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  • アジサイはアートである 「我が町・清瀬」2017初夏 - アジサイを接写していると、色相のグラデーションの鮮やかに驚かされること頻りである。 だから、毎年、初夏になったら「我が町・清瀬」で写真を撮る。 この一期一会の思いでアジサイを観賞していると、アジサイが一つのアートであることを実感する。 アジサイはアートなのだ。 時々刻々に変色していくアジサイは...
    3 か月前

2008年11月1日土曜日

女が階段を上る時('60)        成瀬巳喜男


<女が手に入れたもの、失ったもの>



1  「この街で働く女たちは、皆生きることに必死だった」



「秋も深い、ある午後のことだった。昼のバーは、化粧をしない女の素顔だ」

銀座のバー、「ライラック」の雇われマダムである圭子のモノローグから始まる映像は、化粧をしない女たちの昼の饒舌から開かれる。

マダムの不在なその店で、ホステスの一人が店の客と結婚し、それを祝う内輪の集まりの中に、如何にもホステスらしい会話が飛び交っていた。

「でも変な気がするわ。好きでバーに来たミユキが一番早く結婚するなんて」
「そりゃあね、何て言ったって、女の終着駅は結婚よ」
「あたしの終着駅はマダムよ。どうせバーで働くなら、すごーくお金貯めて、お店持つの」

一方、マダムの圭子は、韓国人の経営者に売り上げの急激な落ち込みを責められていた。

彼は「ライラック」のホステスをしていた若いユリに新しい店を持たせて、そこで稼がせていたのである。

「今月も売り上げ減るようでしたら、新しいママさんに代わってもらいますよ。お体裁いけません。ユリさん、体張っています」

明らかに、韓国人と思われるような発音で日本語を操る経営者は、営業に貪欲さが見られない圭子に対して、美濃部をもう一度店に呼び寄せるような営業を求めたのである。

店の経営者の最後通告を不満げに受けた、男と女の会話。

マダムの圭子と、マネージャーの小松である。

「馬鹿にしてるわ!いかにも体を張れみたいな言い方じゃない」
「しかし、本当にここん所、ガタンと落ちたからな」
「嫌よ。あたし電話なんてかけないわよ。美濃部さんに限らないわ。今晩、来て下さらないなんて電話、一度もかけたことないもん・・・別にお高くとまっている訳じゃないけど、嫌なのそういうこと。あたしだって毎晩、好きでもないお酒を、相当飲んでいるわ。それだって体を張ってることじゃないの」
「結局、早く自分の店を持つことさ」
「100万ばかり落ちてないかな」
「ママ、無理することないぜ。ママだったらどこだって雇うよ。銀座は700軒のバーがあるんだ」

店への帰路、圭子は小松に不満をぶちまけた。

圭子(左)と小松
小松は圭子をマダムに推薦した男である。

彼には圭子の良さが分っている。圭子も、そんな小松に心を許していた。

そんな深刻な会話を、救急車のサイレンが突然裂いた。

店に戻った圭子は、他のバーのマダムの自殺の事件を聞き知って、他人事ではないと思わざるを得なかった。

自殺したマダムは、三角関係の縺(もつ)れと借金が原因で追い詰められていたらしい。

彼女の年が43歳であることを誰かが話題にしたときの、二人のホステスの会話。

「女も年とると嫌ねぇ」
「養老院に行くお金だけは貯めておかなくっちゃ」

ホステスたちの視線には、世俗の不確かな移ろいの中を、自分がどう突き抜けていくかという現実的テーマしか捕捉されることはないのである。

「ビジネスガールが帰る頃、銀座へプロが出勤してくる」(圭子のモノローグ)

夕方から夜を職場とする者たちの戦場が開かれる。

それぞれの準備に余念がないホステスたちの日常が映し出されて、まもなく、生きるための戦争が銀座の街の其処彼処で炸裂するのだ。

「そして夜が来る。あたしは階段を上がるときが一番嫌だった。上がってしまえば、その日の風が吹く」(圭子子のモノローグ)

女は細い線のような暗い階段を上っていく。

扉を開けると、そこには既に男が待っていた。

小松の連絡によって、美濃部が久し振りに「ライラック」に顔を出したのである。

「この店は活気がないな・・・しかしな、沢山の会社の経営を指導してきたから分るが、会社でもバーでも下り坂のときは何となく活気がないものだ」
「そう、じゃあユリちゃんのお店は活気があって?」
「あるとも、全然違うよ。嘘だと思うなら行ってみるか?」

美濃部の明け透けな指摘をさり気なく交わしたが、圭子の心は穏やかではなかった。

彼女はそんな思いを抱えたまま、ユリの店を訪ねたのである。

ユリ(左)と圭子(右)
ユリの店は、美濃部の言うように活気があった。

男たちの体臭が店内を埋め尽くしていて、いかにも若きマダムの褪せない魅力に取り憑かれた男たちの欲望が、そこに剥き出しになって暴れている。

ユリの店の隅に座る圭子の視界に、馴染みの男たちの顔が侵入してきた。

それこそが、「ライラック」の不振の原因を示す現実の姿であった。

まもなく、覚悟を決めた圭子は「ライラック」を離れ、別の店に移った。

無論、雇われマダムである。

店には色々な客が顔を出していた。

その中に、圭子が密かに思いを寄せる銀行の支店長の藤崎もいた。

その圭子に思いを寄せる関根という男が、足繁く圭子の店に現われて、その素朴で人好きのするキャラによって、ホステスたちの好感度を高めていた。

「11時半から12時、この界隈で働く1万5,6千の女性がどっと家路に就く。車で帰るのが一流、電車で帰るのが二流、客とどこかへしけこむのが最低」

藤崎を車で送った後の、圭子のモノローグ。

藤崎(左)と圭子(右)
藤崎は、圭子にとって一流の常連客だったのである。

圭子もまた家路に就いた。

待つ者のいないアパートでの、圭子のモノローグ。

「アパートへ帰ると、殺して飲んでいた酒の酔いが一遍に出る。部屋代が3万円。一人暮らしには贅沢だが、これも銀座という夜の社交場で働く、あたしたちのアクセサリーの一つだ。高価な衣装や香水と同じように・・・」

圭子は、昨夜酔いつぶれたホステスの純子を、自分の部屋に泊めた。

純子との朝の会話の中で、圭子は自分の過去を語り出す。

映像で初めて見せる主人公の素顔の一端が、そこで語られるのだ。

彼女は交通事故で夫を喪って、自活のためにホステスを選んだのである。

この時代、手に職を持たない女が自立して生きていくのは、想像以上に大変なことだった。

水商売に入るという手段は、女にとって決して安直な選択ではない。

圭子もまた、覚悟を持ってこの世界に入ってきたのである。

夫を喪ったとき、圭子は夫の骨壷の中にラブレターを密かに入れたという逸話を、純子は圭子に確かめた。

圭子が酔いつぶれて小松に語ったという話は、「ライラック」時代から語り草になっていたようだ。

純子
その話を笑って否定した圭子だが、それは照れ隠しに過ぎなかった。

彼女が、いかに夫を愛していたかを物語るエピソードである。

同時に、それは簡単に誘惑に負けない女の内側に潜む情愛の強さを表していた。

「結局、女は簡単に許しちゃ駄目だと思うの。とにかく今日までそれだけを通して生きてきたの。別に純潔をどうこうって訳じゃないけど、一度崩れたらそれこそ止め処がなくなっちゃうような気がするわ。あたし、臆病なのかも知れない・・・」

恐らく彼女は、複数の男を愛せないタイプの女なのだろう。そう思わせるエピソードであった。

そんな女が、今、誘惑に乗っている。

関西実業家の郷田に料亭に呼ばれて、「店を持たないか」という美味しい話を聞かされたのだ。

その話に心を動かされた圭子は、しかし郷田が差し出す金を前借することを躊躇し、当然ながら、相手の老人に体を許すことをしなかった。

郷田の話を小松に伝えて、圭子は自分の店を持つことを真剣に考え始めていた。

その方法は、圭子の店に通う信頼できる常連客から奉賀帳(祝い金などを集めて、それを書き込む帳面)方式で、出資金を募ること。

早速、小松の店捜しが始まったのである。

そんな中、偶然、圭子はユリと遭った。

元気のないユリの表情を察した圭子は、心のどこかに残る恨みを表すことなく、彼女の話を包み込むようにして受け止めた。

ユリは借金で首が回らないという状況を、正直に話したのである。

借金で始めた店の運営の厳しさを嘆くユリを、圭子は心配するばかりだった。

華やかな夜の銀座の裏側のシビアな現実の只中で、女たちは人知れず苦闘しているのである。

「どうするつもり?」と圭子。
「死んじゃうことにしたの。名案でしょ。睡眠薬。よく眠れるんですって」
「ユリちゃん・・・」と圭子。
「嘘よ。狂言自殺よ。死んでたまるもんですか。ちょっとお芝居してやるの。そうすれば借金取りだって、一時(いっとき)遠のくでしょ」

狂言自殺と聞いて圭子は安心したが、ユリの底知れぬバイタリティに驚くばかりだった。

以下は、その直後の圭子のモノローグ。

彼女もまた、バイタリティを示す覚悟を括っていく。

「この街で働く女たちは、皆生きることに必死だった。私も負けてはいられなかった・・・・勤めの合間を見て、会社から会社へ奉賀帳を持って回った。思わぬ約束してくれた人、見掛け倒しの人、様々だった・・・好きな人にお金の話をするのは嫌だった」

藤崎の銀行を訪ねる圭子
しかし圭子は、その好きな人に会いに行った。藤崎である。

「やっぱり、来なければ良かった・・・」

この圭子のモノローグが全てだった。

銀行の支店長としては、担保もなしに金を貸せないが、個人として3万位なら融通してもいいと言う。この藤崎の反応に、圭子は常連客としての男のイメージを嗅ぎ取ることはできなかったのである。

その帰路、圭子は関根と偶然会った。

「君はバーみたいな水商売には向かないと思うんだよ。できればいい人選んで結婚でもしてくれたら、僕は一番嬉しいんだよ・・・無理に酒を飲んで、酔っ払いの相手をしている君を見ていると、可哀想でならないんだよ。どういう事情で今の仕事に足を踏み入れたかは知らないけど、君は本当は家庭の中で暮らすに相応しい人なんだよ・・・」

喫茶店で、関根は圭子に滔々と語った。

恐らく圭子は、そんなことを客から言われた経験がなかったはずだ。

当惑しながらも、その関根の言葉を心の奥にしまいこんでいるようだった。

藤崎(右)と圭子(左)
その関根が、10万位なら出せると約束したのである。

圭子は、「ライラック」時代のホステスから衝撃的な事実を知らされた。

ユリが本当に自殺してしまったのである。

狂言自殺だと知らされていた圭子にとって、そのユリの死がどこまで狂言であったかどうか知る由もない。

その足でユリの実家にお線香をあげに行った圭子がそこで見たのは、借金取りの催促の現場だった。

「あたしが、あのとき、止めれば良かったんです・・・」

「いいえ、あの子は運が悪かったんですよ。でも、狂言でなくても、いずれこうなると思ってました。あなたの前ですけど、バーなんかに勤めるのは始めから反対だったんですよ。それに自分の店を持つなんて早すぎました。男の仕事だって、一生かかっても、上手くいくかどうか分りませんもんね。それを女一人であなた、並々じゃありませんよ。無理に背伸びして歩いても、いつかは転ぶんです」

圭子の慰めの言葉に、ユリの母は心の奥にあるものを淡々と吐き出した。

その場に、ユリのパトロンであった美濃部からの使いの者が来て、借金の名義を母親に変えることを促した。

ユリの母
重なる追い立てに、ユリの母はその場で慟哭したのである。

それを後ろから見守る圭子の心は、とても穏やかな気持ちではいられなかった。

彼女にとって他人事ではないのである。


圭子は占い師を頼っていた。

店を開くかどうかの決断を、他人に委ねたのである。

彼女の心の中で、何かが今決定的に萎えているようでもあった。

その占い師は、圭子が店を持つことに賛成しなかった。

圭子(左)と占い師
代わりに彼女が言ったのは、「あなたには近く縁談がありますよ」という思いもかけない言葉。圭子はその言葉に当惑するばかりだった。

夜の世界で生きるしかない圭子の店に、美濃部がやって来た。

ユリの件で不満を持っている圭子は、客を紹介すると言う美濃部に思い切り厭味を言って絡んでいく。

それが、実業家の非情さを目の当りにした女の精一杯の抵抗だった。

美濃部に機嫌を取れと促す小松に、圭子は 「真っ平だわ・・・嫌ったら、嫌よ!」と珍しく感情を荒げたのだ。

「・・・第一、今夜は嫌!あたしの体にはまだ、ユリちゃんのところのお線香の匂いが染み付いているわ。そんなときに、あの人の傍でべたついたりしちゃ、ユリちゃん可哀想じゃない。いくら商売だって、それじゃ、あんまり惨め過ぎるわよ」
「止せよ、そんなおセンチは。ここはね、客から金を取って遊ばせるバーなんだぜ」
圭子(左)と小松
「バーだから、どうなのよ!」
「分らなきゃ、言ってやるよ!君たちはね、客を愉しませてこそ、初めてチップがもらえるんだ。それでお互いに食ってるんだ。客の機嫌取るのが嫌だったら、そんな着物さっさと脱いで、そこらの女事務員にでもなったらどうだい、月給8千円位でな!そして家中、日干しになればいいや!」

小松との激しい衝突の果てに、嗚咽を捨てて、圭子は事務所を後にした。

泥酔の状態で店に出た圭子は、その場で吐血したのである。



2  「誰が好き好んで、バーへなんか勤めるもんですか」  



圭子は胃潰瘍を患って、実家に戻っていた。

暮れから正月にかけて四週間、圭子は佃島(注)の実家で静養するのみの生活を送っている。

今でも古い江戸の面影を残す佃島は、本作の公開当時(1960年)にも、そこだけが都心の雑踏から切れた特殊な空間のような佇まいを見せていて、人々は貧しいながらも地道な暮らしを続けていた。

圭子の実兄の子供は小児麻痺を患っていて、生活力のない兄が何とか身過ぎ世過ぎ(生計)を立てることで、細々と日々を凌いでいたのである。

佃島・ブログより

映像で初めて見せる銀座のマダム、圭子の原風景がそこにあった。


(注)東京都中央区に位置する隅田川下流の地域で、佃煮の原産地として知られる。徳川家康が江戸に幕府を開くに当って、摂津国佃村(現在の大阪市西成区)の漁民を江戸に呼び寄せたことに始まる町。今も古い町並みが残っていて、「佃島盆踊り」に代表されるように、都心の一角に江戸下町の情緒を残す小共同体は健在である。            


しかし実家に戻っても、貧しい母や兄の生活実感からは、圭子の銀座での生活が分不相応に見えている。

だから母の愚痴も自然に零れてくる。

「ここで一緒に暮らせばいいものを、わざわざ高いアパートなんか借りてさ」
「贅沢のためじゃないわ、あれは」
「じゃ、何さ。聞きたいもんだね」

「銀座へ来るお客さまはね、贅沢な雰囲気を味わいに来るのよ。あたしたちはそれを満足させてチップをもらっているのよ。身分不相応なアパートに住んだり、車で通ったり、高い香水を使ったりするのは、皆そのためだわ。ここへ一緒に住むのもいいけど、変に所帯じみたものが身についたら、それこそ商売上がったりだわ」

「所帯じみたところで悪かったね。じゃ今度は家へなんか帰って来ないで、贅沢な病院にでも入院すれば良かったじゃないか」
「お母さん、何度同じこと言わせるの。着物だって贅沢で着てるんじゃないわ!」
「分りましたよ。商売のためだって言うんだろう」

「そうよ。なりが良くなくっちゃ、いいお客はつかないわ!銀座の女はなりで勝負してるのよ。あたしなんか、これでもケチケチしてる方よ。店ではね、パッと派手なものを着た方が目立って、得だってことが分っていても、そんな着物、昼間は着れないし、どっちでも着れるように倹約して、わざわざ地味に作ってるんじゃない。贅沢しているなんて言われる筋合いはないわよ!」

「だから、分ったって言ってるじゃない!」

「だったら、そんな言い方しないでよ!誰が好き好んで、バーへなんか勤めるもんですか。無理にお酒飲んで体を壊す。男に玩具扱いにされる。こんな商売、勤めた日から一日だって楽しいって思ったことなんかないわよ。ここで寝てたって、請求書と集金の夢ばかり。惨めもいいとこよ。毎月ここへ2万円も仕送りもできて、映画の一つも観られるような仕事が、他にどこにあって!あったらお母さん探してちょうだい!今すぐにだってバーなんか辞められるわよ」

「あぁーあ!いくらでも親を馬鹿におし!どうせ私たちはあんたのお荷物だよ。どこへでも、うっちゃっておくれよ!」
「知らない・・・知らない!いいからもう下に行って・・・」

圭子の嗚咽で、母娘の恐らく常套的であったに違いない激しい言い争いの一幕が降りた。

佃島の実家で
ここで映し出された真実の姿が、映像に底知れぬ深みをもたらした。

この会話によって、これまで描かれてきた圭子のストイックで、どこか排他的な生きざまの奥にあるものが炙り出されたのである。

彼女は、あまりに重い荷物を背負い込んでいる。

その荷物を簡単に捨てられない人間の情愛もまた、彼女の心の襞(ひだ)に張り付いていて、それが見えないところで常に彼女を縛っている。その心が最も弱くなったとき、出口を求める名状し難い感情が、このような見えやすい場面で刺激的に噴き上がってくるのであろう。

それは、家族だからこそ可能な衝突でもあったと言える。

圭子はいつもギリギリのところまで感情を抑え込んでいて、それでも抑え切れない際(きわ)まで追い詰められたとき、それを一気に解き放つ思いの吐露もまた、自らが背負い込んだその拠って立つ場所に、やつれた自我を束の間預けた因果が生み出したものであった。



3  「何でも持ってらっしゃい!そうやって、皆であたしを食い物にすればいいんだわ!」



結局、圭子は実家での静養を打ち切るようにして、店に顔を出した。

彼女のマダムとしての営業が再開されたのである。

その際圭子は、保険の外交を仕事にする兄が抱えたトラブルの弁護士費用を綺麗に精算した。

彼女は、妻に逃げられ、障害児を必死に育てる兄を前科者にする訳にはいかなかったのである。

女一人で抱え込む荷物の重さに耐え抜く強さを、圭子は持っていたのだ。

銀座の店で圭子を待っていたのは、佃島にも見舞いに来た関根だった。

圭子をアパートの自宅まで車で送って行った関根は、圭子に結婚を申し込んだ。

唐突な関根のプロポーズに、圭子は複雑な表情を浮かべるだけだった。

彼女の中には、第二の人生へのステップの意志がまだ見られないのだ。結婚という事態は、どこまでも観念の世界でしかなかったに違いない。

疲れてアパートに帰った圭子のところに、兄が訪ねて来た。

「今度こそ、俺は兄弟の縁を切る。二度と、二度とお前のところには来ないつもりなんだ」

兄の覚悟を示すかのような物言いの理由は、小児麻痺の我が子の手術代を妹の圭子に捻出してもらいたいという、切羽詰った事情に因っている。

恐らく、こんなことを、今まで何度も圭子は経験してきたに違いない。

しかし、甥の手術代を出さない訳にはいかない。

彼女には甥に対する深い同情心があるからだ。

甥は母親にも捨てられて、生活力のない兄である父親を頼るしか生きていけない弱者なのである。

しかしこの時ばかりは、断り切れないような理由で妹に金を無心する兄の情けなさに、圭子は我慢し難かった。

「何でも持ってらっしゃい!そうやって、皆であたしを食い物にすればいいんだわ!」

母に次いで、兄に対しても、圭子は感情を噴出させたのである。

彼女の中で、人を受容し得る臨界点が弾かれたのだ。

度重なる負債の累積に、彼女の自我は落ち着ける場所を見出せなくなっていた。彼女は今、落ち着ける場所が欲しかった。



4  「商売女で悪かったわね。プロに徹しろって言ったのは誰?それがどうしていけないの!」



兄と入れ替わりに、関根が贈り物を持って部屋に入って来た。

「帰らないで!もう少しいて」

贈り物を届けて帰ろうとする関根の胸に、圭子は自分の身を預けたかった。

今、関根という男の広々とした懐の中こそ、圭子にとって唯一落ち着ける場所だったのである。

男からの贈り物を開いて、圭子は存分に涙を振り絞った。圭子は関根との結婚を決意したのである。

まもなく、圭子のアパートの部屋に一本に電話がかかってきた。

関根の妻からの電話だった。

圭子の表情が引き攣った。

それを確認すべく、関根の妻に圭子は会いに行く。

関根の妻(左)と圭子
その話から、間違いなく関根という男が妻子もちの人間で、男が圭子に語ったことの全てが虚偽であること知らさしめられたのである。

関根は一種の結婚詐欺師だった。

詐欺師というのは、自分が相手を騙す気持ちを持たないと信じられる能力を有する者たちのことである。

関根はそんな男の一人だったに違いない。

彼の中で、独身である自分が圭子にプロポーズし、その先に待つ心地良き新婚生活のイメージが、殆ど自然に形成されていたのであろう。

自分を騙す能力を許す詐欺師に引っ掛かったとき、圭子はそのような男に自分の身を預けようとした心の荒涼感に、ただ打ち震えるばかりだった。

その夜、圭子は荒れていた。

その荒れた女の前に、銀行支店長の藤崎が出現する。

彼女は殆ど自我の抑制力を失っていて、この夜、藤崎に自分の体を預けたのである。

それは「女」を売る水商売の苛烈な世界の中で、それでもこの男以外の異性に抱かれまいとして守ってきた女の操を、真剣に投げ入れる対象であるべき男との睦みだった。

束の間、至福の境地が圭子を誘(いざな)っている。

彼女は愛すべき男に抱かれ、その愛すべき男と夢見の時間を過ごしたのである。

実際彼女は、男の傍らで夢を見た。

その夢に出て来たのは、今は亡き夫との愉しいひと時だった。圭子は、このようなひと時こそ熱望して止まないのだ。

そんな夫の面影を関根に見たからこそ、彼女は関根の求婚を受け入れたのである。その関根に騙された今、女は今度は藤崎の胸に飛び込んでいく。

彼女にとって、もう藤崎という男しか、自分の「女」を丸ごと投げ入れる対象はなかったのである。

しかしその藤崎の口から、思いもかけない告白を聞くことになった。

男は明日、大阪の支店に転勤することになったと言うのだ。

藤崎は狡猾な男だった。

藤崎
女の体を貪った後、自分を恋うる女の感情を巧みに計算し、最も安全な逃げ場を確保した上で、男は女にとってあってはならない別離の宣告をしたのである。

女は全てを失った。

しかし藤崎に対してだけは、未練が女の情念を開かせた。

「私、本当に好きだったのよ・・・」と圭子。

その眼には、相手を恨む尖りがなかった。

「僕だって同じだ・・・いくら僕が君を好きだからと言って、僕には家庭を壊すまでの勇気はないんだ。勝手な言い草と思うかもしれないけど、正直な気持ちだ・・・・・夕べから僅かな時間だったけど、いつまでも忘れないよ。じゃ、体に気をつけてね」

男はそう言って、部屋を後にした。

それは、逃げる男の常套手段でもある。

男は女の恨みを少しでも緩和するためにか、十万相当の株券をそこに置いていった。

女はそれに眼もくれず、ただここでも嗚咽を重ねるだけ。

嗚咽する女の前に、小松が現われた。

女の前で次々に展開される男の身勝手さが、女を限りなく打ちのめしていた。

小松もまた、圭子を愛する男である。

しかしそれを一度も口に出したことがない。

藤崎が女の部屋から出て行くのを見た小松は、もう感情の臨界点を超えていた。

小松
彼は、「死んだご主人に恥じないのか」などと言って、女を責め立てたのだ。

亡夫の骨壷に手紙と写真を入れたという女の話を、彼は実際、寺の住職に会って確かめたというのである。

その話が真実であると知った小松は、圭子を愛する心を無理に閉じ込めて、彼女と共にバーを遣り繰りしてきたという思いを吐き出した。

「確かめてきたんだ」と小松。骨壷の一件である。
「どうして、そんなこと」と圭子。

「どうしてだって?とぼけるのもいい加減にしてくれ。俺が惚れてるの、ちゃんと知っているくせに・・・しかし俺は、一言も口には出さなかった。自分の胸の中にしまっておいた。たまらなくなって、自分の面倒を見ている女の子に手を出したことがある。マネージャーとしては最低だ。しかし去年の暮れ、とうとう遣り切れなくなって、寺へ確かめに行ったんだ。そして本当だと知って、どんなことがあっても、君だけは手を出すまいと思ったんだ。いや誰にも出させまいと思ったんだ。それが何だい!心の底から商売女に成り下がってしまったのか!」

「商売女で悪かったわね。プロに徹しろって言ったのは誰?・・・・だからプロになったのよ。お客さまの機嫌とったのよ!それがどうしていけないの!」

小松の平手打ちが襲ってきた。男の体も襲ってきた。

「頼む、俺と結婚してくれ。そして一緒に店を持とう」
「帰って!声出すわよ」
「そんなに俺が嫌いなのか?」
「嫌いも好きもないわ。仲間同士で結婚して、上手くいってる人なんていやしないわ。駄目よ。裏も表も知り尽くした同士なんて・・・帰って。お願いだから一人にしてちょうだい・・・」
「ママ、君はやっぱり藤崎さんを好きだったんだな。分った。もう二度と現われないよ・・・」

全てを悟り切ったように、小松は静かに圭子の部屋を後にした。

残された女の嗚咽はまだ止まらない。

自らの意志で嗚咽を止めたその女は、翌日、駅のホームに立っていた。

藤崎を見送りに行くためである。

その藤崎は、特急列車の車両に、家族と共に発車のベルを待っていた。

そこに女が近づいて行く。

藤崎の妻(左)と圭子
お互いに儀礼的な挨拶を交わした後、女は男の妻に、女が男から昨日もらった十万相当の株券を返却したのである。

それが、駅のホームに女が立った理由だった。

女にとって、昨日まで愛した男から手切れ金を受け取る理由がないのである。それが、せめてもの女の意地だった。



5  「あたしもそれに負けないように生きていかなければならない。風が当れば当るほど・・・」



女の最後のモノローグ。

「あたしは、真冬のような厳しい試練を受けた。しかし歩道の並木も、冷たい風を受けながら新しい芽を育てていく。あたしもそれに負けないように生きていかなければならない。風が当れば当るほど・・・」

女は銀座のネオンの中を突き抜けて、まもなく、自分の店があるビルの前に立った。

そのままいつものように、女は店に繋がる細いラインの階段を上っていく。

店の扉を開けたとき、女は一人の雇われマダムに変貌した。

満面に笑みを浮かべて、彼女を待つであろう男たちの中に、今宵もまた、その華奢な身体を踏み入れて行ったのである。


*         *         *        *



6  自立を目指して働く女性たち



成瀬巳喜男は、自立を目指して働く女性たちを、自らのフィルムに目立つほどに多く刻んだ映画監督だった。

中でも、私にとって最も印象深いのは、「あらくれ」と、本作である「女が階段を上る時」という作品である。

共に、主演は高峰秀子。言わずと知れた、成瀬作品の看板女優である。

その高峰は成瀬作品に17作も出演していながら、「稲妻」や「流れる」のような、単にしっかりしているだけの平凡な役柄を気に入ることなく、寧ろ「あらくれ」のような、極めて個性的で自我の強い女性の役に対して、深い思い入れを持っていたことは知られていることである(キネマ旬報2005年9月上旬号『高峰秀子独占インタビュー』より)。

ついで言えば、木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾年月」での、献身的な聖母のような役柄に満足していなかったことなどを想起するとき、その辺に高峰秀子という稀有な女優のプロ根性の凄みが垣間見えて、とても興味深い。

放浪記」の林芙美子役でも、わざと醜女のメイキャップを求める女優だからこそ、高峰は監督の意を汲んで、以心伝心で芝居ができるプロの役者足り得たとも言えるのである。



7  「思うようにならない人生」を生きねばならない者たちの、そのシビアで、苛烈なる人生の有りよう



さて、「女が階段を上る時」。

この雇われマダムの役も、高峰秀子のプロ根性が随所に見られる嵌り役と言っていい。

例によって、成瀬は菊島隆三の脚本を相当手直しして、成瀬ワールドの核心に限りなく寄せた作品に仕上げている。

高峰秀子も成瀬一流の手法を心得ていて、成瀬組の現場で要求される役柄になり切っていく。それも以心伝心。

そこには、本作の衣裳も高峰が自ら担当するほどの信頼関係があったということだ。その結果、まさに創られるべくして、一級の名画が誕生したのである。

「流れる」の娘役なら、香川京子でも難無く熟(こな)したに違いないが、本作の圭子役は、高峰秀子以外の誰が演じることができたであろうか。

圭子のキャラクターの役どころは、観る者が考えている以上に難しい表現力を必要とする。

なぜなら彼女は、男を魅了する美しさと、それを安手のセールスで営業しない人間としての誇り、更に苦境の中で実家をサポートする生活力に加えて、何よりも、夜の世界で淘汰される多くの女たちの中にあって、男に対して安直に屈しない程の「女の意地」を、そのトータルな人格表現によって、鮮明に映像化されねばならなかったからである。

この作品の秀逸さは、夜の世界に生きる女たちのその生きざまのリアリティの凄さと、そのような生き方を選択せざるを得なかった女たちの、それぞれが抱えた事情の厳しさを、そこに余分な感傷を排して描き切ったという点に尽きる。

狂言自殺を企んで、本当に自殺してしまったユリのエピソードは、女たちの逞しさの裏側に張り付いている、常に戦場を駆け抜ける覚悟を求められる女たちの背後から、男たちの実利主義優先の視線の厳しさが追い駆けてくるという現実の冷厳さを物語っていて、とても痛々しい限りである。

圭子もまた夫の死後、自活の道を余儀なくされることになり、覚悟を括って、雇われマダムという役割を演じることになった。

そこで演じられる世界は、階段を上り切ったその先の空間にある。彼女はそこで己を捨てて、「マダム」という記号を完璧に演じ切らねばならなかった。

しかし彼女にとって、「マダム」という記号を演じることは、必ずしも、男たちの消費の対象としての「女」を晒すことではない。

「女」を晒すことで生計の資を得ている女が、自らの「女」を男たちの消費の対象として確信的に晒すことに躊躇(ためら)うのは、その女が、自らの「女」を商品価値として高くセールスすることの方法論でなかったとしたなら、一体何だろうか。

「女」を確信的に割り切ってセールスすることで手に入れる価値の大きさよりも、その女にとって、一個の「人間」としての最低限の誇りの方が、より価値のある何かであったからだ。

それが、圭子という女の生き方だったのである。

然るに、圭子はまさにその見過ぎ世過ぎに於いて、いつも苦境に立っていた。

彼女には、どこかでそれが充分な本意であるという実感を抱けなくても、それでも佃島の実家の生活を絶対的にサポートする負債的義務が存在していた。

それが形式的で、言わば義理的な負債感ではなく、肉親の絆の脆弱性の内に於いてもなお、それを不可避なる負債意識として感じる心の受容スタンスが、決定的に裂けたものになっていなかったということ、それが彼女にとって、何よりも痛切だったのである。

生活力のない兄と、依存心の強い母親を目の当りにして、彼女の心は常に萎えている。

それでも小児麻痺の甥を扶助しようとする心情は、最後まで死んでいなかった。

それもまた、肉親の腐れ縁のような絆と言っていいだろう。

また、この映画の抜きん出た秀逸さは、圭子の佃島の実家の生活風景をきちんと描いたところにある。

胃潰瘍を患った圭子が、実家の母と怒鳴り合いのような言い争いをする描写は、一見、華やかな彩りを見せる銀座のマダムの心の風景を極めて自然に、且つ繊細に映し出す効果を引き出していて、映画公開時に大ヒットしたこのモノクロフィルムを、フラットな娯楽作のカテゴリーに収斂させなかったのである。

無論、これはメロドラマではない。サクセス・ストーリーでもない。

「めげない女たち」をテーマにして、体制内化した男たちの自堕落さを相対的に炙り出す意図を持った、フェミニズム礼賛の類の喰えない映画などでもない。

そこに描かれているのは、「思うようにならない人生」を生きねばならない者たちの、そのシビアで、苛烈なる人生の有りようである。圭子が負った人生の重さは、彼女の固有の生い立ちと、その後の不幸な別離、更にその人生に絡みつくような、肉親のドロドロとした絆によって裂かれる心の安寧の不在、そして彼女が関わる男たちのエゴイズムに無惨なほど振られていく、その厳しい現実の実相そのものだった。

必ずしも、男たちが一方的に悪いのではない。

世の女たちが、押し並べて犠牲者なのではない。

人生とはそんなものなのだ。

心地良き酩酊のひと時もあれば、眼を背けるような不運な現実もある。

能力だけの問題でもない。

人生は思いもよらぬ運不運によって、どのようにでも作られてしまうのだ。

常に努力が報われるとも限らない。常に誠実さが空気を支配するとは限らない。

どのように振舞っても、血を吐き下す凄惨な時間に耐え切っても、なるようにしかならない時がある。

それが人生なのだ。



8  女が手に入れたもの、失ったもの



圭子の生き方は感動的なまでに潔かったが、その潔い人生の展開によって、彼女が得たものは一体何だったのか。

その一つは、「男たちは信用できない」という経験則であろう。

男たちの全てが信用できない訳ではない。しかし男たちもまた、夜の顔と昼の顔が明瞭に峻別されていて、それらの顔を巧みに演じ分けているということである。

その二。「常連客に惚れるな」ということ。


これも前者の経験則から、圭子が存分に学習した苦々しい了解点である。

常連客に惚れ込んだら身を滅ぼすという経験則は、圭子のような誇りと意地を捨てない女にとって由々しき了解点であるに違いない。

その三。「女もまた当てにならない」ということ。

とりわけ若いホステスは一様に、「自分の店を持ちたい」という願望を抱いているので、いつでも返り討ちに合う危険性を孕んでいるということだ。

以上が、圭子がそのホステス人生で学習した人生訓である。 では、圭子がその苛烈なホステス人生で失ったものは何か。

その最大のものは、「自分の美貌があれば、何とかホステス人生を世渡りできる」という少々甘めの人生観である。

映像で観る限り、圭子はシニカルであり、シビアなリアリストでもあった。

簡単に「女」を営業的にセールスしない倫理観も持っていた。

だから、最初から甘い人生観を持っていた人物とはとうてい考えられないが、それでも夜の銀座で働く女たちの苛烈な競争社会の現実と出会ったとき、彼女はどこかで本来的に持っていたであろう、柔なモラリズムでは太刀打ちできない冷厳な現実に削られていくことで、彼女の自我は鍛えられた大人のそれに近づいたと考えられるのである。

以上が、私の想像によるもう一つの映像観である。

成瀬の映画は、私に様々なものを問題提起して止まないのだ。

それだけ彼の作品が、私たちの等身大の人生といつでもピタリと重なる部分が多いからに他ならない。

これほどまでに優れた映像作家を喪った今、日本映画に向かう私の関心は、いつも少しずつ何かが削りとられていくように、寒々しい風景をそこに晒してしまっている。

だから私は、舐めるようにして、繰り返し成瀬を観続けるのである。

 (2006年5月)

【本稿の画像の多くは、「ブログ・こんな日は映画を観よう」から拝借させて頂きました。感謝します】

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