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2008年11月22日土曜日

真夜中のカーボーイ('69)   ジョン・シュレシンジャー


 <舞い降りて、繋がって、看取った天使、そして看取られた孤独者> 



序  カントリーボーイの善良感と、下肢に障害を持つ男の絶対孤独の哀しさ



原題は「Midnight Cowboy」。早川文庫で、原作もある。邦題名は、そのものずばりの「真夜中のカーボーイ(正確には、カウボーイ)」。

この映画をその昔、名作専門館で観たときの感動の深さは、未だ鮮烈な記憶として残っている。

二人の若い俳優の演技力が群を抜いていたこともあって、そこで描かれた不適応な青春の孤独のさまに、当時、ドストエフスキーと観念論哲学にのめり込んでいた自分の青春がオーバーラップされてしまって、止め処なく流れる涙を止める術がなかった記憶が、ノスタルジックに思い起こされてしまうのである。

その後、何度か観直しても、私のこの映画の評価は変わらない。

スケアクロウ」の圧倒的な映像には及ばないが、私にとって本作は、最も大切な「アメリカン・ニューシネマ」の代表作の一本になっている次第である。

カントリーボーイの善良感と、下肢に障害を持つ男の絶対孤独の哀しさ。

それこそが、本作の最も鮮烈な映像記憶の決定的イメージだった。


通り一遍の男の友情を予定調和的に描くことなく、且つ、「アメリカン・ニューシネマ」の「規範からの逸脱性」にのみテーマを限定しなかった、その印象深い人間ドラマのストーリーラインを追っていこう。



1  男娼として夜の街に立って
ニューヨークの象徴・エンパイア・ステート・ビルディング(ウィキ)



テキサス生まれのカントリーボーイが、「夢の都・ニューヨーク」に旅立った。

男の名はジョー。

その目的は、男性的魅力に溢れていると信じる自分の肉体を売って、ひと稼ぎしようというもの。

その脳天気な若者のターゲットは、ニューヨークで無聊を託(かこ)つ小金を持った婦人たち。男は意気揚々と、カウボーイ・ハットを目深に被り、全身をカウボーイ・スタイルに身を包んで、ドリーム・シティにその長身の肉体を闊歩させていく。

男は先ず、中年婦人に声をかけた。

相手からの反応は、「自由の女神」への行き先の説明だった。

男の目的を知らされた婦人からの一言。

「恥を知りなさい」

男は夫人の後姿を、呆然と見送るだけ。

ようやく商売になったと思われた相手の女は、パトロン付きの娼婦。

ジョーはあろうことか、女に金を巻き上げられてしまう始末なのだ。

自分のイメージ通りにことが運ばないジョーの前に、一人の小男が出現した。

彼の仲間たちから、ラッツォ(ネズ公)と蔑まれているリコである。

下肢に障害を持つリコは、ジョーに、男娼で生きるには仲介者が必要であると説得し、言葉巧みに紹介料を巻き上げたのである。

騙されたことを知らない無邪気なカントリーボーイ、ジョーがホテルで引き合わされた男は、最初から様子が変だった。

「君も孤独だ」
「それほどでも・・・」
「孤独だ。孤独ゆえに酒を!孤独ゆえにヤクを!孤独ゆえに盗み、孤独ゆえに姦淫し・・・孤独を背負っているのだ」

こんなことを叫んだ後、「二人だけで跪(ひざまず)こう」などと訳の分らないことを言う始末。

ジョーは、ようやく自分が騙されたと感じて、ホテルの部屋を飛び出した。

途方に暮れたカントリーボーイの目的は、ただ一つ。

何としてでもリコを探して、金を取り戻すこと以外ではなかった。

ニューヨークの夜の街を走り続けるジョーの心に、焦燥感が生まれていた。

当然のことだが、肝心のリコが簡単に見つからないのである。

持ち金もなくなってきて、都会の孤独を嫌というほど感じていた。理想と現実の違いを思い知らされているのだ。

それでも彼はこの街で生きるために、男娼として夜の街に立った。しかし、そこに現われた若い男はゲイだった。

「金は払ってもらうぜ」とジョー。
「嘘なんだ。金はない」と相手の男。
「25ドル、ないのか?」
「どうする?」
「どうするだと?ふざけるな。ぶっとばされたいか!幾らある?」

ジョーは、相手の胸倉を掴んで恫喝した。

「全然」
「全部、ここに出せ」

手持ちの本を出す相手に、ジョーは彼の時計を奪おうとした。

「母さんが死ぬんだ、止めてくれ」

そんな言い逃れを真に受けたのか、ジョーはもう何もできなくなってしまった。

「いらねえよ」

その一言を苛立ちの感情含みの内に捨てて、ジョーは映画館のトイレを後にした。



2  都会の荒廃した建物の一室の中に身を横たえて



ジョーは殆んど、諦め半分で街を歩いていた。

そのジョーの視界に、突然、カフェにいたリコの姿が捉えられた。

リコはジョーに微笑みかけた。

ジョーもそれに反応し、笑みを浮かべたが、自分の標的を探し出した興奮で相手に迫って行った。

「殴るなよ。止せよ。脚が悪いんだぞ」
「殴るもんか。絞め殺してやる。その前に俺の金を出せ。早く出せ!」

ジョーの迫力に押されて、リコは持ち金を出すが、殆んど使われていた。

ジョーとリコ
狡猾なリコが差し出す一本のタバコをもらって、促されるままそれを吸うジョーの善良さが上手にあしらわれている構図が、そこにあった。

「あの晩のことはもう口にするな」とジョー。

そう言った後、カフェを出たジョーをリコは追い駆けていく。

「泊まるところがなきゃ、俺んちへ来いよ。誘ってんだぜ」
「クソッタレが」

ホテルの部屋を追い出されたジョーは、仕方なくリコのネグラに潜り込んだ。

そこは、今にも取り壊し寸前になっているビルの一室で、電気もなければ暖房もない廃屋のような空間だった。

「冬が来る頃には、フロリダに行くさ」

そう言い放って、リコはジョーに簡易ベッドを用意し、コーヒーを注いでいく。

すっかり疲労困憊のジョーは、程なく眠りに就いた。

未知の都会の荒廃した建物の一室の中に身を横たえ、深い就眠がそろそろ覚醒に近づく辺りで、ジョーは自分の惨めな現実をイメージさせるような夢を見ていた。

その夢に現出した映像は、恋人と愛し合うジョーが、禁断の愛の故か、親に折檻され、自分もまた拉致されているという悪夢。

うなされるように南部の若者が覚醒したとき、そこもまた闇の中。

そこが、電気の通らないリコの部屋であることを知ったジョーは、自分の足からブーツが消えていることに気づき、リコを問い詰めた。

「脱がしたのさ。ゆっくり眠れるだろう」

それが、リコの答えだった。

無断で自分のラジオを聴いていたリコを、ジョーが信用しないも当然だった。

「俺を泊めて何の目的だ?ゲイとも思えん」
「何のことだ」とリコ。

その表情は強張っていた。

「俺を泊めただろう?」
「無理とは言ってないぜ」
「そうかい。誤解してたぜ。お世話になったな」
「行くことはないだろ。俺が招いたんだ」

リコの口調は、一貫して真剣味に溢れていた。

「分ってるのか。俺は危険な男だ。ふざけた真似をしたら、あの晩見つけてたら、命はなかったぞ。分ったか」

ジョーも、見ず知らずの相手に舐められないように、相手を恫喝する。

「俺を殺すか・・・」
「よく覚えておけ」

それには答えず、リコは主張した。時々、咳き込みが激しい。真剣な表情に変化はなかった。

「ジョー、話がある。ここは俺の部屋だ」
「そうだ」
「俺の名前はネズ公ではない。ここでは、俺の名はエンリコ・リッヅォだ」
「言いにくいな」
「リコでいい。ここではリコでいい」

それに対して、「リコ、リコ」と繰り返すジョー。

少し空気が和らいだ。

まもなく二人の男の隣り合った、ガラクタのベッドに静寂が訪れて、眠りに入っていった。



3  相棒との男娼ビジネスの始まり



食料品屋で万引きするリコ
翌日、食料品屋で万引きするリコ。

追い駆けられながらも、盗んだ品物を持って廃屋に戻って来たリコは、ジョーを相手に自分の夢を語っていく。

「人が生きていくのに、二つ必要なものがある。日光とココナッツ・ミルクだ。知ってたか、本当だぜ。フロリダはヤシの木が山ほどある。ガソリンスタンドにだってある。それに金持ちの女だ。マイアミには・・・・あそこには、どこよりご婦人がウヨウヨしている。浜辺には、男一人に300人の女がいるぜ。手を伸ばせば、必ず婆さんのヘソに当る・・・ここじゃ駄目だ。マイアミなら、女も引っかかる。お前でもな。ニューヨークじゃ、金持ちの女は、カウボーイなんて笑ってるぜ」

「誰が笑った?」
「背中で笑ってるのさ」
「お前は女と縁があるのか?」
「そんなことは、教会の告白で言うことだ」
「教会へも行くまい・・・女も知らんのだろ。女の講釈などするな」
「カウボーイなんかに、誰が引っかかる?マス野郎だけだ。ゲイだよ。ゲイ専門だ」 
「ジョン・ウェインがゲイか?・・・俺はこの格好が好きなんだ。女もそうさ。昔から女にはもてる。女は俺にイカれてしまう。アニーだって病院送りだ」
「なぜ、一人もモノになっていない?」
「マネージャーがいないからだ。何がフロリダだ。俺の20ドル分のマネージメントをしやがれ」

これで二人の感情は、合意点に達した。

リコのマネージャーによる男娼ビジネスの始まりである。

リコはジョーを一人前の男娼にするために、彼の髪を整え、その体裁を磨き上げていく。

その傍ら、リコは、靴磨きをしていた自分の父のことを語った。

「親父はひどいものだった。毎日、14時間も地下で座ってた。稼ぎは靴墨のついた小銭で2、3ドルだ。バカだよ。靴墨で肺をやられちまってな。真っ黒な爪には葬儀屋もお手上げだ。手袋をはめて、埋めたさ」


商売を始めたものの、なかなか軌道に乗らない。

ニューヨークは厳しい冬を迎えていた。

氷点下の日々の中で、リコの体の衰弱が目立つようになってきた。 

ジョーは自分の血を売って、それを食い物に換えて帰って来たのである。

「ほら、お前の金だ。9ドルに小銭もある。ミルクが26セント。5セントがガムだ・・・」
「どこで金を?」とリコ。

咳き込みながら、タバコを吸っている。

「手に入れたのさ」とジョー。
「42番街でか?そうだろう?」とリコ。

彼は何もかもお見通しだった。

ジョーは、真新しいコートを着ているリコを見て、咄嗟に盗んできたものと考えた。

そうしなければ、生きていけないリコの人生を目の当りにしているからだ。だからつい、文句も言いたくなった。

彼には血を売ってまで食い物に換えてきた、自分の努力を無視する態度が気に喰わなかったのだろう。

「惨めな野郎が、また凍え死ぬんぞ。また盗んだだろう?」
「お前用だ。俺にはでかい」
「自分で着てろ」
「ふざけるな」とリコ。

コートを脱ぎ捨てた。顔から脂汗が滲み出ている。体の衰弱が歴然である。

「死ぬ前に薬を買え」

ジョーの言葉には、リコを思いやる優しさが溢れていた。



4  ジョーの胸に自分の顔を埋めて



二人の住処の取り壊し作業が、いよいよ始まった。

それを横目で見ながら、リコはジョーを伴って父の墓参に行った。

父の墓の前で、神妙な顔つきをするリコ。

それはジョーにとって、初めて見せた父を思うリコの眼差しだった。

「お前よりバカだった。名前も書けなかった・・・」

その後の、安手のレストランでの二人の会話。

「人間、大切なのは精神だ」とリコ。
「まるで牧師だな」とジョー。
「何を信じるかの話だ。別の肉体に生まれ変わると信じる者もいる」
「お前の肉体はお断りだな」
「何でも生まれ変われるのさ。犬でも、大統領でも」
「その二つなら、大統領の方がいいな」
「少し考えてみたらどうだ。俺はまるで信じないがね」
「何になるかな。信じるのも悪くない」

そこにパーティの宣伝を配る者から、二人はチラシをもらった。

写真を撮られたジョーが、自分が招かれたと考えて、その夜、二人はその場所に出かけて行った。

二人は、とあるビルに入っていく。

その階段の入り口で、リコは具合が悪そうに咳き込んだ。

「お前、大丈夫か?すげえ汗だぞ」

ジョーは自分のマフラーで、リコの汗を拭き取った。

その間、リコはジョーの胸に自分の顔を埋めていた。

ジョーは自分の櫛を相棒に貸して、彼に髪を整えさせた後、二人は階段を上っていく。

階上の扉を開いた世界は、何やら訳の分らないアナーキーなパーティの場。この時代の、この国の無秩序を象徴するようなパーティの場で、リコは食い物を漁り、ジョーは自分のビジネスの相手になりそうな女を漁っていく。

金になりそうな若い女を見つけたジョーは、リコに金を払わせた後、女と階下で愛し合っていた。ジョーの初めての仕事なのだ。

そこに大きな物音がつんざいた。脚の不自由なリコが階段を滑り落ちて、転倒してしまったのである。

「平気?」と女。
「ああ、平気だ」とリコ。
「手すりに掴まって歩けないのか?」とジョー。
「歩けるよ」とリコ。

ジョーはリコの状態を不安視しつつも、女に誘われて街路に消えて行った。

「ネズ公、行って来るぜ!」

ジョーは初めての仕事に、意気揚々と向かっていったのである。

そこに残されたリコは、その言葉に反応せず、ゆっくりと階段を下りて、街路にその身を放っていく。

外は一面の雪。極寒と化したかのようなニューヨークの冬が、まさに今、ニコに襲いかかってきたのである。



5  由々しき犯罪に手を染めて



男娼の仕事を無事に勤めたジョーは、上機嫌でリコのもとに戻って来た。

ジョーはリコのために、アスピリンやメンタムなどの薬を買ってきて、リコを喜ばせようとしたが、彼の反応は冷ややかだった。

「何も買うことはないさ。かっぱらえたのに・・・」
「もう盗みはいい。まだ8ドルある。木曜には、また20ドルだ。もう心配ないよ」

ジョーはそう言った後、リコのために熱いスープを作って、それを彼に飲ませたのである。飲みながら、リコは言った。

「頭にくるなよ」
「こないさ」
「俺はもう歩けない。転んでばかりだ。怖いんだよ・・・」
「何が怖い?」
「どうされると思う。歩けなくなったら・・・横になる・・・」

その顔を脂汗でたぎらせながら、恐怖を訴えるリコ。

彼は精神的にも追い込まれている。

その表情を目の当りにしたジョーは、彼に目一杯の優しさで尽くしていく。

彼をゆっくりとベッドに寝かせて、毛布を掛けた。毛布を掛けられたリコの表情は、ジョーが今まで見たことのない弱気な男の真実の世界だった。

自分のために医者を呼びに行こうとするジョーを強く制止して、リコは訴えた。

「フロリダへ行きたい」
「俺は行けない」
「バスに乗せてくれ。一人でいい」
「その熱で行けるか」
「バスに。病院は嫌だ・・・熱い」
「病気なんだぞ」
「熱い・・・バカたれ、お前なんか、いらん!」
「黙ってろ!」
「バカたれカウボーイだ」
「喋るな。人が上手く行き出したら、お前がこのザマだ」

熱帯の地・フロリダ州南部のホウオウボクの木(イメージ画像・ウイキ)
そう言って、ジョーは寒々とした街路に、その身を放っていった。

彼は約束の女との仕事を前倒しして、金を稼ごうとしたが、うまく行かなかった。

その後、賭博場で稼ごうとするが、それもしくじった。そのとき中年男に声をかけられて、一緒について行くことになった。

男の行き先は、ホテルだった。

ジョーはまたしても、ゲイのパートナーに選ばれたのだ。

ジョーは、いかにも金持ち然としたその中年男から金を奪おうと考えるが、善良な彼がその行動にシフトしていくには、並々ならぬ決意が必要だった。

中年男が部屋の奥で電話している中で、彼はミラーに映る自分に向かって説得しているのだ。

「今、友だちが病気なんだ。お前とは寝れん。奴を南に連れて行く。病気なんだ。南へ連れて行ってやるんだ。分るか。奴のためだ」

ミラーに映った自分を納得させたのか、ジョーは中年男の前に現われて、挑発した。

「なぜ、俺を連れ込んだ」
「ジョー君、つまり私は・・・君はいい人だ。連れ込むなんて。素敵な人だよ。人生が憎いよ。行ってくれ」
「行けだと?」
「そうだ。行ってくれ・・・明日来てくれ」
「フロリダに向ってる」
「ひどい。出会ったら・・・プレゼントだ。旅行にあげよう。持ってくれ・・・私のために」

男はそう言いながら、自分の首に掛けていたペンダントを、ジョーに手渡した。

「金がいる」
「ああ、待ってくれ。礼はいらんよ」

男は引き出しの財布から10ドル紙幣を出して、それをジョーに手渡した。

「10ドルか。57ドルいる」
「持っとらんよ」

怯む男に、ジョーは迫っていく。

「家族がいる」
「もう金はない」
「どきなよ。どけ!」

そう叫んだ瞬間、ジョーの右の拳が男の顔面を強打した。倒れ込んだ男に、ジョーは襲いかかっていく。

「私が悪かった。こんなこと・・・鼻血が出てる」
「頭を割るぞ!」

ジョーは右手に電気スタンドを握って、それで男に殴りつけようとするが、哀れを乞うような男の表情を見て、そこまではできなかった。

それでも彼は、再び右の拳で強打して、男から全額を奪い取った。彼は紛れもなく、一つの由々しき犯罪を犯したのである。



6  パラダイスの幻想が千切れて



犯罪を犯した若者は、その場をすぐ立ち去って、リコのもとに戻って行った。

彼をそのまま担ぎ上げるようにして表に出し、フロリダ行きの長距離バスに乗り込んだのである。

「殺しはすまいな?上着に血がついてた」

長距離バスの中で、いつもの表情より異様に険しいジョーの顔を見て、リコは彼に犯罪の匂いを感じたのである。

「その話は止めだ」

ジョーは自分の犯した罪を、傍らに座る男の命を救うためという大義名分によって、自分の内側で固く封印したのである。リコの顔から汗が吹き出ていて、健康の悪化が歴然としていた。彼の声も虫の息のように聞こえた。

「思うんだが、向こうで変な名前で呼ばんでくれよ。折角、旅に出れたんだ・・・真っ黒に日焼けして、浜辺を駆けて、泳ごうとしたら、“ネズ公”なんて呼ばれてみろ。どう思う?」
「親しみがある」とジョー。

彼の表情に初めて笑みが零れた。

「クソみたいだ。俺はリコだぞ。新しい連中には、必ずリコだ。いいな」

バスの中から見る外の風景が、少しずつ陽光の輝きを増すようだった。

傍らに眠るジョーが覚醒したとき、 リコの様子がおかしかった。

「どうした?」
「漏らした。びしょびしょだ」とリコ。顔面が涙で濡れていた。
「泣くとこはねえ」
「フロリダに行くってのに、脚は痛い。尻も、胸も。挙句の果てに小便まみれだ」

その言葉に、ジョーは吹き出してしまった。

「おかしいか、ボロボロだ」
「自分だけ予定より早く、“小便休み”したのさ」

ジョーの慰めにも反応できず、リコは重い咳を繰り返し、表情を歪めた。

何とかその苦痛を和らげようと、ジョーは努めて明るく反応する。

彼はリコのズボンのサイズを聞いて、バスの停車地で、早速、彼の着衣一式を購入してきた。その着衣を、ジョーはバスの中で器用に着替えさせたのである。

「ありがと」

力ないリコの反応だった。ジョーは、そんなリコにマイアミでの仕事について語っていく。

「マイアミに着いたら。俺は仕事を見つける。女じゃ食っていけん。もっと簡単な仕事がある。外で働くよ。どう思う?・・・そうする。どうだ?」

そこまで語っても、リコからの反応は全くない。

不安を覚えたジョーは、リコの顔に触れた。呼吸をしていなかった。

視界の定まらないジョーの表情が、画面一杯に映し出されていく。

彼は言葉を刻めないのだ。

永遠の眠りに就いた友の体を、いつまでも抱き止めている以外になかったのである。

そうしなければならないという強い思いによって、抱き止めているかのようだった。

バスのガラス窓に映し出されるマイアミのビル群が、パラダイスの幻想が千切れて、永遠の眠りに就いた男の顔に重なって、余情を残した映像は、ハーモニカの静かな旋律の中で閉じていった。


*       *       *       *



7  選択された意志が交叉したときの、殆んど宿命的とも言える絆



これは、このような崩れ方をしなければ生きていけない男と、そんな男の苦境を救い出すには、それ以外にない善良な心根を持った若者が偶発的に出会い、前者によって後者が特定的に選択され、そして少し遅れて、後者によって前者が補完的に選択された意志が交叉したときの、殆んど宿命的とも言える絆を描いた哀切なる友情の物語である。

リコにとって、ジョーの存在は重要な商品価値であり、ジョーにとっても、リコの存在は自分の商品価値性を、それを受容する者に仲介する役割を担う、一定の商品価値性を持っていた。

二人はそれぞれの商品価値性を高めるために利用しあって生きていくが、漸次、その関係に変化が見られるようになる。

その変化を象徴するシーンがある。

それは、生活の糧を得るために自分の血を売って帰宅したジョーと、相棒のリコとの間で交わされた切実な会話の描写である。

ジョーはリコから売血を非難され、自分の思いを無視された怒りから、リコが盗んできたコートにその身を覆っていることを逆に非難したのだ。

そんなコートを必要とせざるを得ない事情を知りながらも、ジョーはリコの常習的な窃盗を糾弾したのである。

彼は明らかに、そこでリコの人格の内側に侵入してしまっているのだ。

「死ぬ前に薬を買え」というジョーの言葉は、リコの健康の悪化を憂慮する気持ちを端的に表現していたのである。この配慮は、相手を単なるビジネスの相棒としか見ない関係の制約を逸脱していた。また、自分の血を食べ物に換えたジョーに対するリコの気持ちの根底には、商品価値としての相互の役割付けを超える感情が垣間見えるのである。

その直後の描写では、父の墓参をするリコの眼差しを受容するジョーの優しい思いが映し出されていた。

既に二人は、友情を意識する関係へのシフトを果たしていたということなのである。



8  壮絶、且つ、哀切なる人生が横臥して



その二人の友情の流れ方に言及する前に、私にはどうしても無視し難いテーマがあるので、そこから書いていく。

それは、リコという人間の生きざまである。

彼は明らかに、イタリア系移民の血を引く貧しい育ちの中で、その前半生を送ってきている。それは彼の墓参の描写で、彼の父が1959年に逝去したことで想像されるもの。

つまり、一日14時間もの靴磨きの仕事をして息子を育てたであろう父の死の時期は、小児麻痺とも思われる彼が未だ思春期の年齢であったか、或いは、児童期の頃であったかと思われる。

彼は母のことは語らないのだ。

彼の家族の歴史の内部に何があったか知る由もないが、そこに語り得る価値がないから語ることを拒んでいるか、それとも語り得る記憶すら何ものも持たないから、語りたくとも語れないのかも知れない。

いずれにせよ、彼は父の死によって、このような崩れ方を不可避とする人生を選択した可能性が濃厚であるということである。

恐らく、彼の不幸なる人生の淵源はそこにある。

即ち、下肢に障害を持つ少年が、唯一その糧を得ていたであろう父を喪ったということ。その厳しい人生の現実の中で、それ以外にないと思われる人生の流れ方を余儀なくされたということである。

彼のこの真実と思われる残酷な時間への想像が及ばない限り、この映画で描かれた友情が内包する曲線的な航跡が炙り出した、青春の挫折のリアリティに肉薄できないであろう。そこに肉薄できなければ、本作で描き出された世界への奥深い感動をも手に入れることができないに違いない。

看取られた孤独者・リコ(右)
物語が紡ぎ出したラインの中枢には、リコという男の壮絶、且つ、哀切なる人生が横臥(おうが)していたのである。



9   友情についての考察   



以上の心理的文脈を踏まえて、二人の友情について言及していく。

その前に、ここで「友情」というあまりにポピュラーな概念を、私なりに定義しておきたい。私たちは「愛」という言葉と同様に、「友情」について、あまりに軽々しく会話の俎上に乗せ過ぎているように思えるからである。

他人の友情論はともかく、私の友情論について書いていく。

先ず、友情が成立する絶対条件というものがある。

それを一言で言えば、「自我の武装解除」という語に尽きると思う。「自我の武装解除」とは、こういうことだ。

自己の生存と社会的適応のために過剰なほど防御壁を張り巡らせたバリアを解放することであり、そのことによって、そこに被されている「虚栄」を脱色させていく、一連の心理的手続きと言っていい。

虚栄とは、「見透かされることへの恐怖感」であると私は考えているので、「自我の武装解除」とは、要するに、素のままの自分を表現し得る場を持つことで、そこで特定的に選択された関係を通して表現される、一連の営為であると言えようか。

この大前提が、友情の成立の基本要件である。

そこに微妙な温度差を示しつつも、この条件を満たした関係の内側に、友情を構成する様々な要件が含まれていく。

それぞれを列記すると、「親愛」、「信頼」、「礼節」、「援助」、「依存」、「共有」という心理的な因子である。それぞれに当然の如く誤差があり、全てが必要要件であるとは言えないものの、友情を他の関係、例えば、打算的なビジネス上の関係や、職務に於ける上下関係、近隣の表面的な関係などと分れるものとして認知することは当然である。

またそれは、血縁幻想を中枢にした家族の関係とも分れるであろう。

とりわけ家族関係は、権力関係に流れる危険性を内包するものの、本質的には、そこでは、家族構成員の自我は完全解放されていて、しばしば、放屁やゲップが飛び交う無縁慮な解放空間であるという機能を保障する関係であるということだ。

過剰な「礼節」も、そこでは解放されていて、言ってみれば、「甘え」が許容される開放系となっているというこであろう。

いずれの要件も、「自我の武装解除」なしに開かれないものであり、或いは、これらの要件が意識的に展開される関係的営為を通して、「自我の武装解除」も決定づけられていくとも言える。

「親愛感」なしに「依存」の感情は生まれないし、ましてや、信頼感や共有意識の広がりも展開していかないであろう。

その意味でこれらの要件は、いずれも重厚に脈楽しあって形成された心理的文脈なので、その理想形が、これら全ての要件を高度に均衡しあって形成された関係様態ということになるであろう。

恐らく、それこそが友情の最高の理想形であると言えるが、しかし、個々の様態は様々にその個性的様態を見せていて、客観的にその友情のレベル値を評価するのは困難であるに違いない。

例えば「共有」とは、情報や価値観の共有でもあり、更にはそこには、より形而上学的な意識の触れ合いも包含されるだろう。また、依存感情は甘えの感情に繋がるし、相手の甘えの許容度が、相手に対する自分の依存性を決定づけるとも言える。

更に「礼節」は、相手の尊厳感情を認知する倫理的態度であると言えるが、それは関係の固有なる様態の中でしか実感し得ないものであろう。



10  舞い降りて、繋がって、看取った天使と、その天使に看取られた孤独者



―― 以上の把握を踏まえて、本作で描かれた二人の関係を考えてみたい。


果たして彼らに、「友情」というものが成立していたと言えるのか。

答えるまでもない。

彼らは親愛感を深めつつあったし、依存感情もそこにべったりと張り付いていた。

しかし彼らの友情は未だ不十分なる脆さを晒していて、強化された信頼関係とも程遠いものがあったし、また、「礼節」の意識も欠落していた。

それでも彼らの関係は、友情以外の余分な何かを含みつつも、その本質は友情と呼ぶ以外の何ものでもなかったと言えるだろう。

では、彼らは何を「共有」したのか。

それを価値観であると呼ぶには、彼らの関係の深度はあまりに浅いものだった。情報の「共有」も限定的だった。まして形而上学的なフィールドでの繋がりは感じられないし、「神」の問題についても、ジョーの問題意識の不足は際立っていた。

彼らが「共有」したもの ―― それを一言で言えば、他に頼るべきないものもない、その内面的状況であり、その状況が作り出した、「大都会の廃屋に、辛うじて命を繋ぐ者の孤独感」である。

彼らは孤独なる状況をこそ「共有」し、それを「共有」することで、相互に補完し合う存在論的な関係をギリギリに確保したのである。

とりわけ、下肢の不自由なリコにとって、善良なるテキサスのカウボーイの存在は決定的だった。

恐らく、ジョーの存在なしに、リコの生存・適応戦略は早晩崩れ去ったに違いない。

またジョーにとっても、リコの存在はかけがえのない何かになりつつあった。

それでもそんな彼らの友情が、それが内包する親愛感情を端的に表現した描写があった。二人が、サイケデリックなパーティーの場に現われたシーンを想起されたい。

階下で体調の不具合を訴えたリコを、ジョーが介抱する描写である。

そのときジョーは、脂汗を流すリコの顔から汗を拭き取っていく。

何とも善良なるカウボーイの優しさに、リコは束の間、その顔を埋めたのである。

ジョーの広い胸に顔を埋める下肢障害者の表情は、明らかに、ジョーの存在価値の有り難さを決定的に認知し、そこに無抵抗に入り込んでいく甘えを垣間見せたのである。

それは、私にとって最も印象的なシーンの一つだった。

取るに足らないそんな小さな描写の中に、親愛の情を深めつつある二人の関係の在り処を窺うことが可能であろう。

それにも拘らず、彼らの友情が破綻に流れ込んでいく可能性は低いとは言えないだろう。

なぜなら、状況が変わればその孤独の密度が変化し得る、言わば、「相対的孤独」のカテゴリーを逸脱しないであろう、ジョーのその孤独感に対して、リコの孤独の濃度は殆んど病理とすれすれの状況を呈していて、状況の変化によっても崩れない、「絶対孤独」とも呼ぶべき世界に生きる者の孤独感に近い何かが、そこに存在していたからである。

「絶対孤独」という表現には誇張があるが、しかしそのように追い詰められた人生を生きる者を、果たして誰が救えるのだろうか。

リコは本気で人を信頼し、全面的に依存し、最も大切なものを共有する人格のイメージに添って、その自我を構築することができるであろうか。

彼らはその関係を心地良いものに発展させていくには、まだほんの少し時間が足りなかっただけなのかも知れない。或いは、その関係は形成されつつあったばかりで、そこにはあまりに不全な脆さを内包していただけなのか。

しかし、リコにとって友情の価値観は、自分をパラダイスに誘(いざな)ってくれる特定的他者との、その特定的な関係の枠内でしかなかったのかも知れないのだ。

だから、友情の心地良き展開なしに、リコは南国行きのバスにその身を委ねさえすれば、それで充分だったとも言えないだろうか。

要するに、この映画は、ニューヨークという大都会に舞い降りた、ジョーという名の天使と繋がることで、パラダイスへの死出の旅路を決行した絶対的孤独者の物語であると同時に、その孤独者を自分が捨てた南の国に誘って、その最期を看取った者の物語であったのだ。

ジョーはリコを、「日光とココナッツ・ミルク」とは無縁な廃屋から救い出すために大都会に舞い降りて、宿命的に繋がって、そして宿命的に看取る役割を負ったのである。

ジョーは天使だったのだ。

リコという名の、社会的自立への決定的なハンディを持つ男にとって、それ以外にない特定的な使命を負った天使だったのだ。

そんな天使と出会うことなく、何とか余命を繋いできたリコが、その細(ささ)やかな信仰心のご褒美に、神から授かったジョーという名の聖書を読まない天使と、その人生の最期にパラダイスへの死出の旅を決行し得たとき、既にもう、リコの中では、夢の中の世界に激しい苦痛を伴うことなく侵入できたのである。

全ては、天使の献身的な行動によってのみ手に入れることができた至福の境地だったのだ。

これは、「舞い降りて、繋がって、看取った天使と、その天使に看取られた孤独者」の物語だったのである。

本作のメッセージの中枢に、当時のアメリカの都市文明の自堕落さを、シニカルに批判する文脈が内包されていることは言わずもがなだが、私はそのようなニューシネマの共通する問題意識に注目するよりも、ここで描かれた、二人の男の友情の流れ方に対して強い関心を持ち、その一点に於いて私なりのテーマを設定し、言及した次第である。



11  鋭利な棘が食い刺さってくるような、一陣の突風の切れ味



「真夜中のカーボーイ」 ――  素晴しかった。

観る者の心を深く抉る物語の哀感は、名状し難い感動をもたらした。それは、鋭利な棘が食い刺さってくるような、一陣の突風の切れ味と言っても良かった。

誰が何と言おうと、ある意味で、これはリコという男の物語である。

ジョン・シュレシンジャー監督
ジョーの存在は、彼と廃屋の一画で凄惨な生活を共有し、彼のパラダイスにその不自由な身体を移動させるためだけに、およそカウボーイのアナクロを受容しない大都会に舞い降りた、善良なる何者かでしかなかった。

それが私の、本作のストーリーラインについての基本的な把握である。

繰り返すようだが、この映画を深いところで理解するには、リコについての、語られなかった前半生への想像力がどこまで及ぶか、どこまでその内側に肉薄できるか、それこそが勝負を分けるポイントであると私は考えている。

従って、本作を、ゆめゆめフラットなモラリストの感傷のみで、そこだけが秩序の論理に拠って立つ、浮薄なる講釈の標的にされる弄(いじ)られ方をされては叶わないのだ。理念系の暴走だけは慎みたいものである。

本作はどこまでも一篇の映像であり、その映像の中で表現された真実と、その裏側に潜む語られざる真実への想像力をこそ切に問われているような、そんな思いをいつまでも残す一級のニュー・シネマだったということだ。私にはそれ以外ではなかった。

(2006年9月)

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