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    1 か月前

2008年11月12日水曜日

稲妻('53)      成瀬巳喜男


<離れて知る母の思い>



1  あまりに人間的で、嘘臭い装飾を、一切剥ぎ取ったそれぞれの生きざま



ごくありふれた日常性を丹念に描く映像作家、成瀬巳喜男のその膨大な映像群の中で、私にとって最も愛着の深い作品は「稲妻」である。

「稲妻」は、私が「成瀬巳喜男」を「再発見」する契機となった思い出深い作品だった。

この映画を初めて観たときの衝撃は、まるで今まで探しあぐねていたものと出合ったときの青っぽい興奮にも似て、決して忘れることのできない一作として、その後繰り返し舐めるように鑑賞するに値する絶対的な何かとなっていく。とにかく素晴らしい。

何もかも素晴らしいのだ。

この国に、これほどの映像を創り出す男がいて、その男によって率いられたプロフェッショナルなスタッフがいて、そして、その男によって演技指導を受けた俳優たちがいた。

まるでそれは、ディティールにもその魂が吹き込まれた匠の世界からの創造物だった。

そこで生み出された奇跡的な映像宇宙は、専属会社の看板監督としての枠組みから逸脱することのない仕事振りとは到底思えないほどの独自の表現世界を、この国の映画史に刻み付けてしまったのである。

映画「稲妻」の中で、私の中で特に印象深かったのは、通俗性の極みとも言える母親を演じた浦辺粂(くめ)子の存在だった。

とにかく、彼女の演技が最高に冴え渡っていて、私はこの一作で浦辺粂子の虜になった。

その位素晴らしかった。

恐らく、個性的なバイプレーヤーの一人でしかなかった彼女にとって、殆ど主役に近いこのような役どころを得たことは僥倖だったに違いない。

彼女は、翌年製作の「あにいもうと」(1953年)でも重要な母親役を演じていたが、それは個性を減じた感のある慈母観音の如き役どころだった。

ところが、「稲妻」では違っていた。

それはまさに、このような母親役を演じたら他の追随を許さないという印象を与える嵌まり役だった。

無教養で、少し頼りないが、思いが深くて、その生き様は際立って人間的な母親像。


そのイメージは、この国の庶民のある種の母親像を代表しているに違いない。

そんな母親を、浦辺粂子という稀代の個性的女優が演じて、見事に成功したのである。

その時代に生きる市井の人々の日常性を、しばしば突き放したようなリアリズムで描いたら、恐らく、成瀬の右に出る映像作家はいない。

その成瀬が、朝鮮戦争の暗雲が立ち込める時代のただ中に世に送ったのが、「稲妻」だった。

時代はやがて、この国の高度成長の先駆けともなっていく朝鮮特需の潤いの中で、人々の生活意識の内には、少しでも人並みの生活を手に入れようとする慎ましやかな欲望が芽吹き始めていた。

それは、時代の変遷の小さな胎動だったが、戦後史の流れに於いて一つのターニング・ポイントになったと言える。

しかし「稲妻」に描かれた市井の人々の観念には、時代とダイレクトに接続する律動感が稀薄で、何か時代に取り残された者たちの哀れさと滑稽感が、ドロドロの肉親の絆の破綻性の内にだらしなく露呈されていた。

それでも作品には、時代の息吹を伝える描写が随所に嵌め込まれていて、やはり成瀬は時代と繋がることを拒んだ映像作家でないことを確認できるのである。

彼は確かに時代の新しいイデオロギーやその動向と無縁な映像作家だったが、しかし、どこまでも市井の人々の視線を曲解することなくリアルに抉り出した、ある意味で冷徹な観察者だったと言えようか。

それでも、彼には節度があった。

彼の作品が人間の生き様を残酷な筆致で描いたとしても、他の映像作家がそうであったような過剰さがなかった。

そこには、ごてごてと必要以上に描写を塗りたくることのない節度があったのだ。

そんな時代に作られた「稲妻」という作品の生命は、全篇にわたって貫流されている登場人物たちのあまりに人間的で、嘘臭い装飾を一切剥ぎ取ったそれぞれの生き様を、容赦ない表現で、そのモノクロのフィルム(恐らく、可燃性のニトロのナイトレート・フィルム)に刻み付けたところにある。人間はかくも愚かで、だらしなく、冷血、且つ、強欲な存在であることに付き合わされて確かに閉口するが、しかし、ここに私たちの日常性の裸の姿が露呈されているのだ。

この作品は、成瀬芸術の真骨頂が見事に表現された大傑作である。

とりわけ、この作品の中で圧巻だったのは、ラストシーンでの母娘の情感溢れるやりとりだった。

そこでクロスした会話の見事な律動感に、私はただ感服した次第である。



2  和解に向かう関係の経験的なスキルのうちに、混淆された甘えを存分に生かしきって



―― ここでは、その忘れ難いラストシーンの描写を中心にして、ストーリーを簡潔に起していこう。


映画の舞台は東京下町、葛飾区金町。

それぞれ父親が違う子供たち。その母親おせいが浦辺粂子。

彼女は彼女なりに一生懸命夫に尽くしてきて、厳しい生活を切り盛りしてきた。

四人の子供たちへの愛情も特段変わらず、彼女なりに懸命に育ててきた。

それにも拘らず、多くの家庭がそうであると想定される以上に、四人の子供たちの性格は全く違っていた。


復員兵で失業中の長男は意志薄弱で、自らの困難を打開しようとする気迫も情熱も何もない。

周囲に依存して甘える弱さは、明らかに母の溺愛が作り出したもの。

欲深い長女は生活力のない夫に見切りをつけて、商魂たくましい女好きの男に走っていく。

他の三人とは違うこの長女の性格の悪さは、多分、彼女の父親のDNAに起因する。

夫に浮気された挙句、突然死別された次女は嘆き哀しむ日々を送るだけ。

泣き伏すだけで、一向に哀しみから立ち直れないのだ。

浮気相手の女からは夫に掛けた僅かな保険金の一部をふんだくられて、三女にたしなめられる始末。

こんな気弱な次女が、残った保険金と長女の愛人からの援助で、何とか喫茶店を開店する。

しかし、少しでも自立しようとする次女の決意は薄弱で、結局は愛人に甘い汁を吸われるだけ。その愛人を巡って長女と確執が生まれ、生来のストレスコーピング(ストレスへの対処行動)の脆弱さ故に、リスキーな状況に耐え切れず、とうとう逃げ出してしまうのだ。次女の父親は気弱な小市民だったに違いない。

最も自立心の強い三女、清子(きよこ)の眼には、そんな家庭環境が修羅の世界に見えてしまう。遂に、彼女は意を決して家を出る。


そこで得た新しい環境は、彼女が住んでいた修羅の世界とは無縁で、明るく健康的な色彩に満ちていた。

親切で、趣味を大事にする下宿の大家さん。隣りには、音楽で繋がる前向きな兄妹が住んでいた。交流は心地良く、心が洗浄されるようだった。

そんな三女の世界に、血相を変えた母が訪ねて来た。

次女の家出に動揺する母を見て、彼女が断ちたかった世界からの柵(しがらみ)を実感する。

堰が切れたように、娘の清子の口から言ってはならない言葉が吐き出された。

父親が違う四人の子を産んだ母を、一方的に責めたのだ。

「私なんか産まれてくるんじゃなかった」

娘から自分の過去の淫乱振りを難詰され、母は激しく動揺し、口喧嘩になる。

涙を溜めた娘からの攻撃的な吐露は、一瞬の間をおいて、母の涙を誘引した。

この蟠(わだかま)った母娘の宿命的とも思える衝突と、その衝突の向こうに待機するに違いない和解への願いが物語を括っていくが、しかしまだ母の涙は乾いていなかった。

清子にしてみれば、母を傷つけたくはないが、過去を封印して生きるのは辛すぎる。

どうしても、一回は吐き出さなくてはならない心の澱(おり)がある。

母娘にとって、衝突は不可避だったのだ。

それを避けたら、より一層プールされてしまう澱(よど)みというものもある。

衝突によって一気に突破を目指す、「恐怖突入」という名の荒療治もまた、しばしば不可避なのである。

含みは必ずタブーの領域に入ってしまうから、関係を突破によってクリアにする方法論は依然として有効なのである。

だから清子は吐き出したとは言わないが、もうそれを止められないほど、清子の内側に何かが噴き上がってきたことは確かだったのだ。

吐き出したら楽になった。

清子はこの気分を早く手に入れたかったのである。

それを吐き出された母もまた辛いだろうが、自分はこの辛さを、これまでずっと抱え込んできたのだ。

そんな思いを想像させる清子の決定的な一撃に、母のおせいは狼狽(うろた)えるばかり。

甘えた子供が放つ常套句に対して、母親はあまりに無力である。

だから号泣する以外にない。その母親の涙に娘の攻撃性は萎える。

普通の情緒的関係で繋がっている限り、母の涙は空気を変える力を持つのだ。


胸の閊(つか)えをおろして楽になった清子は、今や母の涙を止めなくてはならなかった。

関係が受けた裂傷を、償い切れない程の涙で潤すことができてもできなくても、辛さ故に滴った涙をそこに置き去りにする残酷は、普通、私たちの世界では見られない。

母の涙を止められる修復力が、この母娘には充分に残っている。

責める者も、責められる者も、良きにつけ悪しきにつけ、関係が抱え込んでいる甘えに寄りかかっていることもまた事実であった。

タブーを越えても、吐き出したいだけのモチーフが崩れれば、たいてい予定調和の世界に入っていく。情愛をベースに結ばれた関係とはそういうものだ。

「お母ちゃん、私の眼きれい?」と娘。
「知らないよ」と母。まだ不貞腐れている。

清子は母の心に寄り添ってあげたくなっている。

「母ちゃん、浴衣一枚買ってあげるわ。売れ残りの安いのを」

母の反応を今すぐ期待するかのような、児戯含みの清子のストロークには、激しくクロスした後の母娘の定番的な収拾のスキルが反映されている。

母の修復力が意外に早いのを、娘の清子は知悉しているのだ。

「嫌だよ、売れ残りなんて」

おせいがそう反応したとき、母娘はもう近接しているのである。

母の甘えと娘の甘えが程好く混淆されていて、和解に向かう関係の経験的なスキルが、実に良く混淆された甘えを存分に生かしきっている。

衝突は必ず、和解という予定調和に流れ込まねばならない。

だから、衝突にも技術論が必要なのである。衝突の技術は、和解の不自然さを解消するのである。

おせいと清子の、一見不釣合いな母娘のゲームもまた、経験的な技術の勝利であった。



3  家族の喧嘩の不文律



―― 家族のこのような、比較的、日常的なアクションシーンには、その家族に相応しいルールがあるに違いない。家族の喧嘩にも不文律があるのだ。そこでの様々なルールを貫流する禁止条項というのがあるはずだ。

それを私なりに要約すると、「無視」、「拒否」、「攻撃」ということになる。

最も過激な家庭内暴力とかDVというものは、当然の如く、関係が作り出した過緊張の必然的な暴発点としての「身体攻撃」の最悪のパターンとなる。

「身体攻撃」はその主体の自我破壊を含むが故に、暴力の日常化は家庭の機能を不全化するのは必至であるだろう。

「拒否」というパターンも同様だが、「無視」というパターンになると、関係のラインの衰弱を意識が捉えてしまうから、家族という物語の再生は困難を極めるだろう。家族はゲームにすら向かえなくなってしまうからである。

ともあれ、おせいと清子のゲームは、技術のアシストがあって、忽ちの内に修復を果たして見せた。技術の根柢に、相手を思う心情の確かさがあるからだ。

これが、ゲームをいつも救うのである。



4  自分の矜持を簡潔に刻んだ言葉の決定力



映像のラストシーンは、夜の道での母娘の会話である。

その前に、機嫌を直したおせいがこの山の手の家屋を去るときに、人形作りを趣味にする上品な家主との短い会話がある。

「お帰りですか?」と家主。
「お邪魔しました」とおせい。
「お構いもしませんで・・・」と家主。

ここで、その家主が人形を飾っていることに気づき、おせいは思わず反応する。

「あ、お人形ですか?まあまあ」

そう言うや否や、人形に近づくおせいを、清子は「お母ちゃん!」と一言放って、その無遠慮さをたしなめた。

「あいよ、それじゃ」と諦めて、その家を後にするおせいの、何とも滑稽な絵柄がそこにあった。

非常に心温まる描写だが、それは既に母娘の、一時(いっとき)裂けた感情の修復を果たしたことを示していて、観る者に自然な情感が伝わってくる印象的な場面になっていた。

そしてそれ以上に、「下町の母親」と「山の手の未亡人」との間に横臥(おうが)する、その埋め難き意識文化の差異を垣間見るような描写でもあった。

そのことは同時に、清子が下町の寒々とした、半ば壊れかかった血縁共同体と決別した理由の奥深い部分がどこにあるのかということを、如実に示す構図でもあったと言えようか。

さて、ラストシーンの描写である。

先程から夜空で炸裂していた稲妻が去って、落ち着いた山の手の街路を、二人は並んで歩いていく。

おせいはその静寂なる夜の道端で何かに気づき、それを拾い上げた。

「お母ちゃん、何?」と清子。
「五十銭銀貨と思ったら、ビールの口金だよ」とおせい。
「五十銭銀貨なんて、今ありゃしないわよ」と娘。
「あたしも変だと思ったよ」と母。

ここで清子は、父の形見の指輪の話題に触れてきた。

「ねえ、お母さん。あのルビーの指輪、見てもらったら本物だって」

すかさず、おせいは反応する。

「そうだろう?そうだともさ。お前のお父っつあん、嘘なんかつけない人だったよ」

母は娘に、いつの日か言いたいと思っていたであろうこんな一言を、今、確信的に放って見せた。

お前は何も恥じる必要はない。

愛情をもって育てた父がいて、そして夫を誇る母がいた。それで充分ではないか。

この何気ないが、本篇を貫く最も重要な台詞によって、映像は決定的に結ばれたのである。


因みに、この会話は原作にはない。

原作はもともと二人の姉妹の物語であり、映像はそれを、清子の視座から見た家族や人生の有りようを描いたものに変えてある。

田中澄江
またスザンネ・シェアマンによると、成瀬の映像は田中澄江の元の脚本の内容を大幅に削っていて、特に最後の母おせいの台詞は、成瀬が自ら作り出したものである。

正直、この事実を知って、私は驚いた。

なぜなら、最後のこの母の台詞こそ、自らの出生を恥じる清子の思いに優しく反応したと同時に、自分の矜持(きょうじ)を簡潔に刻んだ言葉であるからだ。

この台詞があったからこそ、この映画は不朽の価値を獲得したものだと私は考えている。

稀有なる映画監督、成瀬巳喜男という男の、人間を観る眼の確かさを確認する思いだった。

日常性はほんの少し更新されていくことで、自在に変形を遂げていく。それが日常性の基盤に組み込まれて、新しい秩序を紡ぎ出す。

そこからまた新しい出口を見つけ出して、人々はそぞろ歩いて止まなくなるのである。

おせいと清子の喧嘩に終りが来なくても、ゲームの後の労りには嘘がない。

母娘は少しずつ傷つけあって、その度に労りあう。

ゲームに免疫力が出てきて、関係の修復力は増強する。こうして少しずつ、目立たないように動いていくのだ。

もしかすると、この母娘の和解は一過的なものでしかないかも知れない。

この家族の未来や、突破力に欠ける母親の性格を考えるとき、やはりこの半壊した家族の将来には決して明るい展望を見出しにくい。

それでもいいのだ。

人生は所詮、なるようにしかならないのだ。

思うようにならない人生だからこそ、人はその袋小路の隙間を縫って何とか生きようとするのである。

それでも、今そこに一筋の光線が差し込んできた。それが重要なのだ。母娘にとって、少なくとも、今はそれだけが重要だったのである。

「稲妻」のラストシーンは、あまりに清々(すがすが)しかった。

そこには、余分なものを削り取って達成した映像の美学が、慎ましげに映し出されていたのだ。眼を背けたくなるような血縁の、殆ど腐れかかった関係の澱みを、冷徹な筆致で描き切った本篇のラストシーンは、すっかり疲弊した物語の垢や埃を払拭し、それを雷雨によって隅々まで洗浄するが如くに、純化された何ものかになって閉じていった。観る者の脳裏に余りある情感を刷り込んだとき、それはもう不朽の名篇の価値を不動のものにしたに違いない。

因みに、原作の結びの一文をここに記しておく。

林芙美子(ウイキ)
「豪雨になった。

地の底を破るような雨がはい然と屋根をおおい、硝子戸の隙間からしぶきになって吹きこんで来る。蚊帳が風の方向へふくらんでゆく。廊下へ雨漏りがしはじめた。清子は硝子窓の方へ立って行って、白く降る激しい雨の下の屋根屋根を眺めていた。雨のなかに国宗の家も静かに眠っていた。

暗い空に、白い稲妻が一筋二筋一瞬の早さで遠く走って行っている」(「稲妻」林芙美子集 新潮日本文学 より)

実は成瀬の映画は、先に言及したように、原作とかなりの部分で異なっている。

成瀬の映像が、「浮雲」に代表されるように、常にこってりとした原作の過剰な情念から解放されていて、そこに成瀬に固有な人間観察の抜きん出たリアリズムが、一本筋の通った映像的文脈に結実していることが了解されるだろう。

成瀬の作品の多くは原作をベースにしているが、そこで作られた映像は、原作とは異なる総合芸術の表現作品として屹立しているということである。



5  自分に相応しい距離を模索する、一人の女性の自我の彷徨



―― 以下、「距離感」というキーワードによって、作品の簡潔な批評を私なりにまとめてみたい。

スザンネ・シェアマン
「稲妻」を批評するアングルは多様だが、私はスザンネ・シェアマンがその著で言及した指摘に注目したい。(因みに、本稿の作品上での台詞の箇所も、当著からの引用でカバーされるところが多かったことを書いておく)

「この映画ではむしろ東京の下町と山の手と云う二つの世界を対照的に描くことが、重要なテーマになっている。下町の場面では、行商(豆腐売り、飴売り、こうもり傘直し、研き師等)や人だかり、そして生活者(ラジオ、スクーター、モーターボート)に支配されている。(しかし、成瀬の作品にはしばしば登場するちんどん屋は、ここでは登場しない)。一方、人影がまばらな山の手は、時折ピアノの音が聞こえる静かな住宅街である。おせいの家の二階に下宿している女子学生のレコードを聞いて、清子はこうした清楚な雰囲気を初めて知り、実家とは異なった世界に魅力を感じている」(「成瀬巳喜男 ―― 日常のきらめき」スザンネ・シェアマン著 キネマ旬報社刊より)

本稿でも先述したが、「稲妻」という作品を、「下町」と「山の手」を対極にする描写によって把握するのは、とても分りやすい理解であると言えるだろう。

主人公の清子にとって、葛飾の実家とは、私欲絡みで妹の縁談を押し付けてくる長女や、母や知人に依存せずには生きていけない兄、急死した後も、その夫の愛人から保険金をせびり取られる自我薄弱な次女が屯(たむろ)する魑魅魍魎(ちみもうりょう)の館であった。

全て父の異なる子を産んだ母に対する軽侮の感情が、そこに絡んできて、遂に彼女は実家を捨て去った。

直接の原因は、長女が紹介してきた欲深い男からの解放にあったが、その男も含めて、彼女の観念の中では、それらは、「下町」のドロドロした共同体への嫌悪を発火点にしていた。だから彼女は、「山の手」の閑静な家に下宿したのである。

そこで清子が獲得した環境は、バスガールの仕事を身過ぎ世過ぎにする彼女が、心の底から求めていた香り高い文化以外の何ものでもなかった。

社会的自立を求める彼女は、文化のシフトを断行したのである。


彼女は、それ以外にないと信じられる、自分に似つかわしい文化と邂逅し、そこに侵入することによって、自分に相応しくないと厭悪する文化を遠ざけたのである。

自らが拠って立つ文化を基軸とすることで、自らが遠ざけた文化を相対化すること。それが彼女にとって重要だったのだ。

なぜなら、そのことによって、自分が遠ざけた文化と一定の距離を保持することが可能になったからである。

この「距離感」の獲得が、彼女が遠ざけたものの中枢にある存在、即ち、おせいという実母の思いの一端に、その心を届かせるに至った心理的要因であったと言えるだろう。

この説明で明らかなように、彼女の文化シフトのキーワードは「距離感」である。もっと正確に言えば、「自分に見合った距離感の獲得」ということだろうか。

概して、「下町」は「山の手」と比較すれば、「距離感」の近接度が高い。勿論、それは相対的なものだが、「下町」文化の中枢には、濃密な共同体意識の存在がある。

そこでは情報の共有度も高く、しばしば、「情報共有の内的強制」という眼に見えない縛りが働いているようにも思われる。

地域の祝祭や行事には全員参加が建前だし、人々もこぞってそこに身も心も投げ入れる。多くの人々は、それらの催しを心地良いものであると感受しているに違いない。

しかし全ての人を、半ば強制的に引き摺り込むコミュニティのエネルギーを、感覚的に忌避したい自我主体も存在するだろう。

清子は、そんなタイプの人間だった。

彼女の内側には、恐らく、この時代の水準を超えていたであろう近代的自我の意識が内包されている。

「距離感」の近接度の高さは、彼女にとって不快な何かであった。

それにも増して、そこで垂れ流される情報の内容は人間の貪欲さや醜悪さに満ちていて、それは、彼女には絶対的に忌避したい種類のものでしかなかったのだ。

自分のパーソナルスペースに見合った一定の「距離」を設定すれば知らないで済むことが、他者の存在の近接度が高すぎることによって、それを全人格的に受け止めてしまう厄介な縛りから、何としても脱出したいと切望する心理は充分に理解できる。

彼女にとって、その縛りは、「心地良き距離」の感覚とは無縁であっただろう。


だから、彼女は脱出したのだ。

その脱出によって、彼女は自らが拠って立つ未知なる世界の、何とも言えない心地良き感触を手に入れたのである。

そこでの「距離感」は、彼女にとって充分に適正な身体感覚として把握されるものであったに違いない。

「稲妻」とは、「自分に相応しい距離を模索する、一人の女性の自我の彷徨」についての映画であると見ることが可能である。

まさに「離れて知る母の思い」が、その「距離感」の獲得によって生まれたのである。

彼女が獲得した「距離感」とは、自分が遠ざけた世界を相対化できる客観的な適正なるスタンスであったと言っていい。

それは、客観的な適正スタンスを確保することによってのみ開かれた心の窓でもあった。

そこには鬱屈した情念がプールされていて、それはまさにその出口を塞がれた自我が何とか辿り着いた別の世界との邂逅なしに相対化できなかった、醜悪なる負性的価値の集合体を照射するものであった。


だからと言って、それは必ずしも「下町共同体」の固有なる負性的価値に起因するとは言えないだろう。

しかし、彼女の自我を捕捉した限定的環境の中にあって、その自我に絡みついた血縁的な縛りと、そこから垂れ流された歪んだ欲望や卑屈、打算、狡猾さ、無気力さ、だらしなさ等の異臭が、その至近性によって、じめじめした湿気の如く張り付いてくるような感覚こそが、彼女にとって最も唾棄すべき価値の全てだったと言えるのである。

彼女はシフトすべき充分条件の澎湃(ほうはい)の中で、その機を逃したらもはや堪えられないという絶妙なタイミングのもとで、決定的に動いたのである。

シフトすることで彼女の中の何かが守られて、そこから何かが見えてきて、そして、そこを起点に動き出すであろう何かを手に入れたのである。



6  「下町」と「山の手」の二元的世界を対極的に捉えて




私が「稲妻」を、このような清子像によって把握しようとするのは、清子の感情の流れに私自身が深く共感するものを覚えたからに他ならない。

ある意味で、私自身がかつての清子だったからである。


それについて少し書いてみたい。

このような映画の見方があることを、私自身の追体験によって検証したいからである。


東京が隣の千葉県とちょうど境を接する辺りの一角に、今にも壊れそうな古い木造の長屋があった。そこに私は生まれ、育った。

そこは「稲妻」の舞台となった下町とも近く、またこの作品が公開されるほんの数年前に、私は活力の乏しい産声を上げていた。

大した因縁ではないが、浦辺粂子演ずるおせいの面立ちや人となりが、無教養だが、「下町根性」丸出しの私の祖母と少し似ていたように思われて、良かれ悪しかれ、私にとって、「稲妻」は他人事の映画ではなかったのである。

家族七人が狭い畳敷きの空間に住み分ける私の家族の苦労は、基本的には、三人暮らしの「稲妻」の家族構成とは確かに異なっていた。

しかし、その空間で思春期を通過した辺りで、私は「下町共同体」の独特の体臭を毛嫌いしていて、常にそこからの脱出を願っていたのである。

清子のモチーフとは違うものの、薄い壁で隔たった隣家からの麻雀の音や下品な会話、平気で人の家に上がり込んで来る隣近所の御上さんたちの振舞い、そして私の家族と交えて吐き出される他人の悪口の怒涛の如き洪水など、それでなくとも明朗さに欠けた私には、それは到底耐えられる風景ではなかった。

物心ついた頃に、近所の御上さん連中と道で会っても挨拶しない出来事があったことも手伝って、私は大人からひどく嫌われる生意気な子供になっていた。

当時私が、その「低俗の坩堝」のように看做していた世界を最も嫌った理由は、自分に相応しい「距離感」を、その関係レベルに於いて全く確保できなかったからである。

そこにはプライバシーが殆ど存在しないのだ。

それは、この国の人々が均しく貧しかった時代にあって、不可避な生活様態の産物であったに違いないが、不幸なことに、私にはいつまで経っても馴染めない風景だったのである。

ある意味で、私はひどく個人主義者で、文学、映画、哲学などを介して、まるで自らの人格を縛る悪しき陋習(ろうしゅう)へのカウンターカルチャーとして形成されたかのような、少なくとも主観的には、西洋思考の濃度の深い若者にドラスチックなな変貌を遂げていたとも言える。

そんな私にとって、「下町共同体」は唾棄すべき障害物としか把握されなかったのである。

そんな私が家を捨て、家族を捨て、そこに繋がる全ての関係を捨てた。

下町的な一切のものを捨てた私が向かったのは、新興住宅地として売り出していた頃の東京練馬だった。私は23区の東端から西端に、半ば確信的な空間移動を果たしたのである。

そこで私が手に入れた「距離感」は、必ずしも私が望んだイメージと重ならなかったが、それでも私は満足できた。

そこで私は、自らが嫌った世界を相対化することができたのである。

そして、そこでの刺激的な生活を累積させることを通して、「下町共同体」の体臭を受容することができるようになった。

何のことはない。

私は、「下町共同体」それ自身を、絶対的に忌避していた訳ではなかったのである。

私も「稲妻」の清子と同様に、自らが置かれた限定的環境が醸し出す「人間の低俗的なる世界」を嫌っていただけなのだ。

その様は、思春期以降、急速に左傾化した私自身の独善的な観念や傲慢に多分に起因していて、問題意識がすっぽり欠落したかのような大衆の文化と一線を画す、自らの自我の砦の内に閉じこもっていたに過ぎなかったとも思える。

何年間もの間、一言も口を聞くことがなかった母親に対する素朴な愛情を実感したとき、私は自分の中の何かが崩れ、そこに新しく何かが生まれたことを鮮烈に認識せざるを得なかった。

以来、私はコミュニティなるものを相応に受容できるようになったが、しかしその頃にはもう、この国には「下町共同体」的なコミュニティは解体されてしまっていたのである。 

(余談だが、私は今覚悟を括っている。もうこの国に存在しないものに対して、「ないものねだり」をすることの甘さを拒絶することを。私たちの近代は、もう後戻りができないし、それを私たちが確信的に壊してきたことを認知せねばならないことを)

「山の手」の世界で
私には、「稲妻」の清子の気持ちが痛いほど分る。

「稲妻」に対する私の特別な思い入れの感情は、恐らくそこにある。

同時に、清子が母のおせいを、たとえ一過的であっても受容し、そこに束の間の情緒的な紐帯を作り出した空気の自然さも、私には理解できる。

成瀬巳喜男は、私のようなそんな思いを汲み取って映像化したとは思えないが、それでも「稲妻」という傑作を理解する上で、「下町」と「山の手」の二元的世界を対極的に捉えて、そこでの価値観や「距離感」の差異を押さえておくことは決して抹消的な事柄ではないと、私は考えている。少なくとも、私にとって「稲妻」は、そんな映画でもあったのだ。



7  別離と邂逅 ―― 皆こうして生きてきて、人知れず死んでいく    



―― 市井の人々の自在な日常性を凝視し、フィルムに定着させ、そこにある種の普遍性を記録した。それが成瀬巳喜男だった。


「稲妻」は、成瀬的リアリズムの真骨頂を示す最も忘れ難き作品である。

人間の生態をありのままに、自然に描き切る成瀬の演出の冴えに、観る者は思わず唸ってしまうのだ。

何度も繰り返しこの映画を観てきて、いつも思うのは、「別離があって、邂逅がある。皆こうして生きてきて、人知れず死んでいくのだ」ということ。

そして、「人生は思うようにならないのだ。せめて身の丈に生きて、身の丈に果てる。そこに幸福がある。その幸福を簡単に捨てない方がいい。それで充分ではないか」ということ.

この二点であって、それ以外ではない。

そこに生まれるちっぽけだが、決して手放したくない安堵感。それが欲しくて、恐らく私は成瀬を観る。「稲妻」は、そういう意味で最も愛しき作品なのである。

(2006年4月)

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