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2010年3月2日火曜日

81/2(‘63)    フェデリコ・フェリーニ


<ラスト7分間によって変容する映像風景の突破力>



1  ユング心理学を必要とした芸術家の立ち上げ



ユング心理学の重要な概念の一つに、「アクティヴ・イマジネーション」、即ち、「能動的想像法」と呼ばれるものがある。

「リビドー」を「性」に還元するフロイトの思想と決別した後、カール・グスタフ・ユングが自らの病的体験を癒す方法として摂取した方法論、それが「能動的想像法」である。

要するに、「無意識世界」から生まれた様々なイメージを、自分の内側で観察・記録・対話していくことで、それまでにない新しい自己を発見するという、人生に対する能動的な関与の戦略であると言っていい。

夢から啓示を得る、アメリカインディアンの伝統儀式として有名な「ビジョンクエスト」の有効性は、彼らの生存・適応戦略であるが故に何の不都合もないが、夢を抑圧された性的願望の発現と捉えるフロイトの把握を論外とする私などは、夢の働きとは、人間の欲望、願望や不安の表出を含め、過去に埋もれた様々な記憶の処理であると割り切っているので、特段に「能動的想像法」を必要としない人間である。

自分の夢を分析することは多々あるものの、多くの場合、一過的な時間限定の分析処理で終わってしまうから気楽なものである。

「ユング心理学に深入りする者は、一度は悪魔や天使が棲む世界にほんとうに足を踏み入れて、生身の体でもう一度この世界に出て来たい、と思うときがある」(樋口和彦・日本ユング心理学研究所所長・書評より)

非言語的な「箱庭療法」を導入した河合隼雄の尽力もあって、その包容力のある思想故か、日本人に人気があると言われる、ユング心理学の魅力を言い当てた一文だ。

そのユング心理学の中枢概念として有名な「元型」とは、「集合的無意識」のカテゴリーの中にあって、時空を超越するイメージの表出の母胎になる存在のことで、溢れる夢のイメージの象徴性を持つ源泉でもある。

このユング心理学に深く傾倒した芸術家が多いのは、彼らの自由な想像力を掻き立てるからだろう。

とりわけ、前世紀を代表する芸術思潮の一つであるシュールレアリスムが有名だが、サルバドール・ダリ、アンドレ・ブルトン等々、ユング心理学の「アクティヴ・イマジネーション」は、当時の芸術家の心を鷲掴みにし、表現意欲を掻き立てている。

当然、映像作家もその例外ではなかった。

 フェデリコ・フェリーニ監督
そのような映像作家の一人に、フェリーニがいる。

彼は書いている。

「ユングの本を何冊か読み、彼の人生の見方を発見したことは、私には一種の喜ばしい啓示だった。自分でもその一部分を前から考えていたある思想が、予期しない時に、素晴らしい形で確認ができて、私は熱狂した。ドイツの精神療法家ベンハルト教授のおかげで、私はこの刺激的で魅力的で幸運な出会いに恵まれることになった。ユングの思想が『81/2』以降の私の作品に影響を与えているかどうか分らない。ただ彼の本を何冊か読んだことは意識の深層との接触を容易にし、空想力をかきたてる刺激になった、と言うことはできる。私は以前から、何ごとにも全体的な考えを持てない、という自分の限界を感じてきた。好み、趣味、欲望を、部門や範疇に分けて組織する能力は、私にはまったく無縁のものだった。だが、ユングを読んで、こうした限界のために抱いていた罪悪感や劣等感から解放され、自由になったと思う」(「フェリーニ、映画を語る」フェデリコ・フェリーニ、ジョヴァンニ・グラッツィーニ著 竹内博英訳 筑摩書房)

フェリーニもまた、ユング心理学を必要とした芸術家であったということだ。

なぜなら、「ユングを読んで、こうした限界のために抱いていた罪悪感や劣等感から解放され、自由になったと思う」ような、高度な人間の想像性に富んだ構築力を要求される映像表現世界の只中に、彼もまた捕捉されていたからである。

「私はもう一度作りたいとは思わないね。撮影開始の直前に、私は何がなんだか分からなくなって絶望状態に陥り・・・(中略)最後の何週間か、私は不安にせめたてられながら、その映画の構想を得た過程をさかのぼろうとした」(前掲書)

「カビリアの夜」より
これが、「」(1954年製作)、「カビリアの夜」(1957年製作)、「甘い生活」(1960年製作)などの作品で世界的な映画監督の地位を得ていた、フェリーニ自身の述懐である。

そんな男が苦悶した「その映画の構想」の逢着点は、以下の述懐で、より明瞭になるだろう。

「その映画には題名さえつけられなかったから、メモを収めた紙ばさみには、その時までに作った映画の数をかぞえ、仮に『81/2』と書いておいた(中略)確かある男の何の変哲もない一日を描きたいという、漠然としたあいまいな考え方があった。私は心の中で言った。そう、矛盾し、ぼやけた、捕え難い、様々な現実の総和の中で、ある男を描くのだ。その中では、日々の考えや意識の深層など、男の存在のあらゆる可能性が透けて見える」(前掲書)

そして彼は、ここまで追い詰められていた当時の心境を語るのだ。

「私は作ろうと思った映画がどんなものか分からなくなってしまった映画監督だった。するとちょうどその時、全てが解決された。私は不意に映画の確信に踏みこんだ。今、自分自身に起きていることを語ればいい。どんな映画を作ろうとしていたか分からなくなった映画監督の話を映画にすればいいのだ」(前掲書)

世界に衝撃を与えたその作品の名は、「81/2」。

無秩序な印象を与えるその映画のプロットラインを、以下、フォローしていこう。



2  「“閃きの危機”が、このまま続いたらどうなる?」



渋滞の街路で、人々の視線を受け、充満する排気ガスの車中から脱出しようと足掻く男。

沈黙の画面であるのは、車中でフロントガラスを叩く男の内側から映像が構成されているからだ。

男を囲繞する車中の者たちは、本作の登場人物である。

彼らは唯、男を凝視するだけで、救いの手を差し伸べない。

苦闘の末に、車中から脱出した男は、大空を飛翔する。

しかし男は、地上から巻きつかれたロープによって引っ張られ、敢え無く落下するに至った。

男の名は、グイド。

著明な映画監督であり、フェリーニ自身でもある。

以上のファーストシーンの中に、「私は作ろうと思った映画がどんなものか分からなくなってしまった映画監督だ」と作り手が述懐する、本作の主題の全てが凝縮されていると言っていい。

グイド
ともあれ、このとき悪夢から生還した男は、鉱泉水を飲むようにアドバイスする医師の助言で温泉に行く。

鉱泉水を飲みに来た男に、美女がコップで手渡しするが、幻想だった。

この美女の名は、クラウディア。

本作の重要な場面で登場するが、彼女のイメージは「聖女」に近い。

物語を続ける。

温泉に愛人のカルラが来て、「鉄道ホテル」に宿泊し、情事に及ぶが、男にとってこの女が情欲の対象以外ではないことが判然とする。

ここで突然、画面が静謐になり、死んだ父が出現するのだ。

死んだ父は息子を心配するが、地中に潜って去ってしまう。

グイドは墓参の母と再会し、抱擁するが、突然、妻のルイザの顔になる。

映像の中にしばしば現出するルイザの存在は、一応、夫の良き理解者であるが、保護・監視の役割を担っているようだ。

そして、変転著しい画面は、映画関係者たちからの質問攻めやオファー、批評や注文、更にキャスティング、脚本の問題等々、騒がしいシークエンスが続く。

湯治場での過剰なクロスは、結局、映画監督の男に安寧の地がないことを示唆するものである。

「“閃きの危機”が、このまま続いたらどうなる?才能のない嘘つきは、最後はどうなるんだろう・・・完全な誠実とはどういうことか?純粋とか、無邪気さを描くのはもう古い」

ようやく解放された男は、「聖女」のイメージを持つ、鉱泉水を手渡ししたクラウディアが現れ、自分の煩悶を吐露していく。

ところが、「鉄道ホテル」のカルラから電話が入り、鉱泉水を飲んだことによる気分の悪さを訴えられ、日常性というカオスへ逆戻りしてしまう。

「作ろうと思った映画がどんなものか分らなくなってしまった映画監督」の苦悩は、延長されるばかりなのだ。

行き詰まりを打開するため、グイドは枢機卿に教えを請いに行く。

「主人公はカトリックの教育を受けて育ち、そのせいで一種のコンプレックスに悩みます。そこで枢機卿に会い、教えを請い、天からの啓示を受けるのです」

そんなことを聖職者に吐露する。

「そもそも映画で宗教を表現するのは難しい。魂を汚すのも、浄化するのもあなた次第です」

聖職者は、それ以外の答えを持たない。

聖職者の案内で、枢機卿に教えを請うグイドだが、鳥の囀(さえず)りを聞かされるだけ。

枢機卿の話を聞いていたとき、坂道を下る肥満の中年女を視認したグイドは、少年時代を回想する。

少年時代のグイドたちは、金を与えて、サラギーナという名の巨乳の女のダンスを愉悦していた。

ところが、その一件が発覚して、映像は聖職者に連れられ、存分に説教されるグイドの少年時代の苦い思い出を映し出す。

「恥を知れ。地獄に堕ちる」という大人たちの非難に交じって、「恥知らず」と嘆く母の嗚咽が拾われた。

「少年時代を回顧しても、イタリアの宗教を表現できない。論理的に迫らねばならない」

結局、少年時代の回想に耽るグイドの甘さは、辛辣な批評家のドーミエに酷評されるだけ。

「教会にこそ救いがあるのだ」

この説教は、枢機卿に呼ばれたときのもの。

いよいよ追い詰められる映画監督が、そこにいた。



3  「追い詰められる映画監督」の「現在性」



「核戦争で壊滅した地球から、映画は始まる。現代のノアの箱舟で、我々は地球から逃れる。ロケットで他の惑星へと脱出する」

グイドが語る、このSFファンタジー作品が、彼の次回作品の簡単なプロットだ。

いかにも、「追い詰められる映画監督」の「現在性」を象徴する作品だが、撮影は全く進まず、不安と焦燥感だけがグイドの自我を支配するばかり。

宇宙船の発射台の足場は完成しているにも関わらず、グイドには、納得し得る“閃き”が全く思い浮かばないのだ。

「本気でこんな映画を作るの?」

姉から批判される映画監督の独言は、“閃きの危機”を増幅させるもの。

「単純な映画だ。正直な気持ちを描きたかった。何も難しいことを語るつもりはないんだ。皆の役に立つ映画さ。過去を葬り去るための作品だ。だが、肝心の僕が葬れない」

また、浮気を監視する妻のルイザを横目に、グイドは感情的に反応する。

「僕にどうしろと言うんだ。悪いことをしていないぞ。君は僕を分っていない」
「隠しているからよ」
「僕が何を隠した。言ってみろ。善人ぶって何が分る」
「何年も夫婦仲が危ないのは確かよ。やり直そうとするのは、いつもあなただわ」
「やり直す気などないね。君の望みは何だ」
「じゃあ、なぜここに呼んだの?何が目的なの?」

反応できない夫。

二人は離れたベッドに潜り込むだけだった。

ハーレムの夢
ワーグナーの楽劇、「ワルキューレの騎行」をBGMにした、女たちとの「ハーレム」の描写の中で、グイドは願望に満ちた世界に身を預け、一時(いっとき)の解放感に浸っていた。

このシークエンスは重要である。

本作の中で、グイドが唯一、彼を囲繞する状況を支配し切っているからである。

中でも、年齢がオーバーすると、不要になった女たちが2階に捨てられるというハーレムのルールの故、この日、老いた踊り子のジャクリーヌが犠牲になったエピソードは、ハーレムを支配するグイドの権力を検証する場面であった。

ところが、ジャクリーヌに同情する女たちが反乱を起こし、彼女たちに鞭を使って、女たちを諌める男がそこにいた。

グイドである。

明らかに、このような「男冥利」に尽きる夢を見るほど、彼の心は鬱屈していたのである。

一転して、女たちに、以上の「ハーレムの物語」を、映画のシーンとして説明するグイドと、彼に対する女たちからの冷眼視がクロスして、ここでも状況を完全に支配し切れない男が置き去りにされた。

「ハーレム」への夢の脱出も儘ならなかったグイドは、「少女のようで大人の女。男の救世主」と言わしめる、謎の美女、クラウディアとの再会が待っていた。

グイドは温泉の前で車を止めた。

「自業自得よ。他人に頼り過ぎている」

ところが、クラウディアからも辛辣な酷評を受けるグイドに、もう的確な反応すらできない。

「君も他の女と同じだ」とグイド。
「あなたは、愛が何かを知らない」とクラウディア。

グイドの観念系は、殆ど自壊寸前だった。

「君の役はないし、映画自体が存在しないんだ。僕の映画はここで終わる」

そのとき、「発射台で記者会見するぞ」とスタッフの声を合図に、拉致されるようにして、グイドは連れ戻されてしまう。

様々な声が飛び交う中、「僕はどうしたらいいんだ」と嘆き、グイドの自我は混乱の極に達していた。

「製作中止だけは許さんぞ」

一蓮托生で仕事を共にしてきたプロデューサーから圧力を受け、グイドは逃走を図った。

「グイド。一体、どこに逃げる気なの?」と母。

その直後の映像は、人も疎(まば)らな発射台のセット現場で、「製作中止だ」と言い放って退散するグイド。

「追い詰められる映画監督」の「現在性」には、もう状況を突き抜けていくパワーを喪失していた。



4  「人生は祭りだ。一緒に生きよう」



「この世に駄作が毎日のように生まれる。それを葬り去るのが批評の使命さ。君はそんな駄作を完成させるところだった。そうなれば、経歴に汚点を残す」

ドーミエの車で「前線離脱」しようとするグイドへの、批評家ドーミエからの厳しい指摘である。

車内で延々と続くドーミエの忠告の向こうに、白装束を纏(まと)った人々が姿を現し、目的地を持った歩行を繋いでいた。

それは、サーカスの道化の、「用意ができた」という合図で開かれたのだ。

クラウディア
白装束を纏った人々の中には、ルイザがいて、クラウディア、サラギーナがいて、枢機卿や両親もいた。

「君の間違いだらけの人生を描いた作品だろ。君のぼんやりした記憶や、愛せなかった人たちを寄せ集めて作ったとして何になる」

相変わらず辛辣なドーミエの忠告は、その瞬間、力のない何かになり、グイドの内側に大きな変容を齎(もたら)していった。

「急に幸せな気分になり、力が漲(みなぎ)る。許してくれ。僕は分っていなかった。君を受け入れ愛するのは、何て単純なんだ。ルイザ、僕は自由になった。全てに意味があり、真実だ・・・しかし、何もかも元通りに混乱している。だが、混乱こそ僕さ。望みとは違うが、ありのままの自分だ。分らないことはあるが、もう真実を恐れない。そうすれば、生きていると実感できる。人生は祭りだ。一緒に生きよう。ルイザ、このままの自分を受け入れて欲しい」

映像で初めて見せる、グイドの力強いモノローグに、ルイザも真摯に反応した。

「納得できないけど、あなたを信じてみるわ」

夕暮れの発射台跡に照明が灯り、道化の楽隊が現れ、律動感溢れる演奏が開かれた。

4人プラス1人(グイド少年)で構成された道化の楽隊の先導によって、物語の全ての登場人物が発射台から降りて、撮影現場に集まって来たのだ。

 「人生は祭りだ。一緒に生きよう」
「皆、一緒に手を繋ぐんだ」

出口の見つからない絶望的なカオス状況から脱し、解放感に満たされたグイドが、メガホンで指示している。

人々は手を繋いで、大掛かりな撮影現場のセットの周りを回っていく。

その輪の中に、ルイザを伴ってグイドが加わり、全ての登場人物が手を繋いで、セットの周りを回るのだ。

やがて夜になり、人々も照明も消えていった。

ラストのカット。

最後に、一人残ったグイド少年にスポットが当てられて、フルートを弾きながら歩き去って行った。

サーカスに憧れていた少年期を想起させるこのカットこそ、本来、自分が最も表現したい世界をイメージさせて、自分の原点に戻ったことを宣言する決定的な構図になったと言えるだろう。

それは、フェリーニの映像マジックの記念碑的開示を記録したと同時に、それを切に求めた映像作家の画期的な作品が自己完結した瞬間だった。



5  「フェリーニ美学」の爆轟(ばくごう)の内実



これは、「映像作家」としての「あるべき自己」を必死に模索し、「創造前線」での「新しき地平」を構築しようと足掻き、生身の人格を晒しつつ、それを加工する手品を披露した男の物語である。

本作は一貫して、「作ろうと思った映画がどんなものか分らなくなってしまった映画監督」としての「意識の流れ」をフォローし、情動や願望、不安、恐怖、等々、内側で抑圧した複雑な心理を、自前の経験的技巧によって繋ぐことで、抜きん出た映像構成を成立させている。

カール・グスタフ・ユング
現在と過去、現実と虚構、希望や幻想が複雑に錯綜し、主人公の心的世界が映像に記録され、作り手の独創性の力技の内に表現されてのだ。

ユング心理学の甚大な影響を受けたフェリーニは、本作によって明瞭にリアリズムと決別するに至ったのである。

その真実を言い当てた一文を、以下に引用する。

「かつての詩的レアリズムは、いまや断乎として幻想的かつシュルレアリスト的な表現に道を拓いた。中途半端な態度、慎重さ、適当な賢明さといったものはもはやない。フェリーニの美学はここに爆発し、そのすさまじい燃焼は見る者をして茫然自失せしめる。フェリーニはこの突然の変化をじっくりと準備していたのだろうか」(「現代のシネマ7 フェリーニ」ジルベール・サラシャ著 近藤矩子訳 三一書房)

」より
「道」に代表されるような「詩的レアリズム」から、本作に止めを刺す、「幻想的かつシュルレアリスト的な表現」への一大転換。

「フェリーニの美学」が噴き上げて、「そのすさまじい燃焼は見る者をして茫然自失せしめる」に至ったのである。

「この突然の変化」が、実は相当に難産だった事実は、前述したフェリーニの言葉によって確認できるだろう。

私が思うに、この地平に達するまでに、2つの問題を突き抜けることが枢要な課題であったと思われる。

1つは、「情報」の整理であり、2つ目は、「自由」の使い方である、というのが私の把握。

以下、簡単に言及する。

「情報」の整理とは、本稿の2の冒頭で言及したことに集約されるだろう。

渋滞する街路で車内に閉じ込められたグイドが、必死に車外への脱出を試みるが、中々成功しない。

グイドを囲繞する無数の車には見知りの者たちが乗っているが、彼らはグイドを救出する手立てを講じることをしない。

車内で足掻くグイドに対して、彼らは一方的に尖った視線を差し込むだけだ。

視覚情報を一身に被浴する男の孤独が、狭隘な文明の利器のスポットでのた打ち回っていた。

何とか自力で、排気ガスの充満する車から脱出したグイドは大空を飛翔するが、彼の足首に繋がれたロープが地上から引かれて、敢え無く落下するに至る。

この震撼すべき悪夢から、物語が開かれたのだ。

妻のルイザ
以降、グイドの周囲に群がる無数の映画関係者は、一応、功なり名遂げた彼に対して様々な要求、質問、陳情、相談、批評、等々を、まるで集中的に狙い撃ちするかの如く、嵩(かさ)にかかって加圧していくのである。

グイドは、その「情報の群塊」を、43歳の体躯を持つ全神経網の内に一身に受容するのみ。

彼は形而下に形成された〈現実〉の〈状況〉の〈前線〉で、彼にとって末梢的とも思える「情報の海」の中に搦め捕られていくばかり。

まさに「情報の海」に呑み込まれた男が、現在、抱懐している次回作のプランを建設的に構築しようとするが、〈世俗〉によって幾分汚濁された「情報の海」に沈没しかかっていて、映像作家としての生命線の恒常性の保持が揺らいでいるのだ。

その現象のリアルな実感が不安や焦りを生み、遂に、“閃きの危機”という深刻な恐怖感に翻弄される始末。

新しい〈創造前線〉での地平を切り開こうとする男にとって、男の内側に最大の危機が直撃してきたのだ。

彼を襲う「情報の群塊」は、今まさに、映像作家としての拠って立つ基盤を済し崩しにかかっていたのである。

表現に関わる新たな地平を構築するには、それまでのスタイルに因らなければ尚更、「情報」の整理という厄介な問題を、より以上の相当の覚悟で突き抜けていくことが枢要であること。

まず何より、その一点が無視できないということだ。

ともあれ、映画監督という仕事は、結局、不断に襲いかかる「情報の群塊」を合理的に整理するという中枢の役割を負わされているということ。

そのことを、切に実感する映像でもあった。

次に、二つ目の、「自由」の使い方について。

前述したように、「情報の群塊」に囲繞されていたにも関わらず、グイドは映像作家としての自在性を確保していた。

彼は製作者や脚本家、批評家たちによる創造上の制約に捕捉されているが、それでも、彩色のない作品に様々な色彩を加え、それを自在に加工していく本来的自由が存在するのだ。

それ故にこそ、“閃きの危機”という厄介な問題が、不断に「作家」を襲うのである。

一切は、「作家」の「映像構築力」に拠っているからだ。

「作品」の内実へ評価は映像構成それ自身の評価であり、それこそが作家性を担った映画監督の生命線になっていく。

厖大な「情報の群塊」に搦(から)め捕られながらも、映画監督はその作家的能力の総体によって、そこで構築された「作品」の内に「作家」としての真っ向勝負を挑み、その「前線」を勝ち抜かねばならないのだ。

「前線」での敗北者は、無能な表現者として、「市場」から駆逐される運命にあるだろう。

映像作家の生き死にの問題は、過去の栄光とは無縁に、常に新しい「作品」の表現の質によって決定付けられてしまう運命から免れないのである。

フェリーニはそのような危機感をもって、本作の前でたじろぎ、慄き、身震いしたのだろうか。

なぜなら、かつて印象派革命を担った一群の新進画家がそうであったように、彼は「詩的リアリズム」から「シュールレアリスム」への大胆な飛翔を試み、それまでの自分の栄光を捨て去る覚悟をもって、新しい地平を拓くに足る、時代の画期をなす創造に挑んだのであろう。

だから彼は懊悩し、“閃きの危機”という恐怖感を内側で必死に抑え込むことで、半歩でも前進する表現者であろうと括ったに違いない。

その意味で、本作の映画史的価値は決して低くないが、多くの表現者がそうであったように、「天才の自慰」という酷評に晒されつつも、決して後戻りしなかった「作家」精神を貫徹し、その精神の所産である巨大なセットをスタジオ内に作り上げ、且つ、他に類例がない自在性に富んだ表現宇宙を構築したことで、「魔術師」の異名を恣(ほしいまま)にしたのだろうか。

微差の誤作動リスクに恫喝されることなく、何よりフェリーニは「自由」の使い方を能動的に駆使し、自らの総体によって、その濃密な時間の経緯を検証する果敢な営為を通して、自分の分身である本作の主人公に、以下の覚悟を語らせた「作家」であったということ。

「混乱こそ僕さ。望みとは違うが、ありのままの自分だ。分らないことはあるが、もう真実を恐れない」

これこそが、本作の生命を貫流させた、「フェリーニ美学」の爆轟(ばくごう)の内実だったのだ。

アカデミックで、生身の身体性を具有しない「知性」を象徴するに過ぎず、車内で空疎な弁舌を垂れ流すだけのドーミエの「批評」に対する、この確信的拒絶こそが、本作の基幹テーマであった所以である。

「真実を追求する芸術家の苦悩を描いた」

この短い言葉は、モスクワ映画祭での、フェリーニの受賞の言葉である。(「フェリーニ」ジョン・バクスター著 椋田直子訳 平凡社 参考)

本作と丹念に付き合っていけば、この言葉が素直に信じられるであろう。

この言葉以上でも、それ以下でもない真実が、そこに凝縮されていたからである。



6  ラスト7分間によって変容する映像風景の突破力



それにしても、これ程までに楽天的な映像作家を、私は知らない。

人間は自分の中になくて、自分が欲しいと思うものを相手の内に見い出すとき、その相手を羨望し、時には、過剰なまでに高く評価する傾向を持つだろう。

生来的な私のペシミズムは、恐らく、生来的なフェリーニのオプチミズムとクロスすることで、眩暈すら覚えるほどである。

それでいいと思うのだ。

それにしても、この「81/2」。

白装束を纏(まと)った人々の出現の描写から、ラストシーンまでの映像の決定力は、一人フェリーニの独創性の爆発だった。

ラスト7分間に凝縮された、フェリーニの映像世界全開のシークエンスには、正直、完全にお手上げだった。

何度観ても涙が止まらないほどに、震えを覚える7分間だった。

このラスト7分間によって、根本的に変容する映像風景の抜きん出た決定力、突破力の凄味。

後にも先にも、こんな映画は見たことがない。

それ程の映像だった。

観る者に「生きる勇気」を与える作品とはこういう映像だと、切に感じ入った次第である。

これこそが「映像だ」と、確信して止まないのだ。

フェリーニのアマルコルド」(1974年製作)と共に、私の中では、この2作こそが至宝である所以である。

(2010年3月)

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