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2010年2月21日日曜日

ノスタルジア('83)   アンドレイ・タルコフスキー


<「現実と過去の、形而下・形而上的世界の融合」、「異質なるものの人格像、世界観の融合」のイメージの内に>



1  「ロウソク渡りの儀式」という戦略



故国ロシアに戻れば奴隷になる覚悟で帰国した果てに自殺した悲劇の音楽家、サスノフスキーの足跡を追う、詩人アンドレイ・ゴルチャコフのイタリアでの旅が終焉しつつあったとき、女性通訳のエウジェニアを伴って、彼女が「絵のような教会」と呼ぶ信仰スポットの「出産の聖母」を見るために、トスカーナ地方にやって来た。

教会自体に何の関心も持たないゴルチャコフと、エウジェニアの微妙な確執が冒頭から映し出された。

「あなたには理解できない。なぜ教会に入らないの?」

この問いに答えないゴルチャコフは、「何を読んでる?」と相手に尋ね、女は「アルセーニー・タルコフコフスキーの詩」と答える。

「ロシア語?」とゴルチャコフ。
「いいえ、翻訳。名訳よ」とエウジェニア。
「捨てるんだ」
「なぜ?」
「詩は翻訳ではない。芸術は全てだ・・・お互いに理解不能だな」
「どうすれば、分り合える?」
「境界を失くすことだ」

ゴルチャコフ(左)とエウジェニア
こんな「理解不能」の二人の違いが、より明瞭になるのは、この村で「変人」呼ばわりされる男との出会いを通してだった。

男の名は、ドメニコ。

彼は「人類救済」のために、家族を7年間も自宅に閉じ込めていた曰くつきの人物。

ゴルチャコフはドメニコに異常な関心を示し、早速、彼に会いに行き、彼の浮世離れした言葉を聞くに至る。

「一滴プラス一滴は二滴ではなく、大きな一滴になる」

このドメニコの言葉は、ドメニコ自身と、彼が自分の「人類救済の儀式」を依頼するロシア人ゴルチャコフの人格が統合されたイメージの中で語られている。

ドメニコは、明らかにゴルチャコフの分身なのだ。

「大きな目的を持つべきだ。エゴイストだった。家族だけを救おうと・・・皆を救わないと。世界を・・・」

これが、7年間も自宅に家族を閉じ込めていた男が、ゴルチャコフに語った言葉。

「どうやって?」

ドメニコ
そう尋ねるゴルチャコフに答えたのは、「ロウソクに火をつけたまま、聖カテリーナのヴィニョーニ温泉宿の傍の水を渡る」ことだった。

そして映像が映し出したのは、7年後、公的権力によって家族が解放されたとき、ドメニコが幼い我が子に、「パパ、これが世界の終わり?」と言われたシーン。

少年の視界に映った世界は、豊かな森の中をハイウェイが走る、素晴らしい色彩を持つ現代社会そのものの姿だった。

以上のドメニコの、「変人」的振舞いのエピソードを見る限り、そんな男に魅かれるゴルチャコフと、件の男を「変人」呼ばわりするエウジェニアの確執の心的風景は明瞭である。

ドメニコの分身と化したゴルチャコフと女性通訳の確執は、イメージの世界で生きる男と、現世の生身の世界で生きる女との違いであり、女にとって、文明社会を否定するドメニコに同化しつつあるロシアの著名な作家のイメージは、「偽善者」でしかなかったのだ。

その「偽善者」は、女に殴打され、鼻血を流して、床に零れ落ちた鮮血の赤を処理するのみ。

ゴルチャコフに生身の「性」を求めて退けられたエウジェニアが、ゴルチャコフの元から去って、映像後半で、ドメニコの演説を伝えることで再会した際、事業家と思える男と結婚した経緯が挿入されていたが、それこそ彼女の、「ごく普通の世俗性」を検証する生き方だったことが判然とする。

そして、女に殴打された男の「観念的人生」の選択肢は限定的であった。

異国の地での、彼の心象世界が捕捉し得る対象人格は、ドメニコのみとなっていく。

今や、ドメニコの分身と化したゴルチャコフには、「ロウソク渡りの儀式」のような戦略に身を預ける非合理の世界への自己投入しか残されていないのだ。

まさに彼の自我は、異郷の地で、深刻なアイデンティティの危機に直面しているのである。



2  「現実と過去の、形而下・形而上的世界の融合」、「異質なるものの人格像、世界観の融合」のイメージの内に



マルクス・アウレリウス帝の騎馬像
ローマ市庁舎前のカンピドーリオ広場に建つ、マルクス・アウレリウス帝の騎馬像に乗って、「究極の変人」を身体化したドメニコの演説が開かれた。

「誰かがピラミッド建設を叫ばなければならない。完成できなくてもいい。願いを持つことが肝心だ。魂をあらゆる面で広げるのだ。無限に広がってゆくシーツのように、この世界を存続させたければ手を繋ぐことだ。いわゆる、健全者と病む者が一つになるのだ。健全者よ。その健全さが何になる。人類全てが崖っぷちに立ち、奈落に落ちかけている。その健全さが、世界を破局の淵に導いてきたのだ。人間よ。耳を傾けろ。君の中の水に、火よ。そして灰に。灰の中の骨に。社会はこんなにならず、まとまらねばならない。自然の原点に戻らねばならない。生命の基本に戻らねばならないのだ。水を汚すな」

この演説の内容は、当然、抽象的な文脈に結ばれて、広場の周りに散在する人々の関心を呼ぶほどの説得力を持たないのだ。

全く通じない独り善がりのスピーチの完結点が、本人が確信的に予約していたような焼身自殺であったことは、多分に揶揄されるような描写の中で殆ど自明だった。

BGMに流れるベートーベンの第9が、そのテープを流す「人類救済の同志」のしくじりで、充分に機能しないのだ。

1989年に激発した東欧革命のテーマ曲にもなった、第9の第4楽章「歓喜の歌」のテープがブレークダウンし、音声が空転する状況を惹起させ、今や文明の代表的スポットにおいて、「自由と平和の象徴」を高らかに歌い上げるアピール力を持ち得ないのである。

結局、男が救わねばならないと幻想する世界とは、文明社会それ自身でしかなく、その世界と折り合えない男は焼身自殺することで、自分の主観の内にイメージされた世界観の中で自己完結するしかないのだ。

しかし、人類救済の内実が文明社会それ自身でしかないと思えるような抽象度の高さが、恐らく、それまでの鮮烈な作品群と比べて明確な主題表現を持つだろうが、却ってそれが、この映画の「主題提起力」の甘さを示しているように見えるのである。

アンドレイ・タルコフスキー監督
従って、タルコフスキーが依拠する芸術表現世界の内に、人類救済のイメージを拾う以外にないような映像の流れ方が、そこに捨てられていた。

二人ともに、「国境を壊す」という非現実的な理念系の内にしか求められない人類救済のイメージは、あまりに貧弱であるが故に、結局、現世での救済を諦念し、「ロウソク渡りの儀式」のような戦略以外に軟着できないことになるだろう。

美的完成度の高さ故に、抜きん出た映像構成力を表現した本作の中にあって、人類と世界を救済するには、今や、儀式なしに完結し得ない状況を開いてしまったのである。

そこには、合理的判断が介入する余地が全く存在しないのだ。

言葉と論理の無力を晒すだけの二人は、当然、信仰の世界にも身を預けられないだろう。

現実とイメージの圧倒的な乖離感を、タルコフスキーは充分に感じ取っているに違いないのだ。

思えば、お湯が抜かれたヴィニョーニ温泉宿の「聖池」を、三度目の「ロウソク渡りの儀式」で、遂に渡り切ることに成就したゴルチャコフは、持病による心臓病の発作によって突然倒れてしまうが、これがラストシーンの構図となって、観る者に鮮烈な映像構成力の凄味をも開いて見せたのである。

元々、ゴルチャコフには、心臓病発作による死期の予感が忍び寄っていたのだ。

では、二つの人格の融合によって、国境の突き抜けが具現されたのか。

説明無用の議論であった。

しかし、二つの人格の融合(分身の統合)による印象深い構図は、ヴェルディの「レクイエム」のBGMに誘導されて、イタリアの建造物の風景と、ロシアの故郷のイメージが融合した絵柄が雪の舞いの幻想世界を作り出し、何か強引に、「現実と過去の、形而下・形而上的世界の融合」、「異質なるものの人格像、世界観の融合」のイメージの内に閉じられていったようにも見えるのである。

因みに、エウジェニアと、ゴルチャコフの故郷の妻の抱擁シーンもまた、異質な人格や郷里と異郷の地の融合のイメージを彷彿させたが、その人工的な仮構の世界に対して違和感を覚えたのは事実だった。

それで果たして、「魂の解放と救済」を表現し得るのか。

限りなく幻想の世界の産物であることを知悉しながら、「死」という観念と被膜で繋がれた感情である、「ノスタルジア」という故国への複雑な思いの中で、それでもタルコフスキーは「魂の解放と救済」を表現せざるを得なかったのか。

それは、多分にタルコフスキーの分身でもある登場人物に、「人類救済」を声高に叫ばせるほど、矛盾に満ちた社会へのプロテストなのか。

或いは、モスフィルム(「ソ連のハリウッド」と言われる、世界最大級の映画撮影スタジオ)での、自分の映像表現の自己運動を妨げてきた社会主義独裁体制への、絶対妥協し得ない男のプライドが炸裂して止まないのか。

彼に関する多くの著作がありながらも、54歳で客死した「タルコフスキー」という固有名詞の存在は、少なくとも私にとって、最後まで謎に満ちた映像作家であった。



3  「タルコフスキーの風景」の素晴らしさ



「タルコフスキーの風景」の素晴らしさ。

本作は、その極点であると思われる。

タイトルクレジットの背景に映るロシアの風景は、緑がかったモノクロ。

撮影地となったトスカナ州シエナ市の教会堂の廃墟
そして、冒頭のシーンでのトスカーナの風景の色彩感は、紫がかったモノクロから、徐々にカラーへと変化する繊細な色彩感への配慮、拘り。

タルコフスキーがロシアの郷里に残した家族を映し出した朝靄の風景描写は、その直後のトスカーナの風景と繋がる描写と対峙し、目的を有して他国を旅するロシアの作家の心象世界が依拠する時空を、実に見事な美的完成度の高い映像によって表現されていたのだ。

「光の反射と、そこから弾かれた影」に呑まれるものの陰影感、そして「霧、靄、煙霞」、「火」、「森」、「雪」や「犬」、「廃墟・廃屋」の物理的世界のイメージ等々、一切が際立って個性的な、「タルコフスキーの風景」の素晴らしさに堪能し得る世界である。

そして何より、生命の源泉を象徴するかのような「タルコフスキーの水」は、彼の作品群を通して、独特の映像による詩的宇宙を表現して止まないのだ。

自然への畏敬の念の強さが、そうさせるのか。

それとも、タルコフスキーの鋭敏な作家的感性の中枢を支配し、決して譲れないものを持ち過ぎるその魂が、安寧を弄(まさぐ)るときの象徴的イメージを引っ張り出してしまうのか。

それもまた、私を魅了して止まない表現技巧であった。



4  「芸術至上主義」的な「遊戯」を異化したとき



私は青年期から壮年期辺りまで、さすがに「ドストエフスキー病」の熱病ほどではなかったが、「タルコフスキー病」に「罹患」していた時期があった。

「アンドレイ・ルブリョフ」
「アンドレイ・ルブリョフ」(1967年製作)、「惑星ソラリス」(1972年製作)、「ストーカー」(1979年製作)、「サクリファイス」(1986年製作)などという、魂を震撼させるような作品群にクラクラさせられて、殆ど病気の体だった。

然るに、30代前半で始めた私塾の経験の中で被浴した厳しいリアリズムの洗礼は、私の内側になお張り付いていた中濃度のイデオロギーと、独善的で観念的な形而上学的文脈を物の見事に脱色させていった。

この私的経験は、映像文化に対する私のスタンスを変容させていった。

一度脱色されたものは、もうそれまで濁り付いていた色彩には戻り得ない。

何かが壊れるとき、人はその壊れたものが残した空洞の内に、それまで実感していたはずの幻想に近い物語を、自己催眠の巧妙な技巧を駆使し、何としても嵌め込んでいかなければならない脆弱さを常に抱えている。

私の内側の幹を抉った壊死による空洞を埋めるに足る物語が、実際どこまで堅固な構築性を持って分娩されたか、未だによく把握し切れないところがある。

それでも私の内側では、「全身リアリスト」というイメージで結ばれるような何かを渇望していて、少しばかりは、そのイメージを肉感的に感じられる程度にまで作り上げてきたように思えるのだ。

然るに、不安含みの航跡の余情を相対化したいが故か、一切は幻想であると考える「宗教性」がなお張り付く思考癖を認知してもなお、己が自我の相応のサイズに見合うに足る確かな物語が、内側に凛として存在するという厚顔さと切れない心象世界が、今、ここにある。

正直言って、「不安に耐える強さ」こそ真の強さであると信じて止まない私にとって、「全身リアリスト」の立ち上げが要請する課題の困難さは尋常ではないのである。

何より、「恐怖支配力」と「逃避拒絶」という精神世界の構築を支柱とするものの自己運動の継続こそ、前線における「不安に耐える強さ」の有りようの検証になることを認知するが故に、それはどこまでも、「今、ここにある前線」からの戦線離脱は許されない何かなのだ。

この「地平」で、踏み止まること。

このことを肝に銘じたい。

そんな風に自己規定している私にとって、独り善がりの映像作家の存在など、「もう何の力にもならない滓みたいなもの」とまでは言わないが、少なくとも、幻想に酔い痴れた青年期において、「絶対」に近いイメージの幻想が抱え込んだような特段の価値を持つことはなくなった。

それが、〈私〉の〈現在〉の〈状況〉に関わる〈風景〉である。

さて、「ノスタルジア」の映像作家のこと。

「サクリファイス」
彼が、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「マタイ受難曲」をBGMにした、「サクリファイス」という長尺のフィルムによって、納得できるような映像作家としての自己完結を遂げたかどうか、私には皆目分らない。

「言葉を話せなかった少年が再び言葉を話せるようになるまでの1日。少年の父である主人公アレクサンデルは生命の樹を植える誕生日に、核戦争勃発の声をテレビで聞き、自らの狂気を賭けて、信じていなかった神と対決し、愛する人々を救うために自らを犠牲にささげるサクリファィス(犠牲、献身)を実行する」(「アンドレイ・タルコフスキー映画祭・HP」より)

以上が、「サクリファイス」の簡単なプロット。

しかし、世界的な絶賛を受けたこの遺作に対する私の評価は、3年前に製作された「ノスタルジア」という「美的完成度」の高い作品から、「美的完成度」を些か不足させた、とち狂ったような映像でしかなかった。

独善性の濃度の深い「主題提起」の情動だけが暴れて、殆ど、手の付けようがないほどの映像構築力の劣化が印象づけられてしまうのだ。

果たして、タルコフスキーの内側の世界が、「狂気」と呼べるほどの映像作家の矜持によってどれほど確信的に固められていたか、疑問が残るところである。

狂い切る覚悟が本当にあったのか。

「今、ここにある前線」での「恐怖支配力」が、限定的な時空を支配し切れていたのか。

「遺作だから最高傑作である」という類の、「遺作幻想」に張り付く「ご祝儀評価」を一切払拭すれば、「サクリファイス」は、「核の不安」を訴えたいだけの独善性が空回りした凡作だったということだ。

それに引き換え、「ノスタルジア」の放った毒気、臭気、美的感性力の凄さ。

圧倒される思いである。

それでも、敢えて言いたい。

「ノスタルジア」という頂点を極めたような映像を構築した作家の自己運動について、私は以下のように想念した次第である。

当時、この天才的映像作家が、今までもそうであったようなスタンスで、己が未来を切り開こうと努めれば努めるほど、現実と観念の乖離が開いていく事態に直面するだろう。

極端に言えば、自死や極端なカルトへ、その身を預ける選択を拒否する限り、彼に残された手段は限定的であるに違いない。

即ち、天才的映像作家に根深いと思えるような、「芸術至上主義」を極端に進めていった挙句、「観念」という狭隘だが、しかし身の預け入れようによっては、それ以上ない至福を得られる「ゲームの世界」を愉悦するという生存・適応戦略も可能であった。

それ故、決して長寿を全うしたとは言えない54歳の死は、そんな男が拘泥したであろう、「芸術至上主義」の極点に逢着したときの映像世界の検証が遮断されたという意味で、永遠に未知なる映像作家についての記憶を固めてしまったのである。

私には、そんな意地悪な見方しかできないほどに、今や、このような「芸術至上主義」的な「遊戯」を相対化しているところがある。

大体、「人類救済」など、「今日、この日をいかに生きるか」という時間感覚しか持ち得ない私にはどうでもいいことなのだ。

表現的主題の内に、「救済」も「贖罪」も当然あっていい。

だが、タルコフスキーがそうであるとは断じないが、数多の独善的表現者の固有の宿痾(しゅくあ)の如き、その表現総体の自己基準を必要以上に押し付けるなかれ。

どこまでも、表現主体のナルシズムの小さな宇宙で遊んでいればいいのだ。

それだけのことである。

(2010年2月)

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