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2008年12月17日水曜日

ミシシッピー・バーニング('88)      アラン・パーカー


 <「近接してくる者たちへの恐怖」が暴走するとき> 



1  カタルシスを必要とする映画



私は声高で、含みの少ないダイレクトな主張する映像作家をあまり好まない。

まして、その人間が社会派系の作家となれば、一歩も二歩も引いてしまうところがある。

若かりし頃は、寧ろ、理非曲直の明快な社会派的なヒューマニズムに大きく振れていた私だが、還暦を迎えようとする典型的な団塊世代の申し子で、重篤な脊損患者でもある現在の私には、その昔、自分の心を捉えて止まない社会派的ヒューマニズムはおろか、そこに抑制を効かせつつも、気障(きざ)でスタイリッシュな演出のあざとさを少しでも感じてしまったり、興行成績の成否への配慮を過剰に感じさせたりする類の娯楽作品など、初めから確信的に蹴飛ばしてしまうような、しばしば乱暴な映画鑑賞を厭わない、些かアブノーマルなスタンスがすっかり形成されてしまっている。

だから、初見の作品を一応初めの30分間だけは我慢して観るが、自分の耐性限界を越えたと判断するや、たとえレンタルした作品も平気で強制終了させてしまったりもする。

それ故、近年の作品で、最後まで鑑賞し切る作品と出会うケースの方が、寧ろ稀有な方なのだ。

今の私には、「持ち時間が少ない」という非日常的な問題意識があることが、それらの乱暴な所業を厭わない日常的行為の心理的バックボーンにある。

それが、「映画大好き人間」を自称して止まない男の、「非日常の日常」の極めて尖った風景の真実の様態である。

そんな私だが、なぜか殆ど例外的に認知している声高で、社会派系の映画監督がいる。

アラン・パーカーその人である。

自分でも不思議なほど、この人の作品には多分に惹きつけられるものがあり、そして、その思いも若い頃から微妙な変化を見せているものの、やはり私にとって外せない映像作家なのである。

その理由の一つは、「ミッドナイト・エクスプレス」の衝撃と、その映像表現力の圧倒的な迫力である。

「ミッドナイト・エクスプレス」との出会いは、当時の私にとって、殆ど一つの文化的事件と言ってもよかった。(しかし残念ながら、今、繰り返しこの映画を観ても、全くそのときの激しいうねりのような感動がない。私自身の映画観が微妙に変化したためである。これに関しては、当該作への論考の際に言及する)

更に、もう一つ。

それは、「ザ・コミットメンツ」(1991年製作)に代表されるように、この人の作品は面白いという理由以外ではない。

日系人隔離政策を描いた「愛と哀しみの旅路」より
「愛と哀しみの旅路」(1990年製作)のような重いテーマを扱っても、グイグイと、観る者を自分の映像世界に引き摺り込んでしまうような迫力に満ちているのだ。凄腕なのである。

そして、そんな凄腕を見せつけられた作品の一つが、本作の「ミシシッピー・バーニング」であった。

この映画を観終わった後の、何とも言いようのない感情のうねり。

それは「ミッドナイト・エクスプレス」を観たときのそれに似ていて、否が応でも、アラン・パーカーという映像作家の存在を意識せずにはいられなかった。

本作を観終わった後の私の感情のうねりの正体は、正直言えば、不条理な歴史的現実と付き合わされたときの憤怒の感情以外の何ものでもなかった。

それ以前から私は、「アメリカ」という国が、「光の近代」の深部に抱えた闇の現実について深い関心を持っていて、好んでそれに言及した著作や映像に親しんでいたが、その闇の歴史の終焉しない現実を、ここまで声高に映像化した作品を観ることで、改めて、噴き上がってくる感情を時間の澱みに流し込むしかなかったほどである。

確かにこの作品は、群を抜いて完成度の高い傑作であるという評価とは無縁であろう。

最後に用意した、カタルシスなしでは済まないであろう映画鑑賞者への、過剰とも思えるハリウッド的なサービスは、シビアな問題意識で勝負し切った覚悟の前では不要であると言えようか。

しかし、この作品に限っては、最後に一定のカタルシスを予定調和的に待機させて欲しいと願わんばかりの映像であったのだ。

だから私にとって本作は、例外的にハリウッド的カタルシスに、一応、首肯し得るシグナルを出さざるを得ない類の何かだったと言えるだろう。

二人の刑事の類型的な対立型キャラクターの設定もまた安直だったが、それらの常套的な欠点に眼を瞑ることが許され得る作品、それが「ミシシッピー・バーニング」だったのである。


―― そのような一種異様で、何よりも鮮烈な作品のストーリーラインを追っていこう。



2  フリーダム・サマーの侵入



「フリーダム・サマー」
「フリーダム・サマー」と呼ばれる、1964年夏の公民権運動家たちの熱心な活動がアメリカ南部で展開された。

その中に、北部から来た若い三人の活動家がいた。

二人はユダヤ人で、一人は黒人だった。

ミシシッピー州に入った彼らは、スピード違反の容疑で拘束され、まもなく釈放された後、行方不明になった。

三人はやがて死体となったことで、この国の「闇の近代」の深部を炙り出す陰湿な事件となって、世論を大いに沸騰させた。

彼らはKKKから射殺されたことが判明したのだが、その根は深く、今世紀に至っても、なお大きな歴史的なしこりを残す事件として、係争中である。

以下、ミシシッピー州に絡む人種差別についてのブログからの記事。

「アラバマ州Montgomery(モンガメリ)の市内に、公民権運動の主な事件と犠牲になった人々の名を刻んだ記念碑があります。犠牲者は1955年に始まり1968年のキング牧師まで40人です。事件や名前の上を水が流れる水盤のようなデザイン。デザイナーはWashington D.C.のヴィエトナム戦没者慰霊碑も手がけたMaya Lin(マヤ・リン)。全40人の犠牲者を州別に数えてみると、ミシシッピ州18人がトップで、二番目がアラバマ州の13人でした。犠牲者には他の州からのサポーターたちも含まれていますので、純粋に州出身の人間ばかりではありません。しかし、二州合わせて全体の77・5%というのは、どれだけミシシッピとアラバマの人種差別が激しかったかを物語っています」(Studio Be HP:「公民権運動・史跡めぐり」より)

本作の舞台となった事件の被害者である三人の活動家も、その「殉教碑」の内に含まれていたのである。

この映画は、その三人の失踪の謎を突き止めるべく、FBIから派遣された二人の捜査官の捜査活動の物語である。

その捜査官の一人は、ルバート・アンダーソン。叩き上げの熟練刑事である。

もう一人は、アラン・ウォード。ハーバード大卒の若きエリート刑事である。

“共産主義者に、黒人にユダヤ人、仲間に伝えておけ。最後の審判の日は間近だぞ。主は天から見ておられる。人種を混ぜちゃ、世も終わり。可愛い赤ん坊、黒いのはお断りだ。そんな奴らは撲滅だ。我ら、KKK団。そんな奴らは撲滅だ。我ら、KKK団”

ミシシッピー州の現地に向う車の中で、アンダーソン刑事は助手席で、「KKK団の歌」を下手な調子で歌っている。

運転しているのはウォード刑事。

FBIに入ってから3年のキャリアしか持たない若手エリート刑事。

当然の如く、そんな二人の会話は、車中でも噛み合わなかった。

現地に着いた二人を待つのは、町の人々の冷たい視線。

保安官もまた、彼らに冷ややかな視線を注ぐばかり。

二人の捜査の始まりは難航が予想されたとは言え、全く手掛かりのない状態からのスタートだった。

アンダーソン(左)とウォード(右)
「俺も昔、こんな町の保安官をしていた・・・ウソもクソもない。ここはまるで僻地のド田舎だ。保安官がそう言うなら、そうさ」

アンダーソンは、既に悟り切った者のような覚悟を括っている。

その覚悟を括り切れないウォードとの差は歴然としていた。

彼はレストランで、平気で若い黒人に語りかけていく。

南部共同体の特有の空気を切り裂く青年刑事の振舞いに、店内にいる者たちの視線が一斉に集中した。

「話はないですよ」と若い黒人。

彼は最初から北部から来た白人刑事との接触を避けている。そうしなければ、自分の身の安全が保てないのだ。

以下、焼け跡を見た二人の刑事の会話。

「三人はこの町に、有権者登録所を作ろうとした。ところが、KKK団が焼き討ちを」
「選挙はさせずか?」
「その通り」
「事務所は何と?」
「三人は集会所を焼かれた謝罪に来たと・・・町に戻って、誰かと話しているはずだ。そこから始める」
「誰も何も言わんよ。皆、ここで一生暮らすんだ。つまらんことは言わんよ」
「それが我々の仕事だ」

二人の意識には相当の落差がある。

その落差は、ウォ-ド刑事の認識の甘さによって露呈されることになった。

三人の手掛かりを求めて黒人宅を訪ねても、誰も何も答えないのである。

「一体、なぜこんな憎しみが・・・」とウォード。
「俺が子供の頃、近所にモンローって黒人がいた。そいつは、親父より運のいい奴だ。ラバを買った。当時大変なものだった。親父は嫌っていた。モンローはラバで畑を耕している。皆が囃した。モンローの畑は、どんどんでかくなるってね。ある朝、ラバが死んでいた。誰かが毒を。以来、誰もラバの話をしなくなった。ある日、モンローの家は空になっていた。北部にでも行ったんだろう。親父の顔を見たよ。親父の仕業だった。親父は息子に気づかれて、恥じたんだろう。俺にこう言った。“黒いのに負けちゃ、おしまいだ”とね」
「言い訳か?」
「親父の話をしたのさ」
「つまり何だ?」
「黒人を憎んだ親父の本当の敵は貧乏だった」

この会話の瞬間、二人の泊まったモーテルの部屋に銃丸が撃ち込まれ、窓ガラスが砕け散った。

「これで分ったろ」とアンダーソン。
「本部に応援を送らせる」とウォード。
「そいつは絶対にまずい」
「送らせる」

焦燥の色を隠せないウォード刑事
ウォードの気負いだけが際立っていた。


まもなく北部から応援がやって来た。

ウォードの戦略は徹底した合理的捜査によって貫かれていた。

三人の活動家が乗った乗用車が沼から発見され、海軍予備隊のサポートによって、大掛かりな沼の捜索が実施された。

しかし手掛かりとなるようなものは全くなかった。

その間、フリーダム・サマーに参加した黒人がリンチに遭ったり、また黒人の集会所や教会、家屋が焼き打ちの被害に遭ったりした。

まさに、「ミシシッピー・バーニング」の世界が展開されていく。

KKKも随所に出没するようになり、北部から「白人殺し」の捜査に関心を持つメディアが押しかけて来た。

それが却って地元民の感情を逆撫ですることになったのである。

彼らの保守的な北部嫌いの感情が、一気に噴き上げていったのだ。

教会に集う黒人たちの、野外での細(ささ)やかな集まりの中に、二人の刑事は顔を出した。

そこにいた一人の少年が、「保安官事務所」という捨て台詞を残したことで、二人は保安官助手ベルの自宅を訪れた。

勿論、手掛かりは何も得られない。

ベル保安官と夫人
しかしアンダーソン刑事は、南部生まれの嗅覚から、ベル保安官の夫人が事件の真相を知っているという予感を持っていて、再び、亭主のいない留守を狙って夫人宅を訪れた。

そこで夫人が僅かに反応した心理を読んで、アンダーソンは自分の予感を確信に変えつつあったのである。

その直後、教会関係者たちはKKKの暴力の餌食になって、先の少年もまた手痛い報復を受けた。

まもなく、KKKの黒幕とされるタウンリーという実業家が、メディアの質問攻めに遭った。

そのときのタウンリーの独演は、偏見と悪意に満ちていた。

「私はミシシッピー人であり、アメリカ人だ。ミシシッピー人の姿が、マスコミに捻じ曲げられるのはうんざりだ。はっきり言っておく。ユダヤ人は認めない。反キリストだからだ。奴らの金融カルテルが、共産主義を支えている。ローマ・カトリック教徒も認めない。トルコ人も東洋人も黒人も認めない。我々はアングロ・サクソンのデモクラシーを守るのだ」



3  目には目を歯には歯を



「フリーダム・サマー」の行進があり、その直後の黒人青年へのリンチ事件が起った。

更に、ある黒人の家が焼かれ、その現場を一人の少年が目撃し、彼の勇気ある証言で四人の容疑者が裁判にかけられることになった。

「この国では“我が家は我が城”と言う。それは社会を守る秩序でもある。君たちはその秩序を乱した。だが裁判所は理解している。君たちの犯した罪は、ある意味ではよそ者のせいで引き起こされたことだ。よそ者がこの地へやって来た。彼らは道徳心も低く、非衛生的な連中だ。人々は不愉快を感じている。そこで裁判所はこう認める。罪は許さぬが、君らの犯した罪は一方において、そのよそ者どもが引き起こしたのだ。故に刑罰は軽いものとする。各々、禁固5年の刑とする。ただし執行は猶予する」

これが、この土地の裁判所の長たる者の下した結論だった。

この結論の結果、裁判を傍聴した黒人たちの不満が爆発し、小さな暴動となって町を混乱に陥れた。

しかし、この混乱のリアクションは、KKKに代表される保守派の白人たちの焼き打ちによって、いよいよ歯止めが効かなくなっていく。

凄惨な「ストレンジフルーツ」(奇妙な果実)
FBIに協力した少年の父親はKKKによって吊るされて、そこに駆けつけた息子の哀しみが映し出された。

腹を括ったアンダーソン刑事は、三度(みたび)ベル夫人を訪れた。

勿論、ベル保安官助手の留守の時間を狙った訪問だった。

夫人は町の異常な喧騒に、その不安な心を抑えられないでいた。

刑事の訪問は、その夫人の心理を測っての行動であることは自明である。

「醜いわ。何もかも、とても醜い。こんなところで暮らしているなんて。人々は、ここは人種差別者ばかりと思っている。憎しみは生まれつきじゃない。教えられたの。学校で人種差別は聖書にあると。創世記の9章27節。7歳の頃には、もうそう信じ込んでいる。憎しみを信じている。その中で息をし、生活をし、結婚する・・・あの晩、主人も車で出て行ったわ。それが聞きたかったんでしょ。3人の死体は、ロバーツの農場に埋まっているわ」

ベル夫人は、事件の核心を遂に告白したのである。

翌日、夫人の告白通り、三人の死体が農場から発見された。

「失踪事件」が「殺人事件」に変わった瞬間だった。

しかしベル夫人は、事実の真相を知った夫たちから半殺しの目に遭ってしまった。

事件の真実に近づけば近づくほど、犠牲者が増えていくのである。

そして、夫人の甚大な被害を知ったアンダーソン刑事は、意を決したかの如く、彼に同調したウォード刑事を伴って、直接犯人と目される保安官助手の下に乗り込んでいった。


一方、裁判の結果に不条理な思いを鬱積させた黒人たちは、教会に集まって、牧師の激しい演説に耳を傾けていた。


「彼らは言う。白人の若者二人もまた、我々黒人のために死んだと、彼らは言う。白人の母と共に死を悼もうと。だがこの州は、その二人の白人を、この黒人の若者と同じ墓地に埋めさせないのだ。私には、もう与える愛はない。あるのは怒りだけだ!私と共に、皆怒れ!私はもううんざりだ。皆もうんざりだろう。私はもう、白人に殺された黒人の葬式に出かけるのはうんざりだ。私はこんなことを許し続けている、この国の人々にうんざりだ。黒人の“奪われることのない権利”とは何だ。“法の下の平等”とは何だ。“万人の自由と正義”とは何のことだ!私は彼らに言う。この若者の顔は、確かに黒人の顔だ。だが、流された血は赤かった!皆と同じだ。赤い血が流れている!」


保安官助手の下に乗り込んだアンダーソン刑事の手法は、極めて強引だった。


彼は配下の黒人を使って町長を捕縛し、カミソリを突きつけて恫喝した。

KKK(クー・クラックス・クラン)
そこから、犯人たちの名前を特定して、更に、KKKグループの内部分裂を画策した。

ウォード刑事は、明らかに人権侵害のアンダーソンの手法に批判的だったが、妨害的行為だけは慎んでいた。

しかし、アンダーソンがベル保安官助手をカミソリで恫喝する現場に立ち会ったとき、さすがに堪忍袋の緒が切れた。

それでも自分の手法を貫くアンダーソン。

そのアンダーソンにカミソリを頬に当てられ、出血する自分の顔を鏡で見るベルは恐怖に慄いていた。

刑事の暴力は、バーバーの一室の中で止められなくなっていた。

それは殆ど、この土地にはそれ以外の突破を不要とする、「目には目を歯には歯を」という強引な「捜査」手法であった。

まもなく、その恫喝によって特定された犯人の一人であるレスターに向って、KKKの白頭巾を被った者たちの暴力が荒れ狂った。

そこに二人の刑事が駆けつけて、いかにも内部分裂を装った襲撃から身を守り、その保護と引き替えにレスターの証言を求めた。

KKKの白頭巾の主は、アンダーソン配下の刑事だったのだ。

やがて三人の活動家殺しの犯人たちが、FBIによって次々に逮捕された。

町長が自殺したのは、その直後だった。

全てが終った。

アンダーソン刑事は、ベル夫人の自宅を訪問した。

彼にとって、この捜査に最も協力してくれたお陰で、夫の暴力の犠牲になった夫人のことが何よりも気がかりだったのである。

部屋の中は散乱していた。

刑事は夫人がこの町を見限って、北部に移っていくであろうことを考えていたに違いない。

ベル夫人
「どこへ?」とアンダーソン。
「どこへも行かないわ。私の家よ。ここで生まれたの。きっと、ここで死ぬわ。出たければ、もっと昔に出てたわ。大丈夫よ。分ってくれる人はいるわ・・・」

刑事は夫人の力強い言葉を聞いて、安心した。二人は握手して別れることになった。

刑事はその足で、黒人墓地の前でゴスペルソングを歌う細(ささ)やかな集会に顔を出した。

黒人たちは、そこで力強く未来に繋がる魂の歌を繋いでいた。


*       *       *       *



4  黒人差別の深層にあるもの



本作への論考の中枢テーマを、私は「黒人差別の深層にあるもの」という問題意識によって据えているので、そのラインで言及していきたいと考えている。

以下の言及は、ムービーラインとの絡みが殆どないが、鮮烈な映像から学習し得るその一点によって、本作が自分の問題意識だけを押さえておきたいと思わせるに足る、一種特別な作品であったという問題意識によって、本稿を開いていきたい。

まず、「差別」の問題から。

私は、観念としての差別意識と、身体表現としての差別行為を分けなければならない、と考えている。

前者は、人間である以上、何らかの形で自分が置かれた環境下で殆ど自然裡に形成されてしまうものである。例えば、「デブ」、「ブス」、「チビ」、「ノッポ」、「アホ」、「ババア」、「ジジイ」、「ショウガイシャ」、「ネクラ」、「ビンボー」、「ホームレス」、「ブサイク」、「ガイジン」、「ヤンキー」、「のろま」、「グズ」、「キチガイ」、「チンピラ」、「先公」、「痴呆」、「ボケ」、「アカ」、「淫売」、「水商売」、「中卒」、「高卒」等々、これらの言葉に被された否定的感情を多かれ少なかれ抱く者は、全てその内側に差別意識を胚胎していることを否定できないであろう。

これらの感情から、全く無縁に自我を作り得るほど、私たち人間は気高くないのである。

だから、それらの意識をできる限り外部環境に表出しないように人は努めている。

それもまた、私たち人間の自我の緊要な仕事であるということなのだ。

しかし、そこに偏見という厄介な感情形成が絡んでくると、人は内なる差別意識を肥大させ、しばしば、それを表出しやすい条件と繋がるとき、その差別意識が「身体表現としての差別行為」に結ばれてしまうのである。

私たちがよくよく注意しなければならないのは、この差別行為の発動の現実に直面したときである。

人が確信的に差別行為に踏み込んでいくのは、そこに偏見という感情が強力に媒介されるからである。

因みに偏見とは、私の定義によると、「特定の価値観に対する過剰な感情」である。

例えば偏見には、様々な様態がある。人間の感情というものは、あまりにその振幅の差が大きいからである。

例をあげてみよう。

「デブは忍耐力がない」、「B型の血液型の人間は我が儘である」、「黒人は知能が低い」、「年寄りは臭い」、「朝鮮人は怖い」等々。

これを見ても分るように、差別意識の拡大的膨張としての偏見という、人間のあまりに狭隘な感情傾向が読み取れる。

当然そのベースには、本人が自覚的に意識する、しないに拘らず差別意識が根柢にあり、そしてその偏頗(へんぱ)な感情傾向をほぼ自覚的に膨張させるとき、そこにその性質の強弱、是非とは無縁に、偏見という感情傾向が出来するのである。

ところが偏見だけでは、簡単に差別行為に結びつくことはない。

偏見を差別行為に結び付けるには、それを媒介するに足る様々な内的、外的条件が必要となるであろう。

それらの条件とは、例えば「権力関係の形成」であったり、「個別なるフラストレーションへの、耐性限界の内的情況」であったり、「特定空間に於ける集団パニックの心理状況」であったり、或いは「閉鎖的で、排他的な共同体の基盤の形成」等々である。

これらの条件が人間、或いは、共同体の内に胚胎する偏見の感情と結びついたとき、そこにモラルパニックが生まれ、しばしば言語を絶する差別行為に流れ込んでいくことになる。

ヘイトクライム(偏見に基づく差別的犯罪)である。

それは現象的には、「特定他者」に対する確信的(狂信的)迫害行為やジェノサイドとして、歴史の闇の見えにくい澱みの深部から唐突に、過剰なまでにおぞましい事態として炙り出されていくこともあるだろう。

ここに、「金髪碧眼至上主義」として、その名をグロテスクに残すKKK団の団歌がある。

本作の冒頭で、アンダーソン刑事がアイロニカルに歌った歌である。

“共産主義者に、黒人にユダヤ人、仲間に伝えておけ。最後の審判の日は間近だぞ。主は天から見ておられる。人種を混ぜちゃ、世も終わり。可愛い赤ん坊、黒いのはお断りだ。そんな奴らは撲滅だ。我ら、KKK団。そんな奴らは撲滅だ。我ら、KKK団”

この忌まわしい歌詞の根柢に流れている感情傾向は、「黒人に代表される隷僕なる者たちは人間ではない」という極めつけの偏見であるが故に、この偏見から「彼らには公民権を享受する権利など全く存在しない」という、人権抑圧の文脈が恣意的に導き出されたとしても不思議ではないのである。

それを彼らが身勝手な優生思想などに結びつけて、恰も、それが体系的な思想信条であるかのように装ったところで、そこには全く科学的根拠が存在しないので、それは出来の悪いカルト的信仰のレベルと変わるものではないのだ。

しかも、彼らの差別行為を制度的に保障する厳然たる歴史が存在した。

本作の冒頭で紹介された有名な描写を想起されたい。

トイレに入っても、「ホワイト・オンリー」と「カラード」に分けられて、当然黒人の血が一滴でも混じっている者は「カラード」用のトイレで用を済ますのである。

これは、1896年の「分離しても平等に」という最高裁判決によって制度的に保障された有名なケースだが、この制度の内実は、ホワイトとカラードの分離を前提とするものだから、誰もそれに文句を言えない暴力機構として、継続的に立ち上げられてしまったということである。

この制度が、1954年の最高裁判決によって形式的に否定されるまで、南部では普通の生活様式として堅固に定着していたのである。

差別行為が制度によって保障されることで、決定的な暴力機構の役割を果たしてしまうという典型例が、そこにある。

話を戻す。

KKK団を立ち上げた契機が南北戦争によって打ちのめされ、財産を奪われた貧しい白人たちの怨念の終結点であったことを考えれば、彼らこそまさに「憐憫なる貧困者」と形容できるであろう。

KKK団 ―― それは本質的に、敗北の事実を心のどこかで拒む者たちが作り上げた虚構のシステムであると言えるかも知れない。

しかしこのシステムは、差別行為を制度化するこの国の憲法によって暗黙裡に保障されてしまったため、本来弱き者たちの共同体が、そこに抑圧と迫害の忌まわしい歴史をどれ程刻んでも自らを弾劾し、裁いていこうとする人間の自己浄化への契機を形成することは決してなかった。

1923年に行われたリレーでの第2のKKKメンバー(ウィキ)
それが、弱き者たちの本来的な生態なのである。

しかし、彼らは決して自らの弱さを認めないであろう。

寧ろ必要以上に、その弱さを否定する儀式をこそ求めてしまったのである。

そのような儀式こそ、不埒なる黒人たちの首を大木に公然と吊るすという行為であった。

弱き者たちがその自らの弱さを否定するためには、自分たちよりも遥かに弱い者たちに対する圧迫を加え、彼らを抑圧することによって束の間手に入れる「強さ」と「誇り」を、「確信的」に信仰していく以外になかったのかも知れない。

それは、惨めで卑小な虚栄の産物だが、少なくとも彼らは、「黒人は人間ではない」という狂信的信仰をバックボーンにすることで、そこに閉鎖的な共同体の邪悪なるコミュニティの心地良さに酩酊することさえできるのだ。

そして、そんな彼らにとって、ユダヤ人やコミュニスト、更には、北部から来たFBIの捜査官などは、全て敵対者でしかないであろう。

とりわけ、公民権活動家の中にユダヤ人と黒人が含まれていることなど、あってはならないことだった。

彼らはその存在自身が抹殺の対象になるべき何者かであるが、それに加えて、ミシシッピー州に有権者の登録を推進する北部の若者の存在は、南部の伝統文化を破壊する革命的な急進派にしか映らなかったに違いない。

「フリーダム・サマー」
そして、若者たちの有権者登録運動の対象が、「人間ではない」はずの黒人の存在であったことが、保守的な南部人の逆鱗に触れないはずがなかった。

彼らはかつては「奴隷」以外の何者でもなく、形式的にその身分が保証されるようになったからと言って、自分たちの綿花のプランテーション栽培を介して、曲がりなりにも最低限の生活保障をしてあげたという「恩義」に背く所業は、絶対に許されざる何かであった。

また黒人たちにとっても、公民権運動という名の、心地良きイメージに被された薄膜を剥ぎ取られたときのリアリティの内実は、爆弾を仕掛ける者のような過激な行動の共犯にされかねない恐怖感を随伴するものだった。

そのような北部の活動家たちの「侵略的行動」の結果、少しでも北部の連中の相手をした黒人の家屋が焼かれることになり、まさに「ミシシッピー・バーニング」の世界を現出したのである。

「ミシシッピー・バーニング」―― それは、この国が建国以来抱えてきた闇の歴史の深部を露呈した、ある意味で最も分りやすい激烈な表現様態だった。

思うに、この国が抱え込んだ闇の歴史とは、「ネイティブ殺し」と「黒人抑圧」によって典型化された欺瞞なる構造的矛盾である。

それは、「デモクラシー」をセールスして止まない国が、その内側に抱えた、最もアンタッチャブルな歴史的現実そのものである。

ウンデット・ニーの虐殺の犠牲者の埋葬(ウキ)
「ネイティブ殺し」の歴史的隠蔽化は、先住民族としてのインディアンの各部族の古典的叛乱を完全制圧し、その後、彼らに「定着民」としての最低限の生活権を強制的に保障することによって、「西部開拓史の輝くべき栄光」の歴史に掏り替えることに成就したかに見えた。

しかし、「黒人抑圧」の歴史の闇の隠蔽化については、現代史に入ってもなお根深く残る南部の諸事件の連鎖や、北部諸都市での黒人犯罪、ロス暴動等で、決してそれが過去完了した問題でないことを浮き彫りさせているのである。

考えても見よう。

黒人と白人の結婚を形式的に禁止する「異人種間結婚禁止法」が、この国で厳然と存在(アラバマ州で2000年になって撤廃することで、ようやく終止符)していたという歴史的事実の持つ重みは圧倒的である。

思えば、奴隷解放宣言(1863年)に至るまで、この国には「ワン・ドロップ・ルール」(黒人の血が一滴でも混じっている者=黒人)という観念が形成されていたことで、その一滴の血の「汚れ」に対する意識は過剰に膨らまされていったに違いない。

奴隷貿易の歴史から始まったこの問題の深刻さは、現代史に至って具現した、表面的な福祉政策の充実化等(「アファーマティブ・アクション」/注1)の制度的処方によっても、なお容易にクリアし切れないテーマを内包しているということなのか。

個人的に特別な能力や才覚を持ち、周囲からの差別の視線の集中砲火にあっても、倒れないほどのパワーを内蔵するごく一握りの例外を除けば、「黒人問題」の現在的課題の克服は依然として先送りにされているということであろう。


(注1)「(affirmative action 積極的差別是正措置の問題)
ニクソン政権以後、従来、過少代表されてきた少数民族や女性・障害者などに雇用・昇進・入学などの機会を積極的に与えるよう指導するアファーマティブ・アクション政策が推進された⇒黒人の社会経済的地位の向上に貢献し、黒人中産階級も幅広く形成されるようになった。しかし具体的な数値目標を設定して少数民族を優遇するため、『逆差別』という批判も根強く起こってきた」(神戸大学・国際文化学部アメリカ文化論講座HP「アメリカ社会概論」より)


しかし、それでも現在は、西瓜を盗んだだけで、黒人たちが首を吊るされなくなったことは事実である。

「黒人は人間ではない」ということを公言する連中も殆ど存在しないだろう。

20世紀の半ばには、一応最高裁判決で、「ホワイト」と「カラード」の分離差別は制度的に否定されたが、それにも拘らず、本作の冒頭のシーンで見られる現実は消滅していなかったのだ。

それでも簡単に黒人を殺せない代わりの手段が求められた結果、秘密のリンチや「バーニング」という、彼らの生活権の解体を迫る抑圧を活発化させたのではないかと思われる。

即ち、公民権運動が吹き荒れた1960年代、それに対するバックラッシュとして、「ミシシッピー・バーニング」という分りやすいが、しかし、際立って尖ったテロルが横行したのである。

ブログより
そして、そのテロルの主体となったKKKの思想の内に、今も変わらぬ極めつけの偏見がべったりと張り付いているということだ。

21世紀の現在、その偏見を差別行為に繋いでいく様々な条件の目立った形成は見られないかも知れない。

しかし、そこには上辺だけの取り繕いによって、一見、その闇の深部を見えなくさせる巧妙な仕掛けがバリアとなって、共同体を囲繞させているようにも思われる。

確かに差別行為を誘発する様々な条件の尖った展開が少なくなることで、制度的暴力、または私的暴力という行為それ自体は目立たなくなるものの、その根柢にある差別意識や偏見は決して乗り越えられてはいないのである。

「アメリカ」という「サラダボウル」(注2)の中で、自分が拠って立つアイデンティティを求めるとき、そのメンタリティが自分の出身の民族や宗教の内に収斂されていくであろうから、人々はそこに自らが拠って立つものが表出する価値観の優位性を確認し、保障するために何某かのランキングをそこに作り出していくであろう。

そのとき、最も対極的な構図として際立つ関係は、「アングロサクソンV.S黒人」という分りやすい図式に落ち着くことになる。

即ち、明らかに前者に拠って立つ者たちの価値観の極北として、「黒人」の存在それ自身が特定されることになるに違いない。

黒人差別をテーマにした秀作・「アラバマ物語」 より
「黒人」はどこまでも、身分のヒエラルヒーの最底辺に存在する何者かでしかないのである。

差別行為は相対的に減少しつつも、差別を支える意識や偏見には大きな決定的な変化が見られないのだ。

「黒人は人間ではない」という極北的な偏見の存在は、個々人の意識の奥深くに隠されてしまっただけで、それが噴き上がってくる条件さえ形成されれば、いつでも差別行為の噴出には終りが来ないと見ていい。

人間の意識から、差別感情や偏見が消滅する日が来るとは到底考えられないからだ。


(注2)かつてアメリカは、「様々な人種が、何でもそこに溶けて混ざり合ってしまう」という意味の「人種の坩堝」という用語で説明されることがあったが、今は「それぞれの人種、民族の価値観や伝統文化を尊重して、それらが多元的な価値を持つ「サラダボウル」という言葉で説明されることが多い。



5  近接してくる者たちへの、得体の知れない恐怖



人間は必ずと言っていいほど、自分の生活圏、及び意識圏の安寧の確認を果たすために、他者との間の境界を構築しようとする。

そこで構築された世界の内側に、自分の拠って立つ安寧の基盤を設け、それを守るために、その境界に最近接する他者の侵入に対して、不必要なまでに神経を消耗せずにいられない。

境界の向こう側にいる者たちの価値観の差異に対しては、常に敏感に反応してしまうから、その近接度が高いほど、却ってその反応はシャープになってしまうのだ。

そこで生まれた緊張感を解消するために人間が発見した知恵は、特定の生活圏で協同作業を必要とする条件下で自然に育まれた、より緊密な近接性を拠り所にした地域共同体の形成であったと言っていい。

その共同体に身を預けることで価値観の多少の尖りを削り取って、限りなくフラットなものにしていく。

共同体こそが、人々の人生基盤と緊密に繋がることで、その内側に、家族という最小単位のミニ共同体を作り上げ、そこに二重の防衛線を張り巡らせていくのである。

家族というバリアと、その安定的存在を継続的に保障する、共同体というバリアの中で生じたトラブルの多くは、自浄作用によって処理されていくので、そこでの定着にしくじらない限り、変化の乏しい日常性の恒常的安定感だけは手に入れられるという理屈になるであろう。

ところが、そこに綿花の広大なプランテーションが生まれ、その労働力として、アフリカから大量に黒人奴隷が組織的に移入されてくるようになって、南部の社会風景は、19世紀半ばには400万人にも及ぶ数の奴隷労働者たちの存在を無視できないものに変貌する。

黒人奴隷の綿花栽培
約60年間で、300万人以上の黒人奴隷が増強されてしまったのだ。

その理由は、産業革命を経たイギリスの綿花の需要が飛躍的に拡大したためである。

しかし、奴隷としての黒人たちと白人たちとの近接度は決定的に乖離していたから、白人プランターの意識裡に、黒人の存在は、殆ど動物的価値以上の何かを持ち得なかったに違いない。

昔読んだ本の記憶によると、「黒人を人間と考えなければ、何も気にならないのだ」という、当時の白人の正直な思いが紹介されていた。

まさに黒人の存在は、納屋で藁を集めて寄食するだけの待遇で充分な何者かであった。

ここで重要なのは、アメリカ黒人の存在価値は、一介の奴隷としての価値以上のものではない現実の認知からスタートしたということである。

「黒人は人間ではない」―― これが、南部白人の対黒人観のスタートラインにあった。

このラインが恒常的に維持される限り、そこに白人と黒人の対立など成立しようがないし、ましてや、両者の近接度が深まるなどという事態が生まれようがないのである。

これが産業革命から数十年も経った時代の、アメリカ南部という、特有の空間の下で形成されていた日常的な観念であったのだ。

しかし、歴史が動いた。

南北戦争と、この国の、その後の激烈な展開が、黒人差別を却って拡大する結果を招き、そのことで耐えかねた黒人の度重なる暴動が頻発したのである。

更に、歴史は動いた。

キング牧師
20世紀に入ってからの公民権運動の南部への波及は、キング牧師に象徴される黒人自身の意識の覚醒と、その覚醒した意識を身体化する様々なデモンストレーションによって、黒人たちはその内側から変化の波を作り出したのである。

これらの尖った運動は、とりわけ保守的で、南部のプアー・ホワイト層に看過できない刺激を与えることになったのである。

黒人の公民権の獲得という事態は、プアー・ホワイトにとっては、自分たちの生活圏の境界辺りに、いよいよ近接してくる「黒い家畜」のイメージを醸成することになったと思われる。

かつて奴隷であった者たちのその人間的行動は、プアー・ホワイトの拠って立つ価値観を揺るがすほどの恐怖感を作り上げてしまったのである。

それは、「近接してくる者たちへの、得体の知れない恐怖」と言っていい。

醜悪なる暴力の根柢には、この感情が横臥(おうが)していたと私は考えている。

恐怖感はしばしば、信じ難いほどのエネルギーに転化するのである。

大量虐殺などの人間の残酷さを曝す様態を心理学的にアプローチしていくと、そこには、人間の基本感情の一つである恐怖感のリアリティと出会うことがあまりに多い。

恐怖感が防衛意識のバリアを作るとき、それが、とんでもない暴力の発動を生み出してしまうということである。

南部のプアー・ホワイト層にとって、黒人は近接することすら許されない存在であった。近接することが禁じられた者たちが、あろうことか、SNCC(注3)などの過激な思想をバックボーンにして、その権利の拡大運動を果たそうと言うのだ。

公民権の獲得は、近接の度合いを一歩進める何かであった。

歴史の流れ方を客観的に俯瞰すれば、プアー・ホワイト層の暴走は、奴隷としてこの国に送られて来た「人間ではない者たち」が、人権という名で近接の歩を進めていく一連の行為への、彼らなりの正義の行使であったと言えるだろう。

「ミシシッピー・バーニング」の根柢にある感情ラインの深部には、このような極め付きの偏見がマインドセットされていたということ ―― これに尽きるのである。


(注3)学生非暴力調整委員会の略。(1960年2月1日、ノースカロライナ州グリーンズボロの4人の大学生が、人種隔離の行われていた地元のランチ・カウンターで座り込みを始めた。これに呼応して各地の学生が同様の座り込みを始め、運動は南部全域に広がった。SNCCはこの運動から派生した草の根的団体であり、その後も参加型民主主義の原則が守られた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの市民権運動に精神的影響を受けていたSNCCメンバーは、すべての民族が手を取り合って生きていく「友愛の共同体(Beloved Community)」の理念と非暴力直接行動に伴う急進性をキングより受け継いでおり、このことがさまざまなバックグラウンドの人々をこの団体に引き寄せた。そしてSNCCは社会に対する多様な変革要求を取り入れて萌芽を生じさせる温床という特質を持ったのである。(ネットサイト・soturon-iida.html - 9k - 2005年06月03日・「アメリカ市民権運動とブラック・ナショナリズム」より)

ストークリー・カーマイケル
―― しかし、カーマイケルの出現により、「ブラック・パワー」の提唱がなされ、次第にその活動は急進化していった。


以上の言及は、本作の社会的背景についての私的見解をまとめたものである。

正直言って、私には本作に関わる言及は、このようなテーマ設定によってしか特段の関心を寄せ得る何ものでもなかった。

その意味で、この論考は言葉の真の意味で、「映画評論」というジャンルの内実からは、大いに逸脱するものであったと考えている。

それにも拘らず、このような言及に終始したのは、この映画が「差別」の問題、とりわけ「アメリカ」という、様々に際立って過剰な国家それ自身が内包する根源的問題について、殆ど抑制の効かないような流れ方の内に真っ向勝負の尖り方で、挑発的なまでの表現世界を、何か確信的に作り出してしまったと思われて仕方がなかったからである。

だから限定的なテーマ設定の中で、私なりの問題の切り取り方で、以上のような論述に終始した次第である。



6  吐きたいものを吐き、叫びたいものを叫び切る



―― 稿を括るに当って、そんな本作への率直な批評を簡単に記しておく。


本稿の冒頭でも触れたように、映画は一貫して、FBIのスーパーマン的活躍を中心に描いた、予定調和のハリウッド的アクションムービーの内に流れ込んだ娯楽作の欠陥を、精緻な映像表現力によって払拭した作品ではなかった。

北部育ちの理屈っぽい若きエリート刑事と、南部育ちの経験豊富な叩き上げの中年刑事という、この種の映画に典型的なキャラ設定の基本的枠組みが、ここでも「危うい対立と、葛藤を経ての和解」という常套的な文脈の内に集約される簡便さは、紛れもなく、ハリウッド・ムービーのカテゴリーを逸脱するものではなかったと言える。


それは、映像が開かれて5分も経てば、観る者に了解可能なラインとして捕捉されるだろう。

そして、そのシンプルなラインをほんの少し登りつめて、視界が開かれた稜線に辿り着く頃には、映像展開の炸裂するリアリズムによって、観る者をグイグイと引きずり込んでいくパワーを持ち得るか否か、映像は唯、その一点のみで勝負する以外になくなっていくことが分ってくる。


まさに、映像表現者としての本来的な力量が、そこで裸にされてしまうのである。

アラン・パーカーという極めて個性的な映像作家は、この一点勝負において無残な犬死だけは免れたと言えるだろう。

ハリウッド的ムービーの映画文法の枠内で、この作り手は存分に吐きたいものを吐き、叫びたいものを叫び切ることで、映像作家としての全人格的身体表現をそこに刻んだのである。

そして、そこに刻まれたものの圧倒的なカットの熱量が、挑発的言辞と巧みな折り合いを見せて、ここに、鮮烈なる問題提起の一篇が記録されるの至ったのだ。

パワフルな作家による、パワフルな作家の映像が、相応の継続力を手に入れたことで、本篇はフラットな刑事ドラマの凡俗さを強(したた)かに乗り越えていったと思われる。

いつまでも忘れることのない印象的な映像が放つ魅力の源泉は、カタルシスなしに済ませないほどのプロット展開の凄みに尽きると言えるだろう。

それ以外ではない。

―― 言わずもがなのことだが、最後に、史実誤認してはならない一点を指摘しておきたい。

実際は、この忌まわしい事件の渦中で、KKKと命を賭けて戦ったのは天下のFBIではなく、SNCCなどの黒人活動家団体であったということである。

彼らにとっては恐らく、そこで出来した事件それ自身が格好の政治的テーマを含むからと言うより、そこに曝された事件の凄惨な内実が、遥かに切実な、まさに「生存」と「実存」に関わる由々しき事態であったが故に、逃れられない者の括りの中で、その冷厳な時間の内に身を預けていったに違いないであろう。

(2006年7月)

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