2011年3月3日木曜日

グラン・トリノ('08)      クリント・イーストウッド



<「贖罪の自己完結」としての「弱者救済のナルシシズム」に酩酊するスーパーマン活劇>



   1  「否定的自己像」を鋭角的に刺激する危うさに呑み込まれた、頑迷固陋の「全身アメリカ人」



 頑固とは、自己像への過剰な拘泥である。

 そのために、自分の行動傾向や価値観が環境に適応しにくい態度形成を常態化させていて、且つ、その態度形成のうちに特段の矛盾を感受しない人格を肯定化することによって、自分の行動傾向や価値観と背馳(はいち)すると信じる時間を延長させていく、偏頗(へんぱ)なる情感体系である。

 そんな頑固さと共存する態度形成の中で、最も求心力を発現し得る倫理感覚には、「転嫁しない責任」、「退路を断つ覚悟」、「迷いなき決断」などという「美徳」などが含まれるだろう。

 しかし、この自己像の内実が、決して「肯定的自己像」によって固められないトラウマを持つことで(「俺は、毎日忘れたことがない」という、本作の主人公の台詞あり)、そこに張り付く「否定的自己像」で強化された、差別言辞丸出しの頑迷固陋(がんめいころう)の老人が、ある事件を契機にして、鋭角的な攻撃性に囲繞されることで、看過し難い刺激情報のシャワーを被浴してしまったらどうなるか。

 少なくとも、件の頑迷固陋の主は、その〈状況〉を狡猾な手口でスルーしていく態度だけは身体化しないだろう。

 しかし、その状況が、いよいよ「否定的自己像」を鋭角的に刺激する危うさに呑み込まれてしまったならば、まさに、その〈状況〉の中枢を「死に場所」と考えて、看過し難い刺激情報のシャワーを放つ連中との、全人格を賭けた「直接対決」を辞さないはずだ。


その「直接対決」の結末が、贖罪の果ての「墓場」と化すのは、このような「否定的自己像」を繋いできた男には、殆ど必然的であったに違いない。

 思うに、ここまでの心理の振れ具合には特段の瑕疵がない。

 ところが、「直接対決」による、贖罪の果ての「墓場」への自己投入という、その必然的な物語構成を、あろうことか、「歴史博物館に収納され、化石化した西部劇」のオールドファッションのパターンを踏襲する、お座成りな演出で貫徹してしまったのである。

 少なくとも、私にはそう思えた。

 だから私にとって、唾棄すべき、「定番的なヒューマンドラマの凡作」を見せつけられてしまったという印象しかない。

 最もパワーと無縁な存在が、最もパワーに溢れた存在と「直接対決」し、最もパワーの行使を嫌う存在を、文字通り生命を賭して救う。

 最もパワーと無縁な存在とは、ウォルト・コワルスキー。

 80歳近い老人という設定だからだ(以下、「ウォルト老」、または「男」と呼ぶ)。

 最もパワーに溢れた存在とは、隣家に住む、モン族のタオ少年の従兄たちの不良グループ(以下、「不良グループ」と呼ぶ)。

 最もパワーの行使を嫌う存在とは、ウォルト老の隣家に住むモン族のタオ少年(以下、「タオ」、または「少年」と呼ぶ)。

 しかも、ポーランド系でありながら、その魂は、家屋の修繕と庭の芝生を存分に刈り込む作業を日課として、中流の代名詞の如き家屋の前に、そこだけは常に眩い国旗を堂々と掲げ、「自治の論理」を貫徹するのだ。

 WASP ではないが故にか、「全身アメリカ人」の白人であるウォルト老が、悪態をつく相手でもあった、異文化のモン族(東南アジアに住む少数民族の一つ)とクロスし、そこに「友愛」の旗を立てる。

 このシンプルな設定は、「弱気を助け、強気を挫く」という典型的な勧善懲悪のパターン。

 そこに、「命令もされず、自らやったということが恐ろしいのだ」というトラウマと化すモチーフをべったりと張り付けることで、「弱気を助け、強気を挫く」という行為それ自身が、ウォルト老の重大な贖罪のテーマとして、彼の自我のうちに包摂されていく心理構造を常態化する。

 要するに、贖罪対象と化したこの行為が、「命令もされず、自らやったということ」への贖罪的反転によって、「17歳の少年をシャベルで殴り殺した」という、朝鮮戦争時のトラウマへの内的処理に変換し得る「物語」のうちに、ヘビーな「脱出口」を用意することで、アメリカ社会の「現在性」への批判的的総括という把握を含意させたつもりかも知れないが、その見え見えの映像構成はあまりにもお座成りで、独善的過ぎたものだったから始末に悪かった。

 以下、辛辣な批評をしていく。

 我が国の様々なフィールドからの絶賛の評価が信じられない程、私の受容耐性の限界を超える凡作だったからである。



 2  「憧憬すべきモデル」としてのイーストウッドの求心力



 例によって、「キネ旬1位」という最大級のトリビュート。


この国のイーストウッド贔屓のアホな評論家連中が、「“神の腕”と呼ばれてもおかしくないくらい感動的なものであります」(おすぎ)などと大法螺(おおぼら)を吹聴し、「俺は迷っていた、人生の締めくくり方を。少年は知らなかった、人生の始め方を」という配給会社の、訴求力抜群のキャッチコピーの逆巻く怒涛のラッシュ。

 この求心力は絶大だ。

 この商売上手な広告に誘(いざな)われて、多くのシネマディクトがシネコンに足を運び、その知ったかぶりのトリビュートが、「リトルの公式」(待ち時間の算定公式)を斟酌せねばならないような、数多の観客のラインを作り出す。

 何と、Yahoo!の映画サイトのユーザーレビューには、1800件以上のコメントが群れを成していたので、数十件まで眼を通しただけで断念したほど。

 そのシネコンで、2時間弱の「名作」を観たとする。

 思いの外、感動を手に入れられなかった者は、寡黙になる。

 しかし、「何となく良かった」という感懐を抱いた者か、或いは、それ以上の感動を手に入れたと信じる者たちは、均しく、「最高だ!」と声高に吹聴する。

 「人間の気高さ、誇り、心の奥底に秘めたやさしさ。そう、私たち日本人も気づく時が来た。人はいつだって変われる」(鳥越俊太郎)

 オフィシャルサイトの、このコメントに接したとき、私は思わず吹き出してしまった。

 「私たち日本人も気づく時が来た」などと脳天気な説教を垂れる、見識張ったジャーナリストの、こんな称賛の後ろ盾を持つことで、そこに「本年度ベストワン」という評価が定まる。

 ここに「空気」が形成される。

 この「空気」が、この国の人たちの「共通言語」となり、SNS等々のサロンの場で、薄気味悪い情感を共有するに至るのだ。

 この国では、主にメディアが作り出す「意見」が、大抵「世論」となり、この「世論」が「空気」の主潮を醸成するのである。

 「世間圧」を隠し込んだ「空気」が、一切を仕切っていくのだ。

 都市化による私権の拡大的定着によって、「世間」が解体されてきた現代では、「世論」の趨勢はメディア次第という状況に変容しつつあるから、「空気」の主潮を読み抜く能力だけが特化されていくだろう。

 映像文化のフィールドでは、民主党支持者が占有するハリウッドのリベラル文化人の中で、個人の独立・自治を標榜する共和党穏健派に近い政治スタンスをとり、イラク戦争にも反対したイーストウッドの凛として、揺るがないようなバランス感覚を保持するかの如き、「強き善きアメリカン」の求心力は、「空気」の漂流に身を委ねる多くの日本人には、格好の「憧憬すべきモデル」になるに違いない。

 人間は自分になくて、その補填を求める何かを他者の中に見い出すとき、そこで特定化された他者の存在自身が、眩く映る心理傾向を持つからだ。

 まさに、そのような「憧憬すべきモデル」になり得る、イーストウッドの求心力は絶大なのだろう。

 私も個人的には、イースト ウッドの人格が放つオーラとは無縁に、その凛とした姿勢や政治スタンスには多いに惹かれるものがあるが、彼の映画となると、また別の問題である。

 当然過ぎることだが、私にとって映画評論の尺度は、基本的に「完成度の高さ」にのみ限定されるので、正直、最も厭悪するレフトウイングやリベラルの立場、または、限りなくそれに近い立ち位置にある作り手の作品でも、「完成度の高さ」によって評価し、感銘した内実を記述するようにしている。

 リベラル派が多い文化フイールドを認知しつつも、作り手の政治スタンスなど、私にはどうでもいいことなのだ。

 閑話休題。


「ミリオンダラー・ベイビー」より
正直言って、「役柄限定」の俳優としてのイーストウッドの表現力には大いに不満があり、且つ、彼が演出する映像に関しては、最も評価している「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年製作)を除けば、特段に好悪の感情を持つことはない。

 しかし、本作だけは許容し難いのだ。

 スーパーマン映画に過ぎなかった「許されざる者」(1992年製作)でも不満を抱いたが、「現代版西部劇」の本作に関しては、以下に言及する理由によって、とうてい受容し得るものではなかった。

 かなり挑発的な物言いをしたが、私には本作の「凡作性」を目の当たりにしたとき、なぜ、人々がかくも熱狂する程の評価を、この映画に付与するのか、想像できるだけに、湧昇流のように噴き上がってくる不快感を封印し難かったのである。



 3  物語を補完する性格俳優の欠落によって露わにされた表現力の脆弱さ



 本作は、イーストウッド監督のフィルモグラフィーの中で、恐らく、最も瑕疵の目立つ映画であるというのが、私の率直な感懐である。

 理由は幾らでもある。

 第一に、信じ難いほどに、人物造形が類型化されていたこと。


隣家に住むモン族のタオ少年を基軸にすれば、彼と、彼の従兄たちの救い難い不良グループとの対立軸があり、そのタオ少年に、イニシエーション(通過儀礼)としての「男の生き方」を、身を持って示すウォルト老の、「善・正義」派を基軸にすれば、「遺産目当ての、遠くの打算的血族」と、「結いの紐帯を体現する、近くの家族思いのモン族」という類型化された関係が、あまりに理非曲直性を具現化し過ぎていたと言えないか。

 もっと言えば、不良グループに関しては「類型」にすら届いていなくて、ただ与えられた役割を「演じている」に過ぎないのだ。

 だから、この映画は最後まで、主要な登場人物を含めて、「取って付けたようなわざとらしさ」が異臭を放ち、人間ドラマとしての「深み」を分娩し得なかったのである。

 第二に、ヘビーな「脱出口」に流れ込んでいく「スーパーマン活劇」であったこと。

 これについては、後述する。

 第三に、それでなくても、「役柄限定」の単調な演技しかできないイーストウッドの表現力を、強力に補完する性格俳優を揃えないことによって、残念ながら、「荒野の用心棒」(1964年製作)以来の、イーストウッドの表現力の脆弱さが無惨なまでに露わにされてしまったこと。

 これについては、「許されざる者」のモーガン・フリーマンやジーン・ハックマン、「マディソン郡の橋」(1995年製作)のメリル・ストリープ、更に、「ミリオンダラー・ベイビー」では、同じくモーガン・フリーマンや、決定力ある演技を見せた、ヒラリー・スワンクのようなタフで、圧倒的な存在感を示した俳優が皆無だったこと。

 とりわけ、最も重要な役割を担っているタオの、「演じている」に過ぎない稚拙な表現力(懸命に「演じている」思いが伝わってくるだけに、却って同情心が惹起してしまった)によって、その分だけ負担が増すだろう、イーストウッドの表現力が空回りしてしまったことは否めない。


「俺は、毎日忘れたことがない」と言う程のトラウマを抱えたウォルト老にとって、隣家に住むモン族の人たちとの交叉が、彼の自我に巣食う偏見を希釈化させるに足る一定の清涼剤になった心的過程は了解可能だが、しかし、心にない「悪態の応酬」という交歓の中にあっても、深いトラウマから分娩される「死の陰翳」を、頻繁に喀血するような外的表現ではなく、一瞬垣間見せるような難しい内的表現のうちに拾い上げられていないのだ。

 フィルムに鏤刻(るこく)されていないカットの空洞によって、ウォルト老が背負っているものの重さが、後述するように、単に若いカトリック神父との会話のうちに限定されることで、深いトラウマから分娩される、「死の陰翳」を漂わせるそのシーンだけが却って浮いてしまったのである。

 「省略の表現技巧」の重要性を認知してもなお、このような精緻な描写を挿入しなければ、映像冒頭におけるウォルト老の妻の葬儀シーンに象徴される主題性が、物語構成の中で根源的な提起力を包摂するという意味合いが希釈化されてしまうのである。

 そして第四に、イタリア系移民の理髪店主と、ポーランド系移民の主人公が絡むシーンに象徴されるように、「衰退し、病んだ現代アメリカ」が内包するだろう、人種差別、移民、異文化圏に住む若者の犯罪などという、取って付けたような視座を張り付けた、その狡猾さがあまりに見え見えだったこと。

 それ以外にも文句をつけたい点が多々あったが、ここでは、最も気になった点だけを拾い上げていく。

 それは、二と四に関わることだが、明らかに本作の基幹テーマは、「17歳の少年をシャベルで殴り殺した男」という、「否定的自己像」への贖罪の遂行のうちに収斂されるものであるだろう。

 何より、この基幹テーマの収斂過程が気になるのだ。

 以下、それについて言及していく。



 4  「贖罪の自己完結」としての、「弱者救済のナルシシズム」に酩酊する「スーパーマン活劇」



 ここに、ウォルト老の身を案じる、若いカトリック神父との会話がある。

 そのテーマは、ズバリ、“生”と“死”。

 「“生”と“死”。俺は朝鮮で3年間、それを見て暮した。人を撃ち、銃剣で刺し殺し、17歳の少年をシャベルで殴り殺した。死ぬまで忘れられない。一生、頭にこびりついている。おぞましい記憶だ」

 自己のトラウマについて、「童貞神父」呼ばわりの相手に、率直に吐露するウォルト老。

 「じゃ、“生”は?」とカトリック神父。
 「戦争から生還して、家庭を持った」とウォルト老。
 「“生”より“死”に詳しい」とカトリック神父。
 「そのようだ」とウォルト老。

 そして、今や運転されることがなく、車庫で大切に保管されている72年型の愛車グラン・トリノを、イニシエーションという名目で不良グループに使嗾(しそう)され、嫌々、盗もうとしてしくじったタオとの一件の後、再訪した、「童貞神父」との会話に繋がれていく。

 「心のその重みを軽くしてみたら。戦争は悲惨です。生き残るため、また人を助けるために敵を殺す。私の知らない世界です。しかし、赦しは知っています。犯した罪を神に打ち明け、悔い改めれば人は心の重荷を降ろせる」

 「童貞神父」の真摯な長広舌に反応する、ウォルト老。

 「俺より強い男でも魂の救いを得る。だが、間違いもある」
 「どんな?」
 「命令もされず、自らやったということが恐ろしいのだ」

 このウォルト老の言葉は、相当に重い。

 その重さを、職業意識を越えて受容し得る神父。

 だから、もう等価の言葉を返せないのだ。

 ところが、抑制的だった件の神父が、まるで、「ヤクザ映画」の助っ人を志願するようなアジテーションを放って見せるシーンを、イーストウッド監督は挿入させたのである。


少年の家族が、不良グループに襲撃された事件後のことだ。

 「私がタオなら復讐します。あなたと一緒に奴らを殺す。私だって、彼らを許せない」

 この台詞が飛び出したときは、正直、呆れ返ってしまった。

 懺悔を切に求める神父が、「私がタオなら」という前提付きだが、「あなたと一緒に奴らを殺す」というアジテーションを放って見せる、その心理的プロセスの背景が完全に蹴飛ばされているので、この物言いが本意でないことが理解し得ていても、この神父の存在性が映像総体から浮いてしまっているのである。

 何より、スクリプトが浮薄過ぎるのだ。

 だから深刻ぶった描写の挿入があっても、それが却って、観る者の興を醒ます効果しか生まなかったのは、映像を支え切る芯が脆弱であるからに他ならない。

 それは、ヘビーなテーマを持った劇画のように、良くも悪くも、キャラクター分けされた映像のうちに溶融できないで、その存在自身が、物語のテンポの悪さの一因になってしまっている事実を検証するようなものだった。

 言葉を変えれば、懺悔という重要なセレモニーの「形式性」を、より強調させる効果しかなかったということだ。

 従って、ウォルト老の贖罪のプロセスが、懺悔なしに自己完結してしまう、「弱者救済のナルシシズム」性を際立たせてしまったのである。


この映画は、「粗野な西部劇」への「先祖返り」の一篇だ、と確信したのはそのときだった。

 本作の基幹テーマの構造性は、冒頭における妻の葬儀のシーンが物語の起動点となって、先立たれたウォルト老の「贖罪の自己完結」=「死に場所」を、それ以外にない「粗野な西部劇」の舞台設定の、安直な「借景シフト」の稜線上に手繰り寄せる心象世界を繋いでいくのだ。

 そんな男に対して、この映像は、いとも簡単に、「死に場所」というお膳立てを調(ととの)えてくれたので、展開は殆ど予約済みのラインをなぞっていくだけだった。

 ウォルト老の「贖罪の自己完結」としての「自栽」は、冒頭の妻の葬儀と、神父との会話の中で、観る者は容易に推測できたはず。

 従って、物語は、ストーリーラインの結末までも読解し得るハンディを負うことによって、「驚きのラストシーン」を待つ観客の琴線に触れる、「重厚な括り」というハードな提示の需要に合わせるかのように、「粗野な西部劇」の予定調和のラインを、ほんの少し突き抜けただけの、しかしその本質において特段に代り映えしない、「スーパーマン活劇」としての面目躍如たる、ヘビーな「脱出口」に流れ込んでいくだけだったのである。

 詰まる所、「比較的良くできたテレビドラマ」というカテゴリーを越えられない安直なスクリプトと、「弱者救済のナルシシズム」に酩酊する「現代版西部劇」を演出してしまった、イーストウッド監督の映像構築力の劣化だけが印象付けられてしまったのである。



 5  「本物のファンタジー」と化した「疑似ファンタジー」の映画



 「17歳の少年をシャベルで殴り殺した男」という「否定的自己像」を持ってしまった男は、相手がたとえ、発砲による襲撃を辞さなかった不良グループとは言え、男が朝鮮戦争の際に殺した年齢と違(たが)わない少年たちを殺す訳にはいかなかった。

 それ故、野放しできない不良グループを殺すことなく官権に委ね、「弱者救済」を果たした上で、彼らが放つ弾丸の餌食になる。

 思うに、「贖罪の自己完結」としての「自栽」というラストシーンの括りは、キリスト教的な贖罪の範疇から逸脱している。

 キリスト教の「贖罪のプロセス」とは、心理学的に捉えるならば、「罪悪感の認知」→「告白」→「謝罪」→「善行」→「赦し」という一連の行程を言うだろうが、その行程の遂行は容易ではない。


『ゴルゴファ(ゴルゴタの丘)の夕べ』ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン(ウィキ)

 キリスト教圏では、イエスが人類の罪を負ってくれたことで、人々が心から悔い改めさえすれば、罪を拭うことが可能なのである。

 ある意味で合理的な贖罪観を持つキリスト教文化圏の人々のように、「告白」→「神への帰依」という「贖罪のプロセス」によって一定の軟着点を持ち得るのだ。

 だから、若き日の過誤を、その後の人生で幾らでも軌道修正できるのである。

 現に、男は馴染みの神父の元に行き、形式的な懺悔を済ましているが、朝鮮戦争で負った肝心の罪悪についての「告白」はスルーしているから、「神への帰依」に縋る行為を拒絶したと言っていい。

 それ故、男の懺悔は、これから遂行する行為と本質的脈絡を持たない単なるセレモニーでしかなかった。

 それでも男は、セレモニーを必要としたのだ。

 男の行為は、セレモニーを介して自己確認するに足る由々しき何かだったからである。

 その日、男はイタリア系の理髪店で髭を剃った後、生まれて初めてスーツを仕立てた。

 何もかも自らを新しくしたその脚で、神父の前に立ったのである。

 何十年振りかの懺悔のために。

 前述したように、その懺悔は、殆ど他愛のない形式的なものだった。

 それでも良かったのだ。

 それは、男の曲折的な人生の航跡を最終的に総括することで、自我に巣食う負性の記憶をクリアにし、そこに決定的な区切りをつけ、それを自己確認する何かだったからである。

 そして、男は起動する。


母性に包括されていた影響で、父性的教育を欠損させていたが故に、自分を父親のように慕う少年の変容を見届けて、男は確信的に動いていく。

 何より、その少年を共犯者にさせないために、彼を地下室に閉じ込めた後、そこに鍵を掛け、少年に向かって、男は自我に巣食う負性の記憶を「告白」する。

 このときの少年の反応は、男との「同志」としてのプライドを賭けた、一人の「あるべき闘争者」を立ち上げていた。

 あれほど気弱だった少年が、男の強烈な生きざまに触れるという、これ以上にないイニシエーションの洗礼を被浴したことによって、目眩(めくる)めく変貌して見せるのだ。

 自分の姉を凌辱された悔しさが、少年のモチベーションに深々と張り付いていたとしても、少年の劇的変容は、まさに、男の本来的な生き方を継ぐ「ミニスーパーマンもどき」に化けてしまったという訳である。

 これは、ファンタジー以外の何ものでもない。

 私はそのとき確信した。

 しかしこのファンタジーには、観る者を惹き付ける大団円が待っていた。

 男は殺されるためにだけ「前線」の中枢に立ち、そして、まるで確信的アウトローのように屠られていく。

 そこに、「非暴力」のメッセージが込められているというよりも、「贖罪の自己完結」としての「自栽」という括りによって、自我に巣食う負性の記憶に決定的な区切りをつけるためにこそ、武器を捨てた男は「前線」の中枢に立ったのだ。

 本作は、このシーンを挿入したいための映画だったのだ。

 それは、疑似ファンタジーが本物のファンタジーと化した瞬間だった。

 男が本作の中で心を通わせた東洋系の少数部族たちとの、心理的距離を最近接させることで作り出された〈状況〉こそが、老いたスーパーマンの、それ以外にないヘビーな「脱出行」になっていったのである。


その生きざまは、アジア系の少数部族たちとの異文化クロスの中にこそ、殆ど心理的な距離を隔たった男の血縁との情感薄い関係よりも、「家族の紐帯」を大切にするモン族らとの、深い精神的睦みを特定的に選択した人生が拓いた選択肢だったのである。

 敢えて捕捉的に書けば、本作で評価に値する、汲み上げるべきテーマがあったとすれば、老境にある者にとって、何より大切なのが、「生きがい」というよりも、「居がい」であり、「居場所」の問題であることを示唆した点であるだろう。



 6  「武士道」の美学という爛れ切った情感体系



 それにしても、「死に場所」を求める男の行動傾向は、本作に登場しない、日本人のメンタリティが遍く依拠すると信じる、「武士道」の美学そのものではないか。

 あろうことか、本作のシナリオライターは、どうやら、「武士道」の美学のうちに、俳優生活を閉じると公言した、イーストウッドの映画史的葬儀を溶融させたのである。

 独善的な把握かも知れないが、そう思えて仕方なかった。

 しかも、そのスクリプトを気に入ったイーストウッドが、自らを主役にした映画の演出を仕切っていく。

 そこにはもう、ドロドロのナルシズムが深い澱みを滞留させ、沈んで溜っているとしか言いようがないのである。

 ここまでが、本作の批評的言及。

 ―― 以下、「人生論的映画評論」の視座に立って、本作の批評のバックグラウンドを探る意図を持って、本作とは相当程度切れるが、私の主観的な見解を明らかにしていきたい。

 まず、「武士道」の美学のこと。

 挑発的に言えば、こんな軟弱な国に、「武士道」の美学など、本気で存在すると考えているのだろうか、という疑義を呈したい。

 私たちの国の脆弱な男たちの自我に、「武士道」のDNAが流れていないことは自明である。

 「神」という絶対的な存在によって相対化される内的規範を持ち得ない、私たち日本人の「宗教的空洞」を補填するために、敬虔なキリスト者であった新渡戸稲造が、アメリカのプロテスタントの職業的・日常的倫理観の高潔さに感銘を受けて、1938年にアメリカで刊行し、その著が逆輸入された挙句、ようやく人口に膾炙(かいしゃ)したのが、かの有名な「武士道」(矢内原忠雄訳 岩波文庫)であることは周知の事実。

 あろうことか、その「武士道」のメンタリティが、現代日本に「蘇生」したのだ。



 グローバリズムを全否定し、「論理よりも情緒」、「民主主義よりも武士道精神」の復元を説いた、藤原正彦 (画像)の「国家の品格」(新潮新書)である。

 そこで強調されたのが、有名な「惻隠の情たる仁」。

 しかし、考えてみよう。

 本質的に「忠君」の思想でしかない「武士道」が、支配階級としての武士の間で理想主義的な精神的倫理として定着したと言っても、それが「太平の世」という経済社会的条件が形成されていたからであり、それ故に、「武士道と云ふは、死ぬ事と見付たり」というフレーズだけが特定的に切り取られて喧伝された、「葉隠」という有名な著述が禁断の書であった事実を無視する訳にはいかないのである。

 ところが、「葉隠」を読んだ者には了解済みだろうが、この筆録記録が、緊張感がなくてダラケた生活に甘んじる、当時の武士のマナーを説いたマニュアル本であり、特段に死を美化したものではないのは既に検証されている。

 そんな筆録記録でも封印せねばならない程に、幕府を恐れる藩主らの脆弱さが垣間見えてしまうのである。

 それは、「葉隠」に収斂されるとする「武士道」の精神が、近世において「共通認識」としての規範体系を持ち得なかったことを意味しているのだ。


それ故に、近代社会に入って、「強き日本人」を育成する必要から、曲解された「葉隠」に象徴される「武士道精神」の立ち上げの故に、「死に場所」を求める男の行動規範のモデルを提示せざるを得なかった、時の為政者の苦労が却って透けて見えるのである。

 ところが、「惻隠の情たる仁」を中枢理念の一つとして、遍く日本人の倫理観に定着していたと主唱する「国家の品格」のアナクロ的な登場によって、「経済優先」の戦後日本人が失ったと断じる、「武士道精神」の復活を主唱する大法螺(おおぼら)を信じる男たちのラインが引きも切らず繋がったとき、そこに、自らの知的・情感的・人格的欠損を補填するに足る愚昧な幻想を摂取することで、本来の自己像を隠し込む観念のうちに潜入するブームが出来した。

 「本当は意気地無しで、勝負弱い日本の男」

 多くの日本の男に共通する、その厳然たる自己像を隠し込む観念への潜入こそ、競争圧に弾かれたメンタリティの脆弱さの、その不快なる自己認知からの逃避的巣籠りの方略だった。

 「何者か」に化けられなかった自己像を客観的に認知し得ない男たちは、結局は、ファンタジーのパワーすらも持ち得ないオナニズムに流れていくしかないのである。

 ところで、「国家の品格」の中で強調されたのは、「たかが経済」と言い放って、現代日本人に最も欠落していると断じる「情緒」の復元であり、「情緒」による人々の絆の復元であった。

 しかし、それでなくとも「情緒」の洪水と化し、この国の様々なフィールドで過剰なまでに澎湃(ほうはい)している「情緒」過多な文化を、必要以上に求める時代にあって、これ以上、この国の人々が情緒の洪水で流されていくことが、本当に「美徳」というのか。

 滑稽な話である。

 ジョーク含みで言えば、「武士道精神」のエキスを解剖する中で、「主君」の代わりに「親分」、「切腹」の代わりに「指詰め」という概念の組み換えをすれば、「男の観念」と「力の論理」で武装する、極道の爛れ切った情感体系と変わらないではないか。

 そう言いたくなってしまうのだ。



 7  「現代社会に足りないのは愛と情緒です」―― 情感系ラインの継続力がなお延長されて



 話は飛ぶが、「2010FIFAワールドカップ」での敗北時のエピソードを、私は決して忘れない。

 「敗退決まり泣きじゃくる・・・誰が駒野を慰めたか」

 これは、6月30日配信の産経ニュースの記事の見出し。

 その一部を紹介する。

 「駒野のシュートはクロスバーを直撃して大きくはねた。頭を抱える駒野。そして大会からの敗退が決まると、泣きじゃくった。敗戦は、駒野ひとりの責任ではない。誰が、駒野を慰めたか。

 バーをたたき、上方に大きく弾んだ自らのシュートに、駒野は天を仰ぎ、頭を抱えた。うつむいてセンターラインの仲間のところへ戻る駒野を抱きかかえるようにして迎え、列の中へ招き入れたのは、大会前にその腕からキャプテンマークを剥奪された中沢だった。

 5人目のキッカー、カルドソが決勝のゴールを決めると、歓喜の輪を抜けだし、1人のパラグアイ選手が駒野に駆け寄り、額をすりつけるようにして何かを語りかけた。自身4人目のキッカーとして落ち着いてゴール中央にPKを決めたアエドバルデスだった。おそらくスペイン語だったのだろう。駒野は何を言われているのか分からないはずだが、しきりにうなずいていた。気持ちは通じていたのだろう。

 一番長く駒野の肩を抱いていたのは、松井だった。そして駒野以上に泣いていた。何も言わず、しゃくり上げ、ただただ肩を抱き続けていたようにみえた。そして逆の肩を、阿部が抱いた」(筆者段落構成・誤字修正)

 要するに、PK戦で失敗して泣きじゃくる駒野友一(ジュビロ磐田)を、最初に慰めに行った者が誰か、誰が駒野に、どのように慰め、抱き続けていたか。

 そして、駒野と一緒に誰が泣いてやったか。

 こんなアホな記事を、このオールドファッションのメディアのライターは本気で書いているのである。

 その記事に存分の情感を込めている者の、その内側に張り付くドロドロのナルシズムの薄気味悪さに寒気を覚えてしまうのは、私のような天の邪鬼くらいだろうか。

 繰り返し言及するが、この情感体系こそが、この国の様々なフィールドで過剰なまでに澎湃(ほうはい)しているのだ。

 それが、この国の映像文化を通底している。

 ここからは、映像文化への言及にシフトしたい。


「黄泉がえり」より
いきなりの袈裟斬りだが、「黄泉がえり」、「世界の中心で、愛をさけぶ」、「ALWAYS 三丁目の夕日」、「男たちの大和 YAMATO」などという、「泣かせる映画」のあまりの下らなさ、浮薄さ、馬鹿馬鹿しさ、愚昧さ。

 もうそこに、何某かのコメントを寄せる気力すら奪ってしまうほどの情緒の洪水に、私は今、この国の「映像文化」の「現在性」をフォローしていく一欠片の感情をも失いつつある。

 厳しい銃後を守る母との別れを惜しんで、ストレートに母の胸に飛び込んでいく少年兵が白昼の路傍で号泣し、その号泣を受容する母性が高らかに謳い上げられている。

 苛烈な戦時下にあって、厳しい視線が人々の日常性を囲繞している中で、およそ有り得ないような、感傷過多な描写を執拗に繰り返す佐藤純彌(「男たちの大和 YAMATO」の監督)の映像世界は、殆ど過剰に塗りたくった読み切りコミックと言っていい。


 「ALWAYS 三丁目の夕日」より
「ALWAYS」では、相も変わらず、列車や車を追い駆けて、必死の形相で疾駆するという、「別離の感動譚」の定番的なシーンがべったりと張り付いていて、「さあ、ここで泣いて下さい」という作り手の、如何にも姑息で狡猾なメッセージが厚顔にもぶら下がっている、そのあざとさの極致は紛れもなく、視聴者を愚弄するほどに阿(おもね)った感の深い、三流のトレンディドラマの範疇のうちに収納されていく類のものであった。

 時には、死者を俗世にわざわざ呼び出して、そこで愛の交歓を再確認した後、再び異界に戻すという愚劣さ(「黄泉がえり」)は、比較的まともなファンタジーの快楽のレベルにすら届いていないと断言してもいい。

 不必要な描写と情緒の洪水、そして、およそリアリティを持ち得ない嘘臭い会話の氾濫。

 「僕の映画のテーマは一貫して“真実の愛”。現代社会に足りないのは愛と情緒です」(「産経新聞 ENAK 20068月11日」より)


「長い散歩」より
思わず、「愛と情緒」ではなく、「正確な『知識』と、〈状況〉や自己を相対化し得る『知性』だろ」という突っ込みを入れたくなる、この愚昧なコメントの主は、「長い散歩」(2006年製作 /画像)という駄作の作り手である奥田瑛二。

 見識が疑われる「映画監督」が、またしても一人、この国の映像表現フィールドに加わってしまったらしい。


これほどまでに「情緒」の洪水と化しても、モントリオール世界映画祭 でグランプリ、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞の3冠を受賞した、この「受賞監督」は、「足りないのは愛と情緒です」などと騒ぎたてているのだ。

言うまでもなく、この国の邦画の基調はいつだって「愛こそすべて」であり、「優しさこそ至高の価値」であって、今や、この情感系ラインの継続力に多少の失速が見られるが、それでも、このラインに沿って量産される現実は、なお延長されているのである。 

ついでに書いておこう。

G・ベイトソンと彼の娘との会話についての興味深いエピソードが、ベイトソンの主著・「精神の生態学」(思索社)のメタローグに掲載されているので引用してみたい。


ウィリアム・ブレイク(ウィキ)
G・ベイトソンが、ウィリアム・ブレイクを引き合いに出し、彼が偉大な芸術家であり、凄い癇癪持の持ち主だった話をしたときのこと。

「彼はいろんなことに我慢がならなかったんだな。その一つが、ものに輪郭がないかのように絵を描く描き方だ。そういう絵を描く連中のことを、彼は『ボケ画派』と言ってバカにした」
「あまり寛容な人じゃなかったのね」

娘の反応である。

 この娘の反応に、ベイトソンは厳しく反駁したのだ。

「寛容?そんな言葉をどこで覚えた。学校じゃそういうことを教えるのか。寛容であれと・・・。そうだとも。ブレイクは寛容な人間じゃなかった。寛容でいるのが いいことだとも思わなかった。それは一種の『ボケ』だと思ってた。輪郭をぼやかせ、全部一緒くたのゴタマゼにしてしまうことだと思ってたんだ。どんなネコ も全部灰色にしてしまうんだと。世界がくっきりクリアに見えないようにしてしまうんだと」

咄嗟に娘は、「はい、パパ」と答えたとき、父のベイトソンは、又しても怒りを露わにした。

「『は い、パパ』?何ていう返事だ。返事になっとらんじゃないか。自分の意見は何もありません。パパが何を言おうとブレイクが何を言おうと、そんなことは関係ありません、そういう意味にしかならんぞ、それは『寛容』なんでことを学校で教えるからいかんのだ。だからみんなボケちまって、大事な区別が何もつかんよう になってしまうんだ」

そう言われて、娘は泣き出すに至った。

グレゴリー・ベイトソン
「ゴ メン。悪かったよ。いきなり怒ったりして。お前に怒ったわけじゃないんだ。いつまでたってもきちんと物事考えようとしない人間というものに腹が立っただけなんだ。『寛容』なんてことを言って、物事いいかげんにしておくのが美徳であるかのように教えるやり方にね」

  「寛容」を最も重んじる我が国では、殆ど見られない父子の会話である。

 「寛容」とか「情緒」、「愛」などという当り障りのない偽善的言辞が、「物事いいかげんにしておくのが美徳」のうちに収斂されてしまう我が国の、最も痛い瑕疵を言い当てるかのようなベイトソンの指摘に我が意を得た思いがした。

 それだけのことだが、物事いいかげんにしておくのが美徳」という「空気」の蔓延が、時には、とんでもない「悪徳」と化す事例を見てきているだけに、「寛容」とか「情緒」はもう充分過ぎるほど氾濫しているが故に、「論理的構築力」の形成を常態化し得る時代の到来を願って止まない次第である。





 8  「グラン・トリノ」という映画の求心力





縷々(るる)、「駄目出し」の拙稿を繋いできて、殆どめげる気分だが、ここで掉尾(とうび)の勇を振るって、「グラン・トリノ」という映画の求心力について考えてみたい。

 なぜ、この凡作に日本の映画ファンが雪崩れ込んだか。

 まさに、必要以上に書き散らしてきたように、「現代社会に足りないのは愛と情緒です」などと騒ぎたてている「受賞監督」がいて、そこに氾濫する「情感系映画」が量産され続け、それを観て嗚咽する趣味の人々のラインが切れないからである。

 そして、この凡作の作り手へのファンが、この国だけは特段に多いからである。

 もし仮に、本作において、クリント・イーストウッドが主演することなく、その作り手の名を伏せて公開したとしたら、恐らく、フラットな凡作の評価に終始し、罷(まか)り間違っても、「キネ旬ベストワン」という「絶対記号」を手に入れられなかったであろう。

 それほどまでに、この国の多くの人々に、クリント・イーストウッド監督への殆ど「宗教的崇拝」の如き現象が存在するのである。

 一貫して格好良い男が、間歇的に格好良い映画を作り、稀にその映画の主演を演じるという現象それ自身が、この国では、既に一つの「文化現象」なのだ。

 更に言えば、本作のラストシーンで描かれた、「世間」という「空気」だけを視野に入れた人々の思いが集合する情感パワーが強力な推進力になって、「キネ旬ベストワン」という「絶対記号」の正当性を信じ切る幻想のうちに、そこで描かれた、「死んで詫びる」という「武士道」の美学の幻想に搦め捕られたからである。

 ともあれ、歴史文化的根拠に乏しい「武士道精神」は、曖昧さを残す文化を尊ぶメンタリティで呼吸を繋ぐ人々にとって、格好の情感体系であるに違いない。

 しかし残念ながら、曖昧さを残す文化の致命的瑕疵は、或る意味で、ズブズブの「共依存」の関係を厭わない、脆弱過ぎるメンタリティを保存させてしまうところに求められないか。

 だから、せめて「映画の嘘」の中で、「理非曲直」を身体化する単純な二元論の世界による均衡を保持したいのだろう。

 ウォーギルト・インフォメーション・プログラム(戦争の罪悪感を日本人の心に植えつけるGHQの宣伝計画)によって骨抜きにされたかのような、アイデンティティを求めても掴めない戦後日本人の苛立ちを、巧妙に吸収する文化装置として、単純で分りやすく、予定調和のヒーロー像を作り続ける黒澤明の映画の世界などが、決して末梢的ではない役割を担ったのだろうか。

 そう思うしかないのだ。

 だからこの国では、「グラン・トリノ」が「キネ旬ベストワン」になっても、その完成度において遥かに凌駕するだろう、「母なる証明」(2009年製作)などの作品に、観る者が情感的な丸投げをする現象は絶対に起こらない。

 この国では、仮に「男」を主人公とする場合、成瀬巳喜男監督や今村昌平監督が描いた、からきし意気地がない、「日本の男」の実像と出会うことを毛嫌いし、或いは、作品としての評価が高いにも拘らず、根岸吉太郎監督の「ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~」(2009年製作)などは、シネコンに足を運ぶ推進力に全くならなかったのだ。

 この国では、「脆弱な男」というアンチヒーローは、一貫してアウトなのである。

 ニューシネマ以前の「グラン・トリノ」の製作国がそうであったように、この国が「男」を描くとき、或いは、「男」を描いた洋画を観るとき、その基準は、「格好良いヒーローを観てスカッとするか、それとも、その格好良いヒーローが見事な生きざまを見せて、散って見せるか」のどちらかである。

 そして今、少しずつ、観る者の涙腺を存分に緩めさせる、「愛」と「優しさ」を執拗にテーマとして描く情感系ラインの定番的作品よりも、「格好良いヒーローが見事な生きざまを見せて、散って見せるか」という感動作の方に、ニーズがシフトしているようにも見えるのだ。

 それは、「最悪の現代社会」という大法螺のラベリングの中で、「ラストサムライ」(2003年製作)がそうであったと言わざるを得ない、薄気味悪い情感系ラインの稜線上に、「散り際の美学」であるような、しかし、そこだけは眩く輝く、永遠のヒーロー伝説を仮託したいのだろうか。

 まさに、白人が殆ど去ったデトロイトの小さな住宅街に住み、玄関前のポーチでゆったりとイージーチェアに腰を掛け、1972年型の愛車のヴィンテージ・カーである「グラン・トリノ」を、こよなく愛す偏屈老人ののウォルト老こそ、その格好のモデルであったという訳だ。

 ―― ここまで書いたついでに、生意気な物言いを一言。

 クリント・イーストウッド監督よ、下手なライターに丸抱えされて、「先祖返り」などせずに、「映像作家」としての矜持を希釈化させることなく、人間の根源に迫る作品を構築して欲しいのだ。

 あなたの力量なら可能だからと信じるからである。

(2010年3月)

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