2011年1月17日月曜日
小さな恋のメロディ('71) ワリス・フセイン
<「秩序破壊」の向こうにある「お伽噺の世界」への〈状況脱出〉>
1 「秩序破壊」のメッセージを持った「子供共和国」=「お子様映画」
爆弾マニアの少年が投擲した自動車爆破に象徴されるように、如何にも70年代初頭の映画らしく、「秩序破壊」のメッセージを持った「子供共和国」=「お子様映画」の典型的一篇。
「大人社会からの独立戦争」(ウィキペディア)などという傲岸な擦り寄りをなぞるように、「子供=純粋無垢・被抑圧的存在・善」⇔「大人=不純・抑圧的権力・悪」という、類型的な二元論を殆ど脱却できない脳天気なファンタジーの中で、規範を押し付けるだけの「無理解な大人たち」を相手に、「秩序破壊」に便乗した子供たちが存分に暴れて見せるのだ。
最後にはもう、「児童期後期」と重なる「思春期前期」の躍動感を構築し得た、瑞々しい前半の展開を自壊させるような「秩序破壊」の大騒ぎは、充分に竜頭蛇尾的なスラップスティックと化す、馬鹿馬鹿しいだけの自由奔放さ。
当然、そんな娯楽映画もOKだが、それにしても、周囲の大人の存在を「不純・抑圧的権力・悪」という定番的な枠組みの中で記号化して見せるのは、いい加減に勘弁してもらいたいものだが、何せ、「秩序破壊」のメッセージを悪乗りさせた映画が跋扈(ばっこ)した、'60‐'70年代のカウンターカルチャー花盛りの文化の様態を思えば、諦めるしかなかったということか。
2 「秩序破壊」の向こうにある「お伽噺の世界」への〈状況脱出〉
「児童期の恋」という刺激的なテーマ設定の中で、私が共感し得たシークエンスが含まれていたので、それに関連づけて言及したい。
11歳の少年少女である、ダニエルとメロディの二人が学校を休んで、海岸に行ったときのエピソードである。
海岸で砂遊びをしていた二人の手が触れらたとき、そのことを意識するダニエルが、メロディに唐突に打ち明けた。
「結婚しようか?」
「いつの日かね・・・なぜ、水が滲み出てくの?」
メロディは砂山から水が滲み出ることを尋ね、話題をはぐらかす。
「いくつで結婚できる?」
ダニエル少年には、「結婚」のことしか念頭にない。
「石を入れておくと、どうかしら?・・・両親ぐらいの年よ」
メロディは話題をはぐらかしながらも、婉曲(えんきょく)に反応する。
少年は、一気呵成(いっきかせい)に畳み掛けていく。
「そんな年まで待てない。年寄りは大抵みじめだ」
「年をとると何でも分るのよ。だから飽きちゃうのよ」
子供に似つかわしくない鋭利な答えを返すメロディは、微笑みながら言葉を繋ぐ。
「分らないのよ。本当よ」
それだけだった。
以上が、11歳の少年少女の「結婚問答」である。
明らかに、女の子のメロディの方が、物事に対する考え方が現実的であることが分る。
それは、同年齢児における「性差」における、精神年齢の微妙な落差でもある。
加えてそれは、過保護な母親に育てられたダニエルとの決定的な相違でもあった。
当然の如く、この一件によって、翌日、二人は校長先生に咎(とが)められるに至る。
「結婚したいんです」
きっぱりと答えるダニエル。
嘲笑する校長先生。
「可笑しいとは思いません」
二人は異口同音に答える。
「この若い紳士に、君の手を与える約束をしたのだね?」
校長先生の婉曲な言い回しに、メロディは凛として反駁する。
「どういうことです?何の意味か分りません」
「何も分っとらん?」と校長先生。
ダニエルの反駁には、強い感情が乗せられている。
「止めて下さい!僕たちは一緒にいたいんです。それが結婚なんでしょ!」
このときのメロディの、凛々しい反応が印象深いシークエンスだった。
少女は恐らく、少年よりも「結婚」についての把握が、ファンタジーの世界に搦(から)め捕られていないのである。
少女はただ、一方的に規範を押し付け、自分たちの率直な感情表現を嘲笑する態度を示した校長先生に対して、反駁する気持ちの方が強かったのだ。
現実原則的な把握を持ち得た少女の能力と比較すると、少年の情感の中枢を支配するのは、ただ単に、「メロディと一時(いっとき)でも多く一緒にいたい」というレベルの、児戯性の強い「共存感情」と言っていい。
少年のこの「共存感情」の暴走が、物語の後半を加速的に引っ張っていき、そこに少女の「ごっこ遊び」にも似た情感が、「子供共和国」の「解放空間」の一方的立ち上げを目指す仲間たちの、乱暴極まる「ごっこ遊び」のうちに吸収され、その流れの中で、一時(いっとき)の解放感を共有していくのである。
ラストシーンにおける、草原を駆け抜けていくトロッコの疾走の意味は、「子供共和国」の解放空間の中で特化された、「結婚式を挙げた二人の児童」による、「秩序破壊」の向こうにあるだろう、「お伽噺の世界」への〈状況脱出〉と思われる。
その「お伽噺の世界」の、その先に待機するのが、「成人化した男女の恋愛のリアリズム」という、現実世界の厳しさを随伴する世界であるか否か、作り手に聞いてみないと了解し得ないオチだった。
(2011年1月)
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