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    1 日前

2011年8月24日水曜日

イヴの総て('50)    ジョセフ・L・マンキウィッツ


<「ちんけな夢想家」という範疇を突き抜ける、抜きん出てクレバーな野心家の物語>



 1  「ちんけな夢想家」という範疇を突き抜ける、抜きん出てクレバーな野心家の物語



 本作の実質的なヒロインであるイヴが、自己破壊的な行動をも随伴する「演技性人格障害者」ではないことを確認しておく必要があるだろう。

 彼女を、そのような「精神疾患者」であると見るなら、殆どの人間が、何某かの「精神疾患」を具有していると言っていいに違いない。

 自我による情動制御を困難にする「人格障害」の厄介さとは切れて、イヴという名の女には、遠大なる野心を実現するに足る緻密な戦略を持ち、その戦略を遂行し得る、相当に高度でクレバーな知略を保持しているのだ。

 緻密な戦略を遂行し得るクレバーな知略と、その知略の成就を保証するに足る強靭な精神と度胸が備わっているが故に、彼女の遠大なる野望は、ちんけな夢想の範疇を突き抜けていたのである。

 要するに、彼女は相当にしたたかな野心家なのだ。

 野心家とは、夢を具現するために、日常的努力を不断に惜しまない人物の別名であると言っていい。

 その意味で、したたかな野心家とは、前述したように、夢を具現するに足る緻密な戦略を持ち、その戦略を遂行し得る、相当に高度でクレバーな知略を保持する者であるが故に、この「野心」という能力を自己コントロールし得る、最も肝心な能力をも保持する者である。

 但し、野心があっても、その野心を具現していく先に待機する、最終到達点である本来的能力の内実が具備されていなければ、その者は、単なる「ちんけな夢想家」という範疇で括られるだけだろう。

 ところが、本作のなヒロインのイヴは違っていた。
 
 彼女は、「ちんけな夢想家」という範疇で括られる次元を超えていたのだ。


 まさに、イヴという名の女こそ、抜きん出てクレバーな野心家だったのである。

 犯罪に手を染めることなく、自分の遠大な野望を具現していく、したたかな女のバイタリティー溢れる生き方は、そこに、社会的に支持された規範であるモラルの観点を挿入しさえしなければ、欺瞞と虚飾に充ちたショービジネスの世界において、相応の成功を手に入れる手段として有効だったという訳だ。



 2  物の見事に嵌った、「お人好し」を利用しろという基本戦略



 このような、イヴという名の女の優れた能力の一端を、映像から拾ってみよう。


 マーゴの愛人である、演出家のビルの誕生パーティーで、マーゴの激しい嫉妬による敵対感情を察知したイヴは、彼女の野心の具現の、最初にして最大の突破口である、「代役」の可能性を約束してくれた、劇作家ロイドの妻カレンに取り入って、親和関係を継続させていた。

 ビルの誕生パーティーで、「付き人」としての直接の「雇い人」である、マーゴとの関係の亀裂に悩むポーズを捨てないイヴに、カレンは近寄って、慰めの言葉をかけた。

 「あまり気にしない方が良いわ」
 「何が気にさわったのかしら?」
 「何もないわ。ああいう人なのよ」
 「先生を怒らすなんて・・・」
 「私もマーゴは好きなんだけど、蹴飛ばしてやりたい時もあるわ」
 「私なら、幾ら叱られてもいいんですけど」

 そして、帰りかけるカレンを呼び止めたイヴは、未だ野心を見透かされることのない有閑マダムに向けて、最も肝心な言葉を放つのだ。

 「さっきのお願いを・・・」

 「代役」の依頼である。

 「忘れないわ」

 笑みを湛えて、優しい言葉を返すカレン。

 

最も嫉妬の対象にならない女性を選び、彼女の性格を巧みに操作して、夢の具現である最初の突破口を突き抜けようとする、イヴの抜きん出てクレバーな振舞いが際立つシーンだった。

 「『お人好し』を利用しろ」という基本戦略が、物の見事に嵌っていたからだ。



 3  完璧なる「老獪」さによって業界を遊泳してきた男の支配力



 抜きん出てクレバーな戦略的野心家であるイヴにとって、情緒不安定な性格を露わにする、大女優マーゴの人間的脆弱さは、その「権力関係」をいとも簡単に反転し得る決定的瑕疵でもあった。

 まず、「情」に訴えて、「付き人」と「雇い人」という「形式的権力関係」を結ぶことで、最大のターゲットの懐深くに潜入して、「万全の付き人」という仕事をこなしていく。

 夢を具現するに足る、緻密な戦略を駆使していくのだ。

 しかし、この戦略が継続力を持ち得ないことを先読みしているイヴは、既に大女優の不興を買うまでに、夢を具現するに足る基本戦略を具備させているから、全て織り込み済みの結果を確認していくのみだった。


 自己管理も満足にコントロールし得ない、大女優のずぼらな性格の隙を縫って、批評家のアディソンに取り入り、あっという間にイヴの代役を手に入れ、遂には、自らが主演する舞台をも手に入れるに至るのだ。

 それは、「お人好し」のカレンを利用し、その弱みに付け込んで恫喝すらも辞さなかったイヴの戦略的野心が、物の見事に成就した瞬間だった。

 しかし、イヴの戦略的野心が、肉厚のバイタリティーを推進力にしただけの、未だ限定された「経験則」を芯にした脆弱さを内包している現実が、まもなく無惨にも晒されるに至る。


 イヴの正体を調べ尽くしていた批評家のアディソンが、その本来の牙を剥いてきたのである。

 ホテルの一室での、二人の緊迫した会話の本質は、イヴに対するアディソンの一方的攻勢に終始していく。

 カレンの夫である劇作家のロイドと結託して、ショービジネスの世界を我がものにしようという、そこだけは、イヴの稚拙な方略の破綻を指摘するアディソンの攻勢は、手馴れた戦略的恫喝を集中的に加えていくのだ。

 以下、そこでの会話。

「俺を何だと思う。俺を甘く見ているんじゃないのか?」
 「一体、何が言いたいの?」
 「よく眼を開けてみろ。はっきり言わんと、分らんか。ロイドは離婚しても君と結婚はしない。俺がここに来たのは、君の夢に喝采するためじゃない。今夜からお前は俺のものだ」
 「笑わせないで」
 「笑うがいい」
 「お前なら分っていると思った。俺たちの関係をね」

 笑い出すイヴの頬を打つアディソン。

 「これからは嘲笑(あざわら)うのは許さんぞ・・・お前の両親は貧乏だが生きている。3年間も手紙をやっていないな」

 映像の中で初めて驚愕し、慄(おのの)き、泣き崩れる女の本性が晒されたのだ。

 件のアディソンは、演劇界で成功するための「共同正犯」になることを望み、それを具現する能力を持つイヴを、ウインウインの関係の仮構のうちに、実質的に支配する意図を露骨に吐露していくのだ。

 「お互い人並みじゃないしな。お互い人間を軽蔑し、恋愛なんかと無縁で、飽くなき野心と才能がある。似た者同士さ。お前が俺のものだということが分かったか?」

 「はい」と言って、完全屈服する女。

 彼女の遠大な野心の戦略は、それを上回る男の狡猾な戦略に吸収されるレベルの能力であることを露呈することで、完璧なる「老獪」さによって業界を遊泳してきた男と、未だ限定された「経験則」を芯にして、戦略的野心の内実が肉厚のバイタリティーを推進力にしただけの、若い女との勝負の帰趨は明瞭だった。

 瞠目(どうもく)すべきラストシーン。

 セイラ・シドンス賞というアメリカ劇界最高の栄誉を受け、疲弊し切ったイヴがホテルの部屋へ入るや、一人の少女に自分のベッドが占有されていた。

 彼女は、気持ち良く寝入っていたのだ。

 驚くイヴ。

 女子高の演劇クラブの会長であるという事情を、動じることなく説明する相手は、イヴの大ファンで、彼女についてのレポートを書くために会いに来たのである。

 そこに、セイラ・シドンス賞の像を届にきたアディソン。

 そのときの短い会話。

 「君もそういう賞を欲しいだろう?」とアディソン。
 「一生の夢です」と女子高生。
 「教えてもらうといい、賞を取るコツを」

 この経緯を経てのラストカットは、イヴの眼を盗んで、イヴの舞台衣裳を充てがい、その手にはセイラ・シドンス賞の像を持って鏡の前に立ち、ブロードウェイで成功を勝ち得たイメージを抱きながら、繰り返し会釈する少女の至福の表情を映し出す決定的構図だった。

―― 本稿の最後に、総括的な批評を一言。

 恐らく「人格障害」とは無縁に、イヴの戦略的野心のルーツには、貧しい境遇から這い上がって生きていくしかない彼女の自我の歪みが垣間見えるが、本作は背景描写への拘泥に引き摺り込まれることなく、どこまでも、虚飾のショービジネスの世界のバックステージと、そこで呼吸する者の生きざまを丹念に描き切っていった。


 ブロードウェイの醜悪なるバックステージを、些かドラマチックに描いた本作の完成度は決して低くないが、当時のハリウッドムービーの制約もあって、台詞に頼り過ぎる映像構成の瑕疵が気になったのは事実。

 それでも、人物の様々な感情の機微を丁寧に拾い上げていくことで浮き上がってくる個々の心理の振幅を、語り口の技巧の確かさが捕捉し得た人間ドラマの達成点は良質なものだった。

 因みに本作は、その因果関係の有無と決して無縁であったと言い切れない、ハリウッドをも巻き込んだマッカーシズムが狂奔する年に製作された傑作であった。


 

本作の作り手であるジョセフ・L・マンキウィッツ(画像)こそ、当時、全米監督協会の会長を務めるが、リベラリストであったが故に、保守派との確執を回避できなかった当事者性を持っていた事実を確認する必要があるだろう。


(2011年9月)

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