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2010年11月25日木曜日

雲が出るまで('04)        イエスィム・ウスタオウル


<「ネガティブな自己像」を溶かした一枚の古い写真>



  1  「ネガティブな自己像」を隠し込んで構築した物語の破綻



 「ネガティブな自己像」を自我の奥深くに隠し込んで、安定的な物語を構築した姉弟がいた。

 しかし、唯一の身内の死によって、安定的な物語を根柢から破綻させられた姉が、内側に封印していた「ネガティブな自己像」の本質的清算を、内的に要請されるに至った。

 然るに、姉のその「仕事」は、一貫して堅固な物語を延長させている弟を訪ねることによってのみ解決可能なものだった。

 弟の住所を探し当ててくれた一人の男のサポートによって、姉は遂に意を決した。
 
 ギリシアに住む弟を訪ねたのである。

 姉の安定的な物語を破綻させた原因は、唯一の身内であったセルマの死にあった。

 以来、彼女は塞ぎ込んで、雲を見ては頻りに考え込む日々が続く。

 自死を思うときもあった。

 そして、最も重要な姉の「ネガティブな自己像」とは、難民の彷徨の厳しさの中で弟を見捨てた過去の事実に起因するものだった。

従って、彼女の「ネガティブな自己像」は、「弟を見捨てた薄情な姉」というイメージに結ばれる何かである。
 
 そして、弟の「ネガティブな自己像」とは、「姉に見捨てられた弟」=「見捨てられるに足る価値なき子供」というイメージに結ばれる何かであるだろう。

 姉の名は、アイシェ。本名はエレニ・テルジディス。

 その弟の名は、ニコ。

 ついでに書けば、弟の住所を探し当ててくれた男の名は、タナシス。

 ソ連への長い亡命生活から、トルコに帰還した人物である。


 この悲哀の物語は、「ネガティブな自己像」を本質的に清算する以外に生きられない女の、その贖罪の哀切を描き出したものだ。

 更に、そこには、「第一次世界大戦中、トルコのギリシャ系住民は国外に追放された」(冒頭の字幕)、ポントス人(注)と呼ばれる、少数派のギリシャ人の悲劇の歴史が横臥(おうが)していたのである。


(注)「第一次世界大戦中、オスマン帝国領の黒海沿岸を占領したロシアがロシア革命により混乱したのをきっかけに、ポントス共和国の建設が目指された。しかし、もともとこの地域でポントス人は人口的に多数派ではなかったため十分な勢力を築くことができず、アンカラのトルコ大国民議会政府(トルコ革命政権)軍に攻撃されると敗北して、一部の人々はソビエト連邦領に逃れた。一方、同じ時期にアナトリア半島西南部のエーゲ海沿岸地方で戦っていたギリシャとトルコが休戦後に住民交換協定を結んだことによりトルコ領内に残った東方正教徒の人々もギリシャ人としてギリシャに追放されることになったので、トルコ領におけるポントス人の共同体は完全に消滅した」(ウィキペディア・「ポントス人」より)



 2  アイシェの「告白」



 アイシェ(エレニ)には、ギリシャに住むニコへの直接的訪問の前に、深々と懊悩する時間があった。

タナシス
以下、亡命トルコ人のタナシスと、アイシェの家に毎日やって来るメヘメツ少年の前で、アイシェが語った最初の「告白」。

 「赤ん坊のソフィアが見えない。父さんはもう守ってくれない。ゲリラに射ち殺されたの。母さんがソフィアを雪の中に置き去りに。ああ、ニコ・・・夜になると、もっと辛かったわね。毎日、力を振り絞って歩き、夜になると死んだように寝た。私たちが何をしたというの?“たった50キロだけ”それだけ歩けばいいと言われた。でも、そうじゃなかった。メルシンまで何週間も歩いた。力尽きて、死んだ仲間たちを途中で埋めていった。ニコっていうのはね、私の弟なの。私の本当の名前は、エレニ・テルジディス。父さんが死ぬ前に、私がニコを守ると約束したのに・・・」

 第一次世界大戦中に、トルコを追い出されたアイシェの家族の悲劇の一端が、アイシェ自身の口から語られた。

 彼女の父親は、ゲリラに殺されたのだ。

 その父親が死ぬ前に、アイシェに弟のニコを守ると約束したのにも関わらず、その約束を果たせなかった罪悪感に懊悩する老婆 ―― それが、エレニ・テルジディス、即ちアイシェだった。


 以下、アイシェの二度目の「告白」。

 今度の聞き手は、タナシスのみ。

 「親切なスレイマンが、私とニコを保護してくれた。私は恐怖に怯えた獣のようだった。スレイマンは新しい父。セルマは私の姉になった。私は人間らしさを取り戻した。でもニコは、他の孤児たちとバラックに残った。そして、孤児の招集命令が出た。私たちを船に乗せて、国から追放したかったんだ。でも私には、もう動く気力がなかった。スレイマンの姓の名乗った。50年間、誰も私を疑わなかったわ。父は私とセルマに誓わせた。秘密を誰にも明かさないと。秘密は守ったわ。でも、罪悪感は消えない。そしてセルマが死んだ」

 アイシェの二度目の「告白」の中で明らかにされた、「弟を見捨てた薄情な姉」というイメージの内実。

 それは、スレイマンという親切なトルコ人が姉弟を保護したが、他の孤児たちとバラックに残ったニコが国外追放されてしまった際に、疲労の故に弟を救えなかった事実である。

 アイシェの懊悩の根柢にあるのは、「自分だけが幸福になった」ことに対する罪責感だったのだ。

 まもなく、ニコの生存を信じないアイシェを、タナシスが説得して、ギリシャに住むニコの生存を確かめるに至った。

 三度目のアイシェの告白は、タナシスが運転する車内でのもの。

 「ニコを裏切ったことが辛い。私をじっと見つめていた眼が忘れられない」

アイシェとタナシス
その一言のうちに、アイシェの罪悪感の根っこにある意識が収斂されていた。

 贖罪のためのギリシャ行きが、アイシェの内側で括られたのである。



 3  「ネガティブな自己像」を溶かしゆく一枚の古い写真



 アイシェは、ギリシャに住むニコの家を訪ねた。

 しかし、自分がニコの姉であることを明かしたアイシェの唐突な訪問を受けた男は、即座にドアを閉め、拒絶の態度を示したのである。

 そこに普通の会話の成立の余地すら残さない、間髪を入れぬニコの態度には、特定化された相手への確信的で、断定的なレスポンスを読み取ることが可能であろう。

 まもなく、ニコの妻の援助もあって、50年間にも及ぶ時間の空白を、小さな特定的スポットの中で、せめて贖罪のほんの少しの受容を得ようと求める者と、それを頑として拒絶する者との、静謐だが、しかし緊張含みの時間がそこに生まれたのである。

 緊張含みの時間を破ったのは、ニコだった。

 山積みされた写真の中から、思い出の写真を一枚づつ取り出し、それを見ながら、ニコはアイシェに語っていく。

 「初めて行った学校。孤児院にいた頃の写真だ。最初の仕事は車の修理工だった。アルバニアの前線。息子の洗礼式。義理の母、義理の父、妻、妻の夫婦。私の人生の記録だ。ここにあなたはいない。姉だと言って、許しを求めるな。許すことなどない。本当に姉なら、写真にいるはずだ」

 明瞭な拒絶を結ぶニコが、そこにいる。

 再び、「間」が生まれた。

 それまで何も語ることがなかったアイシェは、なお語ることなく、ニコの言葉を受け止める。

 そして彼女は、肌身離さず持っていた一枚の古い写真を取り出し、それをニコに見せたのである。

 その写真を受け取って、じっと眺め入るニコ。


 ボロボロになって、すっかり酸化したその写真こそ、アイシェの両親と、アイシャ、ニコ、そして、乳児の ソフィアが写っていた唯一の家族写真だった。

 まさに、その家族写真は、姉弟のそれぞれが長く内側に抱え込んでいたであろう、「ネガティブな自己像」を溶かしゆく写真であることを、観る者に想像させる決定力を持つ何かであるに違いなかった。

 映像は、弾ける笑顔のエレニ(アイシェ)とニコの子供時代を映して、閉じていった。

 じっくりと付き合っていくことで、じわじわと、心の底に沁み込んでいくような映像だった。

(2010年11月)

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