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2011年12月22日木曜日

破戒('62)         市川崑


<自己ののサイズに見合った〈生〉に反転させつつ、選択的に掴み取ろうとする男の痛切な物語>



1  「差別的原作」を屠る印象づけによって構築された物語の、感動譚の連射の瑕疵



この映画の最大の瑕疵は、物語を感動的に描き過ぎたことだ。

監修者として本作に参画した「部落解放の父」・松本治一郎(初代部落解放同盟執行委員長)への過剰な配慮が災いしたためなのか、或いは、緑陰叢書(りょくいんそうしょ・藤村が興した出版社)の第一篇として自費出版した若き島崎藤村の原作が、全国水平社の圧力で遂に絶版に追い込まれたという経緯を知悉(ちしつ)するが故にか、明瞭に「差別的原作」と切れた脚色を施す物語を構築したが、どうもそこだけは市川昆監督らしくなく、観る者の情感を激しく揺さぶるような感動譚のエピソードを、「同志」である愛妻の和田夏十(わだなっと)の秀逸な脚本を得て、ある種の戦略性を持って意識的に作ったとしか思えない演出が気になったのは事実。

それ故、基幹テーマ性と映像構成の不即不離の睦み合いの濃度において、映像構築力の完成度の高さのみに限定すれば、「映画作品」としての本作の評価は、私の中では決して高いものとは言えないのである。

島崎藤村
提示された基幹テーマの深刻さを、感傷的なBGMなしでも充分感銘深かったにも関わらず、決して粗悪ではなかったにしても、観る者が予約した情感濃度に合わせるように、芥川也寸志のマイナースケールの音楽を流しっ放しにしたり、「予定調和」の軟着点のうちに自己完結するに至る、些か諄(くど)いほどの感動譚の連射は、屋上屋を架す負の効果を累加させたばかりか、「差別的原作」を屠る印象づけによって、「社会主義リアリズム」という表現方法に則した妥協性が、あからさまに垣間見えるような作品に仕上がっていたといったら言い過ぎか。

それにも関わらず、私はこの作品は嫌いではない。

そんな曰くつきの映画を、昔から繰り返し観ても、溢れ返る涙を抑えられない程に、本作は私の中で鮮烈な記憶に残っている一篇なのだ。

個人的な好みの次元で言えば、同じ市川昆監督による、「こころ」(1955年製作)や「炎上」(1958年製作)の主人公のように、煩悶し、煩悶し、煩悶し抜く人生の断片を拾い上げる映画がたまらなく好きなので、どうしても、その類の映画を観ると、抑えても抑え切れない情感が込み上げて、不覚にも、液状のラインが頬をだらしなく騒がせてしまうのだ。

私の中では、殆どそんな映画は稀有な部類に属するが、このあまりに著名な映画は、その種の典型的な作品となっている。

市川昆監督の作品に限定すれば、「炎上」でもそうであったように、本作でもまた、幾分、過剰演技が鼻に付いたものの、主人公を演じる市川雷蔵の精緻な内的表現力の圧倒的な支配力が、私の胸元に突き刺さって来るほどのレベルにまで届いているからだ。

雷蔵は素晴らしい。

それが、私の本作に対する率直な感懐である。

以下、著名な原作から離れて、ここでは、若き日に初めて観て、その後、繰り返し観返している本作についての批評を短観的にまとめていきたい。



2  煩悶し、煩悶し、煩悶し抜く半生を強いられる青年教諭の防衛戦略



市川昆監督
市川昆監督の多くの映画がそうであるように、本作もまた、困難な状況に捕捉された自我の内面を精緻に描き切っていて、由々しきテーマ性の提示を包括した映像の訴求力には抜きん出るものがあった。

「炎上」と同様に、このような役柄を演じさせたら、一級の表現者に成り得る力量を検証した感がある市川雷蔵が演じ切ることで、心の琴線に触れるのに充分過ぎる余情があった。

仮に、この映画が猪子蓮太郎(いのこれんたろう)を主人公にしていたら、殆どその生き方において、非の打ちどころのない「部落解放の英雄」の短い人生を自己完結した、単なるスーパーマン映画に堕してしまったであろう。

「お父っつぁん、丑松(うしまつ)は誓います。隠せという戒めを決して破りません。たとえ、如何なる目をみようと、如何なる人に巡り会おうと、決して身の素性を打ち明けません」

これは、部落民である事実を決して誰にも話すなという、父の戒めを守り通すことを決意した、本作の主人公である瀬川丑松の言葉。

瀬川丑松にとって、この誓いは、自分の弱さを隠し込む格好の防衛戦略でもあったと言える。

誠実だが、ごく普通の脆弱さを有する、そんな若者が主人公であるが故にこそ、この映画の提示した由々しきテーマ性の包囲網が、観る者の心に反転する捕捉力を敷き詰めていくのである。

小学校教諭であるという知識階層に属している瀬川丑松が、非差別部落民の解放を声高に唱道する猪子蓮太郎を畏敬しながらも、その崇高な思想性に感情・行動ラインのパワーが全く追いつくことが叶わない内的状況の辛さは、極端に抑圧され、圧迫されるように感受する大状況下にあって、ごく普通の脆弱さを有する己が自我を、自らが納得できるラインまで統合できない苛立ちと不安を一身に背負い込んでいるのだ。

自分の弱さを隠し込んで生きる者の防衛戦略を貫徹するには、負の記号の一切を隠し切る狡猾さを欠如させる若者の誠実さが、常に厄介な障壁と化していて、生来のナイーブ過ぎるアンテナ網は却って過敏に反応してしまうのである。

それは、そこにしか辿り着かないような、決定的な「破戒」への運命の行程をなぞっていくように見えた。


誠実な若者の内側で累加された葛藤の重量感は、近未来の死を覚悟して、隠れ蓑を持たない日々を繋ぐ、崇高なるスーパーマンと物理的に最近接することで、いよいよ若者の内的状況の酷薄さを増幅させ、弥増(いやま)すばかりだった。

そのような内的状況を、「自我の微分裂」という概念で把握しておこう。

「自我の微分裂」とは、難しく言えば、こういう風に説明できるだろう。

即ち、個人の形成的な感情のボリュームゾーンが、特定的な「問題意識」にまで成長し、その「問題意識」が知的過程に踏み込んでいった所産としての一定の「思想」と、その「思想」が生活前線に下降していくときの感情が、ほぼ矛盾なく共存し得る心理の様態と決定的に乖離しているような内的状況である。

丑松の苦悩の根柢に横臥(おうが)している苛酷極まる風景は、この類の閉塞的な内的状況であり、それを私は、「自我の微分裂」と呼んでいる。

言い回しの難しさで煙に巻いたかの如き、この概念が意味する現象を大袈裟に考える必要など全くない。

苦悩する瀬川丑松
多かれ少なかれ、精緻な知的過程に踏み込んでいくか否かに関わらず、それが厳密な理知的世界での深刻さの多寡とは無縁に、この類の矛盾を、避けようももなく、皆どこかで「人生上の問題」として抱えているのだ。

ただ、負の記号の一切を隠し込む人生を選択せざるを得なかった丑松の場合は、彼が捕捉されていた大状況の、個としての人格の総体を呆気なく押し潰す程の圧力が、当時の時代相応の、相当程度の暴力性を内包していたという由々しき事態の有りようを常識化し、常態化していたということ。

これが極めて厄介だったというに過ぎないのだが、然るに、この厄介さのイメージは、プロミンの開発を認知してもなお、国民国家による強制隔離政策を廃絶しなかったという意味で、我が国の差別の前線の極北とも言える、ハンセン症者の人たちの現実の懊悩にすら届き得ないと思わせるに足る、「平和憲法があるから、戦争が起こらない」と本気で信じる時代に呼吸を繋ぐ者たちの、驚嘆すべきチャイルディッシュな発想の中からは、とうてい、そこに潜むドロドロのリアリズムの内実に肉薄し得ないだろうと言わざるを得ないのだ。

主人公の瀬川丑松の苦悩には、より誠実に生きようとする者が、そのような状況に置かれたら、懊悩を深める内的惨状を晒すだろうという心理的説得力があった。


だから彼は、煩悶し、煩悶し、煩悶し抜く半生を強いられるに至ったのだ。

しかし、この微分裂した自我の惨状は猪子蓮太郎の死によって自壊するか、それとも、ほんの僅かな跳躍によって、より統合性を有する方向に向かっていくかに関わる、蓋(けだ)し決定な局面を迎える事態を回避できなかったのである。



3  自己ののサイズに見合った〈生〉に反転させつつ、選択的に掴み取ろうとする男の痛切な物語



以下、蓮華寺に丑松を訪ねて来た、猪子蓮太郎の決定的に重要な長広舌。

「部落民である私たちに同情を寄せて下さる方々は沢山あります。私たちはその同情を有難くお受けします。世間一般の方の中に理解者があり、同情者があることが、何にもまして、私たちを力づけてくれるものだからです。しかし、私はいつも気をつけているのです。同情を求めるあまり、乞食のように憐みを乞うような気持に成り下がることをね。そして、更に気をつけています。乞食に成り下がるのを警戒するあまりに、素直な同情心をも撥(は)ねつける、頑なな人間ににならないことをね。私は充分の上にも、充分気をつけていたのですが、またどこかで過ちを犯したようです」

相手が自分の果敢な行動の「善き理解者」であると知った猪子蓮太郎の訪問によって、負の記号の一切を隠し込む人生を選択したつもりの瀬川丑松は、全てが反故にされる恐怖の前で立ち竦み、翻弄されるのだ。

「寒い所をお訪ね下さいましたのに、あなたが探しておいでの人間ではなくて・・・すいません」

そう言うなり、崩れいく丑松の断崖を背にした心境は、もうこれ以上、隠し込む人生を延長できない辺りにまで追い詰められていた。

まもなく、政治絡みのテロに遭って、猪子蓮太郎の「闘う人生」は終焉する。

猪子蓮太郎の死に震撼し、煩悶の極点に達した丑松は、それ以外にないであろう、彼の自我のサイズに合わせた行動を選択する。


生徒の前で謝罪し、教諭を辞し、旅に出るという選択だった。

なお煩悶した挙句、猪子蓮太郎の後継者になるという丑松の究極の選択的行動には、猪子の殉死が決定的な推進力になっているのは明白だったが、そこに至る内的過程は、彼の内奥での「自我の微分裂」による自死への恐怖を突き抜けるに足る、苛烈なるも、由々しき葛藤の前線を露わにするものだったと言えるだろう。

その由々しき葛藤の前線において、何よりも、生徒の前で謝罪する青年教諭の裸形の相貌を身体表現するに至ったこと。

それは、丑松の煩悶の内実をほんの少し浄化し得るような、自己変容に関わる決定的な身体表現だったのだ。

先程の文脈で言えば、「思想」が生活の前線に下降していくときの感情が、ほぼ矛盾なく共存し得る心理の様態と決定的に乖離しているような内的状況を、彼なりに溶かし始めた果断なる振舞いだったとも言える。

今井正監督による「橋のない川 第二部」(1970年製作)を糾弾し、多くの者が肝心の作品を鑑賞していなかったと言われているにも関わらず、上映阻止闘争を行使した悪しき「正義」の事例の原点とも言える、島崎藤村の原作を絶版に追い込んだ事実を誇る行為に象徴されているように、「悪いことをしていないのに、生徒の前で土下座して、謝罪する行為は許し難い」と糾弾して止まないイデオロギーによって、完全武装したと信じる者たちには、殆ど「馬の耳に念仏」と化したかの如き、「丑松思想」とラベリングした「敗北主義の宣言」にしか捉えられないだろう。

しかし、人間の脆弱さを内面的に描いても、「克服史観」を前提にした、手に入れるべき思想的達成なしに、ダラダラと繋ぐようにしか見えない類の、人間の心の奥深くに潜む葛藤の表現を全否定する、「前衛」たちとの交叉は灰燼に帰すだけである。


はっきり書くが、糾弾された原作のように、丑松が猪子蓮太郎の「後継者」を宣言しなくても一向に構わないし、生徒の前で土下座した後、アメリカに遁走しても一向に構わないのだ。

却ってその方が、被差別部落出身者が置かれた理不尽な状況性が鮮明になると考えることも可能ではないか。

大体、「差別の前線での闘争を通じて、総括的に己が思想の脆弱さが克服されていく」表現こそが唯一の芸術表現である、というような狭隘な把握自体、「社会主義リアリズム」の致命的瑕疵であると言っていい。

このような表現の制約を形式的に繋いでいけば、「社会主義リアリズム」という表現方法が硬直化し、いつしかそこに、「生命の息吹」すらも喪失することは必至であるだろう。

それが、芸術の自在性を許容しないプロパガンダ芸術の宿命であるに違いない。

猪子蓮太郎の志を継ぐという丑松の表現は、少なくとも観念的には、断崖の際(きわ)に追い込まれた状況下での自己規定宣言であり、同様に、生徒への謝罪もまた、新たな人生を切り拓く意思を表現する分岐点と情感的に決意した男が、「自我の微分裂」による負の記号の一切を隠し切る狡猾さと訣別するための自己表現であると考えれば分りやすいだろう。

彼はスーパーマンではないのだ。

スーパーマンではない多くの普通の自我が、このうような苛酷なる状況下に置かれたら、その自我を微分裂されながら煩悶し、深々と懊悩する姿を、先述したような映像構成の瑕疵を内包しつつも、恐らく、戦略的な意図の元に市川昆監督は描き切ったのである。

だから、そこにこそ、普遍性を持ち得る映像の力が検証でできるのである。

従って私は、本作を部落差別という、特定の「差別の前線」の物語としては受け止めない。

部落差別と同様に、様々な抑圧的状況に捕捉された者が、その苛酷なる状況下で内面的に懊悩し、煩悶し、煩悶し抜く時間を延長し続ける閉塞感の中でギリギリに堪え切って、そこから自己ののサイズに見合った〈生〉に反転させつつ、なお誠実に生きる人生の固有の航跡を恐々と、しかし選択的に掴み取ろうとする男の痛切な物語として受容しているからである。

(2012年1月)

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