<語り過ぎる映画の危うさ ―― 諸刃の剣の自家撞着>
1 語り過ぎる映画が失ったもの
本作ほど、長所と欠点が判然とする映画も珍しい。
長所については一点のみ。
近年の他の邦画がそうであるように、いや恐らくそれ以上に、本作の長所は際立っていた。登場する役者の抜きん出た演技力、これに尽きる。
オカンを演じた樹木希林、オトンを演じた小林薫。
それが営業的成功に結び付いたか否かという文脈とは無縁に、少なくとも、この二人の達者な役者魂なしに、表現フィールドにおける本作の印象度の、その鮮烈な継続力がは存在しなかったと言っていい。それほどの素晴らしさだった。
とりわけ、癌を患うオカンを見舞うために上京したオトンが、ボクの配慮で二人きりになった病室で、なおどこかで「異性」を意識するオカン(オトンと会うためにヘアーカットしていた)と、自然裡に共有し得ない時間が作り出した、その「間」の内に漂流する感情の鮮度は、殆ど熟達した俳優だけが放つ超絶技巧の世界であった。
また、息子からオカンの病室にに泊ってくれと頼まれた際に、金銭を案じるオトンの対応には、かつての「自由人」としての無秩序性が垣間見られず、老いて枯渇する男の熱量を、至極自然な振舞いの内に全く違和感なく身体表現されていた。見事と言うより他にない。
以上の小さな描写を例に出すまでもなく、実質的な主役であった「オカン」と、そこに「時々」絡む「オトン」の二人が、本作をその根柢において支えていたことは自明であり、それが、「最愛の者の死」という「究極の物語」をダイレクトに、且つ、信じ難き程の恥じらいもなく、堂々と作品の中枢に据えた、極めて安直で狡猾なそのテーマ設定の厚顔さを限りなく相対化し、中和化、解毒化した役割を負った二人の存在性の重量感が、この凡作を自壊させなかったと評価せざるを得ないのである。
しかし残念ながら、本作の長所はそれ以外ではなかった。
作り手の演出力とは無縁に、二人の役者の超絶的技巧が可能であったことを考えたとき、そこにしか見い出せない長所よりも、遥かに上回るほどの欠点の存在は、恐らく決定的な部分で、本作の「映像性」を駄目にしていると思われるのだ。
と言うより、その欠点によって、そこだけは充分な表現的個性を立ち上げるような完成度を補完し得る「特定的な何ものか」として、本作が凛として屹立できなかったと評価せざるを得ないのである。
単に一本の「映画」ではあったが、それが作り手の思いやメッセージを含意させるに足る、必要な分だけの描写によって成ったと感受させるような、「特定的な何ものか」、即ち、「この一作」と評価し得る「映像」にまで昇華されていないということだ。
それについて言及するが、ここでは、筆者が最も気になった箇所のみを指摘したい。
最も気になった箇所 ―― それは「不必要なまでに語り過ぎてしまっている」ことと、「描写が説明的であり過ぎる」点に尽きる。(以上の二点は、本作の物語の基幹ラインを補完する不可避な導入になっていると思われるので、その辺りについては後述する)
その理由を端的に言えば、不必要なナレーションが多過ぎるということだ。
因みに、本篇が開かれたときからナレーションがあまりに目障りだったので、それをカウントしてみた。私のこの瑣末な作業にミスがなければ、主人公の「ボク」によるナレーションの回数は52箇所もあったのだ。多過ぎると言うより、映画の自壊性のリスクを高めるほどに過剰であった。
なぜなら、ごく普通の鑑賞者の、ごく普通の知的レベルにおいて、容易に了解し得る描写にまでもナレーションが入り込んでいて、殆ど全てのカットのシフトの度に、一々、「ボク」の説明を耳にしなければならないという印象なのだ。何より由々しきことは、心理の微妙な綾までも「解説」付きであったということ。これには正直、呆れ返ってしまった。
その一部を、例に挙げてみよう。
「中学二年を過ぎた頃から、こことは違うどこかに行きたいという気持ちと、オカンを自由にしてあげねばという気持ち、その二つが僕の中に生まれていました」
「その手紙には、自分のことは一切知らせず、ボクを励ます言葉だけが強く書いてありました」
↓
高校受験を機に町を出るシーンがあったが、母と別れるバスの中で、オカンからの手紙を涙ながら読む描写。明らかに、表情を映すワンカットで足りるもの。
「大学を卒業しても就職しなかったボクと、ダンサーの夢が破れた平栗は、それでも東京にしがみついていた」
↓
自堕落さの描写だが、既に繰り返し繋がれていたカットで充分過ぎる。
「色んなことがうまく回り始めている。そんな気がしていました」
↓
東京での成功を表した心情描写。
他にもまだまだあるが、全て「映像」によって説明できるもの。私から言わせれば、本作のナレーションは、以下の冒頭の部分だけで済む類の何かである。
オトンとボク |
この語りの持つイメージ喚起力は捨て難く、殆どこの内にストーリーラインが収斂されていくことによってもなお、余情となって張り付くものこそ、「映像性」それ自身の決定力であるだろう。
語り過ぎる映画が失ったもの ―― それを端的に言えば、観る者の想像性の喚起力であると言っていい。
2 語り過ぎる映画の危うさ ―― 諸刃の剣の自家撞着
次に、「描写が説明的であり過ぎる点」について。或いは、「その説明的ナレーションを不可避とせざるを得なかった含意との関連」について。
これも例示していく。
「大分の高校生活、ボクの初めての一人暮らし。オカンの預言は見事に当たりました。ボクはのびのびと堕落してしまったのです」
「春になると東京には、掃除機が回転するモーターが次々吸い込んでいく塵のように、日本の隅々から若い奴らが吸い集められて来る。暗闇の細いホースは夢と未来へ続くトンネル。しかしトンネルを抜けると、そこはゴミ溜めだった」
「何の緊張感もない伸び切ったゴムのような日々、増えて行くのはサラ金のカードだけだった」
「その日、東京では桜の季節にも関わらず、雪が降った。何が本当で、何が嘘なのかが分らない。エイプリルフールの出来事だった」
稚拙な「文学」的装飾を被せた語りの内実は、それぞれに解説を加える必要もないほど、全く意味のない説明的ナレーションがそこにあった。
末期癌のオカンにひたすら寄り添う主人公の回想の、その癒し系の王道をいくようなまったりとした語りの中に、数年前の自堕落な生活風景を相対化させるインプリケーション(含意)を持ち得る映像的効果によって、この種の説明的ナレーションが殆どショット刻みに捨てられていくのである。
従ってこの語りの本質は、「散々親不孝をかけながらも、その『ボク』を決して見捨てることなく育ててくれた『オカン』への感謝の念が、末期癌に苦しむ『オカン』を全情熱を賭けて看護し、寄り添う、これだけ心の優しい今の『ボク』が、ここにいる」という物語の基幹ラインを抑えた上で、「現在の成功」のルーツが、「無駄ではなかった過去の自堕落」の累積の結果とも解釈し得る、心理学的な「認知的不協和の仮説」に依拠することで成立し得るとも読めた感動譚を、一貫して支える「文学的ニュアンス」を包含した、「抑制・繊細・静謐・無限抱擁」への「察し」を暗に求めた言語化であるということ ―― 独断的に言ってしまえば、それ以外ではないと思う。
だからこの類の作品にとっては、説明的ナレーションの持つ決定力が必要だったということなのだろう。あざとい映画の、あざとい演出にとって必要だった説明的ナレーションの価値は、恐らくそこにしか存在しないのだ。だからこそ、私はそのあざとさを含めて、過剰な説明的ナレーションを不可避とした本作を受容しないのである。
それは、殆ど予定調和的な物語の基幹ラインのあざとさを否認する、ひねくれた鑑賞者の主観の濃度の深い把握ではあるが、映画鑑賞に対する傲岸(ごうがん)なマインドセット(経験的学習や先入観に依拠した思考原則)によるアプローチや、視野狭窄(きょうさく)の偏見的心情とは、どこかで明らかに切れていると自負しているつもりである。
以上言及してきたように、私が指摘する本作の瑕疵(かし)とも思える二点は、当然の如くリンクし合っている。
更に、そこでの説明的ナレーションの導入は、本作の物語の基幹ラインを補完する重要な意味づけを保持していたと同時に、その確信的な作為性それ自身が、作品自体の瑕疵を露わにさせるような、言わば、諸刃の剣(つるぎ)になっていたという自家撞着(じかどうちゃく)をも示すものだったということだ。
即ち、「語り過ぎる映画の危うさ ―― 諸刃の剣の自家撞着」という所だろうか。
3 抑制系を繕った情感言語満載の心地悪さ
以上の点が最も気になった個所であるが、作品の小さな瑕疵を探せば、残念ながら他にも指摘したい点がある。それらの中で、敢えて不満を感じた点に限定して、以下、それについても言及しておきたい。
その一つ。
―― 「感動を抑制したつもりであった(?)と思われる作り手の創作モチーフ(?)を、まるで自ら放擲したかのような、情感系のベタな描写が連射されている点」
この点については、この国の殆どの映画がそうであるように、「映画とハンカチーフ」の堅固な紐帯(ちゅうたい)を決して「自壊」させない「文化戦線での日本病」のカテゴリーを、本作もまた逸脱しなかったのである。
それを例示するのは、気分が失せるだけだが、ここでは典型的な一例のみを挙げておく。
「ボク」の児童時代のこと。
再婚を考えていたとも思えるオカンが、その相手と温泉レジャーランドにやって来たときの話。
ゲームに飽きたボクがオカンを捜して、広い建物の中を、「グルグル、グルグル…ボクはオカアを捜した。グルグル、グルグル…」(このナレーションも耳障り)という感じで、その小さな体を目一杯駆動させていた。そして遂にオカンを捜し当てたボクは、母の胸に向かって思い切り飛び込んで行ったのだ。
邦画の定番である、「人目もはばからない、母との熱き抱擁のシーン」が、そこにマキシマムに達した情感濃度をたっぷり乗せて、且つ、それをスローモーションによって開いて見せるのである。
「またか…」と嘆息し、げんなりするばかりだった。
なぜ、この国の映画は、こんな愚にも付かない描写を連射させるのか。これをやられてしまったら、もう反応する気分すら失せてしまうのだ。
然るに、どうも本作の作り手の主観の中では、この類の情景描写の風景観が、些か私とは乖離しているようである。その辺については、本稿の最後に言及する。
次に私が気になった箇所は、以下の文脈の通り。
即ち、「本作のピークアウトに位置する、「オカンの死と、それを看取る者たち、とりわけ、ボクの悲嘆の深さを記録するシークエンス」と、そこから繋がる一連の描写、即ち、「ボクの思いがグリーフワークの過程を開く描写を暗示して、エンドロールに流れ込んでいくまでの作品の閉じ方」」が、些かくどく、その描写が執拗ではなかったかという点である。
作り手が主観的に考えたに違いない描写の全てが、不必要なまでに埋め込まれているように印象付けられて、そのダイレクトな表現のオンパレードに違和感を持ったのは紛れもない事実だった。生意気な物言いをすれば、フィルムを適度なサイズで削り取る節度の内に、「余分な贅肉を削いで、特定的に切り取った映像のみで勝負する表現者」としての覚悟が試されるのではないかと思うのである。
「東京に連れて来られて、戻ることも帰ることもできず、東京タワーの麓で眠りついた、ボクの母親」である、オカンの上京の辺りから時系列を追っていくと、以上の指摘が了然とするのだが、ここでも必要な分だけの筆者の感懐を残したい。
母の上京のシーンは、特に問題なかったが、それでもボクに会うまでの、このアプローチは長いと思われる。
その直後に、上京したオカンの元気ぶりが描かれるが、「ボクの友達は皆、オカンの料理に魅了され、我が家の台所に集まってきました。そしてオカンは次々に彼らと仲良くなったのです。オカンは二人暮らしの家で、毎日、五合の米を炊くようになりました」などというナレーションは、不要であるだろう。
例によって、ここでも語り過ぎていて、画面に映し出された雰囲気の描写で充分に感受されるにも関わらず、連射されるナレーションのお蔭で、「連続テレビ小説」と付き合わされていると錯覚するほどだ。
「色んなことがうまく回り始めている。そんな気がしていました」というナレーションを最後に、オカンとボクの東京での生活の愉悦の日々は終焉し、オカンの上京の7年後を機に、映像は暗転していく。
「ボクは仕事で帰らないことも多く、飲んでは朝帰りを繰り返し、オカンと会うときは事務的な話だけになっていました。ボクはこの風景に慣れて麻痺していたのです。オカンが東京に出て来て7年になっていました」
これも物語の中の小さな会話と、物言わぬ描写によって了解可能なナレーション。
ともあれ、以降、オカンの闘病生活が、回想されるる現在の「最後の闘病の病棟」の時間を軸に情感たっぷりに語られていくのである。
抗癌剤の治療への、ボクとボクの元彼女による説得と、オカンの受容。
この描写とそれに続くシークエンスは、「オカン」になり切った稀有な女優の、リアルで計算された演技によって、殆ど映像が占有された感のある独壇場の世界だったが、そこに絡むボクの悲嘆を記録する表現が、常に「愛する者を喪う恐怖に対峙し得ないほどに懊悩し、嗚咽する息子」というラインで固められているから、そこで刻まれる描写はあまりに非武装の状態で放出され、過剰な感傷含みで連射されるいくことになる。
そこには、「母子の情愛」という、一般的にセールスしやすい物語作品の定番的なテーマであるが故に、却ってその描写の切り取りが難しいと思われる映像化を、それが禁じ手であろうとなかろうと、本作の作り手は殆どダイレクトに再現して見せたのだ。
幸いにも、ボクに濃厚に絡むオカンと、「時々、オトン」の超絶的な演技スキルによるナチュラルさが、描写の厚顔さを解毒してくれたので、「抑制・繊細・静謐・無限抱擁」を衒(てら)ったかのような、この情感言語満載の作品の質を著しく貶(おとし)めるしくじりを回避し得たが、それでも赤面するばかりのシークエンスの挿入の執拗さに言葉を失った。
ともあれ、エンドロールへと続くその辺りのの描写の流れを、簡単に書いておく。
オトンが帰った翌日から、オカンの抗癌剤治療が始まる。
↓
副作用で苦しむオカンを横目に、一人嗚咽するボク。
↓
抗癌剤治療を中断し、落ち着きを戻すオカン。
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「その日、東京では桜の季節にも関わらず、雪が降った。何が本当で、何が嘘なのかが分らない。エイプリルフールの出来事だった」(先述したナレーション・そこで挿入された情景は、春の雪が降る東京の夜、ベッドに横たわるオカンと、その傍らにいて、ここでも一人嗚咽するボク)
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癌末期の苛烈な症状によって、断末魔の苦しみに喘ぐオカン。
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酸素吸入器によってなお呼吸を繋ぐオカンと、それを正視できないボクの懊悩、煩悶。
↓
オカンの死。
↓
「あなただったら、死んだ母親の前で仕事できますか?」(オカンの死の直後、仕事の督促をする編集者に対して、ボクは電話で応対。ここでもボクは、激昂することなしに、その怒りをこの表現の内に結ぶだけ。一貫して、抑制的な表現を際立たせようとしているのが透けて見える)
↓
そんなボクの前に、突然、若き日の母が出て来て、仕事をするように勧める。(その後、熟考するシーンのみで足りる、全く不要な描写)
↓
意を決して仕事に打ち込むボク。
↓
葬儀の当日、喪主であるボクは、嗚咽の故に挨拶の言葉を結べず、代わって挨拶しようとしたオトンも落涙するばかり。
↓
母の遺書に、深々と嗚咽するボク。
↓
ラストシーン。東京タワーに上って、ボクはオカンの位牌を展望台から俯瞰(ふかん)させる。
最後まで、「ボクの深い悲嘆」の感情を、衒(てら)いなき直接的な身体表現によって見せられることになり、少なくとも、この種の作品が苦手な私には、そのシナリオの字面に刻印されている感傷的な文脈の内に、抑制系を繕(つくろ)った情感言語満載の作品への共鳴と感動を迫られているかの如き、何とも心地悪い思いだけが残されたのである。
4 リアリズムを徹底できない邦画の無頓着
屋上屋(おくじょうおく)を架すような物言いをするが、「描写のリアリズムを決定的に欠如させた点」について、一言。
本作における、主人公の子役と成人役の顔立ちの違いは、さすがに私の許容範囲を超えるほどに看過し難いものだった。
「オカン」役の場合は、それを演じた女優が実際の母子だけあって、描写のリアリズムを壊さない程度において何とか許容できたが(それでも違和感が残った)、肝心の「ボク」のケースは、まさに描写のリアリズムの自壊としか思えなかったのだ。
確かに、この国の映画に特徴的な同キャストにおける役者の変更において、信じ難き描写のリアリティの欠如がここでも見られたが、これはリアリズムを徹底できない邦画の、その固有の「病理」(と言うより、無頓着)であるからとうに諦めている。しかしそれは、テレビドラマの世界に留めて欲しいものである。
松岡錠司監督 |
2007年4月の映画公開に合わせた、「YOMIURI ONLINE」からの引用である。
【 確かに、人生の苦味みたいなものもきっちり描かれていますしね。
松岡 「つまり、大切な人が死を迎えるというその一点だけでこの映画は成り立ってないんですね。もっと大きな人生の時間を捉えようとしてやったつもりなので」
――そうですね。やはり、こうしてお話をうかがっていても観どころは尽きないですね。
松岡 「一回観て、もう一度観る機会があったら、また見方が違うかもしれない。人によっても違うし。
この間ね、『ボディブロー時間差攻撃寸止め海峡』って言ったんだけどね(笑)。というのは、リリーさんが映画を観てくれたときも言ってくれたんだけど、前の前のシーンぐらいで描かれていたことが、後で波のように押し寄せるんだって。
で、俺もリリーさんに返したんですよ、俺、観てる人に、静かにボディブロー打ってるからって(笑)。効いてるか効いてないかわからないぐらいのことを延々とやってるんですよ。それがよく言われる淡々としてっていうことなんだけど、そういうふうに過ぎ去ってるわけですよ、映画の時間が人生が過ぎ去るのと同じようにね。
こういった構造の映画は、単純に泣け!とか、笑え!っていう見せ方とはちょっと違うものでしょ】(「YOMIURI ONLINE 松岡錠司監督 単独インタビュー」2007年4月25日付/筆者段落構成)
このインタビューを読む限り、本作の作り手には、「大切な人が死を迎えるというその一点だけでこの映画は成り立ってないんですね。もっと大きな人生の時間を捉えようとしてやったつもりなので」、という文脈で語られるテーマ性を保持していた事実が窺(うかが)える。
果たして、そのテーマ性が本作の中にどれほど具現されていたのか。
「もっと大きな人生の時間」という観念の内実が不分明だが、それが主人公の「人生の時間」のその未来性と、彼が呼吸を繋ぐ、「東京」という固有名詞の中枢に堂々と屹立している「東京タワー」に象徴される、この国の変形期の時代性の氾濫の中にあって、それだけは決して失ってはならないと想念させる普遍的な価値、即ち、「親子の情愛」とか、「仲間たちとのコミュニティ」といった理念系を濃密に意識した、その表現世界の構築という文脈で把握される何かであるのだろうと思われる。
少なくとも、そのような意気込みによって映画化された本作を客観的に捉えるならば、その辺のテーマ性の表現については一定の達成があったと言えるだろう。しかし、相当程度不十分だった。本稿で指摘した多くの瑕疵(かし)が、私には無視し難いほどに目障りでならなかったからだ。それについては、既に先述した通りである。
更に付言すれば、以下の把握に尽きるだろうか。
人間の死の「日常性」から乖離しつつあった時代を背景に、まさにその死の「日常性」をテーマに据え、そこに関わる者たちの情感をたっぷりと包み込み、それを実に長々と繋ぐシーンに勝負を賭けた映画であることが、本作の途中から観る者に見透かされてもなお、執拗に描き込んでいく殆ど確信犯的な表現文脈には、「こういった構造の映画は、単純に泣け!とか、笑え!っていう見せ方とはちょっと違うものでしょ」と言い放つ、作り手が意識の埒外(らちがい)においたその主観性とは無縁に、「泣ける映画」を求めてラインを成す時代に見合った鑑賞者の情感感度に、そこだけは紛れもなく擦り寄った内容になっていたのである。
(2009年5月)
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