<ヒロインの「笑み」が「嗚咽」に変わったとき>
1 小津的表現世界の確信的な習癖への違和感
自らの意志で結婚を決断したヒロインの能動的生き方と、それによって招来した三世代家族の離散の悲哀、そして何より、印象的な麦秋眩いラストシーン。
この鮮烈な記憶がいつまでも私の内側に張り付いていて、若き日に観た小津映画の中で最も感銘深い作品と言えるのが、本作の「麦秋」だった。
ところが、壮年期にピークに達した私の成瀬嗜癖症の結果、信じ難いほどに、私の中の小津映画は悉(ことごと)く相対化されてしまったのである。
それはまるで、異化的な距離感とも言える何かだった。
サンフランシスコ講和会議と東京タワーの完工に象徴される、この国の50年代に連射された成瀬映像の厳しいリアリズムの世界にすっかり度肝を抜かれて、映画鑑賞の自己感応のスタンスを形成させてしまったことで、小津映画に特徴的に見られる独特の様式の内実に乖離感を抱懐てしまったのである。
とりわけ、「晩春」(1949年製作)以後に開かれた、野田高梧との共同脚本による不自然な台詞回しと、様々な小津的表現世界の確信的な習癖に違和感を持ってしまったのだ。(画像は、小津安二郎監督と野田高梧)
例えば、本作において、ヒロインの親友、アヤを演じる淡島千景が、その役割を一身に担っていた。
ヒロインとの明るい会話の後、その流れを受けて矢庭に立ち上がり、二人が卓袱台(ちゃぶだい)の周りで、悪ふざけの追い駆けっこをするという描写の不自然さや、掛け合い漫才のような言葉のキャッチボールの諄(くど)さ、等々。
彼女が本作の4年後に出演した「夫婦善哉」(1955年製作)では、ダメ男を捨てられない女の情愛を見事に演じ切っていた表現力を知る者として、あまりに型に嵌めた演出に辟易してしまったのである。
更に、ヒロインの紀子役の原節子は、映像全体を通して、笑みを絶やさない表情を一貫して継続させていく演技は、映像後半での嗚咽のシーンを強調する効果としか思えない不自然さだったが、しかしその振舞いこそが、物語の骨格を支える三世代家族としての間宮家が、本来的に抱えた矛盾や裂け目を補填するに足る重要な役割を担っていたのだった。
この点については後述する。
それれでも、敢えて「笑みを絶やさぬ主張的個我」を継続的に演じる原節子は魅力的であるが、演出の人工的な仮構が鼻に付く描写の執拗性に現れているように、要するに、私は小津的表現世界が苦手なのだ。
こればかりは、「好みの問題」だから如何ともし難い。
それでも今回、3度目の邂逅となる本作を観て、相変わらず、「好みの問題」でフィットしない描写が見られるものの、この時代に生きた中流家庭の生活風景のディテールの見事な切り取りに見られるように、そこで描かれた小津映画の一頭地を抜く表現世界に深い感銘を受けたのは事実。
主要な登場人物たちの心理描写はほぼ完璧で、「主題提起力」、即ち、「世代の永劫の流れ」と「無常観」、「大家族主義の終焉と、核家族化への定着の必然性」なども充分に感受し得て、初見時の感銘は捨てられていなかった。
但し、多くの台詞を請け負った笠智衆だけが浮き上がってしまうのは、熊本弁丸出しで、とても北鎌倉の医者のイメージと重ならないからだった。
「東京物語」(1953年製作)のイメージが強すぎるのか、どうもこの俳優は、円熟した晩年の役柄ならともあれ、年齢相応の役柄をこなすのは苦手のように映ってしまうのである。
少なくとも、本作の笠智衆は、完成形の演技力とは到底縁遠いフラットな役者の域を超えられていなかった。
その分、原節子との絡みにおいて、観る者の感情移入を妨げる、何とも評価しづらい表現であった。
酷評は止めておこう。
以下、前述したテーマについて書いていく。
2 「戦後」をなお延長させている、間宮家の心象風景
麦畑(イメージ画像・ブログより)
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収穫の「秋」のイメージからのネーミングである。
印象深いのは、当時としては、明らかに婚期を逸していると思われる28歳の年齢でありながら、そのことに全く僻(ひが)みを見せることなく、自ら結婚相手を決めた間宮紀子役の原節子の、人生に対するポジティブな姿勢。
そんな姿勢を検証した、本作の生命線とも言える、矢部たみと間宮紀子との最も感銘深い会話を、以下に再現してみる。
因みに、矢部たみは、間宮家と戦前からの付き合いがあり、その息子の謙吉は、間宮家の当主である康一の下で病院勤務を続ける医師である。
同時に彼は、間宮家の「永遠の不在者」である省二の友人でもあり、当然、紀子とは幼馴染みの関係だった。
既に妻を病気で亡くしていて、幼い娘の養育を実母に委ね、男やもめの身を託っていた謙吉が、研究熱心な本人の希望もあり、秋田の病院へ転勤すると決まったのである。
そんな折での、謙吉が不在の矢部家への紀子の訪問。
二人が、謙吉の秋田転勤の話題に触れたときのこと。
直球勝負を賭けた矢部たみの思いが、それ以外にない決定的な言葉に結ばれたのだ。
「実はね・・・紀子さん怒らないでね、謙吉にも内緒にしといてよ」とたみ。
「なあに?」と紀子。
「いいえね。虫のいいお話なんだけど、あんたのような方に、謙吉のお嫁さんになって頂けたら、どんなに良いだろうなんて、そんなことを思ったりしてね」
「そう」
「御免なさい。このあたしが、お腹ん中だけで思った、夢みたいな話・・・怒っちゃ、ダメよ」
「ほんと?おばさん・・・」
「何が?」
「ほんとにそう思ってらした?あたしのこと」
「御免なさい。だから、怒らないでっていったのよ」
「ねえ、おばさん、あたしみたいな売れ残りでいい?」
「え?」
「あたしで良かったら・・・」
「ほんと?」
「ええ」
「ほんとよ!ほんとにするわよ!」
「ええ」
すっかり有頂天のたみは、紀子の手を掴んで、何度も「夢に終わらせない現実の至福」を確認するのだ。
「まあ、嬉しい!ほんとね?ああ、良かった、良かった!ありがとう、ありがとう・・・ものは言ってみるものねぇ。もし言わなかったら、このまんまだったかも知れなかった。やっぱり良かったのよ、あたしがお喋りで。まあ、良かった、良かった。あたしもう、すっかり安心しちゃった。紀子さん、パン食べない?アンパン」
「いいえ。あたしもう、お暇(いとま)するわ」
観る者の涙腺を緩ませる、杉村春子(たみ役)の超絶的演技力にさすがに唸ったが、それ以上に、本作の映像構築の命運を決定づけた名場面によって、緩やかに展開していた物語の風景が、「明」から「暗」に転換させていくに至った流れの重要性を確認せざるを得なかった。
この会話には、重要な伏線があった。
駿河台にあるニコライ堂(?)の近くの喫茶店で談笑する、紀子と謙吉の会話である。
「昔、学生時分、よく省二君と来たんですよ、ここへ。で、いつもここへ座ったんですよ・・・早いもんだなあ」
「そうねえ。よく喧嘩もしたけど、私は兄さんがとても好きだった」
「あ、省二君の手紙があるんです。徐州戦のときに向こうから来た軍事郵便で、中に麦の穂が入っていたんです。その時分、丁度、『麦と兵隊』を読んでいて」
「その手紙、頂けない?」
「ああ、上げますよ、上げようと思ってたんだ」
「頂戴」
紀子の表情の変容を垣間見せる、この場面が意味するもの。
それは、紀子の婚期の遅れの心理的背景に、兄をモデル化したことによって、彼女の「男性観」が形成されてきたという深層風景が読み取れるということである。
そんな彼女が、謙吉に「男」を意識していなかったことは明瞭だ。
「この人なら信頼できると思ったのよ」とアヤに語った彼女の言葉には、嘘がないのである。
男ずれしている、料亭「田むら」の娘アヤには理解できなかったが、謙吉と紀子は、「ときめき」より、「安らぎ」を選択するほどの大人だったということ。
それ以外ではないだろう。
「永遠の不在者」である省二は、映像に登場することがなかったが、間宮家の人たちの心に澱のように淀む意識として、しばしば映像の中で語られていった。
大陸からの旧日本兵の「引き上げ」の問題が話題になったとき、「お宅の省二さんも?」と尋ねるたみに対して、ヒロインの父である植物学者の間宮周吉が答えた言葉は、以下の一言。
「いやあ、あれはもう帰って来ませんわ」
それでも、たみは話題を繋いだ。
「でも、この頃になってまた、ポツポツ南方から・・・」
周吉はそのとき、妻である志げの思いの深さに話題を振った。
「いやあ、もう諦めてますよ・・・これはまだ、省二がどこかで生きていると思っているようですがね」と周吉。
「これ」とは、志げのこと。
「根気よく毎日、ラジオの『尋ね人』の時間なんか、聞いてますよ」
この夫の言葉に反応して、ゆっくり噛み締めながら話す、その志げの次の言葉には、生死が不分明な我が子の「モーニングワーク」を終えられない母の、その心の空洞感を直截に伝えていて、観る者の感銘を誘う静謐な描写だった。
「人間て、不思議なもんですね。今あったことをすぐ忘れるくせに、省二が元気だった時分のことは、はっきり覚えているなんて」
初老期に入った彼女には、「永遠の不在者」という観念は存在しないのだ。
明らかに、「戦後」をなお延長させている間宮家の心象風景が、そこにあった。
3 ヒロインの「笑み」が「嗚咽」に変わったとき
本作は、一貫して笑みを絶やさない紀子の明るさが、三世代家族の物語を繋ぎ止め、世代の異なる者たちが抱懐する多様な思いから生まれた、ある種の硬質感を溶かすような、相当に有効な求心力の役割を担っていたことは間違いない。
ところが、人生に対してポジティブな思考を持つ件のヒロインが、自らの意志で決断した新しい世界への侵入を切り開いたとき、そこに残された家族の関係を、より強固に繋ぎ止める何ものもなく、それぞれが置かれた世代の立場の明らかな誤差を認知することで、立場相応に見合ったサイズの生活を選択せざるを得ない状況のリアリズムを、そこだけは軟質系の文脈を切り裂いて決定的に露呈させしまったのである。
紀子によって仮構された世代間関係の適正保温を維持し得る連結力が、実はヒロインの未婚期間の延長によってのみ保証されていた内実を、その延長にピリオドを打つ紀子の一躍の決断によって検証されてしまったのである。
即ち、本来そうであったような家族の連結力の困難さの有りようが、紀子の笑みによって希釈化されていただけなのだ。
これが世代を繋ぐ人間の自然の営為であるが故に、この現実を受容する以外にない。
小津は、そう言いたいのだろうか。
紀子の笑みによって繋がれた三世代家族という幻想が、核家族にしか逢着し得ない、本来的な様態に変容していくのは必然的だった。
だから疾(と)うに予約されたはずの流れに沿って、老いた父母は大和に帰り、北鎌倉に残された長男夫婦は開業医となって、見過ぎ世過ぎを繋いでいく。
そして、連結力としての役割を終焉させた肝心の紀子は、自分が決断したパートナーと共に、相手の赴任地の秋田へと旅立って行く。
「大家族の離散」という重いテーマ性を持つ物語をユーモア含みで描きつつも、そこに人の世の「無常観」を諦念化した思いを乗せて、作り手は、戦後6年目のモノクロ映像に記録したのである。
これは、紀子の「笑み」が「嗚咽」に変わったとき、そこから否応なく開かれる新しい生活風景の現実を、賑やかな装いの幻想の内に仮構された「大家族」を構成してきた普通の人々が、抗うことなく普通に受容することこそ、連綿と繋がる世代間継承における普通の営為であることを映像化した一級の作品だったと言える。
だから、思い切り辛い映画になった。
辛い映画が抱え込んだ現実の辛さは、年輪を重ねるほどリアリティを増幅させていくだろう。
何より、変化を受容することに容易に馴致できない、周吉と志げの夫婦のケースを考えてみたらいい。
4では、その辺りに言及したい。
4 渡れない遮断機を前にして、零れた嘆息
16年間も、北鎌倉の長男の家に同居しながら、些か窮屈な家屋の間取りの狭さに対する意識が常に働いているために、娘の紀子の結婚などという、家族会議の肝心な局面になると、「お父さん、お寒くありません。お休みになったら?」、「もう寝ようか」というシグナルのような会話を残して、そそくさと2階に上がって行く父母夫婦の意識には、明らかに、居候性の濃度の深い「寄食者の観念」が働いているのだ。
父母の遠慮と、長男夫婦の気遣いが、家族会議の肝心な局面で露わにされていくのである。
「永遠の不在者」を心の拠り所に生きる志げと、2階の階段を上がるときにも、そんな「永遠の配偶者」を先に行かせる配慮を見せ、常に優しく寄り添う周吉との会話。
「暢気な子。一人で決めちゃって。自分一人で大きくなったような気になって」
娘、紀子への志げの嘆息に、周吉は「うーん」と反応するのみ。
言葉に結べずとも、二人の以心伝心の世界が、そこに生まれた空気を自然に吸収してしまうのである。
ここに、日曜日の散策に出かけた二人の会話がある。
「しかし、何だね。家も今が一番いい時かも知れないね。これで、紀子でも嫁に行けば、また寂しくなるし」と周吉。
「そうですねえ。専務さんの話、どうなんでしょう?」と志げ。
「うーん。良きゃ、いいが。もうやらなきゃいけないよ」
「ええ」
「早いもんだ。康一が嫁をもらう。孫が生まれる。紀子が嫁に行く。今が一番楽しいときかも知れないよ」
「でも、これからだって、まだ」
「いや、欲を言や、切りがないよ。ああ、今日はいい日曜だった」
終始、至福の笑みを零す、柔和な性格の二人の会話。
この会話が記録されたのは、タイプライターのOLである紀子が、上司から一回り年の離れた未婚男性の縁談を持ちかけられ、間宮家の中で好感を持って、その話を受け入れる空気が形成されていたときのこと。
このことは、「紀子の嫁入り」が、間宮家にとって重大なテーマになっていたことを示している。
しかしそれは、潤滑剤としての紀子の「非在」を意味するのだ。
潤滑剤を失った間宮家が、老父母と長男家族の関係の直接性が露わになって、却って、老父母の居候性を際立たせてしまう現実を、二人はこの時点で、リアルな実感として受容できていないようだった。
それ故にこそ、縁談を一方的に断り、自分の意志で結婚相手を見つけた紀子の主体的な行動によって、間宮家が振り回された渦中にあったとき、周吉の心象風景を伝える重要な描写が挿入されていた。
嘆息をつく周吉 |
ここで、周吉は大和への帰郷を決断したのである。
紀子の秋田行きによって、「大家族の離散」へと流れていくラインが固まったとき、リアリティの襲来は、それぞれが新しい生活を選択せざるを得ない状況を作り出してしまったのだ。
このシビアな現実を感受したとき、紀子は激しく嗚咽したのである。
「済みません。私のため・・・」
嗚咽する紀子に、周吉は優しく言葉を添えた。
「いやぁー、お前のせいじゃないよ。いつかはこうなるんだよ」
その後、二階に上がって、一人嗚咽する紀子が映し出されたが、その絵柄が示唆するものは、一貫して笑みを絶やさなかった彼女の、間宮家での役割の終焉を告げる由々しき現実だったのである。
ラストシーン。
大和での老父母の会話。
「紀子、どうしているでしょう?」と志げ。
「皆、離れ離れになっちゃったけど、しかしまあ、私たちはいい方だよ」と周吉。
「ええ。色んなことがあって、長い間・・・」
「うん、欲を言えば切りがないよ」
「ええ。でも、ほんとに幸せでしたわ」
「うん・・・」
麦の穂が揺れる初夏の風景が、モノクロの画面に映し出されて、厄介な「戦争」を生き延びて来た者たちの苦労に満ちた人生訓が、重ねられた年輪の内に拾われていた。
「欲を言えば切りがないよ」という、周吉の口癖の中に仮託された作り手の思いが、「人々の日常を淡々と記録した物語」の内に溶融していくようだった。
5 小津的表現世界に「適応できた者」と、「適応できなかった者」
小津安二郎監督 |
その1
子供と大人との関係の描写がワンパターンで、とりわけ、本作での的外れの描写が気になった。
要するに、子供への養育と躾に関わる描写の脆弱さを見ても分るように、小津は大人と子供の関係の有りようを、お伽話の世界でしか語れないのだ。
具体的に言えば、自分の要求が通らずに、一斤の食パンを蹴飛ばす我が子を怒っただけで、家を出た二人の息子に対して、「躾の厳しさ」を指摘される間宮家の当主と、その子供を心配した挙句、家族総出で捜し回る親馬鹿ぶりのシーンに見られるように、小津は、「子供の躾」に関わる描写に「子供目線」の幻想を被せていて、相当程度リアリティを欠損させているのである。
その2
必ずと言っていいほど、小津映画では俳優の「成功者」と「失敗者」を作り出してしまうこと。
小津的表現世界に「適応できた者」と、「適応できなかった者」の差が顕在化してしまうのだ。
本作で言えば、前述した笠智衆や淡島千景、加えて、無理に不自然な笑いを散らす描写の犠牲となった佐野周二らが、小津ルールの縛りの演出によって「大根ぶり」を露呈させてしまっていた。
そして「最大適応者」は、ここでもまた、杉村春子(画像)だった。
この「生涯一女優」には、どの監督の、どのような演出にも耐えられる演技力の裏付けがあるので、強引なまでに、自分の描いたイメージラインの型に嵌めたがる、小津ルールによる特段の演出が強要されないからだろう。
その3
お気に入りの原節子に、自分の理想的女性像を仮託してしまう傾向が顕著なこと。
その原節子は、戦争未亡人を演じた「東京物語」の「聖女もどき」から解放されて、本作では、自分の意志で運命を切り開く近代的自我を持つ人格像の片鱗を表現していたが、それもまた、「小津好み」のカテゴリーに入る女性像の枠組みを逸脱していなかったように見える。
なぜなら、自分の決断によって離散させる家族の悲哀に直面したとき、それまで一貫して笑みを絶やさなかった28歳のOLに関わる心理描写が、一転して、存分の嗚咽の描写の内に描かれていたからだ。
やはりここでもまた、人の思いの辛さを充分に汲み取る、「かく在るべき女性像」が立ち上げられていたのである。
その結果、「めし」等の成瀬映像で「普通の主婦」を演じた事実が物語るように、原節子という大いなる可能性を秘めた女優は、吉永小百合と同様に、小さく自己完結する、「役柄限定」の女優の域を超えられなかったということだ。
それにも関わらず、文句なく、本作を引っ張り抜いたのは、抜きん出た受容力と自己主張を貫徹した役柄を表現した、原節子の個我の輝き以外ではなかったと言えるだろうか。
(2010年2月)
要するに、好みに合わないってことですよね。あとの分析はこじつけというふうに受け取りました。だって、合わないものは理屈じゃないですから。
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