このブログを検索

マイ ブログリスト

  • アジサイはアートである 「我が町・清瀬」2017初夏 - アジサイを接写していると、色相のグラデーションの鮮やかに驚かされること頻りである。 だから、毎年、初夏になったら「我が町・清瀬」で写真を撮る。 この一期一会の思いでアジサイを観賞していると、アジサイが一つのアートであることを実感する。 アジサイはアートなのだ。 時々刻々に変色していくアジサイは...
    2 か月前

2011年10月7日金曜日

日本暗殺秘録('69)       中島貞夫


<ストレス発散映画としての本領を発揮した情感系暴走ムービーの短絡性、或いは、「やる」ことが全てである者たちの「甘えの心理学」>



 1  「純粋動機論」のロールモデルとしての「心優しきテロリスト」



 この映画は本質的に、1960年代半ば以降、他の映画会社を圧倒し、数多の「ヤクザ映画」を占有した感のある、東映の「任侠路線映画」の延長線上にある作品と言っていい。

 この映画に登場するテロリストの多くは、当時の任侠スターの面々であり、またテロリストによって殺される俳優は、さしずめ、「任侠映画」の中で「悪徳ヤクザ」を演じる相貌の主であるからだ。

 当時、この「悪徳ヤクザ」の理不尽な振舞いに対して、我慢に我慢を重ねた末、「死んでもらいます」と言って、日本刀を手に「決起」したヒーローを描く「任侠映画」が、全共闘運動の全盛期の新左翼の若者に頗(すこぶ)る支持されたように、本作もまた、この類の物語の構造性を逸脱するものになっていない。

 ところが、それまでの「任侠映画」と違うのは、本作の中に「政治」が入り込んでいることである。

 ただ、「政治」がに入り込んでいると言っても、そこで描かれるテロの借景レベルのナレーションや会話が挿入されるだけで、当然の如く、詳細な歴史的検証の視座による、テロの背景となる複雑な社会的・経済的背景への言及はスル―しているから、物語のシンプルな枠組みが「任侠路線映画」のカテゴリーに収斂されている構造には特段の変容はない。

 そこで描かれているのは、「政治権力の腐敗と、欲望の限りを尽くす財閥の横暴」⇔「窮乏化する民衆の塗炭の苦しみ」という、階級社会における「権力関係」の矮小化した図式と、この理不尽な関係を「革命」によって打破せんとする者たちの単純な提示であって、それ以外ではないのだ。

 この単純な提示の中で、「悪徳ヤクザ」に模した「政治権力の腐敗と、欲望の限りを尽くす財閥の横暴」に対して、我慢に我慢を重ねた末に、「もう、待てん」と憂慮する青年たちの焦りや不安、そして、彼らへのテロに至るまでの内面的風景の暑苦しいまでの活写こそ、この映画の全てであると言っていい。

 かくて、「今の荒廃した社会は許せない」という一点のみで、際物映画でもある本作は、右翼の活動家たちにも大ウケする映画になり得たのである。

 何のことはない。

 極右も極左も、拠って立つイデオロギーの推進力となる理念に差異があろうとも、それ以上に、テロルを回避できないと括る肝心要のモチベーションにおいて決定的な乖離が見られないのである。

 そこに、極右と極左の、薄気味悪い程の親和関係が見い出せるのだ。

 その親和関係を決定付けるフレーズは、唯一つ。

 「何をしたかによってではなく、何をしようとしたか」という問題こそ重要であるとする「純粋動機論」である。

 そして、この映画がそのような文脈において成功を収めたとするならば(因みに、本作は1969年の興行成績の9位であった)、映画の大半を占める「血盟団事件」による、「一人一殺」の「心優しきテロリスト」を主人公に据えたことである。


 その名は小沼正。

 彼こそまさに、「純粋動機論」のロールモデルと言っていい。

 以下、その苦労多き青春期の軌跡を、稿を変えて簡潔に書いておこう。



 2  ストレス発散映画としての本領を発揮した情感系暴走ムービーの短絡性



 小学校を首席で通しながら、父の死と実家の事業の破綻によって、やむなく進学を断念した小沼は、父の遺言で大工の修行や洋服店を経て、故郷の茨城県(那珂郡平磯町)を出て上京し、銀座の染物屋に丁稚奉公するが、脚気になり実家に戻る。

 18歳のときだった。

 その後、従業員に冷淡な染物屋に戻ることなく、東京の兄の紹介でカステラ屋に勤務するが、そこで、警察に袖の下をを握らせることをしなかった主人は、高利貸の強引な督促を強いられ、倒産の憂き目に会って、再び実家にリターンするに至る。

 このカステラ屋での労働と栄養不足が原因で喀血した小沼は、同様に、肺病を病んだ娘と恋に落ちるが、貧農出身の彼女の病死を看取った衝撃で、故郷である平磯の海に身を投げ入れ、自殺を図ったが未遂に終わった。

 そこで思わず口にしたのが、「南無妙法蓮華経」という七文字の題目だった。

 法華経のお題目である。


 貧しさが奪ったロマンスの破綻によって、自暴自棄に陥った純粋な青年の自我を救ったのが、茨城県大洗町の立正護国堂の住職になっていた、末法思想(終末論にあらず)に立脚し、法華経を説く日蓮宗の僧侶の井上日召だった。

 まもなく、波涛(はとう)逆巻く大洗海岸に面する井上日召の立正護国堂に住み込みし、日常の世話をすることで精神的に最近接していく。

 このように、社会的正義感も強く、純粋で誠実な男が、井上日召という日蓮宗僧侶と邂逅することで思想的にインスパイアされ、それまでの不満の捌け口の一切を、「正義」の名において、政治的実践者=テロリストへの劇的変容のうちに「昇華」していくのである。

 映画の大半は、「純粋動機論」のロールモデルに相応しい青年の心象風景を、そこもまた、「決起」の前の「任侠映画」のヒーローの如く、不必要なまでに情感的に描き出し、その感傷過多な語り口の中で、観る者が容易に感情移入できるような人格像の立ち上げへの軌跡をフォローするのだ。

 小沼を演じた千葉真一の渾身の演技を評価するには吝かではないが、まさに、その渾身の演技のうちに体現された人格像は、「もう、待てん」と嘆いて決起した2.26将校の心理的文脈と重なって、「ゲバルトの時代に、敢えて東映が問う。暗殺は是か非か」という、キャッチコピー自身が既に答えとなっている問いに象徴されるように、短期爆発型の日本人のテロリスト像を美化するのに充分過ぎる際物映画に結ばれたのである。

 「君は、なぜ死のうと思ったんだね? 」
 「それは・・・世の中に絶望したからです」
 「なぜ?」
 「それは・・・自分が真面目に働いてみても、それに体も、いえ、自分だけではなく、真面目に一生懸命働く者がバカをみる世の中だということで、なぜ、生きるのか分らなくなったんです」
 「現在の日本には、あまりにも不正が蔓延(はびこ)っていると?」
 「はい」
 「じゃあ、君の絶望は、その不正がなくなるまで続く訳だな」

 これは、本作の中での、小沼正と井上日召との会話の一部であるが、自ずから、キャッチコピーの答えを提示したような短絡的な問答である。


 井上日召にインスパイアされた小沼や、立正護国堂に屯(たむろ)する青年将校が唱導する「正義」が、「悪徳ヤクザ」(ここでは腐敗する政治家・財界人)と対峙し、その極悪非道の罪を剔抉(てっけつ)し、屠ってしまう「任侠ヤクザ」のイメージのうちに収斂されていくのは間違いない。

 加えて、政治が入り込むことによって、本作が「任侠映画」の範疇をも突き抜けて、「ゲバルトの時代」に擦り寄った、「暴虐の資本主義打倒」という、極めて完成度の低いプロレタリア・ムービーとして立ち上げていたのは、作り手の思想性の影響でもあるだろう。

 それにも拘らず、「日本暗殺秘録」という名のプロパガンダ性の強い映画が、我慢の限界の末、「死んでもらいます」と言って、「悪徳ヤクザ」を懲らしめるために「決起」した、多くの「任侠映画」の情感系のエキスを存分に吸収し得る格好の娯楽として、充分にストレス発散映画になっている本質だけは見逃してはならない。


 ストレス発散映画としての本領を発揮したこの短絡性こそ、それまでの「任侠映画」のカテゴリーに収斂されていくに足る、情感系暴走ムービーの全てであると言っていい。(画像は中島貞夫監督)

 それ故にと言うべきか、完成度の低いプロレタリア・ムービーを吸収した、ごった煮の「任侠映画」への批評は、ここで閉じたい。

 従って、ここからは、この大衆読み切りコミックのような際物映画から離れて、「日本人と闘争心」という私の問題意識について言及していきたい。

 題して、「この国の『闘争心』の形」。

 なお、以下の拙稿は、些か長いが、「心の風景・この国の『闘争心』の形」からの部分的引用であるが、若干、補筆している。


 
 3  「やる」ことが全てである者たちの「甘えの心理学」



 二.二六事件。

 「雪の二.二六」などという形容のうちに、既に過剰な感傷が詰まっている。

 私にはもうそれだけで悪寒がして、 この事件に思い入れる人々の精神構造からは、少しでも離れていたいと念じて止まないのだ。

 少しずつ時間をかけて変えていくことを簡単に馬鹿にしたり、複雑な政治課題の困難さを克服する手法として、「あれか、これか」という二項対立に単純化させてしまったりという粗略な態度なら、まだ「知的洗練度のレベルの問題」という風に割り切ることができるだろう。

 然るに、貧しい民衆の窮状が構造的に存在するという事実を、政府要人へのテロに直結させる短絡さ、そして、その短絡さが内側に抱え込んだ過剰な感傷や思い込み、加えて、「派手なことをやって名を残す」という類の感情傾向などが、内側に厄介な澱 みをプールしてしまっていて、其処彼処(そこかしこ)で勝手に喚いて、勝手に怒号する精神構造を見るに至っては、もう殆ど「甘えの心理学」の世界と解釈する他 はない。


 陸軍少将である軍務局長(永田鉄山)を斬殺したその足で、転勤先の植民地に赴任しようと考える発想(相沢三郎陸軍中佐による「相沢事件」)に端的に象徴される軍部の甘え ―― それは不況下にあった当時においても、殆ど病理の様相を呈していた。(画像は相沢三郎陸軍中佐)

 青年将校たちの行動は、軍部全体の甘えの集中的表現であり、人生経験が乏しく、世俗的な感覚と切れていた分だけ、その行動の脳天気さは留まるところを知らな かった。

 現実的な渉外能力は皆無に等しく、大臣告示に翻弄されて右往左往する様は、およそ「革命家」に似つかわしくない態度である。

 その態度は、半ば強制的に駆り出され、不本意にも参加した一揆農民の「激発的直情性」というものと比べて、際立って決定的な差異があるとは思えないような何かを示していて、そのさまに失笑を禁じ得ないほどである。

 その決起の急進性と、「緒戦」での激甚なるインパクトに比して、事態が膠着したときの将校たちの、あの異様なまでの喪失感は尋常ではない。

 そこには、ごく 普通のレベルの戦略的知性の片鱗すら見られず、寧ろ、内側に封印できない焦燥感を安易に曝け出すという印象を拭えないのである。


 陸軍大将、真崎甚三郎や荒木貞夫の「寝返り」や、「皇軍」の断固たる意思表示に対する将校たちの動揺は覆い難いものがあり、それは恰も、普段は過保護な親に珍しく殴られたときの我がまま児童の動揺にも似ていて、そこでは既に、行動の一貫性が切れているのだ。(画像は真崎甚三郎陸軍大将)

 その自我の様態は最早、「革命家」のカテゴリーにはなく、「捨て石にならん」と秘かに覚悟していたはずの殉教者的精神からも切れているように見えるのである。

 詰まる所、彼らは果敢なる闘争者を貫徹できないのである。

 なぜなら、そこにズブズブの甘えが浮遊しているからだ。

 「我々はここまでやった。あとは誰かが何とかしてくれ!」


 その誰かとは、彼ら皇道派のカリスマであった真崎甚三郎や荒木貞夫である。(画像は荒木貞夫陸軍大将)

 しかし、この狡猾なる陸軍大将たちは動かない。

 とりわけ真崎の場合、事件を「反乱」 と認知し得ずに動こうとしてみたが、遂に動かないのだ。

 動けないのである。

 天皇の意志を知ったからだ。

 当然である。

 そういう機構を、彼らの先輩たちが気の遠くなるような時間をかけて、苦労しながらも創り上げてしまったのである。

 将軍連を怨むには当らない。

 練り上げた戦略を持たない決起のお粗末さこそ恥じるべきである。

 そこに彼らの甘えがある。

 然るに、彼らの甘えは構造的なものであるだろう。

 そこにのみ、一縷(いちる)の同情の余地はあると言える。

 将校の甘えを加速する因子が皇軍の中に蔓延していて、時局を憂うる先鋭な放談を繋いでいけば、一人前の「憂国の志士」を気取ることができるか ら、巷間の民間右翼を含めて、其処彼処(そこかしこ)に「志士」が徘徊していたのである。

 極端に主観的で煮沸した空気が、際限なく尖った意識を分娩していく勢いは、今や止めようがなかったのだ。

 甘えは甘えを生む。

 既に張作霖爆殺事件に際し、犯人が特定できていても、田中義一首相は処罰もしなかったし、三月事件、満州事変、十 月事件においても厳罰に処せず、五.・一五事件に先立つ血盟団事件(1932年に起きた連続テロ)だけが、民間人による犯行故に、井上日召、小沼正、菱沼五郎といった実行犯、教唆犯が処罰されるが、それでも8年後には、恩赦によって娑婆への帰還が許されるという顛末に言葉を失うほどだ。


 五.・一五の主役の実行犯である三上卓、古賀清志海軍中尉に至っては、死刑の求刑に対して、判決は禁固15年。(画像は三上卓海軍中尉)

 全国からテロリストへの減刑嘆願が相次ぎ、あろうことか、彼らにプロポーズした女性が出現するという悪乗りぶり。

 まるでスターを扱うような空気が、遍(あまね)く国民階層の間で醸成されていたのである。

 更に1935年には、「天皇機関説」を封じ込める流れの中で出来した民間右翼や、在郷軍人会(現役を離れた軍人組織)などの圧力によって、時の政府(岡田内閣)が、「我が国体における統治権の主体が天皇にましますことは我が国体の本義にして帝国臣民の絶対不動の信念なり」という文脈で語られた、例の「国体明徴声明」(天皇機関説を否定する政府声明)を二度にわたって宣言するに至った政治的事件も惹起し、軍部の政治力強化を具現する運動を既成事実化していっ たのである。

 この澱み切った空気が、二・二六の将校を丸ごと包み込んだとしても不思議ではない。

 当時にあって、決起に対して慎重なスタンスをキープしていた同僚将校(新井勲)は、「日本を震撼させた四日間」(文春文庫)の中で、決起将校の甘えを指摘している。

 それによると、決起参加を決めていながら、蜂起寸前に二将校が結婚に踏み切ったのは、実は官憲の眼を誤魔化すための陽動作戦などでは決してなく、事件そのものを彼らが甘く見ていたことの表れだったと断じている。

 つまり青年将校の決起は、少なからず、テロリストである自分たちの身柄が無事の生還を果たすという、暗黙の了解を前提とした決起であったということだ。

 青年将校たちのこの状況認識の甘さは、決起者としての最も重要な勝負勘を哀しいまでに鈍らせて、確信犯としての自立の基盤をも根柢的に揺さぶった。

 
彼らは、僅か四日間で人生の悲哀を舐め尽くすのである。

 求愛し、ようやく婚約に漕ぎ着けたと思ったら、絶望的な破談の通告。

 おまけに自分たちが信じていた親からも見放され、遂には石を持って追われる始末。

 これだけの経験をすれば大抵懲りるものだが、「反乱軍」というレッテルを張られた末に収監されてもなお、出所後の祝賀会のことを考えているのだから、彼らの甘さも度を越していると言わざるを得ないだろう。

 「それでも、彼らは純粋無私だった」―― こんな摩訶不思議な「総括」によって、何もかも自己完結してしまう精神風土が、この国に巣食っているようなのだ。

 彼らには、「やる」ことが全てであり、「やらない」者たちは有無を言わせず排除する。

 それだけだった。

 そして彼らの脳裏には、海軍青年 将校が先鞭を切って成功したと信じる直接行動主義の、必ずしも心から喜べないモデルが記憶されていたのだ。

 軍人が先鞭を切って政治の腐敗を糺すという直接行動主義の本質的な危うさへの認知の欠如 ―― それは、政治の困難さを大局的見地から合理的に把握する思考の欠如であった。


 少なくとも、その辺の困難さを理解し得る能力を持つ安藤輝三のような存在は、直情径行的な他の青年将校から見れば、単に臆病で、優柔不断な将校という固定的なイメージのうちに把握される何かであったと言えるだろう。(画像は安藤輝三大尉)

 国際政治の困難な状況を広角的な視野を持って把握し得る、過不足なく透徹したリアリズム精神の決定的な欠如 ―― それは殆ど病理の様態を晒していた。

 いつもどこかで少しずつ、しかし確実に不足していくものが累積されていって、その不足を常に補填する何かが内側に要請されていくとき、そこに過剰だが、それ 故に若い自我が抱えた鬱積を払拭するに足る、極めて形而上学的な文脈が分娩されていったのである。

 「昭和維新」という心地良き言葉が放つラインに収斂され ていく、確証バイアス(注)の濃度の深い精神主義的な文脈である。

 そこで分娩された、「やる」ことだけが全てであるという観念的文脈のうちに、特徴的な感情傾向の形成を見ることができるだろう。

 「起(た)ったら還るな」という、片道切符の特攻精神がそれであり、それがまもなく、捕虜になることをも拒む玉砕思想に下降・収斂されていって、しばしば 「滅びの美学」というレトリックを纏(まと)うことにもなる。

 この上意下達的なエートスは、実際のところ、「武士道」という幻想的な理念系にも届かない、「葉 隠」精神の残滓(ざんし)を強引にリンクさせた文脈以外ではないだろう。

 大体、この国の人々は、闘争心というものを誤解しているようだ。

 それは発火して、激烈に燃える心などではない。

 私の定義だと、闘争心とは「最後まで戦い抜く心」なのである。

 すぐカッとなって暴れ狂う性格は、総じて、闘争心とは無縁である。

 冷静に燃える心なくして、闘争者の持続は容易ではないのだ。

 激しく奮い立つのは悪くない。

 

秩父事件・音楽寺
相手の一挙手一投足までもが捕捉されてしまう闘争のシーンでは、相手に見透かされてしまったら、その分だけ、闘争の対象人格に過分の余裕を与えてしまうからだ。

 では、激しく奮い立った者は、その心を如何に持続させていくか。

 それが厄介なテーマなのだ。

 激しく印象的に立ち上げていった者ほど、このテーマの貫徹が厄介なのだ。

  蓋(けだ)し、最強の闘争者とは、闘争を持続させる者であり、その持続を支えるエネルギーを内側で再生産できる者であり、それらを可能づける堅固な物語を絶対的に有する者である。

 その意味で言えば、この国の人々の闘争心は、その本質において際立った脆弱性を体現しているという印象が強いのである。


(注)自分にとって都合のいい情報だけを集めることで、自己の観念系の主観的文脈を正当化するという、認知心理学の仮説。



 4  「取得のオプチミズム」と「喪失のペシミズム」




 二・二六事件は、やはりどこまでも短期爆発者の叛乱であった。(画像は二・二六事件)

  事件をクーデターとして固められなかった、そのドロドロの甘さが、結局、彼らの命取りになったのだ。

 栗原康秀という、28歳の中尉に代表される最急進派の振幅の大きさは、そのメンタリティの中に、「取得のオプチミズム」と「喪失のペシミズム」が、背中合わせに張りつくさまを検証するものになったのである。

 「取得のオプチミズム、喪失のペシミズム」―― それは、この国の人々の危機反応の様相を端的に把握する概念として、私が作った造語である。

 それは、こういうことだ。

 大陸に住む人々なら様々に苦労しなければ手に入らないような価値、例えば、「安全」とか、「自由」、「自然の恵み」、「生活保障」等々が、この国では低コ ストで取得できるので、その価値の本当の有り難さが認知できないのにも拘らず、価値が生活の内に溶融してくると、それを取得することの本来的困難さに到達できぬまま、価値内化の行程が自然に完了してしまうことになる。

 そこに、現実的理性によるシビアな把握が媒介しないから、視線は何となく微睡(まど ろ)んでしまうのだ。

 これが、「取得のオプチミズム」である。

 

相沢事件・永田鉄山
だから価値に裂け目が生じてきても、人々の安心感に動揺を与えるまでには相当の時間を要するのだ。

 人々が素朴に拠っていた、安定的な日常性の維持が立ち行かなくなったとき、人々の意識に波動が生じるようになる。

 安心感の動揺が生まれても、そこに合理的補正を加える訓練の不足が、危機の突発事態を阻む能力の脆弱さを、容赦なく晒すことになるのである。

 これが、危機の現出を常に突発的なイメージでしか捉えられなくなってしまうのだ。

 その分だけ、人々は喪失感覚が極大化されてしまって、事態への反応を過剰にさせていく。

 ハルマゲドン感覚を目前の危機からもらってしまうのである。

 これが、「喪失のペシミズム」である。

  結局、価値をその本来的な内実までも汲み取って、入念に育て上げてこなかった付けが、最も肝心な状況で現出してしまうのである。

 そして、人々の反応の過剰さと為政者の過剰さが結合して、これが、ウルトラ・ラジカリズムを生むという最悪の事態の招来のリスクを高めてしまうのだ。

 なぜなら、「喪失のペシミズム」の止揚は、それを破壊させたと思わせるような極端な展開を開く以外にないかも知れないからだ。

 事態が突き付けてきた本当の怖さは、ボディーブロー のように、ここからじっくり効いてくる。

 そして、予約されたかの如き、決定的な破滅に至るのである。

 二・二六事件は、「世界は軍を中心に回っている」という倣岸な発想を根柢にし、この発想を支える広範な時代の空気のサポートを受けたと信じる無邪気な革命幻想が、狡猾な軍部官僚の防衛的リアリズムによって蹴散らされ、 更に、その発想を決定的に固め上げていった、その歴史の決定的な転回点だった。

 その発想が生み出した厄介なる「取得のオプチミズム」、例えば、「軍が動けば一切が収まる」という独善的な天下主義の破綻を、まず無邪気な若者たちに学習させたのも、二・二六事件だったということだ。

 心理学的に、もう一点だけ補足する。

 詰まる所、相手を見くびる心は、自己を冷厳に相対化する能力の欠如に由来するということだ。

 現実の悲惨な展開の中で、闘争心の持続が弱く、勝気(強気ではなく、そこに濃密に見栄が媒介し、知人の前で単に恥を晒したくない感情)なだけの民族は負け方にも格好をつけようとするので、一時的に相手から恐れられ、 それが却って不幸を増強させるのである。

 勝気の強がりは、実は自壊感覚の否定の自己確認である。


 
強がりの奥に広がる「喪失のペシミズム」が、遂に玉砕戦という禁じ手の封印を解く。(画像は、硫黄島での摺鉢山の戦い)

 「砕けて散る」ことは、早く楽になる戦術であるばかりか、格好も付けられる。

 これは、相手を畏怖させる絶大の効果を持つばかりか、味方を奮起させるだろう。

 恐らく、この味方に対する見栄こそが、玉砕戦の心理のコアにあるということだ。



 5  「短期爆発」的な闘争への「清算的跳躍」と切れた、「ごく普通のサイズの闘争心による武装」の不可避性



 島国であるということ、それ故に、他国の侵略的恐怖の実感を恒常的に持ち得なかったこと。

 そして、どちらかと言えば、欧米人と比較すれば脂肪摂取量が少ないことによって、相対的に闘争心の不足を常態化したこと。

 また、鎖国体制下の江戸時代に構築し得た平和的で、循環型社会に近い自立的な生産圏が形成されたことで秩序が安定化したこと。

 そこで確立された階層内秩序の中で、能力主義の発現が一定程度認知され、それぞれの階層内での教育が浸透していたことで、努力の価値が相応に反映する文化を作り得ていたように思われること。

 そんな平和的秩序の継続性の中で、恐らく、本来的なオプチミズムをより強化できたこと。

 それは、「葉隠」に紹介されたエピソードにあるように、男たちの脈が女たちのそれと同じになったと嘆かれるほどに、「化粧する男たちの文化」(今で言えば、「メトロセクシャル」=都会の男の化粧)が普通に現出していた現象の基盤になったとも思われる。

 このような現象は、男たちのテストステロンの劣化を裏付けるものかも知れないとも考えられるが、当然、定かではない。


 それでも、この国が蒙った自然災害は圧倒的であり、和辻哲郎の「風土」にも言及されているように、「暴風や洪水として人間を脅かすというモンスーン的風土の、従って人間の受容的・忍従 的な存在の仕方の二重性格の上に、ここにさらに熱帯的・寒帯的・季節的・突発的というごとき特殊な二重性格が加わってくる」という指摘が説得力を持ち得るような、「忍従の内に封印された反抗のメンタリティ」が形成されたと見ることも可能であるだろう。(画像は和辻哲郎)

 一過的な台風災害や地震などによる家屋の倒壊、焼失の危険性への対応として、「忍従の内に封印された反抗のメンタリティ」が、時として激発的に現出するが、台風一過のように冷めるのも呆気ないほど早い心的現象は、恨みは永久に忘れないという類のメンタリティと完全に切れていると言えるのだろうか。

 この国の「短期爆発」的なメンタリティの心理的背景について、以上のような様々な考察が可能であっても、残念ながら、殆どの説明は「ためにする議論」とは言わないまでも、付け焼刃的な擦り合わせの印象が残ってしまうのである。

 然るに、近年のこの国の人々の「内こもり」、「外こもり」、「パラダイス鎖国」、「競争圧からの逃避」、「闘争心の欠如」、「ピアプレッシャーの過剰」等々の現象を俯瞰すると、どうもこの国の人々は、一貫して一定の秩序が確保されているという条件下にあっても、高度成長期のような突出した時代の澎湃(ほうはい)が終焉した後、相応の安定的な生活基盤が確保されながらも、成長の鈍化による長期停滞傾向が現出し、その中で不平等感や、周囲からの視線の尖 りを感受させるような時代の空気に呑み込まれてしまうと、その空気に対して必要以上に「閉塞感」を嗅ぎ取ってしまうらしい。

 その心理的背景を考えるとき、過剰なまでの平等信仰と、「鋭角的闘争回避の精神」が相互にリンクしながら、人々の心の内に張り付いているという把握が可能になるのではないか。

 永く延長されていた「平等な貧しさ」を、高度成長によって一歩抜け切った後に訪れたであろう、「不平等な豊かさ」の継続力が薄皮の被膜を剥ぐように崩され かけていくという実感が、いよいよ抜き難いリアリティを持ってしまったとき、この国の人々の心に「閉塞感」という名の、殆ど合理的な説明困難な心的現象が一気に広がっていってしまったのである。


 その結果、少なからぬ人々は、「『閉塞感』の漂う『格差社会』の理不尽性」からの逸脱を願って、「日本を降りる若者たち」(下川裕治著・講談社刊)に象徴される世界にその身を預けたのだろうか。(画像は下川裕治)

 それがクレバーな選択であるか否かという評価を下すことなく、その方略の本質を見るならば、それは紛う方なく、自我防衛の一つの様態であると把握すること が可能である。

 この国の現在は、一群の人々に状況逃避的な自我防衛を必要とさせるほど、「『閉塞感』の漂う『格差社会』の理不尽性」を顕在化させてしまっ ているようなのだ。

 様々な意味で、今、この国の人々の状況逃避の有りようが問われているように思われてならないのである。

 「競争圧からの逃避」と「闘争心の欠如」が常態化したかのようなメンタリティを持つ人々の、その向こうに見える未来のイメージは、あまりに冥闇(めいあん)に満ちている。

 果たして、それで良かったのか。

 まさに今こそ、ごく普通のサイズの闘争心による武装が求められて、その普通の武装の体裁を、ごく普通のリアリズムの感覚で時間に繋ぐこと。

 それだけのことだが、そのリアリズムの感覚による武装でさえも困難ではないか思えてしまうペシミズム ―― それが私の内側で、無化し得ない感情ラインとなって常に漂流 しているのである。

 そんな私の宿痾(しゅくあ)の如き厄介なペシミズムの浮遊の切れ目を縫って、小さく住み分けるかのようなリアリズムが感受する思いが、なお言語に繋ぐ文脈は一つだけだ。 

 「ごく普通のサイズの闘争心による武装」 ―― それだけである。

 それは、この国に特徴的な「短期爆発」的な闘争への「清算的跳躍」ではなく、この国の人々が苦手とする透徹したリアリズムに則った戦略による、そこだけは凛とした身体表現の前線の構築であるだろう。


映画・「叛乱」より
「立ったら、逃げるな」

 それは、この国のスポーツ、文化、政治、外交、経済、そして個々の自我の固有な展開の様態等々、詰まる所、人々が呼吸を繋ぐあらゆるフィールドにおいて必要とされるメンタリティではないか。

 厳しい時代だからこそ、まさにそのような前線を構築するメンタリティこそが求められているということだ。

 厳しい時代であるが故に、自我を安寧な砦に閉じ込 めておくという方略の有効性が簡単に無化されてしまうのである。

 そのことの認知こそ、何より決定的なテーマではないのか。

 切にそう思うのだ。

(2011年10月)

0 件のコメント: