2010年6月22日火曜日

放浪記('62)      成瀬巳喜男


<天晴れな映画の、天晴れな表現宇宙が自己完結したとき>



1  成瀬映画の集大成としての「放浪記」



「放浪記」は成瀬映画の真骨頂を発揮した作品である。

その意味で、成瀬映画の集大成でもあると言える。

作品の内に、成瀬映画を特徴づける人生観、人間観のエッセンスが収斂されていると思えるからだ。

私見によれば、成瀬映画とは、「人生は思うようにならない」という人生観を根柢に据えていて、そこに、成瀬映画を特徴づける幾つかの要素や内実が束ねられているような表現宇宙である。

それらを列記すれば、以下の要素に集約されるだろうか。

即ち、「描写のリアリズム」、「善悪二元論の希釈化、或いは、無化」、「自立する女と、依存する男」、「別離の悲哀」、「ユーモア、諧謔」といったところだろうか。

「放浪記」には、ここで列記した全ての要素が詰まっているのである。

成瀬映画の「描写のリアリズム」について言えば、「美男美女という相貌制約」、「偶然性への依拠」、「物語の起伏、反転や起承転結性」、「通俗性・情感性」、等々のカテゴリーの限定性によって、「展開のリアリズム」を壊さざるを得ない「典型的メロドラマ」を例外にすれば、一貫して保持されていると断じていい。

「放浪記」では、醜女(しこめ)とは言わないまでも、高峰秀子の眉と目尻に細工したメーキャップに依拠した、「美女性の解体」よるヒロイン像の立ち上げが保証した「描写のリアリズム」は、映像総体を支配するほどの表現力を構築し得たと思われるのだ。

「善悪二元論の希釈化、或いは、無化」について言えば、本作の場合、見事なまでに貫徹されていた。

何より、ヒロインのふみ子(林芙美子のこと)自身が、「善悪」の振り子の振幅が定まらず、赤貧洗うが如しの身過ぎ世過ぎを繋ぎながらも、後輩のカフェの女給に金銭援助をする親切を示す反面、かつての恋敵であった同人誌の仲間から依頼された原稿を、故意に遅れて届けたことで、当人から引っ叩かれる始末なのだ。

これは、自立志向の強いふみ子の視座から言えば、「自分の原稿は自分で届けろ」という、淫売になっても食っていかざるを得ない骨太の人生観を露呈したもので、良くも悪くも、そこに殆ど罪悪感情の媒介がないともと言える。

その意味では、ふみ子の「善悪」の振り子の振幅が定まらないと見るよりも、彼女が自己基準の「倫理観」で行動していると把握すべきだろう。

また、ふみ子が、駄菓子屋の二階での間借り暮らし以来からの知り合いである、印刷工の安岡の真面目で温厚な人柄は「善人」そのものだったが、言うまでもなく、それは安岡の恋愛感情によるふみ子への特定的な親切心の表れ以外ではなかった。

当然過ぎることだが、文学者を自称する男が駄菓子屋に訪ねて来たとき、ふみ子を階下から深々と覗き見する態度を見れば判然とするように、真面目で温厚な人柄の印象を与える安岡の「善人性」は、一貫して「男の下心」の範疇で表現されていたのである。

「自立する女と、依存する男」と「別離の悲哀」について言えば、ハンサムボーイに身も心も投げ入れていく献身性を無前提に表現する、ヒロインであるふみ子の人生の軌跡そのものだった。

しばしば、惚れた男に捨てられたくないために、ふみ子はがむしゃらに働くことで、細(ささ)やかな社会的自立を果たし、「依存する男」の「三度の飯」の面倒を見るのである。

しかし、そんな男に限って、「自立する女」の「恩着せがましさ」を見せつけられる「屈辱」から、「依存する男」の己が「不徳性」を否定した後で、感情任せに「別離」のセレモニーを大仰に演じて見せるのだ。

「出て行け!」

その一言で、辛うじて、「男」の体面を守り切ろうとするのである。

そして最後に、「ユーモア、諧謔」について。

「絶対的窮乏」という、時代の共通コードが映像総体を支配して、その貧困の空気感が運ぶ暗鬱な物語でありながら、「放浪記」のイメージには、不思議なほど遣り切れない重圧感がない。

なぜか。

ふみ子の人生の軌跡そのものが、「ユーモア」に満ち満ちているからだ。

と言うより、ふみ子自身が「ユーモア」そのものなのである。

これは彼女が、特段に「ユーモア」溢れる人生を意識して生きているということではなく、淫売になっても男を食わせる覚悟を持つ「女心」と、カフェの女給で、マイペースで働く「男っぽさ」との落差が生み出したものと言っていい。

以上、成瀬映画の集大成でもあると言える「放浪記」という、縦横無尽な物語展開の中枢にあって、飛び抜けて個性的なヒロインを演じた女優と、それを演出した監督の力技を存分に堪能させてくれる映像の醍醐味の要素について、縷々(るる)言及してきたが、次稿で簡単に成瀬の他の作品との比較をしてみよう。



2  「死出の道行き」と、「生命の躍動」という次元の落差感



成瀬映画の最高傑作と言われる「浮雲」(1955年製作)を例に挙げれば、そこでは終始、暗鬱な男と女のドロドロとした情念の世界が執拗に描き出されていて、他の成瀬作品と比較すれば、相当の温度差があるように見える。

浮雲」より
「浮雲」は、私自身が最も愛好する大傑作であるが、成瀬の映像群の中では異色の作品と見るべきであろう。

「別離の悲哀」を物語展開のピークアウトに据えて、そこに至る、「善悪二元論の希釈化、或いは、無化」された「自立する女と、依存する男」の「描写のリアリズム」は、圧倒的に抜きん出るものがあった。

然るに、「ユーモア、諧謔」に欠けているのだ。

とりわけ、「別離の悲哀」の極致であるラストシーンにおいて、ヒロインの死に顔で括られる映像の閉じ方は、死の描写を確信的に回避する成瀬映画の範疇から逸脱していると言っていい。

且つ、成瀬映画には珍しいと思えるほど、必要以上に感傷が張り付いているという点においても、成瀬らしくないのだ。

前述したように、その辺りが「浮雲」をして、「美男美女という相貌制約」、「偶然性への依拠」、「物語の起伏、反転や起承転結性」、「通俗性・情感性」、等々のカテゴリーの限定性によって、「展開のリアリズム」を壊さざるを得ない、「典型的メロドラマ」という風に括られる要因になっているのだろう。

無論、私はそんな把握をしていないが、それでも、ラストシーンに張り付く感傷性は否定し難いところである。

ここで、私が「人生論的映画評論」の中で書いた、「浮雲」のラストシーンの描写を再現してみよう。

以下の通りである。

「ゆき子は窓越しに富岡を見ている。見続けている。

一人になった。そこにお手伝いさんはいなかった。

弾丸のような雨が、今にも壊れかけた家屋を激しく打ち付けている。

ひと月に、35日間雨が降る島なのだ。病魔に冒された女の体に良い訳がない。

それでも女は、やって来たのだ。

死ぬために、南海の孤島にやって来たのではない。

しかし、死神は女の体の深いところに、もうすっかり棲みついてしまっていたのである。

一人残された暗鬱な部屋で、女の咳が止まらない。悶えているのだ。

女は布団から抜け出して、這っていく。

窓際に這っていく。強雨で放たれた窓を閉めるために這っていく。

そこで蹲(うずくま)った。

動きが止まった。女は動かなくなったのだ。

ラストシーンは、林野庁が管理・経営する地方出先機関である営林署の者を返した後、天に昇ったゆき子の顔にランプを照らし、死に化粧のための口紅をつける富岡の孤独な表情を映し出して、遂に思い余って慟哭する描写で括られた。

「浮雲」より
ランプに照らされたゆき子の顔は、その無垢な美しさを眩く輝かせた。

それは、観る者に言いようのない哀切を誘(いざな)って止まない描写だった」(拙稿より)

以上のシークエンスは、「別離の悲哀」を物語展開のピークアウトに据え、「投げ入れる女、引き受けない男」が追われる者のように、東京から流れ流れて、その歓迎されざる愛の終焉に相応しく、遂に、誰も知らない僻地で最期を迎えるという映像の閉じ方によって自己完結する典型的パターンであった。

実は成瀬巳喜男は、このような感傷的な描写で映像を括ること最も嫌う監督だが、水木洋子は、どうしてもこの描写だけは削れないという脚本家としての意地を通したもので、このシーンは両者の妥協の産物と言っていい。

水木洋子は、一切を洗い清めるような映像表現として、悔悟と懺悔を象徴するような富岡の慟哭を切望して止まなかったのだろうが、やはり成瀬らしくないのだ。


ストーリーをカタルシスで流さない成瀬作品の中で、やはり「浮雲」は異彩を放っていた。

このラストシーンの評価は、観る者それぞれの固有の感じ方によって分れるだろうが、あまりに救いのない映像の繋がりの果てに、僅かな浄化を果たすこの描写の挿入は、私としては些か不満だが、それでも映像としての均衡性を壊していないことだけは事実である。

唯、成瀬らしくないだけなのである。

以上、言及してきたように、成瀬の最高傑作であると言われる「浮雲」は、「僻地」(世界遺産の屋久島に対して、失礼な言い方だが)へと流されゆく男女の「死出の道行き」というイメージが最も相応しいだろう。

それに対して「放浪記」は、飴玉で露命を繋ぎ、男に「三度の飯」を食わせつつも、仲間を出し抜いてまで創作の世界での自立を目指す、際立って個性的な女の、起伏に富んだ「生命の躍動」というイメージこそが相応しい映画だった。

この二作の差は、単に「ユーモア」の有無の差というよりも、〈生〉への飽くなき拘泥・執着の差であると見ることが可能である。

そして、成瀬の作品の多くは、「晩菊」(1954年製作)、「あらくれ」(1957年製作)、「稲妻」(1951年製作)、「あにいもうと」(1953年製作)などの作品に代表されるように、「思うようにならない人生」を己がサイズで生き抜いていく女たちの、その抜きん出て力強い〈生〉の律動感を貫流させていると思えるのだ。

何より、成瀬の晩年に放たれた「放浪記」の表現世界は、滑稽なまでに人間的であり、呆れるほどに暗鬱であり、そして、それと共存し、均衡を保持し得る程度のユーモアも適宜に拾われていたのである。



3  匠なるプロフェッショナルによる一級の表現到達点



「放浪記」では、主人公の生き方それ自身が、前述した文脈に見事に嵌る人生の振れ方を示していて、壮観だった。

「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。

父は四国の伊予の人間で、太物の行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下関と云う処(ところ)であった。私が生れたのはその下関の町である。

―― 故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人(たびびと)である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。

―― 八つの時、私の幼い人生にも、暴風が吹きつけてきたのだ。

若松で、呉服物の糶売(せりうり)をして、かなりの財産をつくっていた父は、長崎の沖の天草(あまくさ)から逃げて来た浜と云う芸者を家に入れていた。雪の降る旧正月を最後として、私の母は、八つの私を連れて父の家を出てしまったのだ。若松と云うところは、渡し船に乗らなければ行けないところだと覚えている」(青空文庫・「放浪記」/筆者段落構成)

林 芙美子
この「放浪記」の冒頭の文章が、映像全体を貫流している。

幼少時から絶望的貧困に喘ぐ女は、「宿命的に放浪者」である人生を繋いで生きてきた。

それ故、淫売でも何でもやってみせるという壮絶な覚悟と、自分が出世するためには、ライバルの女を出し抜く姑息さを、いつしか身につけてしまっていたのである。

加えて、「騙されても、騙されても、男に惚れちゃうんだから」と自嘲するほどに、女はハンサムボーイを特定的にチョイスし、そこに身も心も投げ入れていく。

特定的にチョイスしたハンサムボーイに涙ぐましい献身性を示しつつも、それでも、自分の人生の糧となる創作への熱情が、その振幅の多い人生を根柢において支え切っていたのだ。

この難しいヒロインを完璧に高峰秀子が表現し切って、いよいよ円熟味を増す成瀬が、ここでは縦横に演出して見せていた。

「放浪記」は、二つの同志的な紐帯によって構築された、匠なるプロフェッショナルによる一級の表現到達点だった。



4  天晴れな映画の、天晴れな表現宇宙が自己完結したとき



以下、本作の中から、最も印象に残るシーンにおけるヒロインの言葉を拾っていくことで、「放浪記」の本質に言及してみたい。

その1。

カフェの女給をするふみ子に、プロレタリア詩人が同人誌に誘ったときの会話。

「巻き添え食って、豚箱に入れられちゃいますよ」と白坂。作家である。
「大丈夫。私は貧乏だけど、赤旗振るのは嫌いだから」とふみ子。
「赤旗振るのが、無駄だっていうのか」と上野山。プロレタリア詩人である。

そのときのふみ子の反応は、如何にも彼女らしい辛辣なもの。

「世の中には、そんなこと言っているゆとりがない貧乏人が、沢山いるっていうこと」

いつの時代にも奇麗事を嫌う者の物言いは、言葉にオブラートを包む手続きを削った分だけ辛辣になってしまうのだ。

相手を刺激する表現を避ける人並みの器用さを持っていないか、それとも、相手との「鋭角的な交叉」を苦手にしないか、いずれかであるだろう。

明らかにふみ子の場合は、後者であるに違いない。

その2。

「鋭角的な交叉」を苦手にしないふみ子が、年若いカフェの女給に金銭を用立ててやった、或る夜の会話。

「私も姉さんみたいに、何か書けたら書くんだけど、羨ましいわ。姉さん、きっと今に偉くなるわね」

この年若い女給への、ふみ子の反応は、そこだけは確信的な力強さがあった。

「私が詩を書いているのは、これだけじゃないんだぞ、私の人生はこれだけで終わるんじゃないんだぞ、って自分に言い聞かせて、せめてもの慰めにしてんのよ。偉くなれるなんて、思っちゃいないわ」

この言葉を耳にしたとき、私は身震いした。

この生き方こそ、映像の中のふみ子の、しばしば鋭角的に尖って見せるその自我の、拠って立つ中枢的基盤になっていることを検証するものである。

「私の人生はこれだけで終わるんじゃないんだぞ」という思いがあればこそ、彼女は、「生きるためには、淫売でも何でもやってみせる」という壮絶な覚悟を根柢において支え切っていくことができたのだ。

恐らくその思いは、「せめてもの慰め」以上の何かだった。

だからこそ、鋭角的に尖って見せるその自我を唯一の拠り所にして、彼女は凄惨な時代の隅っこで、簡単に自死に流れない人生を生き抜いてきたのである。

その3。

カフェの女給時代、札束をちらつかせて、金に困る件のカフェの若い女給に言い寄ったり、不美人の女給の値踏みをしたりする田村という名の男に対して、ふみ子が切った啖呵は見事だった。

以下の通り。

「バカ野郎!何言ってやがんでえ!人間の面なんか上等か下等か、本人が一番よく知ってんだ。他人に言われなくたって、鏡見りゃ分るんだ!人間はね、食わないと死んじまうんだ。三日も四日も食わないで腹が減ったら、五十銭だろうが、十銭だろうが、淫売でもするんだよ。いい年しやがって、世の中の裏表も知らない奴が、大きな面するな!」

胸の痞(つか)えが一遍に下りるような何と爽快な啖呵なんだ、と思わず快哉を叫んだほど。

こんな気持ち良い啖呵を、一介の女給に言わせる成瀬の演出と、その啖呵を切って見せる高峰秀子の心情を想像するとき、まさに「してやったり!」の気分だったろう。

これこそ、長年にわたる成瀬と高嶺の阿吽(あうん)の呼吸によって培った末の、表現フィールドにおける同志意識が言わしめた一級の台詞ではないか。

このエピソードについて敢えて付言すれば、札束で美人女給の歓心を買おうと言い寄る男の欺瞞を撃ち抜く、ふみ子の爽快な啖呵が切られた後の描写では、結局、美人女給が男の妾になってしまうというオチがつくのである。

この辺りが、成瀬映画の独壇場なのだ。

成瀬映画では、束の間、煮え滾(たぎ)った状況がヒーローやヒロインを生み出したとしても、決して「勧善懲悪」の物語に収斂させることはないのである。

成瀬が、奇麗事を最も嫌う映画監督であるからだ。

その4。

もっと凄い台詞が凝縮した会話が、ラストシーン近くで待っていた。

慈善事業の団体が寄付を求めて来たとき、取り次ぐ家政婦に、ふみ子が伝えた言葉がそれである。

「貧乏人を助ける会なの。断って頂戴。貧乏人は働くよかしょうがないのよ」

こんな台詞は、まだ可愛いもの。

次に、若い同人雑誌の者が、毎月幾らか補助してくれなか、という厚顔無恥な申し入れに対して、そこだけは明らかな感情を入れて、ふみ子は明瞭に言い切ったのだ。

「バカ野郎って、言っておやりよ。雑誌が出したけりゃ、働いて金を作れって」

この台詞を聞いたとき、私は確信した。

この台詞こそ、「放浪記」の中で、成瀬と高峰が最も表現したいものであったに違いないことを。

このシーンには、更に説得力を持つ会話が繋がっていた。

眼の前に座る、旧来の馴染みである安岡に、ふみ子は疲労気味の声を乗せて尋ねた。

「私を成り上がりの冷酷な奴だと、思う?」
「いいえ」と安岡。
「本当のこと、言って頂戴」とふみ子。

脚本を担当した田中澄江
このふみ子の真剣な様相を汲み取った安岡は、相手の真摯な問いかけに対して、丁寧に、且つ、それ以外にない最も本質的な言葉を選択的に結んでいく。

「ま、今のあなただけを見れば、何という温かみのない人だと、世間は言うかも知れません。あなたが食うや食わずの中で、潜りぬけて来たときの、その時の苦しみを誰も知りませんからね。私はねえ、世の中には身内もないし、他人もないと思うんですよ。死ぬときも、勿論一人。自分で自分を助けない限り、誰が助けるんですか」

何という決め台詞か。

「世の中には身内もないし、他人もない」という言葉の重量感。

「自分で自分を助けない限り、誰が助けるんですか」という言葉の決定力。

その通りではないか。

共に菊田一夫の戯曲をベースにしているとは言え、既に2000回の上演達成を果たした、「でんぐり返し」の森光子の舞台作品ばかりが特段に目立って、成瀬映画の集大成としての「放浪記」という、殆ど忘れられた映画の本質が、最後に、ふみ子の昔馴染みの男の言葉を借りて語られていたのだ。

この語りが、「雑誌が出したけりゃ、働いて金を作れ」という、ふみ子の全人格的なメッセージを決定的に補完し、寸秒で完成させたのである。

そして、余情を残す見事なラストシーン。

成瀬巳喜男監督
ふみ子の原稿目当ての、新聞・出版社の社員たちを別の部屋で待たせて、包容力のある夫の優しさに包まれながら、机で安眠を取るふみ子が、九州を家族3人で行商していた少女時代の回想しながら、映像は閉じていく。

ファーストシーンと繋がる円環的な成瀬映像らしい括りに、あの有名な言葉が拾われていた。

「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」

戦後6年目で心臓麻痺で急逝した林芙美子の、僅か47年の人生の終焉をイメージさせるラストシーンの構図は、最後まで「人の死」を描くことを回避する映画監督、成瀬巳喜男の特有の表現倫理の内に収斂されていった。

天晴れな映画の、天晴れな表現宇宙が自己完結したのだ。



5  「聖女・美女・英雄幻想」を削り取った成瀬映画のリアリズム



しばしば残酷と思えるほど、成瀬映画の容赦のないリアリズム。

これが私にとって、成瀬映画の決定的求心力である。

容赦のないリアリズムは、薄気味悪い奇麗事で物語を糊塗(こと)しないからだ。

「喜びも悲しみも幾歳月」より
既に、「二十四の瞳」(1954年製作)の「聖職者」のイメージを壊していた「浮雲」(1955年製作)の女優以降も、「永遠の人」(1961年製作)に集中的に表れているように、多くの場合、大袈裟な主題歌が挿入される木下惠介による、「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年製作)の感傷過多で、「勤勉と家族愛の勧め」を強調する類の凡作を経由しつつも、極め付けの啖呵を切って見せた、「放浪記」での高峰秀子の圧倒的表現力を見るまでもなく、奇麗事を嫌う成瀬映画にあっては、多くの俳優たちの固定化されたイメージを面白いように壊して見せてくれたのだ。

成瀬は、自分の偏頗(へんぱ)な女性観を押し付けただけの小津映画の原節子から、「めし」(1951年製作)、「驟雨」(1956年製作)などの作品で、気持ち良いくらいに「聖女性」を削り取ってみせたばかりか、「山の音」(1954年製作)では、何と義父との禁じられた情愛の臭気漂う世界を演じさせたのである。


」より
  そして、何より圧巻だったのは、「」(1953年製作)という映画で全開した、容赦のないリアリズムと「ユーモア、諧謔」の共存。

日常性を描く本物のリアリズムが、「ユーモア、諧謔」を内包せざるを得ないという決定版だ。

嫌がる夫の前で、音を立てて煎餅を齧(かじ)り、箸の先で楊枝代わりに食べ滓を穿(ほじく)り出して、それをお茶でブクブクさせて飲み込む女を、東洋英和女学院卒で、気品のある美貌を誇る、お嬢さん女優出身の30代の高峰三枝子が演じて見せるのだ。

戦前の彼女は、「湖畔の宿」という大ヒット曲を持つ歌手であり、また、「戸田家の兄妹」(1941年製作)に代表される名門の令嬢役を演じてきた看板女優であったが、この高峰から色気や知性や気品さを、成瀬は容赦なく剥ぎ取って見せたのである。

多くの俳優たちの固定化されたイメージを剥ぎ取ることで、成瀬は多くの俳優を、リアリティ溢れるプロの役者に育て上げたとも言えるだろうか。

本物のリアリストは、等身大の人生を、ごく普通に映像表現するだけで、「卑屈」、「残酷」、「阿(おもね)り」、「追従」、「嫉妬」、「憎悪」、「背反」、「俗悪」、「情欲」、「敵前逃亡」、「占有」、「軽侮」等々と言った、遥かに人間的な感情の裸形の様態を、「ユーモア、諧謔」含みで、そこに特段の価値観の挿入なしに、見事なまでに写し取ってしまうのである。

それらの「俗悪性」に中途半端な抑制が媒介されることによって、そこに何とも可笑しい「諧謔」が生まれるのが、人間の真実の様態であるとも言えるだろう。

成瀬映画の容赦ないリアリズムが、「諧謔」的な可笑しさを内包するのは、まさに人間の真実の様態を映し出しているからに外ならないのだ。

数多の「英雄幻想」を壊したのも、成瀬映画の容赦ないリアリズムのジャンダルムだった。

石中先生行状記」の三船敏郎
「七人の侍」(1954年製作)の英雄たちを、「青い山脈」を高らかに歌う吃音の朴訥青年にしたり(「石中先生行状記」の三船敏郎)、締りのないスケベ親父にしたり(「あらくれ」の志村喬)、強請り・集(たか)りのヤクザ男にしたり(「流れる」の宮口精二)、結婚詐欺の常習犯にしたり(「女が階段を上がるとき」の加東大介)、といった具合なのだ。

要するに、成瀬映画の中には、「英雄幻想」が入り込む余地など全くなく、唯、その時々の世に呼吸を繋ぐ、等身大の人生模様が展開されるだけである。

まさに、「聖女・美女・英雄幻想」を削り取った成瀬映画の、容赦ないリアリズムの独壇場であった所以である。

大体、英語がペラペラの不平士族の領袖が「絶対英雄」化された、「グローリー」(1989年製作)気分のエドワード・ズウィックによる、あまりにバカバカしい、「ラストサムライ」(2003年製作)に表現されているような、「武士道の国」に住む「強き、善き男たち」などという嘘っぱちの幻想を、なお信じている者を異化するかの如く、成瀬映画に登場する「ちっぽけな虚栄を張り、存分に依存する男たち」こそ、この国の臆病な日本人の平均的な男性像だった。

「草食系男子」は、何も現代日本の特徴的姿態ではないのである。

(2010年6月)

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