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2008年12月17日水曜日

ミッドナイト・エクスプレス('78)   アラン・パーカー


<「絶対敵対者」を作らざるを得ない社会派映画の過剰さ> 



序  文化を異にする者の偏見的主観が張り付いて



青春の盛りを少し越えた頃、本作を最寄りの名画館で初めて観たときの私の衝撃と興奮は、今でも忘れられない鮮烈な記憶として残っている。

全く予備知識なしで本作を観たこともあって、そこで展開される物語の重苦しく、リアルな描写に吸い込まれていって、映画が終って場内が明るくなっても、満員の席のそのほんの一角だけが催眠術をかけられたように固まってしまっていた。

固まったのは、時代の尖った動きに未だ鋭敏に反応しやすかった私の自我であった。

暫くその席を立てなくなるほどの苛烈な感情のうねりが、私の中に渦巻いていて、自分の心を鎮めるのに一苦労した記憶がある。

かつて私は、このような経験をしたことが殆どなかったので、余計、自分の中の感情の整理に困惑してしまったのである。

恐らく、そのときの私の精神状況と、その映画が私に無言で訴えてくるメッセージのようなものが見事に嵌ってしまったのだろう。

爾来、この映画を何度か観直したが、その度に初見時の滾(たぎ)るような感情を覚えることはなかったが、冷静に観賞し得る視点を確保できた分だけ、映像に幾重にも層化された情緒的なフィルターが削られて、却ってメッセージの内奥に潜む様々な問題性が、自分なりに透けてみることが可能となった。

やはりシビアな映画と真剣に付き合うには、それを繰り返し観ることの必要性を、今更ながら感じた次第である。

その作り手は、アラン・パーカー。

声高で、凄腕の表現で映像を圧倒する迫力は、いかにも社会派的な骨太の根性を見せつけて止まない映像作家。

声高の映像作家を好まない私の中で、どうやらアラン・パーカーだけは特別な存在のようであるが、本作に限っては、かなり文句の付けたい点があった。それは後述する。

「ミッドナイト・エクスプレス」

この極めて刺激的な映像は、単に自由を求める若者の苛烈な自我の記録に留まることなく、簡単に相手を理解し得ない異文化の身体と感性が、違法行為という形で劇的に遭遇したときの、その不安と緊張と確執をリアルな筆致で、印象的なまでに鮮烈に描き出した一篇だった。

本作は、主人公のアメリカ青年の手記をベースに映像化した作品であり、その原作と照合する限り、本作は一定程度実話に即しているが、しかし、それはどこまでも一篇の映像作品であるという把握を、ここでも失ってはならないだろう。

オリバー・ストーン
なぜなら、そこで描かれた異文化の了解性の困難さは、あくまでも原作者の主観の世界を反映したものであり、そこに文化を異にする者の偏見的主観が張り付いていて、更に、その手記を基にした脚本(オリバー・ストーン)と、その脚本を映像化した作り手(アラン・パーカー)の主観が多分に包含されていることを把握した上で、観る者はそれを一篇の映像作品として対峙し、批評していかねばならないことは論を待つまでもない。


―― 以上の視座を踏まえた上で、そのあまりに重苦しいまでの実録物語を詳細に追っていく。



1  深夜特急



「1970年10月6日、トルコのイスタンブールで起きた」

この冒頭の字幕の背景に、イスタンブールのエキゾチックな風景が映し出された後、一人の青年が、その体に禁制の麻薬をアルミ箔に包んで、それを幾つもテープで体に巻きつけている。

青年はイスタンブール空港のトイレで呼吸を整えた後、税関でパスポートと所持品の検問を受け、バッグの中から“フリスビー”を取り出されて説明を求められたが、他の税官吏の説明によって無事通過した。

青年の額から汗が滲んでいたが、税官吏には特に不信を持たれることなく最終関門を突破したと考えた。

ところが、機体に向うバスから降ろされて、飛行機の前に待機していた空港警察官のボディチェックを受けることになった。

その結果、青年は爆弾犯と間違えられ、一斉に銃口を向けられ、空港に一瞬、緊張が走った。

しかし、爆弾と思われたものの正体は、ハシシ(大麻の一種)だった。

「ハシシの運び屋だ!」

警官のその一言で周囲の緊張が解け、一転して哄笑の渦。

だが、その空気に置き去りにされたかのような、青年の緊張だけが沸点に達していた。

青年は即座に取り調べられ、身元も判明した。

その名はビリー・ヘイズ。アメリカ人である。

裸にされたビリーは、自分が理解できない異国語の洪水の中で写真を撮られ、まもなく、上官の本格的な取調を受けることになった。

その取り調べの立会いに英語を話す男が同席して、通訳する。

取り調べ後、ビリーはその男から、麻薬についての特殊な状況を耳にする。

「時期が悪かったな、ビリー。ゲリラの爆破事件が増えた。4日で4機やられた。君らはあまり新聞を読まんだろうが、トルコは今、ヘロインの密輸で非難を受けている」
「ヘロインはやらん」とビリー。
「どの麻薬も、麻薬に変わりはない」
「やったのは今度が初めてで、たったの2キロだ」
「当局には、2キロも200キロも同じさ。政府は汚名挽回に必死だ」
「あんた領事館の人?」
「まあね」
「俺は売人じゃない」
「どうかな。家族はいるか?」
「両親に弟に妹だ」
「悲しむぞ。ガールフレンドは?」 
「いる。飛行機に乗った。何も知らんし、知られたくもない」

そんな会話の後で、男はビリーを一軒の酒場のような場所に連れて行って、世俗の賑わいの中の一隅に座らせた。

しかし男に連れられたその酒場は、麻薬の密売の取引場所だった。ビリーはそこで、麻薬の売人の検挙に協力させられたのである。



何か危険な空気を感じとったビリーは、そこを脱走した。

イスタンブールの町(ウィキ)
彼はイスタンブールの町を必死に逃げ回るが、男に呆気なく逮捕されることになった。


サグマルチラー刑務所。

そこが、ビリーが移送された場所だった。

“母さん、父さん。初めてこんな辛い手紙を書いた。すぐに出られれば、知らせずに済んだけど、それもダメになった。先のことは分らないので何も言えない。ごめんなさいと謝っても、取り返しはつかない。許してくれ。お願い”

これがアメリカの両親に宛てて、ビリーが書いた最初の手紙。

彼はそこで頭を刈り取られ、冷たい監房に拘置されたのである。

やがて、ビリーは寒さのため毛布を盗み出すが、それが発覚して、大男の看守長が彼の前に立ち塞がった。

「サグマルチラー刑務所へよく来た。色々教えてやる。簡単だ」
「毛布が欲しかったんだ」

ビリーがそう弁明するや否や、看守の鉄拳がビリーの顔面を殴打し、足で蹴り上げていく。素っ裸にされたビリーは、看守の容赦のない暴力の餌食になって倒れ込んだ。

まもなく、冷たいコンクリの要塞の下で倒れているビリーを、監房で知り合った二人のアメリカ人、ジミーとエリックが救い出し、介抱した。

「我慢して歩かねえと、ひどく腫れるぞ」とエリック
「頭がイカれているのか?」とビリー。
「皆イカれてるさ。ハシシで痛みを消しな」
「何日も譫言(うわごと)ばかり言ってたぞ」

信じ難い監房の世界の現実に、ビリーは震え慄くばかりだった。

そんな中でのアメリカ人との出会いは、ビリーの重い気持ちを幾分軽くしていった。回教寺院から蝋燭(ろうそく)台を2個盗んだだけで監房に収容されるジミーと、ハシシの所持の罪で収容されているエリック。

そのエリックの話によると、外国人の90%はハシシで収容されていると言う。

そのエリックの刑期が12年と聞いて、ビリーは驚愕する。そのエリックに、「高くても良い弁護士を頼め」と言われ、その周旋人として英国人のマックスを紹介され、二人は7年の刑を受けている当人のもとを訪れた。

「このトルコに、まともな弁護士はおらんよ」

マックスはそう言いながらも、一人のフランス人を釈放した弁護士である、イエシルの名を告げた後、言い添えた。

「一番いいのは、ここを出ることさ。やればできる」
「どうやって?」とビリー。
「深夜特急(ミッドナイト・エクスプレス)だよ」とマックス。
「何だ、それ?」と尋ねるビリーに、マックスは明言した。
「列車じゃない。刑務所用語でな。脱獄さ」

驚くビリーに、マックスは「だが、ここは止まらん」と加えることを忘れなかった。



2  ビリーの法廷



ビリーと父
やがてビリーのもとに、アメリカの父が訪ねて来た。

「ごめんよ、父さん」
「もういい。そのうちぶん殴る。早くここを出んとな。服をイスタンブールで買ってきた。法廷ではきちんとせんとな」

ビリーの父は、随行してきたアメリカ人領事ダニエルスと、マックスが教えてくれた弁護士のイエシルを息子に紹介した。

二人は、ビリーの早期の出所を約束してくれたのである。

父は元気に装う息子に、イスタンブールの食事の酷さを軽い口調でぼやいた後、本人にずばりと問いかけた。

「ビリー、なぜやったんだ?我々が酒を飲みように、若い者はアレを吸う。だが、アレを国外に持ち出すのは愚の骨頂だ」
「分ってる。出してね」
「約束するよ。おとなしくしてろ。ダニエルスさんや、イエシルさんがいる。必ず出してやるさ。ビリー、いいな」

ビリーは、このときだけは確信的に頷いた。

まもなく、ビリーの法廷が開かれた。

「世界に注目されるトルコは、全世界へのヘロイン提供者のように看做され、各国の新聞はもとより、テレビで報道されています。裁判長。このような誤ったイメージを変えねば我々は孤立し、全人類から追放されかねないでしょう。この印象を変えるには、わが国の麻薬密売者に厳罰を加えると同時に、トルコの文化を害する不法外国人に対し、今まで以上に厳しく処罰することを要求します。今すぐ、このアメリカ人に密輸罪の最高刑を宣告し、全世界にトルコの正義と麻薬撲滅の意図があることを示すべきです。改めて法廷に要求します。ウィリアム・ヘイズには終身刑が当然と思います。以上です」

強い弾劾口調で、担当検事はその明快な論旨をもって論告求刑した。

スーツ姿で法廷に臨んだビリーの表情は、緊張に引き攣(つ)っていた。彼には異国の言語が理解できなかったが、その検事の口調の厳しさに不安を募らせていたのである。

彼はイエシル弁護士に問いかけた。 

「検事は何だって?」

それに対して、弁護士は明らかに方便を使って、巧みに交わした。

「技術的なことを言っただけだ。我々は勝つ。君の供述が良かった。判事も気に入ってた」


まもなく判事によって、判決が言い渡された。

「被告はハシシの不法所持により、有罪と決定した。本法廷は、ウィリアム・ヘイズに対し、サグマルチラー刑務所での服役を判決する。刑期は4年2ヶ月。では閉廷する」

この判決に対して検事は異議を唱えたが、判事は取り合わなかった。弁護士は隣のビリーの父に、「4年2ヶ月なら上出来だ」と英語で判決の内容を告げた。

「4年?」と驚く父。
「上告するから大丈夫。模範囚になれば、1年は減刑される。罪状は不法所持だけだ。検事の求刑は終身刑だし、大変な違いだ。ヘイズさん、正直なところ、これは我々の勝ちだ」

イエシル弁護士は、理性を失うビリーの父を必死にフォローした。

判決の内容を知らないビリーは、そのまま身柄を拘束されて連行される現実に、ただ当惑するばかりだった。彼はすぐにでも保釈になって、自分の身が自由になることを信じていたのである。

その後、理性を取り戻した父は、意気消沈する息子を励ました。

「この先うまくいけば、1年減る。それから上告だ。それに、ダニエルスとイエシルが援助してくれる。アメリカの刑務所に移すつもりだ。ダニエルスの話だと、近く政治的な恩赦があるあらしい・・・ビリー、辛いのは分るが、必ず出してやる。約束するが、お前も決してバカな真似をするな。判決を変えるんだ。銀行に500ドル入れておく。必要なときは手紙に書け・・・」

ビリーの父はその後、刑務所で必要となる品を取り出して、息子に心の用意をさせようとするが、眼の前で消沈するだけの息子を見て、怒りを露わにした。その怒りは、何もできない自分自身にも向けられていた。

「わしは30年も保険の仕事をしてきたのに、息子も助けられん。何てこった!ビリー、できることなら、代わってやりたい」
「愛してるよ、父さん・・・」

ビリーには、それ以外の反応を示せなかったのである。息子の手を握って涙ぐむ父は、やがて看守に連行されて行く息子を見つめるしかなかった。

「息子を大事にせんと、首を叩き切るぞ!クソ野郎!」

父は大男の看守に向って、その感情を吐き出した。



3  サグマルチラー刑務所



“スーザン、とうとう1971年になった。ここでは明日のことも分らん。知らぬ間に消え去るような別世界だ。孤独が全身をひどく苦しめることに気づいた。体の一部分だけではない・・・”

アメリカで待つ恋人に出した、ビリーの初めての手紙。

“トルコ人の口癖はシューラ・プーラ。「適当にやれ」という意味だ。先が分らんから。外国人は不潔なものと思っている。ここでホモは重犯罪だ。だが、盛んにやっている。不潔なことは数え切れない。例えば、相手を襲うのは下半身で、上半身は殺意と看做される。だから必ず尻を刺す。これがトルコ式復讐だ。ここでは、誰も彼も頭がイカれている。この間、小学生がレイプされ、4人の札付きが捕まった”

それを、監房で目撃するビリー。

彼の眼前で展開された光景は、その4人の「札付き」の少年たちの足の裏を、小学生の親と思える男が太い棍棒で強く折檻している姿だった。

男は二人の息子に、「いいか、悪い事をすると、ああなるんだぞ」と言い放った。

この男こそ、当刑務所の副所長だったのである。

ビリーと関わった仲間の中で、刑務所生活に限界を訴えた最初の男はジミーだった。

彼はビリーとマックスに脱獄の計画を打ち明けたが、麻薬漬けのマックスは全く反応せず、ビリーもその無謀な計画に乗らなかった。彼はあと二十ヶ月もすれば釈放されるという希望を捨てたくなかったのだ。

結局、ジミーの計画は看守たちの知るところとなり、彼は厳しい拷問を受けることになった。

スーザンに書いた手紙によると、ジミーは拷問が原因でヘルニアになり、睾丸を失って、今は療養所に入っているとのこと。

“それに比べれば、俺の問題など小さい。しかし、あれから2年半もの間、トルコ人は俺の首を絞め続けている”(手紙より)


1974年6月。

ビリーの唯一の相棒であったエリックは、一足先に刑期を終えて釈放された。代わって療養所から、ジミーが健康回復して戻って来た。

丁度そのとき、刑務所に領事のダニエルスがビリーを訪ねて来た。

あと釈放まで53日を残しての訪問に、ビリーの表情は輝いていた。領事が即時釈放の報告をするために、自分を訪ねて来たと考えたからだ。

ところが、領事の表情から明朗さが見えないことを確認したとき、ビリーは彼の来訪が好ましくない情報をもたらすものであることを予感したのだ。

「言いづらいが、悪い知らせだ」
「親父かい?お袋か?」
「違う。裁判のやり直しだ」
「何だって?」
「不法所持に不満な検事に、密輸で再審することを最高裁が認めた。前例にするのが狙いだ。君は生贄だ」
「それで?」
「今までの判決は取り消すと言ってきた。最高裁の35人の検事のうち、28人の投票は終身刑だ。イスタンブール地裁は従わざるを得ん。判事は君に好意的だ。お父さんには・・・」
「なぜだ!終身刑?なぜ終身刑だ!訳を言え!あと53日なのに!」

領事の信じ難い報告に、ビリーは感情を爆発させた。

領事の首を絞め、繰り返し詰るのみ。すかさず、大男の刑務所長に身体を拘束され、ビリーは監房に連れ戻されたのである。

まもなく最高裁の法廷で、ビリーは虚しく自分の思いをぶつけていく。

「判決は終ってから勝手に下せ。まず聞くが、何の罪だ?罰とは何だ?変わるらしいな。時や場所によって。今日は合法でも、明日は突然違法になる。特殊な社会だからだ。そして昨日の違法が、突然合法になる。しかしだからと言って、全員の投獄は出来ない。正しいか、間違いかより、それがここの現実だ。俺の人生のうち、3年半の年月をここの刑務所で過ごした。犯した罪は償ったと思う。だが今日の判決で、刑期が延長されても・・・俺の優秀な弁護士はこう言う。“ビリー、腹を立てるな。冷静になれ”と。“素直にしてれば恩赦もあるし、上告もできる”と。この3年半、それを言い続けた。俺は彼の言うことを聞き、その通りにした。だがそれにも厭きた。今までの判決通りなら、残りの刑期は53日だ。俺に53日をチラつかせたのは、あんたらだ。それを突然取り上げる奴がいる。そこの男だ!ここに立って、今の俺の気持ちをたっぷり味わうがいい!」

ビリーは担当検事を指差して、叫び上げた。彼の怒りは終らない。

「今まで知らなかったことが色々分るぜ、検事さん。慈悲。分るか?どんな社会にも必要なのは慈悲の心であり、公平の精神と正義だ。あんたにはトイレで熊にクソをさせるのと同じだが・・・豚ばかりいる国で、なぜ豚を食わん?キリストは悪人を許したが、俺は許せん。俺は憎む、あんたらを!あんたらの国を!あんたらの国民を!あんたらの息子も娘もみんな豚だ!豚だ!お前ら全部・・・」

ビリーの虚しい絶叫は、閉じていった。その後、通訳により判決が言い渡された。

「最高裁の命により、ウィリアム・ヘイズはサグラムチラー刑務所にて、30年の懲役刑に処す」

ビリー・ヘイズは殆んど終身刑に均しい刑罰を受けて、刑務所に引き続き拘束されることになった。

彼にとってもはや、刑務所からの脱獄しか自由になる手段が残っていなかったのである。


彼はマックスやジミーと共謀し、脱走計画を練って、その遂行に邁進していく。

監房のコンクリのブロックを取り外し、脱走路を確保しようとしたが、それも看守の知るところとなり、呆気なく頓挫してしまった。

その後に待つのは、看守長主導による苛酷なペナルティだった。脱走の前歴があったジミーが特定され、看守長に連行されて行ったのである。

彼らの計画を密告したのは、彼らの直接の世話をする見張り役のトルコ人、リフキだった。囚人でもあるリフキに恨みを持つマックスとビリーは、彼が隠し持っていた有り金全てを盗み取ったのである。

一つの小さな復讐が果たされたが、しかし二人は、一人で罪を被ったジミーの状況を知って胸を痛めた。

ジミーは苛酷な拷問の結果、ヘルニアが酷くなり、町の病院へ送られたということだった。彼は最後まで口を割らなかったのである。

ところが、収容所内でハシシが発見され、囚人全員が一同に集められ、マックスに恨みを持つリフキの密告で、マックスが看守長に指弾されることになった。今度は、マックスが犠牲になったのである。

怒り狂ったビリーは、リフキに飛びかかり、激しく暴行を繰り返した。

リフキの眼を抉り、その舌を噛み切ったのである。

その結果、ビリーは当然の如く激しい拷問を受け、遂に「精神異常者専用地区」に収監されることになった。



4  精神異常者専用地区



7ヵ月後。1975年1月である。

そこでは、陶酔気分で歌う者、弦楽器を奏でる者、下を向いてずっと俯(うつむ)いている者、叫んでいる者、だらしなく階段を昇る者、サークルのラインを作って、地下の巨大な柱を回って信仰の言葉を繋いでいく者、様々だった。

マックスもその一種異様な空間内にあって、叫びを上げて何やら呻いていた。

そしてビリーは、その狂気の渦の中に埋もれまいと、懸命に自我を守っているように見えた。

恋人のスーザンが、アメリカからビリーに面会に来たのは、まさにそんな時だった。

「ビリー、皆元気よ。バックレー議員が助命運動を始めたわ。あなたはアメリカとトルコ外交の犠牲者よ。手紙も来てるわ。励ましの・・・」

ビリーは訳の分らないことを喋って、スーザンから確認を求められた。

「脱いで。脱いでくれ」とビリー。泣きそうな声で訴えた。
「ダメよ、ここじゃ」
「脱いでくれ。お願いだ」

スーザンは泣きながら上半身を裸になって、そのバストをビリーに露出した。ビリーはガラス越しに恋人を抱擁し、何やら呟いている。

「好きにさせてあげたいけど、できない・・・」
「スーザン・・・」とビリー。殆んど泣いている。
「何?」
「愛してる・・・愛してる」

スーザンとビリー
泣き崩れていくビリーを見て、スーザンは別れ際に、心から叫ぶようにその思いをストレートに刻んだ。

「もう限界よ。これ以上いたら、死ぬわ。どんなことがあっても頑張ってね。ここから出るのよ」


一人になったビリーは、地下の巨大な柱の周りを右廻りするトルコの人々の宗教的習慣に逆らって、一人だけそこを左回りしている。

右回りする人々の制止を振り切って、彼は精神病棟での秩序を無視するかのような態度を明瞭にしていくのだ。

ビリーは今、確信的に生きる者のように、その態度を鮮明にしていった。

彼は、病棟の一画で殆んど自我を崩されているマックスのもとに近づいて、小声でその思いを伝えたのである。

「マックス、俺は行くぞ。お別れを言いに来たんだ。ここにいたら俺は死ぬ。お前もだ。だが死ぬなよ。いいな、死ぬんじゃない。必ず助けに来る。約束だ。俺のためにも頑張れよ」

マックスはその言葉に充分反応できないでいた。

その直後、ビリーのたった一人の脱出行が開かれたのである。彼はもう後戻りできなかったのだ。

その第一関門は、所長の存在を突き抜けていくことだった。ビリーは所長に話があると言って、彼に近づいた。

「所長、お願いがある。金はこの通りだ。ここに100ドルある。これで病院へ入れてくれ。病院へ入りたい」

所長はトルコ語を話すが、どうやら商談が成立したようだった。

彼はビリーの金を受け取って、それを胸のポケットに押し込んだ。そしてビリーを連れて、病棟の鉄扉の鍵を開けて、そこを出て行った。

ところが、所長が連れて行った先は病院ではなく、精神病棟の一画にある薄明かりの差す広い部屋だった。

所長はビリーを押し倒して、言い放った。

「お前は新入りじゃない。いいか、ここで発狂するんだ」

所長はそういうや否や、ビリーを蹴飛ばし、踏みつけた。

「今から可愛がってやる、へイズ!」

所長は怯えるビリーの前で、ズボンのチャックを下ろし、脱ぎかけた。

その瞬間しかなかった。
ビリーは、所長に向って体当たりしたのだ。

所長は運悪く、塀の周りを張り巡る金具の突起に後頭部を突き刺して、即死した。

それを暫く見つめていたビリーは、所長のベルトから拳銃を抜き取って、そのまま脱出行に向って行った。

ビリーは看守の服に着替えて、彼を特定できない他の看守から鍵を受け取って、外に通じる病棟の扉を開け、そのまま戸外に脱出したのである。

脱出した喜びを、ビリーは全身を自由な空気に高々と跳躍することで表現した。


“1975年10月4日の夜、ビリーはギリシャに入り、3週間後、ケネディ空港に着いた。1978年5月18日、この映画はカンヌ映画祭で公開され、その43日後、米国とトルコは囚人交換の協定を結んだ”

これが、本作の最後のキャプション。

映像は、帰国を果たしたビリーが、両親や恋人と抱擁する場面を映し出して、閉じていった。


*       *       *       *




5  映像世界の虚構性



本作に言及する前に、少なくとも、そこで描かれた映像世界の虚構性について触れておかねばならないだろう。

本作におけるビリーの行動のラジカルな描写は原作にはなく、とりわけリフキへの暴行や、ラストシーンの所長殺害、更にその脱走行の綺麗過ぎる描写については全て虚構である。

と言うより、実際の脱出の方が遥かに困難を極めていて、小舟に乗って対岸に渡るという命懸けのアクションだったらしい。他にも幾つかの点で事実と乖離する描写があったが、しかし本筋では、一定程度の実話性を保証していたのは事実である。

然るに冒頭でも書いたが、それがどれほどの実話性を保証するものであるか否かという点に拘泥することは、殆んどナンセンスである。

それが確信犯罪的なプロパガンダ・ムービーならともかく、そこまでの事実の歪曲が顕著に見られない限り、それをどこまでも一篇の映像作品として対峙し、批評していかねばならないということであって、それ以外ではないのだ。だから私も、そのような把握を持って言及していく。

さて本作を批評するとき、作り手がどのような意図を含んで表現したかについては定かではないが、少なくとも、私は二点の視座によって本作を切り取っていきたいと考えている。

その一つは、自分が置かれた状況を理不尽なものであると捉えた若い自我が、その苛烈な状況を自力突破することで、自分が本来手に入れるべきはずの普通の自由を奪回するという基幹的なストーリー・ラインである。

そしてもう一つは、そのような状況に囲繞された自我が、その武装形態である身体が張り巡らした感覚を介して圧倒的に侵入してくる、言ってみれば、極めつけの「異文化摩擦」の、その際立って尖った反応の様態であるという視座である。



6  自立的な状況突破



―― それぞれ言及していこう。

まず、第一の点。

「自立的な状況突破」の問題である。

この点に言及するには、主人公の自我が明らかに自分が蒙った事態を、人権無視の劣悪な状況であると捉えていたことを了解しておく必要がある。

青年には自分の犯した行為の違法性の認識はあったが、しかしそれは、保釈金で解決できるレベルの犯罪のカテゴリーを逸脱していないと考えていたように見える。

逮捕から拘置に至るまでの青年の緊張感は、後述するカルチャー・ショックの心理状況と脈絡する何かであったに違いない。

ところが、法廷で下された判決の内実は、青年の認識の甘さを砕くのに充分すぎるほどの苛酷な処分であった。

興味深いのは、当法廷での担当検事の論告求刑の内容の厳しさである。

検事はヘロイン供給国と看做される国家の屈辱を訴えて、その尊厳を守るために、不法外国人に対して最大限の鉄槌を下すべく、青年に終身刑を求刑したのである。従って、そこで下された4年の服役刑の軽微さを、検事は弾劾することさえ躊躇(ためら)わなかった。

正義を信じて止まないこの検事の振舞いは、その判決内容に対してさえ不満を持つビリー父子との、決定的な意識の落差を際立たせる描写だった。

そこに国際政治の複雑な問題が絡んでいたにせよ、「息子を助けられない」と嘆く父の怒りが、息子に対してよりも、その息子の身柄を拘束する刑務所の所長に向けられていたという事実の中に、既に「異文化摩擦」の負性なる尖りが露呈されていたと言えるだろう。

結果的に、青年は服役生活を受容せざるを得なかった。

彼にとって唯一の目的は、4年の歳月を耐えること以外になかったのである。そして、青年は1年の減刑の期待もあって、その期間を耐え抜いた。

その間、刑務所で友人となったアメリカ青年の脱獄の無謀な計画にも参加せず、ひたすら時間の消化のみに全エネルギーを集中させていく。

結局、1年の減刑は実現できなかったが、それでも、あと53日すれば釈放されるという希望の只中で、青年の再審が決定されたのである。

再審と言っても、冤罪を晴らすための裁判の開始ではない。服役生活終了直前での、裁判のやり直しなのだ。これは例の正義派検事の、国家の威信を賭けたアクションによって為されたものだった。

当然そこには、対米関係を悪化させていたトルコ政府の思惑も絡んでいる。

青年はそんな国際政治のスケープ・ゴートになったという把握の下で、この決定的な局面での描写を、明らかに作り手は刻んでいる。

その真偽の程は断定しかねるが、少なくとも青年の再審と、それによる30年の服役刑の決定という事実は理不尽極まるものだった。当然、誰でもそう考えるし、青年もまたその理不尽さを、そこに自分を守る誰もいない法廷で、英語の分らぬ検事や判事に向って虚しく弾劾した。

その舌鋒は鋭かった。

「今日は合法でも、明日は突然違法になる。特殊な社会だからだ。そして昨日の違法が、突然合法になる。しかしだからと言って、全員の投獄は出来ない。正しいか、間違いかより、それがここの現実だ」

青年は長広舌を振るった後、最後に自分の中で溜まっていた感情を爆発させたのである。

「俺は憎む、あんたらを!あんたらの国を!あんたらの国民を!あんたらの息子も娘もみんな豚だ!豚だ!お前ら全部・・・」

しかし、この英語を理解できない多くの敵対者の中で、青年は孤立するしかなかった。彼は精神的に極まってしまったのである。

もはや、青年にとって残された手段は、「深夜特急」に乗る以外になかった。

そして彼は、既に、単身で「特急」に乗ることにしくじってヘルニアになった獄友と謀って、本気で「深夜特急」に乗るために房内のコンクリを砕いていくが、それにも挫折した。

挫折の後に待っていたのは、獄友の病院送りの事態と、彼を密告したトルコ人の囚人への暴力的復讐だった。

リフキと呼ばれるトルコ人の眼を抉り、その舌を噛み切る凄惨なシーンは、当然の如く映像上の創作だが、そこに至る感情の激流は心理的必然性を保証するものであるが故に、観る者の心情に訴える効果的な描写であると言えようか。

但し、その苛烈な描写が内包する「理不尽なるものへ異議申し立て」の身体言語は、壮年期を迎えた者が受容するにはあまりに過剰であり過ぎた。

その7ヵ月後、遂に青年は精神病棟に送り込まれてしまった。

その辺の描写は原作と多くの点で異なっているが、あくまでも、私たちは映像のラインでフォローしていかねばならない。

青年は病棟の中で、それまでの描写でしばしば垣間見せた、柔和な表情を完全に捨て切っている。

壮絶ですらあった。しかしその壮絶さは、その異様な環境に置かれた中で感情を置き去りにした他の囚人たちのそれと、殆んど確信的に切れていた。

青年の自我は、それ以外にないという潜り方によって、今にも壊れそうな自我を必死に繋いでいたのである。この辺りの描写は蓋(けだ)し圧巻だった。

本作は、極限状況に置かれてもなお、何とか崩されまいと必死に喘ぐ、その魂の揺動のさまを描いた一篇でもあったということだ。

そして、恋人との面会の描写。

恋人の前で泣き崩れる青年の呻きは、まさしく青年の自我が崩壊のさまを呈していないことの証明でもあったのだ。

更に青年は、恋人の乳房をガラス越しに貪って、自慰行為にすら耽った。この行為が示すものもまた、青年に人間の本来的な感情が健全に維持されていたことの検証以外の何ものでもない。この描写をおぞましく観る者がいたとすれば、それは人間性の表現様態を恐ろしく理念系の枠内で把握することを晒すものになるだろう。

まさにこのエピソードこそ、青年の人格性を素朴なほどストレートに表現した極めつけの描写であった。

青年の自我は部分的な崩落を見せつつあったが、そ芯のの部分で削り取られていなかったのである。

そして恋人との再会が、青年の自我をより武装化し、より確信的なものに変えていった。

「自分はここにいたら死んでしまう」

青年がそう確信したとき、決死の脱出行に向って走り出したのである。

恋人が青年の救済運動が母国で始まっていると告げたが、青年には既に、他者の政治的な駆け引きに利用される甘さとはすっかり切れていた。

自力突破。

青年には、それ以外の選択肢が残されていなかったのだ。

青年は、遂に決行した。

不本意にも所長を殺害するに至ったが、拳銃を奪い、看守の制服を奪うことで、自力の脱出行を果たしたのである。

そこに仮託されたメッセージは明瞭だ。

自由は自らの手で奪い取れ。

そして如何なる理不尽な状況下に置かれようとも、例えばマックスのように、その状況に呑み込まれることなく、自我の砦を頑なに守り、それを常に武装することを怠るな。

理不尽なる状況下でこそ、堅固な自我の要塞を構築せねばならないのだ。

恐らく、そんなメッセージが熱っぽく盛り込まれていたからこそ、それを観た若者たちはその魂を震わせ、圧倒的な映像的感動を享受したに違いない。

かつて、私もまた、それを享受した者の一人であった。



7  異文化摩擦



第二の点。

それは、「異文化摩擦」が惹起する極めてシビアなテーマである。

結論から言えば、青年は甘すぎたのである。

現在のヒッピー達の集会 (ウィキ)
当時、ヒッピー文化の野火の広がりのような影響下で、各地を漫遊する多くの青年たちが群れを成していた。

その漫遊を自国文化の枠内で留めておけばいいのに、あろうことか、世界を漫遊するアメリカ青年たちが多く存在したのである。

彼らは自国内の文化で、殆ど許容されていたと信じるマリファナの吸引に飽き足らず、遥か異国の地に自国の文化を持ち込んで、そのスリリングなドラッグ・トリップを愉悦する愚挙を捨てようとはしなかったのだ。


本作の主人公である青年もまた、そんな浮薄な連中の一人だった。

トルコという、その拠って立つ精神文化を異にする国でハシシを取得し、青年はそれを自国に持ち帰ろうとした。

青年は、自分の狭隘なる漫遊の成果を誇示するつもりであったと思われる。

そんな行為がどこかで是認される異様な文化が、この時代に呼吸する若者たちの間で蔓延(はびこ)っていたのである。

そのような発想にぶら下っていた青年の甘さが、彼の受難の根柢に存在していたことを看過してはならないだろう。

ところが、トルコという国家は、当時、極めて政情不安定で、左右のクーデターが度々起り、爆破テロも頻発していた。

加えて、本来NATOに加盟し、後の湾岸戦争の際にも米軍にその基地を提供し(但し、イラク戦争では提供せず)、現在EUへの加盟を交渉する異端のイスラム文化圏にあり、近代化を進める稀有な中東国家でありながらも、ニクソン政権下のアメリカとの関係は良好ではなく、先述したように麻薬供給の中枢的ルートとして国際世論の槍玉に上げられていた(注・原作の一部を引用する)。

そんな状況下のトルコにとって、ドラッグの漫遊青年たちの存在は、害悪極まる何者かでしかなかったのだ。現に、青年が収容された刑務所の中の外国人の90パーセントが、ハシシの不法所持で拘束された者たちだったのである。

とりわけ、青年の獄友となったエリックは、その僅かな量の不法所持のみで、12年の刑を言い渡されていた。だから彼は「深夜特急」に乗り込むことのみに全神経を注いだのであり、その結果、病院送りになってしまったのだ。


(注)「ニクソン政権は、阿片のもとになるケシの栽培をやめることを、トルコに対する対外援助の条件にしていた。トルコの農民はカンカンに怒った。彼らはアメリカに圧力をかけるよう求めた。アンカラの裁判所は、“国際秩序を守るため”麻薬関係の違反者に対する処罰を強化した、ということだった。私の事件の場合、裁判は“国際取り決め”に沿っていた。裁判所は、トルコでは阿片の密輸でも最高10年の刑にしかならないことを無視していた。《ニューズデイ》は私を“ケシ戦争の犠牲者”と名づけた」(「ミッドナイト・エクスプレス」B・ヘイズ/W・ホッファー原作 小関哲哉訳 ヘラルド・エンタープライズ発行)


そして何よりも重要なのは、異文化圏にあって、少なくとも、そこで明瞭な犯罪を犯したにも拘らず、青年自身の、自ら招来した事態に対する認知が著しく欠如していたという点である。

乾燥大麻
彼には明らかに行為自身の違法性の認識がありながらも、ハシシを不法に国外流出しようとしたその責任意識があまりに稀薄なのだ。

自分の逮捕、拘禁について、単に運が悪かったという認識しか持てなかった甘さは、必ずしも無知ゆえの産物ではなく、自国の尖ったヒッピー文化が世界規模で罷(まか)り通ると安易に考えたに違いない、その傲慢さの裏返しでもあった。

確かに彼は、不運な漫遊者であったのかも知れない。

しかしそれ以上に青年は、異国文化の基本的理解に欠如していたのである。

かつてフィリピンの愛国青年が、「アメリカだけが世界じゃない」という叫びを主唱していたが(「クーリエ・ジャポン」のコピーでも有名)、そのスタンダード・モデルの当のアメリカ青年の把握のうちに、「英語が通じない国は遅れている」という傲慢なる異国観がなかったと言えるのだろうか。

私が印象深い描写の中に、青年の父が息子と接見した際、息子を拘束することへの怒りを、トルコの刑務所長に口汚く罵ったシーンがあった。

この父親は明らかに息子の行為に対して批判的でありながらも、なお息子を庇い、守ろうとする態度の根柢には、英語が通じない国への苛立ちが垣間見えるのである。

異文化交流の原点が、コミュニケーションの成立にあることは言うまでもない。

相手の国の言語が分らなかったら、身振りや手振りによって何とか意思疎通を図ろうとする。当然のことである。

異国の地に足を踏み入れたら、自分がまず相手の文化を、その表層部分だけでも理解しようと努めるのが礼儀であり、誠意でもある。

そして異国の地で禁止されているものが、たとえ自国で是認されたものであっても、その国の法規範に従うのは最低限のルールであるだろう。

そのような最低限の枠組みについての基本的把握が、本作の主人公である青年に欠如していたのである。

全てトルコが悪い。だから、即時釈放せよ。そんな甘い考えの表層辺りには、以上の意識の媒介が濃密に見られるのである。

言わずもがな、そこに如何なる政治的思惑が働いていたにしても、青年が30年の拘留の延期が最終的に決定されたことは、紛う方なく、理不尽極まりないものであった。

その意味で、彼が国際政治の犠牲者になったことは否定できないであろう。

現に、この事件によって、事態が好転していった歴史的経緯がある。それはそれで好ましいことであろうが、しかしその辺りの状況の変遷と、青年の意識世界の流れ方とは全く別の問題である。

青年は明らかに自己基準で動き、恐らく、その視座を最後まで変えられないまま、「理不尽で、野蛮なる文化に拠って立つ国の司法によって、野蛮な処遇に閉縛されるようにして裁かれ、抹殺されようとした」という把握の下で、その「野蛮なる国家」の主権が及ばない場所への自力突破を図ろうとして、遂にそれを成功裡に具現したのである。

青年の自己基準の振り子は、結局、最後まで変わらなかったのだ。

青年は最後まで、異文化との表層的なアクセスすらも拒み続け、「深夜特急」に自力で乗り込んで、終着駅まで辿り着いたことによって、自らを「横暴な権力の壁を突き破った勝利者」であると自己顕示したのであろうか。

然るに、決して愚昧であると思われない青年の、極限下での心理状況を見事なまでに描写した映像の力量は圧倒的だったが故に、私としては却って、「愚弄され、罵られ、その理不尽な振舞いを捨てない醜悪さを象徴する存在であった『トルコ』という絶対敵対者」を、誇張含みで対立項に据えることで、そこに、その精神文化まで包含させた負性の城砦を、青年の自力突破によって砕かれる悪の権化としてイメージ化された感のある、この映像の声高な文脈に、正直言って、違和感を覚えているのは事実である。

その辺りに、いつでも「絶対敵対者」を作らざるを得ない宿命を負う、数多の社会派映画の過剰さを垣間見てしまうのである。

「ラストサムライ」より
それでも本作は、「ラストサムライ」(エドワード・ズウィック監督)の褒め殺しの薄気味悪さに比べれば、「過剰さ」という隘路に潜り込んだ分を差し引いても、ある種の社会派映画が捨て切った、「絶対美学への傾倒」より遥かにマシな映像であった。

ついでに言えば、本作の圧倒的映像の表現力には脱帽する思いを捨て切れない何かが、未だ本作に駄目を押せない大きな理由になっているのである。

―― ところで異文化交流の艱難(かんなん)さについて言及した、極めて繊細なレポートがここにある。

その一文を紹介しよう。

「彼がイスラム教徒であることを知ったのは、私の薦めで注文した焼きそばがテーブルに運ばれてきたときだ。それまで温厚だった彼の顔は一変した。『豚肉が入っている』とひとこと言うと、黙ってその皿を机のはじに押しやった。みなさんも想像がつくと思うが、サラリーマンが昼食に食べる焼きそばにはそんなにたくさんの肉など入っていない。机上の焼きそばに目をやると、豚肉と思われる小さな肉片が麺と野菜の間から顔を出している。敬虔なイスラム教徒には小さな肉片でも豚肉がすぐに判別できたらしい。その日、夕方近くまでかかったシンポジウム会場で空腹を我慢して懸命に傍聴していた彼の顔を思い出すたびに申し訳ないことをしたと反省している」(JICA HP:ODAジャーナリストのつぶやき「異文化理解の難しさ」より)

このレポートで痛感するのは、異文化と日常性の次元でクロスするときの難しさである。

まず何よりも、相手を知ることが先決であることは言うまでもない。

第一に、相手の拠って立つ精神文化への最低限の理解と、その現状を把握することは殆ど初歩的なマナーであるということ。

第二に、自己基準の押し付けは決して避けること。

しかしそれは、この二点の学習を経てもなお艱難なテーマであるということだ。

当然である。長い年月を経て形成された文化への理解が、僅かばかりの異文化交流によって達成されると考えること自体、殆んどナンセンスであると言っていい。それ故にこそ、異文化とクロスするときの繊細な心構えが緊要であるということだ。

本作の主人公には、その最も重要な点が最後まで欠落していたのである。



8  突破されねばならない「絶対敵対者」の存在の必要性



―― ここにもう一つ、本作の原作となった手記について言及した小文を紹介しよう。

「これは異質の文明が衝突した時、そこに発生した火花と悲劇と人間模様の、一つの証言である。作者ビリー・ヘイズは、ニューヨーク郊外に住む信心深い、保守的なアイルランド系の家庭に三人兄弟の長男として生まれる。カトリック系の高校をスポーツ万能、成績優秀の優等生で卒業、ミルウォーキーにあるやはりカトリック系のマルケット大学にはいる。

“良い子”を絵にかいたようなこの学生でさえ、平気でマリファナを吸い、それがさして罪悪視されない昨今のアメリカ社会を知らないと、この作品の面白味は半減する。

マリファナやハシシに手を出しても、若気のいたずらと大目に見るパーミッシブ・ソサエティ(何でも許される社会)のふわふわしたムードのまま、世界放浪の旅に出たビリーは、トルコのイスタンブールでハシシを買う。アメリカと比べてバカみたいに安い。軽い冒険のつもりで飛行機に乗ろうとし、トルコ警察につかまる。(略)トルコは麻薬天国として悪名高い。

だが、ビリーの遭遇したトルコ文明は、国家の体面と宗教の戒律を重んじる、タテマエの文化圏にあった。そのタテマエは、栄光あるトルコから麻薬が密輸されるなどという恥知らずな事を絶対に認めようとしない。何とかなるだろうというビリーの甘い期待は、次々に裏切られていく。

当然だ。ビリーが育った優しい世代の文明を、トルコ文明は頭から認めていないのだから。サグマルシラール刑務所や、バキルコイ精神病院でビリーが体験した血も凍るような光景は、彼が初めて味わったカルチャー・ショックだった」(「ミッドナイト・エクスプレス」B・ヘイズ/W・ホッファー原作 小関哲哉訳/ヘラルド・エンタープライズ発行/筆者段落構成)

以上は、本作の原作となった同名著書の訳者(同上)の「あとがき」の一文である。

1978年10月の発刊時に書かれたものである。

従ってその内容は、現在のアメリカとトルコの文化事情と必ずしも一致しないことを、まず念頭に置いておかねばならないであろう。

「文明の衝突」という表現には誇張があるが、しかしこの一文で指摘された事実は、極めて重要な意味合いを持っていると考える。

本作の主人公の青年の甘さが端的に指摘されているからである。

「ふわふわしたムードのまま、世界放浪の旅に出たビリー」についての言及は、映像の中で紹介された、些か「悲劇の主人公」的イメージを払拭するのに充分な指摘になると言っていい。

―― 要するに、本稿で言及した二点についての私なりの把握を通して帰結する、一つの結論が以上の小文によって裏付けられるものであるということだ。


それを、要約すればこういうことである。

即ち、艱難な状況に追い詰められた青年が、誰の手も借りず、その状況を自力で正面突破する物語を基軸に据えてしまうと、そこにはどうしても、青年によって突破されねばならない「絶対敵対者」の存在が必要になってしまうということである。

そこでは、「トルコ」及び「トルコ人」、或いは、彼らの拠って立つ精神文化の「異常性」を強調することによって、青年の自由なる逃避行の前に立ち塞がる邪悪な壁の存在性が、より際立つ何かでなければならなくなってくるのだ。

そこにこそ、ある種の社会派映画の過剰さが生まれてしまうのである。

アラン・パーカー監督
残念ながら、本作もまた、その例に漏れなかった。

ましてや、アメリカ映画である。アラン・パーカー自身は英国人だが、物語の中枢ラインは、「艱難な状況を自力突破するアメリカ人」という枠内で押さえられていた。

従って、そこにどうしても、「絶対敵対者」を誇張的に作らざるを得なかったという訳である。

そしてもう一つ。

それは、本作には、「ハシシ所持程度の犯罪で、長期に及ぶ拘留を強いられるのは理不尽である」という思いが包含されているように見えるのだ。

何度も書くが、確かに「30年の拘留」という判決は理不尽極まりない。

しかし本作は、それが当初、「4年2ヶ月」という判決を受けた事実に対しても、異議申し立てをするような思いが見受けられるのだ。そのような「アメリカ基準」的な発想こそ、私が最も気になったところである。

(2006年9月)






1 件のコメント:

マルチェロヤンニ さんのコメント...

懐かしい作品です。公開当時ではありませんが、中学生の頃でしょうかビデオテープにダビングして何度も見返しました。
確かに自分の犯した罪に対する反省的な部分は感じられない映画ではあったかともいます。ただ、異文化の中で地獄を巡りするビリーを見ているうちに、そういった事は帳消しになり、ただ単に「怖い状況(国家)だなー」といった印象が強くなっていくのだろうと思います。
友人からの「オリバー・ストーンは日本のトルコ風呂は好きなのに、トルコには厳しいね」なんていうどこかで仕入れた情報に、何となく共感と違和感を覚えながらも、この映像の持つ根源的な魅力には惹き付けられてやまない自分がいました。
特にビリーが逮捕されるまでの描写は、全てにおいて秀逸だったと思う。
爆弾ではなかったと笑いが起こっている中で、ただ一人汗だくになって恐怖にかられた顔をしているビリーがいる。
素直にハシシの密輸班を捕まえた!という流れにしなかったところも、作者の力量の現れだと思う。
「トルコ人の登場人物にあえて人格を与えていない脚本だ」「インチキジャーナリズム映画だ」と言われても、私もこの作品の圧倒的映像力を否定する気にはなれない。

ただ、昨今のイスラム文化圏との摩擦を鑑みると、こういった作品が国民感情の深層心理を構築している可能性もある訳で、一概に表現の自由だろうとも言い切れない思いも去来する(頑張って難しい言葉を使ってみました)。