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  • 清瀬・我が町2017晩秋 - 長源寺・清瀬市下清戸にある曹洞宗寺院の佇まい。 清瀬の晩秋の風景が一番好きだ。木々が色づき、寺院の境内のしみじみとした味わいは、多摩の情緒が溢れていて最高にいい。 長源寺は、全龍寺を創建した玉室應珍(慶長18年1613年寂)が開山となり創建したと言われる。 以下 清瀬・円福寺 曹洞宗寺院の円福寺...
    4 日前

2008年11月4日火曜日

赤い殺意('64)    今村昌平



<「弱さの中の強さ」――「不幸への免疫力」が作り出したもの>



序  「普通なる家庭の普通なる幸福」を守り抜く女



「赤い殺意」をおよそ40年ぶりに観て、驚嘆した。

当時、本作を観たときも深い感銘を受けたが、壮年期に入って、絶対的に身体不自由な障害者生活を送ること6年余り、メジャーリーグ中継と映画鑑賞だけが唯一の娯楽となっている日々の中、「日本映画専門チャンネル」を介して新鮮な気持ちで本作と付き合って、改めて驚嘆した次第である。

近年の邦画のつまらなさに辟易する昨今、私の映像ショッピングもいい加減萎えつつあるときに、まさに絶妙なタイミングで「赤い殺意」との出会いが実現した訳だ。

それは、何という刺激的な映像であったことか。

素晴らしい。完璧である。絶句する思いがした。

女の哀しい表情を映し出したラストシーンのカットでは、思わず落涙したほどである。それ程凄い映画だったのだ。

私は正直なところ、今村作品の熱心な愛好者ではない。

しかし、そんな今村作品の中でも、例外的に私が絶賛して止まない幾つかの作品がある。

その筆頭こそ、「赤い殺意」である。

今村昌平監督
本作は、私見によると、今村作品の最高傑作であるばかりでなく、日本映画史上でも抜きん出た一篇であると考えている。

その理由は一つ。

この中で描かれている、「弱さの中の強さ」を生き抜いてみせた主人公の女の圧倒的な逞しさに、ただ平伏(ひれふ)してしまう外なかったからである。

均しく貧しかった時代の名残りを未だ払拭できずにあったこの国に、こんな女が生きていたからこそ、この国の勤勉だが、対米従属下にあって、闘争心も競争心も今ひとつ足りなかったひ弱な男たちの見栄や誇りを傷つけることなく、この国の凡庸だが、しかしそれなりに内面的な豊かさを垣間見せていた、「普通なる者たちの家庭」が脈々と守り抜かれてきたのである。

確かに本作で、女が最近接した犯罪の臭気漂う闇の辺りで、女が振舞った行為を、いつの時代にも溢れかえる道徳居士の奇麗事の言説で、格好よく一刀両断する感傷に酔う自由は存在するだろう。

しかしそれは、女の立場に拠って立って、彼女が守ろうとした「幸福」の重量感の前で吹き飛んでしまう類の軽微な何かでしかないのである。

この映画は、無教養と見られかねない女が自分の裁量によって、「普通なる者たちの普通なる幸福」を必死に手に入れようと努力して努め抜いた、その「普通なる人生」を見事に映し出すことに成就した傑作だった。



1  為す術がなく身を横たえる女



―― 能書きはともあれ、本作のストーリーラインを追っていく。


東北大学図書館に勤務する高橋吏一(りいち)は、全国図書館会議に出席するため上京した。

その際、慌てて着替えを買ってきた妻の貞子は、夫を仙台駅の改札に見送った。

その改札の傍らに一人の若者が、夫婦の見送りを確認するように立っていた。

まもなく自宅に戻った貞子は、日課となっている家計簿を記したあと、眠りに就こうとした。

そのとき右手に包丁を持った男が、突然「金を出せ」と迫って来た。駅にいた男だった。

貞子(右)
衝撃で声も上げられない貞子を、男は羽交(はが)い絞めにして、殴りつけた。

懸命に抵抗する貞子に手を焼いて、スタンドのコードで縛り上げて、女を強姦した。

犯された女は放心状態になっている。

無抵抗な女に襲いかかる男は、自らの欲望を果たした後、為す術がなく身を横たえる女の傍らに、盗んだ金の一部を置いて、静かに去って行った。

「黙ってりゃ、分かりゃしねぇよ」

これが、男の残した一言だった。

既に夜は明けていた。意識を取り戻した女は、心の中で呟いた。

「何にも起んなかったんだ。夢だ。きっと夢だ」

そう自分に言い聞かせた女だったが、電気をつけて部屋を見ると、そこには男が捨てた包丁と紙幣が置かれていた。女は現実を認知する以外になかったのである。女は男の臭気を消すために、風呂場で体を清めていく。

「死ななきゃなんねぇ・・・」

そう心の中で呟いて、貞子は自宅の傍を走る鉄道の線路に、ふらつくような足取りで出て見たが、子供の勝(まさる)のことを考えると、どうしても死に切れなかった。

「どうせ死ぬんだ。勝に会ってから死ぬべ」(モノローグ)

その夜、貞子は眠りかけている勝に問いかけた。

「勝、母っちゃん死ぬと言ったら、一緒に死んでくれるか?」
「うん」

勝は浅い眠りの中で、意味も分らず反応した。

「本当に?」
「うん。でも学校さ、行けるもんね」
「行けやしねぇよ、どこさも・・・」

貞子は息子の傍らで、心の中で呟いていた。

「あの人さ、言ってしまうべ。許してくんなきゃ、死ねばいいんだ」



2  再び現われた男



翌日、夫の吏一は出張から戻って来た。

帰って来る早々、些細なことで文句をつける夫は、貞子のために電気掃除機を買ってきた。

破れた襖(ふすま)をも見た夫は、義母が張り替えるという説明を貞子から受けて、「家計簿を見せてみろ」と命じたのだ。

夫は徹底した吝嗇家(りんしょくか)なのである。

その家計簿を見ながら、いちいち文句をつける夫の性格に、貞子はすっかり慣れている。

祖母や実母の淫乱振りを、義母から非難され続ける貞子には、充分な免疫ができている。

貧しくも、一応の安定した生活を保障されたサラリーマンの後妻に納まった貞子は、もうそれだけで満たされていたのかも知れない。

その晩、貞子は夫に事件のことを告白するつもりだった。

「おっ父ちゃん、あのね、もし私がよろめいたらどうする?」
「ばか!何言ってんだ、一人(いちにん)めえに。ほだらこと、できるもんなら、やってみたらいいっぺ」

夫は、貞子の告白のとば口を塞いでしまったのである。

貞子を強姦した男が、再び現われた。

男はアイロンを手に持って貞子を脅迫し、再び犯したのである。男は貞子のことが忘れられないようだった。

「好きなんだろ?俺のことが」
「ばか!お前なんか!お前なんか!」
「言うぞ!皆言っちまうぞ、この間のこと。いいのかよう!・・・死ぬんだ、死ぬんだ、俺・・・あんたに優しくしてもらいたいんだよ、俺・・・」

懸命に抵抗する貞子。

それでも男の腕力に屈して、体を許してしまう貞子。

貞子は男が帰った後、ガス栓を開いた上に、首吊り自殺を図ったが、しくじってしまった。

紐の力が貞子の重量感を支え切れなかったのである。




3  素性を打ち明ける男



現在の東北大学・地学専攻棟(ウィキ)

一方、夫の吏一も、図書館に勤める義子という女と久しく関係を続けていた。

義子は籍に入っていない貞子の事実を知っているから、何とかその後釜に納まろうとしていたのである。

「ねぇ、私、勝ちゃんのこと、自分の子供のつもりで育ててみたいの・・・」

そう言って、義子は勝のプレゼントに本を渡そうとするが、吏一はそれを受け取るや、早々と帰宅の途に就いた。

貞子はこの日も、夫に告白できなかった。

彼女は既に、事件を心の中に封印することにしたのである。

貞子が勝を連れて外出したデパートで、突然男が現われた。

「話がある」という男の誘いを振り切って、貞子は勝の手を引いてそそくさと店を立ち去った。

その光景を目撃した義子は、図書館で吏一に報告した。

「お前は、俺の家庭ば破壊する気か?」

吏一は、極端に近眼の義子の話を全く信じなかった。

それでもその晩、吏一は貞子にそれとなく確認を求めた。

「誰かに会わなかったか?」
「ううん」
「本当か?」
「本当です。誰にも会わなかったっす」

夫の追及も弱く、貞子は適当にお茶を濁して、家計簿を自ら提出することで話題を切り換えた。

しかし、その貞子のお腹には、妊娠3ヶ月の胎児が宿っていた。

「やっぱりあいつの子供だべか。6年もできなかったのに・・・」

貞子の心に不安が過(よ)ぎった。

仙台の病院で受診した貞子が、そんな不安を抱えて最寄りの駅で列車を待っているとき、またも男が現われたのである。

「仙台からずっと一緒だったんだけど、いつ声かけようかと思って迷っちまってよ。子供ができたんじゃねぇのか?俺の子供かよ?な、そうだろ・・・」

女はそれに応えず、一人で列車に乗り込んで、急ぎ早に満員の車両を抜けていく。

男も女について行く。

最終車両の乗降口に辿り着いても、男はついて来た。女はもう逃げられなくなっている。

「この先どうなるか分んないけど、ちょっとの間でいいんだ。一緒に暮らさないかよ。東京へ行こう。東京へ行けば何とかなるんだ。な、来いよ。あ、そうだ。おめえの子供連れてったっていいんだぜ。俺、子供好きなんだ。懐(なつ)くんだよ、案外」

「止めて!子供のことなんて言わないでけれ!おめえみてぇな奴の口から、子供のことなんか言われるとぞっとする!お腹の子供だって、おめえの子なんかじゃない。主人の子なんだ。私たちの子なんだ。もう来ねえって約束じゃねえか!行け、行けったら!」

「俺はもうだめなんだ。おめぇのこと考えないじゃいられないんだ。何と言われようと、どうしようもないんだ。おい!俺と一緒に来い!」

男は女に縛りつくように、思いを激しく吐き出していく。

女の体を捕捉して、今にも後部車両からその身を押し出していて、心中しそうな勢いだった。

男はそのとき、突然胸の苦しみを訴えた。

のけぞって、喘いで、呻いていた。

「どうしたんだべ、この人。死ぬんでないかしら・・・」(モノローグ) 

女は、「ポケット」と小さく呟いた男の指示を受けて、男のポケットから薬剤を取り出した。男はそれを吸引して、生命の危機を脱したのである。

「よし、こうなったら今日こそ話をつけよう。却って、いい機会なんだ。この機会ば逃したらいけない」(モノローグ)

二人は途中の駅で下車し、簡易旅館で休憩した。少し元気を回復した男は、女に語っていく。

「たまに、さっきみたいなことになるんだ。病気ってほどじゃねぇんだ。医者は心臓がどうのこうのって脅かしやがるけど、気持ちだからな、病気っていうのは」
「話があるの」
「おめえ、東京だろう?分ってんだ。おめえだって、東京に行きてぇんだ」

男は女の気持ちが分っているようで、理解できていない。全て自分の願望でしかない観念のラインで動いているのだ。

そんな男が女に初めて、自分の素性の一端を打ち明けた。

男は下町の小屋でドラムを叩く仕事で食い繋いでいるということを。

そして女に、「もし東京へ行くんだったら、知らせてくれよ」と哀願したのである。

どうやら、男は生来の悪人ではないようだった。



4  号泣しながら、隣室に逃げ込む女



貞子の夫、吏一の父清三の葬儀の日に、貞子は吏一の兄弟の会話を聞いて衝撃を受けていた。

自分の最も愛する息子である勝の籍が、清三の息子になっていることを知ったのだ。

即ち、自分が妾腹の子であるが故に、吏一の正妻として戸籍登録されていないという事実を知って、貞子は愕然としたのである。

直ちに、彼女は役所に自ら赴いて、その事実を改めて確認した。

苦労多き人生の中で、ようやく掴んだ「平凡なる家庭の妻」の座が揺るぎかねない不安を、貞子は今、実感せざるを得なかったのである。

そんな貞子に、またしても男から連絡が入った。

“話がある。会ってくれ。広瀬橋の上にいる”というメモを、勝を介して受け取ったのである。しかし、貞子は広瀬橋には行かなかった。

その晩、貞子の自宅に向って石を投げる者がいた。

その音を聞いた吏一は、隣の学生の仕業であると考えて、隣家に乗り込んで行った。

ところが、その本人は自宅で就寝中であることが確認され、呆気なく投石の犯人でないことが判明した。

自宅に戻って来た吏一は、貞子を起して糾明していく。

「俺は知ってんだぞ。本当のこと言え」
「本当って・・・本当です」
「おい、貞子!おめぇ、今の奴知ってるな?」
「今の奴?」
「とぼけるな!今、石投げた奴だ!知らないとは言わさねぇぞ!あれ、何の合図だ?」
「知りません」
「馬鹿!いい加減なこと言うな!しらばっくれやがって」

夫は妻の頬を強く叩いた。

義子から聞いた貞子の男の噂を、吏一は今夜の投石の一件で確信したようだった。

その表情には、今までにない不安と焦燥感に満ちている。有り得ない話が現実になったときの恐怖感が、夫の心を支配していたのである。

夫は妻の首を絞め、罵詈雑言(ばりぞうごん)を繰り返した。

「ひどいわ・・・自分だけ勝手な真似ばかりして・・・」

貞子の蚊の鳴くような抵抗を制圧するかの如く、吏一は相手の心を決定的に傷つけるような言葉で、修羅と化した状況を支配していく。

「能書き言うな!人を馬鹿にしやがって!おめえなんか、お情けで置いてやってるんだぞ!婆ちゃんだって反対なんだ!おめえなんか、家(うち)いれることを」
「止めて、子供の前で・・・」
「いい気になるな!おめえだって女中じゃないか」

吏一と貞子
夫は妻の髪を鷲掴(わしづか)みにして、折檻を止めないでいる。

息子の勝は、父に打擲(ちょうちゃく)される母の哀しみを執拗に見せつけられていた。

「もう、やだ!やだってば!」

貞子は号泣しながら、隣室に逃げ込んだ。

夫はもう、今までにない感情を身体化した妻を捕捉できなくなっている。

如何にも不安気に、妻のリアクションを見つめるだけだった。そこに、小心な夫の性格が露呈されていた。



5  悲痛な訴えを振り切って、舞い戻る女     



翌日、貞子は自ら男に会いに行った。

貞子はそこで、男の名が「平岡」であることを知ることになる。

彼女は銀行から預金を下して、それを手切れ金として平岡に渡すつもりだったのだ。

「夕べは済まなかった。行く気はなかったんだけど」

貞子は平岡の一言で、昨夜の投石犯がこの男であることを確認したのである。

「やっぱりこの男だった」

貞子は心の中で呟いた。

自分が持ってきた金を渡して、もう来ないでくれと男に懇願するばかり。しかし男は、頑として金を受け取ろうとしなかった。

「おめえなんか泥棒でねえか!金が欲しくて人の家入った泥棒のくせして、なして取んねぇの!おめえが一番欲しかったのはお金だべ!馬鹿!」

貞子は金を男に突きつけて、逸早(いちはや)くその場を離れた。

それでも男は、女を追ってきた。

男にとって、今は金目当ての行動ではない。それを知っているからこそ、貞子はその場を直ちに逃げ出そうとしたのだ。

しかし女は、男によってビルの暗みの中に捕捉されてしまった。

「許してくれ。俺は馬鹿だ。気違いだよ。だけど、たまらねぇんだ。本当に何もないんだ。あんた以外、何もありゃしないんだよ。最初に行ったとき、薬代が欲しかったんだ。あの日、医者の野郎が死ぬなんて脅かしやがってよ!俺は何とか生きていたいと思っていたからな。でもいいんだ・・・俺はあんたに、ほんのちょっとだけ優しくしてもらいたいてぇんだ」

男は女を屋上に連れて行って、自分の身の上話を吐露したのである。

女はそれを聞くことになった。

男は東京にいたとき、少しは売れたトランペット吹きだったが、病気で倒れて以降、場末の盛り場を転々とする日々を送っていたこと、また幼少時に父親が戦死したことで、母親が娼婦稼業で自分を育て上げてくれたこと、そしてそのお陰で中学も出ていないという自分の素性を、一方的に話したのである。

「東京行こうじゃんか!そいで、俺たちだけで家持とうじゃんか。子供も産まれるんだからよ」
「そんなこと、あんたにできるもんか」
「できるさ。俺、東京なら知ってる奴もいるんだ」
「嘘ばっかり言って」
「本当だ。仕事探すくらいのことやってくれるんだ。そしたら俺、何でもやるからよ」
「そんなこと。そんな体で・・・」
「ばっきゃろう。できらぁい!何言ってるんだい!」
「もういいってば。今までのことは私も忘れっから。あんたも忘れて、さあ、これ受け取んなさい」
「帰んのか・・・待ってくれ、頼むよ、まだ俺、言うことあるんだよ・・・よう!」

男の悲痛な訴えを振り切って、女はその場を立ち去った。

バスの中での、女のモノローグ。

「これで、いいんだ。あんな奴、ただの泥棒なんだもの。さっぱりした。もうあんな奴に会わない。会わなくて済むんだ。二度と・・・可哀想なもんか、あんな奴。嘘ばっかり言って・・・聞いてやることなんかない。あいつの言うことなんか。あんな馬鹿。馬鹿、馬鹿!」

女はバスの中で、繰り返し自問自答した。

その結果、女は男のもとに戻って行ったのだ。

猛吹雪で視界が狭い冬の街の只中を、女は雪の白で全身を埋めながら、男の前に再び現われたのである。

「戻って来ると思ったよ、俺。あんた、やっぱり俺の思った通りの女だった」
「だって、あんたまだ、言うことあるって言ったでしょ」

女はこのとき、殆ど確信的に男の体を受け入れたのである。

「仕方なかったんだ。これで終わりだもの。最後なんだから・・・」(女のモノローグ)



6  死を覚悟したはずの男、激しく狼狽する女



自宅に戻ったその夜、女は夢を見た。

男と東京に向う列車に乗ったが、男が「東京に着いた」と言って、夜行列車のドアを開けると、そこは黒々とした夜の大海原。

驚いた貞子は下車を拒み、必死に抗った。

しかし、男に無理やりその身を引き剥がされて、貞子は列車から真っ逆さまに海に落下したのである。

「この家を守るためには、こうするより仕方ねぇんだ。あいつば殺して、どっか遠いところで私も死ぬ。私さえいなければ、勝も父ちゃんも幸せに暮らせるんだもの。なしてこんなに不幸せなんだろうか、私って・・・」(モノローグ)

貞子は心の中で、その重苦しい思いを吐き出している。

しかし常に貞子は、このような贖罪意識を内側で刻むことによって、何か浄化を図ろうとしているところがある。

自分をこれだけ追い詰めたのだという把握こそが、この女には重要だったのだ。このモノローグもまた、そのような文脈で読み取る必要があるだろう。

昭和初期の仙台駅構内(ウィキ)
貞子はそんな思いを乗せて、仙台駅で平岡と落ち合っていた。

直前に貞子は美容室に行って、たっぷりと化粧している。

男もスーツを着込んで、女を待っていた。

「人の働いた金で洋服など買って、いい気なもんだ・・・」(モノローグ)

貞子は男との逃避行になるかも知れない旅を自ら否定するために、こんな思いを自分に言い聞かせたのだろうか。

彼女はどこまでも、自分が男の犠牲者であるという物語を捨てられないのだ。そこに何某かの悦楽が存在することを、断じて認める訳にはいかないのである。


二人を乗せた上野行きの列車が、仙台駅を出発した。

ところがその列車は、激しい積雪のため途中で停止してしまったのである。

二人は思い切って、列車を捨てて雪の山道を歩き出した。

途中橋を渡り、女は男の後を緩慢な足取りで追っていく。

その二人を、もう一人の女が追尾していた。

仙台駅で二人を見かけた義子が、ずっと二人を追い駆けていたのである。

それを知らない二人は、どこまでも雪道を歩き続ける。

男はしばしばその体を雪の上に凭(もた)れかけ、次第に体力を奪われていくようだった。

眼の前に暗いトンネルが見えた。女は心の中で呟いた。

「早くしないと、向こうさ着かねぇうちに・・・」

二人はトンネルの中に踏み込んでいく。

男はまたそこで倒れた。かなり体力の消耗が激しくなっている。

女はまた、心の中で呟く。

「今だ。今、飲ますんだ・・・」

女はトンネルの片側に凭(もた)れかかっている男に近づいていく。

持参してきた手製の毒入りのお茶を、ポットから注いで男に恐々と差し出した。

男は女の顔を凝視する。全て納得ずくのように、それを受け取ると静かに飲もうとする。

その時だった。「止めれ!」と叫んで、女はお茶を持つ男の手を振り払って、その場でしゃがみ込んで泣き出してしまったのである。

「どうせ死ぬ気なのに、バレちまうよ・・・あんたにはできやしないんだ、人殺しなんか」

男は全て分っていたのである。分っていながら飲もうとしたのだ。

「そんなに俺が憎いのかよ・・・そうだろうな、分るよ・・・えらいとこ連れて来ちまったな。ご機嫌の道行きのつもりがよ。でもしようがなかったんだよな。よう、こっち来てくれよ・・・」

女は男に誘(いざな)われて、男の体の中にその身を埋めていく。

しかし突然、男は呻き声を上げた。持病の心臓発作が現われたのである。

「苦しい!アンプル!アンプル!早く!早く・・・頼む!死にたくねぇ!」

男は心臓発作の特効薬を女に求めたのだ。

男がこのような事態を想定していなかったとは思えないが、恐らく新調した服を着るときにアンプルを入れ忘れたのだろう。

それが決定的な不覚となってしまったのだ。


映画で描かれたのは、国道13号線の東栗子トンネルブログより
アンプルを持たない女に、男はそれを求めるが、女はただ慌てて狼狽するばかり。

「だって、どこにもないんだから!私、持ってないから!」

死を覚悟したはずの男だが、断末魔の苦しみに劈(つんざ)かれてしまうとき、常にこのような人間的な弱さを曝け出してしまうのか。

女の中に、殺意などどこにもなかった。

情の深いこの女は、アンプルさえあれば男を助けられると考えたはずだが、今はもう何もできないでいる。

激しく狼狽し、他に助けを求められない辛さの中で、ひたすら自分の足を掴もうとする男の足掻(あが)きに抗う以外なかったのである。

「馬鹿やろう!デブ!」
「持ってない!」
「頼むぅ・・・アンプル・・・」
「だって!ないんだもの、アンプル!困ったぁ・・・」

女は恐怖感のあまり、その場を立ち去ろうとした。しかし男の振り絞るような呻き声が、女の全身に降り注いできた。

「居てくれ・・・頼む・・・好きなんだ・・・頼む・・・」

女は男の呻きを振り切って、トンネルを抜け、雪道を裸足で走り去っていく。

積雪の仙台市(ウィキ)
走って、走り抜いて、電車に乗り、ようやく駅に辿り着く。

女は駅を出てから突然、体に異変を覚えた。流産したのである。



7  自分の足に蚕をのせて、それをずっと眺める女



女は病院の一室にいた。

傍らに夫が寄り添っている。その夫に部下の図書館員が近づいて、義子の事故死を告げた。

義子は貞子を最後まで追い駆けた挙句、駅の交差点で車に撥(は)ねられて、病院に運ばれた後、まもなく息を引き取ったのである。

その際、吏一宛てに、自分が撮ったカメラを知り合いの者に渡したらしい。

吏一はそれを受け取るや、早速近くの写真屋に現像を頼んで、プリントされた写真を確認した。

そこには、妻の貞子の他に一人の見知らぬ男が映っていた。

不安が現実味を帯びた小さな恐怖を抱えて、夫は慌てるように病室に戻り、貞子を追及する。

全く予期せぬ展開の中で夫に迫られても、そこだけは肝が座った貞子は、知らぬ存ぜぬの一点張り。夫はそれでも執拗に、男との関係を問い質していくのだ。

病室での夫婦の、修羅場のような会話。

「父っちゃんにあんまり殴られたんで、どっか遠いとこさ行こうかと思って・・・」
「一人でか?おめぇが一人でそんなこと考える筈ねぇでないか。誘われたんだろう?この男に」

そう言って、夫の吏一は写真の男を指差した。

「駅で会った人いたから。その人も、東京さ行くっちゅうから・・・」
「どこの奴だ?そいつ」
「東京の人。あたしも誰でも構わないと思ったの。その人と一緒に、東京さ行こうと思って汽車に乗ったら、雪で止まってしまって、そしたらその人死んだの。あたしおっかなくなって・・・帰って来たのです・・・」
「それで駅さ戻ったら、腹痛くなったって言うのか?じゃぁ、やっぱりこの写真おめぇでねえか」
「ううん、こいつ違う」
「こいつ、小っちゃいからはっきりしねぇけど、大っきく伸ばすと皆分るんだぞ」
「でも、私でないもの。私でないけど、もし私だったらどうすんです?」
「そんな奴、家(うち)さ置けっか」
「なしてですか?」
「なしてっておめぇ、当然でねぇか。夫婦でそんな、夫以外の者と汚い関係できた奴」
「私、そんなことしないっす」
「誰がそんなこと本気にするか。ちゃんとこの通り証拠があんだ」
「だから、私でないです。これ、誰撮ったんですか?」
「誰だっていいでねぇか。今は写真のこと話してんだから」
「そしたら、私やっぱり出て行くべか。そんなに疑うなら・・・勝も一緒に連れて行きます。あなた、子供あったら後(あと)来る人、悪いだし・・・」
「馬鹿!出るとか出ないとか、そんなこと言ってるんでねぇ。事実を知りたいんだ、事実を!真実を知りたいんだ!」

病院での夫婦の切迫した会話は、看護婦の「回診です」の一言で中断された。

その後、吏一は担当医に死んだ胎児の血液型を尋ねたが、分らずじまいで終わってしまったのである。

結局、貞子の男の問題も、吏一によって執拗に問われることなく、不問に付されることになった。それは、貞子をより必要とする夫である吏一の、生来の小心さに起因する事態の流れ方であったとも言える。

退院後、貞子は今までそうであったような日常生活に戻っていった。

しかし、一つだけ決定的に変化する事態が出来(しゅったい)した。

息子の勝を自分の子として、今は亡き祖父の籍から除籍するための裁判が進行し、最終的に自分が吏一の正妻となり、勝を正式に入籍する目処(めど)が立ったのである。

これで、親子三人の独立した戸籍を持つことになったのだ。全ては貞子が最も望むものであった。

全てを手に入れた貞子が、自分の足に蚕をのせて、それをずっと眺めている。

それは少女時代、使用人として高橋家に仕えていたときの蚕遊びを思い出したのか、同時にそのとき吏一の母に折檻された苦い思い出を随伴させて、遂に正妻の座を姑から勝ち取った自分の現在をしみじみ見つめ直したのだろうか。

しかしその表情は、勝ち誇った者の安堵感とは無縁な、どちらかと言えば、内面深く食い入ってくるものから避けられない哀しみにも似た何かに近かった。

それはつい最近、唐突として自分の人生に襲いかかってきた、辛くて刺激的な出来事が刻んだ濃密な時間への眼差しだったのか。

だからそれは、その時間が分娩した最も重い出来事に、感情が引き摺られていくときの哀切を表現したのかも知れない。

いやきっとそうであるに違いない、と思わせる何かがそこに映し出されて、圧倒的に重量感のある映像は括られたのである。


*       *       *       *



8  「弱さの中の強さ」―「不幸への免疫力」が作り出したもの 



現代女性が、もしこの映画の主人公のような環境下に置かれたら、間違いなく本作の舞台となった家を飛び出すか、或いは、夫からの精神的虐待を理由に民事訴訟にでも訴えて、慰謝料の請求をするかも知れない。

一定水準の経済的豊かさを手に入れたばかりか、際限なく拡大された選択肢と自由の高度な達成感、更には私権の急速なる拡大的定着と、価値相対主義のこの上ない快楽。私たちが遂に辿り着いた地平に待つのは、「もう何も欲しくない」と、この国の子供たちに言わさしめる物質文明の極相であった。

そんな時代に呼吸を繋ぐ若い女性は、「晩婚化」の常識的な意識ラインを視界に入れて、海外旅行のリピーターになって、「今、このときの時間」を存分にエンジョイする。それもまたいい。よりマシな男をチョイスする自由は、彼女たちの「譲歩の力学」の範疇にのみあると言っていい。それもまた、大いに結構である。

然るに、そんな現代女性は、間違いないなく時代を遡及する冒険行に、その身を預けることをしないであろう。まして、本作の貞子の心境に強いシンパシーを抱くなどという愚かさを晒す女性など、この国に殆ど存在しないのではないか。

しかし、この国にこんな時代があって、こんな男たちがワンサといて、こんな姑もまた普通に存在し、更にこんな女が、そこで普通に呼吸を繋いでいたのである。

貞子は一見、弱い女にも見えた。

ところが、この国ではこういう女が最も強いのだ。

見栄を張るだけの男に存分に見栄を張らせておいて、後はせっせとヘソクリを貯めて、それを孤独なるストーカー男に手切れ金として渡そうとする合理的思考を捨てない強さが、この女にはあった。

夫に責め立てられても、その場さえ凌げば後は時間が解決してくれるであろうという強(したた)かな経験知が、この女の自我に刷り込まれていたのである。

この女の弱さは、果たしてどこまで本物だったのか。

その弱さは、単に非武装の故の弱さであったのか。

確かに教養があるようには見えないし、格段に優れた社会的自立を支える能力が備わっていたようにも見えない。でも無教養でありながらも、ヘソクリをする裏技が、我が子の自立を願う母親の強靭な愛情力によって支えられいるので、愚鈍な女であるという貞子に対する評価は、あまり相応しくないのである。

そんな女がレイプされた直後に、傍にある鉄道線路にその身を抹殺しようと束の間観念したが、我が子への思いが断ち切れないと翻意して、恰も予定されたラインに流れるようにして断念した。

更に、ガス栓を開いて首を括ろうと図ったが、それは見事にしくじった。

しかしこの女に、自死に向かうそれ以外にない強い逆風がどこまで吹いていたか、些か疑わしい限りである。

寧ろ、自殺まで思い詰めたという観念の獲得こそが、女の狙いであったようにも思えるのである。

自殺未遂はある種の贖罪意識と相殺しあって、「そこまで自分を追い詰めた」という了解ラインに辿り着きたかったのではないか。

実際はそうではなかっただろうが、このような勘繰りをしてみたくなるほどの逞しさが、女の中に存分に見られるので、言及してみた訳である。

女は病弱のストーカー男を、本気で抹殺したかったのだろうか。

男を抹殺するチャンスが何度かあって、その度に女は躊躇(ためら)ってみせる。

結果的に男を遺棄したことで、女の中の「赤い殺意」の闇の心情世界を検証してみせた訳だが、それにも拘らず、男の無謀な旅の誘いに女の心が全く振れなかったと言い切れないのである。

現に、女はストーカー男に犯される度に、その悦楽を受容する強(したた)かさを見せていた。

異性感情の次元では、女は夫よりもニヒルなドラマーの妖しくも、破滅的な臭気に振れていた筈である。それでも女が、最終的に愛情を感じない夫を選び、ストーカー男との縁を切ろうと考えたのは、単に前者の方が、自分が願う、「普通の人並みな家庭生活」を手に入れられるという思いを捨て切れなかったからであろう。

この女は、とても利口なのである。

女は一見ひ弱そうだが、その実とても逞しく、最低限自己を保身する合理的判断能力を持ち、それを遂行する行動力と強靭なバイタリティを、この時代の女が人並みに生きていける程度に於いて併せ持っていた。そういうことなのである。

映像を通して最も興味深かったのは、その心中がふんだんに吐き出される女のモノローグの描写だった。

女はモノローグの世界では、一貫して貞節を守ろうとする律儀で、健気な母親であり、妻であり、そして一人の女であった。

しかし、モノローグの後の女の行動は、その思いとは反対の方向に流れていく。

このことは、女のモノローグが、自分が本来流れて生きたいと考える方向を、自戒を込めて倫理的に否定することで得られる、「被害者である、か弱い女」という物語のラインを決して外さない者の安堵感を、繰り返し確認するためであることを如実に示している。

つまり、自分のインモラルな暴走を観念的に否定しておけば、その後の実際の暴走を、「男が全て悪いんだ」という心理的文脈の中に処理できるのである。

その分だけ女は苦しむことなく、自分の曲線的な危うい走行を正当化できるという訳だ。

正当化できれば、悦楽にたっぷりとその身を沈めることも許されるし、遂に助けられなかった男を遺棄することさえ可能だったのだ。

これは、女の自我が最低限の合理的文脈をクリアしていて、そこに破滅的な歪みが形成されていないことをも意味するであろう。

そのことを端的に示したのは、ラストシーン近くでの二人の雪中彷徨の描写である。このとき女は、男を殺すつもりであることをモノローグで語っている。

そして、その最大のチャンスが訪れたのだ。

トンネルの中で倒れた男に、女は毒入り茶を飲ませようとする。

このとき女に殺意があったとしたら、それこそ「赤い殺意」である。

「赤い殺意」とは、恐らく情感を断ち切れない真紅の血が飛び散るような殺意である。

即ち、それは安楽死を求めて止まない身内の自殺幇助を積極的に主導する者の、「止むにぬ止まれぬ、情け深き者の『殺意』」と似ているかも知れない。

しかし果たして、その感情を「殺意」と看做(みな)すことが可能なのか。

女は明らかに、男を殺す意志など持っていないのだ。

だからそれに気づいた男に見透かされて、女の心情の奥にあるものが、トンネルの闇の中で曝されてしまったのである。

女の感情ラインの中に、確かに「男が死んでくれたらいい」という思いが存在しなかったとは言えないだろう。

しかしそれは、「殺意」にまでは成長できない弱々しい感情でしかないのだ。

それ以上に、女の中には、男との逃避行の成功を願っていた感情もまた、同居していたと充分に推察できる。

男に殺意を否定された女が、男の病弱な体の中にその身を投げ入れたその行為は、女がどこかで描いていた破滅の恋のイメージをなぞるものだったと考える以外ないのである。

しかし女は、破滅の恋の逃避行に全人格を預け切れなかった。

女の中の迷いを見透かしたかかのように、男が自滅してくれたからである。

女は男の自滅をも心のどこかで願っていたからこそ、男を助けなかったのであろう。

いや単に、女はおどろおどろしい凄惨な情況から逃避したかっただけなのかも知れない。

思えば、男の死は「覚悟の死」であった。

男は女から差し出された毒入り茶を、口に含もうとさえしたのである。

男にとって女の存在とは、何か死に向かって破滅していくであろう自分の孤独なる運命(さだめ)に寄り添って、そこに存在するだけで癒され得る観音菩薩の如き何者かであったのかも知れない。

だから男は女に、いつもたっぷりと甘えようとした。

雪の訪問の日に戻って来た女に、男は「戻って来ると思ったよ。あんた、やっぱり俺の思った通りの女だった」と言い放った。

雪中彷徨の末に辿り着いたトンネルで倒れたときも、自分を殺し切れない女に向って、男は「あんたにはできやしないんだ、人殺しなんか」と見透かしたのである。男は女を疑うことすらしないのだ。

そのあと、男は「そんなに俺が憎いのかよ」と悲嘆に暮れたときも、「えらいとこ連れて来ちまったよ」と謝った直後、女の愛を求めさえしたのである。

男の心のどこかで、自分の人生の道連れにした女への済まなさが張り付いていて、それでも女を求めるその心情は、まさに観音菩薩に縋る弱々しき者の哀願であったと考えられるのである。

良くも悪くも、女は厄介な男に惚れ込まれたものである。

しかし、そんな男の身勝手な愛を受容するだけの何かが女にはあり、それを信じた男がそこに居たからこそ、このような哀切極まる男と女の物語が成立したのだと考えた方が、よりリアルな把握であると言えるだろう。

女は愚鈍なようだが、肝心な所で、男を常に捨て切れないのである。

貞子という女には決して淫乱ではないが、母性を求める弱き男たちの勝手な求愛を退け切れない包容力が存在していた。そんな風に考えた方が無難である。

それを嗅ぎ取る男の嗅覚が、貞子という一人の女が抱える、「女性」と「母性」の双方に雪崩れ込ませてしまうのかも知れない。しかし、それは所詮無い物ねだりだった。

貞子はそんな男たちが考えている以上に、現実的な思考を継続できる女だし、合理的な生活設計を営む能力を有する女であった。

ただこの女の中にある、ある種の情の深さがしばしば表現する弱々しい態度の内に、もっと弱い男たちは惹きつけられて止まないのであろう。

その筆頭は、貞子の夫である吏一だった。

吏一は貞子を責め立てるが、彼女の反撃に遭うと、忽ちの内に白旗を掲げてしまう程度の攻撃性しか持っていなかった。

だから物語の最後で、貞子が最も望む入籍を受容してしまうのである。この夫婦の勝負に於いても、その勝者が貞子であることは明らかである。

一見愚鈍で、無教養な振舞いを見せる女の中に潜む逞しさこそが、この映像の最大の勝利者だったのである。

「弱さの中の強さ」―― これが貞子という女の真骨頂だった。

そして、その強さの源はどこにあるのか。

私はそれを、「不幸への免疫力」が作り出した骨太の神経の内にあると考えている。女はこれまでの薄幸で、辛い人生を通して、遂に「不幸への免疫力」を形成してしまったのである。

それは、大抵の不幸に負けない自我の強さであると言っていい。

普通、不幸の連鎖にヒットされ続けると、肝心の自我形成に多大な影響を与えて、環境への社会的適応力を欠いた偏頗(へんぱ)な性格形成に流れやすいが、貞子の場合は違っていた。

彼女のケースは、その不幸が自我の歪みになるほどの偏奇性を免れたのである。

彼女の自我はこのような環境下にもめげない充分な耐性強度を示していて、それがこの女のバックボーンにあった。

そのお陰で、貞子は極めて打たれ強い不幸の免疫力を、その内側で構築してしまったのである。

だから私はそれを、「不幸への免疫力」と呼ぶのだ。

貞子こそまさに、「弱さの中の強さ」を生き抜いた、この国にあって決して稀ではない逞しさを身に纏(まと)った「偉大なる平凡さ」を、その人生に於いて表現し切ったのである。



【余稿】  〈今村や成瀬の映像世界のみが、純国産の表現世界〉


今村昌平監督
今村昌平が描く女たちは、成瀬の描く女たちのように、「弱さの中の強さ」を普通の生活感覚で切り取ってみせてくれるので、私にとって非常に好ましい。

ただ成瀬と違うのは、ひたすらだらしなく、情けない男たちを描き出した成瀬に対して、今村作品の男たちは弱いくせにいつも声高に叫ぶところがあって、それが私にはしばしば不愉快なのである。

しかも彼の作品の多くは、ごてごてとしたリアリズムに徹していて、その表現も些か過剰なところが眼につくのである。その辺が、私を今村作品の誠実な愛好者に留めない決定的な理由であるに違いない。

それにも拘らず、この国の女を「庇護される対象」としてしか描いてこなかった感のある、黒澤や溝口の過半の作品に比べれば、成瀬や今村の作品世界にこそ、この国の本当の女たちの生態が表現されていたと把握できるのである。

とりわけ黒澤の場合は、「庇護される女」の対極に、どうしても「女を庇護する強い男」を描くことなしには済まなくなってしまったと言える。結局黒澤は、女を描く必要がない映像作家だったと言うことか。

彼の作品が「古き良き時代」のハリウッドワールドなら、今村や成瀬の映像世界のみが、純国産の表現世界であると把握することも可能ではないいか。少なくとも、私はそう信じて止まないのである。

(2006年7月)

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