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2008年12月9日火曜日

コルチャック先生('90)   アンジェイ・ワイダ


<せめてもの安らかな死――人間の尊厳の究極的な到達点を求めて> 



 序  人間の尊厳を失わずに生きることの意味



 この映画は、死が日常化しているような苛酷な状況下で、人間の尊厳を失わずに生きることの意味を鮮烈に問いかけた一篇である。

 それは最も大切なものを守るために、その大切なものを失ってまで守られることを拒んだ男の記録でもあった。それは男が拓いた人生の必然的帰結であって、そこに選択の余地すらない事柄であった。なぜなら、彼が最も失いたくないものは、彼が心から最も愛するものであり、その愛するものの尊厳を保障し、守っていくことこそ、彼の最後の人生の生き甲斐であったからである。

 それ故に男は、自らの命を日々に削っていくような、その信じ難き、ある種の狂気にも似た振舞いの一切を、「使命感」という心地良き言葉で語ることを決してしなかった。人は彼を「聖人」と呼び、「殉教者]と崇める向きもあるが、そのような形容を男は最も嫌っていたのである。

 好きだから守ろうとする。守ろうとするものの尊厳を守ることこそ、人間の尊厳を失わずに生きられた最大の理由だった。
 
 既に有名人であった彼が、やがて打ち切られるであろうラジオ放送の中で、自ら吐露している。

 「世のため、人のため、身を捧げるというのは嘘です。ある者はカードを、ある者は女をある者は競馬を好む。私は子供が好きです。これは献身とは違う。子供のためにではなく、自分のためなのです。自分に必要だからです。自己犠牲の言明を信じてはいけない。それは虚偽であり、人を欺くものです」

 これが、「コルチャック先生」という凄惨なる映画の、その冒頭のシーンに於ける極めて印象的な言葉である。



 1  「偉人」、「聖人」伝説の厄介さ



 ―― ヤヌシュ・コルチャック。本名ヘンルティック・ゴールドシュミット。実在の人間である。

 その死後、益々声望が高まったポーランドの「偉人」とされる男について、ここに簡単に紹介された資料がある。

 「コルチャック先生とは?
 (Who was Dr. Korczak?)
 ショパンやキュリー夫人を生んだポーランドに、もう一人、忘れてはならない人がいます。平和を願い、子どもの権利を訴えたヤヌシュ・コルチャック先生です。
 本名は、ヘンルイック・ゴールドシュミット。医師でありながら教育者として、子どもたちと共に生きた人です。

 裕福なユダヤ系ポーランド人家に生まれながら、全生涯を孤児救済と子どもの教育に投身。ポーランド人孤児院とユダヤ人孤児院の二つの設立に力を注ぎ、その運営にあたりました。また、数々の教育書、研究書、童話、戯曲、新聞、ラジオ放送を通して子どもの福祉と権利を訴え、自らそれを実践しました。


ヤヌシュ・コルチャック
1942年8月、ナチス弾圧下のポーランドにあって、多くのユダヤ人が絶滅収容所に送られるなか、コルチャック先生と子どもたちにもその機会がやってきました。しかし、高名であったコルチャック先生には助命の特赦があたえられましたが、彼は『子どもたちも同じように扱われないなら、私は子どもらと一緒に運命を共にします』と、その特赦をもしりぞけ、ユダヤ孤児2百余名に同行し、トレブリンカ収容所で非業の死を遂げました。

 彼が考えていた子どもの理想は、死後47年にして国連で『子どもの権利条約』として実現されました。日本も1994年に批准国となっています」(日本コルチャック記念実行委員会HP・コルチャック資料館参照/筆者段落構成)  


 こんな短い文章の中にも、男を無前提に聖人化している気配が読み取れて、思わず引いてしまうのは私だけだろうか。

 「全生涯を孤児救済と子どもの教育に投身」というような表現を眼にすると、私はいつもいたたまれなくなる。一人の人間の生涯に感銘を受け、心酔するのは自由だが、そこに思い入れたっぷりの余分な価値を加えることで作られる物語の怖さに対して、私たちはあまりに鈍感すぎる。

 大体私は、「偉人」、「聖人」、「殉教」、「献身」、「純愛」、「人類愛」、「自然愛」、「無償の愛」、ついでに、「地球にやさしく」などという胡散臭い言葉を聞くと、鳥肌が立ってしまうのだ。それらはどこまでも心の中の問題であって、軽々しく口に出して言う言葉ではない。欺瞞的な言葉の洪水が、却って、その言葉が本来内包している重量感を確実に削ってしまうのである。

 確かにこの世に、人が真似できないような生き方を示し、社会に大いに役立つ業績を残す稀有な人々がいる。そして彼らの多くは、その生き方や業績に対する応分の報酬を享受しているだろう。それは、彼らの個性や能力という商品価値が紡ぎ出したものであって、当然の事柄である。それだけのことなのだ。

 どんな人間にも、必ず何某かの欠点がある。

 欠点だらけの人間も多い。人間には必ず長所が一つある、という嘘を素朴に信じる人は幸せだろうが、長所だけがこの社会で「商品価値」を持つことを否定する人が果たしているだろうか。

 そうであるなら、どんな人間でも何某かの「商品価値」を持っているはずだが、実際はそれを持てないことによって社会適応できない者が存在してしまうのである。その者は、潜在する長所を引き伸ばす努力が足りないだけだと言うかもしれない。或いは、環境が悪いと片付けるかも知れない。しかし、環境を突破する能力を含めて、人間の「努力」というのもまた最も重要な「商品価値」の一つなのである。

 ところで、人間は本質的に愚かな存在体であると、私は常々考えている。

 一度手に入れた快楽を決して手放さないのは、快楽に向かってギアシフトした流れを制御する能力を欠いてしまっているからである。だからいつでも過剰になる。そしてまさに、それこそが私たち人間の枢要な問題であるということだ。

 大体、携帯のメールの返事が15分以内に来ないと苛立ってしまうという昨今の時間感覚の異常さは、紛れもなく、時速300キロの新幹線に象徴される超高速化社会(注1)が作り出した感情傾向であるに違いない。「効率性と利便性の絶対化」という観念に含まれる、未曾有なる時代の空気を作り出してしまったのが、私権の拡大的定着の果てに辿り着いた社会の、その隠された黄金律としての、「快楽こそ善なり」という劇薬的な黙契であったと言っていいだろう。

 ハイパー近代社会へと誘(いざな)っていったかのような高度成長下にあって、「幸福競争」というゲームに雪崩を打って埋没したその過剰さは、未知の快楽ゾーンに踏み入れるときの沸騰した状況への、私たちの自我免疫能力の圧倒的な不備を露呈していて、どうやらその類のゲームを放棄する能力というものが、それでなくても脆弱な、私たちの自我のうちに充分に備わっていないことを検証してしまうのである。
 
 そんなことをつらつら思うとき、自分もまたそのカテゴリーに含まれることを認知しつつも、私はいつも俯瞰した者の口調で、偉そうにこんな断定をしてしまうのだ。

 即ち、私たちは程ほどに愚かであるか、殆んど丸ごと愚かであるか、そして稀に、その愚かさが僅かなために目立たない程度に愚かであるか、この三つのうちのいずれかに誰もが収まってしまうのではないかと。

 ところが、「偉人」、「聖人」伝説の厄介なところは、目立たない程度の愚かさを持つ人間に対して、「完全無欠の物語」を被せてしまうという、まさにその愚かさに無自覚すぎる点である。

 どうも人間は自分の中になくて、自分が憧憬する感情傾向や能力を持つと信じる人格像に逢着してしまうと、その人格像が特段に優れたスーパーマン性を持つかの如く安直にオーソライズしてしまって、その心理的文脈の到達点が、「神なる者」という過剰なイメージ像に固まってしまうようである。

 私たちは一つの人格像のうちに、完成された人格的体現者としてのスーパーマンが具現し得えないことをどこかで認知しているにも拘らず、恰もそのイメージに近い崇高なる何ものかがこの世に存在し、そこで分娩される「絶対的真理」を信じる思いを身体化するかの如く、それを求める感情を常に再生産してしまう厄介さを持ってしまっているようなのだ。

 
ユーロスター(ウィキ)
加えて、それが私たちの脆弱性を充分にカバーし、心理的に補填してくれると願うメンタリティの依存的な甘さや、このような物語の快感を捨てられない厄介さが自我に張り付いていて、それが私たちの精神世界に巣食っている有りようを否定できないのである。

 困ったことである。

 或いはそれは、大脳ばかりを肥大化させてしまった私たち人間が、その欠如を補填すべく、自らの内側に作り出した自我保全の心理学であるのか。そう考えるしかないような不思議な感情・行動傾向が、私たちに内在するということなのだろうか。


(注1)JR東海とJR西日本の共同開発によって、2007年から導入された「次世代新幹線車両N700系」や、ロンドン―パリ間を走行する高速列車の「ユーロスター」等々。


 
 2  観る者の態度の有りように肉迫する怖さ


 
 本作の主人公の話に戻る。

 「気高き愛の殉教者」の如きスーパーマン性のイメージを、眩しく放って止まないコルチャックという男ほど、この上ない厄介な人物のようにしか、とても私には見えないのである。

 人の真心からの進言は聞かないし、自分の信念を梃子(てこ)でも変えない頑固さは際立っていて、その圧倒的な自我の強さに眼が眩むほどだ。だからこそ、コルチャックという人間は充分に魅力的なのであるとも言えるだろう。

 彼の凄いところは、幸不幸を問わず、子供という限定的な存在をかくまでに深々と愛し抜ける、その圧倒的な能力の高さである。そんな思いの迷いの欠如の故に、人格的エネルギーの多くを傾注できる能力の高さ。それが男の尊厳を根底に於いて保証してしまうほどの能力の高さ。それは殆んど、「神の領域」に近いと思わせるほどの目眩(めくるめ)く鮮烈な一撃でもあった。


2006年 ワルシャワにて(ウィキ
しかし、この良い意味でも悪い意味でも、強烈な個性を放つ男についての晩年の物語を、同じポーランド出身のアンジェイ・ワイダ監督は、「聖人列伝」にぶら下るような映像によって表現することを徹底的に排除した。

 そこに厳格なリアリズムで押し切った作品だけが持つ、えも言われぬ感銘があった。それは、引き摺り込まれた歴史の現実に反応した感情が、その作品と付き合っただけの重量感を抱えて、観る者の態度の有りように肉迫する怖さを炙り出していた。恐らくそれは、ある種の覚悟を持って観なければならない類の映像なのだ。



 3  物乞いをしてまで守るべきものを持つ男



 ―― 路傍に死体が散乱する狂気がすっかり日常化した世界を描いた、この厳しい映画のストーリーを簡単に追っていこう。


 1939年9月、ドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が始まった。それでなくても辛い歴史を重ねてきた歴史は、呆気なくドイツの機甲戦団に制圧され、占領統治下に入っていく。

 このとき、コルチャック61歳。

 逼迫する孤児院の経営を運営するために、彼には東奔西走する日々が続いていた。

 まもなく、ワルシャワに「ユダヤ人居住地区」、即ち、ゲットーが設営され、ポーランド中のユダヤ人が強制的に移住させられた。

 元々、そこに住んでいた約11万人のポーランド人が去って、ユダヤ人のみが閉じ込められ、その数は、41年3月の段階で約45万人に膨れ上がっていく。辛うじて、「ユダヤ人評議会」という名の自治組織がゲットー内で行政機構を代行するが、その内実は自治行政とは程遠かったのである。

ゲットー内の親のいない孤児(ウィキ)
―― 1941年から42年に及ぶゲットーの現実について、少し長いが、「ウィキペディア」から関連事項の説明を引用する。

 「ワルシャワ・ゲットーには私企業が存在し、わずかながらも資産を持っている者もいたが、外部から切り離され今までの仕事も顧客も失った状態では、最初から安定した歳入どころかゲットーの存続すら危ぶまれていた。ワルシャワでは多くの闇市交換があり、税は不当にならないぎりぎりの程度しか徴収できなかった。

 ゲットーからの輸出は、財産没収・労働者の搾取・食料輸入の禁止などの措置により、労働は意味をなくしていた。仕事を持たないユダヤ人は評議会が労働部隊に組織し、街の除雪や街路の清掃を行わせた。一日の平均的な人数は8000~9000人だった。1941年9月では34000人しか経済活動をしていなかったが、

 『移送』が始まる直前の1942年7月までには95000人が労働力として登録されている。

 1941年5月には、ユダヤ人1人あたりの配給は週700グラムのパンであり、2ヶ月で死亡率が2倍になった。12月に評議会議長チェルニアコフは、ワルシャワ・ゲットーには資本を持った1万人、自活できる25万人、衣食に事欠く15万人がいると推測している。

 『資本家』だけが闇市価格で入手した食糧で身を保つことができた。腸チフス・結核・インフルエンザなどの疫病がシナゴーグと、何千ものホームレスを収容していた公共の建物から始まった。1942年3月に死亡者数は1ヶ月あたり5000人に上り、42年の『移送』が始まるまでに83000人が死んだ」(ウィキペディア・「ワルシャワ・ゲットー」より/筆者段落構成) 


コルチャックと子供たちの記念碑(ウィキ 
この苛酷な状況の中で、孤児院長コルチャックは、「夜は書き物、昼は悪党相手の金品調達」という、彼にしかできない困難な仕事で身を磨り減らす日々を送っていた。禿頭の小さな老人の重々しい歩行の其処彼処(そこかしこ)に、息絶えた者たちが無残に転がっていて、死体と同居するゲットーの凄惨な風景が日常的に晒されていたのである。

 それでも彼は、200人の孤児の生命を守るための食料を調達しなければならない。死体をやり過ごし、同胞の醜態をやり過ごし、ドイツ兵の残虐をやり過ごして進む鈍い歩行の先に、密輸業者たちが酒池肉林に明け暮れる盛り場があった。誇りを捨てたコルチャックが、ゲットー内の特権者たちの前で物乞いをするのである。

 「コルチャック」という名を持つ男の存在は、苦渋な表情と引き換えに多額の寄付を集める影響力を、ゲットーに於いてもなお保持していたのである。

 突然、その盛り場に武装した抵抗組織の若者が入って来て、間髪入れず、何発か発砲し、素早く立ち去って行った。難を逃れたコルチャックが店を出た所に、レジスタンスの若者たちが待っていた。

 若者の一人が、コルチャックを問い詰める。

 「裏切り者たちと何をしていました?」
 
 若者は、コルチャックが、ゲットーで甘い汁を吸う特権的ユダヤ人の集まりの中にいたことが許せないのだ。

 「孤児院に金が必要なのだ。彼らは誰より金持ちだからな」

 コルチャックは、平然と言い放った。

 「ドイツ人を刺激するなと?奴らは我々を羊のように虐殺したがっている。老人は若者の犠牲に、貧乏人は金持ちの犠牲になれなどと奴らは言う。反抗しないユダヤ人は無実の者をいじめる。奴らは狂犬のように殺されるべきだ!」
 「君は抵抗組織の一員なのか?」
 「先生の教育のおかげで、彼らは戦わない」
 「なるほど…だが、私の立場もある。子供たちを救うためなら、私は悪魔とも会う」

 コルチャックに、若者の心が分らないはずがない。

 彼も青年期は社会主義者であったし、今でも、トルストイやタゴールを尊敬しているヒューマンな文学者でもある。しかし60歳を越えた男の頭には、自分が守るべき孤児たちの生命と、その心の保障のことしか頭にない。自分が今できることは、それだけだと考えているからである。

 「あなたの誇りは?」

 若者の一人がコルチャックの腕を掴んで、なおも問いかけた。

 「ない…200人の子供がいるだけだ。誇りなどない!」

 コルチャックは、若者に向かってきっぱりと言い返した。

 「誇りなどない」という言葉を何度も呟きながら、男は孤児たちの待つ施設に戻って行った。


ワルシャワ・ゲットー(ウィキ
その施設も今や、ゲットーから切り離された特別な空間と呼ぶには、あまりにほど遠い苛酷な棲み家。

 男はその棲み家に対して、そこに住む孤児たちに対して、その孤児たちを守ろうとする自分の仕事に対して、特別な誇りなど持っている訳ではない。自分の眼の前に救いを求める子供がいたら、守らねばならないと感じる心を持ち、守ることによってその子を愛する心を持つ能力が、恐らく男には、人一倍強いだけなのだ。彼にとって、それが普通の感情と生活の有りようなのである。
 

 そんな男が命がけで守ろうとする孤児たちの運命は、今まさに定まろうとしていた。
 


 4  せめてもの安らかな死



 1942年1月、ベルリン郊外にあるバンゼー湖畔の山荘で、ナチス政府高官たちの会議が開かれる。世に言う、「バンゼー会議」(注2)である。

 まもなく起こるホロコーストの嵐は、全てここから始まったのだ。ここでユダヤ人の「最終的解決」という名の、忌まわしき民族抹殺が決定されたのである。


(注2)「バンゼー会議」について、簡単にまとめた文章をここに引用する。

 「この会議には、外務省、経済省、東部占領地域担当相など、ナチス政府の関係機関を代表する十五人の高官が出席した。この会議で中心的役割を演じたのは、ゲーリングから『ユダヤ人問題の最終的解決』をまかされていた親衛隊の国家保安部長官ハイドリヒである。彼は、出席者をまえにしてつぎのような趣旨の計画を披露した。ヨーロッパ『西から東へむかって、くまなく、くしけずられ』なければならない。つまり、ヨーロッパにおけるすべてのユダヤ人は『自然に減少させる』ことを目的 として、重労働に従事させるため、まず東方に移送すべきである。そして、このようにしてもなおユダヤ人に対しては『適当な措置』をとるべきである」(野田宣雄著・「ヒトラーの時代(下)」より・講談社学術文庫)

 
クロフマルナ通りの孤児院ドム・シエロ(ウィキ) 
コルチャックは、自分の孤児院を強制移住から守るために奔走する。

 彼はチェルニコフ(ユダヤ人評議会議長)に嘆願に行くが、そのチェルニコフがドイツ将校に殴打される現場に立ち会って、コルチャックは事の重大性を認識せざるを得なかった。今やコルチャックにとって、やがて孤児たちを襲いくるであろう苛酷な現実を前にして、せめて彼らの尊厳をいかに守っていくかという関心だけが、最大の問題意識だったのである。

 かつてチェルニコフに陳情に行ったとき、コルチャックが語った言葉がここに思い起される。
 
 「毎日子供の死骸を路上で見ます。家族のない子供や飢えと寒さで死んだ子供たちです。貧しい両親に見捨てられ、埋葬もされない…彼らを助けられないのなら、せめて安らかな死を与えてやりたい!安らかで、尊厳のある死を…分るか!」
 
 「せめてもの安らかな死」―― コルチャックのこの言葉はあまりにも重い。重すぎるのだ。

 しかし、苛酷な現実が迫ってきて、彼は「死」という観念を子供たちに理解させる必要があった。そんな彼の意識が、「死」をテーマにしたタゴールの戯曲を子供たち自身に演じさせたのである。そのとき、彼は傍らのスタッフに、この戯曲を選んだ理由を説明している。

 「子供たちに死を理解させたくて…死をあるがままに受け入れるようにです。穏やかに…」

 コルチャックははっきりと、そう語ったのである。

 
ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人ゲットー警察警官隊(ウィキ)
ヒューマンな文学者であり、医師であり、そして子供を愛する能力において際立っていたこの教育者は、決して甘くないのだ。



 5  ポーランドの悲劇とホロコースト



 コルチャックの六十有余年の生涯が背負ったものの大きさや、その生涯を刻んだ時代の背景の厳しさが、この言葉を語らせている。厳しい人生が厳しい思想を分娩し、厳しい思想が厳しい言葉を紡ぎ出す。コルチャックはポーランド人であると同時に、カトリックに改宗したユダヤ人なのである。

 有史以来、民族分断の侵略の危機を繰り返し味わってきたポーランド。

 古くはコペルニクス、近代ではショパンとキュリー夫人、ザメンホフ(エスペラントの考案者)、そして現代においてはヨハネ・パウロ2世(第264代ローマ教皇)を輩出したその国は、今、まさに壊れようとしていた。ナチスドイツの西からの侵攻のみならず、東方からは社会主義国ソ連の侵攻があり、かつて何度もそうだったように、この国は完膚なきまでに壊されかかっているのだ。

 その国に、ドイツや東欧に住む、「アシュケナージ」(イベリア半島や中東系を出自とする「セファルディム」と共に、ユダヤ人社会の二大勢力を形成)と呼ばれるユダヤ人が多く住んでいて、そのユダヤ人が他の国民国家の例に洩れず、言われなき差別のターゲットにされていた。

 従って、この国でもまた、ユダヤ人はユダヤ人であることによって、二重の差別と抑圧を受けていたのである。ワルシャワ・ゲットーはその帰結であり、彼らがまもなく送られる「トレブリンカ」は、その最終的到達点であったのだ。

 ついでに書けば、現在、ポーランドにはユダヤ人は僅かしか住んでいない。「最終的解決」という名で、ドイツが彼らの多くを抹殺したことと、そして「アシュケナージ」の多くが、イスラエル建国に吸収されたことがその理由である。

絶滅収容所 
しかし今でも、ポーランドでは反ユダヤ思想が根強く残されていて、ポーランド人が嫌う民族の中に、ドイツ、ウクライナに次いでユダヤ人が含まれている。ホロコーストの背景に、ポーランドを含む、殆んど全ヨーロッパの国々の迫害の暗黙的容認があったことは、決して無視できない歴史的事実なのだ。

 なぜ、そこまでユダヤ人が迫害されなければならなかったのかという点については、本稿のテーマから大幅に逸脱するので言及は避けるが、恐らくそこには、ユダヤ教とキリスト教という、近くて遠い教義の相違に根ざしているとも考えられる。

 ともあれ、以上の文脈で分るように、「コルチャック先生」という類稀な傑作が同じポーランド人監督によって作られたのにも拘らず、ポーランド本国での評判の悪さを生んだ理由が瞭然とするだろう。



 6  空前絶後の天使の行進



 ―― 本篇に戻る。


 ユダヤ人の強制移住計画が、いよいよ断行された。

 
ワルシャワ・ゲットー蜂起鎮圧戦の最中に連行される人々(ウィキ)
コルチャックの孤児院に、突然数名のドイツ兵が侵入して来て、孤児たちの即座の強制移住を通告する。事情を知らない孤児たちに知られないように、コルチャックはドイツ兵に15分間の猶予をもらった。

 「皆、遠足に行きます。一番良い服を着て、カバンを背負って、急ぐから必要なものだけよ」

 コルチャックに最後まで従うステファが、落ち着いた口調で子供たちの行動を促した。子供たちの表情は喜びに溢れていた。しかし、彼らを先導する命令を受けたドイツ兵たちが、大型犬を引き連れて外で待機している。そこにコルチャックを逃がすためにアメリカ行きのパスポートを用意して、彼を慕う特権的ユダヤ人の一人であるシュルツが駆けつけて来た。

 そのシュルツとの会話。

 「先生、手筈は整いました。我々と一緒に来て下さい」

 自分だけを逃がそうとするシュルツに、コルチャックという男が同意する訳がないのである。男は既に、覚悟を決めていたのだ。

 「シュルツ、向うへ行け!犬を追い払ってくれ。子供たちを押すなとドイツ兵に言ってくれ。自分たちで歩くから」

 コルチャックは強制移住者としての抑圧的行進ではなく、遠足に向かう自由で解放的な行進を貫くつもりなのである。強制移住の先に待っている苛酷な現実に対して、彼は孤児たちに「せめてもの安らかな死」を保障したいのだ。

 「先生、大丈夫ですか?」
 「私の言うとおりにしろ!」

 シュルツはドイツ兵に事情を呑み込ませて、その了解を得た。
 
 ドイツ兵がいなくなった孤児院の扉を抉(こ)じ開けて、コルチャックを先頭とする孤児たちの駅に向かっての軽やかな行進が始まった。

映像はこの行進に花を添えるように、観る者の心を揺さぶる荘厳なる音楽を導入する。この荘厳な音楽は、彼らの尊厳を捨てない人生を象徴する気高き調べのようでもあった。子供たちの表情はどこまでも輝いていて、彼らを先導するコルチャックの表情だけが、覚悟を括った男の気高さを映し出していた。

 当時、この行進を間近で見た人の中に、「まるで天使の行進のようだった」、「生涯、あの光景は決して忘れません…人間の眼が目撃し得た空前絶後の行進です」という目撃談がある。それは、あまりに荘厳な行進であったのだ。

 駅に着いたコルチャックと子供たちは、既に、ユダヤ人で満杯になっていた貨物車両に乗り込んでいく。そこに命令口調のドイツ兵の振舞いが媒介してくるが、遠足に向かうと信じる孤児たちの表情は最後まで変わらなかった。

 コルチャックを何とか救おうと、パスポートを掲げて駆け寄って来たシュルツもまた、車両に押し込められる人々のラインの中に消えていく。シュルツを一瞥したコルチャックには、自分だけを助けようとする者への怒りしかない。それは、最後まで自分の人格と思想を理解できない者たちへの怒りでもあった。

 行進から車両乗り込みまでの一連の描写は、この映像の思想的根幹を支えていて、とても印象深い。

 一方に、自分たちの果たしている役割の意味を知らずに、ただ上官からの命令で動く、意志を持つことを許されないドイツ兵がいて、他方に、自分たちが流されていくであろう運命を知った上で、その運命をなぞっていく意志を持つ男がいた。

 それは、苛酷な侵略戦争で人間の尊厳を失いつつあるか、或いは既に失ってしまった者たちと、どんな状況に置かれても人間の尊厳を失うまいとする者との差である。両者は人間の尊厳という一点において、決定的に隔たっていた。ラストシーンに流れていく映像は、そのことを訴えたかったのではないか。

 だから私には、この映画が単にホロコーストを告発したり、反ユダヤ的思考や偏見を批判したり、教育のあるべき姿をモデル化したり、ましてや、ナチズムの推進力となったドイツ民族や、彼らのユダヤ政策に暗黙の協力を示した自国の犯罪的行為に、表現上の鉄槌を下すというモチーフによって作られたとは到底思えないのである。

 この作品は恐らく、人間の尊厳を守っていくことの大切さと困難さを描きたかったのだ。そこに、ラストシーンが持つ重要な意味があった。私はそう思う。

 映像には、「幻想のラストシーン」があった。

コルチャックと孤児たちを乗せた貨物車両だけはトレブリンカに着くことなく、途中で切り離され、その車両から遠足に向かう子供たちの明るい表情が映し出されて、霧の中に消えていく。彼らが高々と掲げる緑の旗には、かつてコルチャックが創作した童話に出てくる、「マチウシ共和国」のシンボルが描かれていた。

 映像はここで完結するが、勿論、この描写は歴史的事実を反映していない。それは苛酷な映像を括るに相応しい作り手の希望であり、祈りでもあるのか。或いは、彼らが霧の中に消えていく映像の内に、「せめてもの安らかな死」を願う男と、彼に従う孤児たちの尊厳を保障させようとする、作り手の確信的イメージが被されているのか。

 それは作り手に聞かなければ分らないが、この作品とは関係ないアンジェイ・ワイダ監督のコメントがあるので、ここに紹介する。

 「人生でヒトラーとスターリンの二つの全体主義崩壊を見ることができた。人類は狂った思想から抜け出して自らを救えると確信している」(2000・9 記者団との会見より)

 この談話を読む限り、彼は人類の未来に決して暗いイメージを持っていないことが分る。人間に対するある種の信頼の深さが、「コルチャック先生」のラストに描かれた霧の中のシーンに反映されているのかも知れない。
 
 しかし私は、多くの場合、このような幻想的シーンで映像を完結させる手法をあまり好まない。幾多の映画で採用されるこの手法に私が馴染まないのは、観る者にある種のカタルシスを提供することで、ある種の精神浄化を図ろうとする作り手のあざとさが、そこに垣間見えてしまうからである。

 厳格なリアリズムで押し切ってきた苛酷な映像であればこそ、最後まで映像を押し切ってしまう覚悟を求めて止まない私だが、本作の場合は例外である。

 本作は紛う方なく、このような幻想的シーンなしに閉じられないほどの、限りなく閉塞的なる描写の流れ方だった。観る者を突き放してしまうような、一種異様な厳しい表現態度のその極点において、このラストシーンが映像の重量感を支え切っていたのである。見事な括り方だったと言う外ない。



 7  抹殺の「絶対空間」とトレブリンカ、そしてコルチャック



 
アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ・ガス室のあった複合施設(ウィキ)
然るに、アンジェイ・ワイダより遥かにペシミストな私は、本稿の最後に、どうしても言及を避けられない「忌まわしき空間」について触れねばならない。コルチャックと子供たちの生命を奪った、かの悪名高い「トレブリンカ収容所」である。

 ホロコースト=「アウシュビッツ」という図式が、少なからず、私たちの中に固定観念として定着してしまっているようだ。どうやら、「アウシュビッツ」だけが絶滅収容所であると考えている人もいるらしく、「ホロコーストはなかった」という政治的な意図を持った「歴史修正主義者」は論外として、決して封印してはならない世界現代史の真実についての私たちの認識の欠如に驚かされる。

 「アウシュビッツ」とは、それまでの絶滅収容所内での様々な試行錯誤、有体に言えば、人間をいかに効率的に抹殺できるかという究極的な実験の「成果」を、より完璧な規模を持つ施設の完成によって、そこに集中的にユダヤ人の「最終的解決」の知恵を束ね上げた、抹殺の「絶対空間」なのである。その意味でのみ、「アウシュビッツ」はホロコ-ストの完膚なきまでの集中的表現であったということだ。

 
 しかし「アウシュビッツ」に至るまでの、様々な試行錯誤のモデルになった絶滅収容所の存在のうちに、限りなく残酷なる地獄の世界が晒されてしまったのである。その代表的な空間こそ、「トレブリンカ」という名の壮絶なまでに凄惨な世界だった。

 ―― その「トレブリンカ」について簡単にまとめた文章があるので、それらを紹介していく。

トレブリンカへの鉄道線路跡(ウィキ
「収容所の特徴:
 ワルシャワの北東約90キロに位置するトレブリンカ絶滅収容所は、ラインハルト作戦(ポーランド総督府在住ユダヤ人掃討作戦)に則った収容所(他にベウジェッツ、ソビブール:トレブリンカと合わせ、すべてブーク川のそばにあったことから『ブーク川沿いの三大絶滅収容所』と呼ばれる)の一つ。

 他の収容所同様、ナチは、人家が少ないと同時に鉄道に隣接する絶好の地に、収容所を設置した。
 
 収容所の目的は、ワルシャワ・ラドム地区に住むユダヤ人の絶滅で、ベウジェッツ、ソビブールでのガス殺実験の成果がよく取り込まれたガス室を備え、ここで七十万を下らない人々が殺されたといわれる。1944年の夏、ユダヤ人特別労務班の反乱で、少数の囚人が脱走に成功し、それを機に収容所は解体されることになった」(「ホロコーストと旅」HP・「トレブリンカ絶滅収容所」より参照/筆者段落構成)


 「ラインハルト作戦と呼ばれるポーランド=ユダヤ人絶滅作戦にそって作られたそれらの収容所では労働可能者が選別されることなくほぼ全員が直接ガス室に送り込まれたとされる。とくにトレブリンカの犠牲者は群を抜いて多く、およそ90万人がそこで殺されたと言う。

 収容者に比べて管理する親衛隊の兵数は非常に少なく、またしばしば敵機が飛来したことから戦況の悪化が収容者にも知られ、ソビブルとトレブリンカでは蜂起が発生したがいずれも鎮圧された。トレブリンカではこのとき少数ながら脱走に成功する収容者が出たためこれを機に閉鎖されてアウシュヴィッツ=ビルケナウに統合された。

 その他の収容所もアウシュヴィッツの収容能力が上がったため同様に統合され、東部占領地域の収容所は証拠を残さぬよう徹底的に破壊された。90万人の死体が埋められたはずのトレブリンカでは、埋葬地の痕跡さえ残っていない」(ウィキペデイア・「ホロコースト」より参照/筆者段落構成)

 
 以上の文章を、皮膚感覚のレベルで少し補足してみる。
 
 この人類史上類例のない民族抹殺を、徹底して科学的に、且つ、効率良く遂行するには、それを遂行する者たちの能力が欠如しすぎていた。抹殺を上手に遂行する能力のノウハウが存在しなかったのである。

 
イスラエルのヤド・ヴァシェムに展示されているトレブリンカの看板(ウィキ)
それにも拘らず、「トレブリンカ」には、ポーランドの特定地区のユダヤ人が間断なく移送されて来た。それはラインハルト作戦による綿密な計画に基づいて遂行されたものだろうが、しかし、「トレブリンカ」に移送されて来るユダヤ人の数が処理し切れないほど膨れ上がってしまうと、収容所は想像以上の混乱を呈してしまった。管理能力と死体処理能力の絶対的不足が、焼却炉の機能を常に臨界点の状況に追い込んでいたのである。有体に言えば、「トレブリンカ」には、処理し切れないおびただしい数の死体が累々と放置されていたのだ。

 周辺の村人の証言によると、死臭が辺り一面に蔓延し、家の窓も開けられず、外出することもままならなかったらしい。その混乱の責任を取った所長が更迭され、まもなく新しい所長が赴任したことで、事態はようやく収拾に向かったのである。時は、1942年8月末の出来事だった。
 
 この「トレブリンカ」という想像を絶する陰惨な世界に、コルチャックと200名の孤児たちが運ばれて来たのである。8月6日のことだ。

 真夏の僻地の村の陽光は、彼らを優しく迎えてくれなかった。彼らは猛烈に漂う死臭の只中に放り出され、驚愕し、恐れ戦いたことだろう。孤児たちは薄々、窒息しそうな貨物車両の中で、「遠足」の意味するものを感じ取っていたかも知れない。しかし遠足の目的地が、今まさに、自分の眼の前で晒されている凄惨な風景の地であることを知ったときの落差感は、恐らく、彼らのどのような寂しいイメージをも越えてしまうものであったに違いない。

 コルチャックはこのとき、何を想念したのだろうか。

彼が希求した「せめてもの安らかな死」を、子供たちに保障できると考えられる訳がないのだ。呆然とその場に立ち竦み、子供たちから投げかけられる疑問に、コルチャックは反応する言葉を失ってしまったのだろうか。いや、そんなことはない。コルチャックは動揺する表情を必死に隠して、自分たちに襲ってくるであろう地獄のストーリーに対する覚悟を、彼らに求めたに違いない。

 それが、コルチャックという男の一貫した生き方であるからだ。厳しい現実を前にして、その現実に対応する心構えを、彼は常に子供たちに語っていたからである。

 恐らく、彼らが到着した日が、彼らの命日になったと思われる。

 充分に機能しないガス室の中で、コルチャックは、最後まで泣き叫ぶ子供たちに覚悟を説き続けたのかも知れない。これだけはほぼ確信的に言えることだが、彼は子供たちの前で、決して惨めな泣き虫の表情を晒すことだけはしなかったはずだ。阿鼻叫喚のガス室で息絶えるまでの15~20分の間、彼は最後まで、「コルチャック」という名の男の人生を生き続けたであろう。

 そう思うのだが、この映像の主人公が、別段、そのような「殉教者」的な人生の閉じ方をしなくても、私には一向に構わない。人生の最後に、彼を取り囲む子供たちの中枢にあって、彼らと共に泣き崩れたとしても一向に構わないのだ。

 いや寧ろ、その方が際立って人間らしい振舞いと言えるだろう。子供たちの短い人生の終焉の場に立ち会って、自我の表層近くに封印していたギリギリの感情が自我抑制力を失って澎湃し、そこで激しく噴き上げてしまったとしても全く不思議ではないし、それこそが遥かに人間的な身体表出であると思えるのだ。

 大体、私たちの頼りなき想像力に依拠してフォローするには、その状況の凄惨さはあまりに抜きん出てしまっているのである。

 だから実際のところ、私たちには、その類の極限状況下に捕縛された者の心理を理解することなど殆ど不可能であると言っていい。

 「人間の想像力」の喚起を執拗に求めて止まない多くの社会的、政治的メッセージの倣岸さとは無縁に、取るに足らない努力の一定の継続性によって、私たちの貧弱なる想像力を枯渇させることなく、それをでき得る限り豊かなものに育てていくことは充分に可能であるし、その作業の価値も決して捨てたものではないに違いない。

 せいぜい、自分の人格的能力のサイズを確として認知し、その了解性の範疇の中で、未知なる世界への心理学的アプローチを自覚的に引受けていけばいいのだ。恐らく、それ以外ではないのである。

 ともあれ、本作はどこまでも、人類の未来への希望を捨てない強靭な作り手による一篇の映像以外ではないし、そこで描き出された人格像と、そのモデルになった狷介(けんかい)とも思える男との落差は小さくないかも知れないし、そうでないかも知れぬ。しかしその落差は、人間であることの様々な条件の中で、その能力の範疇を決定的に突き抜けていくほどの何かであるはずがない。

少なくとも、この映像は、それについての暗黙の了解を保証する表現において、一定の軟着点を用意していたと言えるだろう。そうでなければ、あの荘厳なるラストシーンの描写は枢要な意味を持たなくなってしまうのだ。

 ラストシーンに映像の勝負を賭けた作り手の思いは、観る者に有無を言わさず伝わってくる力強さに充ちていて圧巻だった。作り手は長々と引っ張るこの描写の中で、明らかに人間の尊厳の比類なき重量感を、そこだけは決して譲ることができない表現者としての強靭な意思を刻印したのである。

 人間の尊厳の究極的な到達点である「せめてもの安らかな死」を、子供たちに保障することを願って止まない男の覚悟を映し出す描写の括りは、このようなラストシーンの導入以外にはなかったのだ。全てはこのシーンに流れていくまでの伏線でもあったし、またこのシーンを決定的に鏤刻(るこく)させるための、辛くて重い実録ドラマのリアルな映像表現の真骨頂が、そこにこそ集中的に表現されていたと言えようか。

 そこで形成されるその価値の共有感覚を、作り手であるアンジェイ・ワイダは大切にしたいと願っていたに違いないということだ。人間の尊厳の比類なき価値の重量感こそ、この感銘深い映像の最終的な帰結点だったのである。

 結局、この映画は、いつ果てるとも知れない苛烈な状況下で、「せめてもの安らかな死」を、自分が守るべき者たちに保障しようと願う男の、その晩年の人生の確信的な流れ方をを描いた一篇だった。



 8  最高適応状況を構築していくこと



 ―― 稿の最後に一言。


 

現在の孤児院ドム・シエロ(ウィキ)
些かの疲弊感を覚えるほどに長々と続いた、本作との内的なクロスを経て、そこから解放されたとき、私はつくづく思ったものだ。私はとうてい、「コルチャック」になれるはずがないと。

 言わずもがなのことだ。

 人間の能力の差など高が知れているが、しかしそれぞれの僅かな程度の落差によって個性や人格、能力や価値志向の埋め難い距離感を作り出してしまうことは、自我で生きる人間にとって寧ろ自然な文脈であり、様々に固有なそのプロセスの中で、自分の能力に見合った人生の振れ方が漸次形成されていくこともまた自然な文脈である。

 なぜなら、それぞれの人生の軌跡の中で学習されていく多くの事柄が、それぞれに僅かな落差でしかないと考え及んだにしても、私たちの経験則の累積を通して、その落差を埋めるための無駄な努力をすることより、人生のローリスクを特定的に選択する時間の流れれ方こそが、私たち人間の、ある種賢明な生存適応戦略の方法論と言えるからである。

 従って、一人一人が自分の拠って立つ生活基盤の中で、最も自分に相応しいと思える時間を作り出していけばいいことなのだ。

 自分ができることを、自分ができる条件下で、過剰に走ることなく、一定の継続力を持ち得る時間を繋いでいくことこそが肝要であって、小宇宙とも言うべき精神世界の内側に、それぞれの能力のサイズに見合った最高適応状況を構築していけば、それはそれで充分に素晴らしいことなのだ。

 コルチャックという男の人生から学ぶものは多いが、しかし実際の所、それは観念のゲームで終わってしまうだろう。人生は所詮、その人の固有の時間の転がし方の中に収斂されてしまうものだ。

 私はただ、「コルチャック」を感じることができればそれでいい。

 その「コルチャック」を感じた私が、私の固有の時間を未来に繋いでいく。それだけのことである。その意味で、「コルチャック先生」という映像は、私を充分に考えさせ、充分に感じさせてくれた。この作品を作った監督に感謝するばかりである。

(2005年11月・2007年一部加筆)

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