2009年11月11日水曜日

浮草('59)   小津安二郎


<もう一つの小津映画のジャンダルム>



1  「好みの問題」としての「小津ルール」



「小津ルール」と呼ばれている、小津映画の様々な映像技法がある。

最も有名なのは、ローアングル(低い位置からの仰角)の撮影技法。

その狙いは、淡々とした日常性を繋ぐ日本的家族風景を描く作品が多い作り手が、題材とするホームドラマに安定感を保証する意図を持たせているように思われる。

他にも、フィックスショット(カメラの固定)、切り返しショット(カットバック=場面の交互転換)、カーテン・ショット(場面転換に風景を挿入)、相似形の構図(同一画面の人物並列)、イマジナリー・ライン(相対する視線を結ぶライン)を踏むという既成の映像文法違反の手法、等々あるが、それぞれに作り手特有の理由づけによる撮影技法であると言えるのだろうが、正直、私のような門外漢には了解困難なスタイルであり、ハッキリ言えば、「小津安二郎監督の映像技法の癖」であると思っているから、さして気にならない。

ところが、台詞の反復(本作で言えば、老座長による「そんなことどうでもええ。そんなことどうでもええ」等々)という映像技法に至ると、非日常的な刺激的事件を特定的に挿入する物語を回避する、ごく普通のホームドラマに見合った、ごく普通のリアリティを求める私のような者にとっては、さすがに「様式美」という、些か手垢に塗(まみ)れた高踏趣味的なカテゴリーよって括られる、一代の巨匠、小津安二郎作品の独特の台詞回しの連射と出くわすたび、正直、耳障りな印象を拭えないのである。

木下恵介経由で、山田太一のあの気障な長広舌(「男たちの旅路」が極点)とは切れているかも知れないが、「沈黙の間」を忌避するかの如き、不必要なまでの反応を必至とせざるを得ない、過剰なまでに律動感を保持しようとする会話へと繋がる、この種の独特な台詞回しへの大いなる違和感を含めて、私にはこの類のドラマ技法に一貫して馴染めないのだ。

自分のスタイルへの拘泥が異常に強い「性格の癖」を、「様式美」という概念の内に収斂させるのは一向に自由であるが、一切は、「映像表現者」である当人の、その「感覚」内部の心地良さとのフィット感の問題であるに違いない。そう思うのだ。

例えば、「宗方姉妹」(1950年製作)に出演した高峰秀子によると、瞬きの数まで指導されたばかりか、事あるごとにペロっと舌を出す演技を要求され、その舌の出し方まで厳しく演技指導を受けたお蔭で、人間の舌の気持ち悪さを感じた思いを吐露していたというエピソードは有名な話。(「わたしの渡世日記」朝日新聞社刊)

この例は、自分の映像宇宙の完成形への構築を追求するする表現作家としての当然過ぎる拘泥であるが、「様式美」の巨匠は、その「感覚」内部の心地良さとのフィット感を限りなく追及する映像作家であったと言えるだろう。

相似形の構図・「宗方姉妹」より
然るに、「宗方姉妹」の中における、姉役の田中絹代との、不自然な台詞のキャッチボールのシークエンスと、抑揚のない台詞の言い回し、更にその台詞の反復の連射・洪水に閉口してしまったのは、紛れもない事実。

自分の映像感性が素朴に受容し切れない「違和感の質」を確認するために、私は三度、この作品を鑑賞したが、何度観ても、そこで生じた違和感には変化がなかった。

観る者の客観的視座が落ち着けないその「違和感の質」を要約すれば、詰まる所、このような手法を素直に受容できない私自身の、映像総体への「好みの問題」における落差感ということ以外に説明できないのだ。

因みに、この「好みの問題」によって、違和感を通り越して不快感を抱いてしまった映画が、頗(すこぶ)る評判の悪い「風の中の牝雞(めんどり)」(1948年製作)である。

「戦争」の無残な傷跡を、くすんだ内面深くに延長された悲哀という、相当程度、異色な小津作品でもある件の映像の中で、遠慮なしに提出された「反戦平和」のメッセージ性に対する評価とは全く無縁に、私には、その作品の主要な役柄を担った村田知栄子に求められた表現技法の、一本調子で、その抑揚のない台詞の耳障りな言い回し(注1)に対して、反応する術がないほど不快感を抱いてしまったのだ。


(注1)固定カメラの切り返しショットで映し出される村田知栄子の、口だけ動いて殆ど表情のない拙劣な「演技」は、「小津ルール」に基づく「様式美」なのだろうが、その彼女の役どころが、我が子の病気治療費を捻出するために、青線(非合法売春地域)で体を売った主人公の親友という重要なポジションであることを考えたとき、この哀れを極めた女優の「演技」によって、本作は何もかもダメになってしまったと言わざるを得ないのである。

「風の中の牝雞」より
元より、村田知栄子が大根役者であると言い切れないのは、彼女がその4年後に出演した、成瀬巳喜男の「稲妻」(1952年)において、相当に存在感のある演技によって光っていた事実を否定できないからである。監督による演技指導が異なれば、役者の表現力の良し悪しの落差が、これほどまでに現出してしまうものなのか。


―― グダグダと、個人的に許容しにくい例証を不必要に論(あげつら)ってみても詮無(せんな)いことだが、以下のように要約してしまえばいいのだろうか。

即ち、小津作品は作り手特有の表現感覚の中で、自分がフィットするイメージを完璧に再現させるという演出手法が徹底していて、そのイメージから逸脱した俳優の表現を寸分も許容しないストイックな芸術家として、この国の映像史に凛と輝く孤高の鋭鋒の如く、「絢爛の美学を極めた一代の名匠」という褒め殺しの内に収斂すべき文脈であると。

何より小津映画は、どこまでも「好みの問題」としてアプローチしていく視座だけが、私にとって経験的・実感的な受容法であり、それ以上でもそれ以下でもないということである。



2  もう一つの小津映画のジャンダルム



そんな独特の「様式美」を追求した小津作品の中で、ひと際、異彩を放った作品がある。

本作の「浮草」である。

ここでも相変わらず、「小津ルール」は健在であり、私が最も馴染めない台詞の反復技法も捨てられていないが、それでもなお、主役を演じた中村鴈治郎(2代目)の物の見事な演技力の、その匠の技量に要所要所で悉(ことごと)く掬い取られて、滋養に満ちた味わい深いヒューマンドラマとしての一定の達成点に届いていたように思えるのだ。

但し、主に老若二組の「愛」の様態を対比的に描いたテーマ性の一つを包含する割には、肝心の若者たちの「愛」の描写が、初老の域をも超えた親の世代の、「枯れた愛」の恬淡(てんたん)とした味わいを見せる、その静謐な表現力に対峙し得る力量の欠片すらなく、殆ど上滑りの転がりようで、眼を覆わんばかりの負け戦の凄惨さに観る者の根気が削げたほどだった。

その理由は、作り手が長きにわたって絶妙な関係を構築してきたはずのシナリオパートナーである、野田高梧との他社作品としての本作の共同作業において、安っぽいキスシーンなどでお茶を濁した若者たちの「愛」の描写の安直さに集約されるように、定点が脆弱な青春の情欲の、そのリアルな暴れ方を表現し切れていない脚本の熱意の決定的な不足と、それを演じる俳優の表現技量のあまりの底の浅さ、稀薄さ、抑揚頓挫の欠損(演出の問題)ぶりなどに求められるだろう。

正直言って、この類の「愛」の描写によって、「挫折する青春の情愛」の様態を描き出そうと本気で考えていたのなら、この作り手たちの「映像表現者」としての能力が疑われるところだが、恐らく彼らには、若者たちの情愛描写の存在価値は、最適距離を確保した「枯れた愛」の恬淡(てんたん)とした味わいと、(後述するが)その関係に三角形の構図を侵入させた、老座長と女旅芸人という、大人の「愛」の裸形の様態を引き立たせる効果の添え物でしかなかったように思われるのだ。


以下、「大映株式会社発売元」ビデオ版解説を引用して、ストーリーを簡単に紹介する。

「名匠、小津安次郎監督が初めて大映で監督に当たった文芸大作。舞台は、岬の上に燈台のある風光明媚な志摩半島の小さな港町。そこの相生座に何年かぶりで旅まわりの嵐駒十郎一座がやってきた。物語は一座の長である駒十郎が、むかしの女に生ませた息子と再会する話を中心に、様々な立場の人々が織りなす温かい心の交流と愛情のきびしさを、格調高く、そしてあふれるような詩情でうたいあげていく」(「大映株式会社発売元」ビデオ版解説より)

この嵐駒十郎という人物が、中村鴈治郎(2代目)の役どころだ。

これまで書いてきたように、物語は嵐駒十郎を中枢に、小津らしからぬ「動」のテンポで「起承転結」をなぞって劇的に展開していくが、本作の五組の入り組んだ「愛」の様態(後述)に、この老座長が全て直接、間接を問わず絡んでくることで判然とするように、ここで表現される情感世界の基幹には、老座長の心理の振幅が据えられているのである。

従って、この老座長が、観る者の感情移入の対象人格として機能していくという基本構図が形成されているという具合なのだ。

その老座長の嵐駒十郎を演じた中村鴈治郎(2代目)が支配する映像の切れ味は、この男が支配する全てのシークエンスにおいて一頭地を抜いていて、男が醸し出す人生の年輪の曲折の航跡を収斂する裸形の人格の、その枯れてなお眩い色気と情愛の哀感が深々と身体表現された映像の達成点は、或いは、もう一つの小津映画のジャンダルム(岩峰)であったのか。



3  「イグアスの滝」の支配力を誇示するかの如き「情景描写」の突出



ここに、本作の中で最も有名で、批評の絶好の対象とされる印象深いシーンについての解説がある。

以下、「asahi com」からの記事を引用する。題して、「雨の映画を楽しむ」。

「市井の人々の日常を端正な映像でとらえた小津安二郎監督は、土砂降りの雨は撮りませんでした。しかし、松竹の小津監督が大映で1本だけ撮った『浮草』(59年)には、小津映画唯一といってもいい、激しい雨の場面があります。

(略)『浮草』を撮影した名カメラマン宮川一夫は、自伝『キャメラマン一代』で、この雨が自分のアイデアだったと明かしたうえで、『小津さんには申し訳なく思っているシーンです』と記しています。生涯でたった一度だけ組んだ小津監督が自由に撮らせてくれたことへの感謝の表れですが、雨の降りはじめから豪雨に至るまで、ドラマと情景が緊密に結びついた映像は、小津監督と宮川カメラマンの美学が幸福な『結婚』をしたからこそ生まれたのだと思わせます」(「雨の映画を楽しむ<邦画編> asahi com 2005年7月15日より)

宮川一夫のアイデアによる「激しい雨の場面」について言えば、二人の旅芸人の鬱積した感情を投影するシークエンスとして特化し、「内面」と「風景」のイメージが溶融する映像的効果を強調せんとするカメラマンの狙いは見え見えだが、如何せん、このシーンにおける「雨」は、男と女の嘲罵(ちょうば)による感情爆発を際立たせる前に、風景描写である「豪雨」それ自身が「主役」になってしまって、まるで「イグアスの滝」の支配力を誇示するかの如き「情景描写」と化してしまったのだ。

「志摩の女」の盛夏の庭で燃え立つように咲く、ケイトウの淡白な赤に降り注ぐ「日本的情緒の雨」とは異なって、名カメラマンの「暴走」を抑制できなかった作り手の「遠慮」が、この失敗の原因だったのか。

ともあれ、そんな過剰な「情景描写」の中での、男と女の嘲罵による感情爆発の描写は、正直に言えば、極めて興味深かった。人間がその裸形の感情を放置する環境に置かれると、多かれ少なかれ、このような醜悪な様態を晒すという、至極、端的な描写であったからだ。

そしてそのような醜悪な様態こそ、日常性が裂かれる危機に遭遇した普通の人間の、些か下品な捩(ねじ)れの暴発の変動域内にある振舞いであったと言えるだろう。

更に、ここまで自我を裸形にできる関係性の厚顔さ、骨太さもまた、一切が個別の価値を有する分り難さの特権的有りようとも考えられるのだ。

本題に入っていこう。

「豪雨」の中の男と女の嘲罵のシーンの背景は複雑だが、一言で言えば、一座の女旅芸人が、殆ど内縁の関係にある老座長の浮気に悋気(りんき)した挙句、「討ち入り」決行という「見せ場」を開く場面と言っていい。

「愛」のテーマに関わる本作の心理的風景、即ち、五組の入り組んだ「愛」(注2)の様態の中で、この「豪雨」の中の嘲罵のシーンは、最も「動」の役割を担った旅芸人の腐れ縁的だが、鋭角的に突出した演技によって本作を深々と印象付けた、「動」の「愛」の振幅を全開駆動させたものである。

若者たちの「愛」を象徴する両端の二人
ところが、本来、若者たちの「愛」の描写において表現されるべき「動」の「愛」の具現は、旅芸人の腐れ縁的な「愛」の曲折の中に収斂されてしまっていた。

それもまた、上述したように、若者たちの「愛」の描写に対する二人の御大のシナリオの意欲の欠如と、件の若い俳優の技量の浅さに起因すると言えるだろう。


(注2)①老座長と「志摩の女」、②老座長と、内縁に近い関係にある一座の女旅芸人、③老座長と、「志摩の女」の息子→実子であるのに、「叔父・甥」の関係と偽っていた④「志摩の女」とその息子、⑤「志摩の女」の息子と、一座の若い女旅芸人→老座長と内縁関係にある一座の女旅芸人の悋気から、「志摩の女」の息子へのハニートラップを依頼され、実行したものの、逆に相思相愛の仲に転じてしまった。


―― 以下、本作の「白眉」とされる「土砂降りの雨」のシーンにおける、「内縁の妻」の立場に近い女と嘲罵し合う有名な描写を再現しよう。

男からの悪態から、このシーンは開かれた。

「このアホ!バカたれ!何がなんじゃい!ええ加減にさらせ!」
「何がなんや」
「おのれなんかの出しゃばる幕かい!すっこんどれ!……おのれ、あの親子に何の言い分があるのや。ワイがな、倅に会いに行って何が悪い。母子に会うのが何が悪いんじゃい。文句あるか、文句。文句があるなら言いてみい!アホ!」
「フン、偉そうに。言うことだけは立派やな」
「何!このアマ!」
「ようも、そんな口聞けるな!そんなことウチに言えた義理か!」
「・・・ワイに惚れよって、転がり込んで来よって、どうやら一人前にさせてもらったのは、誰のお陰や、誰の。恩を忘れたらな、犬畜生にも劣るんやぞ。アホ、バカたれ!ワイはなお前みたいな奴の世話にならんでも、結構やっていけますのじゃ、結構。何、ぬかすんや、アホ!どアホ!」
「どっちがアホや!アホはそっちやないか、お前さんやないか」
「ぬかしやがったな」
「ぬかしたら、どうやっていうんや」
「よろし、お前との縁も今日きりじゃい!二度と、あこの敷居(「志摩の女」の家/筆者注)を跨(また)いだら、承知せんぞ!ワイの息子はな、お前らとはな、人種が違うのや、人種が。よう覚えとけ、バカもん!」

以上の悪態の応酬の迫力は、「土砂降りの雨」の過剰な情景描写に支配され、搦め捕られることで、下品な応酬のイメージラインに重ね過ぎた情景性のベタな過剰さに、却って屋上屋を架すかの如き余分な彩色を施してしまったのである。

従って、「白眉」という評価は、あまりに身びいき過ぎるシーンであったと言わざるを得ないのだ。

このシーンは、「イグアスの滝」の支配力を誇示するかの如き「情景描写」の突出であった、というのが私の辛辣な把握である。



4  幻想でしかない「定着への憧憬」を捨てたとき



ある意味で本作は、「移動」を本質とする旅芸人の世界を、「浮草」に見立てた悲哀を一つのテーマ性にするという意味で、「男はつらいよ」の香具師稼業の世界に似ていなくもない。

しかしそこで入念に描かれた、拠って立つ非日常の世界において、我らが「フーテンの寅さん」が所狭しと騒いで見せるコメディバージョンや、数多のスラップスティック(ドタバタ喜劇)とは明らかに異にしていて、ドラマ・ジャンルで言えば、トラジコメディ(悲喜劇)の旋律の基調音に近いとも言える。

「定着へのゆらぎと憧憬」の中で、「葛飾柴又」という「絶対的コミュニティ」を確保している男にとって、気分が向いたらそこに原点回帰し、自我を裸にすることで、存分に身も心も洗浄したり、「失恋道」の王道を走り切ったり等々、束の間、「日常と非日常」の往還のゲームを疲弊の果てに終焉したら、幻想でしかない「定着への憧憬」を捨てて、「移動」という「非日常の日常化」への予定調和の時間のうちに、再び帰還していけばいいだけのことだ。

本作の男もまた、「定着への憧憬」の念を語りながらも、旅芸人という「浮草稼業」を繋いでいく生き方から抜け切れないのである。

そして映像は、「渡世人」=香具師稼業という「移動」生活の様々な人生模様、即ち、多くの場合、「困ったときの寅さん」の面目躍如の世界を描く「男はつらいよ」と些か異なって、座員たちの不満を託った挙句、一座の金を持ち逃げされるという笑えないエピソードに象徴されるように、本作はどこまでも、「何が起こるか分らない、出たとこ勝負」である「浮草稼業」の悲哀をフォローしていくのだ。

前者が、「困ったときの寅さん」の面目躍如の活躍が途絶えて、心身ともに少しばかり疲弊したら、「困ったときの団子屋」という「絶対的コミュニティ」に原点回帰すればいいだけの話だが、本作の老座長は「浮草稼業」の悲哀を慰撫すべく、密かな「定着」への憧憬の念を、束の間、満たしていく。

しかし、それだけのことだ。

この男も寅さんと同様に、「定着への憧憬」を確信的に拾えない運命を負っている。

「定着」という「日常」に、全人格的に踏み込めない運命を覚悟しているのだ。それが幻想でしかないことを既に感受し、それ以外にない、「浮草」の如き人生の流れ方を受容し切っているようなのである。

「志摩の女」を演じた杉村春子
「親子三人、仲良く暮らそうか…」

これは、「志摩の女」に「定着」を求められた旅芸人一座の老座長が、座員に金を持ち逃げされた果てに一座を解散する羽目になって、もうそこにしか逢着し得ない限定的な選択肢の中で、思わず、女に呟いた言葉だった。

しかし、ハニートラップの実情を告白されながらも、件の若い女座員を口説き落とした果てに、気迫に欠ける駆け落ち騒動を出来させた志摩の息子が帰宅して来て、老座長が実の父親であると知ったときの若者のリバウンドは激越だった。

激怒のあまり父親を突き飛ばした勢いに後押しされて、息子はその思いを吐き出した

「俺はこんな親、いらんのや。出て行って欲しいわ。出てってくれ!」

ここまで言われた男はもう、「観念」としての「定着」への淡い憧憬の念が、完膚なきまでに払拭されてしまった。

「ワイはやっぱり旅に出るわ。その方がええ。その方がええわ」

淋しく去っていく父親を、思い直して追い駆けようとした息子を、その母は止めた。

「このままでええんや」

フィルムコミッションとして撮影支援した志摩
「志摩の女」は、「浮草稼業」が身について、憧憬でしかない「定着」への思いを語る、男の生き方の本質が理解できているのだ。

ラストシーン。

田舎の小さな駅の待合室で、一人、列車を待つ男。

その男の傍に近づいた女は、嫌がる男の煙草の火を自分のマッチで付けた後、「ちょっと貸して」と言って、自らも男の煙草の火を借りて、一服吸った。

「ねえ、どこ行きなはんの?」

女は男の行先を聞いた。男はすぐ答えない。

一瞬、「間」ができた。

その「間」を計算したかのように、男はゆっくり答えた。

「桑名の旦那に、泣きついてみようかと思うとるんやけど…」
「そう。ウチも一緒に行こうかしら」

また一瞬、「間」ができた。

今度も、その「間」を計算した男が、浮草人生の行先を静かな口調で言葉に結んだ。

「のるか、そるかや。もう一旗揚げてみようか」
「うん、やりましょ。やろやろ」
「やってみるか?」
「大丈夫や。やろやろ。やりましょ」

かくて男は、「土砂降りの雨」の中で罵り合った女を随伴し、新たなる「移動」に向けた時間をリセットしていくのだ。

それ以外にない人生の旅を、この男は殆ど確信的に切り取って生きていくのである。

どこまでも「浮草」稼業が捨てられない運命であると括っているが故に、男は曲折に満ちた人生の航跡をなお延長させ、その固有の時間を繋いでいくに違いないのだ。そのような時間の振れ方を変えられないほどに、男は己の生態年齢を充分過ぎるほど構築してしまったということなのだろう。

ラストに残した余情が印象的な映画の括りは、「討ち死にの残酷」よりも、新たなる「移動」に向かう時間の方にウエイトを置くことで、腐れ縁の男と女の人生に、「一縷(いちる)の救い」を挿入することを確信的に拾い上げていた。


(2009年11月)

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