彼女だったが、その一生はあまりに苛酷であり過ぎた。不本意な自供に追い込まれた彼女の強さが真価を発揮するのは、寧ろその後の長い再審への、冤罪からの解放という、一縷(いちる)の望みを賭けた闘いの時間の内にこそあったと言えるだろう。

 一人の女は、一時(いっとき)普通の人間が普通に見せる弱さを露呈したが、しかしそれは最も厳しく、苛烈極まるる服役生活の「日常性」を、充分に耐え抜けるほどの強さを見せることによって、決定的に乗り越えられる何かでしかなかったのである。

(因みに、本作のモデルとなった女性は服役を終え、その本来の日常性に戻ってからも再審を求める運動を続け、遂に再審の道を開き、無罪を勝ち取った。無念なことに、そのとき既に彼女は故人となっていた。所謂、「死後再審」である。1985年のことだった)

 

 6  事件の中で変容した自我



 次に坂根進の場合。


 彼こそある意味で、この忌まわしい事件の最大の被害者であったと言えるかも知れない。なぜならば、彼の16歳以降の青春期の全ては、この事件に関与し続けた者が少なからず負うであろう心的傷害によって、残酷なまでに苦しみ続けてきた人生だったに違いないからである。

 16歳というと、まだ高校一年生くらいの年齢である。

 そんな少年が自ら勤める店で起きた事件に有無を言わさずインボルブされ、捕捉されてしまったのだ。少年は事件の消極的加担者の一人として逮捕され、長きに渡って拘留されることになる。この拘留期間中の精神的孤立感については、既に充分に成人であった葛西洋子の場合とと比較すると、圧倒的に苛酷であったと言えるかも知れない。

 少年の自我は、どこにでもいるだろう、ごく人並みな少年のそれと同じ脆さを抱えていた。そしてその自我に、検察権力の暴力が土足で侵入してきて、撹乱し、恫喝し、そして遂に嘘の供述を自白させるに至ったのである。
 
 この状況下での少年の弱さを、訳知り顔の正義感で指弾できる資格のある者はいないであろう。

 洋子の場合と同じように、少年の選択肢は一つしかなかったのである。嘘の供述をすること以外に、彼はその精神的、肉体的拷問から解き放たれる可能性はなかったのだ。少年はそのとき、一刻でも早く自分の気持ちが楽になりたいと念じていたに違いない。少年の追い詰められた自我が、自白をすることによって手に入れる、「今、楽になる」という自己防衛的な生存戦略に流れ込んでしまったのである。
 
 物語における少年の心の振れ方は、あまりに痛々しかった。

 彼は物語の中で、二度自殺未遂を図っている。

 そこに至るまでの精神的苦痛は、明らかに少年の自我の守備範囲を越えていた。この少年の最初の自殺未遂は、自分が最も忘れたいと願う事件から早く解放されたい一心からのもので、これは、前述した「今、楽になる」という追い詰められた心境がベースになっている。

 少年が事件を早く忘れたいと願う心理の根柢にあるのは、否応なく未成熟な自我が、その能力の範疇を超える状況下に置かれて、そこで暴力的な恫喝による自白の強要をされた恐怖感がトラウマになっていることと、もう一つは、それ以外にない選択肢に流れ込んだことによって、無実なる者を重い罪に陥れてしまったという、自罰的な感情に近い何かであると思われる。

 後者の感情ラインは、成長した自我の贖罪意識にまで内部組織化されていなかったであろうが、それでも、自己像についての不快極まるイメージを充分に払拭できていない内面世界を窺うことは可能である。

 彼もまた、過剰なまでに苦しんでいたのである。煩悶していたからこそ状況脱出を繰り返し、それでもそこに心の軟着点を見つけられない辛さが、この少年を転がし続け、自殺未遂にまで追い込む結果になってしまったのであろう。

 しかし、少年の二度目の自殺未遂の際に、流二の口から語られた遺書の内容を読む限り、少年はこの濃密なる闇の時間の中で、如何にその自我を、本来あるべき軌道に修復しようとしていたかを示す痕跡を検証することができるのである。

 少年はそこで、身内に及ぼす甚大な迷惑について深く反省していた。彼は単に、「今、楽になる」という思いから自殺を図ろうとしたのではないのだ。そのような心の成長があればこそ、ラストシーンに於いて、少年は流二に諭されて納得するのである。

 流二はそのとき、こう言ったのだ。
 
 「君が死んでしもうたら、ウチの叔母は永久に助からんのやで」
 
 この言葉に、少年は「僕はもう、絶対転ばんさかい」ときっぱりと言い切ったのである。

 それは、一つの忌まわしい事件が、一人の少年の自我を、より堅固な青年の自我に変わったかのように見せた瞬間だった。

 

 7  少年たちの自我を、本来あるべき場所に解き放った男



 次に、浜田流二のケースについて言及する。

 彼は一貫してスーパーマンを演じたのではない。

 観る者は、まずその視座を失ってはならないだろう。彼もまた、最初の拘留の際に激しい動揺を見せ、狼狽(うろた)えていた。映像で見せたこの男の強靭な生き方とその態度は、初めからこの男の中に内在されていたものではないのである。

 彼が幸いにも釈放されたのは、明瞭なアリバイがあったからだ。もし彼にアリバイが成立しなかったら、この男のその後の一貫した行動の軌跡は、必ずしも約束されたものではなかったかも知れない。

 横暴な権力の集中的包囲網の中で、威迫と恫喝と言語的暴力の圧倒的な洪水を被浴したとき、人は果たしてどこまで自分の信念や思いを貫き通すことができるのだろうか。それについては、恐らく、その状況の只中にその身を置いた者でなければ分らないだろう。人間の理性的自我がそれほど盤石な城砦を築き得ないということを、私たちは絶対的に認知すべきなのである。

 浜田流二は義理の叔母である葛西洋子が上告を断念して、服役生活に入ることを括ってから、映像の世界で、一頭地を抜きん出たかのような役割を演じていく。その獅子奮迅の活躍は、反転攻勢に踏み込んでいく者が自ら開いた全人格的な疾駆であった。

 その結果、恐らく誰かが、自己犠牲的な行動を刻んでいかなければ何も見えてこない絶望的な時間の闇に、未来の曙光に繋がる一筋の光明のラインを照らし出して見せた。その最大の成果は、二少年の偽証についての証言である。

 この状況の劇的変化がメディアを動かし、世論を喚起する効果をもたらした。二少年もまた、浜田流二という大人の男の本気度と誠実さに、その心を強く動かされたに違いないのである。

 浜田流二は単に、冤罪を晴らす確信的行動のナビゲーターの役割を果たしたのではない。

 彼の最大の功績は、二少年を精神的にサポートすることで、彼らの自我が恒常的に安寧を維持する、その拠って立つ基盤を整備して見せたことである。
 
 「この人だけは信じられる」
 「この人だけは自分を裏切らない」
 
 浜田流二という男の存在感は、少年の自我にこのような思いを抱かせ、そこに堅固な心理的担保を保証したのである。
 
 考えても見よう。

 少年たちが経験した、あまりに異常な事件のそのおぞましさと忌まわしさ、醜悪さについて。

 彼らはその負性なる状況に全人格的にインボルブされたのだ。

 そこで彼らの未成熟な自我が捕捉したのは、人間の醜悪なる様態であった。彼らの前に立ち塞がった、「正義」の執行官であるべきはずの高学歴の男たちが、あろうことか、自分の正当なる供述を退けて、犯人でもない女主人による犯行を裏付ける嘘の供述を脅迫的に迫ってきたのである。それが連日連夜続いたことで、彼らの年齢のレベルに見合った人並みでしかない自我は、その内側に膨大な疲労感と脱力感、無力感を蓄積させるに至り、遂に不本意な言動を刻んでしまったのだ。

 彼らがそのとき存分に味わった感情の中枢には、「人間不信」としか呼べない絶望的な人間観が張り付いていたであろう。葛西洋子が裁判それ自身に対する絶望感を表現するとき、そこには彼女が徹底的に嘗め尽くした辛酸の経験が重厚に媒介されていたはずだ。少年たちが味わった人間不信の思いは、彼らの自我を相当程度歪めるのに充分であり過ぎたと思われる。

 そんな少年たちの絶望感を、浜田流二という男が中和化し、その自我を、それが本来あるべき場所に解き放ったのである。それこそが、浜田流二の最大の功績だった。私はそう考えている。



 8  未知のゾーンを踏破していく実感の中で



 山本薩夫監督(右)・私の歴史館より
私は本作を、以上のような視点で把握した。

 この映画は、前述したように、「「追い詰められた状況下での人間の脆さと惨めさ、それに付随する狡猾さ、そしてそれでもなお堕ちきれない者が拘泥する自己尊厳の感情と、状況を反転させていくときの強靭さや執着心」という風に捉えている。

 まさに、極限状況下に置かれた自我が晒す脆さと狡猾さ、それでも、そこに留まり切れない自己尊厳の感情が僅かずつ反応し、その軟着点を求めて動き出したとき、そこには予想だにしない内なる尊厳を確保するための稜線が静かに伸ばされていて、それに導かれながら、一歩ずつ確実に未知のゾーンを踏破していく実感の中で、いつしか自分の中の何かが変わり、何かが削られていくような、ある種の心地良さを手に入れる固有なる経験を刻んでいくのであろうか。

 少なくとも、浜田流二という男のその全人格的展開を思うとき、そんなイメージを彷彿させるのである。
 
 本作の主要な登場人物は、唐突に襲来してきた事件を通して、その人並みの自我を、しばしば曲線的に蛇行させながらも、その苛酷な時間の奥深い辺りで、まさに人間学に於ける本質的な学習を果たしていったとも言えないか。

 本稿で言及した三人の特徴的な軌跡は、時にはあまりに痛々しいが、それでも自らを常にギリギリのところで反転させていく粘り腰において、それぞれの自我相応のサイズに際立っていたと思えなくもない。常に断崖を背にした感のある彼らは、最後まで自らの意志を刻んでいくであろう、その固有なる時間の未来について、決して断念しなかったのだから。

 では彼らが、そこで学習した人間学的な本質とは何だろうか。

 それは、人間には、その自我が正常に機能し得る臨界点というものがあり、その限界状況下で如何に踏ん張り切れるか、如何にその艱難(かんなん)な局面の中で、少しでも自らを有効に展開させていくか等々、それらの課題の絶望的とも思える困難さであろう。そしてそこに権力の壁が立ち塞がったときの、その絶望感の深さではなかったのだろうか。

 人間が権力にぶら下っていて、それに固執し続けるときの醜悪さを、彼らはまざまざと経験的に学習してしまったのである。それは権力が誘(いざな)う魔力かも知れないし、またその権力によって踊らされていくときの人間の、その圧倒的な脆弱さであるかも知れないであろう。

 権力の本質的な怖さを知った彼らは、自らが抱えた絶望感を越えて、その真実のさまを、自分の生き方の中で表現していこうと括ったのだろうか。
 
 ともあれ、彼らのそんな努力が、1985年という、戦後40年後の節目の年に、遂に再審法廷に於ける無罪判決に結実したのである。それは事件が起きてから32年目の夏のことだった。

 
 最後に、私が最も印象に残ったラストシーンの言葉を、ここに三度(みたび)引用する。それは、自殺を再び図ろうとした板根進の遺書を取り上げて、それを徳島に帰る列車の中で、浜田流二が黙読する描写である。

浜田はそれを読んだ後、板根に向って力強く励ました。                          

 「な、坂根君。自殺するなんてアホやで。僕は好かんな、そんな弱い生き方。そりゃ、君が苦しんだのはよう分るよ。そやけどな、それだけのエネルギーがあったら、検察と戦ったらええのや。へこましたれ!第一な、君がもし死んでしもうたら、ウチの叔母は永久に助からんのやで」
 
 それに対して、板根は映像で初めて見せる、何か突き抜けたような笑顔できっぱりと答えたのである。
 
 「すんません。僕もう、絶対転ばんさかい」
 
 この言葉が、本稿の題名となった。

 そして本作は、この言葉を語った者と、それを語らせた者について描いた映像でもあったのだ。それが私の最終的把握である。

 そしてこの言葉こそが、決定的なカタルシスを拾えない本作の、その唯一で、しかしとても小さなカタルシスだったのである。それでもこの小さなカタルシスには、観る者にある種の、確かな安堵感を与える何かが含まれていた。             

(2006年8月)

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