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    4 か月前

2011年4月2日土曜日

黄色い大地('84)       チェン・カイコー


<道理を超えた矛盾と齟齬を描き切った、「掟」と「掟」の衝突の物語>



1  「異文化」からの使者の求心力、悪しき習俗の遠心力



粗い砕屑物(シルト)の土壌である黄土(こうど)が、黄河の中流域にまで広がる黄土高原の裸形の風景の中枢に、植生破壊の脅威を見せる陝西省(せんせいしょう)の一帯は、まさに中国の土手っ腹に当たる。

砂塵が舞う、黄土で覆われた広漠たる大地に、一人の男がやって来た。

第二次国共合作(中国国民党と中国共産党が締結した抗日戦線)が成立して、二年目を迎えようとしていた頃のこと。

八路軍(中国共産党軍)の根拠地である延安から、民謡採集のために「黄色い大地」にやって来た男の名は、顧青(クーチン)。

作男は辛い
正月から10月まで働き通し

映像冒頭から、耳に入った歌を熱心にメモする顧青。

中央が顧青・ 福岡市アーカイヴライブラリーHPより
顧青は、そこで、花嫁を結納金という「商品価値」にする売買婚を目撃し、14歳の少女の嫁入りを見るが、隣村の少女の不安に満ちた視線も投入されていた。

顧青が泊まった村の家も、例外に洩れず、極貧を絵に描いたような農家。

その極貧の農家には、嫁入りを覗いていた先の少女が、父を助けて暮らしを立てていた。

少女の名は、翠巧(ツイチャオ)。

以下、「異文化」からの使者である顧青と、翠巧の父の会話。

「南では、自分の相手は自分で探す」

売買婚という名の嫁入りを見た顧青の、きっぱりとした言葉。

「結納も?」と翠巧の父。
「ない」と顧青。
「何だ、それは?娘には何の値打ちもなく、男とくっついて出て行くだけか?」
「娘は売り物じゃありません。世の中は変わるんです。南は変った。北も変わる。国中が変わります」
「百姓には掟がある。変わらん掟があるんだ」

顧青と父の会話を興味深く、且つ、真摯に聞いていた翠巧の心が躍っていた。

織物をしながら、翠巧が歌う。

空の鳩は 番(つが)いで飛び
母を想うほか 私に想い人もいない
畑に瓢箪(ひょうたん) 山に瓜
嫁入り嫌がり 殴られた
殴られた
辛い目、見ても 嫁ぐよりまし
私の辛さを 誰に言おう
誰に言おう
姉と弟
娘の辛さ


顧青と翠巧の心理的距離を最近接させたのは、「自由恋愛」と「売買婚」に象徴される、「『異文化』からの使者の求心力、悪しき習俗の遠心力」というフレーズで把握し得る「文化」の乖離感であった。



2  使者の帰郷、高らかに歌う少女



翠巧にとって、「異文化」からの使者である、顧青の一挙手一投足は、驚嘆するばかりの風景の連射であった。

自分で針仕事をする顧青を見て、翠巧の眼が輝いた。

「舞台の女性は、男と同じに田を耕すし、日本軍とも戦う。髪も短く切って、とても活発だ」

それが当然のように言い切る顧青に、翠巧の父は、訝しがって尋ねる。

「民謡を集めてどうする?」
「民謡に新しい歌詞をつけ、八路軍の翠巧ほどの年の若者に歌わせるんです。皆に知らせるんです。なぜ、貧乏人が苦しみ、嫁が殴られるか。なぜ、革命をやるのかを。歌を聴いて皆、黄河を越え、日本軍や地主を倒しに行く。毛主席は歌だけではなく、教育も広めたいんです。延安の娘は皆、石版に字や絵を描きます。毛主席は、全国の貧しい人々が食べていけるようにするんです」

顧青を凝視する翠巧の眼が、いっそう輝きを増した。

翠巧
5キロ離れた川辺まで水を汲みに行きながら、翠巧がのびのびと歌うのだ。


川面の鴨が 白鳥に出会った
私が歌えることを知らぬ お役人さま 
柳の根が絡み合うように
乱れる想いを どう話そう
どう話そう


 しかし、「異文化」からの使者との蜜月の時間は、呆気なく過ぎていった。

顧青の、延安への帰郷の日が近づいたのだ。

それは、縁談が決まった翠巧の、重い日々の始まりを意味していた。

「いい勉強になりました」

顧青は、翠巧の父に型通りの挨拶をして、極貧の村邑(そんゆう)を後にした。

顧青の別離の際に姿を見せなかった翠巧は、どこにいても開けた視界で捕捉される、不毛なる大地の一画で顧青を待っていた。

「私も連れてって」と翠巧。
「翠巧、何があったの?」と顧青。
「洗濯、炊事、何でもする。お下げを切ってもいい」
「翠巧、僕らには規則がある。上の許可がいる」
「規則を変えて」
「僕らは規則に従って行動してるんだ・・・許可が出たら迎えに来る」
「4月までに来られる?」
「翠巧、必ずまた来るから」
「信じてる」

切ない会話の最後は、思慕の念を抱いたであろう、「異文化」からの使者に笑みを返す、翠巧の明朗な表情で閉じられた。

少女は純朴なのだ。

翠巧は、高らかに歌って送ったのである。

黄河を超せぬ 雲雀(ヒバリ)はいない
一生あなたを忘れない
貧しい私たちは いつ楽になる
貧しい私たちは いつ楽になる
太陽は雲の果てに消え
胸の悲しみ 口には出せぬ

黄土高原の風景(山西省渾源県付近・ウィキ)
それは、少女が「異文化」からの使者の前で歌った、最初にして最後の機会になってしまったのである。



3  「新しい生き方」を凛として立ち上げた少女の運命



4月になって、翠巧は、売買婚の相手と結婚式を挙げた。

「異文化」からの使者は、4月までに迎えに来なかったのだ。

しかし、赤いベールを被った翠巧は結婚を拒絶し、近づく男を擯斥(ひんせき)したのである。

それは、売買婚という悪しき習俗の全人格的否定であった。

男を擯斥した翠巧が向かう先は、ただ一つ。

弟の劉強(ハンハン)に自分の決意を語る翠巧が、「拠って立つ新しき行き方」を凛として立ち上げていた。

「黄河を渡るの。東岸に八路軍がいる。父さんの世話を頼むわね。ご飯は自分で作るのよ。火も起こして、夏には、私の作った腹掛けを着て。お嫁さんは自分で決めるのよ・・・もし戻れたら、そのときまた・・・帰りなさい。父さんが待ってる」


激しい黄河(画像)の流れを見て、姉の行動を止めようとする弟に、姉は言い切ったのだ。

「ハンハン、姉さんは苦しいの。もう待てない」

小舟に乗って、黄河を渡ろうとする姉に、弟は叫ぶ。

「力いっぱい漕ぐんだ!」

「顧さんに伝えて。翠巧も八路軍に入隊すると。ハンハン、さようなら!」

鎌 斧 鍬を振り上げて
大きな道を 切り開け
奇麗な雄鶏 塀を跳び越え
万民救う 共産・・・

翠巧の声が高らかに木霊するが、途中で声が切れてしまった。

黄河の濁流に呑み込まれてしまったのである。

「姉さん!」

ハンハンの叫びだけが、そこに残された。

ラストシーン。

初夏になって、顧青が翠巧の家を訪ねるが、そこには誰も住んでいなかった。

陝西省の地理(ウキ)
乾いた「黄色い大地」で、上半身裸になって草の冠をつけ、地面に頭を擦り付ける、雨乞いの儀式が執り行われていた。

竜王様(注) 雨を降らせ
万民を救いたまえ
救いたまえ

その儀式の中に、ハンハンがいる。

彼は顧青の姿を遠望し、大声で名前を呼ぶが、逆行する群衆の圧力に弾かれて、近づくことができないのだ。

儀式の群衆に呑み込まれて、「異文化」からの使者との距離を縮められない、ハンハンの叫びだけが置き去りにされていった。


(注)水中や地中に住む竜王を奉り、雨を降らせる水神信仰(竜神信仰)がベースにある。中国の伝統的な習俗で、雨乞儀礼として有名。



4  道理を超えた矛盾と齟齬を描き切った、「掟」と「掟」の衝突の物語



チェン・カイコー監督
驚くほどシンプルで、息を呑むほど造形的だった。

削って、削って、削り抜いた寡黙な映像の行間を、「黄色い大地」が歌い上げていく。

大地に縛られた少女が、意気揚々と歌い上げていく。

少女は運命を怖れていた。

外部強制力による、嫁ぎの運命を怖れていた。

少女の怖れを、一人の男が解放してくれた。

延安に拠点を持つ八路軍の若い兵士が、赤ら顔の少女に、「新しい世界」の「新しい生き方」を啓蒙したのだ。

そこでは、男が針仕事をし、髪を短く切った女が兵士となって、小銃を握るのだ。

兵士が語る、「新しい世界」への進軍を、彼は「革命」と呼んだ。

少女は、「革命」という名で語られる「新しい生き方」を幻視し、身を預けることを決意し、男に随伴を懇願した。

しかし、拠って立つ組織の、厳格な縛りに搦め捕られている兵士は、少女の揺るがぬ想いを汲み取ることができなかった。

再会を約して、男は「黄色い大地」を後にした。

少女の高らかな歌声が、男を追い駆けていく。

去って行く男を追い駆ける歌声が切れたとき、少女の運命は、「黄色い大地」にへばりついて呼吸を繋ぐ者たちの習俗が、これまでもそうであったような「掟」の中に、丸ごと収斂されていったのだ。

これが、「黄色い大地」にへばりついて呼吸を繋ぐ娘たちの、それ以外の選択肢を持ち得ない運命であり、それは決して、「新しい生き方」と簡単に変換できる何かではなかった。

少女が日々に呼吸を繋ぐ世界に「掟」があるように、兵士の人格がが拠って立つ、「新しい生き方」の世界にも「掟」があったのだ。

これは、「掟」と「掟」の衝突の映画である。

前者の「掟」が、後者の「掟」に侵入することを簡単に許さず、同時に、前者の「掟」が後者の「掟」に侵入されることを簡単に許さない、道理を超えた矛盾と齟齬(そご)を描いた映画である。

「黄色い大地」の内に、厳しいリアリズムと旋律的な叙情が溶融し、大地を揺るがす力動感と、大地の懐に潜り込む静謐さが、見事な均衡を作り上げた革命的な一篇 ―― それが本作だった。

或いは、「新しい世界」の進軍系の求心力と、「習俗を繋ぐ世界」の閉鎖系の生命力が溶融し切れないまま、それでもなお、「黄色い大地」の内に吸収されていく懐の深さを描き切った、蓋(けだ)し優れ物の一篇であると言っていい何かだった。

(2011年4月)

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