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2011年4月14日木曜日

東京物語('53)      小津安二郎


熱海での周吉、とみ
<「非日常」(両親の上京)⇒「日常」(両親の帰郷)⇒「非日常の極点」(母親の死)⇒「日常」(上京し、帰宅)というサイクルの自己完結性>



1  「分化された家族」の風景をリアルに描き切った物語



この映画を評価するに当って、私たちは、この国の家族の変遷について纏(まつ)わる認識を改める必要があると思われる。

それは、この国の一般家庭の家族制度の中核は、一貫して「核家族」であったという歴史的事実である。

既に、「核家族」は江戸時代から一般的な家族形態であって、近代社会に入っても変わることなく、大正時代には疾(と)うに過半数を超えていた。

高度成長期にピークアウトに達し、一過的に「核家族」は加速化したものの、1970年代後半になると関数的な低下傾向を描いているのである。

その意味で、この映画は、家族の変遷の時代の空気を見事に写し取っていると言える。

それ故、本作のテーマが、「家族の崩壊」であったにしても、それは単に、「核家族化の一過的な加速化」を起因にする、この国の家族様態の変遷の問題に過ぎないということだ。

従って、本作で描かれた、尾道を起点にする一家族の物語は、この国が近代化し、急速な都市化の変遷のとば口にあって、当時としては、普通の規模の地方家族の様態が、子供たちの自立と結婚によって生まれた新しい家族の分化を必然化することで、「二世代の分裂」を鮮やかに写し取った一篇以外ではないのである。

だから、「分化された家族」が経済的に独立し、身過ぎ世過ぎを維持していくのは至極当然の事態なのだ。

この映画で描かれた、「分化された家族」の有りようもまた、倫理的に問われるほど、特段に無慈悲で冷淡な核家族ではないと言っていい。

寧ろ、あのような家族の有りようこそが、当時の一般的な風景であったと認知すべきなのである。

ところが、厄介なことに、この映画の「分化された家族」の物語を、「家族制度の崩壊」などと決め付ける大袈裟な批評の把握が、本作を囲繞する現実がある。

一体、尾道を起点にして、「故郷から離れた都市に住む子供たち」の「分化された家族」の有りようを、人権感覚だけを研ぎ澄ました現代の視座で難詰(なんきつ)することができるだろうか。


確かに、物語の中で、「親に対する冷淡な対応」がエピソードとして随所に拾われていたが、それはどこまでも、映像が提示した仮構の物語の範疇を越えるものではないのだ。

大体、私たちは誤解していないだろうか。

尾道市街地と尾道水道(ウィキ)
都市社会に生きる者の「心の冷淡さ・荒廃」や、「関係の形式化」の日常性が、豊かさを求める高度成長の産物であり、そのことによって、「自己中心的な生き方」が跋扈(ばっこ)しているなどと一方的に決め付けていないか。

この類の把握は、本質的に誤っていると言わざるを得ない。

都市社会の快楽装置の只中に囲繞されている者が、他者の不幸に無関心になりやすいのは、隣人の不幸が我が家の不幸になりやすかった共同体社会の構造性と無縁でいられるからであって、恐らく、それ以外の何ものでもないであろう。

従って、それは、都市社会に生きる者たちの心の荒廃感の本質を説明するものではないのだ。

そして、「故郷から離れた都市に住む子供たち」の「分化された家族」という視座のうちに、「遠く離れた故郷に住む肉親=他者」という把握が鷲掴みにされる訳ではないが、少なくとも、「分化された家族」の血縁関係の保護を優先することを以て、「遠く離れた故郷に住む肉親」に対して、意識的に冷淡にする振舞いを身体化することを意味しないだろう。

仮に、「故郷から離れた都市に住む子供たち」の「分化された家族」の有りようが、「自己中心的な生き方」であるように見えても、それが、都市社会に生きる者の「心の冷淡さ・荒廃」と同義ではないことだけは確かである。

要するに本作は、「日常」→「非日常」(両親の上京)→「日常」(両親の帰郷)→「非日常の極点」(母親の死)→「日常」(上京し、帰宅)というサイクルで変容していった、「分化された家族」の風景をリアルに描き切ったのである。

そういう物語として、私は把握している。



2  都市社会に生きる者たちの生活の律動感



ここに、興味深い会話がある。

本作の物語の中で、尾道に帰郷した老いた両親の何気ない会話である。

「でも、子供も大きうなると変るもんじゃのう。志げも子供の時分は、もっと優しい子だったじゃにゃぁか」と周吉。
「そうでしたなぁ」 ととみ。
「おなごの子ぁ、嫁にやったらおしまいじゃ」
「幸一も変りやんしたよ。あの子も、もっと優しい子でしたがのう」
「なかなか親の思うようにぁ、いかんもんじゃ・・・」
「欲を言や、切りぁにゃぁが、まぁええ方じゃよ」
「ええ方ですとも。よっぽど、ええ方でさ。私らぁ幸せでさあ」
「そうじゃのう・・・まぁ、幸せな方じゃのう」
「そうでさ。幸せな方でさ・・・」

この会話の中の、志げとは長女、幸一とは長男のこと。

この会話が重要なのは、遥々上京した両親(周吉、とみ)が、長男長女の「分化された家族」の家に厄介になっても、両家族の多忙の故に厚遇されなかった不満を、彼らなりに相対化して、「私らぁ幸せでさあ」という、それ以外にない軟着点に辿り着く心境を、感情交歓し合っていることである。

左端が長男、右から二人目が長女(上京中の東京で)
感情的には割り切れないが、それでも厚遇されなかった不満の原因を、既に別の独立した家族を持つ、長男長女の多忙性のうちに相対化し得るだけの把握力を持っていたこと ―― その辺りの老いた二人の軟着点こそ、本作の物語それ自身の軟着点であったのだ。

それにも拘らず、本作の物語では、都市社会に生きる者の「心の冷淡さ・荒廃」や、「関係の形式化」の日常性と、地方に残る「共同体の相互扶助の関係」の日常性を、敢えて強調し、些か対立的に描いていなかっただろうか。

その辺りのエピソードが、葬儀後に用意されていた。

「でも、何だわねえ。そう言っちゃ悪いけど、どっちかって言えば、お父さん先の方が良かったわねえ」

この志げの本音の指摘に、長男の幸一は「うむ」 と反応した。

「これで京子でも、お嫁に行ったら、お父さん一人じゃ厄介よ」
「うーむ、まぁねえ」 と幸一。
「お母さんだったら東京へ来てもらったって、どうにだってなるけど 、ねえ京子、お母さんの夏帯あったわね?ネズミのさ-、露芝の・・・」
「ええ」と京子。

因みに、京子とは末娘のことで、尾道に住みながら小学校の教諭をしている。

「あれ、あたし形見に欲しいの。いい?兄さん」 と志げ。
「ああ、いいだろ」と幸一。

結局、長男長女の短い会話で、形見分けの段取りをつけてしまったのである。

形見分けの段取りをつけた長男長女は、その日のうちに、そそくさと、故郷であるはずの尾道を後にしたのだった。

それは、まるで都市社会に生きる者たちの生活の律動感の速度に合わせるかのような、何とも心地悪いエピソードだった。

少なくとも、「分化された家族」の血縁関係に馴染めない尾道の末娘である京子にとって、長男長女の義理的な滞在への反発は強かった。

「兄さん姉さんも、もう少しおってくれても良かったと思うわ」

義姉の紀子(左)と京子(右)
この京子の物言いに対して、亡き次男の未亡人である義姉の紀子は、「分化された家族」の事情を知る者の、大人の対応で受け止めるのだ。

「でも、皆さん、お忙しいのよ」
「でも、随分勝手よ。言いたいことだけ言うて、さっさと帰ってしまうんですもの」
「そりゃ仕様がないのよ。お仕事があるんだから」
「だったら、お姉さんでもあるじゃありませんか。自分勝手なんよ」
「でもねえ、京子さん」
「ううん。お母さんが亡くなると、すぐお形見欲しいなんて。あたし、お母さんの気持ち考えたら、とても悲しうなったわ。他人同士でももっと温かいわ。親子ってそんなもんじゃないと思う」
「だけどねえ京子さん。あたしも、あなたぐらいの時にはそう思ってたのよ 。でも、子供って大きくなると、段々、親から離れていくもんじゃないかしら。お姉さまぐらいになると、もう、お父さま、お母さまとは別の、お姉さまだけの生活ってものがあるのよ。お姉さまだって、決して悪気であんなことなすったんじゃないと思うの。誰だって、皆、自分の生活がいちばん大事になってくるのよ」
「そうかしら。でも、あたしそんな風になりたくない。それじゃあ親子なんて、随分つまらない」



「純粋無垢」の京子と、「聖女」ではあるが、大人の世界を知る紀子との、人生経験の落差が鮮明に表現された、味わい深い会話であった。

紀子

この会話をみる限り、都市社会に生きる者の「心の冷淡さ・荒廃」や、「関係の形式化」の日常性を相対化し得る紀子による「エビデンス」の挿入によって、都市と地方との対立的構図が希釈化されたのは否定し難いだろう。



3  「共同体の相互扶助の関係」の日常性のまったりとした生活の律動感



一方、「共同体の相互扶助の関係」の日常性のまったりとした生活の律動感が、映像の円環的な構成の中で自然裡に拾われていた。

今度は、その日常的な交叉について再現してみる。

以下、隣家の主婦と、上京前の両親(周吉、とみ)との会話である。

「お早うござんす」と主婦。
「ああ、お早よ」ととみ。
「今日、お発ちですか?」
「へえ、昼過ぎの汽車で」
「そうですか」
「まぁ、今のうちに子供たちにも会(お)うとこう思いましてなぁ」と周吉。
「お楽しみですなぁ。東京じゃ、皆さんお待ちかねでしょうて」
「いやぁ、暫く留守にしますんで、よろしくどうぞ」と周吉。
「ええ、ええ、ごゆっくりと。立派な息子さんや娘さんがいなさって、結構ですなぁ。本当にお幸せでさぁ」
「いやぁ、どんなもんですか」
「ええ塩梅に、お天気も良うて・・・」
「ホントにお蔭さんで」ととみ。
「まあ、お気をつけて行っておいでなしゃぁ」

それは、「日常」→「非日常」(両親の上京)にシフトしていく老人夫婦と、「日常」を淡々と繋いでいる隣家の主婦との、これまでもそうであり、これからもそうであると深く印象付ける、まったりとした生活の律動感を変えない「日常」を基盤にした、全き「日常性」の、ごく普通のスケッチの断片であった。

周吉と長男長女
そして、「非日常」(両親の上京)→「日常」(両親の帰郷)→「非日常の極点」(母親の死)→「日常」(上京し、帰宅)というサイクルで変容していった果ての、隣家の主婦と周吉との会話が、ラストシーンで拾われていたが、それは物語の円環的な構成の括りとなるものだった。

当然、そこには、「非日常」(両親の上京)の準備に忙しなかった、とみという名の「慈母」は非在である。

以下、その日常的な交叉について再現してみよう。

「皆さんの帰りんなって、お寂しうなりましたなぁ」
「いやぁ・・・」
「本当に急なこってしたなぁ・・・」
「いやァ・・・気の利かん奴でしたが、こんなことなら生きとるうちに、もっと優しうしといてやりゃあ良かったと思いますよ・・・」
「なあ」
「一人になると、急に日がなごうなりますわい・・・」
「全くなぁ・・・お寂しいこってすなぁ」

これは、隣の主婦が、周吉にお辞儀をして去って行く際の言葉。

「いやぁ・・・」

お辞儀する周吉。

「あああ・・・」

周吉の溜息のうちに、作り手の無常観が、それ以外にない極め付けの構図によって表現されたのである。



4  「非日常」(両親の上京)→「日常」(両親の帰郷)→「非日常の極点」(母親の死)→「日常」(上京し、帰宅)というサイクルの自己完結性



本作は、都市社会に生きる者(幸一、志げ)の「心の冷淡さ・荒廃」を強調するために、「聖女」(紀子)、「慈父」(周吉)、「慈母」(とみ)の存在を仮構したようにも思われるのだ。

しかし、よくよく鑑賞していけば、原節子演じる「聖女」の優しさの供給源は、「グリーフワーク」のプロセスに搦め捕らていた者の悲哀が漸く浄化され、「精神的・社会的自立」への軟着点が視界に入りつつあった心的過程と無縁であったとは考えられないのである。

ラストシークエンスにおける、「慈父」と「聖女」の会話の意味は、なお〈死〉が日常性と最近接していた時代の中で、愛する者を喪った者の「グリーフワーク」の心的過程が、当時にあっても、普遍的に求められるテーマであることには変わりがない現実を検証するものだった。

その辺りに関する重要な会話がある。

周吉と紀子の会話である。

周吉と紀子
以下、再現する。

「お母さんも心配しとったけえど、あんたのこれからのことなんじゃがなぁ・・・やっぱりこのままじゃいけんよ。何にも気兼ねはないけえ。ええとこがあったら、いつでもお嫁にいっておくれ 。もう昌二のこたぁ、忘れてもろうてええんじゃ。いつまでも、あんたにそのままでおられると、却って、こっちが心苦しうなる。困るんじゃ」
「いいえ。そんなことありません」
「いやぁ、そうじゃよ。あんたみたいな、ええ人ぁない言うて、お母さんも褒めとったよ」
「お母さま、私を買い被ってらしったんですわ」
「買い被っとりゃぁしぇんよ」
「いいえ。私、そんな仰(おっしゃ)るほどの良い人間じゃありません。お父さまにまで、そんな風に思っていただいてたら、私の方こそ却って心苦しくって・・・」
「いやぁ、そんなこたぁない」
「いいえ、そうなんです。私、狡いんです。お父さまやお母さまが思ってらっしゃるほど、そう、いつもいつも、昌二さんのことばかり考えてる訳じゃありません」
「ええんじゃよ。忘れてくれて」
「でも、この頃、思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです。私、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このまま、こうして一人でいたら、一体どうなるんだろうなんて、夜中にふと考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂しいんです。どこか、心の隅で何かを待ってるんです。狡いんです」
「いやぁ、狡うはない」
「いいえ、狡いんです。そういうこと、お母さまには申し上げられなかったんです」
「ええんじゃよ、それで。やっぱり、あんたはええ人じゃよ、正直で・・・」
「とんでもない」

ここで、周吉は立ち上がって、懐中時計を持って来る。

「こりゃぁ、お母さんの時計じゃけえどなぁ、今じゃ、こんなものもはやるまいが、お母さんがちょうど、あんたぐらいの時から持っとったんじゃ。形見にもろうてやっておくれ・・・妙なもんじゃ、自分が育てた子供より、言わば、他人のあんたのほうが、よっぽどわしらにようしてくれた。いやぁ、ありがと」

恐らく、この周吉と紀子の会話は、本作の中で最も重要なシーンである。

時期のズレがあれども、二人の対象喪失者にあって、「悲哀の仕事」の完成形のステージに逢着し得た者(紀子)と、諦念のうちに、それを否が応でも引き受けざるを得ないと括っている者(周吉)が、関係の形式性の見えない縛りをほんの少し突き抜けた際(きわ)で、心の奥深くに澱む、小さく騒ぐ感情の発露を交叉させているのだ。

自我の防衛機制を緩めて、それを束の間、解放系に放つことで浄化される安寧を得た心が最近接したとき、それ以外にない絶妙のタイミングの中で、澱み、隠し込んでいた思いを、それを受容すると信じる相手への甘えに乗じて、濃密に絡み合わせていたのである。

小津安二郎監督
それは、「グリーフワーク」を必要とする者が抱えるだろう、心理状態の同質性なしに惹起し得ない絡み合いであった。

同時にそれは、本作の物語構造の中にあって、「非日常」(両親の上京)→「日常」(両親の帰郷)→「非日常の極点」(母親の死)→「日常」(上京し、帰宅)というサイクルが、一定の自己完結性を果たしていくプロセスの最終到達点であったに違いない。

懐中時計の授与によって、世代の継承と、「思い遣る情感」への賛歌が、そこだけは特段の情感投入したかのような作り手の、溢れ出る感傷を露わにした決定的な構図が、そこに読み取れるのだ。

良くも悪くも、「慈父」と「聖女」を仮構することを捨てなかった、稀代の映像作家が表現し得た作品群の中で、人生の哀感を精緻に捉えた最も完成度の高い一篇 ―― それが「東京物語」だった。

小津安二郎監督の最高到達点であることは言うまでもない。

【なお、映画の台詞は、『~クラシック映画に魅せられて~』から引用・補筆させて頂きました。感謝します】

(2011年4月)

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