2009年6月3日水曜日

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)('07)  若松孝二


<『実録』の名の下で希釈化され、削られた描写が照射した『事件』の闇の深層>



 1  深々として底が見えないイデオロギー濃度



 「TV局が大きな予算を組んで、宣伝CMをバンバン流してね。それで癌で死ぬ人なんかを主人公にして、悲しい音楽をジャジャーンと流して、お涙頂戴をやっている。そんな作品ばかり。志がないですよ」(「若松孝二 単独インタビュー/2008年3月17日・銀幕ナビゲーション 喜多匡希」より )


 本作を評価する点があるとすれば、作り手のこのような志を具現化したとも思える表現世界を通して、現在のユルユル系の情感映画全盛の時代に一石を投じたその確信的な挑発の姿勢、態度によって、35年前へのタイムトリップを見事に果たし得た映像の力技それ自身の凄味であり、且つ、そんな作り手が鍛え上げた若い俳優たちのリアルな演技の見事さであると言っていい。そこに、厳冬の上信越の想像を絶する風景を再現した、本作の撮影スタッフのプロ根性を加えても構わないだろう。

 しかし残念ながら、本作を評価する点はそれ以上のものではなかった。

 丸ごとイデオロギーに浸かった作り手が、その狭隘で確信的な視座によって時代を捕捉するとき、時代の澎湃(ほうはい)の只中で、そこに関わる極めて世俗的な文化事象の一切や、そこに依拠するごく普通の人々の生活感覚を剝落(はくらく)させ、その時代を特定的に削り取った末に残した理念系の文脈だけを拾い上げ、それを繋ぎ合わせた世界にのみ「状況性」を認知する観念世界の中にあって、そこだけは歴史のエポックメイキングと信じたに違いない忌まわしい事件の深奥部に、過剰な人間的情感を抱懐することで肉薄したと把握するその態度は、もう充分に宗教性を帯びていた。

 この事件を考えていく上で、そこで削り取ったものこそが、ある意味で時代を象徴する大事な何かであるにも関わらず、本作はそれらを最もジャンクなものとして、確信的に捨てていくことによって手に入るだろう観念的価値を信じるほどに、深々として底が見えないイデオロギー濃度=宗教性を帯びてしまったのである。


 ―― 以下、それを含めて事件の闇の本質と、その事件を描いた映像の落差について言及していきたい。



 2  シンプルな倫理学に委ねる安直さ



 「実録」と銘打った物語の後半のクライマックスである、「あさま山荘」を描いた一連のシークエンスから掘り起こしたい。

 
あさま山荘
あまりに著名な事件だから詳細な説明は省くが、そこに5人の「革命戦士」がこもっていたことは、当時を知る者には鮮明な記憶をなお残しているだろう。

 ただその山荘の中の「革命戦士」たちの動向について知る者は、当事者以外にはいないはずだ。その当事者が後に執筆した資料もあるが、ここでは映像のラインのみでフォローしていきたい。

 「今日、板東は作戦中に、配給以外の食料を食べた。これは、この銃による殲滅戦において、極めて重大な軍規違反である。自己批判を求める」

 初めての国家権力との「殲滅戦」の緊張感の中で、吉野雅邦は坂東國男の「盗み食い」を批判し、その総括を求めた。

 「いや、作戦行動では一定程度の自主性は容認されている。それが重大な結果を招くものでない限りは作戦中の食料補給は個々の自由に任せるべきだ」と板東。
 「俺たちは革命的規律を求めて、同志たちに総括を要求したのではなかったのか。あんたが食べたクッキーこそ反革命の象徴なんだよ!」
 「今、戦時中だ。敵と戦っているんだ!やっと本物の敵と戦っているんだよ!バカバカしい。クッキーに革命も反革命もあるか」
 「何だと!あんた、それで同志に顔向けできるのか!自己批判しろ!自己批判しろ!」

 そう叫ぶや、吉野は板東に銃を向けた。

 「何のためにここまで来たんだ!銃は権力に向けろ!」

 ここでの指揮官である坂口は、吉野の構えた銃口を塞ぎ、振り返って板東に自己批判を求めた。

 険悪な空気を感受した板東は、短い沈黙の後、自己批判の言葉を結んだ。

 「任務中につまみ食いをしたこと自己批判します。これからは革命的規律を守り、団結を固くし、殲滅戦を最後まで戦い抜きます」

 その後、3人の幹部は人質の管理人夫人に、警察の側に付かず、彼らの立場に付かず、中立を守ることのみを求めた。

 「警察と戦うって、どういうことですか?」と夫人。
 「革命を起こすんです」と板東。
 「革命ですか?」との反問に、「この日本社会を根本から作り変えるんです」と板東。
 「あなただって、日本がこのままで良いとは思わないでしょ?」と吉野。

 まもなく「殲滅戦」の最後の戦場と化す部屋に、厳冬の朝の外光が差し込んで来た。

 戦士として自らを立ち上げて行く5人の若者が、静かに最後の食事に向かおうとしていた。

 「同志たちにも食べさせてやりたかったな」と板東。殲滅戦を前に、手に持ったおにぎりを見つめて一言。
 「流れたあいつらの血を受け継ぐのが俺たちの戦いだ。俺たちの借りは死んだ同志たちにある。この借りを返すには…」と坂口。
 「落とし前をつけよう」と吉野。

 その瞬間だった。

 言葉を結ぶことのなかった16歳の少年が、突然、叫んだのだ。

 「何、言ってるんだよ!今更、落とし前が付けられるのかよ!」

 空気を劈(つんざ)くような叫びに、他の者の視線が注がれた。


 「俺たち皆、勇気がなかったんだよ!俺も!あなたも!あなたも!坂口さん!あんたも!勇気がなかったんだよ!勇気がなかったんだよ!勇気がなかったんだよ!」

 最初に板東が、次に吉野が、そして最後に坂口が、少年の涙の糾弾を受け、そこに何の反応もできずに少年を見据える連合赤軍の幹部がいた。

 その直後に、轟音(ごうおん)と共に開かれた、最初にして最後となった「殲滅戦」。

 そして彼らが開いた10日間に及ぶ「殲滅戦」が、予約されたかの如き国家権力による突入作戦によって、次々に捕捉される5人の戦士たち。

 映像がそのあと映し出したのは、浅間山の眩い白を借景に、廃屋と化した戦場の黒に刻まれた、国家権力の武装の実態であった。

 以下の通り。

 「動員された警察官・機動隊員 1635名。
  死亡者 機動隊員2名・民間人1名。
  負傷者 27名。
  警察が使用した火器類 催涙ガス弾3126発。発煙筒326発。ゴム弾96発。現示球――照明弾の
  一種――83発。放水量15・85トン」


 そして、映像のラストシーン。

 
森恒夫
森恒夫の表情が大きく映し出されている。

 「1年前の今日、なんと暗かったことか。この1年間の自己をふりかえると、とめどなく自己嫌悪と絶望がふきだしてきます。方向はわかりました。今ぼくに必要なのは、真の勇気のみです。はじめての革命的試練。――跳躍のための  森恒夫」

 ここでエンディングクレジットが表示され、映像が閉じていった。

 「勇気がなかった」

 この一言が、言いたいがための映画だった。正直、唖然とした。

 本作を事件の総括と括って構築したはずの作り手の映像世界の逢着点が、果たして、この一言の内に収斂されるほど事件は単純なものであったのか。

 「愛」、「平和」などという言葉と同様に、「勇気がなかった」という使い勝手のいい言葉の持つ「決定力」は、今や、そこに手垢が付くまでに凡俗化し、そこに込められた肉感的な内実を剝落させてしまっているだろう。

 どのような困難な事態にでも自在に使用できるというその一点において、まさにその言葉の空洞感の不毛さが露わにされてもなお、このような観念に逢着点を見出す以外にない本作の流れ方は、一切をシンプルな倫理学に委ねる安直さと一線を画す何ものも存在しないと言っていい。

 事件の闇の本質の人間学的な読解に達し得ないが故の、その人間学的な把握に関わる驚くほどの底の浅さ、甘さ、音痴ぶりを印象付けるあまりにアバウトな逢着点 ―― そこにこそ、この事件の直接的な関与者と、後に事件そのものを解釈しようとする者たちが露呈した理念系の暴走が、垣間見えてしまう危うさが伏在すると思えるのだ。



 3  連合赤軍というダブルバインド 



 私が思う所、事件の本質は「殲滅戦」の具現化とその勝利のために提示された、「共産主義化論」などという理念系の極端な暴走を招来し、それを「総括」と称して同志に迫っていく一連の身体化の行程を開き、そこで開かれた負の連鎖、即ち、最高指導者の恣意性に委ねられた「総括」の達成を認知されない者は、例外なく「敗北死」に至るという運命から逃れられない「負の自己未完結」(筆者の造語だが、ここでは永遠に「総括」が終焉しないという意味)の世界に嵌ってしまうのである。

 強大な国家権力との「殲滅戦」を勝ち取るためには、「完全なる共産主義化を達成した真の革命的人間」の立ち上げが不可避であるという把握は字義的には了解可能だが、別に「共産主義化」された「特別なる者」=「前衛」でなくとも、「完全なる人間」という言葉にイメージされる存在の具現化とは、私たちが「神」と呼ぶ「超越なる何者か」以外に想念し得ないことを思うとき、「人間に空を飛べ」という類の、その幻想の暴れ方に慄然とするばかりである。

 その突飛なまでの観念的跳躍 ―― そこに事件の暗部に潜む悲劇の全てがあったと言っていい。

 このような絶対命題を克服する手立てがあるとしたら、その際立って乱暴で、オプティミスティックな人間観を相対化することで、「総括」の概念に具体的で、合理的な手法を導入する以外にないだろう。


しかし、それは主に上州の厳冬に作られた閉鎖的で、自分たち「革命戦士」以外に敵の存在しない状況下では殆ど困難なテーマであった。だから仲間の呼吸音が伝わってくるほどに、各自の「パーソナル・スペース」が解体されていた彼らには、自らの呼吸音を、その基準が全く不分明な「総括」の対象人格にならない程度において、常に柔和化させておかなければならなかったのである。

 しかも、その状況を支配する「最高指導者」という名の「箱庭の帝王」が存在してしまったとき、その空間は「箱庭の恐怖」を容易に作り出してしまうだろう。


 その辺りの問題点は、「『連合赤軍』という闇 ―― 自我を裂き、削り抜いた『箱庭の恐怖」」という拙稿の中で言及されているので、少し長いが、以下、その一部を引用する。


 「最高指導者によって提起された『共産主義化論』は、それがどのような理論的枠組みを持っていたにせよ、本質的には、最高指導者の権威と権力を強化していく方向にしか動かないのは自明である。何故なら、『共産主義的人間』のイメージは、ある特定の個人の観念の恣意性に依拠しなければ、そこに統一的な把握が困難なほどに漠然としたものであるからだ。

 『殲滅戦』の思想は、当然、『軍』の創設を必然化し、『軍』の創設は強力な上意下達の臨戦的な組織を要請する。山岳ベースは、この要請に応える形で構築されたのだ。この状況下で提起された実践的テーゼは、それを提起した最高指導者の観念の恣意性に全面依存する以外にないのである。

 有体に言えば、最高指導者が白と言えば白になり、黒と言えば黒になってしまうのだ。最高指導者の正義こそ組織の正義であり、『軍』の正義なのである。

リンチ事件が惹起した榛名山の遠望
『共産主義化論』の登場は、本人がそれをどこまで自覚していたかに拘らず、最高指導者を神格化する最強のカードであったのだ。最高指導者としての森恒夫の変身は、自らが出したカードの効用の加速化と軌を一にして成ったものと見ていいのである。

 (略)

 最適密度が崩れた小宇宙に権力関係が持ち込まれ、加えて、『殲滅戦』の勝利のための超人化の達成が絶対的に要請されてくるとき、その状況は必ず過剰になる。

 その状況はいつでも沸騰していて、何かがオーバ-フローし、関係は常に有効攻撃距離の枠内にあって、その緊張感を常態化してしまっている。

 人間が最も人間的であることを確認する手続き、例えば、エロス原理の行使が過剰な抑圧を受けるに至って、若者たちの自我は解放への狭隘な出口すらも失った。

 この過剰な状況の中で、若者たちのエロスは相互監視のシステムに繋がれて、言語を絶する閉塞感に搦(から)め捕られてしまったのである。

 (略)

 森恒夫に象徴される、連合赤軍兵士たちが嵌ってしまった陥穽は、理念系の観念的文脈、及び訓練された強靭な身体の総合力によって、人間のドロドロした欲望が完全に取り除かれることができると考える、ある種の人間の自我に強迫的に植え付けられた、それもまた厄介な観念の魔境である。

 まさしく、それこそが唯物論的な観念論の極致なのだ。その人間観の度し難き楽天主義と形式主義に、私は殆ど語るべき言葉を持たない。

 彼らが要求する『総括』というものが、本来、極めて高度な客観的、分析的、且つ知的な作業であるにも拘らず、彼らの嵌った陥穽はそんなハードなプロセスとは全く無縁な、過分に主観的で、感覚的な負の連鎖の過程であった。

 (略)

 森や永田は、総括を要求された者が、『死の恐怖』を乗り越えて、自己変革を達成する同志をこそ、『共産主義的人間』であると決め付けたが、では、『死の恐怖』からの乗り越えをどのように検証するのか。

 また、そのとき出現するであろう、『共産主義的人間』とは、一体どのような具象性を持った人間なのか。


 『総括』の場に居合わせた他の同志たちの攻撃性を中和し、彼らの心情に何某かの親和性を植えつけることに成就した心理操作の達人こそ、まさに『共産主義的人間』であって、それは極めて恣意的、人工的、情緒的、相対的な関係の力学のうちに成立してしまうレベルの検証なのである。

 要するに、指導部に上手く取り入った人間のみが『総括』の勝利者になるということだ。

 しかしこれは、本来の人柄の良さから、森と永田に適正なスタンスをキープし得た植垣康博のみが例外であって(それも状況の変化が出来しなかったら、植垣も死出の旅に放たれていただろう)、『総括』を要求された他の若者たちは、このダブルバインドの呪縛から一人として生還できなかったのである。

 『12人の縛られし若者たち』を呪縛した『ダブルバインド』とは、こういうことだ。
 
 遠山のように、知的に『総括』すれば観念論として擯斥(ひんせき)され、加藤のように、自らの頭部を柱に打ちつけるという自虐的な『総括』を示せば、思想なき感情的総括として拒まれるという、まさに出口なしの状況がそこにあった。

 そのことを、彼らの極度に疲弊した自我が正確に感知し得たからこそ、彼らは、『生還のための総括』の方略を極限状況下で模索したのである。

 (略)

 森と永田は、『総括』を求められた者が自分たちの命令通りに動くことは、『助かりたい』という臆病なブルジョア思想の表れであると決めつけた挙句、彼らに『総括』のやり直しを迫っていく。指導部の命令を積極的に受容しなかったら利敵行為とされ、死刑に処せられるのである。

 『12人の縛られし若者たち』が縛られていたのは、彼らの身体ばかりでなく、彼らの自我そのものであったのだ。

 この絶対状況下での、若者たちの自我の崩れは速い。
 
 
森恒夫逮捕
あらゆる選択肢を奪われたと実感する自我に、言いようのない虚無が襲ってくる。生命の羅針盤である自我が徐々に機能不全を起こし、闇に呑まれていくのだ。『どんなことがあっても生き抜くんだ』という決意が削がれ、空疎な言動だけが闇に舞うのである」


 ―― 以下、上述した拙稿の要諦をまとめてみる。

 要するに、本来の敵である国家権力の姿の片鱗も見えない厳冬の山奥に軍事基地の拠点を作り、そこに集合した志を同じにする仲間たちが、最高指導者によって自己に課せられたテーマは、完璧なる「共産主義的人間」であったということ、これが全てだった。

 それは、ごく普通の人間的欲望の具現化はおろか、欲望それ自身を否定する絶対命題の獲得であった。

 およそ不可能な命題の獲得を、その身体がこのような特殊で閉鎖的な状況下で日常化するには、人間の普通の心の緩みの欠片すらも決して見せてはならない厳しい自己抑制と、それによる身体化のプロセスを、他の同志たちに四六時中開いていく努力なしには成立しないものだ。

 しかし集団の中に「箱庭の帝王」が君臨し、その恣意性によって総括の可否が決定付けられという絶対的な権力関係が形成されてしまうとき、恐らく、空を飛翔するスーパーマンでもない限り、このような閉鎖的状況から脱出する糸口を見つけることすら不可能であるに違いない。

 閉鎖的空間があって、そこに箱庭の帝王が君臨し、且つ、その帝王によって命じられた「総括」という絶対命題を求められてしまうとき、国家権力の影すら見えない脱出不能な厳冬の山奥では、本来の共通の敵に向かって団結せなばならない同志たちそれ自身が、自らの敵となってしまうという究極のパラドックスとも言える、極限的な精神世界が開かれてしまうのである。

 果たしてそんな状況下で、「勇気」の問題が可能であったか。考えるまでもないことである。

 恐らく、人間がこのような極限状況に捕捉されてしまうとき、このような爛れた様態が具現化してしまうのは避けられないであろう。だからこれは、人間それ自身の脆弱さの問題であり、それ以外ではないのである。

 「勇気がなかった」

 字義通りに言えば、その通りである。

 然るに、それは健全な自我が健全に機能するときにのみ発動し得る心理であって、勇気を持ち得るような自我の状態が最初から全く作り得ない状況下では、恐らく、この事件が出来した結果を招来する危うさだけが暴れてしまうのだ。

 
永田洋子逮捕
それが人間である。そんな人間の本来的な有りようを理解し得ない者は、この事件の本質に永遠に迫れないであろう。そう思うのだ。


 ここに、前記の拙稿の中で筆者が整理した表があるので、それも参考にして欲しい。


 〔総括という名の自我殺しの構造〕(連合赤軍というダブルバインド)


           組織の誕生と殲滅戦の思想の選択
           (序列の優位者と下位者への分化)
                  ↓
 「箱庭状況の出現」= 山岳ベースの確保と革命戦士の要請
           (「共産主義化論」の下達)
                  ↓
 「箱庭の帝王の出現」=「共産主義化論」による「総括」過程の展開
                  ↓
           「総括」過程の展開によるプライバシーの曖昧化
              (個と個の適性スタンスの解体)
                  ↓
 「箱庭の恐怖の成立」=有効攻撃距離の日常的設定による
               暴力的指導の出現
                  ↓
 「箱庭の恐怖の日常化」=序列の優位者と下位者間の緊張の高まりと、
            自我疲弊によるアウト・オブ・コントロールの日常化
                  ↓
    卑屈さの出現(下位者→優位者)と支配力の増強(優位者→下位者)
    
            最強のダブルバインドの成立
      (Aしか選択できないのに、Aを選択させないこと、或いは、
        あらゆる選択肢の中からいずれをも選択させないこと)
 


 4  「実録」という名の映像のトリック 



浅間山荘 2009年(ウィキ)

 「あさま山荘事件」(画像)の被害者の方には、不穏当な表現に聞こえるかも知れないが、「あさま山荘」は、〔総括という名の自我殺しの構造〕の表を含む、以上の言及の中で繰り返し言及してきたように、山岳ベースでの、「そして誰もいなくなる」という極限状況からの少しばかりの解放感と、そしてそれ以上に、同志殺しの絶望的ペシミズムに搦(から)め捕られてしまった自我に、身体跳躍による一気の爆発を補償する格好のステージであったはずである。

 本稿の冒頭で映像におけるその一部のエピソードを紹介したように、国家権力との「殲滅戦」を必死に戦う「残されし者たち」が構築した、この国の殆ど全ての人々の視線を釘付けにした「あさま山荘」という名の「前線」での、底を突き抜けていくかの如き果敢な躍動の描写を、権力側からではなく、まさに「残されし革命戦士」の側からの視座によってのみ「再現」した映像が、そこに堂々と踊っていた。

 しかし映像の勝負を賭けたこの描写の嘘くささは、16歳の少年に「勇気がなかったんだよ!」と叫ばせてもなお、事件の闇を全く相対化し得ないほどに、そこだけは作り手の過剰な情感だけが暴れ回っていて、「実録」のベールを見事に剥いでしまったのである。

 多くの観客をして、本作への評価において、「恐ろしかったけれど、感動した」という類の感懐を言わしめるほどに、この最終局面での「戦争」の描写は鮮烈であり、革命戦士たちが結んだ言葉は充分過ぎるほど「格好」良かった。

 以下は、疑心暗鬼と恐怖感に捕われた人質の管理人夫人に対して、「中立」を約束してもらうために、真情を吐露して静かだが、しかしどこまでも熱っぽく語った3人の幹部の言葉。

 「警察はさぞあなたの身を心配しているかのように言っていますが、彼らの狙いは我々です。彼らの本当の狙いは、我々から革命という政治目的と、社会意識を奪うことにあるんです」(吉野)。

 「もし奴ら(警察権力)が強行したら、我々は全力を持ってあなたを守ります」(坂口)、

 「革命を起こすんです。日本の社会を根本から作りかえるんです」(板東)


 全く文句のつけようのない「革命戦士」の、その本来的な理想主義者としての面目躍如といった所である。

 それにしても、好むと好まざるとに関わらず、敢えてこのような描写を必要とせねばならないほどに、彼らが加担した「同志殺し」の闇の深さを感受せざるを得ないのである。


 ここに、一冊の本がある。

 著書の名は、「連合赤軍少年A」。その副題は、「我々は『恐怖』に支配されていた」。

 その著者の名は、加藤倫教(みちのり)。

 当時、「あさま山荘」にこもって「殲滅戦」を開いた19歳の少年兵士である。周知のように、「総括」という名で、長兄を山岳ベースで殺害されるに至った、加藤3兄弟の二男に当たる人物でもある。

 本稿では、その著書の中から、「あさま山荘」での「殲滅戦」に関わる記述を引用する。

 十日目の二月二十八日のこと。

 事件の最終日に関わる以下の記述が、そこに闘争気分が萎えていく思いを乗せて、生々しく再現されていた。


 「下に降りてくると、途端にガタガタと体が震えだした。それまで警察の攻撃に応戦する緊張感で気がつかなかったが、体中びしょ濡れだった。外気の温度は零下十数度と報道は伝えていた。

 あさま山荘事件
下へ降りるまでの間に、私たちの発砲で二人の幹部警察が死亡したということを、ラジオをずっと聞いていた坂口から聞かされていた。坂口は、『やった。警察を殲滅したぞ』と言って、前線にいる四人にニュースを伝えたのである。

 私は十二人の同志たちに対して厳しい『総括』を要求し、死に追い詰めた永田や森に追随してきた自分の責任を果たすという意味で警察と対峙している今、闘わねばならないと思っていた。

 警察に向けて引き金を引くことに躊躇はあったが、やるしかないと思った。

 だが、二十一日にニクソン米大統領が中国を訪問し、世界情勢は大きく変わろうとしていた。

 私や多くの仲間が武装闘争に参加しようと思ったのは、アメリカがベトナム侵略の加担することによってベトナム戦争が中国にまで拡大し、アジア全体を巻き込んで、ひいては世界大戦になりかねないという流れを何が何でも食い止めねばならない、と思ったからだった。私たちに武装闘争が必要と思わせたその大前提が、ニクソン訪中によって変わりつつあった。

 
――ここで懸命に闘うことに、何の意味があるのか。もはや、この闘いは未来に繋がっていかない・・・・・・。

 そう思うと気持ちが萎え、自分がやってしまったことに対しての悔いが芽生え始めた。

 屋根裏から下に降りてからは、私はもう警察と闘うことはしなかった。

 兄が死に、私が逮捕されれば重罪であることは確実だった。せめて弟だけは早く親元に帰したい。弟が重罪に問われるような行動をとらないためにも、早くこの『闘い』が終わって欲しいと願った。(略)

 私は正しい情勢分析をすることができなかったのだ。自分が立ち上がることで、次から次へと人々が革命に立ち上がり、小から大へと人民の軍隊が成長し、弱者を抑圧する社会に終止符が打たれる。そんなことを主観的な願望だけで夢見ていた。

 その自らの浅はかさ、未熟さを思い知り、自分を叩きのめしてやりたいほどの悔しさを感じていた。だから、逮捕され、引き立てられて行くことには何の感慨もなかった。

 ただ、せめて正義を実現する社会を夢みた志だけには誇りを持ち、毅然と歩こうと考えたのだった」


 「十二人の同志たちに対して厳しい『総括』を要求し、死に追い詰めた永田や森に追随してきた自分の責任を果たすという意味で警察と対峙」し、「闘わねばならない」という感情を必死に自給しつつも、その実、闘争意識がすっかり失せた思いを認知し、今はひたすら弟の身を案じる、19歳の末端の兵士がそこにいた。


更に、「あさま山荘」事件の最高指導者であった、坂口弘の著名な手記からも引用したい。

 寡黙な「革命戦士」を彷彿させる彼が、人質の夫人に対して、必ずしも最も倫理的で柔和な対応をした訳ではない事実を確認しておきたい。


 「私は、窓際のソファーに夫人を押し倒した。誰かが炬燵(こたつ)カバーを夫人の顔に被せようとしたが、夫人は頭を振ったり、手で払ったりして嫌がった。

 私は、それを止めさせ、
『彼女の気持ちが分からないから縛っておく』
 と板東君らに言い、夫人を北側から二番目のベッドに連れて行き、上段と下段のベッドを連結した梯子に縛り付けることにした。

 夫人は、体を海老のように折り曲げて嫌がった。グニャッとして、扱い難かった。夫人は、突然の出来事を、現実なのか、幻覚なのか、いずれとも判別しかねるといった感じで、表情に恐怖と笑みが交互に現れた。

 ようやく梯子(はしご)の背を凭(もた)せかけ、脚を前に伸ばして坐らせた。私はベッドルームにあった洗濯用紐を使って、最初に夫人の左、右上腕を梯子に縛り付け、次に後ろ手にした両手、そして両足、足首、両膝と順次縛って行った。

 緊縛が終わると、これもベッドルームにあったハンカチを丸めて夫人の口の中に入れた。だが、夫人が激しく嫌がったので、すぐ取り出し、代わりに猿轡は緩めにしたが、すぐはずした。残酷に思えたからである」(「あさま山荘1972・(下)」彩流社刊/筆者段落構成)


 
以上の記述で明らかなように、人質となった夫人に対する「革命戦士」の態度が、映像で描かれたような、際立ってモラリスト然とした立派なものではなかったということだ。

 坂口は「夫人の左、右上腕を梯子に縛り付け、次に後ろ手にした両手、そして両足、足首、両膝と順次縛って行った」事実は、「実録」と銘打った映像では全く再現されていなかった。

 坂口は夫人を緊縛したのである。確かに、緊縛を解いた2日目以降、夫人に対する対応には硬質的な態度が消えていたが、当事者である彼の手記には、夫人を「人質」として見ていた事実が窺われるのである。

 当然の如く、夫人も又、恐怖感の中で、彼らを怒らせないように相当の配慮をしていたことが読み取れるが、しかし、「中立」を約束させられた後の夫人の心から、少なくとも、命の保証だけは得たという安心感があったのは事実らしい。但し、夫人が山荘の外からの家族の呼びかけに対して、その度に涙を流していたという記述が、坂口の手記の中に記録されていた事実を書き添えておく。勿論、映像の中にこの描写は挿入されていなかった。

 その辺りの描写には、私には微妙な誤差が感じられて、この「あさま山荘」内での非日常のシークエンスは、「寡黙なる革命戦士」を多分にイメージさせる坂口弘のリーダー像を、象徴的に浮き彫りにさせる意図を内包させているように思えてならないのだ。もし「森、永田」ではなく、坂口が組織を仕切っていたなら、山岳ベースの凄惨な同志殺害が回避されたのではないかという含みが、ここでのシークエンスに表れているように垣間見えてしまったのである。

 例えば、「あさま山荘」内で、菓子のつまみ食いをしていた板東に対して「総括」を求めた吉野が、開き直った板東の反応に激昂し、銃を突き付けるシーンがあったが、これを坂口が制止し、板東に自己批判させたあと、幹部三人の微妙な関係があっさりと修復されるという印象的な描写が挿入されていた。実際にこのエピソードは存在したが、しかし銃を突き付けるなどという大袈裟な話でなかったことは、坂口の手記から確認できるものだった。

 山岳ベースで3人目の犠牲者となった小嶋和子(革命左派)に対して、板東と共に坂口もまた、激しい殴打を加える描写が完全に削られていたことを考えるとき、山荘内の描写の微妙な誤差は、観る者にとって多分に、坂口弘のリーダー像を一層際立たせる効果を持ち得たと言えるだろう。

16歳の少年の嗚咽の中の幹部批判を含めて、この銃による「総括」のシーンもまた、作り手のメッセージを乗せた作りものであることが判然としているにも関わらず、坂口弘の「格好良さ」だけが鑑賞の余情として張り付くような微妙な誤差 ―― これが結果的にサブリミナルな効果にも似て、「この作品に描かれた事件や出来事はすべて事実だが、一部フィクションも含まれる」と冒頭のキャプションで紹介されながらも、「実録」と銘打たれた映像のリアリティを削り取ることなく、その作為性を中和化、希釈化し、なかんずく、それまでの映像総体に脈打っていた描写のリアリティの強力な補完作用が手伝って、「許容される誤差の範疇」を保証するに足る、その見事な映像的描写力の内に収斂されてしまう効果を獲得するに至ったのである。


 「1972年、かつて日本にも革命を叫び、銃を手にした若者たちがいた」―― この冒頭のキャプションの背景に映し出される「革命戦士」の行軍の描写の巧みさは、その後に繋がる映像総体のリアルな流れ方を予約させていく描写によって、相当の情感誘導を保証したと言っていいだろう。

 このような見事な映像総体のリアルな描写力の累積の果てに、「勇気がなかった」という決定力のある言葉を最後に待機させることによって、そこに鑑賞者の情感を捕捉し、それを誘導させていく技巧の補完が殆ど目立たないほどに、一切がそのメッセージに吸収されていく心理効果を保証してしまったのである。

 「実録」という名の映像のトリックに、改めて驚きの念を禁じ得ないのである。

 キリング・フィールドと化したカンボジアのような突出したケースは例外だが、いつの世も、「革命」という手垢のついた言葉で語られる理念系の暴走の内に貼り付く「現実の恐怖」は、歴史時間の変遷の中で中和化され、物語化され、そしていつの日にか、完全に削り取られていってしまうのである。それが怖いのだ。

 「これは俺にしか作れない映画だ、俺にしか出来ないんだという思いがあります」(前出・若松孝二 単独インタビュー)と作り手が言い放った映像の内実は、そこにどれほど凄惨な描写、例えば、最も陰惨なリンチと化した、寺岡恒一へのアイスピックによる複数の同志たちからの処刑シーンを、あっさりとした映像処理で済ました描写(後述)を挿入させたにしても、事件をどこかで美化する危うさを含んだ鑑賞効果が残されて、詰まるところ、「勇気の欠如」というフラットな応援歌の如きメッセージの内に、一切を還元する流れ方を追認する以外ではなかったのである。



 5  映像が削り取った時代の息吹 



 本稿のテーマに即して、ここからは、本作が確信的に削り取った問題を拾い上げてみたい。

 なぜなら、本作が削り取った描写の中にこそ、良かれ悪しかれ、事件が隠し込んだ現実社会のありのままの様態が寝そべっていると考えるからだ。

 ここでも、前出の拙稿を引用する。


 「兵士たちは残らず捕縛された。
 
 そして、そこに十二名の、縛られし者たちの死体が残された。そこに更に、二名の死体が発見されるに至った。凍てついた山麓に慟哭が木霊(こだま)する一方、都市では、長時間に及んだアクション映画の快楽が密かな自己完結を見た。

 それは、都市住民にとっては、簡単に口には出せないが、しかし何よりも格好の清涼剤であった。このアクション映画から、人々は絶対に教訓を引き出すことをしないだろう。『連合赤軍の闇』が、殆ど私たちの地続きの闇に繋がっていることを、当然の如く、私たちは認知する訳がない。狂人によって惹き起こされた狂気の宴とは全く無縁の世界に、自分たちの日常性が存在することを多くの人々は認知しているに違いない。

 それで良いのかも知れない。

 だから、私たちの至福の近代が保障されているのだろう。それは、森恒夫というサディストと、永田洋子という、稀に見る悪女によって惹き起こされた、殆ど理解不能な事件であるというフラットな把握以外には、いかなる深読みも無効とする傲慢さが大衆には必要だったのだ。

 私たちの大衆社会は、もうこの類の『人騒がせな事件』を、一篇の読み切りコミックとしてしか処理できない感性を育んでしまっているように思われる。兵士たちがどれほど叫ぼうと、どれほど強がって見せようと、私たちの大衆社会は、もうこの類の『異常者たちの事件』に恐喝されない強(したた)かさを身につけてしまったのか。

連合赤軍事件は、最終的に私たちの、この欲望自然主義に拠って立つ大衆社会によって屠られたのである。私たちの大衆社会は、このとき、高度成長のセカンドステージを開いていて、より豊かな生活を求める人々の幸福競争もまた、一定の逢着点に上り詰めていた。人々はそろそろ、『趣味に合った生き方』を模索するという思いを随伴させつつあったのだ。

 そんな時代の空気が、こんな野蛮な事件を受容する一欠片の想像力を生み出さないのは当然だった。大衆と兵士たちの距離は、もう全くアクセスし得ない所にまで離れてしまっていたのである。

 これは、本質的には秩序の不快な障壁を抉(こ)じ開けるという程度の自我の解放運動であったとも言える、1960年代末の熱狂が、学生たちの独善的な思い込みの中からしか発生しなかったことを自覚できない、その『思想』の未熟さをズルズルと引き摺ってきたツケでもあった。彼らの人間観、大衆観、状況観の信じ難い独善性と主観性に、私は言葉を失うほどだ。彼らには人間が、大衆が、その大衆が主役となった社会の欲望の旋律というものが、全く分っていなかったのである」 


 まさに世の中は、「一億総中流」の到来を迎えていて、その「中流意識は高度経済成長の中で1960年代に国民全体に広がり、1970年代初頭までに国民意識としての『一億総中流』が完成され、少なくとも2008年まで続いていると考えられる」(ウィキペディア「一億総中流」より)時代の只中にあったのである。

 事件の半年後には、国民の不満を簡単に解消してくれる正義のテロリストを描いた、テレビの娯楽時代劇の人気番組であった「必殺仕掛人」シリーズが始まって、まさに「悪政退治」の快楽は、かつての東映任侠映画のように、全共闘を発奮させる相乗効果を全く持ち得ることがなく、「健全なお茶の間のストレス解消」として、小さなブラウン管の中で自己完結を果たしていったのだ。ハイセイコーの活躍に日本中が沸いたのは、事件の1年後であった事実も忘れてはならないだろう。

 
三菱重工爆破事件
そんな時勢下にあって、大衆から完全に離反した極左集団は内ゲバに明け暮れ、権力への「殲滅戦」とは無縁に内なる階級敵を抹殺したり、それでも懲りない連中は遂に「連続企業爆発事件」を惹起させ、自国民を震撼させていったのである。

 映像は、このような大衆文化の沸騰した存在の現実を無視するかのようにして、ひたすら「革命戦士」の動向のみを追いかけて、それをフィルムに記録していくのだ。

 ここで映像が削り取った世界の中にこそ時代の息吹が脈打っているにも関わらず、そこに生まれた大衆文化を、腐敗した資本主義の最前線で舞い上がっている愚民の衆の如く看做(みな)して、「連赤事件」を経てもなお生き残った、「革命戦」への渇望を繋ぐ一部の「戦士」たちは、その衆を巻き込んだ爆破事件、即ち、女性事務員を含む8名の会社員を殺害し、400人近くの民間人を負傷させた「三菱重工爆破事件」(1974年8月30日)を嚆矢(こうし)として、次々に大企業を狙ったテロ事件を惹起させていったのである。

 「彼らが仲間を殺したことは間違っていた。同じことを繰り返さないために現場の悲劇も伝えないといけない。だが、彼らが目指したものは間違っていなかったと信じている。だからこそ実名で描くことにしたんだ」(産経ニュース・2008.3.8)

若松孝二監督
この言葉は、作り手のインタビュー記事から拾ったものである。

 本作の作り手は、「彼らが目指したものは間違っていなかったと信じている」と語っているのだ。ここで言う「目指したもの」の内実は不分明だが、「革命戦士」が想念していたはずの「革命」の到来の起爆点としての、国家権力との「殲滅戦」を開く軍事路線を「間違っていなかった」と把握しているのだとしたら、私にはもうそこに反応すべき何ものもない。

 「連合赤軍」の「戦士」が「革命戦争」の到来を信じ切っていたように、作り手もまたそれを本気で想念していたとしたら、「勝手にやってくれ」と言うのみである。

 そこに「克服史観」を抱懐して、大層なイデオロギーで理論武装してはいるが、私から見れば、それは殆ど、「ハルマゲドン」の到来を吹聴していたカルトの精神世界と同義でしかないということだ。



 6  「実録」の名の下で希釈化され、削られた描写が照射した「事件」の闇の深層 



 ここからは、本作の中で確信的に削り取られたと思われる重要な描写に言及する。重厚なリアリズムの映像の継続力の幻想の内に、実は特定的に切り取られた感のある不可避な描写が存在すると考えているからだ。

 その一つ。

 最高指導者の森恒夫が、永田洋子と共に妙義山中で逮捕される描写がそれである。

 なぜ、この重要な場面を削り取ってしまったのか。

 なぜならこの由々しき局面では、最高指導者として君臨していた「箱庭の帝王」である森恒夫という男が、「革命家」というイメージで呼ぶにはあまりに不釣り合いなほどに、ごく普通の「左翼青年」、しかも「恐怖支配力」としての「胆力」に著しく欠ける、単に気の弱い男であったと思わせる事実を露呈する振舞いを開いていたのである。

その一連の振舞いの内実を、ここでも拙稿から引用させて頂く。そこに、永田洋子自身の体験がその著書の中で語られているからだ。


 「永田洋子と共に、仲間が集合しているだろう妙義山中の洞窟に踏み入って行った森恒夫は、そこに散乱したアジトの後を見て動揺する。黒色火薬やトランシーバーなども放り出されていて、山田隆の死体から取った衣類も、そのまま岩陰にまとめて置かれていた。(因みに、この衣類が凄惨な同志粛清の全貌を解明する手懸りとなる)

 そのとき、森は上空にヘリコプターの音を聞き、下の山道に警官たちの動静を察知して、彼の動揺はピークに達する。彼は傍らの永田に絶望的な提案をする。
 
 『駄目だ。殲滅戦を戦うしかない』
 
 永田はそれを受け入れて、ナイフを手に持った。二人は岩陰に潜んで、彼らが死闘を演ずるべき相手を待っている。

 ここから先は、永田本人に語ってもらおう。
 
 【 私はコートをぬぎナイフを手に持ち、洞窟から出て森氏と一緒に岩陰にしゃがんだ。この殲滅戦はまさに無謀な突撃であり無意味なものであった。しかし、こうすることが森氏が強調していた能動性、攻撃性だったのである。

 私はここで闘うことが銃による殲滅戦に向けたことになり、坂口氏たちを少しでも遠くに逃がすことになると思った。だから、悲壮な気持ちを少しももたなかった。私はこの包囲を突破することを目指し、ともかく全力で殲滅戦を闘おうという気持ちだけになった。

 この時、森氏が、『もう生きてみんなに会えないな』といった。

 私は、『何いってるのよ。とにかく殲滅戦を全力で闘うしかないでしょ』といった。

 森氏はうなずいたが、この時、私は一体森氏は共産主義化をどう思っていたのだろうかと思った。『もう生きてみんなに会えないな』という発言は、敗北主義以外のなにものでもなかったからである。

 しばらくすると、森氏は、『どちらが先に出て行くか』といった。

 私は森氏に、『先に出て行って』といった。

 森氏は一瞬とまどった表情をしたが、そのあとうなずいた。

 こうした森氏の弱気の発言や消極的な態度に直面して、私は暴力的総括要求の先頭に立っていたそれまでの森氏とは別人のように思えた 】(永田洋子著・「十六の墓標・下」彩流社刊/筆者段落構成)
 

 この直後に二人は警察に捕縛され、粛清事件などの最高責任者として『裁かれし者』となるが、周知のように、森恒夫(映画の画像)は新年を迎えたその日に獄中自殺を遂げたのである。

 ともあれ、以上の永田のリアルな描写の中に、私たちは、森恒夫という男の生身の人間性の一端を垣間見ることができるだろう」(「『連合赤軍』という闇 ―― 自我を裂き、削り抜いた『箱庭の恐怖』」より)


 以上の言及で判然とするように、「本当は気の弱い『革命家』」というイメージを持たれることを嫌った作り手は、敢えてこの描写を挿入しなかったのではないかと邪推してしまうのである。「『危険思想』に気触(かぶ)れていただけで、森恒夫もまた、ごく普通のサイズの人間だった」という把握は、「革命」を目指す者にとっては、恐らく致命的な評価なのだろう。

 然るに、この世に「神」を目指す人間がどれほど存在し、執拗に奇麗事の言辞を吐き出そうと、人間とは多くの場合、ごく僅かの差異の中で競争する程度の存在体であり、目立たない欠点と目立った長所、或いは、その逆のパターンが一つの人格の内に同居し得る何者かであって、それ以外ではないという把握を持つ私の眼から見れば、森恒夫の人間的な側面が濃厚に露呈されていた逮捕劇にまつわる描写こそ、「革命戦士」の「ある種の救い」を感受する重要なエピソードであったと思う次第である。

 そんな性格の男だからこそ、自らが構築した「閉鎖的な恐怖の山岳アジト」から「解放」され、ある程度冷静な精神状態を「復元」させたとき、「はじめての革命的試練」という、なお「革命戦士」としての虚栄を捨て切れない余分な強がりが張り付いているものの、「今ぼくに必要なのは、真の勇気のみです」という遺言を残して、「総括」という名の逃げ道に逸早く「跳躍」したのだろう。そう思えるかのような、彼流の「総括の達成点」がそこに開かれたのである。

 それが人間なのだと、つくづく実感させられる「森恒夫の『男らしい』自死」の実態が、そこにあった。少なくとも、「責任を取って自殺する者」を好むこの国の人たちの情感感度に相応しい、極め付けの映像の流れ方であったということだ。

 次に、寺岡幸一に対する、残虐極まる処刑の現実についても言及しよう。

 これもまた、拙稿から引用する。


 「連合赤軍幹部の寺岡恒一の、処刑に至る時間に散りばめられた陰惨なシーンは、解放の出口を持てない自我がどのように崩れていくのかという、その一つの極限のさまを、私たちに見せてくれる。兵士たちへの横柄な態度や、革命左派(京浜安保共闘)時代の日和見的行動が問題視されて、『総括』の対象となった寺岡が、坂東と二人で日光方面に探索行動に出た際に、逃げようと思えば幾らでも可能であったのに、彼はそうしなかった。

 その寺岡が、『総括』の場で何を言ったのか。

 『坂東を殺して、いつも逃げる機会を窺っていた』

 そう言ったのだ。

 俄かに信じ難い言葉を、この男は吐いたのである。

 

事件の遺体発掘現場
この寺岡の発言を最も疑ったのは、寺岡に命を狙われていたとされる坂東国男その人である。なぜなら坂東は、この日光への山岳調査行の夜、寺岡自身から、彼のほぼ本音に近い悩みを打ち明けられているからである。坂東は寺岡から、確かにこう聞いたのだ。

 『坂東さん、私には総括の仕方が分らないのですよ』

 悩みを打ち明けられた坂東は当然驚くが、しかし彼には有効なフォローができない。寺岡も坂東も、自己解決能力の範疇を超えた地平に立ち竦んでいたのである。

 坂東には、このような悩みを他の同志に打ち明けるという行為自体、既に敗北であり、とうてい許容されるものではないと括るしか術がないのだ。自分を殺して、脱走を図ろうとする者が、あんな危険な告白をする訳がない、と坂東は『総括』の場で考え巡らすが、しかし彼は最後まで寺岡をアシストしなかったのである。

 逃げようと思えばいつでも逃げることができる程度の自由を確保していた寺岡恒一は、遂にその自由を行使せず、あろうことか、彼が最後まで固執していた人民兵としてではなく、彼が最後まで拒んでいた『階級敵』として裁かれ、アイスピックによる惨たらしい処刑死を迎えたのである」


 アイスピックによる寺岡処刑には、坂口を初め多くの「同志」が加担することになった。無論、森の命令である。最高指導者の前で、アイスピックを手に持って、「総括の仕方が分らない」と秘かに嘆いていた幹部の一人を殺害することで、自らが「階級敵」ではないことを検証しなければならなかったのである。

 3時間以上にも及ぶ映像は、その辺の凄惨な描写を上手に希釈化し、肝心のアイスピックを正確に見せることなく、森が寺岡を何度も刺しているが、その場面は上半身のみを映し出し、他の同志たちの場面においては音だけで処理してしまっていた。
事件の遺体発掘現場

 明らかに事務処理的な映像の杜撰さを印象付けるものであったが、私にはそれが「総括」ではなく、「階級敵」としての死刑という、それまでの「総括的指導」の余地のない決定的な事態の場面を描く重要なシーンを、「描写の回避」であっさりと済ました映像の内に、作り手によって特定的に切り取られた濃密な作為性が読み取れてしまったのである。

 ついでに、金子みちよの総括の凄惨さについても簡単に触れておく。

 「総括」のターゲットにされた金子みちよ(革命左派)が身重の体(吉野の妻)で煩悶しているときに、森と永田は彼女の母体から胎児を取り出す方法を真剣に話し合ったという忌まわしい事実があった。

 その震撼すべきエピソードは、明らかに最高指導部としての彼らの自我の崩れを伝えるものである。

 なぜなら、「総括」進行中の金子から胎児を取り出すことは、金子の「総括」を中断させた上で、彼女を殺害することを意味するからであり、これは指導部の「敗北死」論の自己否定に直結するからである。

 この一件については、森と永田が金子の腹部を切開して胎児を取り出せなかった判断の迷いを、その後、彼ら自身が自己批判しているが、いかに彼らの理性の崩れが甚大なものであったかという事実を証明しているとも言えるだろう。

 当然の如く、本作はその辺りについても映像に記録していなかった。

 と言うより、本作で描かれた「総括」の場面は、自分で自分の顔を殴る遠山美恵子のシーンがピークアウトになっていて、その後の「総括」や「死刑」の局面はあっさりと説明的に処理されていったのだ。

 なぜなのか。

 遠山美恵子に対する作り手の思い入れもあるようだが、しかし本作はそんな思い入れだけで映像処理していないのだ。


 私の思う所、山岳ベースにおける「総括」の目的が、「共産主義化」の獲得という一点にあるという思いが本気であった指導者らには、まさに化粧や長髪に拘(こだわ)る遠山には、重信房子の親友でもあった古参の活動家としての思い上がりや、赤軍派時代から許容されていた生活習慣を引き摺っていた事態こそプチブル性の象徴であると思われていて、今や、「殲滅戦」を戦うための前衛としての人格の根源的変革を要請する山岳ベースにあっては、そんな彼女が真っ先に「総括」による変革を求められるべき何かを体現させた人物として、とりわけ個人的な感情の含みをも持つだろう永田に把握されていたという心理的文脈が、そこに濃密に窺えるからだろう。

 だからプチブル性の克服という「総括」のテーマには正当性があったと、作り手は言いたいかのようであった。

 少なくとも、「総括が分らない」という本音を最高指導者の前で平気で吐露してしまう彼女の意識や、「革命戦士」としての資質の低さを目の当たりにしたとき、まさにその最高指導者によって「総括」の厳しい継続が求められた辺りの描写の導入には、「『総括』が貫徹できない者は下山させない」という類の「最後通告」を許容させ得る彼女の、その自覚の欠如を強調する狙いがあったのだろう。

 更に、軍事訓練におけるいかなるミスや無気力をも許さないと言わんばかりの、「革命不戦士」としての遠山美恵子に厳しい視線を一貫して送る、ナンバー2のポジションを確保した永田洋子の、そのパラノイア(偏執狂)的な印象をも与える人物造型の内に、遠山の「総括」の最前線に立ちはだかる過剰な情感文脈がべったりと張り付いていて、まさにそこにこそ、事態を深刻化させていく伏線があったとイメージさせる描写が垣間見えるのである。

 作り手は恐らく、個人的感情としても永田の振舞いが許し難いのだろう。そう思わせる描写の執拗さだった。

 確かに、山岳ベースにおける「総括」を象徴させる遠山美恵子に関わる描写を、特定的に切り取った映像ラインは理解できない訳ではないし、それも一つの方法論として技術的に了解し得るものだが、しかし果たしてその手法によって、唯一の「殲滅戦」の主戦場を作り出した信州の山荘内で、16歳の少年をして、「勇気がなかった」と言わしめるに足るだけの山岳ベースの闇の深奥を描出したと言えるのだろうか。

 
先述したように、作り手によって希釈化、中和化され、或いは、作為性を思わせるほどに削られた描写を抜きにして、「勇気がなかった」という情感的な意味合いにおいて決定力のあるメッセージを、根柢的に支え得る映像ラインが可能であったのか。少なくとも、二名の処刑者を現出させた山岳ベースの顕著な爛れの現実を正確に描出することなしに、事件の闇の深奥に肉薄できるとは到底思えないのである。

 「総括死」を「敗北死」に読み替え、或いは、「総括」を経由することなしに「処刑死」に直結させていった軍事組織もどきの暴走を、「共産主義化」を達成させるプロセスを放棄した「個人的堕落化」と読み替えずに、まさに「最高指導者」として君臨した男と、そこに寄り添う女の、「総括」対象の明瞭な基準を持たないその恣意的な振舞いによって、恐らく自家撞着(じかどうちゃく)に嵌っていたように思われる、未熟で狭隘な自我が惹起させた一つの由々しき「事件」として認知しないならば、それを阻止できなかった組織幹部の腰砕けへの強烈な批判的メッセージである、「勇気がなかった」という括りの言葉の情感的決定力が根柢から自壊してしまうのだ。

 この場合、権力に捕捉された「最高指導者」が吐露した、「今ぼくに必要なのは、真の勇気のみです」という言葉と、16歳の少年兵士が叫ぶ「勇気がなかったんだよ!」という言葉は、それが向かう対象の相違点において分明であるが、事態の内実が抱える問題性は共通である。それ故にこそ、「勇気がなかった」という括りによって映像を閉じていこうとするなら、筆者の指摘は看過し得ないと思うのだ。

要するに、「総括死」=「敗北死」が「処刑死」にまでエスカレートするに至った、山岳ベース内での権力関係の充分過ぎるほどの爛れ方が、加速的にそこで定着し、堅固に固まってしまっていたということ ―― それこそが何より、最も重量感を持つ負の遺産であったのではなかったのか。

 結局、「『実録』の名の下で希釈化され、削られた描写が照射した『事件』の闇の深層」という読解ラインが、私の把握に最も近い何かであった。

 高度成長下のドラスティックなまでの時代の奔流の渦の中で、日々に未知のゾーンに連れて行かれるような著しい風景の変容に戸惑う暇もないほどに、存分な時代性を呼吸していた圧倒的多数の普通の人々の意識や生活とは無縁な辺りで、本気で「日本革命」の来るべきロマンに身も心も預けていた、この国の少なくない学生たちの、強大な国家権力との闘争のみを一貫して映し出した本作は、もうそれだけで充分に「革命」的な毒気に満ちていた。

 それは、情感系の過剰な文化の氾濫の只中にあって、この国の表現世界が放つ情感言語の欺瞞性の中枢を射抜くかの如き、「覚悟の一撃」を連射する映像の毒気ではあったが、結局、その大団円では「革命ロマン」を印象付けるに足る熱いメッセージを置き土産にして、情感系の括りの内に閉じていったのだ。残念でならなかった。

 

新左翼運動の時代
加えて、これほどの映像を表現し得る力技を持ちながら、私に極めて不満な感懐をもたらしてしまったのは、そこに不必要なまでに過剰なイデオロギーの濃度が張り付いていて、それが最後まで、映像のリアリズムを受容し切れない思いを置き去りにしてしまったのである。



 7  「反権力の軍事組織」が置かれた状況の「柔和性・温もり性」 



 最後に、末梢的な事柄について一言。

 「あさま山荘事件」でのシークエンスが終焉した際に、事件における警察の1635名にも及ぶ動員力や、「警察が使用した火器類 催涙ガス弾3126発。発煙筒326発。ゴム弾96発。現示球――照明弾の一種――83発。放水量15・85トン」というキャプションが真っ先に強調されていたが、いかにも5名の「革命戦士」の「殲滅戦」が激越であり、彼らの抵抗が果敢であったかというイメージを印象付けたいようにも見えたのは事実。

 しかし実際の所は、警察権力が当時置かれていた状況の厳しさが、以上のような警察サイドの火器類、催涙ガス弾等の使用を必然化したのである。


 即ち、長野県警をサポートするために、時の警察庁長官であった後藤田正晴(画像)によって、警備実施の指揮を任された佐々淳行警視正が受けた命令の中に、厳しい条件提示があった事実が知られているが、このような警察内部の縛りの故に、10日間に及ぶ籠城を招来したという現実を無視する訳にはいかないだろう。

 その条件提示とは、「人質の無事救出」、「犯人全員の生け捕り」(5人を革命の殉教者にしないための、常套的な「権力の論理」)、「身代わり人質の拒否」、「火器使用は警察庁許可」(但し、犯人に向けて発砲しない)等の厳しい内容で、従って、このとき銃器を使用できない警察が、山荘内の正確な事情を把握できないばかりか、散弾銃やライフルを連射してくる「革命戦士」に対峙するには、最終的にクレーン車に吊った鉄球攻撃による方法論を採る以外になかったのである。

 私には寧ろ、催涙ガス、発煙筒、放水などという原始的な「武器」によって対応せざるを得ない、この国の守備警察の「迎撃能力の縛り」の現実に驚きを禁じ得ないのだ。

 目一杯の皮肉を込めて言えば、余程の状況下でなければ、自在に銃器使用も許容されないこの国の警察を相手にする、「反権力の軍事組織」が置かれた状況の「柔和性・温もり性」が、まさに「あさま山荘事件」の激越な攻防戦=「殲滅戦」に集約されていたと思えるのである。

 恐らく、散弾銃やライフルの連射が止まない「あさま山荘事件」程度では、「余程の状況」とは看做されなかったのだろう。どうやら、そんな緩やかなる国に、私たちは呼吸を繋いでいるらしい。

(2009年5月)

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