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2008年12月3日水曜日

秋立ちぬ('60)      成瀬巳喜男


<削りとられた夏休み>



序  大人は当てにならない



「人生は思うようにならない」

成瀬映画を一言で要約すると、恐らくこの表現が一番近い。

人生を自然のままに切り取ろうとすると、客観的にはどうしても滑稽であったり、哀切であったり、そしてしばしば残酷であったりすることは避けられない。

本当に必要な描写のみを程良い叙情を織り交ぜて、基本的には淡々と積み上げていく成瀬作品の多くが、遣り切れないほどの人生の残酷さを映し出してしまうのは、人並みに生きているはずの人間をありのままに見ようとする、そのテーマ性から言えば必然的である。

人間を見る成瀬のこうした視線が子供の視線に変えられても、そこに映し出される世界は基本的には変わらない。

「大人は当てにならない」

これが、「秋立ちぬ」という忘れ難い秀作の全てかも知れない。

大人が如何に当てにならないか、うんざりする程見せつけられる本作の主題は、しかし、そんな大人に対するフラットで、情緒的な攻勢で了解される類のお子様映画の脳天気さのうちには決してない。

本作の製作者でもある成瀬自身の、その苦労した少年期を髣髴(ほうふつ)させるようなイメージがこの映像から読みとれるが、成瀬巳喜男という男が、感傷や奇麗事、更には「子供応援歌」に流れるような作品で映像を括っていく訳がないのである。



1  褪せてしまった風景



―― 以下、ストーリーを追っていく。


父親を結核で亡くしたばかりの少年が、母に連れられて、信州上田から上京して来た。

少年の名は秀男。母の名は茂子。

時は夏休み。

高度経済成長①築地公設市場
上京してきた場所は、活況を呈する築地の町。

その賑わいの中で、母は寄り添うように、息子に微笑みかける。

「随分、賑やかだろう?迷子になるといけないから、行こう」

慈愛に満ちた母の誘導で、車の洪水を横切るようにして、少年は都会の雑踏を分け入って行く。

母親が案内したのは、築地で八百屋を営む伯父の家。

秀男はこの伯父の家に引き取られることになっていた。母の茂子は近くの旅館に住み込んでしまうため、少年は慣れない都会生活の中で寂しい日々を過ごすことになるが、少年はまだそれを知らない。

その少年が、信州から持ってきたかぶと虫に、畳の上でスイカの蜜を与える仕草は、都心で暮らす者の感覚からは明らかに逸脱していた。秀男はまだ小学校六年の少年なのである。

秀男は早速、母に伴われて、近くの銭湯に行った。

そこには同学年くらいの少年たちが、浴槽で遊んでいる。浴槽に入れないでいる秀男に気づいて、一人の少年が問いかけた。

「お前、どこから来たんだい?」
「上田ずら」
「上田?上田って、どこだい?」
「長野県ずらに」
「こいつ、田舎っぺだな」

少年たちは、どっと笑った。

馬鹿にされた上に水鉄砲をかけられた秀男は、その少年に湯をかけたことで、そこに取っ組み合いの喧嘩が始まったのである。

それは、この国が高度成長期の澎湃(ほうはい)のようなうねりにインボルブされていく時代のとば口の辺りで、未だ溌剌なる解放形のバトルを重ねていた少年たちの、ごく普通の日常的な営為であっただろう。

しかしいつの時代でも、我が子の乱闘ゲームを目の当たりにした母親が、平常心でいられるわけがない。周りの視線も気になるに違いない。隣の女湯に入っていた少年の母は、早々と息子を連れ出して帰宅したのである。

乱闘ゲームの一方の主役であった息子の頭を、自分の膝枕に心地良さそうに乗せて、耳に入ったお湯を掻き出した。母の優しさだけが、秀男には唯一の頼りであるかのような情景だった。

しかしその情景は、次の母の一言で、一気にその風景が褪せてしまったのである。

「ねえ秀ちゃん、あんたに今まで言わなかったけどね、母ちゃん、今日からよその家に行って働くことになったからね」
「ずっとここの家にいるって、言ったずら」
「それはね、秀ちゃんだけのことよ。あんただって分るだろう?この狭い伯父さんの家に、母ちゃんまで一緒に厄介になる訳にいかないじゃないの。それに母ちゃんが働いてお金取らなきゃ、あんたに着る物や学用品だって買って上げられないからね。伯父さんたちに何もかも頼るわけにいかないんだよ」
「母ちゃん、よその家って、どこいくだ?」
「すぐこの近くの宿屋さんなんだよ。会おうと思えば、いつでも会えるとことなんだからね。分ったわね」

共同浴場の温泉街・信州上田市(ウイキ)

母に思いもかけないことを言われた秀男は、力なく「うん・・・・」と答えるしかなかった。



2  海と昆虫



まもなく秀男の母、茂子は近くの旅館に住み込みで働き始めた。

一人残された秀男は、伯父さんの家の三階に、この家の長男の昭太郎の部屋に寝起きするようになった。

昭太郎は、この築地の八百屋の仕事を続ける一方、夜遊びをする普通の青年だった。

秀男もまたこの青年と親しくなり、八百屋の仕事を手伝うことになり、少しずつ都会の生活に慣れつつあったのである。

しかし実質的に、この少年が置かれた立場は、里子に出された状態と変わるものではなかったのである。昭太郎がベランダで、夜の闇の中にギターの弾き語りを心地良く奏でている傍らに、布団に入った秀男の涙ぐむ表情が印象的に映し出されていた。

それに気づいた昭太郎は、秀男に語りかけた。

「何だ、お前まだ起きていたのか」

反応しない秀男に、昭太郎は寄り添うように問いかけた。

「泣いてんのか?おい、母ちゃんがいなくて寂しいのか?」
「ううん」
「おい秀ちゃん、ドライブに連れてってやろうか?」

この言葉に救われたかのような秀男の明るい表情が、次のドライブの場面に刻み付けられた。二人はランニング姿で、夜の闇の中をバイクで疾駆する。

「また連れて来てやるからな。その代わり、配達手伝うんだぞ」
「はい!」

少年の元気な返事が、騒音を撒き散らすバイクの後部座席から弾かれた。少年は、少し元気を取り戻したのである。

築地の八百屋(イメージ画像・ブログより転載
まもなく少年は、八百屋の商売の手伝いをすることになった。

上京して十日ほども経つと仕事の手伝いにも慣れ、少年の表情には子供らしい明るさが蘇ってきた。

そんなとき、昭太郎から母の勤める旅館に野菜を届けるように頼まれた。

昭太郎の配慮である。その配慮に、「会いたいずら」と元気よく答える秀男。

秀雄は旅館に行く途中、一人の少女と遭遇した。

少女は、秀男が上京した当日、通りですれ違ったあの女の子だった。その女の子は、旅館まで後ろからついて来て、秀男は不思議そうに振り返る。やがてその少女が、母親の働く旅館の女将の娘であることを知ることになったのである。

「あの、母ちゃんいるずらか?」
「母ちゃん?・・・・あんた、お茂さんの子供かい?」

母を求める秀男の思いに対して、台所にいたお手伝いさんは、仕事中という理由で母の茂子に会わせることを躊躇していたが、そこに少女が機転を利かせて、秀男を家の中に引き入れたのである。

少女の名は順子。

秀男の上京後、昭太郎に次いで、まもなく心を通わせることになる相手である。

小学校4年生の順子に、算数の宿題を教える秀男。その秀男に、自分の家庭の事情を話す順子。子供は打ち解け合うのが早いのである。

そこに、茂子が入って来た。

秀男と母の茂子
「秀ちゃん、いつまでもお邪魔してないで、早くお帰り。お店だって忙しいんでしょ?」
「母ちゃん、今度いつ来るずら?」
「公休もらったら、知らしてあげるから」
「どっか、海連れてってくれや」
「海・・・そうねぇ、そんな暇があればいいけど・・・」

素気ない会話の後、仕事中の茂子は、部屋に戻った。

そこには、茂子とすっかり懇ろになっている真珠商の富岡が待っていた。茂子は旅館内で噂になっていることを気にかけていて、今や富岡頼みという状態なのである。

「富岡さん、奥さんにしてくれなんて言いません。でも、相談にだけは乗って下さいね、これからも」
「分ってるよ。大丈夫だよ」

富岡の反応は、男の頼もしさを感じさせるものだった。

一方、順子の部屋で遊んでいる秀男は、順子から海を見に連れて行ってあげると言われ、喜びの表情を見せる。信州生まれの少年は、未だかつて海を見たことがないのである。

その海をすぐ近くで見られるという順子の案内で、まもなく二人はデパートの屋上に立った。遠くに霞む東京湾が、秀男の視界に捉えられた。

「あれが海ずらか?」
「そうよ。ほら、船が見えるじゃない」
「ちっとも青くねえずらに。それに波もねえじゃん」
「こっからじゃ、見えないのよ。近くに行けば、青いわよ」
「そうかなぁ、近くへ行って見てえじゃん」
「じゃあ、今度一緒に行きましょうよ」

幼い二人の会話は、東京湾という、まだ現在ほど汚濁していなかった海のイメージの内に昇華されていった。

デパートの階下で昆虫を買おうとする順子に、秀男は自分が信州から持ってきたかぶと虫を与えるという約束を交し合った。

東京湾(イメージ画像・ブログより転載
海と昆虫。それが今、二人の育ちの隔たった子供の心を繋ぎとめていた。



3  子供だけの世界に放り出されて 



帰宅後、かぶと虫がいなくなったことに秀男はショックを受けた。

そのことを心配した昭太郎は、次の公休日にかぶと虫捕りに出かけることを約束した。

その日が来て、昭太郎は秀男を多摩川に連れて行った。

自分は川で泳いで、秀男だけがかぶと虫を捜し歩いたが、そこには昆虫の跡すら見えなかった。真昼の雑木林に、かぶと虫がいる訳がないのである。

「やっぱり、東京にはかぶと虫はいないじゃん」

秀男には、東京に対するイメージが殆ど固まっている。

デパートの屋上から遥かに覗く海の風景。

高度経済成長②建設途中の東京タワーブログより
そこに広がる高度成長期の都会の風景こそ、秀男にとって東京のイメージそのものだった。その東京にかぶと虫の群れが存在する訳がないという先入観が、少年の中で固まっていたのである。

「お前の母ちゃんはね、お前を置いてどこか行っちゃったんだよ」

そう語ったのは、八百屋の女将。

それは、多摩川から悄然と帰宅した秀男を待っていた言葉だった。子供のいる前で、母が旅館の常連客である愛人と駆け落ちしてしまったという顛末を、含みもなく話題にする八百屋の夫婦。

その話題の中枢に、僅か十二歳の少年が否応なく巻き込まれていくのだ。

「嘘ずらに・・・」

少年は反応する術もなかった。

当然である。いまだ小学生の、思春期前期に差しかかった辺りの少年の自我に、このような艱難(かんなん)な事態への免疫能力を求めるほうがおかしいのだ。

かぶと虫を順子に届けられなかった秀男は、逆に順子から同情を受けることになる。

「だけど、あんたのお母さん、ひどいわね。悲しいでしょ、秀男ちゃん」
「悲しくなんかねぇよ」
「寂しいい?」
「寂しくねぇじゃん。母ちゃん、きっと帰って来るずら」
「でも、台所のおばさんが言ってたけどね、中年の女って怖いんですってよ。あんたのお母さん、中年の女でしょ?」
「そんなこと、知らん」
「きっと、そうよ。中年の女がね、男に狂うと、子供のことなんか忘れちゃうんだって・・・・あんたのお母さんもあんたのこと、忘れたんだわ」
「嘘ずら!嘘ずらに!」

秀男は許し難い指摘に思わず声を張り上げて、その場を離れた。

「怒ったの?秀男ちゃん」
「怒んねぇよ」
「だって、急に逃げちゃうんだもん」

子供らしくない、夢のない会話が続けられていた。

順子の招きで、秀男は順子の家を訪ねることになった。

そこは、ほんの少し前まで母が働いていた旅館である。

順子は母である旅館の女将に、秀男を自分の家の子にして欲しいと懇願したのである。

「だめ、そんなことできません。秀男ちゃんは、ウチとは縁も所縁もないよその子じゃないの。それに、あんなふしだらな母親の子なんか・・・」
「ふしだらって、なあに?」

そんな娘の質問に、母親が答えられる訳がない。

秀男と順子
諦めた順子は、玄関に待たせていた秀男にそのことを告げて、結局秀男を帰すことになってしまったのである。そのとき台所にいたお手伝いさんから、秀男は茂子からの預かり物を受け取った。

それを持って、急ぎ足で走り去っていく少年。

少年は橋の上で、袋の中身を開けてみた。そこに入っていたのは、少年が欲しがっていたグローブだった。

八百屋に帰宅した少年は、三階の自分の部屋に駆け上がり、そのグローブの入った包みを放り投げ、それを思い切り蹴飛ばした。少年にとって、最も辛い時間がこうして過ぎていったのである。十二歳の少年はこのとき、両親を殆ど同時期に喪ってしまったのだ。

旅館の娘、順子もまた哀しい運命を負っていた。

少女の母は、浅尾という男の妾だったのである。その浅尾が自分の本妻の二人の子供を連れて、妾宅の母娘と会っている。

順子には、まだ自分の置かれた立場が分らない。分らないから、唯一の父と信じる浅尾に向かって、秀男のことを頼むのである。

「ねえ、お父さん。順子、お願いがあるんだけどなぁ・・・東京にもう一人お兄さんが欲しいんだけど・・・」

浅尾にとって意味不明な順子の懇願は、順子の母によってあっさり退けられてしまう。

その順子は、庭の池で時間を持て余している浅尾の子供に近寄っても、相手にされないでいた。子供同士の関係の微妙な落差に、少女は薄々気づいている。しかし、その意味が充分に把握されないだけなのである。

一方、料亭の室内で、浅尾は順子の母に旅館を売ることを促していた。浅尾の経済的事情に因るものであることを知りつつも、順子の母は納得できないでいた。彼女もまた、囲われの身の辛さを味わっているのである。

「どうしてお父さんは、お母さんを二人持ってんの?ねぇ教えてよ、お母さん」
「大きくなれば分ることなんだから、そんなこと気にしなくていいの!」

こんな際どい会話が、母と娘の間で交わされた。

そこに負のイメージを嗅ぎとった娘は、その意味が分らないまま、子供だけの世界に放り出されてしまうのである。



4  置き去りにされた少年の夏



子供だけの世界。そこには、秀男と順子がいた。

「あたしお母さん、大嫌い!」
「俺ももう母ちゃんなんか、嫌(きれ)ぇずらに」

母を嫌う二人の子供が、海を目指して築地の町を歩いていく。

途中で知り合いのタクシー運転手のところに寄って、車に乗せてもらうように頼んだ。承諾を得た二人は車に乗せてもらって、晴海埠頭にやって来た。

大海原を眺望できないその風景に不満を持った二人は、海を目指して線路沿いを手を繋いで歩いて行く。二人が辿り着いたのは、月島の広い埋立地。

そこから見える殺風景な海の風景に、秀男は失望した。

この子の中にある海のイメージは、恐らく地中海のようなマリンブルーで無垢の、何もかも呑み込んでくれる大自然のそれであったに違いない。

それは或いは、「大いなる母」をイメージさせてくれる何かであったのかも知れない。「大いなる母」を失った少年の嘆息が聞こえてくるようである。

「もう、あんな家に帰りたくない」

これが、二人の共通な思いだった。

そこで交わされた約束は、夏休みが終わるまでに秀男がかぶと虫を捕まえてきて、それを順子にプレゼントするというもの。

しかしその前に、秀男は岩場でキチキチバッタを見つけ、それをに捕ろうとして怪我をしてしまった。そのため自力で帰れなくなり、結局警察の厄介になって、パトカーで帰って来ることになったのである。

帰りが遅いので心配していた順子の母は、娘に八百屋の子と遊ぶことを禁じた。一方、秀男は帰って来る早々、伯父に頭を思いっきり叩かれた。

口うるさい伯母の手前、秀男に説教する伯父の人の良い凡俗さが現われていた。

また、秀男を庇う昭太郎の人の良さも、かぶと虫をもう一度捕りに行く約束を、自分の都合で簡単に反古にする凡俗さと隣り合わせになっていた。

カブトムシ(イメージ画像・ブログより転載
失望した秀男が田舎から送ってきた林檎箱の中に見たのは、一匹のかぶと虫。

それを持って旅館に急ぐ秀男。しかしそこには順子はいなかった。既に引っ越してしまった後だったのである。

女の子にかぶと虫を届ける約束を果たせなかった少年は、いつか来たデパートの屋上に立って、秋立つ風を受けながらいつまでも馴染めない都会の風景を眺めていた。

自らを都会に繋ぎとめる絆となっていた大切な者を失った少年が、いつまでもそこに置き去りにされていたのだ。

少年の素朴で、健康的な立居振舞いが際だつほど、些か叙情的に展開されたこの映画の残酷性が浮き彫りになってくる。

そんな余情をいつまでも観る者の心に刻んで、この映画のラストシーンは忘れ難いものになったのである。


*       *       *       *



5  思うようにならない人生の極みのさま



成瀬映画は残酷である。

穏やかそうな顔をして、成瀬は容赦なく、その残酷な映像宇宙を観る者に届けてくる。

しかし成瀬は、その残酷な映像宇宙を、直接的な描写でフィルムに刻むことを避けた映画監督であった。彼は修羅場を描かない映画監督であったのだ。

だから、彼の多くのモノクロフィルムには、ドロドロとした執拗過ぎるほどの描写を刻まれることはなかった。

人の死の描写や、男女の愛欲の濡れ場のシーンもなく、ましてや平気で人を殺めたり、暴行を重ねたり、徹底して甚振るような描写などは確信的に削られている。

木下恵介監督
豊田四郎、木下恵介、新藤兼人、熊井啓といった多くの著名な映画監督のような、ゴテゴテした、画面一杯に熱気をむんむんさせる描写とは無縁に、彼は常に刺激的で過剰な表現を映像に刻み付けることを拒んだ作家でもあった。

彼は切れ味の鋭い、ラストシーンの決定力で勝負するような映画監督ではなかったのだ。

彼の映像には、取るに足らないような瑣末な日常描写を少しずつ繰り返し累積させていくことで、いつのまにかエンドマークに流れていく作品が多いという印象が強い。

しかし、それらの描写のいずれもが、その作品の中で不可欠な要素を構成していることが、最後に了解されるに至るのだ。

だから彼の描写には、全く無駄がないのである。

むしろ削って、削り抜いて最後に残った、最も重要な主題性に脈絡するような描写だけが、いつもそこに残される。

残されたものを貫流する作り手の思いがそこに浮き上がってきて、最後に極めて完成度の高い表現宇宙が、聳(そび)え立つような自立性を際立たせてしまうのである。

削られた描写の中でひと際目立つのは、人間の死や遺棄、別離といった残酷なる描写である。彼は執拗に別離の残酷さを描きながらも、その別離の修羅場を描こうとはしなかった。

なぜなら、それらは残酷の極みでありながらも、私たちの人生の中で、ある意味で避けられない有りようであるからだ。

「人生は思うようにならない」というその極みのさまを、成瀬は特段に異常な出来事であると考えていなかった。その人生の節目の一つ一つに過剰な感傷を張り付けることを、成瀬は確信的に嫌っていたのである。

成瀬巳喜男監督
恐らく、彼の生い立ちが、「思うようにならない人生」の連続であったに違いない。

彼はそれを乗り越えて、映画監督という職業に辿り着いている。

肉親との死別を経験したり、会社を解雇されたり、離婚の憂き目にも遭っている。苦労する人生など、人間にとって当然過ぎる事柄なのだ。だから、彼の映像における残酷さの印象は、私たちの日常的な世俗世界の写実でしかないのである。

人生には良いこともあれば、悪いこともある。悪いことが続くこともあれば、しばしば悪いことだらけで一生を閉じることもある。

それは、人の運不運の差異でしかないとも言える。そうでなかったら、能力の差異によるものだ。

それもまた 、人の運命(さだめ)であると言っていい。

彼は人間の運命の様々な有りようを、単にフィルムに刻み付けた映画作家でしかなかったとも言えるのである。



6  削りとられた夏休み



ところで、「秋立ちぬ」の主人公の少年が負った運命の残酷さといったらどうだ。

削りとられた夏休み・削りとられた母性幻想
小学校六年生の少年が父と死別して、母と共に上京し、まもなくこの母から遺棄されることになるのだ。

この映画は、この少年の夏休みの出来事を丹念に記録した作品だった。

子供にとって最も愉しいはずの小学校最後の夏休みに、一人の少年の自我が内部環境から翻弄される悲惨なストーリーが、自分が馴染めない未知の都会の片隅で展開されたのである。

少年にとってこの一ヶ月という時間は、まさに「削りとられた夏休み」でしかなかった。

何という残酷な話か。何という凄惨な展開か。

しかし、成瀬は感傷に流れていかなかった。

その作品を、情緒の過剰な洪水に流していかなかったのだ。

「子供応援歌」の脳天気さによって、お子様映画の愚かさを極めたとも言える、あの「スタンド・バイ・ミー」のように、本作を、「大人=悪、子供=善」という歪曲した二元論で流さなかったのである。

お子様映画の典型的愚作・「スタンド・バイ・ミー」より
大人の全てが悪なのではない。子供の全てが、生来的に聖なる神の使者などではない。

勿論、非行に走る子供の原因の多くは、非行に走らずにいられなかった子供の脆弱なる自我に因っていて、その自我を作るのが、通常、親の教育の責任以外に考えられないから、子供の非行の責任は大人にあるということになる。

その把握は決して間違っていない。だからと言って、必ずしも悪い親から悪い子供が生まれてくると言い切れないのもまた事実なのである。

恐らく、子供が非行に侵入していく経路には様々な外的、内的条件が働いていて、それぞれの要素には、「これ以上越えたら危ない」というシグナルを灯すポイント・オブ・ノーリターンがあるに違いない。

そして、その要素の多くは、子供に対する自我形成に関わる親の微妙なストロークや、関係スタンスというものが濃密に脈絡してくるはずだ。

更に、時代環境という要素も重要である。

体罰が常習化されていても、その体罰が子供の自我を劣化させない限りに於いて、親や大人や教師の権威性が保障されている社会環境の中では、叩かれて強くなるという子供の現出も可能であったに違いない。

高度経済成長③三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)
「秋立ちぬ」という作品が作られた時代背景は、まさに日本が高度成長に向かっていく重要な分岐点となった「六十年安保闘争」の只中にあって、人々がこぞって、「人並みの豊かさと幸福」を手に入れようという思いが、明瞭な視野に捉えられた時代であったと言ってもいい。

豊かさは、必ず自由への強い希求を殆ど自然発生的に生み出していく。

自由の獲得は、私権の確保への希求に振れていき、やがて、人々の私権の定着化が固まり始めていく高度成長のうねりの中で、人々の思いは例外なく、「価値相対主義」の観念に収斂されていくことになるであろう。

まさに、「人は人、自分は自分」の観念が世俗的に定着し、その観念の行き着く果てに、制度から一方的に課せられる、義務の強制に対する殆ど反射的な抵抗観念が膨張する一方、「他人が享受している快楽を、自分だけが手に入れられない理不尽さ」に対する過剰な権利意識が肥大するという時代倒錯の歪みが、醜悪なまでに世俗の至る所で顕在化されていったのである。

そんな時代の移ろっていく、その端緒の辺りで、この作品が世に出されたのだ。

従って、この作品の中にも、極めて印象的な時代のスケッチが刻まれていたことを黙視できない。

それは、デパートの屋上から俯瞰する都会と自然の、そのあまりの無機質的な脈絡の描写だった。

遥か彼方に霞む東京湾は、海を知らない秀男にとってあまりに不自然な風景だった。

それはまさに、ビルの林立する大都市がそのうねりのような近代化の強力(ごうりき)によって、大海原の大自然を、遥か見えない辺境にまで追いやったイメージのうちに張りつく残骸以外の何ものでもなかった。

「東京にはかぶと虫はいないじゃん」という秀男の嘆息は、信州育ちの少年の正直な都会観を反映したものだったのである。

高度経済成長④集団就職の風景
それでもまだ、時代は産業を引っ張り、そこで働き蜂として血眼になって動く男たちの世界であった。

随所に瀕死の体を晒しつつも、この国の共同体社会は未だ最終的解体に追い込まれず、大人の権威も現在ほど地に堕ちていなかった。

この国の人々の私権意識が妖怪のように肥大していくさまが顕在化するのは、まだまだ先だったのだ。

「父親」の存在は家庭の中で決して埋もれていなかったし、「母親」の存在もまた、人々の眼に見えない幸福競争の静かなうねりの中で、「バスに乗り遅れるな」という手強い観念の広汎な漂流に乗って、極めて近代的な感覚に張り付いたストイシズムがなお根強く生き残されていたから、自分の我がままをそれなりに抑制された役割を演じることができたのである。

この頃、まだ人々には、「もったいない」とか、「我慢する」というような観念が死滅していなかったのだ。

しかし所詮、人間の愚かさは程度の差こそあれ大して変わらない。

どんなに世界が変わっても、どれ程時代が移ろっても、自分の身勝手さと愚かさに恥じない者たちが、ある一定の確率で必ず現出する。人間の歴史の中で、これだけは絶対に変わらないのだ。

時代や社会の問題に還元できない彼らの愚かさは、その者たちが本来的に持っている愚かさであるが故に、その者たちの環境が少しばかり好転したぐらいで簡単に変わったりしないのである。

従って、その者たちと関わった不幸なる者たちの人生は、そこにどれほど悲哀を極めても、同情の限りでしかないのである。

この不幸にヒットした対象が子供であれば同情を禁じ得ないが、しかし、その子供の人生を好転できない環境が、そこに絶対的に存在するとき、私たちは彼らの不幸をただ憐憫し、嘆息するしかないのである。

「秋立ちぬ」の秀男もまた、そんな少年だった。

彼は人並みに肉親を愛する権利を保有しつつも、その愛情の返済を遂に享受することがなかったのである。この映画の残酷さは、その一点に尽きるだろう。

残念ながら、秀男には愛するという権利はあっても、愛される権利はなかった。元々、愛される権利というものは、誰も保有していないからである。この子は不運なる子であったと言うしかないのだ。

だからと言って、秀男の周囲にいる大人たちは凡俗であっても、子供を遺棄することを平気で犯す大人たちばかりでなかった。伯父夫婦は包容力が少し足りなかっただけであり、少年が慕った昭太郎は、単に、自分の青春を謳歌することに意識が捉われていただけだった。

そこには、この国の戦後のうねりの如き近代化の澎湃のさまが、次第に露わになってきた時代の風景が垣間見えるだろう。

そんな流動的な環境下にあって、少年は自分勝手な母親の子供であったという不幸を免れなかったのである。哀しいかな、それだけの話なのだ。

だから、この作品は哀切過ぎるのであり、残酷極まるものだったのである。

だが、成瀬は決して、「大人=悪」という幼児的な先入観で、この作品を映像化したのではない。

大体、成瀬の作品には、だらしない大人や意気地のない若者がゴロゴロ出てくるが、しかし彼らは犯罪者でもないし、非行少年でも不良でもない。

この作品に出てくる少年たちも秀男に意地悪をしたが、それでも彼らは陰湿ないじめっ子ではないし、手に負えない悪ガキでもなかった。

確信的に犯罪や非行に走る者たちを描くことに、全く関心を持たない映画監督 ―― それこそ成瀬巳喜男なのだ。



7  不遇に耐える免疫力の差



彼が一貫して描くのは、市井の人々であり、彼が作品に残さない限り、簡単に忘れ去られるような凡俗の徒であり、言ってみれば、私たち自身の等身大の人生と生活がそのまま写し出されたような、しごく淡彩色の円環的な日常世界であった。

「秋立ちぬ」という作品も、その例に洩れなかった。

確かに、そこで描かれた世界は残酷極まるものである。

考えてみれば、私たちの日常世界には残酷な現実がありふれているし、母親に捨てられた子供の悲惨な話は決して多くないが、だからと言って、その子たちの、その後の人生が闇に葬られてしまうという決めつけもできないのである。

秀男にしても、八百屋の一家が面倒を見てくれる可能性は低くないし、少なくとも、昭太郎の存在の大きさが、秀男の将来を暗鬱なものに流さない能力を発揮する可能性も皆無ではないのだ。

映像に映し出される秀男という少年のキャラクターは、決して軟弱ではない。

人並みに繊細であるが、気弱ではないし、卑屈でもない。素朴ではあるが、純なる魂という訳ではない。充分に負けん気も強いし、他人を思いやる優しさも持ち合わせている。

恐らく、少年の生まれ育った環境が悪くなかったのであろう。父親の人柄も良かったに違いない。

そんな少年が都会生活に馴染むにはもう少し時間がかかるだろうが、大通りを横断するのに慣れていない身体的適応能力のレベルが急上昇するのは、半年もあれば充分なはずである。

何よりも、この子には不遇に耐える免疫力がある。

これが、現代日本の子供たちとの決定的な差であると言っていい。

この子は、子供の自我に、それなりの免疫力を作らせてくれた時代に生まれた、ある意味でラッキーな時代の落とし子でもあったのだ。

何しろこの子は、良くも悪くも、「団塊の世代」のラインに居並ぶ子供だったのである。

ともあれ、少年を主人公にした映画でも、成瀬は決して甘い語り口を許さなかった。天晴れな監督による、天晴れな作品であった。

考えても見よ。

人生がいつでも順風満帆に流れていく訳がないのだ。

大人でも子供でも、常に人生は思うようにならないのである。

この成瀬の直裁なメッセージに、私はまたもや救われた。



【余稿】  <遍く「遣る瀬無い」人間ドラマ>



「悪い奴ほどよく眠る」より
この天晴れな映画は、黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」という極めつけの駄作の添え物のようにして併映され、その評価もキネ旬3位の黒澤作品に対して、「秋立ちぬ」はゼロ評価だった。

因みに、第1位の「おとうと」(市川昆監督)は納得できるとしても、その8位には「武器なき闘い」(山本薩夫監督)、第10位は「日本の夜と霧」(大島渚監督)等という、明らかなプロパガンダ映画のラインナップ。

まさに時代の左傾化を髣髴(ほうふつ)させる映像批評の、この声高の突破力。

当時の評論家連中の批評のレベルの偏向性が露呈されていて、恥ずかしい限りだ。

この時代のこの国には、まともな映画評論家がいなかったことを、いみじくも検証するに至った次第である。

時代に翻弄され過ぎたこの国の映像文化にあって、一人、成瀬巳喜男だけが、私たちの隠蔽したいリアルな自画像を、声を荒げることなしに、淡々と写し取ったかのような、遍く「遣る瀬無い」人間ドラマを作り続けたのである。

(2006年4月)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めて投稿します。
昨日初めて日本映画専門チャンネルで、
コノ映画を見ました。

私は、50年代、60年代の日本映画を
見るのが大好きな中年おばさんです。

コノ映画のラストを見て私が感じた
事も管理人様と同じく
「人生は思うようにはいかない」でした。

この言葉は私をいつも励ましてくれます。
「人生は思うままにはならないから、
ありのまま受け入れる。そこから始まる。」

この少年も幼いながらソレを感じて
力強く生きていくのでしょうね。

匿名 さんのコメント...

お花畑系の安保世代や左翼の人たちって、日本ことを「この国」と表現する人が多いですよね。