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2008年11月20日木曜日

地獄の黙示録('79)   フランシス・F・コッポラ


<「ベトナム」という妖怪に打ち砕かれて>   



 1  ニューシネマの最終到達点



 アメリカは厄介な国である。

 自分の国を最も偉大で、強大な国であると、皆、素朴に信じて疑わないところがあるように見える。敢えて辛辣な言辞を弄すれば、その内実は、食いっぱぐれた無数のヨーロッパ系移民がインディアンを、しばしば、ゲームハンティングの如く殺戮したり、「涙の道」という名の苛酷な試練をチェロキー族に強要したり、或いは、「ワン・ドロップ・ルール」(一滴の血の掟)という縛りの中で、アフリカからの黒人奴隷を、家畜同然に抑圧して作り上げてきた歴史が自明であるのに、偉大なる建国神話という虚構の心地良き快感の内に、人々がぶら下っているに過ぎないのではないか。

 「マニフェスト・ディスティニー(注1)」―― 自分たちの迫害と侵略の歴史を正当化するために、この胡散臭い概念を作り出し、溢れ出る使命感の下、彼らは世界を駆け巡る。しかし、「サラダボウル」と呼ばれる国民国家の根本的矛盾や対立を融和し、解毒するためには絶対的な何かが必要だった。

 プロテスタンティズムを基調とするキリスト教が、その方法論の一つであり、それは、この国に於いて初めて、最も「生きた宗教」になったと言えるのではないか。アメリカこそ最大の宗教国家であるという多くの識者の指摘は、ある意味で的を射ていると思われるのである。

 断定的に言えば、宗教国家としてのこの国の文化風土に、「マニフェスト・ディスティニー」という厄介な幻想が繋がって、本来トラウマとなるであろうネイティブ殺しの歴史的事実を、果敢なる鬼退治の物語にすり替えてしまったのである。

 その結果、全てが認知され、ここに、「自由と希望の大地アメリカ」という心地良き観念が定着したというわけだ。そしてもっと厄介なことに、その観念の圧倒的な求心力が一人歩きしたかの如く、パラダイスとしての新世界に向かって、様々なる人々の欲望と野心が雪崩れ込んでいったのである。
 
 彼らの出自は多様でも、全てが「アメリカ」という物語に収斂されるのだ。

 ホワイトハウス
いつしかその物語は「気高く崇高で、偉大なる大国」という物語に膨らんでいくことで、「革命と戦争の世紀」と呼ばれる20世紀という激動の歴史の中枢にあって、甚大な影響力を行使し得るポジションを、殆ど選択的に確保するに至ったのである。


(注1)「明白なる運命」と約される。19世紀半ば、アメリカ合衆国の西部開拓を含む領土拡張の歴史を、神によって与えられた使命の具現であると正当化した、あまりに著名な言葉。

 
 そんな国の人々が作ったソフトパワーの中で、最も効果的で、大成功を収めた文化的装置の一つが、ハリウッド映画であると言っていい。

 ハリウッド映画で描かれる健全なラブストーリーや華麗なミュージカル、そして、鬼退治神話を定着させた嘘っぱちの西部劇の世界は、秩序と安寧を求める人々の格好の娯楽となった。そこには天使の心を持つ少女や、美貌の極致のような男と女、更に抱腹絶倒のヒューマン喜劇があり、数多の作品の中で、勧善懲悪の物語を仕切る完全無欠のスーパーヒーローが、スクリーン狭しと暴れ回るのだ。

 そのスクリーンを通じて幾度となく強調されるメッセージ ―― それは、「強き父、そして、それに寄り添うように慈母がいる」。

 「必死の逃亡者」(ウィリアム・ワイラー監督)の中で描かれた父は、命を張って家族を守り、母は必死に我が子を守るのだ。この国が最も健全であったと信じた時代に、そこにピタリと嵌る良質な映画が供給されたのである。「アメリカ」という物語は、人々の思いを丸ごと束ねる文化的仕掛けの内に世代を繋いでいったのである。

     ベトナム戦争での米軍

その「アメリカ」が雪崩のように、激しくうねりを上げながら壊れてしまった。少なくとも、そのように実感される崩壊現象がこの国を襲ったのである。「ベトナム」という妖怪の襲来が、その事態の歴史的背景として、どこまでも続く闇の見えないゾーンを這っていた。

 こともあろうに、ローマ帝国の如き巨大な国家が、東南アジアの小国に侵略した末にボロボロに傷つき、惨めなまでに蹴散らされてしまったという現実。その衝撃は半端ではなかった。

 東南アジアの共産化を防ぐという大義名分の根柢に横臥(おうが)していたのは、第二次世界大戦で一人勝ちした酩酊気分によって、更に勢いを増した、あの例の「マニフェスト・ディスティニー」という幻想であると言えないか。

 しかし、ベトナムからの帰還兵が母国に持ち込んだのは、ドラッグ漬けになった若者たちの身体と、そこに張り付いた絶望的なペシミズムだった。それが人々の厭戦気分を蔓延させ、国内の反戦運動に火をつけたのである。

 ケネディもマクナマラ(注2)もジョンソンも、最後まで「アメリカ」という物語の呪縛から解かれることはなく、それが、果てしなき泥沼の失うものしかない地獄の戦争を、これ以上堕ちるところがないギリギリの風景の中に、あまりにもだらしなく染め抜いてしまったのだ。


ロバート・マクナマラ(ウィキ)
(注2)ハーバード大学院卒後、フォード自動車社長を経て、国防長官としてケネディ、ジョンソン政権下でベトナム戦争を指揮した人物。退官後は世界銀行総裁として手腕を振るう。「回顧録」や「マクナマラ元国防長官の告白」(ドラマ)でも有名。

 
 私に言わせると、20世紀後半のアメリカ現代史には、「ベトナム」以前と「ベトナム」以後しかない。「ベトナム」という、あまりに危険な劇薬を存分に嚥下(えんか)した大国のペナルティが激甚だったからだ。

 それは、必殺のカウンターパンチのようでもあり、或いは、しばしばボディブロー攻撃のようでもあった。この国の社会は大きく揺らぎ、健全であったはずの文化はカオスの森に拉致されたのである。そのカオスの中から噴き上がってきた紅蓮の炎、それが流れとなって映像世界に繋がったとき、そこに「アメリカン・ニューシネマ」(和製英語で、正確に言えば、「New Hollywood」)という、毒気をふんだんに含んだ著しく刺激的な映像のムーブメントが燃え盛ったのである。

 そのムーブメントのラストランナーと目される、劇的なまでに破綻の映画、それが「地獄の黙示録」だった。ベトナムの地獄を描いたこの映画こそ、「アメリカ」という物語に貼り付いた、度し難き偽善と欺瞞を告発し続けたニューシネマの最終到達点だったのだ。



 2  「ベトナム」という名の妖怪



 「地獄の黙示録」―― この謎に満ちた映画について、今まで多くの人が熱っぽく語り、饒舌に論じ、殆んどゲームのような論争が絶え間なく続いてきた。良かれ悪しかれ、それほど多くの人を熱くさせる何かがこの映画にあるのだろう。

 そこに哲学的メタファーがふんだんに盛り込まれていると考える人は、「闇の奥」の住人である男の一言一句を解読しようと言葉を撒き散らし、映像の隅々に仕掛けられている象徴的描写を、不必要なまでのディティールへの拘り方によって、合理的に把握しようと懸命になっているのだ。

 私もこの稿を書くに当って、うんざりするほどそれらの言説、批評や感想の類に眼を通してきたが、そのウンチクの限りを尽くした深読み、斜め読みの滑稽さに、何度か吹き出してしまった。解読の快楽を手に入れたと信じる人に対して、私は何も言うべき言葉を持たない。多くの人がこの映画について様々に感じ、思い思いに語ることは決して非生産的なことではないからだ。

ウィラード大尉(右)
しかしながら、「特別完全版」をもって打ち止めとされるこの映画の枠組みを、いま改めて問い直すとき、観る者をして、出口の見えない迷路に誘(いざな)った作り手の混迷を同情的に理解しつつも、作り手が膨大な予算と時間とエネルギーをかけて紡ぎ出そうとしたものの険しさに、正直なところ目が眩む思いがする。目眩(めくるめ)く神秘的で、幻想的な赤や緑が炸裂したように踊る映像の形而上学を剥ぎ取ってみれば、そこに残ったのは、「ベトナム」という名に悉(ことごと)く収斂された現代史の妖怪だったのだ。

 より厳密に言えば、「地獄の黙示録」という厄介な映画が描き出そうとしたのは、ベトナム戦争の狂気という限定的なテーマでは把握し切れない、言わば、ある種の普遍性に届いたであろう遥かに人間学的な問題性、即ち、それらを充分に内包する宇宙=「ベトナム」であった。

 「ベトナム」のあまりの厄介さが、「地獄の黙示録」の厄介さを分娩した。それは同時に「アメリカ」の厄介さでもあったと言えるだろう。
 
 アメリカがとてつもなく厄介な国に堕ちていったのは、日本に対する二度にわたる原爆投下であると、極めて主観的に私は考えている。

 それは、大量殺戮に「距離」という概念を決定的に定着させてしまったからである。見えない敵を地上から完璧に消し去ることを可能にした大量破壊兵器の開発は、殺人者の良心の疼きを最小限に抑えることを保証したのである。しかも真珠湾奇襲に対する自衛の戦争という大義が、当時のアメリカには存在した。しかし今、これより進化した水爆を、誰も使用することができないのだ。

 因みに、ホロコーストの代名詞にされるアウシュビッツやトレブリンカ(注3)の殺戮は、その殺戮の極限的な合理的処理によって反人道的な犯罪の極北とも見られているが、しかしその殺戮には、「距離」という概念が媒介されていなかった。

 だから親衛隊員は地獄を直視することを避けて、カポ(収容所の囚人から選ばれた囚人監視役)と呼ばれる、やがて殺戮される運命にあるユダヤ人に、その異臭の漂う死体の処理を一任したのである。SSのヒムラー長官(注4)が、その地獄のさまを垣間見た際に吐き戻したというエピソードは、彼らが殺戮の「距離」に怯えていたことを端的に物語っているだろう。

アウシュヴィッツ第二強制収容所
従って、アウシュビッツは殺戮合理主義の一つの極みであっても、良心という名の、自我防衛まで包摂した殺戮合理主義の到達点ではなかったのだ。

 殺戮合理主義の到達点は、大量破壊兵器の開発であり、高度なハイテク技術による殺戮の機械化(RMA=「軍事における革命」)である。湾岸戦争とイラク戦争によって、遂に到達した殺戮技術の完成は、まさに黙示録の世界の極限的様態であるとも言えるのだ。私たちはとうとう、「見えない残酷」の中間的到達点に届いてしまったのである。
 
 アウシュビッツの地獄と、イラク戦争の地獄のターニングポイントに位置するのが、「ベトナム」という地獄だった。

 「ベトナム」は、アウシュビッツで極まった殺戮合理主義の最終的な実験場であると同時に、その方法論の限界点を露呈した戦場でもあった。それは「見える残酷」の最終到達点だったのである。

 爾来、アメリカはソマリアの悲劇(注5)に代表されるように、「見える残酷」の前線から臆病なほど回避した結果(自由と私権が拡大的に定着すればするほど、どこの国でも殆ど例外なく、戦場での自国の死者の数の増加に対してセンシブルになるのは、命の価値が正比例的に高まるからであって、それ以外ではない)、殺戮のハイテク化によって「見えない残酷」の技術的完成に向かったのである。
 

(注3)1942年、ヴァンゼー会議で決定されたラインハルト作戦(ユダヤ人絶滅政策)によって建設されたポーランドの絶滅収容所。「コルチャック先生」の殉難地としても名高い。ナチによって証拠隠滅のため破壊されので、現在は跡地しか残っていない。

(注4)ユダヤ人虐殺の直接の執行機関でもあった親衛隊(SS)の隊長で、ホロコーストをリードした。1945年に逮捕され、服毒自殺。
 
(注5)1991年、社会主義の独裁政権がクーデターによって崩壊後、モハメド派とアイディード派の間で内戦勃発。国連軍が二度に渡って派遣されるが、多くの犠牲者を生み出し、紛争の調停に挫折した。国内の惨状は旱魃などもあり、かなりの餓死者を出したことで、世界中の耳目を集めた。


「ベトナム」の悲劇の代償は、アメリカにとってあまりに重すぎた。それは「アメリカ」という物語と、その物語を信仰する人々が作り上げた文化を壊し、その文化にぶら下っていた多くの魂が拠って立つメンタリティを破壊したのである。

 一部良心的なメディアの報道によって、「ベトナム」という「見える残酷」の極限的様態が晒されて、ベトナムを知らない多くのアメリカ人は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)とドラッグに囚われたベトナム帰還兵を拒否し、徹底的に差別することで姑息な自己防衛を図ったのである。

 しかし、「ベトナム」の病理はアメリカの病理として、アメリカ社会の内に拡大感染してしまった。そこには、「古き良き健全なるアメリカ」はもう跡形も残っていないかのようだった。いや寧ろ、そこに現われた「アメリカ」こそ、インディアン虐殺を正当化した本来の「アメリカ」の姿かも知れなかった。そのような「アメリカ」を露呈させた負の推進力こそ、「ベトナム」という名の妖怪だったのである。

南ベトナム解放戦線の拠点へ投下されたナパーム弾
因みに、ベトナム戦争に於けるベトナム人の死者200万人。一方、アメリカ兵の死者およそ6万人。

 この「見える残酷」の極北とも言える戦争の大義、それは反共の砦を死守するというイデオロギーだったが、遠い他国を戦場とする侵略戦争に対して、そのイデオロギーの継続力はあまりに短命だったのである。そして、その稀薄化したイデオロギーを補完したのが、ベトナム人を人間と看做さない白人優越思想であり、加えて、敵を簡単に殺せる軍事訓練の徹底した導入だったのだ。



 3  「戦争における『人殺し』の心理学」



 ―― 以下、後者の問題について少し言及していこう。


 軍隊の本質は、良かれ悪しかれ、人間を殺人マシーンに仕立て上げていくことである。そのためには、良心という名の人間の自我をギリギリのところまで削り取って、余分な感情を鈍磨させねばならないということだ。

 デーヴ・グロスマン(注6)の報告によると、アメリカの軍隊ほど新兵に殺人マシーン化教育を徹底している国はないと言う。

 視界に敵が現われたとき、直ちに発砲していく確率を高める非人間化教育によって、米兵の発砲率はベトナム戦争に於いて90%にまで上昇したらしい。かつて、ロシア帝国ツアーの兵士が処刑に立ち会う際に、良心の在り処を担保するために、必ず兵士の銃の一つを空砲にしていたという話がある。米軍の新兵教育は、ツアー時代のロシアに於いても存在していた倫理的文脈を包含しつつも、それを凌駕する戦争に於ける脱良心化の心理学を構築してしまったのである。

 グロスマンの著書から引用してみる。

 「・・・しかし歩兵部隊にとっては、いまでは敵を殺すよう兵士を説得するのが重大な問題になっている。・・・第二次大戦時の歩兵中隊では、進んで武器をとる者は7人にひとりしかいなかったのに、それでもあれだけの破壊をなし得たのだ。現代平気の威力が分ろうというものである。だが実情を把握するや、軍はただちに発砲率向上に乗り出した。つまり、人を殺すことを明瞭に目的として、兵士に訓練を施さなければならなかったのである。『本質的に戦争とは人を殺すことなのだが、人はそれを認めたくないのだ』と、マーシャルは1947年に書いている。だがいまでは、それがあっさり認められている」

デーヴ・グロスマン
これは、ダウィン・ダイアの「戦争」という著書からの引用だが、グロスマンはこの文章を受けて、書いている。
 
 「第二次大戦の終わりに問題は明らかになった。兵士には人が殺せない。兵士の発砲率が15から20%ということは、校正者のなかに読み書きのできる者が15から20%しかいないようなものだ。上層部がこの問題の存在と重大性に気づいてしまえば、解決は時間の問題だった。

 解答
 こうして第二次世界大戦後、現代戦にあらたな時代が静かに幕を開けた。心理戦の時代 ―― 敵ではなく、自国の軍隊に対する心理戦である。プロパガンダを初めとして、いささか原始的な心理操作の道具から戦争はつきものだった。しかし、今世紀後半の心理学は、科学技術の進歩に劣らぬ絶大な影響を戦場にもたらした。

 S・L・A・マーシャルは、朝鮮戦争にも派遣され、第二次世界大戦のときと同種の調査を行なった。その結果、(先の調査結果を踏まえて導入された、新しい訓練法のおかげで)歩兵の55%が発砲してたことがわかった。しかも、周辺部防衛の危機に際してはほぼ全員が発砲をしていたのである。訓練技術はその後さらに磨きをかけられ、、ベトナム戦争での発砲率は90パーセントに上ったと言われている。この驚くべき殺傷率の上昇をもたらしたのは、脱感作、条件づけ、否認防衛機構の三方法の組み合わせだった」(「戦争における『人殺し』の心理学」(安原和見訳 筑摩書房刊)
 
 ここで言う「脱感作」とは、グロスマンによると、「考えられないことを考える」ということである。要するに、「敵は自分とは異質な人間なのだ、家族もいないし、それどころか人間でさえないのだ」などと考えることで、人は昔から暴力を自己正当化してきたが、その心理機制を利用して、ベトナム戦争時のアメリカ軍隊に於いて、いわゆる、「暴力の観念化」が組織的に制度化されたと、グロスマンは指摘する。

 次に、「条件付け」とは、「考えられないことをする」ということ。即ち、それは暴力に対する自我抑制を麻痺させる訓練であると言っていい。

 本書から、その一文を抜粋してみる。

 「以前の兵士は、草地に腹這いになって丸い標的をのんびり撃っていたものだ。だが、現代の兵士は、完全武装してタコツボのなかに立って何時間も過ごす。目の前に広がるのはまばらに木の茂るなだらかに起伏した土地。定期的に緑褐色の人型の的がひとつかふたつ飛び出してはさっと引っ込む。射程はさまざまである。兵士は瞬時に狙いをつけて的を撃たねばならない。命中すれば即座にフィードバックされるので満足感は大きい。まるで生きたターゲットのように、的はばったり倒れてみせるのである。技量が上がれば大いに報酬を与えられ顕彰されるが、標的をすばやく正確に『とらえる』のに失敗すると、軽い懲罰(再教育、同僚の圧力、基礎訓練キャンプを卒業できないなど)が待っている。この環境で教えられるのは伝統的な射撃術だけではなく、反射的かつ瞬間的に撃つ能力である。つまりこれは、現代の戦場における殺人行為の正確な再現なのだ。行動学の用語を使えば、射撃場に飛び出す人型は〈条件刺激〉であり、的を即座にとらえるのは〈目標行動〉である。命中すれば的が倒れて即座にフィードバックが与えられ、〈正の強化〉が行なわれる」(前掲書より)
                
                             
以上の文脈で分るように、行動主義の心理学がここに転用され、「暴力の観念化」を「脱感作」という概念の内に具現したのである。

 三つ目の「否認防衛機構」とは、「考えられないことを否認する」ことである。

 「否認と防衛の心理機制は、トラウマ的経験に対するための無意識の手段だ。(中略)基本的に、兵士は殺人のプロセスをなんどもくりかえし練習している。そのため、戦闘で人を殺しても、自分が実際に人を殺しているという事実をある程度まで否認できるのだ。つまり、殺人行為の慎重なリハーサルとリアルな再現のおかげで、たんにいつもの標的を『とらえた』だけだと思い込むことができるのである」(前掲書より)
          
 以上の心理プロセスを継続的に、且つ、組織的に内化していく中で、人はいつしか自責の念を感じないよいうになり、少しずつ、淡々とした心理状況下で、暴力の行使に対して忌避反応を起こさないようになっていく。

 グロスマンのこの研究レポートは、少なくとも、私にとって相当の説得力があった。人間が、敵対する相手への特別な憎悪感情を持つことなく、一見簡単に殺人を犯せるのは、このような心理機制が内化されていることによってのみ、より可能になるということである。

 逆に言えば、このような訓練を経なければならないほど、人間の自我は確信的な目的を持たない殺人を簡単に行使できないということである。即ち、通常下に於いては、人間の自我には一定の抑制的機制が機能しているこということだ。

 しかし人間の自我は形成的なものであるが故に、その正常な確立を果たすプロセスを媒介しないと容易に洗脳され、贖罪観念の形成が未成熟のまま年齢だけを重ねてしまうということだろう。

 要するに、人間の自我は本来的に脆弱なのだ。だからこそ、その自覚的な強化が不可避とされるのである。言わずもがなのことだった。
 
 因みに、スタンリー・キューブリック監督の問題作、「フルメタル・ジャケット」(1987年製作)は、ベトナム戦争を題材にした戦争映画として有名だが、作品の前半では、アメリカ海兵隊(注7)に於ける言語を絶するほどの、約2ヶ月間に及ぶ訓練キャンプの内実が執拗に描かれていて、まさに、「戦争における『人殺し』の心理学」の典型的なモデルを検証するに相応しいリアルな描写が鮮烈だった。

フルメタル・ジャケット
南カロライナ州の海兵隊新兵訓練基地を舞台にした、「非人間化過程」のシビアな訓練の内実は、そこに集合する様々な自我に張り付く人並みの人間性の形成的な被膜を、計算された手法としての言語的、身体的な暴力によって剥ぎ取って、それを単に、一個の殺人マシーンに改変させていく怖さ(訓練教官による苛酷なシゴキや、仲間からのリンチに自我を破壊され、精神異常の状態を露わにした一人の新兵が、遂に絶望的な殺人と自殺に至るというエピソードに象徴される)を充分に鏤刻(るこく)するものになっていた。

 正直言って、私の好みではないが(どうしてもこの作り手の映像には、人間を高みから俯瞰するような倨傲な視線を感じてしまうが故に)、恐らく、この容赦のない一連の描写は、本作を持って止めとするに足る映像的表現だったと言えようか。

 ともあれ、東南アジアの遥か彼方の戦場に、殺人マシーンの卵たちが大量に送り込まれた結果、本物の実戦を通して孵化した卵が、戦場を途方もない地獄のカラーに染め抜いていったのだ。

 一年間という短い徴兵期間の中で、それでもべったりと自我に張り付いていた罪悪感情はあっという間に剥落し、狂気を日常化した爛れた時間の流れに身を任せたのである。しかも彼らの戦争には、充分に説得力のある大義がないのだ。その大義なき戦争の中で、彼らがどのような身の置き方をしたか。まさに、「地獄の黙示録」はそれを描いた映画でもあったのだ。


(注6)米国陸軍に在職後、米国ウエストポイント陸軍士官学校、軍事社会学教授等を歴任。本書、「戦争における『人殺し』の心理学」によって、ピューリッツア賞の候補になった。

(注7)合衆国大統領の命令一下で行動可能であり、常に最前線に投入される緊急展開部隊として知られるが、それ故に誇り高い軍人意識を保持していると言われている。       


                       *       *       *       *




  4  大義なき戦争の迷路に囚われた者の、その身の置き方



 長々と背景的な記述を重ねてきたが、以下、映像の世界に入っていく。

 但し、ここで本篇のプロットをだらだらと書き進めてしまうと、際限のない解読ゲームに搦(から)め捕られてしまうだけなので、長尺なフィルムを作り上げたスタッフの苦労に敬意を表しつつも、私の他の映画評論とは手法を変えて、ここでは簡単に本作の粗筋を記述するに留めておくことにしよう。


 〈物語の概要〉

 猛暑にうだるサイゴンのホテルの一室で、激しく苛立つようにして命令を待つ、米軍の特殊工作員のウィラード大尉(空挺隊所属)に対して、遂に情報指令本部より出頭命令が下った。

 その命令内容は、ただ一つ。

ウィラード大尉
ジャングルの奥地で原住民を統率して闇の王国を築き、米軍の支配下を完全に逸脱した男、カーツに対する暗殺である。カーツは元々特殊部隊の有能な将校であったが、原住民を米軍支配下に組み入れるという命令に背き、今なお王国の帝王として振舞っていると言うのである。

 暗殺命令を受けたウィラードは、4人の部下を率いてひたすら河を遡上するが、その作戦行程の途上で様々な危難に遭遇する。殆ど狂気と化したかのような、キルゴア中佐のベトコン村の襲撃、ゲリラとの応戦、プランテーションを軍事的に守り抜くフランス人たちとの異文化クロス等々。

 その間、二人の仲間を喪ったウィラードは、艱難(かんなん)なる苦労の果てにカーツの王国に到達した。

  しかし、その異様なカルト的支配の現実を見て、ウィラードは衝撃を受ける。彼はカーツとの言語的クロスを経て、遂に彼を殺害し、彼が作り上げた狂気の王国を爆破したのである。


 ―― 以上のプロット記述を参照にして、論考を進めていく。

 
ベトナム戦争は、大義なき戦争であった。

 大義なき戦争を戦う者たちが、その自我の拠り所にするものは一体何か。

 そんな戦争であるが故にこそ、何とか自我の折り合いが付けられるような、自分なりの物語を紡ぎ出していくしかないであろう。その物語が紡ぎ出せなかったら、自らの感情に対して抑制的に動く自我を鈍磨させていく以外にない。それ以外にないのだ。そうすれば、戦争に対して過剰なまでにゲーム感覚で走り切ってしまうか、ニヒリズムで逃げ切ってしまうか、或いは、戦場から逸脱する世界に嵌っていくか、などの出口が用意されることになる。それらは大義なき戦争の迷路に囚われた者の、ある種の典型的な身の置き方と言っていいだろう。

 しかし、そんな邪悪なる戦争に疑問を抱かずに、国家が説明した大義を素朴に信じて戦場に赴いた若者もいるだろうし、或いは、大義の意味を理解できなかったり、理解してもそれに無関心であったりする若者も多くいたに違いない。そんな彼らが戦場という名の極限的なフィールドに赴いても、後にPTSDと呼ばれる戦争トラウマとは無縁に、殆ど普通の生活レベルに近い感覚を作り出し、それに馴化することで、その非日常の日常化的状況をやり過ごすことができた若者も存在したであろう。

 また、良心の痛みを覚えつつも、一年の兵役の後、際立った戦争後遺症に囚われることなく、本国での元の生活に適応できた者もいたはずだ。それもまた、様々な意味で緊要な問題なのだが、多分にデフォルメされ、カリカチュア化されたこの映像の守備範囲から逸脱するので、ここでの言及は避ける。
 
 この稿で問題にしたいのは、どこまでも「大義なき戦争の迷路に囚われた者の、その身の置き方」である。
 
 過剰適応

 これは、最も厄介な身の置き方である。

 ここでは、そんな身の置き方をした者たちに言及したい。

 映画の中で、このような身の置き方をした者が三人いる。

 一人はキルゴア中佐、もう一人は、フランスのプランテーション農園主、そして三人目が、闇の王国の主のカーツである。彼らは、彼らなりの身勝手な身の置き方でベトナムの戦場に対峙したのである。

 
キルゴア中佐
―― まず、キルゴアの身の置き方。

 それは、過剰なまでに愚劣だった。

 彼は戦場を巨大なゲームランドに仕立て上げて、その大仕掛けでスペクタクルな快楽装置の内に、殆んど抑制力を持たない自我を際限なく解き放っていた。彼にとって、戦場は自らの肥大しすぎた快楽を蕩尽するための空間なのである。

 その快楽を内側からより見えやすいものにするために、彼は「ワルキューレの騎行」(注8)をガンガン響かせた。この音楽の異様な扇動に乗って、男は殺戮のゲームを存分に楽しんだのである。
 このおぞましいゲームの目的は、ただ一つ。サーフィンをすることだ。

男はサーフィンの格好の海岸を確保するために、ベトコンが潜入する小さな村落を、ナパーム弾の煌(きら)びやかな色彩で染め抜いた。「朝のナパーム弾は最高だな」と言い放つ男の自我の爛れ方は、デーヴ・グロスマンが提出した、「否認防衛機構」(「考えられないことを否認する」)という概念のバリアの存在すらも無化してしまっていたのである。

それ故、自分の命の危険を顧みない男の振舞いが示すのは、部隊を率いる高級将校としての自己顕示であるよりも、寧ろ、人間の死に対して不感症になってしまった男の自我の、その崩され具合の怖さにこそあったと言えるだろう。

 同時に、そんな男の自我に、「反共の砦としての南ベトナムを死守する」という大義が堅固に棲みついていないことをも、男の一連の行動は充分に証明して見せた。

 男はサーフボードを取り返すためにのみ、ウィラードの乗る哨戒艇を追って、上空からその返還を叫び続けたのだ。

 男の視界には、単にサーフィンを楽しむための海の広がりしか映らないのである。大義を稀薄にした者が戦争の継続力を保証していくには、戦場をゲーマ化する以外になかったということだ。

 大義という物語を失った者が、その物語の実践を要求する場所になお留まるとき、その者たちは、戦場をスペクタクルなゲームランドに仕立て上げていくというような、過剰な適応を果たすことなどで、自らの思考停止状態の欠落意識を抹消しようと図るのである。

それもまた、「見える残酷」を乗り越えていくに足る、一つの巧みな方法論であるのか。少なくとも、男の自我が、「ベトナム」という厄介な妖怪に食(は)まれてしまったことだけは疑いようがないだろう。
 

(注8)「ドライブ中に聞く音楽で、もっとも危険な曲は、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』である、という調査結果が、イギリスのRACファウンデーションによって発表された。同調査によると、1分間あたり60ビートを超えるハイテンポの楽曲を、90デシベル以上のボリュームで聞くと、ドライバーの危険回避の動作は約20%遅れるという。こうした音楽を聴いていると心臓の動悸が早くなり、血圧があがるためだという」
(レスポンスHP:カーオーディオニュース2004.4.14「もっとも危険な曲はワーグナーの『ワレキューレの騎行』より引用)



 ―― では、フランスのプランテーション農園主の身の置き方はどうだったか。
 
 彼がウィラードに語った言葉が、「特別完全版」の中で紹介されている。

 「いいか大尉、私の祖父と大伯父が入植した当時、ここには何もなかった。ベトナム人は無力だ。祖父たちは懸命に働き、ブラジルからゴムの木を移植。ベトナム人を使って、無だった土地にこの農園を築きあげた。我々がなぜここに留まるのか?この土地が我々のものだからだ。一族を結びつける土地だ。戦ってでも守る!君らアメリカ人は何のために戦っている?歴史にも前例のない無意味な戦いだ。失礼を謝る・・・君らの戦いを戦うがいい」

 このフランス人は私兵を使って、ベトコンから彼の祖父が開拓したと称する農園を守っている。しかし彼の農園は、フランスの植民地支配という、負性なるバックアップを背景に成立したものだ。

ディエン・ビエン・フー
そのバックアップが今はない。フランスの植民地支配は、ディエン・ビエン・フーの戦い(注9)によってとうに終焉を遂げている。植民地主義という時代に合わないイデオロギーは、もう彼の大義をリードできないのだ。

 それにも拘らず、この農園主は他国の土地に作った農園を必死に守ろうとする。そんな男の自我が作り出した物語は、三代に続く直系の家族が並々ならぬ苦労の末に作り上げた農園を守ることこそが、自分の使命であるという文脈である。

 この身勝手な物語を堅持していくために、男は私兵を使ってベトコンと戦うのである。国家としての戦争ではなく、個人としての戦争を継続する男もまた、過剰なる適応者であった。「ベトナム」という妖怪が、こんな過剰なフランス人たちをも食(は)んでしまったのである。


(注9)第一次インドシナ戦争での最大の激戦で、ベトナム軍はフランス軍の要塞であるこの地を陥落させ、同年ジュネーブ協定により独立を達成。しかし北緯17度線を境界線として、ベトナムは南北に分断され、後のベトナム戦争の火種になった。



 5  闇の王国に君臨するアメリカ人



カーツ
―― 三人目の過剰適応者、それはカーツという、闇の王国に君臨するアメリカ人である。


 秀な軍人としての経歴を繋いできたカーツが、なぜ闇の王国の支配者になり、特殊機関員としてのウィラードに暗殺されねばならなかったのか。

 そんな優秀な軍人の自我を突き崩し、その人格の行方を決定的に転換させたと思われる顛末について、自ら語ったシーンがある。自分を殺しに来たウィラードに語った場面がそれである。

 低く、重量感のあるカーツの語りが、何かそこだけは別世界のような空気感の中で放たれていく。

 「特殊部隊にいたときのことだ・・・もう大昔のことのように思える・・・私たちが駐屯地で、子供たちにポリオの予防接種を行った。駐屯地から去ろうとすると、老人が泣きながら後を追いかけてきた。事情が分らなかったので、戻ってみると、その前にベトコンがやって来て、予防接種をした腕をすべて切り落としていたのだ。・・・そこに小さな腕が山のように積み上げられていた。そして私は泣いた。どこかの老婆のように泣いた。歯をへし折りたい気分だった。何をしたいのか、自分でも分らなかった。ただこれを忘れまいと思った。絶対に忘れたくないと・・・そして次の瞬間私は理解した。撃たれたように、ダイアモンドの弾丸で額を撃ち抜かれたように理解した。ああ、その天才性を。そうすることができる意志の力を。完璧で天才的で完全で透明で純粋だった。私は彼らが私たちより強いことを理解した。なぜなら、彼らはそんなことに耐えられるのだ。彼らは怪物ではない。彼らは人間で・・・訓練された幹部で、心を持った戦士なのだ。家族を持ち、愛に満ちた人間なのだ。だが、彼らにはそれができる強靱さがあった」
 
 カーツがこのとき目撃したのは、単にベトコンの強靭なる魂ではない。自国の民族と土地を守るという堅固な大義を持って、確信的に、最強国家であるアメリカと命を賭けて戦う者の強靭さであり、同時にそれは、そんな誇り高い民族と戦うアメリカ軍人である自分自身の、その拠って立つ物語の相対的な脆弱さ以外ではなかった。

 極めて理性的な軍人の内側に抱えた物語の脆弱さは、何ものかによって補完せずには済まないほどの危機感を、男の中に分娩させたのである。(因みに、この逸話は史実ではなく、当然の如く、映像的な創作である。それにも拘らず、このような話がリアリティを持ち得る説得力が、「ベトナム」という、一種のイデオロギーと化した概念の中に内包されているのは事実であるだろう)

ともあれ、真摯な魂が危機に遭遇したときに反応する典型的な流れをなぞるかの如く、男の内側で加速的に何かが崩れゆく不安感がいたずらに暴れ回って、そこに急襲した自我の危機を埋めるために、男はより強靭な物語を希求し、そんな思いを身体化すべく、それを遂に、東南アジアの奥地の森に作り上げたのだろうか。

 何よりも、その物語は、彼が目撃したベトコンが依拠する物語よりも強靭なものでなければならなかった。なぜなら、誇り高き者の自我が拠って立つ物語が、外から侵入してきた物語によって崩されかけたとき、かの者の自我を守るには、侵入してきた物語に丸ごと吸収されることのない、より強靭な物語を作り出す以外にないからである。

 そしてその物語こそ、自らがベトコンやアメリカと戦っても、決して劣らないほどの堅固な闇の王国を作ることであり、自らがその支配者として君臨するものであったのではないか。

 映像で紹介されるカーツの略歴とその誇り高き性格を考えれば、彼が反戦運動家に転向することは考えられないし、まして、ドラッグに溺れる依存症者に堕ちることなど、まずあり得ない。それらの選択は、彼にとって敗北以外の何ものでもないからだ。果たしてそんな彼が、誇り高きアメリか軍人であることを拒むことは容易であるのか。しかしそれを拒んだ後、彼がアメリか軍人であったときの物語を超越する何者かであろうと希求することは不自然ではないだろう。

 旧来のフラットな物語を超越する何ものか、即ち、それは絶対的な存在としての王国の支配者というイメージに結ばれる何かである。彼はその虚構に満ちた王国を構築することで、自らが神になろうとしたのである。彼もまた、この「ベトナム」という妖怪の中で過剰な適応を果たしていったのだ。
 
然るに、彼が作った王国は、極めて限定的な空間での、奴隷社会にも似たミクロな宇宙であった。カーツは単に箱庭の帝王でしかなかったのだ。その箱庭で形成された権力関係は、カーツというカリスマを中枢に据えた、多分に人工的な関係であるが故に、カーツという身体の解体によって呆気なく崩壊してしまう類の脆弱さを、本質的に内包していたと言える。

 カーツの王国の本質的な脆弱さは、至近の現実例で言えば、森恒夫の連合赤軍であり、麻原彰晃のオウム真理教のそれと同質である。

 世の東西を問わず、箱庭に君臨する権力者は、大抵身近なところに分りやすい敵を仮構する。そんな王国が厄介なのは、外部の強大な敵に壊される前に、王国の内側から崩れ去っていくケースがあまりに多く、そこに残された者たちの崩壊が随伴して、カオスの小宇宙が無秩序に晒される恐怖を置き土産にしてしまうということである。

 カーツの王国は、カーツの死を待たずして崩壊したかも知れないのである。

 仮に崩壊しなくても、長きに渡る権力関係の腐敗によって、規範の極端な爛れを修復すべきいかなる処方箋も持てず、王国中に死体が平気でぶら下る風景の異常さは、遅かれ早かれ内部崩壊していく終末的イメージを暗示するものである。

 カーツの王国の異常さは、彼が超克しようとしたベトコンの強靭な物語や、彼がそれ以前に培ってきた、「アメリカ」という物語に対する絶対的なアンチテーゼという、極めて無謀なイメージの内に分娩されたのだ。

しかし映像は、カーツの王国の内部崩壊を描くことなく、特務機関員による暗殺という描写の導入によって王国の崩壊を完結させたのである。そこに映像のメッセージ性があるからだ。

 「ベトナム」という妖怪に搦め捕られ、そこに過剰適応したカーツが放つ絶対的暴力性を解体することで、「ベトナム」という妖怪からの解放と再生のイメージを、そこに提起したかったに違いない。

 「ベトナム」に過剰適応した者が内包する滑稽さや不幸は、まさに現代的なテーマとして捉えるのに充分な問題提起なのである。

 

 6  「見える残酷」の恐怖を稀薄化して



 ところで、戦場に過剰適応した者がいる一方、明らかに戦場の「見える残酷」に適応できなかった者がいる。

 この映画で見る限り、ランスというサーファー青年がそれである。

 彼は勤務の合間にサーフィンを楽しむ余裕を持っていたが、上流を遡行するウィラードの指揮下に入って、我が身に危険が及ぶ戦場のリアリティを体感したとき、カモフラージュのため顔にべっとりとドーランを塗りたくった。銃を持つことがおよそ不釣合いな普通のアメリカ青年であるランスが、ある事件を機に「ベトナム」という妖怪に呑み込まれていったのである。

ランスを乗せた哨戒艇が、ベトナムの物資運搬船であるサンパンを臨検したときのこと。その小船にいたベトナム人少女が、自分の大切な小箱を守ろうと走り寄ったとき、17歳の未熟な黒人米兵が身の危険を感じて、サンパンの乗組員に向かって機銃掃射したのである。

 それに反応したランスの機銃も火を噴いた。

 一瞬の虐殺だった。そこに転がっていたのはベトナム人の生々しい死体。シェフと呼ばれる米兵が、少女が守ろうとした小箱を開けたとき、そこから出て来たのは一匹の小犬。呆然とするランス。恐らく、初めての経験であるに違いないサーファー青年の「戦場」での殺人が、彼の自我を深々と裂いてしまったのである。

 彼は少女の小犬を抱え上げ、そこで残された唯一の生命を守ろうと必死に足掻く。しかし、少女は絶命していなかった。少女の虫の息を聞いたチーフと呼ばれる黒人兵は、彼女を病院に連れて行くと言い出すや、ウィラードは迷うことなく少女を撃ち抜いたのである。

 そこに特務指令を優先する米軍将校の、全く迷いのない冷徹な振舞いが初めて開かれた。それは彼にとって、全てが戦場と化しているベトナムでのあまりに常識的な振舞いだったのだ。

 その振舞いが理解できないチーフの欺瞞的なヒューマニズムに、ウィラードの怒りが心の中で暴れていた。

 「これが我々のやり方だった。“機銃を浴びせて手当てする”―― 欺瞞だ。見れば見るほど、欺瞞に胸がムカついた。船の連中が俺を見る眼も変わる。書類に書かれていないカーツのことが分り始めた・・・」
 
ウィラードの人格が船内の空気を一変させたとき、ランスの逸脱が際立っていく。彼は戦場に持ち込んだLSD(注10)を常飲するようになり、そのインナートリップが作り出す幻想の世界に逃避していくのである。彼が橋の爆破で見た光景は、目眩(めくるめ)く色彩に彩られたディズニーランドの大仕掛けの花火だった。思わず「美しい」と洩らしたランスの自我は、既に別の世界に侵入した男の状況逃避を巧みに導いていた。それが、彼の戦場での身の置き方だったのである。

 恐らく、このような方法でしか、一人の普通のサーファー青年は、「見える残酷」の恐怖を稀薄化することができなかったのだろう。男にとって、それもまた戦場への一つの適応であったと言えなくもない。こうして「ベトナム」という妖怪が、一人の普通の青年を捕縛していったのである。


(注10)麦角の中のアルカロイドから合成的に作られ、激甚な効果を持つと言われる一種の幻覚剤で、日本では1970年に麻薬に指定された。



 7  ベトナムという禁断の地が記憶した、凄惨なる地獄の風景を追体験する旅



 ―― では、ウィラードという、この映画で最も重要な男の身の置き方をどう考えたらいいのか。


 彼の戦場への嵌り方は、過剰ではなかったのか。

 最後まで他者に対して熱く語ることがなかったこの男を、ニヒルなテロリストと括るには無理がある。そもそも、男を突き動かした大義とか物語、幻想というものが男の内に果たして存在したのか。正直、そんな疑問が、私を今でも悩まし続けている。

 疑問を解いていく取っ掛かりとして、ファーストシーンでの男の過剰な振舞いを考えてみる。
 
 「サイゴンか、クソッ、ここはまだサイゴンだ。いつになったらジャングルで目覚める。故郷へ戻った時はひどかった。目覚めた時の空しさ。妻にはひと言、離婚に“イエス”と言っただけだ。戦場では故郷を想い、故郷ではジャングルへ戻ることばかり考えた。ここに来て一週間。指令待ちだ。身体がナマる。俺はここで力を鈍らせ、その間にベトコンは力を貯える。部屋の壁が少しずつ、俺に迫ってくる・・・」

 この男のモノローグの緩慢な繋がりの中に、鮮烈な色彩に彩られた戦場の風景が次々に映し出されていく。男は、サイゴンのホテルで上部機関からの指令を待って、今にも噴き上げていく何かを抑えるようにして苛立っている。男の身体は明らかに、安寧を保障されたホテル住まいに違和感を覚えているようであった。ベトナムのジャングルが、男を誘(いざな)って止まないようなのだ。

 このモノローグは、「ベトナム」という妖怪が既に男の自我を呑み込んでいることを示していると言っていい。

 男の苛立ちが、それを映し出す鏡に向かって遂に自傷行為を炸裂させたとき、ベトナムに過剰に適応した男の正体が剥き出しにされたと説明できなくもない。待つことができない男の態度が示すものは、余分な思考や感情が、男を日常性の秩序に後退させていく不安を鎮め、払拭するための乱暴な自己確認であったとも言える。今や男の日常性は、「ベトナム」という非日常の日常の内に、べったりと重なってしまっていたのである。

まもなく、カーツ暗殺指令を受けた男の旅が始まった。

 その瞬間、身の置き所がなかった男の歪んだ自我は、それが本来あるべき場所に辿り着いたときの秩序を回復したかのようだった。

 一つの命令が、男の旅に適度な湿り気を与えはしたが、カーツという特異な男の履歴に触れていく度に、国家公認のテロリストとしての、自分の拠って立つ根拠の脆弱さを感じ取ることになる。

 「俺は何人殺っただろう。6人殺ったことは確かだ・・・だが、今度は相手がアメリカ人、しかも将校だ。何も違いがないはずなのに、何かが違った。戦場で殺人罪?レース場で速度違反を取り締まるか?俺は任務を引き受けた。他に何ができる?だが、覚悟は覚束なかった・・・」

 あれほどジャングルを渇望した男の中に、微妙な波動が生じている。

 そもそも男は、ジャングルという異界の空間を渇望せざるを得ない精神の、その黒々とした底なしの沼に嵌っているようなのだ。男は、相手の息遣いが聞こえるほどの距離で何人も殺人を重ねてきたらしいが、恐らく、その度に感覚を鈍磨させ、不可避な任務という大義の内に自我防衛を図ってきたと思われる。しかし殺人を重ねる度に覚えた異様な感覚の記憶が、束の間、男を何も起こらない日常的な時間に戻しても、既にその安寧に馴染めないほどの心の闇を深め過ぎてしまっていたのだろう。

 このときの男の波動も、未だ自我の亀裂を深刻にするほどの逸脱を晒していなかったはずだ。なぜなら、男は特殊任務のプロなのだ。だからこそ、カーツ暗殺という困難な任務を、上部機関が男に委ねたのである。殺しのプロとしての男の評価は軍の折り紙つきであったと思われる。既に、前任者がカーツの配下に寝返った今、軍にはウィラードという切り札しか残っていなかったかも知れないのである。

鮮血の河を遡行するウィラードの旅は、ベトナムという禁断の地が記憶した、凄惨なる地獄の風景を追体験する旅であると同時に、そこに新しい地獄を加えていく旅でもあったのだ。

 この旅の中で展示された風景は「ベトナム」そのものであり、それが内包する狂気を作り出した「アメリカ」という、もう一つの妖怪のあられもなく爛れた裸体だった。その裸体に庇護されたウィラードは、自分を庇護する妖怪の排泄物の濁りに染まりながらも、少しずつ、そこからの突破を想念し始めていたのである。

 少年兵の死体を乗せた哨戒艇が、フランス人の広大な移植地に辿り着いて、ウィラード一行は束の間の安眠を貪った。

 歓迎の晩餐の席で、老フランス人がウィラードに語った言葉が、明らかに彼の自我を揺さぶった。

 「あれは1945年のことだった。対日戦が終結。ルーズベルトはインドシナからフランス人を追い出そうと、この地にベトミン組織を植え付けた・・・ベトコンの生みの親は米国なのだ」
 「本当に?」と、ウィラードは真剣な表情で聞き返した。
 「米国がベトミンの敵になった。米国はお手上げ、何もできない」

 ウィラードはいつも聞き手でしかない。語るべき何かを持ってはいけない訓練を受けてきたからだ。しかし彼には、最も肝心な現代史の真実の情報がインプットされていないのである

 「あんたら白人はクソだ。自由のための戦いだ」
 「自由?何が自由だ!」
 「白人の戯言だよ」
 「ディエン・ビエン・フーは違う。ベトナム兵は死を覚悟していた」

 白人たちの激しい議論に挟まって、ウィラードはここでも聞き手でしかない。しかし彼の中に、殆ど稀薄化された大義にぶら下った、任務への遂行の意志だけは未だ死んでいなかった。

 晩餐の後、未亡人のフランス女性から、「戦争が終わったら故郷へ?」と問われたウィラードは、はっきりと「ノー」と答えた。

 未亡人の「あなたの家もここなのね」との一言に、男は沈黙した。男には、未だ身を置く場所がないのである。

 しかし、この命を賭けた旅の完結が、自らの身を置く場所を提示するかも知れないという予感を、ウィラードは抱いていたのだろうか。

 フランス人たちと別れたウィラード一行を乗せた哨戒艇は、とうとう旅の終着点に辿り着いた。

 そこにあるのは、カーツの王国のみである。

そこは、至る所に死体が吊るされ、生首が晒された狂気の王国だった。この王国に恐怖を感じたシェフは哨戒艇で殺害され、その生首が、捕縛されたウィラードの元に届けられた。「神様!」と叫んだウィラードの感情が、映像にストレートに映し出された。

 カーツは、明らかにウィラードの訪問を待っていた。

 その訪問の目的も認識できているカーツは、ウィラードの心情を見透かしたように、彼を半ば自由に解き放つ。

 自由な身の中でウィラードが見たものは、カーツが大切に保存していた軍服であり、勲章の数々だった。カーツの自我を支えていたのが、「善きアメリの軍人」としての誇りであり、その誇り故にベトナム戦争の愚行を重ねる母国の欺瞞性に決別し、自らの理想を求めて王国を築いたであろうことを、ウィラードは認識したに違いない。

 しかし、カーツの築いた王国は、アヘンを常飲する土着民を思いのままに動かし、そこに異を唱える者を処刑し、平気で生首を晒す狂気の王国だった。それは、カーツがモデルとした王国に、遥かに届かないものであったに違いない。

 間違いを犯すことを決して避けられない、人間という本質的に過剰な生き物が絶対的権力を握ったとき、そこで作られた王国が絶対的に腐敗するであろう真理について、カーツは深い洞察力によって把握できなかったのである。

彼は軍人として優秀であったが故に、人間の持つ愚かさを視野に入れた包容力のある物語を作り出せなかったのだ。彼が描いた物語は、強靭な意志を持ち、躊躇なく人を殺せる者たちを束ねた、一種の全体主義的な王国像に他ならない。恐らく彼には、ベトコンよりも強靭な意志を持つ組織を作るという基本モチーフが、そこに垣間見えるのだ。

 彼はウィラードに語っている。

 「持つべき兵は、道義に聡く、だが同時に何の感情も興奮もなく、原始的な殺人本能で人を殺せる男たちだ。理性的判断を持たずに・・・理性的判断が敗北を招く」

 カーツのこの言葉に、ウィラードの表情は固まった。それまでカーツを簡単に殺せると思っていて、それができずに時間を浪費したウィラードの中に、ここで殺意が改めて形を持ったのかも知れない。

 「私は気がかりだ。息子が私の行動を理解できるかどうか。もし私が殺される運命にあるのなら、誰かをやって息子に全てを伝えて欲しいのだ。私が行い、君が見た全てを。何よりも嫌悪すべきは、偽りが放つ悪臭だ。君が私を理解するなら、君がやってくれ」

 これが、映像に残されたカーツの最後の言葉だった。

 その言葉に手繰り寄せられたかのように、ウィラードはカーツの殺害に向かっていく。

 「これで俺は少佐に昇進だ。軍隊などどうでもいい。皆が殺るときを待ってた。特に彼が。俺が苦痛を取り除くのを彼は待っていた。軍人として死ぬことを願っていた。惨めな脱走将校としてではなく・・・ジャングルも彼の死を求めてた。彼の城であったジャングルも」

 これも、映像に残されたウィラードの最後のモノローグ。

彼に迷いはなかった。

カーツを殺害した後、新しい国王を歓迎する土着民の歓声の中を横切って、ウィラードはランスを伴って帰船した。

ウィラードの傍らに、雨によって正気に戻ったランスがいる。ランスの顔からドーランが少し溶けていて、長いカモフラージュの眠りの中から、普通のサーファー青年だった男の自我が蘇ったのである。

彼らに降り注ぐ浄化の雨は、王国からの帰還を果たし得た、二人の魂の再生をイメージするメッセージのようにも受け取れるのである。



 8  「アメリカ」という負の妖怪



 カーツの死は、当然、王国の解体を意味するだろう。

 王国の解体はカーツの物語の終焉を意味する。

 カーツの物語のあまりの過剰性は、その物語を生んだ国の物語の過剰性に淵源する。絶対的なアメリカの、絶対的な防共戦の、絶対的なマニフェスト・ディスティニィ。

その絶対性に亀裂を走らせた「ベトナム」という妖怪は、カーツの生命を食(は)み、「アメリカ」という物語の筋力を奪ったのである。

カーツとは、その「アメリカ」という物語の欺瞞性が分娩した極端な奇形児であると言っていい。


それは、最後まで軍服と勲章に拘ったカーツが憎んだ母国の軍隊の欺瞞性であって、母国の軍隊そのものではなく、ましてや、母国それ自身ではない。母国の軍隊の欺瞞性を剥ぎ取れば、その極北にカーツの王国が濾過されて、その裸体を晒すだろう。


帝国主義の時代に戦われた植民地戦争の露骨な姿、それがカーツの王国であると言っていいだろう。

コイコイ人(ウィキ)
ボーア人(注11)、ドイツ人によるホッテントット族(現在コイコイ人)の虐殺や、ベルギーによるコンゴ人虐殺(注12)から、アメリカのインディアン征伐、更に、ミシシッピー・バーニングの世界を通底する、「白人以外は人間ではない」という暗黙のイデオロギーが、ベトナムに於いて集中的に炸裂したのである。

 そこで炸裂した集中的暴力が、それに屈しない強靭な意志を持つベトコンを育て上げ、やがて全世界を揺さぶった「ベトナム」という妖怪が、現代史を決定的に支配したのである。

そこで決定的に敗北したアメリカは、そこに住む人々の拠り所であった心地良き物語を剥ぎ取られたばかりか、ドラッグと犯罪が蔓延するくすんだ風景を日常化するに至ったのだ。

「ベトナム」という妖怪を作り出したのは、結局、「アメリカ」という負の妖怪だった。

決定的に勝利した国と決定的に敗北した国の落差は、あまりに決定的だったのである。

 母国の軍隊の欺瞞性を憎んだカーツの視点はウィラードのそれと重なったが、カーツを倒したウィラードがその視線を更に前に進めたとき、果たしてそこに何が待っているか、映像は何も語らない。

 
揺るぎない物語を携えて前進したはずのカーツは、実は歴史のほんの少し後方に戻ったに過ぎなかった。


何も作れなかった王国と、その王国を生んだ母国の暗黙のイデオロギーは、解体される他はなかったのである。


 「私は地獄を見た。君が見た地獄を。だが私を殺人者と呼ぶ権利はない。私を殺す権利はあるが、私を裁く権利はない。言葉では言えない。地獄を知らぬ者に、何が必要かを言葉で説いて分らせることは不可能だ。恐怖、地獄の恐怖には顔がある。それを友とせねばならぬ。恐怖とそれに怯える心、両者を友とせねば、一転して恐るべき敵となる。真に恐るべき敵だ」(カーツの言葉)

地獄を見た者が作ったものは、もう一つの地獄だった。

 「恐怖とそれに怯える心」を友としたはずの男が作った地獄によって、男は解体されたのだ。男は最後まで地獄のジレンマから解き放たれなかったのである。大義なき戦争に曲線的に振られながら、そこに過剰に適応した男の悲劇は、男を生んだ国の過剰な物語の、その必然的な悲劇に重なって、そこに爛れた終末的風景を映し出してしまったのである。それが「地獄の黙示録」だった。



 9  欺瞞を撃ち抜く映画



 「地獄の黙示録」は、ニューシネマの最終到達点である。

確かに、ニューシネマに似合わないほどコストのかかる作品だったが、しかし、そこに映し出された世界は、紛れもなく、ニューシネマの問題意識と突破力を内包する映像に他ならなかった。
 そこには既に、ブランド化されつつあった、一部のニューシネマに貼り付いていた感傷や独善性がすっかり剥落していて、本来ニューシネマが対峙し、向かうべきところのものを、その根底に於いて撃ち抜いていたのである。

 それは偽善を蹴飛ばすことではなく、欺瞞をこそ撃破するものでなければならなかった。既成のハリウッド映画が垂れ流してきた開拓史や、聖戦史の欺瞞を打ち砕き、それを根底で支えた「アメリカ」という物語の欺瞞性を解体すること。そこにこそ、ニューシネマの放った特攻精神の眩しいまでの輝きがあった。    

 「地獄の黙示録」は欺瞞を撃ち抜く映画であることによって、ニューシネマの極北を示したのである。映画の登場人物たちも、欺瞞という言葉を、粗い感情を込めて何度放っただろう。

 「“機銃を浴びせて手当てする”―― 欺瞞だ。見れば見るほど、欺瞞に胸がムカついた」

 ウィラード大尉は、最悪なる戦場に向かう哨戒艇の中で、その否定的な感情を吐き出した。

 「欺瞞」こそ、この作品のキーワードと言っていい。

それは向かうべきところに凛と立って、残酷なまでに晒し、暴き出し、喉元まで追い詰めて、それを裂き、屠ろうとした。真っ向勝負の潔さが、そこにあった。

 過剰なコストの回収は不能になったが、それは映画史の動かしがたい重石となって、もう決して作り出せないような超ド級の記憶だけが、時代の欺瞞を突き抜ける何ものかになったのである。「ベトナム」という妖怪が、それよりももっと巨大とされる神話の欺瞞を、木っ端微塵に打ち砕いたという圧倒的な衝撃。それは殆ど、訳知り顔の講釈を不要とするダイレクトなメッセージだった。

 相当強引に括ってしまえば、もうそこに何も加えるものがないような映像世界が完結したとき、「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれた時代のうねりは終焉を遂げたのである。そう考えた方が分りやすいからだ。


(注11)17世紀頃からケープ植民地(南アフリカ)に入植したオランダ系移民の子孫で、19世紀にオレンジ自由国を設立するが、ダイヤモンド鉱山の発見によって大英帝国と対立し、遂に19世紀末に、第二次ボーア戦争を惹き起こし、敗北するに至る。彼らの植民化の過程で原住民の土地を奪い、とりわけ、牧畜民であるコイ人(「ホッテントット」という蔑称が近年まで使用されていた)への迫害があった。             

(注12)1885年、ベルギー国王レオポルド2世の主導下で開かれたベルリン会議において、アフリカ分割が決定し、国王はコンゴ地方を私有化した。原住民を奴隷化し、強制労働させ、ノルマに満たない者の手足を切断するという刑罰が常態化していた。


 ―― 稿を括るに当って一言。

 人間が戦争を作り、その戦争が人間を変えていく。
 
 その戦争が持つ継続力が単に惰性でしかなかったら、その戦争での人間の変化はより常軌を逸したものになっていく。より常軌を逸したものが日常化し、それはもう、狂気としか呼べない何ものかになっていくのである。

たとえ、その戦争に何某かの大義名分がぶら下っていたとしても、絶対性を持たないその大義名分の表層が剥落し、いよいよくすんだ濁りを見せはじめて、そこに戦争に狩り出された者たちが取り残されてしまったら、その者たちの継続力を保証するものもまた、すっかり、くすんだ魂以外の何ものでもないのだ。人間はその中で確実に、そして少しずつ駄目になり、加速的に腐っていく。

 仮に、小さな王国を支配する快楽に逃げ込んでも、その快楽を保障し続けるために、より愚かな戦いを日常化し、それを再生産していく他にない。こうして人間は、いよいよ元の場所に戻れなくなっていくのである。
 
 それは本来的に人間が抱えた脆弱さであり、そこだけは容易に進化しきれないとてつもない愚かさなのである。そのことを幾らかでも認知し、自覚できる者だけが、その大いなる愚かさに馴染めずに、内なる戦いをどうにか継続できるのであろう。科学の目眩く進化に、最も肝心な人間の自我だけがいつも置き去りにされるのだ。

 余計な一文だったが、無論これは、私が厭悪(えんお)して止まない「反戦平和」などという、最も欺瞞的なるイデオロギーのメッセージの類ではない。これは敢えて言えば、私の把握の中で結構根深い、些かペシミスティックな人間観の吐露である。

 人間の愚かさ、そのあまりの不完全さを実感的に把握する私には、本作で剔抉(てっけつ)されたと思われる世界の、「過剰さと欺瞞性」についての映像的表現の見事さ、ある種の乱雑さへの率直な共感感情が、本稿での評論の括りにダイレクトに繋がったということ以外ではなかった。

(2006年1月)

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