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2010年10月28日木曜日

ライアンの娘('70)     デヴィッド・リーン


<ダイナミックな変容を見せる物語の劇的展開と睦み合う風景の変容>



1  「肉欲の満足で別人になりたい」と吐露する娘の大いなる戸惑い



父親から「プリンセス」などと呼ばれるほど溺愛され、我がまま放題に育った娘が、一緒にいるだけで「安寧」をもたらす感情を、「異性愛」と朧(おぼろ)げに考えていて、一抹の不安を抱えながらも、共存生活下での「安寧」の内実を知らずに、情感系の勢いによって、その男と結婚してしまった。

娘の名はローズ。愛称はロージー。

そのローズが抱える、一抹の不安感を伝える会話があった。

それはコリンズ神父との、砂浜での会話。

以下の通り。

「婚姻は神が定めた秘蹟だ。成立すれば、破ることは許されない。どちらかが死ぬまで」

このコリンズ神父の説教に、ローズは「分ります」と一言。

コリンズ神父の説教は続く。

「目的は三つ。まず、長い単調な日々も、苦しいときも労わり合う。次に子を産み、良き信徒に仕立て上げる。第三に、肉欲を満たすためだ・・・怖いのか?怖がることはない。自然なことだ」
「未婚の女なら、恐ろしいわ」
「男もだ」
「それで、人が変る?」
「結婚でか?」
「肉欲の満足で」
「私には経験がないが、別人になったりはせんさ」
「なりたい」
「何を望んどる?」

その問いに、ローズは答えなかった。

因みに、男の名は、チャールズ。

ダブリンで開催された地方教師の会議から帰村して来た、男やもめの中年教師である。

そして、一抹の不安を抱えながらも結婚したチャールズとの初夜の後で、ローズが経験した初発感情は、既に娘が求めていた「異性愛」のイメージとは確実に切れる何かだった。

それは、「肉欲の満足で別人になりたい」と吐露した娘の大いなる戸惑いだった。

ローズの失望感は、チャールズとの短い会話の中で直截に伝えられていた。

裸の夫がシャツを求めたとき、ローズの返事は「その方がいいわ」という一言。

「そうか。人が来たら困る」とチャールズ。
「いつも人目を気にするのね」
「みっともない。そうだろう?」

年の離れた真面目な夫が反応したとき、ローズは「分ったわ」と言って、夫に向かってシャツを放り投げたのである。

この小さいが、年の離れた夫婦の価値観の乖離を示す看過し難いエピソードは、穏健で理性的な夫との夫婦生活の内実が、ローズが求めていた、「肉欲の満足で別人になりたい」というイメージとの落差を検証するものだった。


撮影地であるアイルランドのディングル半島(ウィキ)
その翌日、泣きながら砂浜を歩くローズがいた。

それを見たコリンズ神父は、彼女を追い駆け、話しかけていく。

「チャールズと何があった?」
「何も」
「何もないのか?」
「ありません」
「幸せか?」
「いいえ」
「なぜだ?」
「分りません」
「話してごらん」
「どうせ私が愚かで、我がままで、恩知らずだからでしょ。何の不足もないのに」
「そうとも。何が不足だ」
「分らない」
「嘘だ」
「本当よ。まだ何があるかどうかも分らない」
「君は夫を得た」
「最高の」
「金にも不自由はしていない。健康だ。それ以上何がある。あるもんか」
「あるわ。何かがあるはずよ!」
「なぜだ!お前がそう望むからか!」
「そうよ!」

若き人妻の右の頬を叩く神父の怒りは、件の女には理解し難い、以下の「決め台詞もどき」のうちに閉じていった。

「夢を見るのは仕方がない。だが、育ててはいかん。夢で身を滅ぼすぞ」



2  幻想すらも仮構できなかった小さなスポットで捨てられた、「優しき夫」と「姦淫を犯した女」の会話の味気なさ




ローズが心から求めていたのは、内側から炎のように燃え上がる、「激しいときめき」の感情であると言っていい。

それは、「性的感情」を中枢にして、「共存感情」、「独占感情」、「嫉妬感情」等を包括する、激烈であるが故に継続力を持ちにくい、短期爆発的な感情である。

ローズは夫との初夜で、この「激しいときめき」を惹起する身体感覚を覚えなかったのである。

若き人妻の身体感覚を鮮烈に記憶させる刺激強度が、著しく低かったのだ。

誠実で、優しく、穏健な中年教師にとって、〈性〉とは、結婚したクリスチャンが努める義務の範疇にあるような何かであって、恐らく、「肉欲の充足による至福」という観念によってのみ把握されるものではなかったに違いない。

そこには既に、年の離れた新妻が希求するような、〈性〉による圧倒的な充足感のイメージと切れていたのである。

新妻のローズが求めていた感情は、英軍守備隊の指揮官としてアイルランドの寒村に赴任して来た、ランドルフ少佐との劇的な邂逅によって検証されてしまった。

かつて感じたことがない、炸裂するかの如き、「激しいときめき」を生起させてしまった彼女は、もうそこで胚胎した〈性〉の前線から引き返せなくなったのだ。

ローズの相手となったランドルフ少佐もまた、第一次大戦によるシェルショック(後に、PTSDと命名される戦闘ストレス反応)を病んでいたばかりか、負傷による肢体不自由者というハンデを負っていて、それが、彼の自我の奥深くに棲みつくスティグマと化していたのである。

そのような負性感情に深々と拉致されていた男にとって、まさに、「激しいときめき」を希求して止まないローズとの出会いは、男の全身を食(は)む甚大な空洞感を埋めるに足る何かだった。


既婚者のランドルフ少佐が、ローズとの〈性〉に溺れる刹那的な時間から得られる快楽には、この空洞感の見えない広がりが巣食っていたのである。

人生経験の浅いローズには、男の自我を巣食う心的外傷の内実を感覚的にしか理解できなかったが、それでも相互に求め合う肉欲の睦み合いの中で、それなしに済まない病んだ男の渇望感を感じ取っていたに違いない。

「私を裏切らないでね」

これは、ローズがランドルフ少佐との、森の奥での初の密会の帰宅直後に吐露したチャールズの言葉。

人生経験の豊富な中年男には、帰宅直後に笑みを振り撒く、妻の所作に垣間見えた余所余所(よそよそ)しさのうちに、既に「秘め事」の有りようを感知していたのである。


そんな穏健な中年教師のチャールズが、若き人妻の不倫を確信したのは、皮肉にも、砂浜での課外授業の中で、二人の足跡を発見したことによってである。

―― このとき映像は、二人が寄り添って歩行するシーンを同じ画面に挿入するが、これは不要ではなかったか。

期せずして、洞窟内で、ランドルフ少佐のボタンを見つけた知的障害者のマイケルは、小さな共同体に集合する村人の前で、ランドルフ少佐の真似を面白可笑しく演じることで、二人の不倫関係を喧伝してしまったのである。

ローズが「姦淫を犯した女」として、村人たちの差別の視線を集中的に浴びたのは、この一件以降であった。

妻の不倫を既に確信していたチャールズは、「優しき夫」を演じ続けていた。

その空気に、妻の方が耐えられなくなっていた。

「優しいのね」とローズ。
「私が?」とチャールズ。
「そうよ」
「いつもは違うか」
「優しいわ。いつも・・・彼とのこと、知っていたの?」
「ああ」
「いつから?」
「初めから。顔をお上げ」
「なぜ、黙っていたの?」
「言うべきだったか?」
「分らない」
「口に出せば、余計辛い。恋の炎が燃え尽きれば、戻ると思った」

「優しき夫」と「姦淫を犯した女」の会話の味気なさだけが、「愛の巣」という幻想すらも仮構できなかった小さなスポットで捨てられていた。

これが、蜂起のための武器搬送事件直後の会話だっただけに、物語と、その背景を構成する風景の睦みによる劇的な変容を象徴するものだった。



3  「円満夫婦」を装って去っていく夫婦の新たな旅立ち



英国支配からのアイルランド独立を望む者たちが、隠密裡に寒村にやって来た。

ドイツ製の武器弾薬を運ぶためだ。

嵐の夜、逆巻く怒涛の荒波寄せる僻邑(へきゆう)の海岸で、総出の人海戦術で村人たちが一致協力し、必死の形相で荷を引き揚げていく。

これが、蜂起のための武器搬送事件の全容だが、長尺な映像は、このシークエンスを存分に映し出していった。

風景の変容は、物語の変容に深々と重なっていく。

二人の情事の現場をチャールズが目撃したとき、遂に「優しき夫」の心の耐性限界を露呈するに至った。

彼は家を出たのである。


それは、穏健なチャールズの心痛がピークアウトに達した瞬間だった。

深く悶々とした心を引き摺っていたチャールズは、浄化できない思いを、ローズとの「愛の巣」を一時(いっとき)捨てることで処理しようとしたのである。

しかし、コリンズ神父との大人の会話も手伝って、チャールズはまもなく帰宅するに至る。

帰宅したチャールズは、本来の「優しき夫」を演じ続けていた。

そこで交された夫婦の会話。

「炎の燃え尽きるのを待とうと思った。駄目だった。初めから無理だったのだろう。別れよう」
「そうね」
「君たち二人の関係は、どうなった?」
「終わったの」
「話したのか?」
「いいえ。彼も知ってます」
「なぜ?」
「なぜでも」
「そんなに深い仲か?」
「ええ。今までは」
「答えてくれ。彼を忘れられるか?、無理だな。絶えず心の片隅に付きまとう」
「そうね」

忘れられないという表情を見せた妻は、明瞭な意志を乗せて言葉に繋いだ。

「でも終わった。私が終わらせたの」

その答えを受けて、夫は決定的な言葉を吐露した。

「二人は村を出ていくしかない。私もここを出るし、君もここには向かん。蓄音機以外は全部売れば、あと50。分けよう」

夫はもう、夫婦の共存が不可能であると括っていたのである。

「いけないわ」
「私たちは敵ではない」


夫の決意は動かないようだった。

村人たちによるローズに対するリンチが開かれたのは、別離を確認した夫婦のの会話の直後だった。

武器輸送の組織のリーダーがランドルフ少佐に捕捉された事件の余波で、その密告者がローズに違いないと決め付けられたからである。

ローズは父を庇ったのだ。

長い髪を丸刈りにされ、甚振られるローズと、妻を救おうとして羽交い締めにされるチャールズ。

コリンズ神父によって「魔女狩り」が制止されるまで続いた恐怖の忌まわしい事態は、夫婦の旅立ちを早めることになった。

そして、ランドルフ少佐の自死。

二人は村人たちの視線を欺くため、「円満夫婦」を装って、村を去っていく。

村人たちの憎悪の視線を存分に浴びて。

新たな旅立ちに向かう試練は、充分に苛酷極まるものだった。



4  別離と「解放」への括り



ローズには「安寧」が必要だった。

しかし、ローズが求める短期爆発的な「激しいときめき」の〈愛〉は終焉したが、チャールズにはもう、彼女との共存の継続は困難であると括っていた。

ダブリンに出た後、二人は別れる運命から逃れられないのだ。

ローズはチャールズを愛したが、一言で言えば、ローズにとってチャールズの存在は、白いパラソルが眩いファーストシーンでの会話に端的に表れていたように、「先生、お帰りなさい」と迎えた言葉の範疇を逸脱する何かではなかったのである。

チャールズの存在は、どこまでも「安寧」を約束させてくれる「先生」だったのだ。

「先生」と「生徒」が共存することで得られる「安寧」もまた、一つの秩序を維持した〈愛〉の相貌を開くだろうが、それのみの共存の継続力によって確保される時間のうちに閉じ込めるには、「全人格的解放」を不断に希求するローズの、件の人格の振幅のレベルが大き過ぎると考えたのではないか。

チャールズ自身がそれを認知していたからこそ、別離を決意したのであろう。


加えて、自立した大人の女性へと成長してローズの近未来像をもイメージできていたからこそ、チャールズは彼女を「解放」したに違いない。

そう思わせるラストシーンであった。



5  ダイナミックな変容を見せる物語の劇的展開と睦み合う風景の変容



「白いパラソルが弾劾の上からくるくるまわりながら、舞うように落ちてゆく。最初はゆっくりと、しだいに速度を早めていく。この映画のテーマは、さまざまな人生の大小、色とりどりの傘が風に吹かれ、空間をただよい、あちこちでぶつかりあい、最初はロマンティックに、やがて激情的にになり、荒巻く海のクライマックスに突入する」(ワーナー・ホーム・ビデオ 解説・日野康一)

ヨーロッパの最西端に位置する、風光明媚なディングル半島で撮影された自然の造形美は、「最初はゆっくりと、しだいに速度を早めていく」ダイナミックな変容を見せる物語の劇的展開と睦み合って、「色とりどりの傘が風に吹かれ、空間をただよい、あちこちでぶつかりあい、やがて激情的にになり、荒巻く海のクライマックスに突入」していったのである。


本作は、アイルランドの寒村の海岸の限定的なスポットにおいて、風景の変容が物語の変容に深々と重なっていく映像のうちに、それなしでは済まない重要なシークエンスを映し出していた。

登場人物たちは、まさにこの様々な相貌を開く海岸で、様々な精神世界を作り出していったのである。

ファーストシーンにおいて、眩いまでの白い日傘を差し、チャールズを待つローズの至福感。

高貴な人格の神父に対して、「肉欲の満足で別人になりたい」と吐露したローズの、結婚に関する会話。

妻の不倫を疑って、その砂浜に足跡を探し、それを確信するチャールズの失望感。

武器搬送事件もまた、この荒波寄せる海岸だった。

そこで出来した組織のリーダーへの射撃と、ランドルフ少佐の精神世界を覆う、追い詰められた者の屈折した、寂寞(せきばく)たる孤独の視線もまた、この海岸で捨てられた。

ローズと、そのランドルフ少佐の不倫が、公然と露呈されたのもこの海岸。

妻の不倫を本人から確認した後。妻が男と抱擁する現場を自宅から視認して、その辛さを運んだのもこの海岸だった。


舞台となったディングル半島(ウィキ)

デヴィッド・リーン監督が描いた、アイルランドの寒村の海岸の風景は、歴史に翻弄される登場人物たちの内面の至福感や葛藤、交叉、自死、或いは、集団の団結や破綻を精緻に表現するステージだったのである。




6  5人の人物造形による困難で、複雑に絡み合う人間ドラマ



本作の歴史的背景となったアイルランド独立戦争(1919年から1921年にかけて戦われた独立戦争)と、その後のアイルランド内戦を背景に、IRA(アイルランド共和軍)絡みの兄弟の対立を描いた、ケン・ローチ監督の「麦の穂をゆらす風」(2006年製作)では、アイルランド人に対するイギリス軍の苛烈な暴力による蛮行が、ゲリラ戦に身を投じるようになるモチーフとして鮮烈に表現されていた。

他にも、ニール・ジョーダン監督の「マイケル・コリンズ」(1996年製作)では、アイルランドで起きた最初にして、最大の反乱であるイースター蜂起(1916年の復活祭の期間に惹起)から、アイルランド内戦で暗殺されるまでの生涯を描いていて、物語的仮構性を持っているものの、アイルランド史の学習の一助になる映像を作り出していた。

以上の2篇のような、アイルランド独立戦争をテーマにした本格的作品に馴染んでいる者にとっては、本作で描かれた歴史的背景の切り取り方に疑義を唱えるかも知れない。

確かに、本作に登場する英軍守備隊の描き方は、如何にも紳士然とした印象があった。

更に、本作のヒロイン、ローズに対する「魔女狩り」や「人民裁判」を思わせる風景は、英軍によって統治されたアイルランド民族の卑屈と怨念、屈折を拾い上げていたが、そこに群がる寒村の民たちの歪んだ心理を露わに映し出していて、その俯瞰した視線に異議を唱える者もあるだろう。

しかし本作が、紛れもなく、「人間ドラマ」として描かれていたことを無視できないのである。

本作で描かれた5人の主要な登場人物たちを想起するとき、彼らのいずれもが、政治や社会情勢に対して一定の距離を置いていたことを確認する必要があるだろう。

その5人とは、ヒロインのローズ、その夫のチャールズ、更に本作で、「正義」と「神」を象徴する存在として造形されたコリンズ神父や、その対極の象徴性を担う、「無垢なるスティグマ」のキャラクターとして造形されたマイケル、そして5人目は、ローズの不倫相手になるランドルフ少佐である。

彼らはいずれも、尖った歴史のアナーキーなうねりに対して、常に距離を置いていたように思われるのだ。

英軍の守備隊の指揮官を務めるランドルフ少佐の「使命感」もまた、単に与えられた職務を遂行するだけの人物造形として描かれていたことは重要である。

デヴィッド・リーン監督
ここに、二組の対極の構図が見られるのだ。

チャールズとランドルフ少佐、そして、コリンズ神父とマイケルの関係構図である。

この関係構造の中枢に、ヒロインのローズが、その身を全人格的に投げ入れていくのである。

この5人の人物造形による困難で、複雑に絡み合う人間ドラマを構築したこと ―― それこそ本作のテーマであるだろう、

とりわけ、コリンズ神父とマイケルの人物造形は、人間ドラマの複雑な絡みに深く関与させていることに着目すれば、本作が人間ドラマの奥の深い掘り下げを狙ったことが検証されるに違いない。

壮大な歴史ドラマを描くのに、この二人の存在は、本来、不要になるはずだからだ。

従って、本作は歴史のリアリズムではなく、歴史の困難な状況下に置かれた人間たちの生態を描くことに中枢のテーマがあったと見ていい。

そして、その人間ドラマの中枢のテーマは、本稿で言及してきたように、「愛することの至福の歓び」が、そこに自己投入する者たちの人間性の是非とは無縁に複雑に絡み合う様態を示すことで、〈愛情〉の問題とは、軟着点に辿り着くのが容易でない個々の人格の、その欲望と受容能力の固有の閾値のうちに還元される外にないということだろう。

(2010年11月)

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