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2008年10月23日木曜日

流れる('56)      成瀬巳喜男





<今まさに失わんとする者たち>



 1  シビアな現実を、淡々と、しかし残酷に描き切った成瀬映画の最高到達点



 「男を知らないあなたに、何が分るって言うのよ!」
 「男を知っているってことが、どうして自慢になるのよ!」
 「へぇ、このお嬢さんは大変なことをおっしゃいましたよ。女に男がいらないって、本当ですか、お姐さん?女に男がいらないだって。ハハハ」
 
 十歳も年下の男に捨てられた年増芸者が、傾きかけている芸者置屋の娘と、酔った勢いで激しく難詰(なんきつ)し合う。

 これは、花柳界の片隅で生きる女たちの哀歓を細密に描いた本作のひとコマ。

 結局、酔った勢いで置屋を飛び出した女には、身を寄せる場所がなく、思い切り愛嬌を振り撒いて戻って来る。それを受け入れる気のいい女将。その女将もまた男に捨てられて、置屋の再建に思いを馳せるしかない。しかし、やがて身売りされていくこの置屋の運命を観る者に明かして、映像は完結する。

 本作は、花柳界という日常性に恐らく有り触れているであろうシビアな現実を、淡々と、しかし残酷に描き切った成瀬映画の到達点を示す一級の名画。

 キャラに成り切った女優の演技力と、それを巧みに仕上げた演出の力量が完全に融合し、本作は寸分の破綻も見せない人間ドラマに結実した。歳を重ねて初めて分る映画の凄さが、ここには詰まっているのだ。

 人生を脳天気に突き抜けられない大方の人々は、恐らく成瀬作品が映し出す苛酷と哀切を共感含みに追体験する。

 そこには私がいて、私の家族がいて、私の隣人がいることを。所詮、人の世はそんなものだと。私という物語など誰も知らず、悟りとは無縁に、時代の虚ろいの中に消えていくことを。



 2  江戸ワールドを展開する水辺の宇宙



 ―― 映像に入っていく。
 

 まもなく海に届く辺りに、上流から溢れんばかりの水を集めてきて、そこだけは誇るべき大河のように広がった一本の川が、叙情的な旋律に乗って揺蕩(たゆた)うように流れている。隅田川である。

 それは東京北区の辺りで荒川から分岐し、幾つかの支流河川を束ねて、最後には東京湾に流れ込む一級河川。

 屋形船の定番にもなっている陽春の墨堤桜祭りの賑わい、古くは、能の演目や文豪の小説のタイトルにその名を残すほどに、下町レトロの趣を今なお伝えて、殆ど名所的な江戸ワールドを展開する水辺の宇宙がそこにある。

 昭和30年代。

 まだここには、「カミソリ堤防」と呼ばれる例の有名な護岸工事が着工されていない。だから河岸から対岸の様子が手に取るようによく見える。河畔に点在する料亭からも、淀みなく流れる川の風情が江戸の香りを心地良く伝えてくれるのだ。

 高度成長の、狂おしいまでの澎湃(ほうはい)に呑みこまれる直前の隅田川。

その風情をモノクロの画面が情緒的に映し出して、映画「流れる」のタイトルが浮き上がってくる。この画面はラストシーンにも繋がれて、円環的な日常世界を自己完結するが、しかしその日常性の内実は極めて冷徹で、残酷なリアリティに満ちていた。

 映像はタイトルの後、原作者の幸田文、脚色の田中澄江と井出俊郎、そしてお馴染みの成瀬組のスタッフの名が、クレジットタイトルとして連なっていく。

 撮影の玉井正夫、美術の中古智(ちゅうこさとる)、録音の三上長七郎、照明の石井長四郎、そして音楽の斎藤一郎の名前が川面を背景に紹介され、次に豪華なキャスティング陣の名が続く。

 田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、岡田茉莉子、杉村春子、そして、特別出演として栗島すみ子の名が浮き上がってきて、更に、成瀬組の常連の脇役陣である中北千枝子、加東大介と続いて、最後に、監督成瀬巳喜男の名が映し出されていく。



 3  幻想の引き千切られた血縁の親和力が絶え絶えになって



 場所は東京下町裏通り、柳橋界隈を一人の中年女が、場所を探すように歩いている。道の傍らに人力車が置いてあり、陽光を浴びた通りに車引きの男が汗を拭いている。季節は夏の盛りであった。

 中年女の前を、明らかに芸妓(げいぎ)風の若い女が、その身を和服に包んで漫(そぞ)ろ歩いている。  「つたの家」と書いた標札があり、その家内では一人の少女が日舞の稽古をしていて、若い堅気風の娘が芸妓と金銭の問題で言い争っていた。

 そこに電話が鳴って、娘が二階にいる母に要件を取り次いでいる間に、芸妓はそそくさと家を出て行った。

 彼女と入れ替わるように入って来たのが、先ほどの中年女だった。職業安定所から紹介されて来たと言う、その女の名は梨花。

 彼女が訪ねた「つたの家」とは芸者置屋。梨花と名乗る女は、お手伝いさんとして派遣されて来たのである。

柳橋界隈①(ウィキ)
芸者置屋という「異界」に入ってきた梨花は、「つたの家」の敷居を跨(また)ぐや否や、その場所が醸し出す独特の空気に面喰う。

 因みに原作では、梨花が異界に触れる描写を、独特の筆致によって冒頭で紹介されている。引用してみよう。
 
 「こっちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった。

 往来が狭いし、たえず人通りがあってそのたびに見とがめられている急いた気がするし、しようがない、切餅のみかげ石二枚分うちへひっこんでいる玄関へ立った。

 すぐそこが部屋らしい。云いあいでもないらしいが、ざわざわきんきん、調子を張ったいろんな声が筒抜けてくる。

 待ってもとめどがなかった。いきなりなかを見ない用心のために身を斜によけておいて、一尺ばかり格子を引いた。と、うちじゅうがぴたっとみごとに鎮まった。

 どぶのみじんこ、と連想が来た。もっとも自分もいっしょにみじんこにされてすくんでいると、『どちら?』と、案外奥のほうからあどけなく舌ったるく云いかけられた。目見えの女中だと紹介者の名を云って答えちらちら窺うと、ま、きたないのなんの、これが芸者屋の玄関か!

 『え?お勝手口?いいのよ、そこからでいいからおはいんなさいな』同じその声が糖衣を脱いだ地声になっていた。一ト坪のたたきに入り乱れた下駄と仔犬とそれの飯碗と排泄物と、壁際にはこれは少しもののいい大きな下駄箱を据えてある。七分に明けてある玄関のしきり障子は引手から下があられみたいに裂けて、ずっと見通す廊下には綿ぼこりがふわふわしている。

 鎖を引きずって排泄物をかきちらしながら、犬も愛敬顔で出て来たし、待機しているように廊下へ向いた手前のと次のと二タ間の障子がいっしょに明いて、美しく粧(けわ)った首が二ツつき出た」(「流れる」幸田文 新潮文庫刊/筆者段落構成)


 ―― さすがに映像は、原作のようなねちっこい表現とは一線を画している。


 
当然ながら、映像は総合芸術だから、文学的表現の限定性から解放されている。まして、成瀬の作品である。梨花の当惑振りは、たった一つの表情をさり気なく描くことで、その表現をフィルムに刻むことができるのだ。

 「つたの家」の女将であるつた奴から、梨花はその日の内に「お春」(以下、“お春”と呼ぶ)という名に変えられて、早速、雑務を言いつけられる。

 その一つが買い物。

 食料品屋に出向くものの、先月の勘定が未払いなので店主にいい顔をされなかった。お春は早々と、「つたの家」の厳しい経済事情を知らされる羽目になったのである。

 「いい話し持ってきたのよ」と言って、「つたの家」に入って来たのは、つた奴の腹違いの姉であるおとよだった。

 既に年増芸者の染香と面識を済ませていたお春は、その染香からおとよのことを聞かされる。彼女は鬼子母神(豊島区雑司ヶ谷)に住んでいて、姉妹ながら「つたの家」を借金の抵当に押さえていて、染香もまたおとよから借金をしていることなど。
 
 縁起の悪い話を聞かされて、当惑するお春の表情が印象的に映し出される。

 そのおとよの要件は、月末の取立てに託(かこ)つけて、妹のつた奴に縁談を勧めることだった。縁談の相手が金満家であることから、つた奴はこの縁組によっておとよが借金の返済の完遂を目論んでいることを察知して、気乗りしない。

 この描写に象徴されるのは、腹違いの姉妹とは言え、そこに金銭的な優劣関係によって成立している空疎な血縁の関係絵図だった。

 幻想の引き千切られた血縁の、親和力と求心力が絶え絶えになっているさまがそこに垣間見られて、観る者は、決して奇麗事で流さない成瀬的映像宇宙に這い入っていくことになる。

 「つたの家」の二階で、お春と勝代(つた奴の娘)が、部屋一杯に広げて陰干しした後の芸妓の衣裳を綺麗に畳んでいる。その部屋からは、向かいの家の様子が視界に入ってきた。主婦らしき女性が箒を使って、掃き掃除している日常的な姿が映し出されている。

柳橋界隈②ブログ・忘れ得ぬ景観より
(これがセットであるとは思えない映像の精緻さは、さすが成瀬組の面目躍如というところであった)
 
 「大したもんですねぇ」とお春。
 「芸者は衣裳が道具だから」と勝代は答えた後、「あたしね、一度お披露目して出たことあるの、半年ほど」と言葉を加えた。
 「勝代さんは、芸者さんはお嫌いで?」とお春。
 「性に合わないのね・・・あたし、誰彼かまわず機嫌取ることを出来ないのよ。お母さんもそれで随分損しているけど、芸があるでしょ。それに綺麗だから・・・でも却って、それが運が悪いみたい」
 「つたの家」の実情を聞かされたような気分になったお春は、話題を変えた。
 「勝代さんはどういう方とご結婚を?」
 「ないでしょ、もらい手なんか」
 特段の感情を込めない勝代の言葉だが、今度は勝代の方から話題を変えた。
 「お春さんは、もと何してた人?」
 「私でございますか・・ただのおかみさんでございますよ」
 
 そんな会話の中に、なな子が入って来た。

 なみ江の伯父と名乗る者が下に訪ねて来ているとのこと。それは、物語の始まりを告げるエピソードとなっていく。



 4  若い芸妓たちを留めることができない芸者置屋の悲哀 



 やがて「鋸山」と称されることになるその男は、既に、「つたの家」を出奔したなみ江の上前をピンはねしたと言いがかりをつけ、その弁済を求めて強談判(こわだんぱん)しに来たのである。

 しかし、肝心のつた奴は不在だった。男は、「二、三日したらまた来る」と言い残して去って行った。男の相手をしたお春は、面喰うばかりである。

 つた奴はおとよの強引なお膳立てで、見合いの席に座っていた。

 気の乗らない席での気の乗らない会話。

 彼女はその場を去ることしか頭になかった。そんな思いの彼女に、その場を去ることを決めさせる契機が生まれた。見合いの席を見られたくないつた奴の視界に、かつての姐さん芸者だった水野の女将と、その甥である佐伯の存在が入ってきたのである。

 佐伯は、つた奴がかつて別れた旦那である花山の秘書をしている人物。水野の女将は、その花山とも関係が深い。その場に居辛くなったつた奴は、おとよに黙って会席の場から帰ってしまったのである。

つた奴
帰宅したつた奴は、なみ江の一件を勝代から聞かされた。しかしその反応は鈍い。彼女には、会席の場での不快感がまだ残っているのだ。娘の報告を聞きながら三味線を弾くつた奴の漂流する心が、その音色の調べに合せて宙を舞っている。

 彼女には、一人、また一人と、「つたの家」を去って行く若い芸妓たちを留めることができない芸者置屋の悲哀を、否が応でも味わわざるを得ない心境になっていた。それは、やがて傾きつつある柳橋界隈の女将の共通する思いのようでもあった。

 そんなつた奴が、お手伝いさんのお春に語りかけた。

 「ねぇ、あんたご主人亡くなってから、ずっとこっち一人で?」
 「・・・はぁ」

 お春は、予想だにしない質問に戸惑った。

 「いえね、男のいない女なんてないと思ったもんだから・・・・芸者屋なんて、外見は華やかだけど、いいことばっかないのよ・・・」
 
 つた奴はお春に、この家でのお手伝いさんの仕事の継続を改めて確認した。彼女はお春の人柄の良さに好感を抱いているのである。だから、つい心の奥にある澱んだ思いの一端を開いたのであろう。

 そこに、下から電話の呼び出しの声。つた奴の先程の非礼を責める、おとよからの電話だった。

 「・・・・まあ、不甲斐ない妹ですいませんけど、もう少し長い眼で見てやって下さいな」

 これが、電話でのつた奴の最後の言葉。

 彼女は会席の場を壊した非礼というよりも、そのような場をお膳立てすることで金の算段を迫る姉に対して、借金を弁済できない至らなさを詫びたのである。腹違いとは言え、とても同じ血を分けた姉妹とは思えないこの関係の冷ややかさに、何よりも娘の勝代がその苛立ちを隠せなかった。

 まもなく、なみ江の伯父からの手紙が届いた。

 三十万円の弁済を求めて、明日、「つたの家」を再訪するということ。それを読むつた奴と勝代、そして、少し前からこの家に同居しているつた奴の妹の米子たちは、一様に重い荷物を背負わされた心境になって、溜息をつくばかりだった。



 5  抑え切れずに落涙する娘、優しい言葉で包み込む母



 ちょうどその日、米子の娘の不二子(ふじこ)が発熱し、その病の床でつた奴は水野の女将の自宅を訪ねた。

 その目的はただ一つ。

 かつて、旦那として世話になっていた花山に詫びを入れること。

 そのために水野の女将の甥であり、今は花山の秘書をしている佐伯と連絡をとる必要があった。その連絡を女将に頼みに来たのである。しかしその本当の目的を、つた奴は直裁(ちょくさい)に切り出せない。経済的に困窮している「つたの家」を建て直すために花山に会いたいという本音を、逆に女将に言い当てられて、つた奴は顔を赤らめるだけだった。

 花山とつた奴の関係は、かつて彼女が別の男に走ったことで不義理を働いてしまい、縁が切れてしまっていた。しかし経済的困窮を打開するためには、彼女は今、花山の存在以外に頼るべき伝手(つて)を持てないでいたのである。

柳橋界隈③サイト・JUGEM より
もとより、「つたの家」の経済的困窮の原因は、彼女が男に入れ揚げたために起こったもの。全てつた奴の責任にあることは、本人が一番よく分っている。

 彼女は一流の芸者であっても、一流の芸者置屋の女将ではなかったということだ。即ち、女としては魅力的であった彼女は、最低の経営者でもあったということ。その最低の経営者が今、「最も頼るべき旦那」を求めて勝負に出たのである。

 帰宅したつた奴の前を、氷を頬張りながら台所から出て来たのは染香。彼女も、「つたの家」の行く末が気になっている。「つたの家」という芸者置屋に、自らの拠って立つ生活の基盤を置いていたからだ。

 その芸者置屋に厄介になっていながら、「つたの家」の行く末を気にしない女がいた。つた奴の妹の米子である。彼女は時々、娘の不二子に習い事の相手をするが、その不二子が今、病の床に就いているのに、自分は夫を探して方々歩き回るだけ。娘の病気で、米子の気持ちに大きな不安が生まれたのである。

 彼女は社会的に自立する道を前向きに求める気概を全く見せず、「つたの家」の居候の身分をいつまでも捨てられないでいる。恐らく彼女の夫は、女としての魅力を失った米子に愛想を尽かして出奔したに違いない。
 
 「みっともないと思わない?捨てられた男の後を追って」とつた奴。
 「でも、子供が病気ならしょうがないでしょう?何てったって、親ですもん」と米子。
 「何さ!子供を女に押し付けて、知らん顔しているような男なんて」とつた奴。
 「あら、それなら勝代さんのお父さんだって・・・」と米子。

 このとき、階段を上がり切ったところに居た勝代の耳に、二人の会話が入ってきた。

 「ごめんなさい。私なんか姉さんに比べられるような筋合いじゃないのよ。芸者にもなれず、不二子の母親ってところがやっとこさ。おまけに親子でこうして転がり込んで・・・」

 米子はここまで言って、嗚咽してしまった。そんな甘えを含んだ感情を捨てて、彼女は部屋から消えていったのである。
 
 部屋に残されたのは、母と娘。

 「お父さんっていう人に、会って来ようと思うの・・・」

 気まずい空気の中で、娘の方から先に切り出した。

 「どうしてお母さんが、お父さんって人と別れたのか知らないけれど、でも、あたしっていう子供からしたら見てられないんです。お母さん、誰も頼る人がいなくて」
 「心配しないでよ。子供に可哀想がられたりして、それこそ物笑いになるからね」

 外は雨。母子の情愛が最も伝わってくる会話だった。

 抑え切れずに落涙する娘に、母の優しい言葉が包み込んできた。娘はそれ以上何も言えなかった。



 6  一縷の望みをも絶たれて


「鋸山」と水野の女将
 
 翌日、つた奴の留守に「鋸山」(なみ江の伯父)が「つたの家」に乗り込んで来た。その間、つた奴の代わりに「 鋸山」を相手にしていたのは水野の女将だった。彼女は花山から受け取った十万円を届けに来たのである。

まもなく、つた奴が帰宅して水野の女将に深々とお礼をした後、彼女は「鋸山」との直接対決に臨むことになった。金を受け取るまで梃子(てこ)でも動かないという男の態度は、、覚悟をちらつかせる恫喝的な振舞いに終始する。「つたの家」を支配するような重い空気が、そこに漂っていた。

 一方、下の階では米子の夫が玄関に現れて、別れたつもりの妻と口論していた。

 彼の中では既に米子との関係は切れていて、今は他の女と暮らしている様子。そんな中で米子に訪ねられて迷惑する夫の方から、娘の薬代を届けに来たという名目で、妻との縁切りを果たしに来たのである。

 米子は狼狽し、泣き崩れるばかり。一つの空間で、姉と妹が窮地に陥っている風景が、哀れなまでに炙(あぶ)り出されていた。
 
 「鋸山」から声を荒げて責められている母を案じる勝代と、それを宥(なだ)めて必死に対峙するつた奴。結局、その場は酒を飲ませて、男を近くの旅館に泊まらせた。一応その夜は休戦協定となったのである。

 寝床に入ったつた奴を起す、男の声があった。巡査の見回りである。そのときつた奴の指示で、お春が裏口から隣のラーメン屋に五目そばを注文し、それを板塀越しに受け取る描写、更にそれをお巡りさんに振舞うシーンは、如何にも花柳界の古い仕来(しきた)りを簡潔に映し出していて、蓋(けだ)し興味深いものがあった。

 翌日、おとよが「つたの家」にやって来て、この置屋を水野の女将に譲ることを申し入れてきた。

 寝耳に水の話しに驚いたつた奴は、居留守を使って「鋸山」を返した後、急ぐように水野の女将を訪ねていく。女将はつた奴にその件をやんわりと否定し、代わりに花山と会うことを勧め、甥の佐伯に仲介の労を頼んだのである。

 つた奴は、花山と会うことに意を決した。

 彼女は念入りな化粧をし、勝負服を着て、料亭の一室で一人花山を待つ。夜の隅田川が見える風情豊かな一室で、つた奴はひたすら男を待つ。しかし、そこに現われたのは佐伯だった。その佐伯を介して、花山が用事で来れないという伝言がつた奴に伝えられ、彼女は思わず声を潤ませた。

 「でもね。今日ここに来たの、随分思い切ったつもりなんですよ。でも、もうこれ以上・・・・」

 一縷(いちる)の望みを絶たれたような思いで、つた奴は暗い夜道をとぼとぼと帰路に就く。

 その寂しげな表情が月の明かりに照らされて、観る者の感情移入を自然に誘(いざな)っていくカットとなった。



 7  悲劇の時間のうちに、刻一刻と押し流されて



 「鋸山」が強談判に現れたのは、その翌日だった。三度目である。男に反駁する気力を持たないつた奴は、蚊の鳴くような声で反応するだけ。

 「でもね、私の方こそ騙されていたんですよ。二つも歳多く言ってたんですもの・・・」
 「おじさんには済まないんですけど、私がなみ江さんと合わなかったんです。別にいじめる気はなかったけど、私より若いのにどうしてあんなことできるかと思うと、ついものの言い方も荒っぽくなって・・」

 意気消沈する母に代わって、勝代が代弁している。

 そこに米子がお巡りさんを連れて来て、関係者が警察に呼び出されることになった。その警察の仲介で、「鋸山」の一件は一応の解決を見たのである。

勝代とつた奴
その夜遅く、疲れ果てて自宅に戻る母と娘。

 慣れないトラブルに、二人はすっかり気力を削がれてしまっている。トラブルを案じた水野の女将が、「つたの家」で待っていた。

 その女将と、つた奴との会話。

 「警察で考えてみたんですけどねぇ。この家、やっぱりお姐さんに買って頂こうかと思って」
 「あら、どうして?」と女将。
 「だって、そうじゃありませんか。もうこれで、この家の看板も潰れたようなもんですわ。段々格が落ちるのを見ているよりも、いっそこの辺でさっぱり・・・」
 「そう・・・まぁ考えちゃあみますけどね。私としちゃあ、できるだけそういうことはねぇ」
 「でも、お姐さんにこの家の始末をつけていただけりゃあ、あたしとしても本望ですわ」
 「まあ、佐伯とも相談はしてみますけどね・・・実はねぇ、言い出しにくくて言わなかったんだけど、花山先生からの十万円、あれはもうこれっきりって意味だったのよ」
 「もう、おっしゃらないで、大抵そんなことだと・・・すいません。つた奴もこの辺で、男と縁を切れってことなんですよね・・・」
 
 隣の部屋の暗がりで、娘の勝代だけが聞き入っている。

 全てが何もかも分っていて、それでも何もできない自分を責めているのか、それともそんな無力な母に、ただ憐憫を感じているだけだったのか。何かが崩れつつある時間を、芸者置屋の娘は待っているかのようであった。

 そんな母娘の悲哀が「つたの家」の二階に漂っている。

 階下では、つた奴の代わりに座敷を勤めた染香が酩酊し、なな子と共に愉快に踊っている。一つの建物の支配下で、悲哀と饗宴が同居しているのだ。

 そこには、「今まさに失わんとする者たち」の時間が、刻一刻と押し流されていくさまが映し出されていた。



 8  荒れた心を持て余す年増芸者の悲哀



 「鋸山」の件は、佐伯の助力もあって、刑事事件にならずに示談で解決をみた。結局、花山から受け取った金の半分が「鋸山」に支払われることになったのである。それでも、つた奴の重苦しい心は、ストレスフルな時間から解放された安堵感に充ちていた。

柳橋界隈④サイト・JUGEM より
一方、勝代は隅田川沿いの道を佐伯と歩いている。

 その二人の会話。
 
 「勝代さん、結婚はどうなんです?」と佐伯。
 「考えてないわ」と勝代。
 「どうしてです?」
 「結婚ってお嫁に行くこと?養子もらうこと?」と勝代。少し挑発的である。
 「どっちでも自由じゃないですか?」
 「ええ、自由よ。でもね、具合が悪くなってる芸者屋で、そこへあたしときたら稼ぎがなくて、そんなとこ誰が来てくれるかしら。上手くいって、結局は芸者屋の亭主でしょ?今どき芸者屋なんて商売、若い者は誰だって嫌じゃない」
 「それは少し考えが狭すぎないですかね」と佐伯。
 「そうかしら。でもしょうがないのよ、今のままじゃ。お嫁に行くにしたって肩身が狭いの・・・玄人の家に生まれて、素人みたいに育っているでしょ。体が半分半分色が違ってるって感じ。収まりようがないのよ。結婚なんて夢。それよりもね、どうやって暮らしていこうかっていうことの方が心配よ」

 勝代の問題意識の中枢には、傾きかけた芸者置屋の未来をも視野に入れて、自分が如何に生活的な自立を果たしていくかという思いがある。それは結婚を諦めた娘の自覚と言うよりも、花柳界でしか生きられない母への肉親の情愛が反応する思いでもあった。

 若いつばめに振られた染香が酩酊状態で、「つたの家」に戻って来た。

 荒れた心をつた奴にぶつけるしかなかった。「その方が良かった」というつた奴に対して、年増芸者はその思いの丈を吐き出した。

 「お姐さん、そんなつれないこと言わないで下さいよ。お姐さん、そんな気持ちでいられます?男と別れて」
 「だって、どうせ添え遂げられる仲じゃないなら、別れ際が大事よ。ねえ、それより早く姉の借金片付けちゃって。あたしもね、もうこの家売ってさばさばしちゃったの」
 「そりゃあ、お宅なんかこうして売る物がおありだからよろしいけど、あたしなんか売るったって我が身だけ。それも三味線の芸だけでしょ。なかなか借金返すまではいかないんですよ・・・・お姐さん、あたし毎日稼いでるんですよ。なのに、どうしても足りないってのはどういうんでしょ?」

 染香の愚痴は、なみ江の一件で顕在化された伝票の問題にまで発展していく。なな子も傍らで聞いている。明らかに染香の側に立っていた。

 そこに勝代が戻って来た。当然の如く、娘は母の側につく。二対二の女のバトルが始まったのだ。
 
 「ねえ染香さん、あんたそんなこと言いながら惨めじゃない?自分が。この仕事が気に入らなかったら、辞めたらいいと思うわ」

 勝代の言葉に感情を噴き上げた染香は、なな子を誘って「つたの家」を出て行こうとする。

 「お姐さんにはね、確かに恩もありますけど、積もる恨みもございます」
 「恨みがあるなら、出てってよ!」と勝代。彼女も激昂している。
 「ええ、出て行きますよ」

 泣きながら吐き出し尽くした染香には、それでもまだ吐き出せないものがあった。男の問題である。
 
 「男を知らないあんたに分るもんか!」と染香。激昂がピークに達している。
 「男を知ってるってことが、どうして自慢になるのよ!」と勝代。娘も負けていない。
 「へぇ、このお嬢さんは大変なことをおっしゃいましたよ。女に男がいらないって、本当ですか、お姐さん?女に男がいらないだって。ハハハ」

 当稿の冒頭の会話が、ここに出てきたのである。

 一人で、誰彼なく痴態を露わにして、狭い空間を支配したつもりの染香の心は、空疎な感情の噴き上げでしかなかった。面罵された勝代は、二階に上がって頭(こうべ)を垂れるだけ。
 
 何日か過ぎた後、染香は「つたの家」の玄関に現われた。

染香
気まずそうに部屋に入って来た中年女は、阿(おもね)るような表情をたっぷり浮かべて、つた奴に丁重な詫びを入れた。

 「お姐さん、またこちらに置いてくださいますね。久し振りにこうして上がってみれば、仕込みさんも増えて、嬉しいじゃありませんか。あたし、涙が出ちまいましたよ」
 「あたしの方もね、新規巻き直しのつもりなの。どうぞよろしくね」

 染香を見て驚くつた奴の表情には、初めから笑みがあった。

 どうも彼女は、人を憎み切れない性格らしい。染香の口から、なな子が他の置屋に移ったという話を聞いても、それをつた奴は軽く受け流すばかり。気丈な勝代との、母娘の性格の違いが際立つ場面であった。

 その勝代は今、二階でミシンを踏んでいる。

 彼女は職業安定所などに自ら出向いて、自立の道を真剣に模索しているのである。その心の中には、当然の如く、傾きかけた置屋の未来の希望の稀薄な状況が視野に入っているのだ。



 9  「異界」に深々と踏み入った者の、恐れにも似た違和感を体感して



 時を同じくして、お手伝いさんのお春は、水野の女将に呼ばれて、予想だにしない話を切り出されていた。

 「実はね、おつたさんに、いつまでもあそこの家に居てもらっても何だから、どいてもらって、小料理屋でも始めようかと思ってんの。つまり、この家の支店ってわけね」
 「あそこで?そう致しますと、お姐さんたちは・・・」

 眼を丸くして驚くお春に、女将は冷たく言い放った。

 「うーん、芸者屋をやっていくつもりなら、川向こうでも移ってでも、やっていけるぐらいのものは持ってんのよ、あの人たち。でもね、この間ちょっと仕込みっ子見たけど、ありゃ一人もモノになりそうのはいないよ。おつたさん、あんなに長いこと芸者をしてて、やっぱり眼がないんだね。ありゃあね、皆、なみ江になりますよ。体を張らなきゃ、芸者とししちゃあ立っちゃいかれませんよ・・・ねえ、考えてみて。あんたって人、なかなか見所があって、ただの女中さんにしておいちゃ惜しいと思うの。ねえ、どうかしら?」

 「はぁ・・・」とお春は絶句する。女将は畳み込んでいく。
 「今すぐとは言わないけれど、ここ一二ヶ月の内には決めなくちゃと思ってんの。勝代を代わりってこともあるけれど、どうもあの子は愛嬌が悪くてね。あれはお客商売には向かないわ。もしもあなたが駄目なら、他に心当たりはあるのよ」
 「そのこと、勿論お姐さんは・・・」

 置屋の再生を目指すつた奴の気持ちを知るお春には、「つたの家」の人々のことが案じられるのである。

 「思っても見ないでしょ・・・ねえ、どう?」
 「はあ、あの、私にはとても勤まりそうもごさいませんので、折角で申し訳ございませんが・・・」
 「そうぉ・・・それならそれで、黙っててね。おつたさんにも誰にも」
 「はあ、これで失礼させて頂きます」

 水野の女将の表情は、一貫して経営者としてのそれであった。


柳橋界隈⑤サイト・夜景壁紙より
元芸者とは思えないほどのその合理的な感覚に、お春は当惑するばかりだった。女将に対するイメージの落差に整合性をつけられずに立ち竦むお春の姿は、「異界」に深々と踏み入った者の、恐れにも似た違和感を全身で体感する何者かであったに違いない。



 10  今まさに失わんとする者たち ―― 三味線と小唄の音色が軽やかに弾かれゆく只中で



 ラストシーン。

 つた奴が三味線の伴奏と小唄で、不二子に踊りを教えている。そこには母の米子がいて、染香がいた。

 ちょうど稽古が終わって一段落したとき、若い芸妓が置屋の女将に連れられて、「つたの家」に入って来た。お披露目である。

 「お姐さん、すっかり元気におなりになって、よろしゅうございましたわね」
 「ええ、お陰さまで。うちもすっかり新顔になりましので、どうぞよろしく」

 女将同士の会話には、これまで花柳界で何度も繰返されてきたであろう儀式の内にも、置屋の再生を目指すつた奴の意志が垣間見えていた。

 その温暖な空気の中に、お春が戻って来た。

 彼女は家の者たちに、自腹で買った饅頭を振舞った。既に意を決したかのような彼女には今、これくらいのことしか出来ないのである。お春はその足で二階に上がり、ミシンを踏む勝代の前にも饅頭を届けた。

 その二人の会話。情感がこもっていた。
 
 「勝代さんはお偉いですね」
 「ああ、偉いなんて・・・ただ、何かやらなくちゃいられない気持ち・・・いざとなったら。親子二人で何とかやっていけるくらいのことは、身に付けておきたいと思うの」
 「さようでございますね」
 「でもあたしね、お春さんがずっと家にいてくれたら、何かと相談相手になってもらってとても嬉しいんだけれど・・・」
 「はい、私もできたらそうさせて頂きたいのですけれど・・・」

 今のお春には、それ以上のことは表現できない。

 「そう、そうね。あなたはこういう所に、いつまでもいる人じゃないかも知れないわね・・・」
 「いいえ、実はちょっと主人の故郷(くに)に帰して頂こうかと思いまして・・・」
 「田舎に?」
 「はい、子供と主人のお骨も墓に納めなければなりませんし、その後のことはどうなりますか。親戚もみんな窮屈なのが揃っておりますし、それが嫌さに、一人で飛び出してまいりましたんですけれど、いつまで自分の我がままを通せるかどうか・・・」
 「そう・・・」

勝代とお春
寂しそうな勝代に饅頭を勧めた後、お春は邪魔にならないように、そっと階下に降りて行く。

 振り返るお春の心の中では、何とも言いようのない思いが込み上げてきていた。彼女には何もできないのである。だから郷里に帰るしかないのだ。それがせめてもの、「つたの家」に対する義理立てのようでもあった。

 この映画の登場人物たちの台詞は、これが全てだった。

 その後の僅かな時間に流される映像はあまりに哀切に満ちていて、残酷極まるものだった。

 階下では、つた奴と染香が必死に三味線を合わせている。

 それを見守る、幼い仕込みっ子たち。その背後に、お春の如何にも辛そうな視線が沈み込んでいる。階下から伝わってくる三味線と小唄の音色をかき消すように、勝代のミシンが機会音を吐き出している。お春は一人、その空気に入り込めないで台所仕事に打ち込んでいた。

 映像を括っていく音楽が物語を包み込むようにして、最後に隅田川の流れを映し出し、それがフェイドアウトするまで静かに流されていく。

 ラストシーンがファーストシーンと繋がって、それでも大きく変わらない人々の日常性が、円環的な自己完結を遂げていくのである。
 
 何かが終り、何かが始まっていく。その中で少しずつ何かが変わっていく。人々はこうして今日という日を生き、明日もまた生きていく。

 「つたの家」の崩壊は、決してつた奴や染香、米子母娘、そして勝代の人生の終りを意味しない。彼らの人生は一時(いっとき)躓(つまづ)くが、それでもそこから何かが生まれ、それが一つの繋がりを持って時間の海を泳いでいくに違いないのだ。

 そのように信じなければ、とても受容し切れない程に辛すぎるラストシーンだった。

          
                        *       *       *       *



 11  柳橋芸者の世界 



 ここに、一つの興味深いレポートがある。

柳橋の花柳界の内情と、その盛衰について言及したレポートである。少し長文だが、参考までに引用してみる。「つたの家」の崩壊を理解する上で役立つと考えたからである。

 「柳橋芸者の世界

 一般的に芸者になるためには、10歳前後の少女が仕込みの契約で下地っ子として雇われ、雑用をこなしながら、音曲、舞踊などを稽古し、12歳前後で『お酌』となる。『お酌』とは『半玉』とも呼ばれる。『半玉』とは座敷にあがり、芸を披露したり、接客をすることはできるが、一人前の芸者としては認められておらず、玉代(遊興料)が半分であるという身分をさす。やがて17歳前後になると、『一本』となり、一人前の芸者として認められ、一本立ちのお披露目が催される。

 『一本』となる場合、芸者の面倒をみる者(旦那)がつくことが多い。一本立ちのお披露目はその旦那が資金を出し、催すのである。17歳頃まで旦那がつかない場合には芸者置屋の主人が資金を出し、一本立ちのお披露目をする。明治~昭和期において、芸者の卵たちは、基本的にこのような過程を経て、一人前の柳橋芸者となったのである。

 一人前になった芸者の出先は料亭である。柳橋芸者の出先となる料亭の多くは隅田川河岸に立地していた。この立地条件は、料亭にとっては非常に有利であった。座敷から隅田川を眺望することができ、また、客と芸者が料亭の庭から屋形船に乗り込んで舟遊びすることなども可能であったのだ。これが柳橋料亭の大きな強みであり、売りであった。

 このような柳橋料亭特有の事情があったため、柳橋芸者は屋形船に乗るためのコツや作法をも伝授され、稽古していたという。また、両国の川開き花火が催される日には、柳橋の各料亭が得意客を招待し、用意した座敷や貸し切り船、桟敷席(さじきせき)などに芸者を出し、客の接待をしていた。

 また、一人前になっても芸者にとって、音曲、舞踊の稽古は欠かすことのできないものであった。各地の花柳界では、組合を作り、温習会を催して技芸の向上を図っているのが通例であり、柳橋花柳界も例外ではない。柳橋では明治35年(1902年)に芸妓組合が組織され、その後の昭和23年(1948年)には、芸の研鑚と上演を目的とした柳橋みどり橋会が発足し、新橋演舞場や明治座などの劇場で毎年、舞踊公演をしていたのである。

 柳橋花街の衰退

 江戸時代より隅田川とともに歴史を刻んできた柳橋花柳界は、平成11年(1999年)、その長い歴史に幕を閉じた。現在の柳橋周辺において、かつての料亭街の名残はかすかに感じ取れる程度でしかない。(資料5-3)


柳橋界隈⑥サイト・Hotel Yanagibasiより
柳橋花柳界の衰退は昭和30年代後半から始まっていた。

 昭和36年(1961年)には、41店あった料亭が、昭和47年(1972年)には13店、昭和56年(1981年)には6店となり、店舗数の減少はもはやとどまるところを知らなかった。それに伴い、芸者置屋の数もどんどん減少していった。そして、平成11年1月、唯一残っていた料亭が廃業となり、柳橋芸妓組合も解散、柳橋の花柳界は終焉を迎えたのである。

 柳橋花柳界が衰退した原因はいくつか挙げられる。

 一つは、柳橋花柳界が芸の伝統を重んじる保守的な面が強く、時代に合わなくなったこと。座敷では日本舞踊、長唄、清元、常磐津、古曲、小唄以外はあまり披露されず、他の花柳界が輩出した歌謡曲などの流行歌手が柳橋では育たなかったのである。

 二つ目は、昭和30年代後半の高度経済成長期を境に、客層が変化したこと。つまり伝統芸が分かる旦那ではない、一般客の増加である。昭和39年(1964年)頃、ヤトナ(雇仲居こと。料理屋、茶屋などに臨時に雇われる仲居。)の需要が柳橋の料亭にもあったということからも、客層の変化をうかがい知ることができる。

 また、その頃から、銀座でキャバレーが流行し始め、接待の場として使われるようになり、客が銀座へ流れていったことや、待合政治(料亭での接待を伴う政治)への批判が高まっていたことも挙げられる。柳橋の場合、新橋や赤坂と比べ、政界とのつながりは薄かったが、料亭そのものに対しての世論が好意的ではなくなっていたのである。

 そして、柳橋衰退の最大の原因は、やはり隅田川の変化と大きく関係している。すなわち、カミソリ堤防による料亭と隅田川の遮断、高度経済成長期の隅田川の汚染、という二つの変化である。

 昭和30年代後半、隅田川の洪水防止のための護岸工事が始まっている。この工事で隅田川沿いの町には、カミソリ堤防と呼ばれる水面に対し垂直なコンクリート製の堤防が次々に建設された。そしてこのコンクリートの塊によって、隅田川と陸地は完全に遮断され、人々の生活から隅田川の存在が完全に隔離されてしまった。当然ながら、料亭の座敷から隅田川を眺望することはできなくなり、料亭の庭から直接屋形船に乗る舟遊びもできなくなった。

 また、高度経済成長期前後において、隅田川の水質は工業廃水などにより、著しく悪化していた。川からは悪臭が漂い、近隣の住居家財の金属は変色するなど、汚染の悲惨さは隅田川史上最悪のものであった。このような状況下で、料亭の客に隅田川を敬遠する傾向が生まれてしまった。これらの隅田川の変化が柳橋花街の衰退を決定付けたのである。

 江戸時代より、賑やかな花街として隆盛を誇ってきた柳橋花街の歴史は、常に隅田川とともにあった。



柳橋界隈⑦サイト・落語「松葉屋瀬川」の舞台を歩くより

戦後、カミソリ堤防による隅田川と人々の隔離、工業廃水による隅田川の汚染など、経済成長や生産性、効率性を盲目的に追求する時代の中で、隅田川とのつながりを絶たれ、隅田川に背を向けざるを得なかった柳橋花街が終焉に向かったことは、隅田川での遊興によって、繁栄してきた柳橋花街にとっては必然であったとも言える。

 経済成長の陰に隠れ、ひっそりとその長い歴史に幕を閉じた柳橋花街。すべてを知るのはその地に残った神田川に架かる柳橋のみである」(ネットサイト・2003年度一橋大学社会学部学士論文〈加藤哲郎ゼミナール〉「隅田川への誘い 第五章 川とともに生きた街」塩谷良介著 より引用/筆者段落構成)



 12  関係幻想の脆弱さ



 ―― ここから作品批評に入っていく。


 「流れる」は残酷な作品である。

 しかしその残酷さは、成瀬的映像宇宙の支配下にあって、ごく通常の人生模様の断面でしかない。

 成瀬は一切の奇麗事な装飾を、その作品群から潔いまでに剥(は)ぎ取っている。そこで剥ぎ取られて残ったものだけが、成瀬にとって人生の真実だった。剥ぎ取られることで残された人生の真実には、残酷さのイメージこそが相応しい。

 人生は思うようにならないのだ。それでも人は生きていく。残酷さに満ちた人生の隙間に、僅かばかりの温もりを求めるために生きていく。程度の差こそあれ、温もりのない人生は存在しない。だから生きていけるのだ。

 逆に言えば、「温もりのない残酷なる人生」だからこそ人は死を選ぶ。死を選ばないで、それぞれの固有なる時間と繋がっている人だけが、そこに生きている。今、生きている。それだけのことなのだ。それ以外に、人生を解釈する言葉は不要なのである。

 「流れる」の残酷さは、一連の成瀬作品で繰り返し描かれている関係幻想の壊れやすさ、脆弱さを主題にすることから浮き彫りにされた何かである。少なくとも、私はそう把握している。

 私の愛好する成瀬作品の一つである「晩菊」では、母と息子、母と娘、男と女の関係幻想の脆弱さが印象的に映し出されていたが(他に、例を挙げればきりがない)、では、「流れる」という成瀬映像のその山脈の頂点を極めるような作品では、一体、何が描かれていたか。

 作品では、主人公のつた奴絡みの関係幻想が中心になっていることが極めて重要である。なぜならこの作品は、柳橋に象徴される伝統的な芸妓世界の、その「崩壊前夜」の緊張をメインにしているからだ。



 13  つた奴の、関係幻想の崩れ  



 つた奴の、関係幻想の崩れを示す事例。
 
 第一に、姉妹の関係。

 これは、腹違いの姉であるおとよとの関係を指すが、その関係前史が描かれていないため即断できないが、恐らくこの二人の関係には、「幻想=物語」と呼べるものが果たしてどれほど形成されていたか疑問である。
しかし所謂(いわゆる)、肉親幻想という語に集約される一般的な観念が、この二人の間に全く存在しなかったと決め付けられないので、とりあえず押さえておく。但し映像の中で、この関係には、「姉妹という物語」の確かな継続力は微塵も見られなかった。

  第二に、旦那との関係。

 最後まで映像に登場しない「花山」なる人物は、他の男に走ったことで、置屋を抵当に入れる羽目になったと思われるつた奴の不義理に対して、包容力のある印象を部分的映像を通して間接的に伝えていた。
 しかし、彼以外に頼む伝手(つて)を持たないつた奴の最後の勝負を、手切れ金という形で処理した花山は、結局本人と会うことすらなく、一縷(いちる)の関係幻想に縋るつた奴を、最後はばっさりと斬って捨てたのである。
 
そして第三に、水野の女将との関係。

 この関係が、映像の主題と直接的に脈絡する最も重要な関係であると言っていい。この関係の崩壊は、「つたの家」という伝統的な芸妓世界の決定的な崩壊に繋がっていく。そしてその崩壊のさまを、全く台詞のないラストシーンの、「今まさに失わんとする者たち」のそれぞれの日常的描写による括りによって閉じていく映像は、残酷の極みであるとも言えるのだ。

 このシーンこそが、この作品の完成度の高さを決定づけた描写だった。
 
 最後に第四の関係として、若い芸妓たちとの関係がある。

 この関係を象徴するのは、なみ江の出奔である。これは、映像のファーストシーンで紹介される描写。芸妓の上前をピンはねしているという問題に端を発した描写の設定は、既にこの映画が、花柳界という伝統的世界の崩壊を主題にした作品であることを暗示している。

 確かに、芸妓の稼ぎを記録する伝票管理を杜撰(ずさん)にしていた置屋の責任は看過できないが、極めて保守的な花柳界での封建的枠組みは、戦後暫く温存されてきた陋(ろう)習であったに違いない。

 とりわけ、「つたの家」のような伝統的な置屋では、戦後の自由化、民主化の流れに上手に適応できずに取り残されてきた旧来の陋習が多くあり、より良い経済環境を求める若い芸妓とのトラブルは必然的だったと言える。

 「鋸山」なる人物が、「人権蹂躙」を理由に金銭を要求するシーンは滑稽じみているが、戦前と戦後の芸者の対立を象徴する場面であったと言えようか。

相互の人間的な信頼関係によって補完されたであろう、その上下関係の堅固な枠組みは、芸妓の世界に於いても、関係幻想の崩れは例外ではなかったということである。



 14  つた奴以外の関係幻想の崩れ



 関係幻想の崩れを示す描写は、つた奴以外にも存在する。

 その一つが、つた奴の妹米子と夫の関係。

 ひたすら姉の家で夫の迎えを待っていた米子は、遂に訪ねて来た夫からの決別の意志に触れて動揺し、泣き崩れる。夫の心を繋ぎとめられない女の無力さが、この関係に於いて際立っていた。
 米子は妻として、女としての何かが欠落していただけではない。彼女は幼き娘の母としても大いに欠落していた。その欠落する全てのものを夫は厭悪(えんお)し、その関係が幻想に結実する術がない程に破壊した。破壊された無力な女の哀れさだけが、そこに捨てられていたのである。

 もう一つは、染香と若きつばめとの関係。

染香
相手の男は映像に映し出されないが、染香の絶望的な言動によって、観る者は、そこにも一つの関係の破綻があった事実を知ることになる。年増芸者の恋の顛末は、恐らく、相手の男に利用されたに過ぎないであろう推測を可能にする、極めて哀切な描写によって放擲(ほうてき)されていた。



 15  残酷さの中の温もり  



 「流れる」という秀逸な作品は、このように関係幻想の破綻と崩壊のさまを、じわじわと炙(あぶ)り出すように、そのサディスティックとも見える容赦のない映像の内に描き出したが、しかしそこにも、「残酷さの中の温もり」がさり気なく拾われていた。

 勝代の存在がそれである。

 勝代は、母に経営的才覚の欠乏を感じ取っている。その人の良さや、押しの足りなさのために、母が苦労多き人生を歩んできたことを、いつもどこか醒めたような視線で捕捉している。しばしば彼女は助言を呈するものの、母の気性の変わりようのなさに諦めてもいる様子なのだ。

 しかしそんな母だからこそ、娘は母に対する肉親的愛情を失っていないかのようであった。自分が置屋を継承する意志を持たないが、職業的自立を果たすことで母をサポートしようとする思いを、勝代は決して捨てていないのである。

 この母子関係は、保守的で伝統的な世界にしがみつくばかりの母と、近代的な観念によって一定の精神武装を果たしている娘との、言わば、新旧世代の対比を象徴する関係構図としても描かれている。

 しかし母子の情緒的結合の程度は、二人の観念や思考の落差を埋めるのに充分すぎる深さを示していて、これが観る者にある種の救いを保障する。映像の未来は、娘の前向きな人生態度の良好な展開を予想し、その軌道の内に、「それでもこんな幸福が待っていた」という物語をイメージさせる何かがあると言えようか。

 最後まである種の、どこかで醒めたような客観性を被せた存在として、映像の中枢から少し距離を保持した役割を与えられながらも、表現世界での存在感の大きさを暗示させるキャラ設定として、勝代の負った枢要な役割を無視できないのである。



 16  物語を客観的に眺望し、相対化することで手に入れる、厳格な自然主義的リアリズム



では、物語のナビゲーター的役割を担ったお春の存在とは何だったのか。

 彼女は水野の女将から、小料理屋の女将の仕事の誘いを受けたとき、それを丁重に断っている。彼女は一昨年は夫を、そして昨年は我が子を亡くす薄幸の女性だが、しかし映像に映し出された中年女性のある種の上品さは、「分」を弁(わきま)えた人間的な内実を醸し出す人格像の裏づけを伴うものだったのである。

 彼女には、水商売のカテゴリーに収まる職業に対して、どこまでもそれを、「異界」としての認識の枠組みでしか捉えられないのだ。だから「つたの家」の崩壊を知り得る立場に置かれた彼女は、そのことをつた奴や勝代に事前に知らせる行動を慎んだ。それは彼女の冷たい性格の故ではない。彼女の中で、自分がそのような残酷な告知をする立場にないことを認識できていたからである。

 水野の女将から恨まれることを恐れた思いも確かにあるだろう。

 しかしそれ以上に、この事実は、彼女が最後まで「異界」との関係に於いて距離を保っていたことを意味する。そして、その「異界」との縁を自らの意志で断ち切ったのである。

 このとき、水野の女将の誘いを彼女が受けたたらどうなるか。つた奴にとって、それは二重の裏切りに遭うことになる。つた奴は、かつての姐さん芸者だった水野の女将に裏切られ、その女将の采配で料亭を任されるお春からも裏切られたような気分になったかも知れないのである。

 しかし映像で紹介されるお春の存在は、初めから「異界」の中枢で働く性格の人物として描かれていないのだ。従って観る者は、ラストシーン近くでのお春の態度に対して、何の違和感を持つことなく了解できる文脈で処理されるに違いない。結局、お春の存在は、最後まで物語のナビゲーターの役割しか与えられていなかったのである。

 即ち、花柳界に対して全く没交渉の立場にある、一人の堅気の人間の視線を導入することによって、物語をあくまでも客観的に眺望し、相対化することで手に入れる厳格な自然主義的リアリズムの達成、それこそが作り手が狙った、「人生の真実なる有りよう」の完璧な映像化だったのである。



 17  生きることは別れること



 関係幻想の崩壊は、「別離」へと至る。

 しかもその内実は、決定的別離であった。それは、成瀬が自らの作品群の中で、繰り返し描いてきたテーマでもあった。

 成瀬は「別離」を描く映画監督である。そのことを指摘したのは、同じ松竹出身の吉田喜重監督である(「成瀬巳喜男と映画の中の女優たち」所収、「成瀬巳喜男を語る」より、ぴあ刊)。成瀬の作品を殆ど観ていないと言いながら、吉田監督の指摘はさすがに慧眼(けいがん)であると言わざるを得ない。私もそう思う。

 確かに成瀬は、その作品の中で繰り返し人間の様々な「別離」を描いている。

 恐らくそこには、成瀬の知られざる生い立ちと通底する感情が重なっているだろう。彼についての詳細な伝記本を手にする機会がない現在、映画監督になるまでの彼の前史は、充分に把握されていないのが実情である。だから私たちは、映像を通して彼が描こうとしたもの、描きたかったものを汲み取って、そこに自分たちのそれぞれの思いをクロスさせていくしかないのだろう。


演出中の成瀬巳喜男監督
成瀬がその作品群で、執拗に人間の「別離」について描いたのは、人生に於いて不可避なる「別離」を通して、そこに立ち竦み、翻弄され、砕かれてもなお生きていかねばならない人間の性(さが)のような、その心の奥に澱(おり)となって溜まった見えにくい世界を、フィルムに刻み付けたかったのではないか、と私は考える。
 
 人間の「別離」は、あまりに多様である。

 慟哭するような死別もあれば、感情の落差による切ない心の行き違いもある。

 そこに犯罪が絡んだ、自衛のための苛烈な「別離」もあれば(「女の中にいる他人」)、「流れる」のような、信頼すべき者たちからの裏切りもある。

 自分が唯一頼るべき肉親から殆ど遺棄されたような「別離」もあれば(「秋立ちぬ」)、かつて愛した男の、現在の不甲斐なさに対する絶望による「別離」もある(「晩菊」)。

 更に、肉親とは到底思えないほどの打算や嫉妬、憎悪や幻滅を起因とする「別離」もある(「稲妻」)。ごく日常的なレベルで言えば、すっかり褪せてしまった愛情の破綻から来る離別を描いた作品も多い(「」、「山の音」など)。

 或いは、深く愛し合っていても、その運命によって別れざるを得ない悲劇を描いたメロドラマ(「乱れ雲」)も、成瀬の得意分野だった。

 また「別離」に至らずとも、思いを共存することの危うさを成瀬は多く描いていて、彼の作品の殆どが「別離」を主題にした映像であると思わざるを得ない程である。
 
 しかし考えてみれば、「別離」のない人生なんて存在しないのだ。「別離」は人間の、人生の運命(さだめ)であると言っていい。

 生きることは別れることである。

 「別離」があるから邂逅があり、邂逅があるから人生を新鮮にしていくことが可能となる。新鮮になった人生もまたやがて褪せてきて、そこで再び「別離」に至る。しかしその「別離」は新しい「別離」であり、また別の人生の新たな展開の起点ともなっていく。

 こうして人間は、繰り返し邂逅と「別離」を重ねていく。その内実の重量感がそれぞれ異なっていて、それぞれに形を持ち、それぞれに固有の物語を分娩し、しばしばそれを解体させていく。「別離」を描くことは、人生を描くことなのだ。
 
 人生は良い時もあれば、悪い時もある。人間万事塞翁(さいおう)が馬。

 人生は常ならず、とも言う。諸行無常でもある、と言っていい。そんなことは、あまりに当然のことなのだ。

 何が起こるか分らない人生だからこそ、人は生きていく。人生は思うようにならないのだ。思うようにならないからこそ、人は生きていく。思うようにならないだけではない人生だからこそ、人は生きていく。そこに少し思うようになる時間と出会えるからこそ、人は生きていく。

 これが人生の実相であり、日常性の実相である。成瀬は、そんな人間の日常性を描く映像作家であった。成瀬はその日常性のコアに、「別離」という主題を被せたのである。従って成瀬は、単に「別離」を描く作家ではなかった。人間の「別離」を描くことで見えてくる、人間及び、人生の真実の有りようこそを、彼は描き続けたのである。

 注目すべきは、彼の作品の登場人物には完全なる善人もいないし、完全なる悪人もいない。そこにいるのは、一人の人間が内包する細(ささ)やかな善性であったり、小悪人性であったりする。

 それは単純な人の良さであったり、優柔不断なる協調性であったり、人助けを趣味にする人格セールスであったりするだろう。或いは、それは狡猾さであったり、過度な吝嗇(りんしょく)であったり、計算された誘惑であったりするかも知れない。

 しかも、彼らはその性格的表現に於いて、しばしばだらしなく、その行為は不徹底であったり、継続力を著しく欠いたりするのである。彼らは私自身であり、あなた自身であり、私たちの隣人その人である。

 だから成瀬が描く人々の多くが、世俗を代表する普通なる人々であり、そんな人々が泣いたり、笑ったり、叫んだり、怒ったりすることによって展開される人生模様は、まさに私たちの等身大の小宇宙の再現以外の何ものでもないのだ。



 18  奇麗事なる描写を確信的に捨て切った映像作家



 成瀬の映像的宇宙は、無名なる私たちの日々の呟きや嘆きを淡々と語っていくことで、観る者の視線の角度にピタリと重なる写実性を見事なまでに映し出す。

 ではなぜ、本来、描き出されたくもない私たちの卑屈さや偽善性を、容赦なく抉(えぐ)り出して止まない映像宇宙に私たちは共感し、そこに深い感銘を受けるのであろうか。

 その答えは、観る者のアプローチ如何によって当然の如く差異が生じるだろうが、私の把握の中では瞭然としている。

 即ち成瀬の作品には、一切の奇麗事なる描写が捨てられているからである。それも確信的に捨てられているのである。奇麗事なる描写を確信的に捨て切った映像作家こそ、成瀬巳喜男であった。それ以外ではないのだ。

「流れる」という作品は、そのような成瀬的映像宇宙で頂点を極める傑作ではないかと思われる。

 奇麗事なる描写を確信的に削り取ってしまえば、このような実も蓋(ふた)もない、極めて残酷な映像に辿り着くしかないのだろう。

 そうでもしない限り、私たちの日常に溢れている偽善や、謙譲の美徳もどきの誇張された美談に被された幾重ものべールを剥いでいくと、そこに晒された裸のストーリーの貧相さに私たちは眼を背け、唾棄すべき感情に捉われることになる。奇麗事を削り取ったリアリズムの映像の到達点は、恐らくそこにしかないのである。

 だからこそ成瀬の作品は、女性映画の巨匠と言われ続けながらも、小津や黒澤のような評価を受けることはなかった。人々は、奇麗事満載の黒澤的映像世界のハッピーエンドのヒロイズムに酔うことはできても、成瀬的な「やるせなさ」をストレートに受容しなかったのである。


 ――「流れる」という作品をじっくり味わうことができる幸せを、今、私はしみじみ噛みしめている。山田五十鈴、杉村春子、栗島すみ子。この三人の熟達したプロの役者の演技に感服。成瀬はここでも、高名な原作に負けなかった。



 19  愛着の差でしかない成瀬映画に対する評価の差



 最後にもう一度。

 その作品の完成度から言って、ベストワンにしてもおかしくないこの「流れる」という抜きん出た映画を、自分のランキングの中で敢えて四位にしたのは、この作品が完璧すぎて、そこに些かの欠点も見られないからである。

 完璧すぎる映画は、しばしば感動が稀薄になってしまうのだ。

 私個人の好みから言えば、残酷な映画を爽やかに完結してみせた「稲妻」や、「ここまで描かれたらどうしようもない」と思わせた、「浮雲」のような作品の方に、より深い愛着を感じてしまうのである。

 だから私にとって、その多くの作品を嗜好して止まないない成瀬映画に対する評価の差は、単に愛着の差でしかないのである。

(2007年6月)

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