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2008年11月19日水曜日

ベニスに死す('71)    ルキノ・ヴィスコンティ


<エロスとの睦みの内に老境を突き抜けて>




1  海からの風の冷たさに身を寄せるようにして



一艘(いっそう)の豪華客船が、朝焼けの美しい風景の中にゆっくりとした律動で、静寂な海洋の画面を支配するかのように、薄明の時間が作り出す柔和な色彩の内に、その堂々とした存在感を乗せていく。

マーラーの交響曲第5番第4章のアダージェット(ゆるやかな演奏)が、その短調の旋律をゆっくりと運んできて、観る者にいつまでも余情を張り付けたまま、マイルドな風景の中に溶け込んでいくかのようだ。1911年のことである。

甲板に初老の男が一人、海からの風の冷たさに身を寄せるようにして、本を読んではそれを閉じ、物憂げな表情を浮かべている。

男の名は、グスタフ・アッシェンバッハ。ドイツの著名な作曲家である。

彼は今休暇を取って、ベニスの港に着くところだった。

船上から見るベニスの風景は、まさに水の都。揺蕩(たゆた)っている船から見ると、建物が揺れているように見える。

ゴンドラに乗り換えて、サンマルコに立ち寄って遊覧船に乗るつもりの彼は、狡猾な船頭とひと悶着。ベニスの港リドに着くことになった彼の表情から、終始苛立ちと不安の感情が炙り出されていた。

このファーストシーンで映し出された老作曲家の物憂げな表情の内に、既に映像のモチーフが滲み出ているようだった。



2  タッジオの視線に捕捉されて 



ベネチアのリド島
リドに着くや、アッシェンバッハは風格のあるホテルに部屋を取った。

「最高のお部屋をとりました。いかがでしょう?海もよくご覧になれます。でも今日はお天気がどうも・・・明日は良くなります」

ホテルのボーイの説明に、彼は全く反応しない。支配人がやって来て、挨拶しても無反応。彼は部屋の窓を開けて、海辺の風景を見渡していく。潮騒に混じって、観光客の声が聞こえるだけだった。

―― アッシェンバッハは、ドイツの自宅のソファに横たわっていた。

顔色が悪く、彼の友人アルフレッドがドクターに診断を仰いでいた。

「大丈夫です」
「仕事はいつ頃から?」
「それはまだ何とも言えません。心臓が余り丈夫ではないし・・・仕事から離れて当分の間、休養が必要です」

その休養をとるために、アッシェンバッハは自室にこもっていた。

ピアノを優しく奏でる友人のアルフレッドに、彼は語っていく。

「父の家にも砂時計があった。砂の落ちる道が非常に狭くて、最初はいつまでも上の砂が変わらずに見える。砂がなくなったことに気づくのは、お終いの頃だ。それまでは誰も殆んど気にしない。最後の頃まで。時間が過ぎて、気がついたときは既に終わってしまっている」

アッシェンバッハの回想シーンである。

彼はそもそも、なぜベニスにやって来たのか。

回想シーンにあるように、健康上の問題だけではないことが分る。

トーマス・マン
因みに、本作の原作となったトーマス・マンの同名小説の中で、その冒頭にこんな文章がある。

「ことに、生涯もおいおいと残りすくなになりはじめ、仕事を完成できぬではあるまいかという芸術家としての心配を、すでに単なる気紛れとしてしりぞけることもできなくなってきた・・・」

「自分でもみとめたのだが、これは逃亡の衝動なのだ。遠いところへの、あたらしいものへのあこがれなのだ。解放されたい、重荷をおろし、万事を忘れ去りたいという欲求は、 じつは逃亡の衝動なのである。仕事から逃れよう、かたくなで冷静で、しかも情熱的な日々の献身の場から、逃れようとする衝動なのである」

「しかしながら、国民は彼の手腕を尊敬しているというのに、彼自身は、その手腕をよろこぶ気にはなれないのだ。自分の作品には、あの熱烈にたわむれる気分の表出が欠けているような気がする。この気分の表出こそ、よろこびがつくりだすものであって、いかなる重要な内容、いかなる本質的な特徴にもまして、芸術を享受する人たちをよろこばせるものなのだ」(世界文学全集23 トーマス・マン「ヴェニスに死す」野島正城訳 講談社刊より)


原作を引用するのがルール違反であることを承知で敢えて書くならば、アッシェンバッハのベニス行きは、彼自身の内面的問題に起因しているのである。

映像に戻る。

その夜、アッシェンバッハは、正装してホテルのサロンに顔を出した。夕食のためである。

そこにはホテル専属の楽隊がいて、レハール(オーストリアの作曲家)の代表作である「メリー・ウィドウ」が演奏されていた。

美しいワルツの調べの中で、彼はセーラー服姿の、一人の少女とも思しき美少年を見て、心ときめくような感情を抱いてしまう。

ホテルのサロンでのアッシェンバッハ
少年には家族がいて、そのテーブルに集う人々の中から、彼は少年のみを特定的に追ってしまうのだ。

「『美』?つまり精神的概念としての美かね?」
「それは、芸術家に創れないと言うんだな」
「グスタフ、まさにそうだ」
「では、芸術家の努力は無意味か?」
「そういうことだ。努力によって美を創れると信じているのか?」
「勿論だ」
「美はこのように生まれる。自然に発生するもので、努力とは関係ない。芸術家の自負以前に存在する・・・君の最大の誤りは実社会を一つの障害とみなすことだ」
「そうだ。我々を欺き、堕落させるのが現実だ。時々、こう思う。芸術家は暗闇の中で獲物を狙うハンターだ。何を狙うか、まだ当るかどうかも分らん。だが、現実がそれを照らすことは期待できない。美と純粋さの創造は精神的な行為だ」
「いや、違う。美は感覚だけに属するものだ」
「精神への到達。感覚を通して精神への到達は絶対に不可能だ。感覚への完全な優位を保つことによってのみ、真の英知に到達できる。更に、真理と人間的尊厳へも」
「英知?人間的尊厳?それが何の役に立つ。天才は天からの授かりものだ。いや違う。天から与えられた狂気。自然が送った罪深い閃きだ」
「芸術を悪魔と同一視するのは反対だ」
「君は間違っている。邪悪は必要だ。天才の食料だよ・・・」
「アルフレッド、芸術は教育の最高要素だ。芸術家は手本であるべきだ。バランスと力の象徴でなくてはいかん。曖昧さは許されない」
「だが、芸術は曖昧だ。特に音楽は芸術の中で最もその性格が強い。それが自然科学をも作った・・・」

アッシェンバッハはホテルでの食事中、友人の芸術家、アルフレッドとの芸術談義を回想していた。

そこでの彼は、芸術は「美は感覚だけに属するものだ」と強弁するアルフレッドに対して、「美と純粋さの創造は精神的な行為だ」と反発し、それは努力によって達成可能なものだと信じて止まなかった。

男は現実の世界に戻って、ホテルの支配人に、「この暑さだが、いつまで続くんだ?」と尋ねた。

「ご存知でしょうが、シロッコ(地中海に吹く熱風)は熱帯性の季節風で、火曜からだと3日、金曜からだと9日は吹きます。もし10日経っても止まないときは、21日間も吹き続けます・・・」

稀代の芸術家は、人間の手で支配できない自然の現実的威力の前で、溜息をつくばかりだった。

その芸術家は、今や少年の中に、今までに見たことのないような美のイメージを感じ取っている。

彼の視線は、少年に気づかれないようにその身体を追っている。

タッジオ
少年の名は、タッジオ。

そのタッジオが浜辺で、同世代の仲間と遊んでいる。

タッジオも、初老の男から意識されているのを感じ取っているようだった。それでも初老の男は、浜辺の人込みの中から、少年一人を追いかける。ホテルのエレベーターの中に乗り込んで来た少年に、アッシェンバッハは胸をときめかせてしまうのだ。彼の中で、これまで保ってきた秩序が千千に乱れて、抑制が効かなくなってきた。

彼は部屋に戻って、その名状し難い感情を狭い空間に吐き出していくのである。

「恥ではない。恐怖だ。君に恥辱感などはない。なぜなら感情がないからだ。人間嫌いの逃避者であり、傍観者だ。他人と接することを恐れている。いじけた道徳感が完璧な作曲を妨げている。小さな過失も忌み嫌う」
「私は疲れた」
「そうだ。官能に打ち負かされ、本当の汚れに身を晒せ。それが芸術家の喜びだ。健康など全く味気ないものだ。特に魂の健康はね」
「バランスを保ちたい」
「芸術は個人の道徳と無関係だ。さもなければ、君は最高の芸術家だ。ところで、君の芸術の主流の底には何がある?平凡さだ」

アッシェンバッハは、アルフレッドにやり込められていた。

そんな回想の後で、彼はホテルを発つことを決意した。

ベニスの気候が自分の健康に合わないことを支配人に伝えて、勘定の精算を促したのだ。

食事中、船の用意ができたと報告があり、彼はすぐにホテルを追い出される態度に強く反発した。

明らかに、彼の中で抑制の効かない葛藤が生じているのである。

アッシェンバッハがホテルを去ろうとしたその瞬間、タッジオが自分の眼の前を通り過ぎて行った。

タッジオを見入るアッシェンバッハ
少年は擦れ違いざま、自分に視線を投げかけてきて、微かに笑みを零したように見えた。

「タッジオ、もうお別れだ。幸せに」

男は誰も聞こえないように、そう呟いて、ホテルを後にした。

駅に着いて、列車に乗り込もうとしたアッシェンバッハに思わぬ事態が発生した。

ホテルの者が荷物を取り違えたのである。

「戻るまでベニスを発たん」

それが男の決断だった。

彼は再び、リドのホテルに戻ることになったのである。

その表情から、笑みが零れていた。ホテルに戻る船の中で、男は終始ご機嫌だった。

天気は快晴。夏の日差しが男を照射して、その心を解き放っていった。



3   「水の都」に悪臭が垂れ込めて   



ホテルの部屋に戻った男は、その部屋の窓から浜辺の風景を俯瞰している。

浜辺では、水着姿のタッジオが悠然と歩いていた。

男の視線は水着の少年を捕捉する。そのために男はホテルに戻って来たのだ。

男は浜辺に出た。

その浜辺で、男はデッキチェアにその身を預けた。

少年が友人と戯れて、その眩い身体を浜の砂で変色させていた。

男はそれを眺めて、一人で悦に入っている。

少年の家族はポーランドの裕福な家の出身らしく、その母の美貌も際立っていた。家族そのものが、一つの美の世界を形成しているようだった。

ホテルのロビーでは、少年は「エリーゼのために」を弾いている。

そのピアノ曲に誘(いざな)われるように、男はロビーに入って来た。

しかし、彼はそこで支配人を呼び止めて、少し前から気になっていることを質問した。

「どうして新聞に載っていないんだ?ここのことだ。噂は私も聞いている」
「ああ、大袈裟な噂があなたのお耳に入りましたか。伝染病など全く根拠のないことです」
「保健局の公示が方々に出ている。見たはずだ」
「はい、毎年夏になりますと同じ公示が出ます。警察の仕事です。公衆衛生対策の予防処置です。それだけのことです・・・」

アッシェンバッハは、ベニスの町で伝染病が蔓延しているのではないかという噂を聞き、支配人に尋ねたのである。彼自身も体調の不具合を感じていたからだ。

一方、タッジオはアッシェンバッハの視線を明らかに感じ取っていた。

二人が擦れ違うとき、少年は男に小さな笑みを投げ入れたのだ。

一人になった男は、夜のホテルの外の街路で、その思いを始めて刻んで見せた。

「そういう笑い方は止せ。他人にそんな笑顔を見せるな。愛している」

勿論、男の前に少年はいない。

それでも男は、自分の思いを表出して見せたのだ。男の中で何かが崩れ、何かが分娩されてきていたのである。

サン・マルコ大聖堂
そんな男の感情の変化のうねりが高まることに反比例するかのように、ベニスの町は、「水の都」の美しいイメージと乖離する現象を見せ始めていた。

町に悪臭が垂れ込めて、人々が消毒液を撒き始めているのである。

「この悪臭は何だ?町中臭う。何だ?」

男は住民の一人に尋ねても、全く反応がなかった。

異臭の発生に疑いを深めたアッシェンバッハは、偶然貨幣の両替所で、その真相を初めて知ることになった。

初めはごまかす答弁を繰り返した係員は、男の執拗な追及に対して、遂に真相を説明したのである。

「数年前から、アジア・コレラが各地で発生しています。源はガンジス川です。最初はヒンドスタンに広がって、次は東の中国、西はアフガニスタン、ペルシャ・・・お分りですか?」

ここまで聞いて、アッシェンバッハの表情は明らかに暗鬱な気分を滲ませて、静かに頷くのみ。役人の重苦しい説明は続く。

「ペルシャからコレラは隊商のルート沿いに、アフガニスタンやモスクワへ。そこから今度はヨーロッパを横切って、海伝いにシリアの港からツーロン、マラガ、パレルモ、ナポリと広がり、カリビア海に根を下ろしました。

北イタリアはまだ安全ですが、このベニスは無防備状態です。季節風は吹くし、沼は多い。5月には、二人の病死者からコレラ菌が発見されました。一人は船員でしたが、もう一人は八百屋のおかみでした。この事実は秘密にされましたが、次々と死亡者が増えて、今では数え切れない位です。

どの病院でも、空いたベッド一つありません。住民は怯えながら、ただ黙っています。ベニスの住民たちは、観光客によって生活しているからです。観光客のいないベニスは、寒々とした冬より惨めです。すぐお発ちになるのが懸命です。明日まで待たずに。2,3日中に交通が途絶えます」

この話を聞いて、アッシェンバッハは慄然とした。

男は話を聞き終わった後、一つの想像を巡らせていた。

それは、少年の家族にベニスの現実を告げることで、少年と最接近する想像であった。

「突然で大変失礼ですが、一言申し上げます。これは警告です。人々は皆黙っていますが、今すぐここからお発ちなさい。お願いです。タッジオと娘さんを連れて、今すぐにです。ベニスは疫病の町です」
「どうもご親切に・・・」

タッジオの母は、息子を呼び寄せた。

アッシェンバッハのイメージ
その息子の金髪に、アッシェンバッハは優しく手を添えていく。

アッシェンバッハは、イメージをなぞるようにしてホテルの廊下を歩いている。

彼は少年の家族の部屋の前で、立ち竦んでしまった。

「私はどの道を選ぶ?どの道だ・・・」

彼は結局、その家族に警告することができなかった。

しかし、彼は町を立ち去れない。

かつて若き日に、我が子を喪った悲しみを妻と共有していた記憶を回想した後、彼はその若き日の帰らぬ日々を想起したのか、ホテルの理容室に入った。

「あなたは若さを保つ権利があります。失礼ですが、それを取り戻して差し上げます・・・」

彼は理容師に言われるがままに髪を染め、顔に白粉を塗り、唇に紅をつけ、胸には薔薇の花を一輪差してもらった。

「これで、恋もすぐ語れます」

鏡を見て、微笑を浮かべる男がそこにいた。しかしこの場面は、次のシーンで暗転することになる。

ベニスの町は、暗鬱な風景を露わにしてしまっているのだ。

其処彼処で物が燃やされ、消毒の異様な臭いが立ち込めている。

男は白いスーツに着替えて、少年を待っている。

少年が家族と先に出て来ても、男は相変わらず声をかけられない。

男の存在を明らかに認知する少年もまた、反応することはない。

少年の家族は、今や男の行動をいぶかり、少年と近づくことを禁じているようでもある。

それでも男は、少年の後を追う。

後を追って、追って、追い求めるが、男の肉体を蝕むコレラ菌は、男の移動の自由すら奪っていく。

汚れた街角でうずくまった男の顔から脂汗が滲み出て、激しい衰弱の中、男は一人で呻くように笑ってみせた。

デカダンスの罠に嵌り込んでしまったかのような男の内面世界は、抑制の効かない自我を置き去りにして、破壊的な感情だけが暴走してしまっているのか。



4  男の体が最後に放った生命熱量の一滴



―― 男は悪夢を見た。

男が指揮するコンサートで、男は聴衆の非難を受け、激しく罵倒される。控え室に逃げ込んだ男に、今度は友人のアルフレッドが男を難詰するのだ。

「嘘つき、何という詐欺師だ!」
「皆の望みは何だ?」とアッシェンバッハ。
「純粋の美。絶対の厳しさ。形式の純粋さと完全性。そう、感覚の抽象化だ。その全ては消え去り、無だけだ。君の音楽は死産し、君の仮面は剥がれた!」

友人の弾劾の後、不満を抱く聴衆が男の控え室に押し入って来ようとした。

「皆を追い払ってくれ、頼む」

男は妻に懇願した。

「追い払う?君を彼らに引き渡そう」

アルフレッドは、男を笑いながら突き放すのだ。

「アルフレッド、頼む、止めてくれ」

妻は扉を閉めたが、アルフレッドはなお冷酷に言い放った。

「引き渡してやる。彼らは君を裁き、死刑を宣告する!」

男が悪夢から覚めたとき、その表情は芸術表現というステージから完全に駆逐された者の孤独感を炙り出していた。

「英知。真理。人間的尊厳。全て終わりだ。もう、君は自分の音楽と墓に入れ。君は完全なバランスを達成した。人間と芸術家は一つとなり、共に深い底へ沈んだ。君は純潔と無縁だった。純潔は努力で得られるものではない。君は老人だ、グスタフ。この世で老人ほど不純なものはない」

男が覚醒しても、アルフレッドの非難は追い駆けて来た。それは男自身の、心の中の煩悶を言語化したイメージであったに違いない。

まもなくアッシェンバッハは、ホテルのロビーで少年の家族の荷物を確認して、家族がやがてベニスから立ち去っていくことを知った。

男は浜辺を、人の手を借りながら歩いて行く。

コレラ菌に蝕まれた肉体の衰弱はピークに達しつつあった。

デッキチェアに体をもたれ掛けて、それでも男の視線が追うのはただ一点。

友人と浜辺で争っているように見えるタッジオの、伝染病とは全く無縁なその眩い肢体である。

男には少年が弄(もてあそ)ばれているように見えるのか、必死にその動向を追いかける。声を出そうとしても、もう男にはその余力がない。

少年はやがて友人を突き放して、海の中へと少しずつ歩を進め、その身を預け入れていく。

一瞬、少年は浜辺を振り返った。

男はそれが自分に投げ入れられた少年の思いのように見えたのか、微かな笑みを浮かべた。

少年は膝下まで海に浸かった辺りで、その左手を遥か彼方を指し示すようなポーズを取った。

男はそれを見て、自分の左手を上げようとして、少し立ち上がる仕草を見せたのである。

その瞬間、男の体は椅子から転げ落ちていった。

「タッジオ・・・」と、男は呟いたかのようだった。

それは、男の体が最後に放った生命熱量の一滴でもあった。


*       *       *       *



5  「絶対美」の存在様態を嗅ぎ取って



一人の男がいる。

功なり名遂げた音楽家であるその男は、自らの芸術表現を介して「絶対美」を具現化しようとしていた。男の中では、美とは教養を深め、尽きることのない形而上学的な探求という人為主義的で、教養主義的な努力の果てに創造し得る何ものかであった。

だから男は、自らの「絶対美」についての理念を求めて、自分の表現フィールドで切磋琢磨してきた。その結果、男が手に入れた世界は、殆んど虚無に近い老境の空洞感と呼べるような精神世界の内実だった。

「自分は何も達成できていない」

こんな呻きが男の内側から聞こえてきたとき、男は身体の激しい衰弱感を覚えて顔面を蒼白にさせ、創造的熱量をすっかり枯渇させてしまった病理の芸術家にまで堕ち込んでしまったのである。

それは、ひたすら「絶対美」を追求して、遂にそれを手に入れることのなかった敗北の芸術家の悲哀なる逢着点のように見えた。

男は「美は感覚だ」と強弁する友人の批判を受け、辛辣なその批判をなお受容できない内面を引き摺ったまま、異国の地へと旅立ったのである。

その旅のプロセスで見せる男の表情には殆んど生気がなく、世俗との醜悪なクロスの内に、その物憂げな表情は極まっていた。

ベニスに向うゴンドラの中で、男は卑俗な現実の侵入を存分に浴びて、苛立ちを隠せないのだ。

そんな心境下で、美しき水の都にその身を預けた男の内面には、友人との美学論争の記憶が張り付いていて、世俗と理念の狭間で漂流する男の孤独がなお晒されていた。

まさに、そんな追い詰められた心境下にあるとき、それを浄化してくれるかのような芳香を放つ異文化の蠱惑(こわく)に搦(から)め捕られてしまうのだ。

ホテルの夕食を摂るため正装して、身体武装した男の視界の中に、一人の美少年の容姿が唐突に入りこんできたのである。

男の内面が、劇的な変貌を遂げていく契機となる瞬間だった。

男はそのとき以来、少年を追い求めていく。

男の視覚は、少年を捉えるためにのみ機能する何かとなってしまった。

男は少年の中に、既に身体化された、「絶対美」の存在様態を嗅ぎ取ってしまったのである。それは男にとって、あってはならない事態であった。

なぜなら男にとって、「絶対美」は教養主儀の苛烈な達成の向こうに存在するものでなければならなかったのである。ところが、少年はそこに既に、殆んどあるがままの姿を晒すようにして存在し、その存在様態それ自身が美の体現だったのだ。

男にとって少年の存在は、究極の美を目指して努めてきた者の、人工的に完成された身体表現それ自身ではなかった。

然るに、少年は最初から、この世に造型された身体美として放たれて、ナチュラルに振舞ってきた天使のようにも見えたのである。

美についての男の理念の中には、エロス的感覚を媒介するものは存在しなかった。

存在してはならなかったのだ。存在してはならなかったものが、男の視界の中にダイレクトに捉えられてしまったのである。

男は自分の内面世界の中で激しく振幅する現象に翻弄され、切り裂かれ、蠢(うごめ)き、そして一度は、そこで得た未知の世界との甘美なるクロスを断ち切ろうとさえした。

ベニスにその心を鎮めにきた男が、逆にその心を千千に乱れさせ、却ってカオスを深める状況に追いやられてしまったのだ。

男は旅を捨てた。

しかし捨てたはずの旅が、事務的なミスによって捨てられなくなったとき、男は嬉々として旅の継続の選択を固めたのである。

映像は、男の突き抜けた表情の明るさを印象的に映し出した。

少年と再会できる喜びが、男の身体表現の中でもう隠し切れなくなってしまったのである。

男はその直接的な表現を、なお理屈によって固めようとしていたところがある。

「自分は少年に会うためにベニスに戻るのではない。荷物の手違いがあったから、ホテルに戻るだけなのだ」

しかしそんな理屈を砕くに余りあるほどの感情のうねりが、男の内側に澎湃(ほうはい)していて、自分自身それをもう抑制できなくなっていた。

男は遂に少年への愛を口に出す。

勿論、そこに少年はいない。それでも男は、その思いを刻むことで自己規定したのである。

男はその瞬間、自分の中で封印していた感情を認知し、エロスの世界との睦みを果たすその身体を受容したのである。

しかし、男にとってエロスの世界とのクロスは、どこまでも内面的なレベルでの絡みであり、際立って感覚的だが、肉欲的な直接主義にまでには届かない。

男がそこまでの転位に踏み切れないのは、眺めることで枯渇された感覚を充分に潤すことができると考えたからであり、それ以上の越境を果たすことで手に入れる悦楽の内に、爆発的な蕩尽を図る意志を持たなかったからであるとも思われる。

男は老境にあって、その枯渇していく芸術的熱情の在り処を、根柢から問い詰めてもなお得られぬ内面的危機に揺さぶられ、そこで生まれた決定的な空洞感を埋めるべく、ギリギリの身体疾駆を刻むプロセスに於いて、少年に象徴されるエロス的存在の内に、自分が意識的に捨ててきたはずの、感覚のみを重厚に媒介させた「絶対美」の表現形態を存分に感じ取ってしまったのである。



6  老境の際に絡みつくデカダンスの圧倒的求心力



しかし、少年への心身の投入は、同時にデカダンスへの傾斜を深めることになっていく。

老境の際に絡みつくデカダンスの圧倒的求心力に、男の身体が激しく振られていって、いつしかエロスの奥に潜む異界への誘(いざな)いに呑み込まれていくのだ。

それは魔境であり、越えてはならない死への導線だったのである。

男がその旅先で遭遇したのは、「絶対美」を体現するような少年との、異文化的なクロスの衝撃ばかりではなかった。

「死の都」の罠に搦め捕られてしまった男
男にのみ特定的なエロスを標榜させて止まない、芳しき水の都の正体が、実は異臭を漂わせる死の都であるとこを知ったとき、男は既にその非武装なる「死の都」の罠に搦め捕られてしまっていた。

老境の際に棲む者の身体的突破力を、容易に砕く疫病の暴力性の被浴に加えて、男には、その自我が拠って立つものの表現フィールドに於ける内面的危機があった。

その危機が冷酷に削り取った後に置き去りにされた心労の重圧感は、男の全人格を孤絶の境地に追いやっていくのだ。

男にとって唯一の救いは、枯渇した魂に余りあるほどの潤いを投与してくれる美少年の、そのエロス的な媒体の絶対的な存在だった。

この特定的な媒体への感覚的クロスは限定的だが、それでも男にとって、殆んど超越的な自己再生に繋がる確かなラインは、そこでの異文化的クロス以外の何ものでもないのである。

だから、男は町を去れない。「死の都」を去れないのだ。

「死の都」を去ることを断念した男は、自分の生命の残り香のような最終的ステージでの燃焼を、まさに、エロスの香り漂う感覚的クロスの悦楽と引き替えに、確信的に果たしてしまうという矛盾律をなぞっていくしかなくなってしまったのである。

男は生と死の際どい狭間の内に、エロス的な悦楽と存分に堪能する道を選択してしまったのだ。

それは男にとって、老境の最後のステージでの完全燃焼という、一種の自己蕩尽の具現以外の何ものでもなかったのかも知れない。

デカダンスへの自己投入こそ、男がその人生の最期の時間の内に選択した確信的な境地だったのである。



7  エロスとの睦みの内に、煩悶多き老境を突き抜けたとき



ラストシーン―― それはあまりに至福に充ちていた。

少年が遥か彼方に左手を差し出すその仕草は、自分を執拗に追い続けた男との別れのシグナルのようにも見えた。

少なくとも、男にはそう思えたのだろう。

浜辺を振り返った少年の表情を、男は自分に投げ入れた少年の思いとして受容したのである。

男は少年に小さな笑みを返し、自分もまた同じ仕草で応えていく。それは、自分を招き入れる「絶対美」の象徴者を、命の最後の一滴を枯らすまで追おうとする魂の、それ以外にない自己表出であるように見えた。

男の至福が極まった瞬間だった。

老境を突き抜けて、「絶対美」への溶融を果たしたとき、男の生のエネルギーは完全に蕩尽されてしまったのである。男は究極の至福に逢着した瞬間に、殆んど括った境地で昇天したのだ。男は遂に、エロスとの睦みの内に、煩悶多き老境を突き抜けたのである。



8  完璧な映像作家の、完璧なる表現世界の、完璧なる記録



ルキノ・ヴィスコンティ監督
「ベニスに死す」―― これはルキノ・ヴィスコンティ監督の一代の傑作であり、その映像表現の固有なる軌跡の最高到達点であるかも知れない。

家族の肖像」、「イノセント」などと並んで、本作で表現された暗鬱だが、しかし究極の至福に誘(いざな)われたかのような老境の内面世界の寡黙な描写は、殆んど他の追随を許さないほど完璧だった。

若き日に観たときの感情の余情は、自分もまた老境の入り口に差しかかった辺りで観賞したときの、その深いシンパシーの思いの内にそれほど矛盾なく共存できる記憶として、今もそこにある。

主人公の内面に澱むものの圧倒的な呻きや叫びは、孤絶の老境に、何か決定的な生への内実の実感を与ええようともがく男の血の滴でもあった。

これは完璧な映像作家の、完璧なる表現世界の、完璧なる記録であった。

(2006年10月)

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