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2010年11月22日月曜日

ペパーミント・キャンディー('99)    イ・チャンドン


<そこにしか辿り着かないような、破滅的傾向を顕在化させた自壊への航跡>



1  「相対経験」と「絶対経験」



経験には、「良い経験」と「悪い経験」、その間に極めて日常的な、その時点では評価の対象に浮き上がって来ない、厖大な量のどちらとも言えない経験がある。

この経験が結果的に自分を良くしてくれたと思われる経験が「良い経験」で、その逆のパターンを示すのが「悪い経験」である。

然るに経験は、本質的に内面的であるが故に、それを合理的に価値づけることの困難さと、その価値の予測困難性というものが、初めからそこに内包されている。

「私はこの経験によって、勉強させてもらった」と後に回顧される経験は、主体の態度を修復させるほどの心地良い経験として脳に記憶されていくだろう。

私たちの経験の多くは、時々の、私たち自身の逢着点から相当の幅を持って評価される相対性にこそ馴染むのである。

私たちは、日夜ご馳走ばかりを食べる訳にはいかず、見ただけで吐きたくなるものも食べない訳にはいかないときもある。

食べることを避けられずに食べるという、この一点において存在価値を持つ食べ物は、絶対的価値を持つと思われるどのような食べ物の存在の有りようよりも、しばしば決定的な価値を意識のうちに捕捉されるだろう。

状況が価値を作り出してしまうのである。

この経験が、精神に幅を生む。

経験の多くは相対的なものなのだ。

だからどんな経験でも、しないよりはした方が良いと思われる「相対経験」には、不必要な経験など決してない。

「相対経験」は心に幅を作るトレーニングでもある。

心の幅が人生に構えを作る。

この構えがスキルになって、人の内側を少しずつ豊穣なものに仕上げるのだ。

無論私たちは、主観的には、「良い経験」と出会うために時間を開いていく。

未来は忽ちのうちに過去になり、その過去を現在の自我が定めていく。

更に未来の自我が、それを同質の文脈で固めていったとき、私の軌跡にリアリティが被されるのである。

私の過去の挫折を、「あれはあれで良かったのだ」という風に、偏光フィルターを装着して飾り逃げしてしまうことの誤謬は、「認知的不協和の理論」が教えるところだった。

「悪い経験」も、「良い経験」も、全て私の起伏に富む軌跡の向うに脈絡をもって棲んでいる。

無理に飾り逃げする必要などないのだ。

同時に、「あれがなかったら・・・」と思わせる経験をも無化する必要はない。

痛烈な痛みを持って定まった経験が、なお私の現在を食(は)んでいるなら、私はそれに対峙し、いつの日か、それをクリアにする意志をギリギリに捨てないで、少しずつ吐き下しながらもリザーブしていくことである。

無理に流そうとしないことだろう。

無理に流したら、逆流が私を激甚にヒットするに違いないからだ。

ところが、この世に、「この経験がその後の人生の基本ラインを決定付けてしまう」という経験が稀にある。

私は、それを「絶対経験」と呼んでいる。

ソフィーの選択」より
例えば、「ソフィーの選択」という作品における、「心中事件」への選択は、ヒロインの「第一の選択」(男児の命と引き換えに、「私のベビーを連れてって」と叫ばざるを得なかった究極の選択)である、忌まわしきホロコースト経験に起因していると言っていい。

それこそ、自我を殺害された「第一の選択」こそ、彼女にとって「絶対経験」以外の何ものでもなかったのである。

「もう選択したくない」という彼女の衝動が、全てを決定付けたと言えるのだ。

そのような「絶対経験」というものが、私たちが呼吸を繋ぎ、生活している現実の世界にある、と私は考えている。



2  「人生で最も美しい瞬間」を自壊させた「女子高生誤殺事件」



本作の主人公であるキム・ヨンホにとって、光州事件における「女子高生誤殺事件」(以後「事件」と呼ぶ)という非日常の経験は、私が言うところの、限りなく「絶対経験」に近い何かであった。

そのキム・ヨンホは、スニムとの初恋の睦みをピークアウトにする、労働者仲間のピクニックでの至福の中で、充分に甘美な芳香を放っていた。

1979年秋。

キム・ヨンホ
20歳のヨンホにとって、「人生で最も美しい瞬間」を映し出して閉じていくラストシーンである。

「花の写真を撮る」ことを趣味とする、工場労働者のヨンホの性格傾向に張り付く、ある種の「イノセント性」は、世代としては共通するであろう、「386世代」(1990年代に30代で、1980年代に学生運動にコミットし、1960年代の生まれの者)の若者たちの中にあって、政治に特段の関心を持たない印象を残していた。

そんな若者が、「事件」にインボルブされたのである。

1980年のことだった。

兵士たちのライトアップによって、闇の中の表情を映し出され、誤殺した女子高生の遺体に取り縋って、キム・ヨンホは劈(つんざ)くような悲鳴を上げでいた。

何より由々しきことは、映像に映し出された彼の人生の中で、この「事件」への関与だけが彼の意志的選択ではなかったことだ。

この国の徴兵制度の強制力が、この国の歴史的転換期の内的要請に突き動かされて、そこに過剰に機能していたのは言うまでもない。

その後の彼の破綻の人生の全てが、彼の意志的選択であるものと考えるとき、「事件」の異常さを照射する、このシークエンスは決定的に重要であるだろう。

実は、その意志的選択について、イ・チャンドン監督がインタビューで答えている。

「ヨンホがスニムを選ばなかったという行動を政治・社会的に分析すれば分析できると思います。やはり光州事件が大きな引き金になっていて、彼は光州事件によって変わってしまうんですね。

運命の光州事件
ヨンホの人生の中で、光州事件だけが、彼が自分で望んだ選択ではなかったのです。外部から与えられた状況の中で、光州事件と巡り合ってしまって、自分の意志とは関係のないところで自分の手を血に染めてしまう。

そのことによって、彼の人生は、変わってしまうというのは確かなんですけれども、でも、その後の選択というのは、結局はキム・ヨンホ自身が選択したことになるんですよね。警察に入ったのも、スニムを追い返してしまったのも、ホンジャを選択したというのも全て彼の選択によるものだったんです。

キム・ヨンホに限らず、誰であっても世の中を生きている全ての人というのは、人生においてどうしても愚かな選択をしてしまいがちだと私は思います。愚かな選択をすることは自分自身を裏切るということでもあり、日常生活の中ではたくさんあると思うんです。

スニムを選ばなかったということは、ヨンホの人生にとっては最も愚かな選択だったのですけれども、人の人生というのは、愚かな選択とアイロニーに満ちているのではないでしょうか。そういったこともいろんな多くの人に気づいてほしいなと思いましたので、ああいう設定をしたわけなんですけれども、ヨンホがスニムを選ばなかったというのは、本当に愚かであり最も彼の人生において残念な選択だったのではないかと思います」(シネマコリア インタビュー/筆者段落構成)


確かに、イ・チャンドン監督の言うように、意志的選択を誤った彼の愚かさを認知するのは当然であろう。

私は、このような愚かさを「脆弱性」と呼んでいる。

「絶対経験」の果ての自壊
だからと言って、一つの由々しき経験が、その後の人生を決定付ける流れ方が存在することを否定できないのである。

前述した、「絶対経験」という概念が包含するものがそれである。



3  そこにしか辿り着かないような、破滅的傾向を顕在化させた自壊への航跡



また、イ・チャンドン監督は、他のインタビューでこうも語っている。

「描きたかったのは、個人の内面だ。自己の意思と係わらない、自分ではどうすることもできないところで起きた事件に対して、人がどう係わることができるか、そしてどう変わっていくのかということを描きたかった」(’99アジアフィルムフェスティバル『ペパーミント・キャンディ』ティーチ・イン)

正直言えば、公開まもない頃のビデオで観た私の印象は、本作が「政治批判の映画」であるという把握を持っていた。

追い詰められた果ての自死の3日前
しかし今回、丁寧に観直すに及んで、この映画の基本モチーフが、イ・チャンドン監督の言う通りに、「個人の内面」の追求であるということが実感できた次第である。

確かに本作は、意志的選択を誤った男の愚かさを描いたものであるに違いない。

但し、「事件」にインボルブされた彼の行動に限って言えば、その意志的選択の否定において、政治批判の余地のあるテーマ性を内包していることだけは否定できないだろう。

然るにその辺りを、キム・ヨンホの心理に即して考えるとき、彼の破綻の人生の有りようがとても感受できるのだ。

キム・ヨンホが、なぜ、スニムとの恋を実らせる努力に向かわなかったのか。

なぜ彼が、彼女も驚くような警察官になったのか。

私は彼の自我のうちに、「物語の変容」を内的に要請する強いモチーフがあったとしか思えないのである。

権力機関に身を預けることで、キム・ヨンホは、忌まわしい「事件」を相対化しようと図ったのではないか。

そのような状況下において、彼の行動には自罰・他罰的傾向が顕著になるのである。

新任刑事が労働組合員への拷問を重ねたり、或いは、わざわざ自分に会いに来たスニムの訪問を拒絶する行動は、彼の自罰的傾向の現れであると見ていいだろう。(「1984年秋」)

ヨンホの「スニムの拒絶」
とりわけ、スニムの訪問を拒絶する彼の心理は、「事件」との関連抜きに考えられないのだ。

学生運動家を拷問する「1987年春 告白」の章ににおいて、スニムの出身地に赴いたヨンホの心を激しく揺動させるほど、スニムへの「想い」を一貫して継続させながら、その「想い」を封印したのは、「女子高生を誤殺した弾圧者」という自己像が彼の自我に深々と張り付いていたからである。

この自己像が、彼を「スニムの拒絶」に追い立てていったのだ。

まさに、彼の中の自罰的傾向が、それ以外の対応を擯斥(ひんせき)させたのである。

彼の中で、「物語の変容」は成就しなかったのだ。

更に、尋問という名の拷問に象徴される彼の他罰的傾向は、刑事生活の権力関係の尖りの中で、看過し難いほどの爛れ方を露呈していった。

彼は学生運動家を徹底的に甚振り、水責めにすることをも躊躇わなかった。

やがて警察官を辞めて、事業家になり、そこで経済的成功を収めることで、この国の近代化の歩みに合わせるように、一定の社会的地位を確保するが(「1994年夏 人生は美しい」)、彼のどこか投げやり的な行動傾向に起因して、妻のホンジャの不倫と離婚など、結局、人生を頓挫させていくに至るその航跡を俯瞰するとき、そこにしか辿り着かないような破滅的傾向を顕在化させた男の自壊を決定付けてしまったのである。

確かに、イ・チャンドン監督の言うように、そこには「最も愚かな選択」の行動傾向が垣間見られるが、男の自我の奥深くに封印させてある由々しき「事件」の消し難い記憶が、常に男の自罰・他罰的傾向を露わにさせてしまっていた。  

自壊した「甘美なる至福の青春」
そして、一切を失った男の人生の果てに待っていたもの ―― それは、それまで噴き上げてきた他罰的感情が、既にその自給熱量を蕩尽させた男の内側で、唯一生き残されていた自罰的感情が極点に達したとき、ペパーミント・キャンディに象徴される、「甘美なる至福の青春」を映し出したラストシーンの時間に円環的に戻り得ない、ファーストシーンにおける自己破壊の絶望的世界のうちに、男はその身を預け入れるに至ったのである。



4  「脆弱性」という最も厄介な問題に絡みつかれて



本作の中で、最も重要だと思える男の言葉がある。

それは、スニムが重篤の病床にあって、その夫が、妻の見舞いを頼みに来たときのキム・ヨンホの言葉である。

「なけなしの金、はたいてこれを買った。誰か一人殺そうと。独り死ぬのは悔しい。誰か一人、道連れだ。俺の人生をぶち壊した一人をな。だけど、一体誰を。そこが問題だ。一人だけ選ぶのは恐ろしく難しい。俺の金を紙屑にした、あの株屋か?暴利を貪ったサラ金の吸血鬼野郎か!共同事業を持ちかけ、金を持ち逃げした友人か!それとも、別れた女房と娘を道連れに?俺の人生をぶち壊した人間は多過ぎて、一人選ぶのは無理だ」

「これ」とは、拳銃のこと。

その拳銃を手に取って、自分の人生を破綻させた「第3者」を特定したいが、特定できない惨めさを、キム・ヨンホは嘆くのだ。

ヨンホのあばら家で待つ、初めて会うスニムの夫に、彼は自壊に向かう自分の思いを、途中から嗚咽交じりの叫びを刻んだ。

恐らく、この辺りにイ・チャンドン監督の中枢的なメッセージが含まれているのだろう。

要するに監督は、一切は自分の選択した責任の問題であるにも関わらず、何もかも他者のせいにする男の愚かさを指弾したいのである。

即ち、列車への自爆の直前のキム・ヨンホの、殆ど壊れ切った心象世界がそこにあった。(「1999年春 3日前」)

「事件」のトラウマを、男は遂に克服できなかった。

「絶対経験」となった光州事件
限りなく「絶対経験」に近い何かとして、「事件」は男の自我に深々と絡みつき、終生、男を捕捉してしまったのである。

無論、男の人生に同情すべきなにものもない。

男はただ脆弱であっただけだ。

しかし何より、由々しきことに、その「脆弱性」こそ、私たちにとって最も厄介な問題であるのだ。



5  表現技巧を活用するに相応しい物語、映像作家、そして俳優




本稿の最後に、主人公の20年間に及ぶ人生の出来事を、時間軸を現在から過去に向かって遡って描いていく物語設定を構築した意味について、イ・チャンドン監督が説明しているFAQの一部があるので、それを掲載する。

「Q/普通の映画と違い、帰納法というか、終わりから始めにさかのぼるという形をとっているが、そのねらいは。

A/時間の経過に沿って描く、というのが普通の描き方だが、その慣習を、打ち破ってみたかった。そして、時間をさかのぼるということで、時間というものの持つ意味を観客に示してみたかった。

イ・チャンドン監督
人が生きていく過程において、無意識に目に見えない時間が過ぎていくが、普段はその意味をよく考えていない。だがもし結果を先に知ってしまったら、それは神かもしれないが、人生というのはアイロニーに満ちたものになる。

例えば一人の人間が犬をけって虐待した時に、あとで、落ちぶれた時に自分を迎えてくれるのは犬だけだったということになるのも、結果が先なら気づかないことだと思う。そういう人生において流れる時間を示し、考えてほしかった」(’99アジアフィルムフェスティバル『ペパーミント・キャンディ』ティーチ・イン/筆者段落構成)


繰り返し使えない表現技巧を活用するに相応しい物語があって、その物語を見事に演出する映像作家がいて、その物語を見事に演じ切った俳優がいた。

このアンサンブル効果において成就した映画があった。

勝負を制した映像は、そこに一つの歴史を刻んだのである。

(2010年11月)

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