人生論的映画評論
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吉村公三郎
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2010年9月16日木曜日
源氏物語('51) 吉村公三郎
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源氏と 若紫 <母性的包容力の内に収斂されていく男の、女性遍歴の軟着点> 1 受難の文学としての「源氏物語」 ―― その解放の雄叫び 日本近代史の中で、「源氏物語」は受難の文学だった。 「庶民感覚から遊離した『有閑階級の文学』」という理由で、プロレ...
2010年9月11日土曜日
夜の河('56) 吉村公三郎
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<「色彩が彩る純化した映像による実験作」という隠し味> 1 「深紅」に燃えたスポットからブルーの海での心理的距離 ―― 本作の三つのシークエンスの特定的切り取り① 本作は、三つのシークエンスによって説明できる映画である。 ―― 一つ目は、男と女が初めて...
2010年9月8日水曜日
偽れる盛装('51) 吉村公三郎
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<浮薄な感傷を突き抜けた、「世界を分ける踏切」の構図という主題提起力> 1 「男に踏まれても、それを跳ね返す女の強さ」を身体表現する、京マチ子の圧倒的存在感 邦画界の狭隘な縛りを抜けて、作家的主体性を貫徹するために松竹を退社した新藤兼人が、吉村公三郎らと作った...
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