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2008年12月16日火曜日

フォーン・ブース('02)    ジョエル・シュマッカー


<匿名性社会、その闇のテロリズム>




  序  近代社会の光と影



 正直、面白い映画だった。単に面白いだけの映画なら一時間もすれば忘れてしまうが、本作には面白いだけの映画にとどまらない何かがあった。

 それは何だろうか。

 私はそこに、「近代社会の光と影」の最も尖った部分が露出されているように思えたのである。だから「9.11」以後、私が観た映画の中で、本作の評価は高いものがあった。確かに本作には、ハリウッド的な娯楽性の範疇に収斂されるあざとさが随所に散見されるが、その点を割り引いてもなお、私の鑑賞気分を充たす何かがあったのだ。


 ―― その辺りの言及の前に、本作のストーリーラインについて詳細にフォローしていく。



 1  パブリシストの受難



 “オペレーター。番号案内につないで欲しい。番号案内を。長距離電話をかけるんだ。長距離電話さ。天国につないで欲しい。オペレーター、番号案内を頼むよ。イエス様につないでくれ。番号案内を頼むよ。友だちと話したいんだ”

 このような歌詞のゴスペル・ソングが流れて、映像が開かれた。皆、携帯を持っていて、この現代の利器を、当然のように自分の生活の一部に取り込んでいる。

 「ニューヨーク市の人口は、5つの区で約800万人。周辺部を含めれば1200万人。電話回線は、ほぼ1000万。電話会社は50以上。300万人が携帯電話を使う。歩きながら話をするのは、今ではステータスの象徴だ。たちまち公衆電話の座を奪った。だがそれでも未だに、約450万人の居住者、約200万人の外来者は公衆電話を利用している。これは8番街と53丁目角の公衆電話。西マンハッタン“最後の聖域”。ボックス型公衆電話。最後の一台。毎日ここで、300の通話がなされ、この半年間で41回も強盗事件が起きた。電話会社は明日の朝8時に、このボックスも取り壊す予定だ。2ブロック先に、ここの最後の利用者になる男がいる」(冒頭のナレーション)

 このナレーションでも紹介されているように、映画の舞台はニューヨークの繁華街、タイムズ・スクウェアである。
 
スチュワート・シェパード(左)
このタイムズ・スクウェアを一人の男が、部下を連れて歩いている。

 左手に携帯電話を持って、次々に相手を替えて話し込んでいる。男の名はスチュワート・シェパード。

通称スチュ。パブリシスト(注1)である。宣伝マンであるスチュは、携帯一つでタレントなどの売込みや、様々なイベントを計画し、自らが勝ち組のセレブとなった気分で日々を送っている。


(注1)「パブリシストとは、芸能人や政治家などのセレブをクライアントに持ち、彼らとマスコミの間を繋げるために様々なパーティ、記者会見などのイベントを企画・実施していくPR担当者、プレスのこと。一方ではスキャンダルが発覚しないための工作活動を手がけることも。マスコミが集中する大都市圏でしか成立しない職業である」(映画「ニューヨーク、最後の日々」公式HPより)

 
 そんな多忙な男が携帯を手放して、フォーン・ブースに入った。

 明日になれば取り壊される予定の、最後の電話ボックスである。

男がそこに入ったのは、自分の携帯を使えないからである。機能上の問題ではなく、妻帯者である彼が通話記録を残したくないためだ。クライアントである新進女優に、いつも彼はこのようにして連絡をとっているのである。

 そこに、ピザの配達がやって来た。

 男はしつこく付きまとう配達員に金を払って、「お前が食え。失せろ」と下品に言い放って追い返した。

スチュは女優の卵に電話して、映画の企画を持ち出して誘いをかけていく。彼はその誘いを断られ、受話器を置いてボックスを出ようとした。

 更にそこに、一本の電話。彼は思わずその電話を取ってしまった。
 
 「面白いよな。電話が鳴る。相手は分らない。なのに電話を取ってしまう」

 いきなり、知らない男の声がした。

 「何だって?」とスチュ。
 「君は私の感情を傷つけたぞ」
 「誰だ?」
 「電話ボックスから出るな」
 「番号違いだ」
 「美味いピザだった。食って欲しかったよ」
 「さっきのピザは、イケるジョークだな」
 「これから体力の限界を味わうぞ」
 「悪いが切る」
 「ダメだ。君は私に従うんだ」
 「あんたに従う?誰だ?」
 「君を見ている」
 「俺を?」
 「ラズベリー色のシャツに、黒のスーツ。イタリア風だな」
 「どこから見ている?」
 「沢山ある窓を調べて見ろよ」
 「俺は今、何を?」
 
 スチュは電話ボックスから身を乗り出して周囲を見回したが、まるで見当がつかない。彼の中に少しずつ不安が過(よ)ぎってきた。
 
「頭を掻き、髪を後ろへ撫で付けた。良くないぞ、スチュ」
 「スチュだって?一体誰のことだ?」
 「スチュアートと呼ぶか?」
 「あんたに関係ない」
 「スチュアート・シェパード。西51丁目1326番3階」
 「俺に構うな」
 「私はパムも知っている。電話を切るとまずいぞ。誰かが傷つく」
 
 パムとは、新進女優パメラのこと。電話の相手が自分のプライバシーを把握していることに、スチュは不安を隠せない。
 
 「どうした?スチュ」と電話の男。
 「俺が見限った役者か、クビにした助手なら、この町で働けないよう手を回すぞ。俺は無名の人間をスターにも、負け犬にもできる。聞こえたか?金が目当てなのか?狙いは何だ?」
 
 スチュは懸命に虚勢を張って、相手を恫喝しようとする。しかし相手はどこまでも冷静である。

 「話す気になったか?」
 「アダムの差し金か?」
 「いや、私が自分でやったことだ」
 「下らん、切るぞ」
 「君の妻、ケリーにかける。後でな」

 電話を切ったスチュの表情は、明らかに不安な気持ちを隠せないでいる。彼はボックスを飛び出して、周りを見回した。しかし何も分らない。

町行く人々が、それぞれ手に携帯を持って、自分の日常的なプライバシーを吐き出している。そこに再び、ブースの電話が鳴った。

 スチュはそれを取って、いきなり不快な思いをぶつけた。未だ強気である。
 
 「望みは何だ?」
 「私の話に集中しろ」
 「俳優か?」
 「そう、君が見限った役者だ」
 「仕事はなし?」
 「君に手を回されるまでもなく、この街では働けない。オフ・ブロードウェイ(注2)に出たがこけた。家賃を払うため、ウェイターやトイレ掃除もしている」
 「オーディションさせてやる」
 「たかが宣伝屋のくせに」
 「エージェントに顔が利く。楽勝だよ」
 「本当か?すごい。電話して欲しい人がいる」
 「誰だ?」
 「さっき君がかけた相手だよ」
 「何のことだ」
 「メモしておいた。君が押した番号は丸見えだ。パムにかけろ。じゃ、私がかける」
 「止めろ!」
 「手遅れだ。もう鳴っている。スピーカーホーンにする」
 「冗談だろ」
 「スチュ。私は冗談が嫌いだ」
 
 ここで電話の男は、パムに電話した。パムの声がスチュにも届くが、彼の声はパムには聞こえない。それを利用して、男はパムに、スチュがなぜ携帯ではなく、電話ボックスからいつもパムに電話することの理由を説明する。
 
 「女房に携帯の請求書を調べられると困るからだ」と電話の男。
 「何てことだ」とスチュ。
 「独身だと言ってたわ」とパム。
 「女房がいるとも。名前はケリー。感じのいい声をしている・・・君を騙すのは寝るためだよ」
 「デタラメだ。信じるな」とスチュ。

しかしその声は、パムには聞こえない。パムは男の声を受けて、「私はバカじゃない。彼と寝るつもりはない」と答えていく。
 

(注2)大劇場で演じられるミュージカルを、「オン・ブロードウェイ」と呼ぶのに対して、100~300席程度の小劇場で上演される演劇を言う。


 今度は、男はスチュを相手にする。

 男はスチュの妻に電話をして、パムとのことを話すと恫喝するのだ。

スチュは、「俺も時々、気が変になる。辛さは分るよ。妻に電話は止せ」などと言って、懸命に相手の行為を制止しようとする。既にスチュの表情から、相手を権威や恫喝で対応しようとする強気の素振りすらも消えかかっていた。追い込まれているのである。

 スチュは自分の方から妻に話すと言って、妻のいる場所に電話した。
 
 「今、どこ?」と妻のケリー。
 「電話ボックス」と夫のスチュ。
 「知らない男の人からの電話で、あなたが大事な件で電話ボックスから、かけるって」
 「イタズラ電話が多いからな」とスチュ。

 彼は誤魔化すしかなかった。

 「女をホテルに誘うと言え」と電話の男。

 勿論、ケリーには聞こえない。
 
 「黙れ!」とスチュ。

 彼は思わず感情を噴き上げた。驚く自分の妻に、スチュは「君に言ったんじゃない」としか説明できない。
相手の男は笑っている。

先程から、この電話ボックスを唯一の連絡手段に使っているコールガールたちが、外から丸見えのボックスの扉を叩き付けてくる。

スチュはこのとき、電話の男と妻、そして、ボックスを利用しようとする女たちを相手にせざるを得なくなって、次第にストレスの許容臨界点に近づいてきた。
 
 「我慢の限界だ」とスチュ。
 「電話を切ったら、君を殺す」
 「窓から双眼鏡で見て、何ができる」
 「双眼鏡ではない。高度な照準器で見ている・・・」と相手の男。

 敵はライフルを持っていると言うのである。
 
 「君を狙っている」
 「結構だな・・・クタバレ」とスチュ。

 彼は懸命に強気を装うとしている。そして受話機にライフル音を響かせた。スチュの表情に、再び不安の感情が炙り出されていく。

 「ここで発砲してみろ。大騒ぎになるぞ。警官が一斉に包囲する」
 「そう思うか?やってみよう。1・・・2・・・隠れてもムダだ・・・3」

 男がそう言った瞬間、ボックス前にリモコンで近づいて来た玩具のロボットが狙撃されて、破壊された。スチュはボックス内で思わずしゃがみ込んだ。
 
 「皆を見るがいい。大勢が悲鳴を上げている。警官が来たぞ・・・スチュ、聞いているか?男らしく、立て」
 「これといった理由もなく、俺を殺すのか?」
 
 スチュの声はあまりに弱々しい。

 「理由は山ほどある。数え切れないほど・・・君の繊細さを試そう。今、君に照準を定めている。感じるか?レーザー・スコープの熱を。集中しろ。意識を集中させろ。どこを狙っている?・・・答えてくれ、俺は今どこを狙っている?」
 「肩の下」 
 「どっちの?」
 「右側だ」
 「いいぞ、他の連中よりずっと頭が切れる・・・」

このとき、先程追い返されたコールガールのポン引きがやって来て、ボックスの扉を叩いた。電話を切りたくても切れないスチュは当惑するばかり。

 「・・・女たちが、うるせえんだよ・・・こっちは商売なんだ」とポン引き。
 「分るが、切れないんだ」とスチュ。
 「姉ちゃんたちが怒ってんだよ。お前の態度は眼に余る。丁寧に言ってるんだ。電話を切って、失せろ!」

 相手は、今度は簡単に引き下がらない。スチュは札ビラを切って、それで追い返そうとするが、相手は全く動じない。電話の相手は、何でも金で解決しようとするスチュを笑っている。ポン引きはボックスを蹴飛ばすが、それでも中から出られないスチュに激昂し、店からバッドを持って来て、それでボックスのガラスを打ち破ったのだ。

 電話の相手はスチュに、「止めてやろうか」と打診し、ポン引きに体を押さえつけられていたスチュは、思わず「イエス」と答えた。その瞬間、相手の動きが止まった。ポン引きは電話の男に狙撃され、その場に倒れ込んだのだ。事態は一遍に、大事件に発展していったのである。

 「なぜだ。なぜ、奴を撃ったんだ?」
 「“イエス”と」
 「“聞こえる”と返事したんだ」
 「言葉は慎重に選べ」

 この間、ボックスの周りに人だかりができて、彼らは皆スチュを睨んでいる。

 「俺じゃない。銃は持ってない」

 スチュは外の女たちに弁明するが、誰も取り合わない。事態は深刻な状況を呈してきた。電話の相手は、全ての責任はスチュにあると詰るのである。

 「君の罪は、他人対して傲慢なこと」 
 「罪なんかない」 
 「自分の行為に、男らしく責任を取れ」 
 「あんたが殺した責任を、俺が取るのか?」
 「原因は君にある」 
 「俺が何をしたか知らないが、あんたなど死ねばいい」
 「やっと本音を吐いたな」 
 「あんたは誰だ?」
 「君とは生きる世界が違う人間だ」
 「仕事は?」
 「観察している」
 「観察?」
 「人生に行き詰って、小さな部屋に閉じこもり、窓の外を眺め、毎日電話ボックスに出入りする人々を見る。そして彼らの物語を想像する。ある日、想像に飽き、一人を尾行する。彼の嘘を知り、罰してやろうと決意する。携帯片手の尊大な男は、私には気づかない。だが私は、ポルノ王や狡猾な重役に眼を止めた。そして君にもだ」
 「光栄だね・・・なぜ、ライフルを持った男に狙われる?」
 「欲しい物を手に入れている。ケリーとパムだ。パムをレストランまで尾行した。美人だな。君は恵まれているのに、感謝もしない」
 「見かけと実際は違う。自信家に見えても、助けを求めている。助けてくれ」
 「私は助けようとしている。だが君が悪い」

 電話の男の話だと、ポルノ王や狡猾な重役の殺害の犯人も自分だと言う。

明らかに、恐怖感を募らせていくスチュは、今や、敵に助けを求める臆病な男に成り下がっている。恐らく、それがこの男の実像なのだろう。

しかしもはや、この男の取り得る選択は限定されている。そこまで追い詰められてしまっているのだ。

 スチュがボックスの外を見ると、いつの間にか警察官に包囲されていた。

メディアも集まっていて、それを多くの群衆が取り囲んでいる。状況は、フォーン・ブースに閉じこもる射撃魔という空気であった。この空気を利用して、電話の男はスチュを更に追い詰めていく。

 「両手を上げ、出て来い!命令だ」

 警察の指示が、拡声器を通してボックスに閉じ込めらた哀れな男に投げ入れられた。

 「君は私の命令に従え」と電話の男。

 スチュを支配するのは、この男以外ではなかった。

 「毎日、大勢が死んでいる。だが街頭の死体一つに、人は恐れ戦く。彼らを見てみろ。恐怖に震えている。警官が10人・・・ナムを思い出す」
 「ベトナムか?俺は子供だったが、写真は見た」とスチュ。
 「恐怖、悪臭、焦げた死体を喰う豚。ブーツの中の手榴弾。帰還兵は責められる。唾を吐かれたよ」
 「国家は謝罪すべきだ。あんたが分ったよ。若くして戦争から戻り、感覚が麻痺し、仕事もなく孤独。辛すぎる身の上だよ。皆、理解してくれる。警官は帰還兵の味方だ」
 「情けない奴だ。よく考えてみろ。焦げた死体?帰還兵なら50歳は過ぎている」
 「騙すのは止せ!」

ボックスに近づくレイミー警部
このボックスの中での会話に、警察を指揮するレイミー警部が入り込んで来た。

彼はスチュが後ろに拳銃を隠していると考えているが、そのスチュの言い分を聞こうとしたのである。

 「その刑事(デカ)は目障りだ」と電話の声。
 「邪魔するな」とスチュ。
 「一体、誰と話している?」とレイミー警部。
 
 スチュは電話の男の、「答えに気をつけろよ」という指示で、「精神科医」と話していることを警部に告げた。

 電話から笑い声が漏れてきた。警部はその嘘話に突っ込んでくるが、スチュは「近づくな」としか反応できない。警部の背後には射撃班が待機しているが、誰も人質にとっていないスチュに対して、警部は強行突入を躊躇(ためら)っている。彼は部下に、電話の主を特定するために逆探知を命じた。

 一方、電話の男は状況を愉悦している。

 「君は今、最も注目の存在だ。じき全米に流れる・・・全局、君のニュースだ」
 「俺は一週間で忘れられる。被害者は皆そうだ。だが犯人は、タイム誌の表紙になる。あんたは有名になる・・・俺の名は忘れられても、あんたの名は長く残る」
 「注目は浴びたくない」
 「うまく売るんだ」

 スチュは自分の職業的能力を利用して、犯人を自分の守備範囲に招こうとしている。しかし、犯人は毅然と言い放つ。

 「恐怖は創造性を生む」
 「マスコミが飛びつく・・・」
 「君を殺さずに投降しても、有名になるかな」
 「あんたはヒーローになる。作家に本を書かせ、ドラマ化して全米を味方につける・・・」
 「助かるためには、君を信じろと?」
 「そうとも、俺を信じてくれ」
 「私をバカだと思っているようだな」

 スチュは自分を守るための必死の会話を続けるが、電話の男には全く通じない。それを感受した彼の表情は、恐怖に引き攣(つ)っている。

妻ケリー
そのとき、彼の妻のケリーが、慌てて事件の現場に駆けつけて来た。

 彼女は警部に、夫が電話の男に脅されているらしいことを必死に説明する。それを知った警部は、電話の逆探知を部下に急がせた。

 ここで妻のケリーが、拡声器を使って夫に呼びかけていく。
 
 しかし、ボックス内の夫は電話の男の指示で、「妻じゃない。イカれた女優で、俺を付け回していた」と答えるしかなかった。妻は警部に夫の写真を見せて、その関係が夫婦であることを証明した。警部はケリーの話を信用し、スチュに呼びかけていく。

 「スチュ、奥さんの話を聞け。心配しているんだ」
 「妻じゃない」とスチュ。
 「誰も何もしないわ。事情を知りたいだけよ」とケリー。
 「その手に乗るもんか。イカれ女め!さっさと帰れ!」
 「事態を悪化させないで。出て来て。警察に従って」

 警部の指示で、ケリーの呼びかけは中断した。今やスチュを支配し、状況を支配しているのは、紛れもなく電話の男だった。男は、自分が駆使する邪道なる権力に酩酊しているように見える。

 「ケリーに真実を話せ。パムとのことを」と電話の男。
 「それで解放するか?」とスチュ。
 「勿論」と電話の男。

 男はスチュに、彼にとって最も辛い行動を要求した。パムとの関係を妻に告白させようとしたのである。スチュは殆ど泣き顔になって、妻に告白した。

 「あなたが何をしようと気にしない」と妻。
 「言われた通りにした。もう終わりだ」とスチュ。電話の男にそう答えた。
 「いや、まだだ」と電話の男。

 この男にはケリーの反応が気に食わなかったのだろう。

 「気が変わった」
「何て奴だ。なぜ俺をこんな目に遭わす。望むことは全てやった。よくも騙したな。もう沢山だ!くたばりやがれ!」

 スチュは完全に臨界点を越えてしまった。彼は一方的に電話を切ったのだ。

それを見た警部は驚いている。狙撃班が動き出した。
 
 「投降する」とスチュ。

 
 彼はボックスから、自らの意思で出て来たのである。



 「銃を置け」と警部。

レイミー警部
警部の指示に従って、スチュが両手を挙げて近づいて来た。

そこにケリーが飛び出して来た。それをスチュは制止する。男のライフルがどこかで狙っているからだ。そこにまた電話があった。
 
 「よし、電話に出ろ」とレイミー警部。
 
 スチュは再びボックスに戻り、電話を取った。

 「さっきはついカッとして、口が滑ったようだが忘れてやろう」
 「騙したな」
 「騙される痛みを知ったか」
 「解放の約束は?」
 「落ち着け。物事は思うようにいかない。君はここまで良くやったが、まだ終りじゃない」
 「俺は出て行く」
 「命を落とすぞ」
 「走って飛び出す。一発勝負だ。撃てるか?」
 「いい射撃練習になる」
 「すぐに居場所が知れるぞ。武装警官に運命を委ねるがいい。レオン殺しの濡れ衣が晴れるかどうか」
 「俺はやっていない」
 「動機は充分。うるさい目撃者も大勢いる」 
 「俺は無実だ」
 「本当に?」
 「そうだ!」
 「凶器の隠し場所を忘れたのか?天井板を持ち上げてみろ」

 電話の男の指示に従って上を見たスチュは、唖然とした。そこに拳銃が隠されていたのである。

 「手を伸ばして、確かめてみたまえ」
 「警官に撃ち殺される」
 「やってみろよ」
 「ライフルの弾は拳銃の弾と一致しない。テレビで覚えた」
 「衝撃で潰れる弾だ。判別できない」
 「銃なんかない」
 「信じないなら自分で見ろ。弾も入っている」
 「どうでもいい」
 「想像力を働かせろ。私を撃ちたいと思うだろう?」
 「笑いながら撃ってやる」
 「その意気だ。私は劇場の上の4階にいる。ピンクのカーテンの部屋だ」
 
 信じ難いことを言われたスチュは、周りを見回した。すると男の言うように、ピンクのカーテンの部屋があった。

 「なぜ、教える?」
 「楽しいからさ。チャンスは互角だ。それが望みだろ?私の場所を知り、銃もある。度胸さえあれば、私を殺せる」
 「撃つ前に殺される」
 「まあ、そうだな。私の居場所も嘘だ。カーテンに穴を開けるだけだ」
 
 この会話の終わりに、新進女優のパムが人だかりの中に入って来た。

 「パムを傷つけたくないなら、銃を取れ」と電話の男。

 男は銃を取ることを拒むスチュに、身代わりを選べと要求した。パムか、ケリーのどちらを殺していいか、その答えを求めたのである。当然、スチュは拒んだ。
 
 「一人選べば、君は助かる」と電話の男。明らかに偏執狂である。
 「止めてくれ。もう耐えられない」とスチュ。

 そう言って、彼はしゃがみ込んだ。泣き声になっている。

 「男らしくしろ。だらしがないぞ!」
 
 こんな不気味な会話の中で、スチュはポケットの携帯でケリーに発信した。

 ケリーは夫からかかってきた携帯を、そのまま警部に渡した。

フォーン・ブース内の異常な会話の内容を知る警部
警部はフォーン・ブース内の異常な会話の内容を知ることになる。

警部は狙撃犯の存在を確認し、部下にその位置の特定を急がせた。

事情を知った警部はボックスに近づいて、スチュに状況の本質を把握していることを暗に伝え、後方に下がったのである。

 「聖書オタクが、軽薄なPR屋を殺す」と電話の男。
 「望みを言え」とスチュ。
 「誰でも悪党には罰を受けさせたい。銃を取れ」
 「自殺か?」
 「そうとも。印象的な行為だ」

 電話の男に強制され、スチュは銃に手をかけた。

 「映像は全米に流れるぞ」
 「俺の死を見たいか?」
 「そうではない。助かりたいなら、告白しろ」
 「全て話した」
 「全てじゃない。言い訳や、ごまかしはダメだ。カメラに向って本音を吐け。テレビは人の“悪”を見せる。ぴったりだ・・・君に罪を償うチャンスを与える。愛する者、数百万の視聴者、そして私の前で告白しろ。死ぬときがきた」
 「俺の罪は重大か?殺人者、小児性愛者じゃない。女優と寝たいだけの宣伝屋だ。大物に見られたくて、派手な背広に金をかける男。自分に無益な相手は冷酷に扱う」
 「私は知っている。皆に言うんだ」
 
 スチュは、その言葉をボックスの外に吐き出した。
 
 「・・・物事の本当の価値には眼も向けず、上辺だけ・・・パムに罪はないんだ。結婚していたことは隠していた。ケリー、君を見ていると自分が恥ずかしい。俺は成功した男のイメージを築いたつもりでいたが、とんだバカだったよ。独りぼっちが似合いだ。自分と違う人間を長く演じすぎたから、本当の俺を知られるのが怖い。でも、これが俺の姿。ただの弱い人間だ。君を心から愛している・・・君のことを失いたくない。でも、俺にはもう何も言う資格はない。俺は君に不向きだ・・・解放する気はないんだろ?・・・俺には嘘をつく人間が分る・・・」
 
 スチュの長い告白。後半は、殆ど涙交じりの告白。そして最後に、自分を甚振(いたぶ)り続ける男への諦念が刻まれた。

 「では、なぜ告白した?」と電話の男。
「あんたのためじゃない」とスチュ。まだ泣いている。

 この間、警部は犯人から妻にかけられた電話の記録から、犯人の潜むホテルの部屋を特定できたとの報告を受けた。

 「清らかな心で死ねるな」と男の声。
 「死ぬのはお前だ。警官をお前を捕まえに行く。俺が送り込んだ!」とスチュ。

 彼は警部から受け取ったメッセージを犯人に告げたのだ。彼にはもう状況の全てが我慢し難かったのだろう。
 
 「また嘘か」と電話の男。

 スチュの言うことを信用する訳がないのだ。

 「警官がお前を追い詰める。周りを見てみろ。刻々、包囲網が狭まる。じき、このボックスほどの狭さになる」
 「誰も来ないぞ」
 「よく聞け!ドアを破って殺しに来る。あと数秒だ。逃げるか?」
 「そうなれば道連れが必要だ。お前の一番大切なケリーがいい!」
 「俺だ!原因は俺なんだ!俺を道連れに!」
 
スチュはそう叫ぶや否や、銃を取って、ボックスの外に出て叫んだ。
 
 「俺を殺すがいい!
 
 その瞬間、一発の銃声。スチュはその場に倒れこんだ。

 一方、犯人のホテルの部屋に突入した警官隊は、犯人の死体を確認した。犯人は突入前に、喉を掻き切って自殺したのである。

 まもなく、警官のゴム弾に当たって倒れたスチュを警部が起こし、そこに妻のケリーが飛んで来た。更に死体となった犯人が運ばれて来て、二人はその顔を見た。スチュはその顔を見て驚嘆した。

 「電話が鳴る数分前に、ピザを届けに来た奴だ」
 
 その後、スチュは救急車の中で、鎮静剤を打たれて、意識が朦朧(もうろう)となっていた。その朦朧とした意識の中に、見たこともない中年男の声が侵入してきた。

「洒落た靴だな。イタリア製か。電話を切ったな。別れの挨拶もしていないのに。ピザ配達人は気の毒だった。君とケリーの仲直りは感動的だったよ。礼は結構だ。誰も言わんしな。君の誠実さが続くように祈る。もしそうでない時は、また電話するよ」
 
 左手にライフル銃を入れたケースを持ったその男は、救急車の傍らから離れて、ゆっくりと騒々しいニューヨークの街中を歩いていく。
 
 「面白いよな・・・電話が鳴る。相手は分らない。なのに電話を取ってしまう。そうだろ?」
 
 男は事件のフォーン・ブースに目を遣りながら、そう呟いたのだ。

 真犯人の正体は最後まで分らなかった。

 不気味な映画の、不気味な展開の物語は、不気味な衛星の周回の画面を映し出して、アイロニカルに閉じていった。

       
                 *       *       *       *

 

 2  匿名性の暴力の狂態



 私たちの近代が手に入れた「大いなる豊かさ」は、皆が均しく貧しかった時代のある種の平等信仰に風穴を開けたに違いない。均しく貧しかった時代には、一部特権階級の「富の独占」に対してさして気にも留めなかったが、「大いなる豊かさ」のそのうねりの起動によって、ごく身近な他人の幸福の有りようまでもが気になってきて、そこに能力主義社会の全面展開の駆動が、人々の意識を鷲掴みにしていくことで、いよいよ「格差」への認知はリアリティを形成するに至る。

 これは、自分だけが不幸であるという現実的な認知を受容できない時代の到来を告げるものだった。豊かさの実感は自由の選択肢の幅を広げる感覚を自明のものとし、更にそこに、私権の拡大的定着が揺るがないものになってきたとき、人々の意識は価値相対主義に流れ込んでいくことになった。

 ある意味で、最大の宗教国家であると言われるアメリカにおいてすら、豊かさを獲得した都市生活者たちの意識のバックボーンには、誰にも侵害されたくない私権意識の強固なバリアが張り巡らされているに違いない。

 彼らにとって宗教的な絶対感は、あくまでも、自らの私権感覚の砦の内に同居し得る限りにおいて存在する何かであろう。

不平等なる「大いなる豊かさ」の達成は、私権の拡大的定着と相対主義の快楽を手に入れたが、実はその内側に、厄介な鬼っ子を分娩してしまったのである。その鬼っ子とは、匿名性社会の思いもかけない膨張であり、その歪んだ尖りの噴出である。

 プライバシーの保護が制度的に守られていけばいく程、その特権的な私権の城砦を暴いて止まない者たちの陰湿な暴走を加速させてしまうのである。私権の砦を目立たせる者には、その独占的な快楽に楔を打つことで楽しむ、「私権剥がし」の暴力が必ず追い駆けてくる。前者の存在が匿名化されていない分だけ、それを食(は)むことで愉悦する匿名性の暴力の狂態がより炙り出されてしまうのである。
 
インターネットの普及(イメージ画像・GIGAZINEより)
近年のインターネットの急速な普及は、匿名性社会の裾野を確実に広げてしまったと言えるだろう。ハンドルネームを駆使して、匿名掲示板に書き込まれる不快情報の数々は、明らかにモラルハラスメントの様相を呈していて、それを制度的にフォローしても防ぎ得ない匿名者の暴走が氾濫する始末である。

これらの情報は人権侵害のとば口にあって、未だ凶悪な犯罪にリンクせずとも、その不快情報の抑制の効かない暴走は、殆どエンドレスな状況を呈していると言っていいだろう。
 
 例えば、一人の有名人が知られたくないプライバシーをキャッチされたとき、そこに群がる攻撃的な情報の狂宴は、この上なく便利な利器を開拓し、私権の拡大的定着が保証される近代の快楽の内に、ほぼ必然的に分娩されたものと考えた方がいい。

 このような匿名者たちの暴力は殆ど確信犯であり、その目的は特定他者を甚振ることによって手に入れる快楽にこそある。特定他者も快楽主義者なら、それを攻撃する匿名者もまた歪んだ快楽主義者なのである。

 近代社会の問題の一つは、実は私たちが手に入れた様々な快楽の様態と、その歪んだ回路の暴走を抑制し得なかった脆弱さの中にあるとも言える。

匿名者たちは自らの快楽の享受を、自分が甚振る特定他者の辛さや苦悶の表情を想像したり、或いは、それを何らかの形で目撃したりすることで達成しているのである。何とも歪んだ欲望だが、それもまた、近代社会が分娩した捉えようのない陰翳の一つの現象なのだ。



 3  嫉妬の時代



 近代とは、嫉妬の時代である。

 しかもその嫉妬が、簡単な利器を通じて特定他者を決定的に甚振(いたぶ)ることが具現できることによって、その病理を再生産させてしまうという負の連鎖の構造を検証してしまったのだ。嫉妬の時代の闇は、深々と陰湿さを増し、もはや辿り着く所のない迷妄をいよいよ広げるばかりである。
 
 快楽を目的とする匿名者が特定他者を甚振って手に入れる快楽が、自分が仕掛けた攻撃によって一定の功を奏し、そこで相手の苦吟を確認することで手に入れる満足感にしばし浸れるが、しかしここで厄介なのは、その満足感は一回的なものでしかないということだ。

 甚振ることを止めない者は、更なるレベルの満足を求めることになるので、そこにいつまでたっても、自己完結の最終的達成点が手に入らないのである。

 より手応えのある快楽を手に入れるために、その攻撃の質を高めていかざるを得ないエンドレスの構造を持ってしまうということ。それが厄介なのだ。次のより高いレベルの快楽に流れていくことで、いよいよその様態を変えていくのである。満足感というものに明瞭なゴールを持たない限り、快楽を求める人間の暴走は決して一箇所に留まることはないだろう。

 だから人は、常に絶対的快楽を求めて突き進む。

「拡大自殺」とも言われる秋葉原通り魔殺人
無論、そんなものは存在しないから、そのエンドレスな構造に呪縛された人間の脆い自我は、結局は破局に向って堕ちていく以外にないのである。しばしば快楽を目的とする卑小な匿名者は、いつしか快楽殺人者となって手に入れる快楽の醍醐味を忘れられず、次々に特定他者を転がしていって、しばしば、ある種の「拡大自殺」(注3)の様相を呈するかの如く、遂に自らの自我を壊すに至るに違いない。


(注3)他者の手を借りて自滅していくような様態。「間接自殺」とも言う。
 


 4  堕落せし者たちを裁く神



 以上の問題意識を念頭に入れて、本作に言及する。

 
 本作の主人公、スチュはパブリシストを気取るものの、新進女優も満足に口説けない口八丁のケチな宣伝マンである。この男がどれ程の財産を所有しているか定かでないが、恐らくたかが知れているだろう。現にスチュは、業界でそれ程の辣腕の持ち主であるという評価からはほど遠かった。

「傲慢の罪」によって裁かれるスチュワート・シェパード
そんな男が狙われた。

 男を狙った者は、無論、極度に歪んだ匿名者。

 しかも、この発信者は殺人まで犯しているから、単なる快楽的匿名者の次元を越えて、既に劇場型犯罪にも似た快楽殺人者をも髣髴させる。あろうことか、この男は、スチュを「傲慢の罪」によって裁こうとしたのだ。この男の話だと、過去にポルノ王や狡猾な重役のテロ犯罪に関係していると言う。

どうやらこの男は、自らを、「堕落せし者たちを裁く神」と看做しているようである。
 
 そんな不気味な男だが、映像を通して、その実像は一度も語られない。語られないから、この男のスチュ攻撃の目的も不分明である。

それにも拘らず、この男はスチュのプライバシーを把握している。彼の妻のケリーですら知らない事実、即ち、スチュが秘め事にしている他愛のない浮気心ですら、この男は把握しているのだ。

 その当人のスチュはと言えば、新進女優と寝たいと願ってはいるが、相手からあまり相手にされないような程度のケチな気分で、フォーン・ブースを利用しているに過ぎない男の浮気心で、タイムズ・スクエアを我が物顔で闊歩してみせる見栄っ張り。

確かに、その見栄っ張りの態度は、他者に対する傲慢な振舞いによって際立っていたが、それも宣伝マンとしての能力不足を補完しようとする脆弱さの表われに過ぎない。

それは、電話の男が仕組んだピザ店員に対して、「失せろ」と吐いた言動に象徴されるレベルの愚かさに過ぎないのである。
 
 しかし電話の男は、そんなケチな宣伝マンを「特定他者」に指定して、本来的に非力な「勝ち組」自称者を、集中的に攻撃して止まないのだ。

電話の男の行動は、映像を観る限り、全て男の主観が描いた「断罪のシナリオ」通りに進めていて、ボックス内に隠した拳銃の存在を考えれば、男はスチュを最終段階で警察に狙撃させる段取りを作っていたと思われる。
 
 つまり、こういうことだ。

 問題のフォーン・ブースが、その日限りで取り壊される日に、いつもの時間にスチュがこのボックスを利用し、そしてその時間を利用してピザ屋に配達を頼み、そのピザ屋が追い返された後、ボックスを利用する女たちが騒いで、その結果、ポン引きとひと悶着が起きる。

 更に、そのポン引きがホテルの一室からサイレンサー付きのライフルで射殺され、そこに事件が発生するのだ。

 当然、警察官に包囲される。

しかし、スチュはボックスの中から動けない。スチュがボックスから出て懺悔した後、電話の男によって指示された拳銃にスチュが手をかけたとき、彼は警察の狙撃班によって射殺されるという運命を担っていく。そこで、事件は自己完結する予定だったと思われるのである。

 しかし、このシナリオに微妙な誤作動が生じ、不本意にも宣伝マンを生かし、ピザ配達人を殺害するに至った。

それでも電話の男は遂に逮捕されることなく、その目的の遂行は、スチュの懺悔という半分の達成に終始した。しかし男には、まだ充分に時間がある。スチュを監視し、その「悪徳」に変化が起こらなければ、事件を再び起こせばいいだけのことである。男はそう考えて、現場を静かに後にしたのだろうか。
 
 この男の心理についての言及は後述するとして、ここでテーマを変えて、論を繋げていきたい。

 

 5  「電話ボックス」と「携帯電話」



 本作のキーワードについて考えてみる。
 

 私は本作のキーワードは、「電話ボックス」と「携帯電話」にあると考えている。共に「光の近代」を象徴する利器の一つだが、後者の急速な普及によって、前者の利器としての役割が終焉したとする見方はあまりに自明のことである。
 
 然るに、「携帯」以前の「電話ボックス」が果たした役割は大きかった。

その狭い空間に潜むことで、私たちは誰にも聞かれることのないプライバシーを、エリアの離れた他者との間で自在に交換することができた。家の電話を使えば漏れる可能性のある知られたくないプライバシーも、人一人入れるほどの空間に潜り込んでしまえば、遠距離に住む他者との間の睦みをクロスさせることができるのである。

 確かに犯罪防止の故に、「電話ボックス」の中は外部から丸見えになっていて、プライバシーの独占は甚だ困難だが、そのレベルの情報の露出は、そこを利用する個人にとっては末梢的な問題に過ぎない。なぜなら「電話ボックス」の利用者は、会話の内容のみを秘め事にしておきたいからである。

 そのことを考えるとき、「電話ボックス」の存在は、それを目的的に利用する個人にとっては、私的情報の絶好の交換手段としての固有の価値を保障する媒体以外の何ものでもなかったと言えるだろう。

 そこでは、露出される視覚次元のプライバシーと交換し得るに足る、聴覚次元のプライバシーの価値が手に入るのである。この目的的なプライバシーの獲得こそ、「電話ボックス」の最大の存在価値であったのだ。

同時に、私権に拘泥する私たちのプライバシーのスタンスとの関係に於いても、それはまさに、頃合のバランス感覚によって保持されていたと言えようか。この把握はとても重要である、と私は考える。
 
ノキアの歴代携帯電話など(イメージ画像・ウイキ)
ところが「携帯」の出現によって、私たちの私権の感覚が極めて過剰になり、しばしばそれが不快なまでの尖りを見せる情報媒体になってしまったのである。

「携帯」という利器が私たちの日常性の内に侵入し、それがあっという間に、日常性の不可避なツールとしての役割を持ったことで、情報に依拠する私たちの文化フィールドは殆ど革命的なシフトを遂げてしまったと考えられる。

 それはもう、私たちの身体の一部になってしまったと言っていい。私たちの身体の機能がそれによって格段に伸ばされて、私たちは歩行しながら傍らにいない友人と会話し、そこから知りたい情報を好んでチョイスすることさえできるのだ。

 私たちの日常は、「携帯」の出現によって情報漬けの時間の海に漬かることになったのである。

「携帯」の出現は、私たちの身体感覚から「距離」という観念を壊し、逆に物理的な操作感の飛躍的な増幅と反比例して、触感的な皮膚感覚を著しく磨耗させてしまったとも言えるだろうか。
 
 しかし「携帯」の革命は、そんな眼に見える感覚的変化のレベルに留まらない。何よりもそれは、私たちの私権意識の適切な均衡感を崩してしまったのである。
 
 私たちがそれぞれの目的を持って、街を歩いているとしよう。

すると、すれ違った通行人が一人であるのに、そこから突然、違和感を覚えさせる声が届いてしまうのだ。その違和感は、自分が知りたくもない赤の他人の個人情報が、唐突に侵入してきた不快感情であると言っていい。それは機械音のような騒音ではない。まさに、人の声であるからこそ不快なのだ。

 それは、誰が住んでいるか認識できていないアパートの隣室から、その人の日常風景の様態が言語化されて、自分の部屋に侵入してきて止まない不快感を想起すれば足りるだろう。自分が知りたくもない他者のプライバシーの乱入ほど、不愉快な事態はないということだ。「携帯」の出現は、このような不快因子を生活空間の多くの場面で拡大的に増幅させてしまったのである。

 侵入者としての「携帯」の威力は、限定的で、特定の生活空間における異次元的な「快走」に留まらないのだ。街に出れば普通の感覚で氾濫し、鉄道車両の空間にあっても「快走」し、店舗にあっても、エレベーターに乗っても、静寂な住宅街に戻っても、限りなくその「快走」を止めないで踊っている。そこに吐き出される他人の、どうでもいいプライバシーが澱みのない流れとなって、時間と空間を切り裂いていくのだ。

 個人的な経験を言えば、閑静な郊外に一時(いっとき)住んでいた頃、自分にとって必要な眠りの世界に抱かれていたまさにそのとき、私は男たちの絶叫のような会話の騒音によって叩き起こされた。

私は慌てて起きて、玄関の窓から外を見ると、家の前の道路には「携帯」を持った一人の男が立っていただけだった。複数の男たちの会話の正体は、単に一人の男の通話の言葉に過ぎなかったのだ。

 私はこのときほど、侵入者としての「携帯」の威力を感受したことはなかった。勝手に自分のプライバシーを吐き出す男には、地域が生活共同体としての最低限の規範性によって成り立つという観念が完全に欠落しているのである。車両空間も、そこに乗り合わせた人々の物理的共同体という暗黙の了解ラインが成立していたはずだが、それも今や崩れ去ってしまったように見える。

 しかも近代社会は、価値相対主義の天下である。

 「人は人、自分は自分」という観念の蔓延化は、「携帯」を使う自分のプライバシーの街中での放出を是認するに至るから、それを使用せず、寧ろ、そんな情報洪水の氾濫から逃避したいと考える人々の権利をも奪ってしまうのだ。

ごく普通の規模の静寂を求める人々の、その普通の権利すらも奪われたと感じる思いの中には、都市生活から疎外感を感じて止まない思いを引き摺って、時代との上手な接合性を果たせないストレスを、過剰なまでに抱え込んでしまうケースが包含されるであろう。

イメージ画像・ブログGANREFより
「光の近代」の尖りは、必ずと言っていいほど「影の近代」の澱みをプールさせていく。そこでプールされたものがしばしば噴き上がってきて、「闇の近代」の側面を炙り出すことにもなるに違いない。

 便利であり、快適であり、それがえも言われぬ快楽を随伴するものであればあるほど、それを快楽と感じられない人々の不満を高めていく。不満を高めた人の自我に反社会的な攻撃性がべったりと張り付いているなら、その攻撃性が内側で合理的に組織され、それが一見不条理な暴力を突出させる場合もあるだろう。

 確信的匿名者による確信的な暴力こそが、「闇の近代」の見えにくい偏執狂的な世界の突出でもあるのだ。

 

 6  鬼っ子としての「闇の近代」



 再び、本作に戻る。
 

 私の推論だが、この映画の偏執狂的な犯人の心理を考えたとき、まずこの犯人には、この事件に至るまでの、犯人なりの合理的な心理の軌跡があったことを想定せざるを得ないのである。

 電話の男は、「光の近代」の洪水の海で騒がしく喚き散らす者たちの行為を「悪徳」と断定し、彼らを抹殺するか、或いは、何某かの懺悔を迫る裁きを加えることを決意した。

この犯人が実際、ポルノ王や狡猾な重役を殺害したか不分明だが、本作の展開を観る限り、電話の男の偏執狂的な確信ラインは、既に充分なシリアルキラーであったことを想像させるのだ。

 この男にこのような行為を決意させるに至ったライトモチーフに、果たして男が言うような、「聖書オタク」的な文脈が横臥(おうが)しているか、それも分らない。しかしこの男の自我の内側に、自らが抹殺すべき「悪徳の徒」に対峙する哲学的、倫理的文脈が立ち上げられていたと考えるのは決して不自然ではない。

男が殺害した者たちは、いずれもポルノ王であったり、ポン引きであったりしたことは重要である。そして次なるターゲットとして、スチュが狙われた心理的文脈も理解できる。
 
 そのモチーフを、私はこう考えた。

ニューヨークのタイムズ・スクエアを、部下を引き連れて我が物顔で闊歩する男がいた。その男が吐き出す浮薄な言葉の数々は、その態度と合わせて充分に傲慢であり過ぎた。

それを殆ど毎日繰り返す雑音を耳にした鋭敏な攻撃者は、恐らく、彼の抹殺のリストにこの男を加えたに違いない。

常に二台の「携帯」を持ち歩いて、聞きたくもないその不快なプライバシーの放出を封じ込めるには、男にとって最も屈辱的な方法による以外にないと考えたのだろう。

 電話の男は、その手段を公衆の面前での懺悔であると決めたのではないか。電話ボックスを使って女を口説く男の不徳を、電話の男はまさにそのフォーン・ブース内で攻撃し、更に、その限定的な私権の許容範囲に於いて決定的な懺悔を迫ることを考えたのであろう。

 電話の男にとっては、ポン引きもまた抹殺リストに入っているだろうから、この男を射殺し、その責任までもケチな宣伝マンに被せようとした訳だ。男に誤算があったとすれば、スチュの妻ケリーの寛容な振舞いと、ピザ店員を殺したことだろう。

特に後者は抹殺リストに入っていなかったはずだが、万一の際に、犯人の代理役としての役割を遂行するというシナリオだけは用意されていたに違いない。
 
 そのような観念に呪縛された男は、既に充分過ぎるほど過剰なモノマニア(偏執狂者)だが、男がそのような心理的軌跡を辿るに至った経緯についてもまた、想像の限りでしかない。

男の拠って立つ精神的基盤が一種の原理主義的な世界にあることは想像し得るが、しかしその尖ったメンタリティが異常な犯罪にシフトした文脈の内に、目立った媒介項が存在したかどうか不分明である。

恐らく、確信犯としてのこの男の中で、いつしか微妙な波動が生じてきて、その波動を軌道修正できない恐怖に満ちたラインが形成されてしまったに違いない。

最初は悪戯半分で始めたものが、やがて、匿名者の独占的快楽主義という成功報酬の累積の中で、かつて味わったことのない魔境の蜜の味から脱出不能になってしまったと考えられる。匿名の悪戯のゲームには、快楽殺人を経ることで、遂に戻るべき場所に戻れなくなってしまった人間の脆弱さが垣間見えるのである。
 
 本作における犯人のそうした脆弱さは、本作の主人公であるスチュにこそ当て嵌るとも言える。

男の恫喝によって虚飾を剥がされた宣伝マンの惨めさは際立っていた。宣伝マンは男との会話を通して、その自我に張り付けられた虚飾の一切が剥ぎ取られて、遂に生身の人間の、その非武装の姿を晒すことになってしまったのである。

 「近代社会の光と影」―- 「光の近代」の象徴的利器の一つである「携帯」を駆使して、大都市の目抜き通りを闊歩する宣伝マンが、そこで撒き散らした不快な情報の虚飾性を徹底的に剥がされていく、その醜悪なるリアリティ。

 その虚飾を剥がしていく者は、「闇の近代」に潜り込んだ一人の謎に満ちた匿名者。彼は自分の仕事を、「神の代行」とさえ考えているかも知れないような偏執狂的テロリスト。

 そのテロリストは、自分が作った闇の戦場でのその快楽を存分に味わい尽くしてしまうから、もうその狂気から解放されることはないであろう。

 男がその狂気から解放されるとき、それは男の自我の解体によってでしかない。男の歪んだ自我を乗せた、その身体の解体によってでしかないのだ。そのときまでに、男の悔悛などとても望むべくもない。男の存在性を解体するまで、インモラルの疾走者は、自らの快楽を転がし続けるゲームを捨てねばならないということなのか。何とも窮屈な時代であることか。

ジョエル・シュマッカー監督
ともあれ、「光の近代」は、常にその鬼っ子としての「闇の近代」を分娩してしまうということ。その覚悟なくして、「千畳敷にもう一間」という、近代のエンドレスな快楽追求のゲームに身を預けることは止めた方がいいだろう。

 しかし、「より豊かに」という人間の進軍信仰が簡単に崩れるとは思えないので、せいぜい、この社会と適切なスタンスを取って、自分の「分」を括ったバランス感覚を捨てないことだ。残念ながら、私の結論はこれだけである。
 
 最後に、稿を括るに当って、この映画の「サスペンス性」の秀逸さを賞賛したい。所謂、「サスペンス」とは、人間が予測し得ない極限的な状況に置かれたときの不安感情を意味する。

 まさに本作の主人公であるスチュは、映画の殆ど冒頭から、ラスト・シークエンスの瞬間まで不安感情に苛まれ、その自我を甚振られてしまったのである。

だから本作と付き合う観客は、一時(いっとき)も映像から眼を離せない心理状況を味わい、且つ、スチュの心境にその思いを乗せて最後まで緊張感を失うことがなかったであろう。その意味で、本作は一級のサスペンス映画と評価することができようか。

(2006年7月)

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