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  • 清瀬・我が町2017晩秋 - 長源寺・清瀬市下清戸にある曹洞宗寺院の佇まい。 清瀬の晩秋の風景が一番好きだ。木々が色づき、寺院の境内のしみじみとした味わいは、多摩の情緒が溢れていて最高にいい。 長源寺は、全龍寺を創建した玉室應珍(慶長18年1613年寂)が開山となり創建したと言われる。 以下 清瀬・円福寺 曹洞宗寺院の円福寺...
    4 日前

2008年12月13日土曜日

狼たちの午後('75)    シドニー・ルメット


<大いなる破綻と救済の向こうに>



1  うだるような夏の午後



映画の原題は、「Dog Day Afternoon」。

「うだるような夏の午後」というような意味である。


―― 以下、本作の基幹的なストーリーを詳細に追っていく。


1972年8月22日。その日、ニューヨークは35度を越えるような猛暑だった。場所はブルックリン、チェース・マンハッタン銀行支店に、3人の男たちが乗り込んだ。

時刻は2時57分。

閉店間際の銀行には、客は疎(まば)らにしかいなかった。最初に入った男が、電話をかけている支店長に銃を向けた。

全ては、ここから始まったのである。

「不安になってきた」とTシャツ姿の男。
「何だと」と、背の低いスーツ姿の男。
「こんなでかいこと・・・」
「ビビるな、奴はもう銃を向けた。ドアの方へ行くんだ」

リーダー格らしいスーツ姿の男は、Tシャツの若者に命じた。

最後の客が銀行からいなくなったことを確認して、リーダー格の男は手持ちのケースから銃を取り出して、残っている行員たちを前に一喝した。

「動くな!皆動くな!」

照明灯下の広々としたフロアーの中に、静寂を裂くような男の絶叫が刻まれた。

それは明らかに、3人の男たちによる計画的な銀行強盗の合図となる、極め付けのような最初の一撃となった。

ところが、Tシャツ姿の若者の表情は、この一撃に反応できないでいる。 

「駄目だ。できないよ」
「馬鹿を抜かすな」
「無理だ」
「クソったれ!サル、どこだ!できないとさ」

リーダー格の男は、支店長に銃を向けている男に叫んだ。

「追い出せ!早く!」

サルと呼ばれた男は、スーツ姿の男にそう命じた。どうやら、このサルという男が強盗の主導権を握っているように思える。

まもなくTシャツ姿の男が、「ごめんな」と一言発して、銀行を立ち去っていった。

その若者の置き土産は拳銃一つ。その拳銃を受け取った、スーツ姿の男の名はソニー。

それは、3人による銀行強盗の破綻の始まりを示すシグナルとなっていく。

サルとソニー
しかしサルとソニーは、まだそれに気づかない。

「事を進めるぞ!いいな!」

ソニーの甲高い声がフロアーに響いて、残された二人による強盗計画の実行が開かれたのである。

ソニーは行員をフロアーの隅に集合させて、一人で激しいアクションを展開する。

それは、この男の心の動揺感を示すものだが、この時点では、リーダー然としたソニーのテキパキとした行動が際立つような印象が拭えなかった。

「順調だ。30分で片を付ける」

次々とフロアー内の警報機を破壊したソニーは、支店長に金庫を開けるように命じた。

その支店長の指示で金庫を開けた女子行員が、ソニーの前に見せた現金の全額は1100ドル。銀行の当日の収入金は、全て本店に送られてしまったのである。

それは、彼らの強盗計画の破綻の第二ステージだった。

「冗談きついぜ。最悪だ」

愕然としている暇もなく、ソニーは有りっ丈(たけ)の金を懐に集めて逃走しようとする。

その前に出納表を燃やして痕跡(こんせき)を断とうと試みるが、その出納表の燃え滓(かす)から煙が立ち込めて、街路から人が入って来ようとした。慌てるソニーは、ワックスの光沢で輝いているフロアーを滑りながら指示を発する。

ソニーと女子行員
支店長に命じて外部者の入店を阻んだのも束の間、全員を金庫室に閉じ込めようとするが、「トイレに行かせて」という年配の女子行員の要望にソニーは受諾した。

女子トイレに随伴したソニーがそこで見たのは、長トイレをしていた若い女子行員。

何もかも予想外の展開が続く彼らの強盗計画の破綻の決定打は、警察からの電話だった。

「銀行を包囲した」

モレッティ部長刑事からの電話で、ソニーは窓の外を見ると、そこには警察の包囲網が敷かれていて、大勢の警察官たちが銀行内部を覗いていた。

あってはならない状況に、ソニーとサルは思わずその場にしゃがみ込んでしまった。

「なぜだ。お前らに危害を加えたか」とソニー。慨嘆している。
「私は呼んじゃいない」と支店長。
「計画を立てたの?気まぐれで、やったわけ?」と年配の女子行員。
「なぜ燃やした?」とサル。
「すぐ立ち去ればいいのに、グズグズと・・・」と支店長。
「計画も立てずに、銀行強盗を?」
「計画は立てた。金はごっそりあると。あのクソ野郎、よくも嘘の情報を・・・」とソニー。
「その人って何なの?黒幕か何か?」と年配の女子行員。
「早く終わらせてくれ」と支店長。
「よく考えなくちゃな」とソニー。

こんなコメディのような間抜けな会話が、銀行内で飛び交っていた。

とりわけ年配の女子行員は、まるで力関係が逆転したかのような攻撃的態度を崩さず、母親に説教される子供の如く、ソニーの慌てぶりは滑稽だった。

追い詰められたソニーは、猫を噛むネズミの心境によって開き直るしかなかった。

次にかかってきた電話に、彼は恫喝した。

「近寄ると人質を殺し、死体を一つずつ放り出すぞ」

しかし、その電話の主は、若い女子行員の亭主だった。

この亭主からの電話を受け継ぐソニーの滑稽さは、彼の本来的な性格の良さを示すものだった。

今度は警察からの本物の電話があり、ソニーは同じ恫喝を繰り返す。

そんなソニーの本音を確かめるために、サルはソニーに尋ねた。

「あれは本気か?」
「何が?」とソニー。
「つまり・・・死体を放り出すって」とサル。
「そう思わせておくんだ」
「本音は?」とサル。それに答えられないソニーに、サルは言い切った。
「今ならやれるぜ」
「分った」とソニー。立ち上がろうとする彼の腕を捕まえて、サルは念を押した。
「マジだ」

映像はここで、銀行強盗犯二人の性格の違いを映し出す。

それは犯罪に対する確信性の違いであり、犯罪に走る者のその非情さの違いでもある。

一貫して氷のような凍てついた表情を崩さないサルに対して、行員たちの言動に振り回されるソニーの、極めて人間的な振舞いが、何か確信犯のそれを思わせない脆弱さを浮き彫りにしていた。

モレッティ部長刑事から電話があった。

自ら丸腰で行くから、一人でも人質を解放して欲しいという打診である。

その打診をソニーは受諾した。

喘息の発作で倒れている黒人のガードマンの解放を決めたのである。

当然ながらサルは、相棒のその人道的な判断を快く思っていなかった。

人質を解放した後、丸腰の刑事がソニーとの交渉を懸命に始めていく。

表に出たソニーがそこで見たのは、総勢250人の警察官の体制と、その背後に群れ成す野次馬の市民たち。

「降参しろ。今なら強盗未遂で済む」
「武装強盗」とソニー。

苛立つように、支店の前を右往左往する。

「だが、誰も撃ってない。人質を解放しろ。監禁罪は問われず、懲役5年、1年で保釈だ」
「銀行強盗は連邦法で裁かれ、監禁罪も加わる。騙されないぞ。責任者と代われ」

モレッティ部長刑事との遣り取りの中で、ソニーは確信的判断を下せないで迷っていた。

射撃班が待機してる路上を右往左往している内に、一気に興奮状態が昂まってきて、「俺を殺したいんだ!」と叫んだ後、ソニーは、「アティカ!アティカ!」と群集に向かって吠えたのである。

「アティカを忘れるな!」

このソニーのアジテーションに、群集が反応した。

明らかに彼らは、ソニーとの心理的連帯を繋ぎつつあった

「銃を下げろ!マスコミがいなけりゃ撃ってた!下げろ!下げるんだ!アティカ!アティカ!そうだ、その調子だ!いいぞ!」

ソニーを取り囲んでいるはずの警官隊が、その外側から無数の群集に取り囲まれてしまっている。

ソニーはこのとき、一人の有能な扇動者に成り切っていた。

因みに、ここでソニーが連呼した「アティカ」とは、この映画のモデルとなった実在の事件が起こった前年に、アティカ刑務所での黒人囚人たちが起した暴動に由来している。彼らは刑務所に待遇改善を求めて暴動に走ったが、刑務所側の過剰な防御反応によって多数の囚人が射殺されたという悲劇に至ったという顛末。

この事件がメディアを通して反体制的な気分に火をつけたことに乗じて、ソニーは今、銀行強盗犯である自分を一人のアジテーターにキャラチェンジして見せたのである。そのキャラチェンジが功を奏して、彼は路傍で雄叫びを上げ、それがテレビカメラを通して全国ネットに流されたのである。

そのテレビをソニーの両親が見ていた。

「お金が要ると、なぜ言わなかったの?私に相談すればいいのに」と母。
「信じられない」と妹。
「あの甘ったれが、なぜ?」と父。

こんな家族の慨嘆をよそに、ソニーは今やメディアの寵児になろうとしていた。

某テレビ局から、銀行内に篭っているソニーに電話が入った。

「君の様子は生中継されている。質問に答えてくれ。理由は?」
「理由を答えろか?何の?」
「銀行強盗の?」
「なぜ聞く?銀行には金があるからだ」
「なぜ盗もうと思った?仕事がないのか?」
「何すりゃいい。俺は組合に入っていない。だから、どこも雇ってくれない・・・俺は妻と子供が2人。喰っていけない・・・ここにいる全員が死ぬかも知れない。血にまみれ、はらわたが飛び出す。そんな光景をテレビで流すのか?さぞ視聴率は上がるだろう。何かよこせ」
「ソニー、投降しろ」

全く噛み合うことのない会話だったが、そのソニーの遣り取りを、何人もの女子行員たちが恐怖感とは縁遠い表情で見守っていた。

その中には、カメラを意識して手を振る若い行員もいた。

今や、「スットックホルム症候群」(後述)が、この白昼下で全国の耳目を集める空間内で形成されつつあったのである。

しかしソニーの相棒のサルだけは、この症候群の空気とは無縁であった。

彼には金を奪って逃げるか、死ぬかの選択肢しかなかったのである。

ソニーはそんなサルの不安を払拭するために、人質を伴って国外脱出を図るという思い付きを話し、それに同意した相棒を残して、再びモレッティとの交渉に臨んだ。

再び表に出たソニーを待っていたのは、嵐のような群集の歓呼だった。

それに手を上げて出て来たソニーは、ガッツポーズを繰り返してのパフォーマンス。

そのソニーに体当たりした男がいた。人質になっている女子行員の恋人だった。

その恋人が警官に捕縛されて、興奮するソニーを必死に宥(なだ)めるモレッティ。

一体誰が強盗犯であるか判然としない無秩序な空気が、そこに漂い始めていた。

そのとき、行内から支店長が表に出て来て、ソニーに相棒の異変を伝えたのである。

「行員を殺す」というサルを宥めて、ソニーはモレッティとの交渉に臨んだ。

ソニーだけが仕切っているようなその危うい状況の中で、未だ心の臨界点を迎えていないソニーは、モレッティに正直に状況を説明した。

「変な奴が電話してきて、全員殺せって。皆、血に飢えている」
「馬鹿な電話は無視しろ」
「実は提案がある。ヘリを用意しろ。好きな所に行けるよう、飛行機も。でっかいジェット機だ。バーとラウンジ付き。外国に行きたい」
「ヘリがここに着陸できるかな」
「屋上に」
「柔いから壊れるぞ・・・上司と相談する。他に要求は?」
「女房を呼んでくれ」
「見返りは?」
「何がいい?」
「人質を返せ」
「話しにならない。女は大事な人質なんだ。冗談は止せ。要求が通るごとに、一人ずつ返す」

ソニーの要求に対して、モレッティは迅速に動いた。

まずソニーの女房の元に出向いたのである。

事件の首謀者がソニーである事を事前に知っていた彼女は、その驚きを警官に畳み掛けるように話した。

「事件を伝えるニュースをラジオで聴いたとき、耳を疑った。ソニーが銀行強盗なんてするわけないわ。盗みや暴力、悪いことは無縁。私が知る限り善人よ。でも一昨日、ダッシュボードに銃が入っているのに気づいた。近頃悪い仲間ができて、様子が変だった。遊園地で子どもに怒鳴り、無理に乗り物に乗れって。断るとまた怒る。喚き散らした。私を撃ち殺す気かって、ソニーに聞いたわ。初めて彼を怖いと思った。夫婦喧嘩して、よく警官を呼んだ。一度ハンマーで殴ろうとしたら、自分の脚に当り、ひどいアザになって、彼は黙って出て行った。銀行強盗したなんて信じない」

このソニーの妻の話の内容から、ソニーの人柄が検証されたが、しかし彼がなぜ、最近人が変わったように荒れ狂い、銀行強盗を実行するに至ったかについての背景は見えてこない。

時間だけが、いたずらに刻々と動いていく。

その間、屋根から狙撃班が突入しようとする動きに刺激され、ソニーは屋根に向かって銃を乱射する荒れ方を見せたが、モレッティの粘り強い説得で、ソニーの心象をギリギリのところで繋いでいた。

ピザを注文させたソニーが、それを受け取りに三度(みたび)街路に姿を見せ、ピザ代の代わりに銀行の新札を群集に向かって撒き散らした。

その新札に警官を押しのけて群がる市民たちの狂乱ぶりが、印象的に映し出された。

既に銀行界隈では、狂気に近い何かが空気を支配していた。

銀行の中では、ソニーは女子行員と戯れている。

銀行強盗事件の舞台となったチェース・マンハッタン銀行(ウィキ)
女子行員たちは、もう当初のような恐怖感が著しく削られていたのである。支店長は、ソニーとモレッティとの電話の取次ぎ係の役割を担っていた。

その支店長に、モレッティからの連絡。

ソニーの女房だという者がやって来たとのこと。その妻の名は、レオン。男である。

ソニーはこの男と同性愛同士の婚式を挙げたというのだ。

そのレオンが、暑さで脱水症状を起していた。

そのレオンに、モレッティは説得工作を頼むが、レオンの反応は冷ややかだった。

「私には無理。止められないわ。ソニーは誰の言うことも聞かない。夏の初めから変よ。私を殺そうと、頭に銃を突きつけ、ナイフで切りつけた・・・奥さんと子供が2人いて、いい父親だけど、彼の母親がひどい人でね。父親もろくでなしよ。彼におんぶに抱っこ。生活費や家賃をせびる。結婚を望んだのは私の方よ。彼は、渋々承知した」
「なぜ結婚を?」とモレッティ。
「落ち着けるかと。でも、駄目だった。見境がなくなり、変なことを繰り返した」
「例えば?」
「結婚式の後、私は10日も姿を消した。ソニーは大慌て。駆け落ちしたと思って、捜し回した。私自身も何が何やら。だから病院へ。医者に言われた。体は男なのに、心は女だって。性転換手術の費用をソニーは作るって。でも大金よ。2500ドルだもの。彼は借金だらけだし」
「手術費が必要か?」
「そのストレスで、暴力を振るい始めた。手術は無理だろうと、私は落ち込み、だから、死のうとして薬をごっそり飲んだ。ありとあらゆる種類の薬を。病院に運ばれて、ソニーが来て、私をじっと見て、こう言った。“なぜだ。何もかも上手くいってたのに”」
「彼が強盗をしたのは、君のためか?」
「多分ね」
「彼を止めるのは君の責任だろう?」
「でも話せない」
「君も関わってる。共犯だ」
「いいえ、関係ない。成行き次第だ。怖い」
「彼と話してくれ、頼む。電話じゃ向こうも手は出せない」
「嫌よ。何て言ったらいいの」とレオン。表情が涙で埋もれている。

以上の深刻な会話の内容で、これまで判然としなかった最も重要な部分が明らかになったのである。

ソニーの銀行強盗の目的は、ゲイの結婚相手であるレオンの性転換手術の捻出のためだったのだ。

そのレオンが今、自分のすぐ近くにいて、ソニーは彼の声をどうしても聞きたかった。

しかし肝心のレオンが、ソニーとの会話を避けている。

恐らくレオンは、性転換手術の費用の捻出ができずに溜めたストレスを、自分に対する暴力の現出によって発散するソニーが怖くなっていて、そのために起したこの事件への関わりを恐れているのである。

そんなソニーとレオンとの関係がテレビで映し出されて、銀行内の女子行員たちはその想像し難いストーリーに面喰っている。

強盗犯人が立てこもる空気が変色するが、ソニーは国外脱出への希望に全てを賭けるしかなかった。



2  何もかも頓挫し、何も手に入れることなく



エアコンの切れた行内の暑さが、それに耐える臨界点に近づきつつあるとき、行内の灯りが突然消えた。

ソニーを呼び出す外部からのスピーカーの音に反応して、ソニーは四度(よたび)街路に出ていく。

外はすっかり日が暮れて、街路の眩(まばゆ)い照明光が異様な輝きを見せていた。

そこには、モレッティに代わるFBIのシェルドンが待機していて、ソニーに最後通牒を突きつけた。

「飛行機と車を用意した。人質を返せ。悪いようにはしない」
「人質は命綱だ」とソニー。
「いつ返す?」
「車が来たら、一人返してやる。空港に着いたら一人。飛行機の中を調べて、問題なしなら全員を返す」
「中に入る」とシェルドン。
「なぜだ?」
「無事か確認する」
「元気だ」
「確かめたい」
「いい度胸だ。人質が死んでたら、あんたも命がない・・・相棒に知らせる」

サルの確認を取って、ソニーはシェルドンのボディーチェックをする。

シェルドンが暗い行内に入って、人質の無事を確認する。

シェルドンはそこで、サルの凶暴性をも確認したのである。

彼はソニーをまた外に出して、他の者に聞こえないように伝えた。

「君は冷静だ。撃ち合いになりかねない状況だったが、上手く乗り切った。サルは我々に任せろ。君は大丈夫だ」
「何を言ってる」
「黙って見てろ。サルを始末する」

この時点でシェルドンの真意を知ったソニーは、戻ろうとする彼の後姿に向かって叫んだ。

「裏切れって言うのか!」

シェルドンはそれに答えず、静かに戻って行く。

ソニーはそれ以上何も言えなかった。

そこにサルが近づいて来て、「何の話を?」と聞くが、ソニーは巧みに誤魔化した。

彼には、明らかに迷いが生まれている。

裏切る意志を持つことを心中で繰り返し否定しつつも、サルの凶暴性を知っているソニーには、シェルドンの話を直裁(ちょくさい)に伝えることができないのだ。

うだるような行内の暑さに、支店長が倒れた。糖尿病の発作である。

恐らく、脱水症状が原因であると思われる。

ソニーは慌てて外に出て、ドクターの要請をする。

ドクターが行内に入って手当てが始まるが、シェルドンの仲介でレオンとの電話連絡が可能になった。

二人の会話。

「どうした?調子は?」とソニー。その顔から汗が吹き出ている。
「病院から出て来たの」とレオン。
「知ってるよ。出られないと思ってた」
「しかも、こんな方法でね」
「体の具合は?」
「少しふらつくの」 
「刑事は薬の副作用だと言った。だから、俺と話したくないのかと」
「大変だったわ。まともじゃないと医者は決め付け、やたらと注射を。ずっと眠ったままで、却って変になる。やっと、良くなってきたの」
「それで?」
「あんたは元気?」
「元気だ。驚いたか?・・・俺はじきに死ぬ。死ぬ」
「死ぬって、簡単に言わないで。自分で分ってる?よく考えてみて。会うたびにあんたは死ぬって言ってる。なのに、実際は人殺し」
「馬鹿言うな。説教する気か」
「何してるか分ってる?」
「勿論」
「人に銃を突きつけ・・・」
「まともとは言えんな」
「そうよ。私にも“ぶっ殺すぞ”って。私が入院したのは、あんたから逃げるためだった。だけど、今はこうして話してる。仕事も友だちもないから、生きるのが辛くて。不安よ」
「そんなこと言われても、俺は何も答えられない。こんなときに泣き言か」
「ごめん」
「分ってるだろう?俺の苦労が。すごい重圧だ。お前は病院で手術を受けたいんだろう?皆、俺を当てにして、金を欲しがる。お前に金はやるよ」
「強盗しろとは・・・」
「頼まれちゃいないよ。誰かのせいにするつもりはない。俺が勝手にやった。俺の考えだ。いいかよく聞け。俺はよその国に行く。飛行機でな。それを知らせたかった。ここに来てくれ。さよならを言いたい。何なら一緒に高飛びするか?好きにしていい。それだけだ」
「私の好きに?半年も避けてきたのに、あんたと外国へ?どこへ行くの?」
「まだ分らない。アルジェリアかな・・・」
「なぜ、アルジェリアへ?」
「アメリカのレストランがある」
「あんたは、本当に変よ」
「分ってる」

こんな会話が長々と続く。映画のクライマックスと言っていい。

一人の男が、自分の愛するパートナーのために、分に合わない罪を犯し、命を捨てる覚悟で国外逃亡を図ろうとしているのだ。

まだ会話は繋がっていた。

しかしレオンは、警官たちの盗聴の中で話をしている。それを、ソニーはまだ知らない。

「サルは、ワイオミングへと・・・ワイオミングがどこかも知らない。そんな奴と一緒だから大変だ」とソニー。
「サルも一緒に?諦めた方がいいわ」とレオン。
「ここまで来たら、とことんやる。絶対に諦めるもんか。今さら」
「頼みがあるんだけど」
「何だ」
「刑事は私を疑っている。この事件に関わってるって言うのよ」
「まさか。真に受けるな。そんなの、でたらめだ」
「共犯だって」 
「騙そうとしている。耳を貸すな」
「刑務所に入ったら、私、生きていけない」 
「入らないよ」
「なぜ?」
「入るわけがない」 
「じゃあ、連中に言って」
「お前は関係ないって?奴ら聞いているのか?盗聴か?すごいな、大したもんだ。よく平気でしゃべれるな」
「仕方ない」 
「なぜ?」
「だって、7000人の警官に囲まれているの」
「誰が聞いている?」
「責めないで」
「様子を知りたいだけさ。責めちゃいない。誰が聞いてる?モレッティ、モレッティ聞いているか?返事しろ」

ソニーは激しく感情を昂らせた。

レオンは今、自分の力で何もできない。彼は単に、ソニーとの会話の相手として病院から強制的に連れて来られたのである。

「無理よ」
「レオンはこの事件と何の関係もない。盗聴を止めろ。止めたか?」
「ええ」
「これではっきりした。お前の潔白は証明された」
「ありがとう」
「お前はどうする?」
「病院に戻るわ。皆親切で、力になってくれるの」
「じゃあ、何とかなるな」
「どうかしら」
「今でも手術を受けたいか?」
「ええ」
「最後に何て言おうか?」
「ありがとう・・・元気で」
「また会おう」
「夢の中でね」
「人生って不思議だ」
「いい言葉・・・じゃあ、さようなら」

二人の長い会話は、これで結ばれた。


レオンのために行動を起したソニーは、そのレオンを守るために会話の後半を埋めたのである。受話器を置いた後のソニーの表情は、あまりに哀切だった。

彼は今度は、本当の女房の元に電話した。

「・・・信じられない。あんたが銀行強盗なんて。虫も殺せない男なのに」
「俺は死ぬ。ここで死ぬ」
「私にも責任がある。あんたはイライラして。遊園地では子どもに怒鳴るし、この私にも乗り物に乗れって。嫌だと言うと、また怒った・・・肝をつぶしたわ。心臓が止まるかと思った・・・・あんなこと初めて。撃ち殺されると思った。あんたが怖かった」
「うるさい!話を聞け!黙って聞くんだ!」

ソニーは感情の飽和点に達した。

彼には怒りをぶつける相手が特定されているようである。その特定された相手から、結局、恐怖感を持たれてしまう男になってしまったのだ。その女房も、どうしても恐怖感を越えて、言いたいことがあった。

「いいえ、言わせて!私を何だと思ってるの?女房よ。あんまりだわ。亭主が男と結婚なんて、ひどすぎる。私が悪いことした?いつも言いなりでしょ・・・愛してるから切なくて」
「愛って何だ?愛してるなら、なぜここに来ない?」
「私、怖いの。警官は私も撃つかしら」
「撃つもんか。狙いは俺だ」
「会いに行きたいけど、無理よ。この時間じゃ、ベビーシッターが・・・」

妻の話の途中で、ソニーは受話器を置いた。

その表情は、完全に追い詰められた者の絶望感を表していた。

その絶望感の中でも、彼の中の一握りのヒューマニズムは死んでいなかった。支店長を、医師を伴って外に出そうとしたのである。

しかし彼は、自ら外に出ることを拒んだ。

「ほっといてくれ。君みたいなクソ野郎に会いたくなかった。親切ぶるのは止めてくれ」

支店長にここまで言われて、ソニーは苦笑いを浮かべるしかなかった。彼はもう、銀行内では絶対的権力者ではなかったのである。

しかし、外の群集はまだソニーを英雄扱いしている。この落差が、この映画の真骨頂だった。

「ゲイに人権を!ゲイに人権を!」
「ソニー万歳!ソニー万歳!」

群集の中では、今や、一つの意志を持つ集団を抱えていた。その中にはゲイもいるし、黒人も、女性もいた。

そこに今度は、ソニーの母が説得役として、現われた。

その母との対話。重要な内容が含まれている。

「町中の噂よ。テレビにも映って」と母。
「うまくやる。大丈夫だ」と息子。
「FBIの人と話したら・・・」
「誰とも話すな」
「今降参すれば、心配ないって。あんたを助けたい一心で、ベトナムでの戦いぶりをFBIに話した。勇敢な兵士だったと・・・・」
「飛行機でアルジェリアに行く。手紙、書くよ」
「アルジェリア?なぜさ?」
「こうして母さんと話してたら、諦めたと思われる」
「別にいいでしょ」
「諦めない」
「FBIは分ってくれた。お前が悪いんじゃなくて、ひどい家庭のせいだって」
「アンジー(妻)のせいにするな」
「悪口なんか言ってないわ」
「彼女は関係ない」
「円満だったのに。アンジーが冷たいから、レオンに走ったのね・・・・」
「止めろ!今そんな話するな!」
「このまま降参しなさい」
「駄目だ。戻らないと、サルが皆を殺す」と息子。

ソニーのこの一言の意味の大きさには、計り知れないものがある。

 彼は銀行員たちの防波堤になると同時に、相棒のサルをFBIに殺させたくないという思いも含まれている。

「お逃げ」と母。

この母だけが何も分らない。

「どこへ?逃げられるもんか。絶対に無理だ」
「帰ってくれ、親父は来てないのか」
「怒ってるわ。縁を切るって。“息子は死んだ”って」
「俺は社会の、のけ者だよ。関わると面倒になるぞ。もう行く」

ソニーは母との会話を打ち切って、銀行内に戻っていった。

このとき、母と息子との間に流れていた感情のラインは、相互に求め合うような嵌(はま)り方とは無縁なものだった。

ソニーは、女子行員に自分の意思を筆記してもらった。遺言である。

「愛する妻、レオンへ。君への愛はどの男を愛するよりも深く、永遠だ。私の生命保険1万ドルの中から、2700ドルを送る。その金で手術してくれ。私の死後一年後、残金があれば、その金も送る。私の一周忌に墓参りをして欲しい。私の妻、優しい妻アンジェラには、生命保険から5000ドルを。私が愛したただ一人の女性だった。この悲しみのときに、再び愛を誓う。幼いキミーとティミー、私を忘れないでくれ。ティミーは一家の小さな大黒柱。皆を世話してくれ。母には許しを乞う。私の行動や発言を理解してもらえなかったが、私は私だ。式は軍隊葬を望む。無料でしてもらえるはずだ。皆に神の祝福と加護を。また会える日まで・・・」

ソニーが遺言書にサインした直後、警察の車が到着した。いよいよ、ソニーとサルの決死の脱出行が始まったのである。

到着したその車をソニーは入念に点検し、FBIが指定したドライバーを、迷った末に決定した。まもなく、行員たちによって囲まれた輪の中を、ソニーとサルはゆっくりと移動して、用意された大型車に乗り込んでいく。

周囲のビルの屋上にはスナイパー(狙撃手)たちが狙いを定めているが、手出しができない。緊迫した状況の中で、車は空港に向かって出発した。                               

その車の前後を、FBIの車両が埋め尽くしている。上空からは、はヘリコプターが追尾して行く。沿道を埋め尽くす群集は、喝采を叫ぶ者や、犯罪の緊迫感に刺激されたのか、投石する者たちの興奮で異様な熱気を噴き上げていた。

ようやく街路に出された行員たちの表情は、行内にいたときの気だるさにも似た、ある種のゲーム感覚に包まれたような相対的安寧感が、一瞬にして崩れ去っていく変化をまざまざと映し出していた。

女子行員たちは、現実の厳しい状況がもたらした張り詰めた空気感に我を取り戻したのである。それは、「ストックホルム症候群」が崩壊した瞬間でもあった。

まもなく、ソニーや人質たちを乗せた車が空港に到着した。

空港では、彼らを運ぶジェット機が準備されている。

このとき、一秒でも惜しむようなソニーの不安感が、彼の中の期待感を明らかに上回っていて、それは、国外脱出に全てを賭けた男が挑んだ勝負の正念場であることを示していた。ジェット機の準備が完了したことを確認して、ソニーの中に少し余裕が生まれていた。

「機内に食い物があるか、聞くのを忘れた・・・食い物があるか?」

それにドライバーは反応せず、空港で先に待っていたFBIのシェルドンが車に寄ってきて、ソニーに要求した。

「飛行機だ。交換に一人解放しろ」

その要求にソニーは答えた。若い女子行員のマリアを解放したのである。

「祈ってるわ。サル、初めての飛行機ね。怖がらないで」

マリアは皆に別れを告げたあと、飛行機を怖がるサルに自分のペンダントを渡したのである。

「朝から何も食ってない。中に食い物は?」とソニー。
「バーガーがある。用意は?」とシェルドン。

ソニーは、不安な表情のサルに声をかけ、確認を求めた。

「よし、移動するぞ」

このソニーの一言が、FBIの人質奪還計画の引き金になった。

ドライバーはシェルドンと視線をクロスさせた後、隠し用意されていた拳銃を密かに取って、行動に踏み切った。

「今さら事故は困る。銃を上に」とドライバー。

彼はサルの小銃を上に向けさせた瞬間、サルの眉間に一発、銃丸を放った。即死だった。混乱する車内。FBIであるドラーバーは、ソニーのこめかみに拳銃を向けて、犯人たちの行動の自由を完全に封じ込んだのである。

全てが終わった瞬間だった。

人質たちは解放され、それぞれ誘導されて、警官たちに保護されたのである。

「観念しろ。君を逮捕する。君には黙秘権があり、尋問に弁護士の同席を要求でき、全ての供述は法廷で証拠とされる。弁護士の費用がない場合、希望すれば国選弁護人を頼める・・・」

このシェルドンの告知は、ソニーとFBIとの、つい先刻までの権力関係が逆転したことを如実に示すものだった。

そのことを痛感するソニーは、もう何も語らない。もう何も望まない。

観念し切ったように、男はここから開かれる苛酷な時間への覚悟の括り方を模索しているようでもあった。

男の視界に、既に死体となったサルの剥き出しの肉塊が、担架で運ばれていく様子が捉えられた。

最後までその表情に笑みを作らなかった男のデスマスクは、先刻までの無表情な冷血漢のそれと変わりがなかった。

しかしソニーは、死体となって運ばれていく相棒の人生の終焉の姿に、抑え切れない感情が噴き上がってきて、その表情を液状のラインが濡らしていった。

何もかも頓挫し、何も手に入れることなく、事件の首謀者は捕縛され、長く服役する人生に流れ込んでいったのである。

映像はエアポートに炸裂する非情な機械音を不快なまでに刻んで、余情を残すことなく閉じていった。


*         *         *



3  大いなる破綻と救済の向こうに



以下、私なりの評論に入っていく。

この映画についての私の把握は、二点に尽きる。

その一つ。それはこの映画が、今で言う、「クライム・サスペンス」の形式を取った、紛れもなく秀逸な人間ドラマであると言うこと。

二つ目は、この映画がアメリカの70年代という、極めて特殊で空洞化されたような人々の心の漂流感が、その辿り着く場所を確保できずに彷徨している時代を背景にした、一級の社会派ドラマであるということ。

以上の二点によって、私はこの作品の群を抜く圧倒的な表現力に脱帽した次第である。

―― まず第一点目から。

 シドニー・ルメット監督
作品の優れた人間ドラマ性の核心は、言わずもがな、主人公ソニーの「大いなる破綻と救済」に関わる、その倒錯的なドラマ性の内に集約されていると思う。本作を三回目に観直して、私はそのことを痛感したのである。

このドラマで描かれた人騒がせな事件の起点にあるのは、ソニーがゲイであったという事実である。

ゲイであった彼が、その思いを完遂するためには、そのパートナーであるレオンの性転換手術の費用を捻出する必要があった。

おまけに彼は、恐らく、自分のキャパシティを越える重婚の継続の中で多額の債務者になっていた。

従って彼は、自ら選択的に踏み込んだアブノーマルな世界がうねりを上げて空転した状況の困難さを突破するために、銀行強盗という、最も自分の能力と性格から乖離した手段に打って出たのである。

ところが、その相棒に選んだ二人の男たちの無能力さは、同時にソニーの犯罪者としての適性の欠如を示すものだった。

このソニーの犯行の流れを整理するとこうなる。

「ゲイである男が最愛の恋人と出会い、形式的な婚式まで挙げる」 ⇔ 「男には愛情関係において満たされなかった本妻があり、二人の子まで儲けていた」

この双方向の矢印の意味は、彼が単なる両性愛(バイセクシャル)者であり、後者の不満から前者に流れていったか、それともレオンとの出会いが、妻子を遺棄する行動に走らせたか不分明であるからである。

恐らくこの関係は、相互連関性を持つと考え方がいいだろう。

なぜなら彼はその遺言の中で、二人の異なった人生のパートナーに生命保険金を送ろうとしていたからだ。

彼には本来の妻への不満もあるが、その家庭を結んだ妻子に対する責任意識が根強く残っている。

唯一、その妻との会話の中で、「愛しているなら、なぜここに来ない」と問い詰めるシーンを観る限り、ソニーの家庭での安寧感の欠如が、レオンとの同棲に走らせた要因であると考えられなくもないのである。

彼はレオンを最終的に選択しようとしたが、そこでの「愛」の完遂のためには、性転換手術の費用の捻出しかないと考えた心理的文脈は決して不自然ではないだろう。

いずれにせよ、ソニーは破滅的なまでに自縄自縛(じじょうじばく)に陥っていた。

恐らく、銀行強盗という選択は、彼にとって破れかぶれの最終的手段だったと思われる。

いくら彼が犯罪者としての素質に欠けた男であるといっても、金庫の金を本店に送金した後、銀行に押し入るというあまりに杜撰(ずさん)で、計画性のないその行動は、まさに彼の自棄的な感情のうねりを検証するものと言っていい。

彼はその感情のうねりの勢いで、事件を開いたとしか思えないのだ。

しかも、犯人たちのいずれもが変装の防備に配慮していない。

覆面を被って押し入るというのは、始めからリスクがあるから難しいとしても、せめて、自分の面相を特定できない何らかの工夫をすべきだったと思われる。

明らかに、知能の乏しいサルならともかく、ある程度の教養と常識を身に付けていると思われるソニーの自棄的なその反抗は、犯行後の自己の保全の確保への配慮の欠如を示していると言っていい。

彼はレオンの性転換手術の費用を捻出することと、本来の妻子との生活で負った債務を完済するためにのみ犯行に走っている。

それは、レオンや妻子との本来的な愛情の復権を果たすべく、事を起こしたというよりも、広い意味での心の債務の完済を求めた末の暴挙であったと言えないか。

明らかに、彼は死を覚悟していたのだ。それは、ラスト近くで、遺言を女子行員に書かせるシーンに於いて自明である。

ソニーの精神と生活は、「大いなる破綻」を露呈していた。

それは、およそ「分」に似合わない男の暴挙による、必死の「救済」を賭けた破滅のドラマだったと言える。

彼はその「大いなる破綻」の終りの辺りで妻子を恐れさせ、レオンを恐れさせた。

それでも彼は救済に向かった。そして銀行を襲った。そこでいきなり頓挫したのである。

全てを喪失しかかったソニーに残された最後の仕事は、相棒のサルの銃口から行員たちを守ることだった。

FBIのシェルドンとの交渉の中で、自分だけが助かる道があったにも拘らず、彼は行員たちを守るために行内に戻ったのだ。そうしなければ、行員たちの生命を救済できなかったからである。

恐らく、このソニーの心理を、シャルドンは見抜いていた。

それが、最後の結末に繋がったのである。

そして銀行員たちもソニーの心情を、少なくとも、その「欠如した殺意」を把握し得る視線の内に捉えていた。だからソニーとの間にのみ、「ストックホルム症候群」(注)という現象が形成されていたのである。


(注)「ストックホルム症候群は、精神医学用語の一つで、犯罪被害者が、犯人と一時的に時間や場所を共有してしまうことによって、過度の同情さらには好意等の特別な依存感情を抱いてしまうことをいう。犯人と人質が閉鎖空間で非日常的体験を共有したことにより高いレベルで共感しあい、ついには人質が犯人に愛情すら持つようになったもの1973年、ストックホルムでの銀行強盗人質立てこもり事件において、犯人が人質を解放後、人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったり、後には犯人グループの一人と結婚する者まであらわれるという事件から名付けられた」(ウィキペディア・「ストックホルム症候群」より)


しかし、サルだけがそこに入り込めないでいた。

サル
彼はあまりに知能と理性を欠如させていたのである。だからこの男は、ソニーの苦悩の深部に迫れない。

しかしソニーは、サルに対する相応の配慮を見せる。恐らく、ソニーが計画した犯行の相棒でもあるサルだけを、警官たちに殺させる訳にはいなかったのである。

彼は単に裏切れなかったのではない。

彼の心のどこかで、サルに対しても救済したいという思いがあったに違いない。

だから彼を国外脱出させて、殺人を犯すことなしに、その幻想でしかないパラダイスに導いて上げたいと考えたのだろう。

このドラマは、誰も傷つけずに自分の債務を完済させたいと願った男が、犯行の破綻に陥ってもなお、更に、自分の尽力で救済すべき対象を加えていった、一種の「大いなる破綻と救済」の、滑稽でもあるが、しかし、その人間味を丸ごと表現した哀切極まる物語だったと言える。

結局、ソニーは、自分が最も救いたいと思っていた者たちを救えず、相棒も救えず、自らの破滅の際(きわ)にある心をも救い出すことはできなかった。

しかし、人質となった銀行員たちの生命を救い出すことはできた。それだけが彼の唯一の、シナリオ薄きドラマの着地点になったのである。

少なくとも、彼はそれだけでも、一人の厄介なる救済者という役割を演じ切ることができたのである。

それは、犯罪者としての才能に恵まれなかった男が到達した自己学習の帰結点であったとも言えるだろうか。

因みに、ソニーと銀行員たちの間に形成された感情を、「ストックホルム症候群」という把握で片付けているが、果たしてそうだろうか。

映像を仔細に観る限り、ソニー自身が銀行員たちに過剰な配慮をする描写が目立ち、却って行員たちが、少なくともソニーに対してだけは殆どフレンドリーで、しばしば暴言を吐く局面すらあった。これは支店長がソニーに対して、「クソ野郎!」と痛罵するシーンが印象に残るが、このときのソニーの反応は、父親に叱られた子供のような苦笑いで済ませていたのである。

これは明らかに、「ストックホルム症候群」の逆バージョンである。辞書によると、犯人が人質たちに同情する感情の形成を「リマ症候群」と呼ぶそうだ。

これは、1996年、ペルーの「日本大使公邸占拠事件」の際に見られた現象であると言う。

ソニーの場合、相棒であるサルの暴発から、人質たちの生命を守ろうとする行為が見られていたことを考えれば、寧ろ、「リマ症候群」に近い感情形成があったと言えなくもないのである。

いずれにせよそれは、そのような配慮を怠らなかったソニーという男のキャラクターの骨格が、生来的な犯罪者のそれと逸脱していることを物語る、極めて重要な映像的描写であったということだ。



4  帝国的な国家の堅固な芯が空洞化された時代



次に、この映画のモデルとなった「事件の社会的背景」について言及したい。


1970年代のアメリカは、「その帝国的な国家の、堅固な芯が空洞化された時代」であったと思われる。

この時代は、紛れもなく60年代の過剰な狂気と、抑制の効かない帝国的な突破力が劇的に破綻する現実を真摯に受容できない苛立ちや、大いなる不満、不安が様々な「負の文化」(例えば、ベトナム帰還兵のPTSDの多数の発症と、それによる犯罪の多発化、ドラッグや性文化の乱れ等)に流れていって、それを社会的に統制できない無秩序性を、だらしないまでに顕在化した時代であったと言えるだろう。

ベトナム戦争
全ては、冷戦の過熱化による甚大な副産物であったベトナム戦争という、この国の形と規範を大きく揺るがすことになる、東南アジアの一角における侵略戦争が発火点になった。

ケネディでも止められなかったどころか、却って深入りする事態を招き、JFK後のジョンソンのときには、北爆という、本格参戦の決定的状況を作り出してしまったのだ。

マクナマラは、あくまでも「共産主義の脅威」によって正当化するが、しかしアメリカが、軍需産業を豊潤にさせたという以外何のメリットもないこの戦争を、惨めな敗戦の確認のときまで継続させた代償はあまりに大き過ぎた。

約6万名の戦死者とベトナム帰還兵問題、更に、1700機に及ぶ航空機の損失に象徴される膨大な戦費負担の経済的ロスの影響は、まさに1970年代に噴出してくるのである。

この時代、アメリカ国民は、自分たちの拠って立つ精神的基盤の破綻の危機に襲われた。この国は遂に、自らがアメリカ人であることを恥じる多くの人々を生み出してしまったのである。

1960年代後半に端を発した世界的な反戦運動の流れは、同時に様々な公民権運動、女性解放運動やゲイの解放運動などと連動して、アメリカ人が長く繋いできた「アメリカという物語」(アメリカは強大であり、健全であり、偉大であり、最も民主的であるという幻想)の壊滅的な破綻を経験することになったとき、そこに拠って立つ精神の中枢に空洞感が生じてしまったと見ることもできる。

1972年に端を発したウォーター事件は、遂に二年後のニクソン大統領辞任という、あまりに異常な事態を招来するに至り、この「自由なる気高き大地」は、「大統領の犯罪」によって完膚なきまでに汚されてしまったのである。

37代大統領・リチャード・ニクソン
この大統領こそ、ベトナム戦争の最終的敗北を世界に印象付けた、パリ協定(1973年1月)調印の最高責任者であったリチャード・ニクソンその人であった。

まさに、世界の最強の指導者を自負するアメリカの大統領が、東南アジアの小国への侵略戦争に敗北したばかりか、自らも弾劾裁判の対象となり、それが下院で可決されることで、裁判開始を待たずして、一国の大統領の職を辞職するに至ったのだ。

この事件に象徴されるように、この時代は、「アメリカ」という権威と物語の失墜を決定付けてしまったのである。

「アメリカという物語」が地に堕ちた中で、人々の欲望が蝟集(いしゅう)したのは、「サタデーナイト・フィーバー」の爆発的ヒットに代表されるようなディスコなどの世俗的娯楽であった。

愛国心を稀薄化させた人々は、大きな物語に振れていくことを避けるかのようにして、それぞれの極めて個人主義的な関心事項に身を埋め、そこで享受する悦楽の内に、或いは本来的と言うべきか、アメリカ人らしくない私生活主義への回帰を強化していったように思われる。

しかし70年代冒頭には、多くのアメリカ人の記憶の中に60年代を引き摺るものが残っていて、それが「空洞化された時代」の、一種のカオス的状況の中で、しばしば、抱え込めない不満や不安を噴き上げていく空気感が漂流していた。

一群の人々は澱んだ感情が集合しただけの群集となって、無法なる意志を過激に表出する者たちの内に、必要以上の反応を繋げていく無責任なアナーキー性を露呈することもあった。

まさに本作で描かれた、主人公と群集とのアナーキーで、思想性を持たない危うい連帯が現出する状況が、そこにあったのである。

ソニーもまた、ベトナム帰還兵だった。

彼の転落の人生は、或いは、「ベトナム」が契機になったのかも知れない。彼の両性愛の発火点が「ベトナム」だったという可能性もある。

そうでなかったかも知れないが、彼の転落の直接の引き金になった、最愛のレオンとの関係の自己完結を、性転換手術によって果たそうと考えた程の彼の追い詰められ方は、その心の拠り所が、本来の妻子との結婚生活の内に充足を得なかったリバウンドであったと考えることは可能である。

いずれにせよ、テレビによって銀行強盗犯がゲイであったと放送されたことによって、ソニーを包囲する見えない群集の心理的環境は、既にこの国でゲイであることの認知が、反体制運動の高まりの中で比較的受容されやすい空気を醸成していたことは否めないだろう。

現に、この映画のモデルとなった事件の前年には、「ストーンウォール暴動」が起こっていた。この暴動の詳細について私は不分明だが、それでも手掛かりとなる資料を「ウィキペディア」から拾ってみた。以下の通りである。


「1969年6月28日未明、アメリカ合衆国ニューヨーク市、クリストファー・ストリートのゲイバー『ストーンウォール・イン(Stonewall Inn)』に警察の弾圧的手入れが行われた。おりしもそれが当時のゲイ・アイコン,ジュディ・ガーランド Judy Garland の葬儀の夜と重なったこともあり、多く喪に集まっていたレズビアンとゲイがそれに反発・抵抗、数千人規模の暴動に発展して以後3日間にわたる抗議行動となった。これはthe Stonewall Riot(ストーンウォール暴動)もしくは the Stonewall Rebellion(ストーンウォールの反乱)と呼ばれる。

結果としてこれが世界の同性愛者解放運動を一気に推進する大きな契機となった。その事件の翌年(1970年)に行われた1周年記念デモが、現在、世界に広がる性的少数者の近代示威行動のはじまりとされる。

ニューヨーク市内で開催されたゲイ・パレード(ウイキ)
現在のゲイ・パレードはアメリカではニューヨーク市のほかにサンフランシスコなど、性的少数者の多いとされる大都市部で毎年6月の最終日曜日に大規模に開かれているほか、地方の小都市でも開かれる傾向にある。アメリカ以外では、シドニー(オーストラリア)、トロント(カナダ、ベルリン(ドイツ)、パリ(フランス)、サンパウロ(ブラジル)、バンコク(タイ)などのゲイ・パレードが有名である。

なお、現在では『ゲイ』という言葉を用いていても実態はLGBT全般の人権パレードであることがほとんど」(ウィキペディア・「ゲイ・パレード」より/筆者段落構成) 

【因みに、「LGBT」とは、レスビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)、トランスジェンダー=性同一性障害(T)のこと】 

1970年代の初めに、この国では、このような事件が普通に起こっていて、既に、60年代から際どく過激な刺激に馴致している人々は、もう、このレベルの暴動には特段な反応をしなくなってしまったのだろうか。



5  特定他者の消費の構造



ソニーが惹起した事件に、群集は、「アティカ!」と叫ぶ犯人に間違いなく反体制的な気分を感じ取って、そこに無責任な感情の連帯を、殆ど娯楽の気分で刻んだのである。

そこには、無責任な時代の、無責任な気分が沸騰していて、それが一時(いっとき)のストレス解消に繋がるような刹那主義の頽廃性が垣間見えるのだ。

皆、そのときが愉しければそれでいいのである。犯人が殺されたら、それでもう娯楽は完了する。犯人が殺されずに逮捕されても同じことなのである。

私はそのような時代の風潮を、「特定他者の消費の構造」と呼んでいる。

これは現代メディアの特色の中枢にある、極めて危うい恣意的な情報操作であると考えている。

現代メディアは報道の対象となる情報媒体を、極めてワイドショー的な興味本位の商品価値として特定し、それを無数の視聴者が面白がって愉しめるような情報に仕立て上げて、視聴者に飽きられるまで、繰り返し、その情報を「消費」するのである。

このような構造が、主にテレビメディアに根を張っていて、そこで料理される「特定他者」は、存分なほど恣意的に好奇的な物語を被されて、殆ど事態の本質とは無縁な辺りで徹底的に消費されるという具合なのだ。

因みに、「メディア・リテラシー」(情報に対する主体的で、能動的な処理能力)という言葉が内包する軽量感は、少なくとも、バラエティ番組全盛の時代下で充分に説得力を持ってしまうということである。

ソニーもまた、メディアによって消費され、そしてそのメディアに反応して群がった無責任な群衆によって、骨の髄まで消費されたのである。(この辺をテーマにして描い作品に、「マッドシティ」という佳作があるので、その辺りの言及は、その映画の論考の際に委ねることにする)

いずれにせよ、ソニーと銀行員、またソニーと群集たちとの心理的連帯は、当然の如く幻想でしかなかった。

その幻想を目の当りにしたソニーが、そのソニーを振り返ることなしに、嬉々として、生還を確認し合う銀行員たちの姿を見て、複雑な表情を垣間見せたラストシーンの描写は、滑稽含みながらも、一貫してシビアな映像が、最後まで感傷的な愁嘆場を用意しなかったその潔い演出の括りに相応しかった。

結局、彼は何ものも手に入れることなく、決して失いたくないであろうものを、一瞬にして失ってしまっただけの時間を駆け抜けたのである。それだけだった。

時代のくすんだ風景に切り込んだ男の顛末は、あまりに惨たらしく、そして哀切極まるフェードアウトに流れ込んでいったのである。

自暴自棄的な貧しい突破力で時代に切り込んだ男が、逆にその時代に弄(もてあそ)ばれ、遺棄されるだけの無残なストーリーに封印されてしまったのは、蓋(けだ)し天罰と言うべきか。

覚悟の有無に関わらず、無辜(むこ)の人々を非本来的な暴力性の、だらしない発現の内に否応なく呑み込んでしまったペナルティは、扇動者の名を騙(かた)って、当然ながら、終始そのだらしなさを露わにした男が負うべき、もう一つの不可避な最後だったのである。

詰まるところ、この物語は、債務を返済するための愚行が、そこに余分な債務を負うことになった自滅なる魂の記録だった。

しかしそれは同時に、その愚行を重ねた男が巻き込んだ、特定他者の救済を図らずも回避できなかった、「大いなる破綻と救済」についての慎ましやかな記録でもあったと言えようか。

残念ながら、この男のその「慎ましやかさ」は、誰にも知られることなく、恐らく誰にも語られることなく、単に一回的な「特定他者の消費」の滑稽譚として、その時代に関わった者たちの記憶の隅に、辛うじてぶら下がっている情報の一つとして処理されるに違いない。

但し、映像を観た者だけがそれぞれの思いで、こうして語り継いでいくであろう。

(2006年5月)

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