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2010年11月9日火曜日

パピヨン('73)       フランクリン・J・シャフナー


<「人生を無駄にした罪」によって裁かれる男の物語>   



1  「人生を無駄にした罪」によって裁かれる男の物語



この波乱万丈に満ちた、アンリ・シャリエールの実話をベースにした映画の中で、最も重要なメッセージは、以下の言葉に尽きるだろう。

「お前は、人間が犯し得る最も恐ろしい犯罪を犯したのだ。では、改めて起訴する。人生を無駄にした罪で」

この言葉の主は、背後に12人の判事を従えた一人の裁判長。

この「判決」を下されたのは、本作の主人公であるパピヨン。

裁判長が起訴するという表現は可笑しいが、これは、パピヨン自身の夢の中の出来事。

その辺りの事情を簡潔に説明しておこう。

パリの犯罪者仲間の間でも一目置かれる存在だったパピヨン(胸に彫られた蝶のタトゥーに由来)は、金庫破りを犯しただけに過ぎなかったが、「ポン引き」殺しの冤罪によって、フランス領ギアナ(南アメリカ北東部に位置)に流刑されるに至った。


そこで債券偽造のプロであるドガと知り合い、ギブ・アンド・テイクの関係を構築する。


サン・ローランの監獄に収監された二人は、看守の買収に失敗したことで、熱帯ジャングルの強制労働キャンプに放り込まれるが、劣悪な環境下の故に、囚人たちの犠牲が常態化されていた。(画像)

そんな状況下で、作業のしくじりによって看守に殴られるドガを庇ったパピヨンは、逆に看守を殴り倒したことで逃走し、銃弾を浴びせられた挙句、捕捉される始末。

逃走に失敗したパピヨンが放り込まれたサン・ジョセフ島の監獄は、生還率の低い恐るべき独房の閉鎖空間だった。

「ここは懲罰施設で、我々は、"加工係"だ。動物を食肉に加工するように、悪人を善人へと加工する。破壊によってだ。肉体や精神、頭脳も破壊する・・・希望など捨てろ」

パピヨンとドガ
サン・ジョセフ島の監獄に収容される際の所長の告知である。

その言葉通り、鉄格子の天井から24時間監視される独房の閉鎖空間は、コウモリ、ムカデ、ネズミ、ゴキブリが蝟集(いしゅう)し、「肉体や精神、頭脳も破壊する」恐怖に最隣接する最悪の衛生環境にあった。

このような状況下で、パピヨンは、由々しき夢を見た。

以下、そのシークエンスを再現してみる。

そこに、冒頭の重要なメッセージが含まれているからだ。

「罪状は知ってるな?」

砂漠の高みに立つ、12人の裁判官を引き連れた裁判長の居丈高な言葉が放たれた。

ケチな犯罪者だった娑婆世界のときの、白いスーツとハンティング帽を被ったパピヨンが、法官たちの方に向かって歩いていく。

「俺は無実だ。ポン引きを殺していない。無理やり有罪に仕立てたんだろ」

パピヨンは、自分の冤罪を声高に主張した。

「まさにその通り。お前の罪はポン引きの死と関係ないのだ」

これが、裁判長の答えだった。

「なら、俺の罪は何だ?」

ここで立ち止まったパピヨンは、なおも声高に詰め寄った。

このときの裁判長の反応こそ、冒頭の言葉である。

「お前は人間が犯し得る最も恐ろしい犯罪を犯したのだ。では改めて起訴する。人生を無駄にした罪で」

それを聞いたパピヨンは視線を下に落とし、「有罪だ」と呟いた。

「そして、刑罰は死刑とする」
「有罪だな」

その罪を受容するパピヨンが、砂漠の一画にあって、繰り返し洩らすのだ。

「有罪だ・・・認めるよ」

本作の中で最も重要なメッセージを含む一連のシークエンスが、こうして閉じていった。

「人生を無駄にした罪でお前を起訴する」

恐らく、このメッセージを伝えるための映画だった。

この映画は、「人生を無駄にした罪」によって裁かれる男の物語なのだ。

それが、私の率直な感懐である。

以下、もう少し、このテーマの意味をフォローしていこう。



2  「価値観」の差が顕在化したラストシーンでの別離の意味



映像はその後、パピヨンの命を賭けた不屈の戦いを描き出していく。

生還率の低い恐るべき独房の閉鎖空間の中で、パピヨンは必死に命を繋いでいくのだ。

「与えられた物は、何でも食わないと。体力を保つんだ」

そう言いながら、腕立て伏せをして命を繋ぐ男が、そこにいる。

しかし、先の「悪夢」から覚醒したパピヨンは、ドガを庇った罪で光を遮断される懲罰を受けるに至った。

「俺を見ろ。虫を食ってるぜ。雨にだって打たれっぱなしで平気だ」

開けられた天井に向かって、叫ぶ男。

パピヨンだ。

不屈の戦いは継続されているのだ。

ゴキブリを食う男。

白髪になり、すっかり歯が抜けてしまった男。

それでも、この男は、自分にココナッツを差し入れたドガの名前を最後まで白状しなかった。

しかし、生命の危機に晒されたこの男は、ドガの名を白状する寸前の心理にまで追い詰められていく。

「所長に会わせてくれ。話したいことがある」とパピヨン。
「差し入れた男の名前を言え」と所長。
「済まないな、所長さん。名前を覚えていた。覚えていたんだ、本当に。だけど、どうしてか、頭の中がゴチャゴチャになったんだ。必死に頑張っているけど、名前を思い出せなくてな。ウソじゃないぞ、思い出せない。忘れちまった」

パピヨンはギリギリのところで堪え切ったのだ。

「死が近い」

それが、所長の捨て台詞だった。

更に2年間も延長されてしまう独房生活が、再び開かれたのである。

―― 「人生を無駄にした罪」と「ドガの名を白状する心理の克服」という、この二つの描写の挿入こそ、最も重要なメッセージを包含するシークエンスである。

その後の物語で展開される、緊張感のある「脱獄譚」については、本稿の趣旨とは乖離するのでフォローしない。

ここでは、以上の問題意識を持って、ラストシーンにおけるパピヨンとドガの別離の意味を考えたい。

一度観たら決して忘れることのないラストシーンの、圧倒的な決定力。

全く性格が異なる二人の男の究極の選択、そして別離。

私が思うに、この二人の究極の選択の差は、単に「自由への渇望」や「勇気の問題」の差ではなく、何よりも「価値観」の差であると言えるだろう。

こういうことだ。

既に待つべき者を失った場所に戻ることで、約束されない幸福を手に入れる生き方よりも、家畜を育て野菜を栽培することで、自分一人が生きていくに足る生活が保証される人生に価値を見い出した者と、待つべき者の有無とは無縁に、「人生を無駄にした罪」を内化し、それを克服し得る人生を検証する生き方を保証・確認し得るフィールドに相応しい場所を探すという、主体的な自己選択の価値の差でもあった。


言うまでもなく、前者がドガであり、後者がパピヨンである。

パピヨンにとって、与えられた絶海の孤島で、家畜を育て、野菜を栽培するという人生を選択する行為は、「人生を無駄にした罪」を内化し、それを克服し得る人生を検証する生き方にはならないのだ。

彼は、彼の人生を無駄にした場所に戻り、そこで市民権を獲得するのが不可能であったら、然るべき場所を選択し、そこで堂々と市民権を獲得することで開いていく人生の、その予約されない振れ方のうちに、「人生を無駄にしない生き方」を検証し得ると考えたのだろう。

そう把握することで、私はまさに本作は、この映画の脚本を書いた一人の映画人の壮絶な生き方を想起したのである。

以下、その人物について言及してみたい。



3  「無駄な人生を蕩尽してきた」とイメージさせるに足る、ネガティブで暗鬱な日々を抜けたとき



前述したように、サン・ジョセフ島の懲罰房での、この一連のシークエンスの中に、この映画のエッセンスが凝縮されていると私は考えている。

「人生を無駄にした罪」という、裁きを受ける「悪夢」のシークエンスだ。

このシークエンスが挿入されたことで、本作は、フラットな「脱獄譚の娯楽映画」の水準を優に超えたと私は考えている。

それほど重要なシークエンスだった。


パピヨンは単に「自由へ逃走」の故に、命を賭けた脱獄行を重ねてきた訳ではないのである。

些か奇麗事の言辞を弄すれば、彼はまさに、「ケチな犯罪者」という前半生の生き方を内省することによって、「無駄な人生を蕩尽した時間」を包括的に超克できるような〈生〉を構築するためにこそ、結果的に「絶対権力」との闘争に打って出たのである。

私は以上の文脈のうちに、本作の脚本を書いたドルトン・トランボの波乱の人生を想起せざるを得なかった。

私の知り得る限り、「ハリウッド・テン」(共産党との関連で思想信条差別された10人の映画人のことで、「ハリウッド・ブラックリスト」とも言う)の英雄の一人として、マッカーシズムのスケープゴート(注1)となった彼の人生の航跡は、彼自身が想像していた以上に理不尽であり、不合理なものだった(注2)。

映画関係の仕事を事実上奪われた彼が、ウィリアム・ワイラーらのサポートによって優秀な脚本や原作(「ローマの休日」、「黒い牡牛」)を世に送っても、全ては偽名でのアクセスでしかなかった。

本来の仕事場で、本来の仕事を遂行する機会を奪われた彼の現実は、まさに「無駄な人生を蕩尽してきた」とイメージさせるに足る、ネガティブで暗鬱な日々であったに違いない。

荒れ狂うマッカーシズムの激浪は、「ハリウッド・テン」以降にピークアウトを迎えていく時代の渦中で、いよいよ映画人の仕事の復元は困難になっていったのだ。

そこにしかない本来の場所で、本来の仕事を遂行する日々を待望し、その希望を捨てなかった故に、かつて何度も発禁処分の憂き目に遭った、自らが上梓した反戦小説である、「ジョニーは戦場へ行った」の映画化に踏み切っていく。

最初にして最後の、その監督作品こそ、人生を諦めなかった男のライフワークとして結実したのだ。

非米活動委員会・聴聞会でのドルトン・トランボと
その2年後に、本作の脚本を書き、更にその3年後に、ドルトン・トランボは逝去するに至った。

享年70歳。

その彼が、本作の冒頭シーンで、フランスの刑務所長の役を引き受け、以下の台詞を結んだのである。

「今からお前たちは、フランス領ギアナへの流刑となる。刑期を終えても8年以上刑を課せられた者は植民地の開拓者として働け。祖国フランスはお前たちを切り捨てた。祖国のことは忘れろ!」

大勢の囚人を前にして叫んだ、フランスの刑務所長(ドルトン・トランボ)は、彼の敵対者だったジョセフ・マッカーシーになぞらえていたようにも思えてしまうのだ。


更に、一連のシークエンスの中で、遂にドガの名を白状しなかったパピヨンの、「迷った末の懊悩」こそ、エリア・カザンに象徴される、「ハリウッド・テン」以降の、1951年のアメリカ下院非米活動委員会での第二次喚問で証言を拒否できなかった映画人たちの、言語を絶する苦衷の際(きわ)を表現する心象風景を鏤刻(るこく)したものだったに違いない。(詳細は注釈に記述)


フランクリン・J・シャフナー監督
詰まるとろろ、本作はドルトン・トランボの映画だったのだ。



(注1)以下、陸井三郎著の「ハリウッドとマッカーシズム」からの引用。


「ローソンが議会侮辱罪に問われて、証言席から引きずりおろされたあと、続いて立ったドルトン・トランボも、やはりステートメントを読み上げるのを許されないため、彼は『私のステートメントのどこに、当委員会がアメリカ国民をまえにして読まれて恐れるところがあるのか、知りたいものだ』と講義する。

トランボはさらに、自分の書いた20本ほどのシナリオを委員会にもちこんで、テーブルに積みあげ、そのなかのどの一行に共産主義陰謀の文字があるのか、委員会は証明してみせる責任がある、とも迫った・・・・

しかし、トランボは結局、64ドル質問(当時ラジオ番組で流行ったクイズの賞金額の最高額が64ドルだったので、とどのつまりの質問=共産党員か否か、の質問ということ)までいかないうちに、スクリーン作家ギルドの会員かどうかまできたところで、侮辱罪に問われ、かれは『これはアメリカ強制収容所の・・・・はじまりだ!』と叫びながら強制退去させられる(ただし、この言葉も公式議事録にはあらわれない)」(「ハリウッドとマッカーシズム」陸井三郎著 現代教養文庫より/筆者段落構成)

(注2)1975年、新聞のインタビューに答えたときの、トランボの言葉がある。

「ダルトン・トランボは『ハリウッド・テン』の中の最も有名人といわれているが、当時を回想して1975年、『ニューヨーク・タイムズ』の記者にこう語っている。

『われわれは勝つだろうと思っていたわけですよ。1950年の夏、マフィーとラトリッジという二人の最高裁裁判官が亡くなりましたが、惜しいときに惜しい人を亡くしたもので、かれらが死ななければ、われわれは勝訴していたに違いないのです。

もしわれわれが、ああいう立場をとったのでは、15年、20年と職を奪われ流人とされることを前もって知っていたら、もしかしたら違った行動をとっていたかもしれませんよ。本当の意味での英雄は、1951年の第二次喚問で証言を拒否した人たちです。なぜならかれらは、職を失うことになると、はっきり知っていたからです』」(「眠れない時代」リリアン・ヘルマン著 小池美佐子訳 ちくま文庫「訳者あとがき」より/筆者段落構成)

(2010年11月)





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