2011年3月30日水曜日

落ちた偶像('48)      キャロル・リード


<複雑な〈状況〉の中に放り投げられ、置き去りにされた少年の悲哀>



1  秘密を守る少年



舞台は、ロンドンの某国大使館。

大使が療養中の夫人を迎えに行って、寂しい思いの息子は退屈を持て余す。

息子の名は、フェリップ。

フェリップ少年は、敬愛する執事のベインズの話を聞くのを楽しみしているが、肝心のベインズは、ヒステリックな妻と険悪で離婚を考えていた。

大使館で働くタイピストのジュリーと、不倫の関係にあったからだ。

ベインズへの愛に生きるジュリーは、報われない恋に疲弊し、辞職を決意した。

苦悩するベインズ。

日曜日。

夫の不倫を疑うベインズ夫人は、外出を装って、大使館内に隠れ忍ぶという策を弄した。

広々としたロンドン動物園・イメージ画像・ブログより
そんな姑息な夫人の策謀を知らないベインズは、爬虫類好きのフェリップを随伴して、ロンドン市内の動物園へ出かけた。

当然、ジュリーも一緒である。

しかし、ベインズにとって、フェリップの相手になる余裕がない。

ジュリーのことだけが気がかりなのだ。

動物園の帰途。

「そろそろ帰って、皆で食事しよう」とベインズ。
「奥さんが怒らない?」とフェリップ。

フェリップにも、二人の関係は周知の事実。

「奥さんが帰って来ない?」

暫く歩いた後、ジュリーは言った。

「まさか」とベインズ。
「昨日のことは?」とジュリー。

ベインズ
二人の逢い引きのことだ。

「坊やも秘密を守ってくれた」とベインズ。
「秘密は守らないと、ダメ?」とフェリップ。
「勿論」とベインズ。
「嫌いな人の秘密も?」とフェリップ。
「そうさ」とベインズ。
「奥さんの秘密も?」とフェリップ。
「そうよ、フェリペ」とジュリー。

これは、物語の布石となる会話となるもの。

大使館に帰宅後、ベインズ夫人からの偽装の電報が届いていた。

実家に泊まるので、2日間ほど帰れないという偽装の電報である。

大使館に泊ることにしたジュリーは、3人で隠れんぼをして遊ぶのだ。

隠れんぼに疲れ、ベッドに入ったフェリップの視界に侵入してきたのは、あろうことか、ベインズ夫人だった。

「あの二人はどこにいるの?」 

嫉妬に狂う夫人は、二人の居場所を執拗に聞いてきた。

答えられないフェリップ。

秘密を守る約束があったからだ。

「何でも知ってるくせに言わないのね。悪い子はお仕置きよ」

ベインズ夫人の憤怒の形相に、恐怖のあまり、涙を浮かべるフェリップ。

物音で部屋から出て来たベインズは、妻と口論した。

ジュリーが泊る部屋を特定し、常軌を逸した振る舞いをする夫人。

金切り声で叫ぶのだ。

「女はここね!どうするか、見てなさい!出て来い!見られない顔にしてやるから!」
「ヒステリーはよせ!」

それを目撃するフェリップは、怖くて、階段を伝わって外に逃げるが、その途中で聞いた夫人の金切り声。

「あの子も許さない!嘘つきで、陰険な悪ガキ!」

震え慄くフェリップは、夫婦の諍(いさか)いを見て、外に逃げて行こうとした。

「事件」が出来したのは、フェリップが外部階段の踊り場から室内を見たときだった。

ベインズ夫人が転落したのである。

「突き落とした!」

フェリップは思わず呟くが、その現場を見ていなかった。

実際は、転落した場面だけを見ただけだったが、傍らに立っているベインズを目視したことで、フェリップはベインズが夫人を突き落としたと思ったのである。



2  真実を話す少年



夜半に、裸足のまま外に出たフェリップは、警官に尋ねられる。

秘密を守る少年は、貝のように押し黙っている。

まもなく、刑事たちによる事情聴取が開かれた。

「なぜ逃げたか言ってごらん。奥さんは留守だったろ?君は何したの?」

刑事たちに囲まれて、フェリップは小さな声で答えていく。

「動物園に行った」
「それから?」
「蛇を見てから帰ったよ」
「それから?」
「食事をしたよ」
「誰と?」
「ベインズと僕と・・・」
「それから?」
「それから遊んだよ」
「何をして?」
「隠れんぼ」
「そう。君が隠れたの?」
「誰も見つけなかった。ベインズのことさ」
「他に誰がいた?」
「誰もいないよ」
「いたんだろう?」

ジュリー
ここでジュリーが、思い余って口を入れた。

「言ってしまいなさい!構わないから」
「まずいよ」
「本当のことを言いなさい!」

刑事の居丈高な声を耳にして、今度はベインズが口を入れた。

「その子たちは関係ありません」

ベインズはそう言って、フェリップに正直に話すように促した。

秘密を守るフェリップの嘘が、却って自分に不利になると考えたからである。

「ベインズと一緒にいたのは誰?」とベインズ。
「姪だよ」とフェリップ。

ベインズはフェリップに、ジュリーを姪と紹介していたのだ。

ここでもフェリップは、ベインズに言われた事実のみを答えたのである。

しかし、この正直な反応は、ベインズと、彼を庇うフェリップの嘘が明らかになる瞬間だった。

「家内は子供を叱ってました」

ベインズの正直な説明に対して、ベインズを犯人と考える警察が信用する訳がないのだ。

「ベインズはやっていないよ。殺していない」

ベインズが犯人であると信じるフェリップの嘘は、いっそうベインズの立場を悪化させるのだ。

「誰も彼が殺したとは言っていないよ。何だと思ったの?」と刑事。
「犯人じゃない」とフェリップ。
「他に犯人がいるから?」
「僕さ。指紋もあった」

このフェリップの嘘によって、刑事はベインズの犯行に確信を持った。

「嘘をつくと、却ってまずくなるわ」

これは、ジュリー。

彼女は、フェリップを部屋に連れて行くときに注意したのである。

「嘘をつき続ければ、信じてしまうさ」

フェリップは、ベインズがアフリカで人を殺したという冗談を信じていたが故に、尚更、ベインズが夫人を殺したと決め付けていたのだ。

だから少年は、ベインズを必死に庇おうとしたのである。

「皆、嘘をつき過ぎたね」

これは、ベインズが連行される際に、自分に寄り添うフェリップに放った言葉。

「でも、アフリカの話は嘘じゃないよね」とフェリップ。
「あれは冗談さ。作り話だよ」とベインズ。
「奥さんは殺しただろう?」

静かに首を振るベインズ。

「妻をあんなにしたのは僕のせいだ。お互いが相手を作るんだよ」
「神様じゃなくて?」
「責任は取らないとね」
「もう、嘘ついちゃダメだよ」

幼気(いたいけ)な少年の言葉が、防衛的な大人の振舞いを突き上げていく。

しかし、事態は、ここから一転する展開を開いていった。

花の鉢に残っていたベインズ夫人の靴の泥が証拠になり、ベインズの無実が証明されたのである。

ベインズの無実の根拠は、ジュリーの部屋を覗こうとした夫人が、花の鉢を倒したときの靴跡の発見によるもの。

ベインズ夫人は花の鉢を倒した際に、足を滑らせて誤って転落したという結論に落ち着いたのだ。

「事件」が否定され、一件落着したのである。

ところが、フェリップは、ここで真実に拘っていく。

「もう、嘘ついちゃダメだよ」というベインズの言葉に、少年は従順に反応したとも言える。

花の鉢の靴跡は、フェリップがベインズ夫人に叱られた際に、危険な場所にいる少年を夫人が連れ戻そうとしたときに残したものだった。

フェリップにとって、今度ばかりは嘘をつかず、自分が経験した真実を話すのだ。

しかし、「事故」という結論に一件落着した大人たちは、少年の執拗な説明に全く取り合ってくれなかった。

最後に真実を話す少年だけが、広い大使館内で置き去りにされたのである。



3  「純粋無垢」のメンタリティによって相対化された大人たちの感覚鈍磨の有りよう



本作は、子供を使って自己保身に走った男が、そこでついた嘘が露見したとき、幾ら本当のことを話しても、自分を疑う警察の疑惑を晴らすことが如何に困難であるかということを描いた映画である。

同時に、自分を必死に庇う子供の嘘の能力の限界を晒すことで、結局、子供に嘘をつかせた当の大人が精神的ペナルティを受けるという話であったが、本作の作り手は、もっと奥深いメッセージを提示していた。

こういうことではないか。

それでもなお、警察に犯人視されているとき、自分が慕うその男を庇い続けようと、子供の浅知恵で嘘をつく少年が、まもなく、その男の無実が証明されても、無実の根拠となった証拠の誤りを正すべく、そこだけは事実を述べても、もう大人たちの誰も、自分の正直の吐露を信じてもらえない現実に跳ね返される悲哀を通して、最後まで、周囲の「善良」な大人たちに翻弄される少年の不幸をリアルに描き切ったことである。

要するに本作は、無難な軟着点に辿り着くことのみで〈状況〉を処理する大人たちの感覚鈍磨の有りようを、子供の「純粋無垢」のメンタリティによって相対化した一篇であった。



4  複雑な〈状況〉の中に放り投げられ、置き去りにされた少年の悲哀



嘘には三種類しかない。

「防衛的な嘘」、「効果的な嘘」、それに「配慮的な嘘」である。

己を守るか、何か目的的な効果を狙ったものか。

それとも、相手に対する気配り故のものかという風に分けられよう。

キャロル・リード監督
本作では、この「己を守る」という「防衛的な嘘」に走る男が、束の間、少年との間に「秘密の共有」を形成した。

この映画で興味深いのは、この「秘密の共有」について、示唆深いメッセージが付与されていることである。

「愛人隠し」の現実を守るために、幼気(いたいけ)な少年と交した「秘密の共有」が、事件によって警察の事情聴取を受けたとき、根柢から自壊していくのだ。

なぜなら、この「秘密の共有」は、単に「愛人隠し」に関わる共有でしかなかったからである。

それに関わる最も重大な事件についての「秘密の共有」が、少年と男との間で形成されていなかった。

少年は男を犯人だと信じるが故に、男を庇おうとする。

しかし、庇おうとすればするほど、少年の嘘が警察に察知され、男をますます窮地に追い遣られていった。

その時点で、男の愛人は、少年に本当のことを話すように求めるが、これが却って裏目になる。

男の無実が晴らされたとき、少年は、その証拠が事実でないことを必死に警察に弁明するのだ。

ここに至って、少年は、事実を有りの儘(まま)に話そうとしたからである。

事実を有りの儘(まま)に話すことを、男と男の愛人から促されたからでもある。

しかしもう、全て終わっていた。

少年だけが置き去りにされた物語が、呆気なく閉じられていくのである。

「事件」であると信じた警察にとって、それが単なる「事故」に過ぎないと分れば、もうそれ以上詮索する価値など存在しないのだ。

男と男の愛人にとっても、自分たちの愛が近未来に延長されるなら、「事故」についての詳細な経緯などどうでもいいことなのである。

かくて、事実を有りの儘(まま)に話すことを促され、それについて、初めて正直に話す少年だけが置き去りにされるに至ったのである。

「防衛的な嘘」に走った大人が、子供と交した「秘密の共有」が如何に脆弱であるかということ。

そして、最も肝心な事実ついての「秘密の共有」を形成していなかったということ。

即ち、本作は、このような複雑な〈状況〉の中に一人の少年を放り投げ、そこで少年に初めは嘘を、そして、それが有効性を持たなくなったとき、今度は真実を語ることを求めるという、殆ど困難なテーマを突き付けたのだ。

だから、最後だけは事実を語る少年だけが無惨に置き去りにされ、複雑な表情を見せるラストシーンに繋がったのである。

(2011年4月)

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