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2011年3月28日月曜日

裏窓('54)      アルフレッド・ヒッチコック


<キャラクターイメージの「変換」という、ヒッチコック魔術の映像構成力の妙>



1  「非日常」の地平に辿り着くまでの、長く曲折的な時間の中で放たれる緊張感



本作の凄い点は、脚を骨折して、ギプスを嵌める車椅子生活を余儀なくされた報道カメラマンの、その固定された視点のみで物語を構築し得たことにある。

まさに本作は、映像の可能性の一つの極点を検証した表現技巧の勝利であると言っていい。

ロールスクリーンが上がることがオープニングのシグナルとなって、まるで舞台劇の如き、以上の極限的な物語設定の内に、映像を観る者も、件のカメラマンの固定された視点のみで物語をフォローしていくことを余儀なくされるのだ。

そこから開ける、中庭を挟んだ向かい側のアパートの窓を通して、観る者は、他者の「日常性」を「覗き見」する小宇宙に吸収される心地悪さを共有してしまうのである。

件の報道カメラマンの名は、ジェフ。

そのジェフの退屈極まる生活を少しでも潤す時間が、他者の「日常性」の「覗き見」であるということ。

そこには、特段に「人間観察」などという高尚なモチーフが包含されている訳ではない。

ジェフとリザ
単なる暇つぶしである。

そんな男の好奇の視界に収められるのは、ごく普通の「日常性」を繋ぐ、普通の人々の様々な人間模様。

新婚男女らしきカップルが、窓を閉めて濃厚なセックスを予想させるシーン。

冒頭から、下着のみで踊るグラマー‐ガール。

彼女は多くの男たちを相手に、燥(はしゃ)ぐのが好きなバレエダンサー風のギャルだ。

毎夏、テラスで寝ることを趣味にしているかのような、犬好きの中年夫婦。

絶えずピアノに向かって煩悶する、売れない(?)作曲家。

孤独を癒すかの如く、愛を渇望しているようにも見え、後に自殺未遂を図るオールド・ミスの女性。

ジェフが、「ミス・ロンリー」と命名する件の女性のケースになると、彼らの心象世界まで「覗き見」できてしまうから性質(たち)が悪い。

要するに、普通の人間の普通の風景を「覗き見」できてしまう気まずさが、そこにある。

ところが、そこはさすがにヒッチコック。

ジェフの「覗き見」の趣味を、一級のサスペンスに仕立て上げたのだ。


つまり、手持ち撮影によるエクサクタの、高倍率の望遠レンズを使用しての、ジェフの「覗き見」が捕捉した小宇宙が、他者のフラットな「日常性」ではなく、夫婦喧嘩の挙句の果て(?)の、「セールスマンによる妻殺し事件」という「非日常」だったのである。(画像)

この地平に辿り着くまでにフェードアウトを繰り返す、長く曲折的な時間の中で放たれる緊張感と不安感こそが、まさに、サスペンスの極意であることを検証した表現技巧の勝利 ―― それが「裏窓」だった。



2  秩序が破綻する転換を意味する「非日常」の唐突な侵入



ジェフが、「セールスマンによる妻殺し事件」の「実在性」への確信をより深めるに至ったのは、犬好きの中年夫婦が子供代わりのペットにしていた小犬の殺害の際に、アパート中に聞こえるように、衝撃のあまり、夫人が喚き叫んだ「非日常」の事態を目視したときだった。

「誰なの!これが“隣人”ていうの!隣人というのは、お互いの生き死にまで気にするものよ!」

喚き叫ぶ夫人の声が、巨大セットとは思えない、一見、長閑(のどか)な特定スポットの平穏な空気を裂いていった。

アパート中の人々が迷惑がって、窓から顔を出したにも関わらず、セールスマンのみが顔を出さなかったのだ。

これは、アパートの人々の「日常性」が、「非日常」の唐突な侵入によって、目立たない秩序が破綻する転換を意味すると同時に、ユーモア含みの物語が、ここからの30分間に及ぶ緊張感溢れる流れの中で、一気にサスペンスフルの濃度を深めていく転換を意味する重要なシーンだった。

この一件を契機に、物語はサスペンスの王道をいく展開を開いていく。

それを時系列に沿って、本作に関わる事柄を羅列していこう。

ジェフとリザ
ジェフ、リザ、看護婦のステラの3人による監視の強化。セールスマンへの脅迫状。

ステラによる、小犬が嗅いでいた花壇の穴掘り。

セールスマンを留守にして、恋人のリザのセールスマンの部屋の捜索。

リザの家宅侵入によって、事件の重要な証拠となる、セールスマンの妻の婚約指輪をリザが取得(注)。

リザの家宅侵入による逮捕・保釈。

ジェフへの無言電話。

セールスマンの暴力的侵入によるジェフの危機。

窓から突き落とされるジェフの絶体絶命の危機で閉じる、3分間のクライマックス。

そして、ジェフの両足にギブスが嵌められている絵柄を挿入することで、ユーモア含みの予定調和のラストシーンの内に、円環的な物語構成が閉じていくというオチになる。


(注)トリュフォーは、「ヒッチコック 映画術 トリュフォー」(山田宏一、蓮實重彦訳 晶文社)の中で、リザが「妻殺しの事件」の証拠となる、セールスマンの妻の婚約指輪を、結婚に煮え切らないジェフに向かって高く翳(かざ)したのは、「彼女は殺人の証拠をつかまえることに成功すると同時に、未来の夫をつかまえることにも成功する。実際、彼女はすでに指環を指にはめている!」と指摘していて、ヒッチコックにその慧眼を絶賛されている。



3  キャラクターイメージの「変換」という、ヒッチコック魔術の映像構成力の妙



この映画で、私が興味を持ったのは、主人公であるジェフのキャラクターイメージの「変換」である。

「退屈とは過剰満足である」

アブラハム・マズロー
これは、アブラハム・マズローの「人間性の心理学」から拾った言葉。

まさに、本作の主人公は、この「過剰満足」という余剰感情の発散という心理の小さな歪みを起点に、その悪趣味を開かせていったという内的経緯をなぞっていった訳である。

この映画の面白さは、主人公の「過剰満足」を処理するために、本来の「プロ根性」に関わる、他者・状況への過度な関心が分娩した、視覚的情報を駆使する男の「主観の暴走」の全面展開を、一級のサスペンスに仕立て上げたヒッチコック魔術の映像構成力の絶妙な手腕にある。

「殺人事件」が惹起された「事実」を誰も疑わうことのない物語展開に張り付く、ある種の「曖昧さ」が最後まで澱んでいるにも関わらず、「セールスマンの暴力的侵入」というエピソード挿入の一点によって、殆ど完膚なきまでのサスペンスムービーを構築し切った映像構成力の凄みは、ヒッチコック魔術と呼ぶ以外にないだろう。

本作の主人公は、あと一週間も経てばギブスが取れるという、この予約された時間の中に、全くそれ以外の不満や不安の入り込む余地がない、半ば「非日常の日常」をスタートさせていた。

恐らく、「過剰満足」の処理の故に開いたであろう男の、「覗き見」という悪趣味が昂じて、初めのうちは、単純に好奇心の延長でしかなかった「覗き見」が、次第にリアリティを持つに至る。

かくして、「過剰満足」を処理するための男の、「覗き見」という悪趣味の「劣化したモラル」の様態は、いつしか、限定スポットでの視覚的情報のみを駆使する男を、「悪」を見逃さない「正義の士」のイメージの内に立ち上げていくのだ。

そのプロセスが、少しずつ、不安と緊張感を高めていくサスペンスのトーンに変容していく時間が、実に丁寧に描かれていくのである。

まさに、出歯亀もどきの男を、警察の上を行く「大手柄」を立てる、「悪漢退治」の「正義の士」に「変換」させた、ヒッチコック魔術の世界が精緻に、且つ、縦横無尽に全開していたのである。

現役の報道カメラマンである主人公の主観的な世界に、より迫真性を増幅させるに足るリアリティが張り付く、そのプロセスに至る助走の長さが、小犬の殺害事件を起点に大きく変容させていく物語構成の巧妙さこそ、この特異なサスペンスムービーの勝負どころであった。

この勝負に破綻のないストーリーを肉付けすることで、ラスト3分間のクライマックスの決定力を保証したのである。

そこに、ケチなヒューマニズムを張り付けることのない娯楽映画の、一つの到達点を確認することができるのだ。

「その覗きのまなざしにはある種のやさしささえ感じられるのです。ジェームズ・ステュワートが裏窓から見る情景は、グロテスクでおぞましい人間たちの悲惨さではなく、人間の弱さのイメージなのだと考えるようになりました」(「ヒッチコック 映画術 トリュフォー 山田宏一、蓮實重彦訳 晶文社)

因みにこれは、本作への評価を「変換」させた、トリュフォーの言葉であることを付け加えておこう。

これに対するヒッチコックの反応は、「文句はないよ。そのとおりだと思う」だった。

(2011年4月)

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