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2009年8月11日火曜日

ぐるりのこと('08)  橋口亮輔


<決め台詞なき映像を支配したもの>



1  予約された「日常性」が裂けていくとき



1993年冬

「週3日?」

出版社の同僚を驚かせる場面によって開かれるヒューマンドラマの幕は、その同僚を驚かせた女の天真爛漫な高笑いを大写しにさせていく。

およそ不幸とは無縁な印象を与える本作のヒロインが、開かれた映像の中で、出会い頭に、夫婦の「する日」を語って見せたのである。

同年7月。

テレビマンである先輩の夏目から、カナオは「法廷画家」の代役を引き受けることになった。

お蔭で妻との「する日」の時限に後れを取ってしまったのである。

当然、本人にも「する気」がない。

しかし、妻はそんな夫の態度が許せないらしい。

「決めたよね」
「決めること多過ぎるからさ…」
「だって、カナオが決めたこと守らないからでしょ」
「妊娠もしてるし、控えたこといいんじゃ…口紅、してよ…こういうこと言うのも何なんだけどさ、家に帰って来てだよ、あのな、バナナ食いながら怒っている女ってさ、どんな手ずりでも勃起しないよな」
「だからカナオが決めた決めた時間に帰って来りゃ、バナナ食べなくて済むの」
「あのな、すればいいと思ってるんだろ、どこかで。そうじゃないの。お持て成しの気持ちを持ってくれって言っているの」

こんな会話が夫婦の間で交わされて、「今は口紅は無理。今度から」と言って、妻は強引に「する部屋」に夫を招くのみ。

「こういう話は、ちょっと、死んでもいいなぁ位の感じが一番いいんだぞ、お前、横断歩道をスキップして渡ろうよ、赤でも。たまには…」
「普通に歩いて渡ろうよ」

結局、この夜もまた、夫婦は普通に歩いて渡ったのである。

この序盤の導入は、本作の白眉と言っていい。

「性」にまつわる夫婦の関係の様態が、ユーモア含みで赤裸々に描かれることで、夫婦の性格とその行動傾向が如実に示されているからである。


以下、その辺りから書いていく。


出版社に勤務する佐藤翔子(しょうこ)が、夫のカナオとの間で「する日」を決め、それをカレンダーに「×」と記す行為の意味するものは、「する日」には「しないこと」が許されない「×」の日であるということを、敢えて夫婦で共有する「欲望系」の、そのネガティブな前線の様態であるということだ。

翔子とカナオ
「普通に歩いて渡ろうよ」という妻の言葉に象徴されるように、このように妻が、本来的に「非日常」の破壊性(注)をも含む夫婦の「性」を、「衣食住」の「日常性」とほぼ同様の位置づけを与え、それを完全に管理する「秩序」の枠内に閉じ込めてしまうという行為は、仮に妻にそのような行為を選択させるに足る夫の「浮気症」によって、これまで経験的に苦労させられてきた経緯があるとしても、夫の欲望の流動的なラインを壊し、そこに人為的な加工を加えることで「夫婦の性の秩序」が保持されるという、極めて自己基準の極北の如き営為であると言わざるを得ないだろう。

そして妻のこのような振舞いの内に、物事を秩序化された時間のサイクルの中で、順序立てて組み立てていって、常に予約された文脈の延長線上に「日常性」が構築されるという把握=幻想があるのだろう。

だから、この把握=幻想が自壊してしまったら、「日常性」の律動感をも切り裂いてしまうということだ。

翔子が陥った「ウツという地獄の前線」の様態は、まさにこの文脈に皹(ひび)が入った事態を意味するだろう。

と言うより、このような秩序を構築せざるを得ない「四角四面」の思考の持ち主であるが故に、「日常性」の継続力が失われる事態が惹起してしまったら、彼女の秩序が根柢から壊れ、「ウツという地獄の前線」への深々とした侵入を自己防御し得なかったと言えるのだろう。

それは、予約された「日常性」が裂けていくときの恐怖だった。


ジョルジュ・バタイユ
(注)ジョルジュ・バタイユは「エロティシズム」の中で、「性は小さな死である」であると書いている。本作のカナオの台詞の中に、「こういう話は、ちょっと、死んでもいいなぁ位の感じが一番いいんだぞ、お前、(横断歩道を)をスキップして渡ろうよ、赤でも。たまには…」という表現があったのが印象的。



2  ウツという地獄の前線の中枢で



1994年2月。

翔子に悲劇が襲った。

「あ、動いた」と、自分の腹を優しく擦(さす)って、夫と共に夜道を歩いていた翔子とカナオの赤子が産まれた後、亡くなったのである。映像はそれを映し出さないが、カナオが書いたスケッチによって想像できる。

「娘 女の子 子供」というカナオの言葉が入り、左上に描かれた小さな右手が印象的なスケッチを偶然見た翔子が、思わず漏らした一言。

「嬉しかったんだ…言えばいいじゃない…」

饒舌さとは無縁な印象を与える夫にもまた、言葉に出せない思いがあることを、端的に伝える描写だった。

その夜、佐藤夫婦の引っ越しを手伝ってくれた仲間を囲んで、簡単な宴が開かれていた。

そこに一匹の蜘蛛が闖入(ちんにゅう)してきて、その蜘蛛を殺そうとしたカナオたちに向かって、翔子は「止めて!殺さないで」と絶叫したのである。

翔子の心の中の明らかな変化が、映像の中で顕在化した瞬間だった。

零(こぼ)した料理を黙々と片付ける妻と、それを柔和に見つめるだけの夫がそこにいた。

1995年7月。

既に、カレンダーには「する日」のマークが消えていて、カナオが土曜日に開く「絵画教室」の印だけが書き込まれていた。

カナオの「法廷画家」の仕事には余裕が見えてきた。

誰もいない傍聴室に、画家の仕事よりも、傍聴を楽しむ余裕が感じられるのである。

我が子を喪った悲哀を表情に出さない夫に黙って、妻の翔子は中絶の手術を受けていた。その悲哀の奥にある感情は、「産むことへの恐怖」であると言っていい。

彼女のウツが、いよいよ抜き差しならないものに変容してきたことの表れだった。

映像では、既に夫との食卓を準備できず、夫が買ってきたマイコンのポットにも全く反応しないで、ソファーに横になる妻。

「病気じゃないから…」と妻。
「夏バテか。少し休んだら」と夫。
「そーとしなきゃだめなの」と妻。

中絶手術を受けた心の重荷が、彼女を余計に苦しめているのだ。


因みに、アメリカ精神医学会の指針として有名なDSM(精神障害の診断と統計の手引き)-IVによると、ウツ状態の定義は、「抑鬱気分」、即ち、「落ち込みの感情」であり、もう一つは、「興味・喜びの喪失、顕著な減退の感情」である。

要するに、普通の日常生活の継続に支障を来すほど、生活に楽しみを見出せず、感情が麻痺した状態になってしまっているのである。

「大うつ病性障害」になると、これ以外に「食欲減退」、「不眠」、「自殺念慮」、「焦燥感」、「集中力低下」等の症状の中で、ウツの基本定義に加えて複数のものが重なることで疾病の特定が為されるが、本作の主人公のケースは、これらの症状の殆ど全てが現れていたように見えた。

長期にわたって患者を苦しめる「難治性うつ病」のように、服薬でも寛解(症状の軽減)しない厄介なウツに呪縛される危険性もあったように思われるのである。

それでも、真面目な者ほど自分の心の世界の「脆弱性」を見透かされることを恐れて、何とか日常性を堅持しようと頑張ってしまうのだ。

「精神科」に通うことを拒んでいるから、いよいよ内側の懊悩が肥大化し、二進も三進(にっちもさっち)もいかなくなってしまうのである。


翔子のウツは、遂に飽和点に達してしまった。

彼女が勤務する出版社が企画した、「愛の子供たち」の著者のサイン会のときのこと。

「本当の優しさに出会いました。日本中の人に絶対に読んで欲しいです」

こんな感動を、著者に伝える女の子がいた。

そのとき、傍らの翔子の顔が引き攣(つ)った。

その場に居た堪(たま)れない彼女はトイレに入って、気分を変えるつもりだったが、髪が上手に留められず、結局、髪留を外して戻ろうとした。

足早の彼女は幼女と接触して、泣かせてしまったのである。

だが彼女は売り場に戻れず、反転して、書店の書籍の中に顔を埋めて嗚咽するだけだった。

ここで一言。

本作を通して感じたことだが、作り手が主人公に或る種の行動を期待する際に、その行動を惹起させる描写が挿入されるが、それが多分に「作り物的映画」の印象を、観る者に与えるケースが眼についてならないのである。そこでのデフォルメも気になる所だった。

この描写のサイン会における感動アピールのシーンもまた、その例に洩れなかった。

このような描写の導入の過剰は、ウツ状態を加速しつつある主人公の内面をフォローしていく映像としては、極めてシビアなテーマを包含する映像の均衡性を壊してしまうのではないか。そう思われてならなかった。

ともあれ、翔子の心の崩れは、「死」を意識するまでになっていた。

実家に戻っていた翔子は、小さい頃失踪した父が、今は名古屋に住んでいることを知らされ、母から愚痴を零される。

「皆を捨てて、女と逃げて、あんたたち育てるの、どれだけ大変だったと思ってるの?冗談じゃないわよ」

この母の言葉に、翔子は一言呟いた。

「じゃ、殺せば…」

1997年10月

場面の最初に映し出されたのは、「心療内科」の薬だった。翔子が、ウツの治療に通っていることを示すものだ。

近年、多少意識の変化が見られるとは言え、この国では、ウツの治療のために「精神科」に通うことが少なく、本来は内科医の担当である「心療内科」が専門以外の仕事として、職掌外の「精神科」の医療を引き受けているのである。

それを象徴するシーンがあった。

想像力に著しく欠如する、翔子の義姉である吉田雅子が翔子に唐突に尋ねるシーンがあった。

「精神科に通ってるって本当?」
「心療内科です」
「違うの?」

それに反応しない翔子の心を慮(おもんばか)ることなく、歯に衣着せぬ雅子の言葉には、本人の差別意識丸出しの感情が露わになって、翔子の内面を傷つけていく。

「今度、下の子が幼稚園じゃない。身内にそういう人がいると、審査に響くんだよね。大丈夫なの?ただでさえ教育難しいからさ…翔子ちゃん、また子供作ったら?子供いると変わるよ。あたしは悪いもの全部出ていって、心、奇麗になった気がするもん」

翔子の心の闇を理解しようとも思わない、無教養な女が放った棘の切っ先がどれほど鋭利な破砕力を持つかについて、映像は丹念にフォローすることをしない。

何か重要な描写の挿入が必要とされているにも拘らず、この作り手は、確信的にその作業を回避し、敢えてファジーな印象を置き去りにしていくのだ。

その曖昧さこそ、私たちの日常の普通の様態であると言わんばかりであった。

ここで、改めて翔子の心の闇について考えててみよう。

愛児を喪ったこと(その経緯も映像は説明しない)によって、翔子の内側に五つの禁句が生まれたと言えるだろう。

「子供」、「愛情」、「夫とのセックス」、「養育」、「死」がそれである。

蜘蛛を殺すときの反応や、「愛の子供たち」の著者のサイン会でのパニックに象徴されたように、それぞれに纏(まつ)わるシーンで、翔子が顕著な反応を示している描写によって端的に示されていた。

それでも、ウツに罹患(りかん)する多くの患者がそうであるように、翔子もまた禁句にしたもの以外の所で、限りなく普通の日常性を継続しようとした。

当然、そこに無理が生じる。それでも彼女は、無理を押してでも日常性を継続させていくのだ。

このような性格が、このような地獄の前線に拉致された因子であるのに、彼女には彼女なりの秩序の構築が必要であり、それが自壊したら一切が終焉するという大いなる危うさの中で、殆ど綱渡りのような日常性を繋いでいったのだ。

しかし当然の如く、その強引な日常性の構築には皹(ひび)が入り、裂けていく。

そして遂に、ウツという地獄の前線の中枢に捕捉され、彼女の全人格はその根柢において、自壊の危機に晒されてしまったのである。

そこに、若干気になるデフォルメ的な映像加工が見られるが、人の心の脆弱性について、丁寧且つ、精密に描写化された映像の真骨頂は、次章の中でいよいよ冴え渡っていく。



3  受容と再生



それは異様な光景だった。

暴風雨の夜。

仕事から帰って来たカナオが暗い部屋の中で見たものは、窓を開けて外を見遣っている妻の姿だった。その体は明らかにびしょ濡れになっていて、一瞬、言葉を失ったカナオに不吉な感情が走った。

「何してるの?」

妻は答えない。その表情は、深く思いつめて、抑制の効かない感情に翻弄されているようだった。

「風邪、引くよ」

夫がその一言を添えたとき、振り絞るような声で、妻は言葉を吐き出していく。

「あたし、子供ダメにした…」
「しょうがないよ。自分のせいじゃないし、寿命やったんやろ…」
「死んで悲しかった?」
「残念やったと思っとるよ…」
「残念?」

この言葉に刺々しいものを感じた夫は、妻の攻撃性を中和化させようとする。

「何で…すぐ、お前そんなに言う…そういう話、苦手なんよ、知っとるやんか…」

夫は静かに語りかけて、妻との距離を縮めていく。

「泣いたらいい人なのかなぁ、そんなん、あてんならんやろ…俺、親父が首吊って死んだときも泣かんやったし、それよか、あー人って裏切るんやなぁって、そんとき思ったよ。そりゃ、お袋たちはワンワン泣いとったけど、あれは自分を納得させたかっただけのことよ。結局、親父が何で死んだのか、まだ誰も知らんまんまなんやけね。人の心の中は分らんのよ。誰にもね…」

ここまで話したとき、妻の心にどこまで届いたかについて、夫のカナオには特別な計算が働いていない様子が、観る者には容易に察知できる。

そのことが、人の心の反応に鋭敏な妻には、恐らく限りなく効果的だった。

電気を点けて、部屋を明るくした夫がそこで見たものは、この部屋に住みついているかのような(?)一匹の蜘蛛。

妻がその小さな命を守ろうとした蜘蛛を、無頓着な夫は忘れていたのか、いきなり土産の「金閣寺」の箱で叩きつけて殺してしまったのだ。

その瞬間だった。

妻の翔子は、突進していった。

まさにそれは、突進だった。未だ妻には、「突進力」が残されていたのである。

だからこそ、その後の絶叫と攻撃が、それを結ぶ自我から些かの脆弱性を稀釈化させていったのである。

蜘蛛の死骸を確認した妻は、「金閣寺」の箱を手に取って、夫に投げつけた後、夫の髪といわず、顔といわず、思い切り自分の体全体をぶつけていく。夫の頬を打ち、夫も妻の顔を軽く張った。

「ごめん、ごめん」

夫から出てきた言葉だ。

妻は床に繰り返し、嗚咽ともつかない音声を発して地団駄を踏む。

まるでそれは、心の中の毒素を吐き出しているような光景だった。

階下に住む女性が苦情を言いに来たときも、常軌を逸した翔子は口汚い言葉を相手に浴びせる始末。夫はそんな妻の暴走を必死に抑え、激昂する相手に弁明し、謝罪するのみ。

黒々とした感情を吐き出し切った妻は、部屋の片隅に小さく蹲(うずくま)り、嗚咽するばかり。

「どうしていいか、分んない」
「何でもうまくいかんよ」
「本当に…もっとうまくやりたかったのに…でも、うまくできなくて…もう、子供、できないかも知れない…」
「子供のこと、いつも思い出してあげればいいじゃん…忘れないようにしてあげれば、いいじゃないの…お前は、色んなことが気になり過ぎる。考えてばっかり。皆に嫌われてもいいぞ。好きな人に沢山好きになってもらうんだったら、そっちの方がいいやん」

妻の背中を擦りながら、夫は優しく語りかけていく。

いつものペースである。いつものペースだからこそ、嗚咽の中で、妻もいつものペースで思いを吐き出していく。

「好きな人と通じ合っているか分んない・・・ちゃんと横にいてくれているのに、あたしのために…いてくれてんのか分んない」
「大丈夫…何でそういう風に考えるの?」
「何か…何か…離れていくのが分ってんのに…どうしていいか分んない…」
「考え過ぎだって。考えたら、わけ分んなくなるぞ…大丈夫」
「どうして…どうして、私と一緒にいるの?」
「好きだから…好きだから、一緒にいたいと思ってるよ。お前がおらんようになったら困るし。ちゃんとせんでもいい。一緒におってくれ」

妻は、この言葉を待っていたのだ。

確信していたが、それを言葉に出して言ってもらいたかったのである。相変わらず切れ味が悪い夫の言葉だが、しかし、それを言ってもらうことで、次の言葉がスムースに吐き出せたのだ。

「ちゃんとね、ちゃんとしたかったの…でも、ちゃんとできない」
「ごめんな。ごめん」
「ごめん」

妻の症状がピークアウトに達して、これ以上にない感情を吐き出し尽くして、もう吐き出す何ものもないギリギリの所で、自らの全人格を受容してくれる対象人格に一切を預け、そこで得た小さいが、そのサイズこそ自分に見合った最適対象人格であると感受できるイメージラインを身体化したとき、これまで黒々とした冥闇(めいあん)の世界に拉致されていた何かが変容し、それまでのあらゆる経験情報にない何かが、新しく作り出される予感に近いものが、脆弱だった自我の辺りに張り付くようだった。


1998年8月。

某尼寺の茶室。

そこに、少女に抹茶を煎じてもらって、一口飲む女がいた。翔子である。

「おいしいよ」

この一言が、全てを語っていた。

クリニックで紹介された寺院の茶室で寛(くつろ)ぎ、畳敷きの書院で仰向けになって、体を思い切り伸ばす翔子がそこにいた。

まもなく彼女は、寺院から本堂のリフォーム用に、天井画を描いてもらう仕事を頼まれることになった。それを引き受けることだけが、寛解しつつある疾病の恐怖から、完全解放される実感を手に入れることになることが了解できていたに違いない。

夫婦の間に、かつてあったような日常性が復元し、ヘアカットした妻が炊飯し、食事を作り、それを物言わぬ亭主が、穏やかな笑みの中で美味しそうに食べる。

天井画の作業に没頭する妻の、いかにも穏やかな寝顔をスケッチする夫がそこにいた。

2000年5月。

何年ぶりか、「×」のマークのついたカレンダーが遂に復活した。然るにそれは、単純な習慣の儀礼的な復活ではなく、蛇行旋回した果ての結晶であり、まさに「再生」と呼ぶに相応しい眩(まばゆ)い時間の獲得だったと言えるだろう。

妻の存在を絶対に必要とする夫が、トラウマを抱えた妻の懊悩の深い所で共存することの安寧を手に入れたとき、何かが弾け、一切が好転し、起動し、継続力を持った日常性の内に溶融していったのである。

2001年7月。

自然の花々をテーマに描き上げた天井画を、本堂の中枢で、夫婦が仰向けになって眺め入るシーン。

「いいなあ。圧力あるわぁ」

相変わらず、決め台詞のない映像の枠組みを逸脱しないかのような夫の一言が添えられて、仰向けになっ夫の左手と、妻の右手が柔らかに絡み合って、天井画に見入る夫婦。

それが、いつしか夫婦の戯(じゃ)れあいになっていくとき、もうそこには、約束された「絵画療法」の成就が眩い一条の輝きを放っていた。

一組の平凡な夫婦に関わる「受容と再生」が、それ以外にない軟着点を手に入れた瞬間だった。

この章の描写の精密な表現力には、強(したた)かなまでの完成度の高さが感じられ、映像総体の骨格を支え切っていた。

暴風雨のシークエンスが圧巻だったのは、気の利いた言葉の連射によって相手を受容するという、往往にして垣間見られる安直な物語に流れ込むことなく、人間の心理の真髄に肉薄する会話と動作のリアリティが、緊張感溢れる呼吸音を観る者に伝える表現力によって補完されていたからである。

このシークエンスの成功が、その後のストーリーラインの流暢な展開を導き出したと言っていい。

説得力ある心理描写と、リアルな状況描写の成功こそが、映像の完成度の高さを保証したのである。



3  切り捨てられた市井のスーパーマン



翔子の出版社に勤める編集者の面々は、どこにでもいるような普通のサイズの市井の庶民であり、ウツの兆候の出てきた彼女は、何気なく注意した若い社員に感情的に反駁(はんばく)され、防戦一方。

彼女の困惑を察知するベテラン編集者も同僚も、誰も「シュガー社員」(社会人に成り切れない若い社員)の切れる若者を止められないのだ。本職の編集で訳知り顔の講釈をしていたベテラン編集者に至っては、その場凌ぎの言葉を遠慮げに投げ入れるや否や、早々と退散する始末だった。

普通、こういう場面では、上手に「場」を収める年輩が存在するのだが、この映画には最後まで「市井のスーパーマン」が出現しないのである。

但し、あまりにその写実が過剰過ぎて、「あり得ない」と思わせるほどの下品さをも、本作は映し出してしまった。

翔子の実兄である、不動産屋の吉田勝利が、子供を喪って心配する反面、自分のビジネスの世界で出来した焼身自殺の話を、妹の前で電話をするという無神経ぶり。

その妹が、引っ越し予定のアパートの部屋のベランダの手すりに身を投げ出している姿を見て、慌てるシーンには、「こんなことは普通に起きるだろう」という範疇のエピソードだったが、余分なことに、その妹を連れ、行きつけの定食屋に行った際の、聞えよがしの不動産屋の乱暴な会話は些か度を過ぎていなかったか。

「声が大きい」

その妹の注意に、兄は、「いいんだよ。見てみろよ。客なんか一人も来ていないだろ!」と言い放ったのだ。

その言葉に切れた定食屋の息子は、不動産屋の汁物に自分の唾をたっぷりと入れたのである。この描写の下品さは、市井の民の「ありのままの日常性」を意識し過ぎた故の映像が、些か調子に乗り過ぎて独り歩きしてしまったという印象を受ける。

また、徐々に法廷画家の仕事に馴れていったカナオの仲間たちにも、彼らと付き合う中で、その風采に見合うかの如き世俗丸出しの人柄を露わにして、見事にそのナチュラルな表情を写実していく。

例えば、ベテラン法廷画家の吉住との会話。

「あんた、子供は?」と吉住。
「吉住さんは?」とカナオ。
「面倒くさい」
「奥さんはいらっしゃるんでしょ?」
「弾み。面倒くさい。そんなに面倒くさいなら死ねばーて、言われているよ」
「何て、返されるんですか?」
「死ぬのも面倒くさい」

また、社会部記者の安田は、当時5歳の娘を交通事故で亡くしていて、それ以来、奥さんと別居している人物。休みになると交通刑務所に行って、受刑者の声を塀の外で聞いていると、吉住はカナオに説明した後、「屈折しているだろう?」と笑いながら語りかけてくる。

「屈折してますね…」とカナオ。

その屈折の心理にまでは届かないが、自分もまた赤子を喪って間もないのである。

だから笑いによって返せないのだ。

「ま、色々あるわ」

この吉住の言葉が語るものは、「どんな人間にも事情を抱えている。それが人間だ」ということに尽きるだろう。

因みに、交通事故による業務上過失致死事件の東京地裁の判決裁判で、「禁固2年。執行猶予5年」という判決を言い渡した裁判長に対して、憤慨する態度を露骨に示した安田記者のシーンには、なお屈折した感情の延長上に、新聞記者という極めて社会性を有する仕事を継続させることの難しさを描いていて、そんな男とクロスする当該裁判での仕事が法廷画家の第一歩となるカナオにとって、多くの人生模様を包含するその仕事を引き受けるということは、「間近で覗き見する人生のレッスン」という意味を多分に持つ貴重な経験学習を重ねていくものでもあった。

また、コンパニオンの仕事をしていたという吉田雅子(翔子の義姉)は、夫を平気で足蹴りにする女。下品であり、男勝りであり、相手に対する想像力の欠如した喰えないキャラクターだが、その自然体の振舞いは、刺々しいまでの毒気を放つ攻撃性をも吐き出していく。

「別に一緒に住みたい訳じゃなくて、お金がないから家を売るって言う話じゃないの」

これは、「あんた、あたしと住めるの?あたしは嫌」とはっきり言い切る翔子の母、吉田波子の正直な吐露に対する雅子の反応だ。何とか実家を転売して、少しでも広い新居で同居しようとする雅子のストレートな感情と、それを拒絶する義母の葛藤が底流に渦巻いていた。

負けん気の義母に対して腕を組んで抗弁する女、それが雅子の裸形の人格だった。

それはまさに、妹から「声が大きい」と注意されても平気で悪態をついて、汁物に唾をたっぷりと入れられる不動産屋の夫と、似た者夫婦を継続させる相性を身体表現するものであったが、それでもこんな夫婦がどこかで上手に補完し合う賢明さを発現しなければ、「共倒れ」になるという諸刃の剣の危惧をも想像させる所であろう。

本作は、「市井のスーパーマン」が切り捨てられると、特段の味も素っ気もないキャラクター群が縦横に騒ぎ出すという映画でもあった。

そして何より、本作を特徴づけるのは、翔子を演じた女優を除けば、登場人物の殆ど全てと言っていい役を演じた俳優のいずれも、「美男美女」という範疇に収まらない、ごく普通のの風貌の持ち主であり、そのキャスティングの妙に、映像を限りなく等身大のサイズで構築した作り手の思惑を鮮明に印象づけたと言っていい。

どの人物も初めから、「市井のスーパーマン」の要件を満たす人格像には程遠かったという訳である。

翔子と母・波子(右)
そして、翔子の実母である波子もまた、極めて等身大の人格像として描かれていた。

波子の個性も、普通のこの国の庶民感情からそれほど逸脱していないだろう。

夫に捨てられたという彼女の不幸の原因は、元々、自分の浮気が原因だった。それでも夫から送られて来た離婚届に判を押さずに、母子家庭を守ってきた住屋に拘る思いを支えるのは、如何わしい医療行為をしながらも、自分の住み慣れた家屋への愛着があることと、生活変化への恐怖感の感情が張り付いているからだろう。

その心理も充分に了解可能のラインであって、そこに全く違和感もなく、過剰な執着心という印象を受けることもない。

ましてや、他人への想像力の欠如した息子の嫁と共生するなどという感情が初めから存在しないのだから、住み慣れた家屋の転売を承諾する道理がないのである。

「あたしは嫌」ときっぱり言い切るそんな波子でも、娘夫婦への理解が深まったとき、彼らに対して自分の正直な思いを表現する人間性を開いたのだ。

このシーンは、映像総体にとって極めて重要な場面であったと思われるので、その理由を含めて、次章で言及したい。

ともあれ、「切り捨てられた市井のスーパーマン」を印象づける映像の中であるからこそ、母と娘夫婦の小さな遣り取りの描写が際立ったのである。

以下、本稿のまとめとして、そのエピソードを紹介する。



4  決め台詞なき映像を支配したもの ―― まとめとして



「決め台詞なき映像を支配したもの」―― それは、ウツを寛解させた妻が完成した天井画を見入って、「いいなあ。圧力あるわぁ」という、何とか様(さま)になった一言を放った法廷画家の、その飄々(ひょうひょう)としながらも、「ぐるり」と囲繞する関係を通して、人生の中枢の辺りを強(したた)かに成長させてきた人格的存在力であるように思えるのだ。

本作の最も重要な場面は、紛れもなく、暴風雨の夜の、夫婦の「炸裂と受容」の描写であったが、私には目立たないながらも、このシーンなしに映像の完成度を保証しないと思える描写の存在の重要性を強調したい。

その場面は、幼少時に失踪した父の死を期待して、母が住む「実家の転売」を目途するものの、それが不調に終わって地団駄踏む貪欲な長男夫婦の退散を尻目に見た波子(翔子の母)が、翔子とカナオの夫婦に自分の思いを語る描写である。

「あんたたち、ありがとうね」と母。
「うん?」と翔子。
「本当は裏切ったの」と母。
「ううん?」と翔子。
「あたし…大きく振舞ってたけど、気が小さくて、まっすぐな人だったから許せなかったんでしょう。最後まで、許してもらえなかった。フフ…そういうとこ、翔子とよく似てんのよ。あの人がそんなに尽くしていたなんて、いい女なんだ。その人…」
「母さん…」

そのとき、母は自分の家の畳で、正坐を正して、娘夫婦に向き直って、心のこもった言葉を投げ入れていく。

(因みに、このエピソードは、癌のため死の床に就いているという情報を確認して来た娘夫婦の報告をもとに、長男夫婦らとの間で交わされた家の転売の一件がベースになっているが、転売を頑として拒んだ波子によって一蹴され、終焉する程度の話だが、長男夫婦の貪欲さと、財産相続に無関心な娘夫婦の対比を際立たせる意味を持つことを了解するだけで、それ以上の詳細の説明は不要であろう)

「カナオさん」と母。

母の視線は、娘婿に向かっていた。

「ハイ」とカナオ。

小さく胡坐(あぐら)を組んでいるが、穏やかな態度に変化がない。

「翔子のこと、よろしくお願いします」

畳に深々と頭を下げて、そう言ったのだ。

予想外の義母の態度に、思わず、カナオも正坐に組み替えて、軽く2、3回頭を下げた。

それを視認した娘の翔子は、懸命に涙を堪えていたが、まもなく嗚咽に変わっていった。

それだけのシーンだが、ここで表現されたものの持つ意味の深さに、私は情感系の暴走を完全に封じた本作の真骨頂を見る思いがしたのである。

母を捨てて失踪したとされる父の事情に関わる告白に次いで、その思いのこもった心情の吐露が、カナオに向かって、母から放たれるとき、そのシーンは、既にあれほど頼りなく、甲斐性のない男に見えたカナオの存在の大きさを認知するまでに、その人間観の変容を鮮明にさせたことを証明する描写になっていた。

特段に男らしくなく、声高に叫ばず、赤子の死に際しても、激情的な混乱を表出することがなかった、カナオという男についての描写を考えるとき、単なる女好きの、何とも頼りない人格的イメージをもたれやすいのは事実だろう。恐らく、翔子の母もそんなイメージで娘婿を把握していたに違いない。

しかし、「娘が心底必要としていて、その夫もまた娘を必要とする関係性」を構築し、加えて、娘の苦悶を救い出した人格性を具備する男としての、カナオの存在の大きさを目の当たりにしたとき、相変わらずその頼りなげな身体表現に内蔵される「変わらぬ誠実さ」を認知し、少なくとも、娘の人生の重要な伴侶として似つかわしいと考える人物として、翔子の母は受容できたはずである。

ある意味で、カナオという男は、極めて誤解されやすいタイプの人間であるだろう。

これは恐らく、鮮明な自己表現を封印させられたに違いない思春期の不幸(父親の自殺等)の中で形成された、稜線の見えにくい、その自我の複雑な振幅に関係すると思われるが、少なくとも、彼が自分の内側に潜在する感情や思いをストレートに表現するに足る、ある種の「主体化過程」が極めてファジーであるために、彼を遠距離から俯瞰(ふかん)する者の視線には、ネガティブな印象が多分に付きまとってしまうのである。

しかし、彼の人格イメージから「攻撃性の脆弱さ」を把握することが容易であっても、彼の「変わらぬ誠実さ」を色眼鏡なしに素直に認知・受容することは、ある意味で困難であるかも知れない。元々、この男は、その不定形でファジーな印象を他者に与える事態に対して、特段に防衛的な武装意識への関心など皆無であるように見えるのだ。

だから、他者による評価のラインに合わせた目的的な行動様態を身体化するという発想自体、この男には無縁であった。そう把握する以外にないのである。

それでも、この男とのパーソナルスペースを縮小させていくことで得られる、基幹イメージの変容に逢着するとき、彼の固有なる人格的存在性の価値を認知し、そしてしばしば、それを必要以上に求める人格も現出するに違いない。

翔子の場合がそうであったように、翔子の母もまた、彼本来の「変わらぬ誠実さ」を感受し、夫婦としての関係の継続を切望するに至ったのである。

よくよく、この男の映像での身体表現をフォローしていくと、その「変わらぬ誠実さ」を補強するに足る、「人生の中枢を支配し切る強さ」もまた、形成的であった事実を確認することができるであろう。

それは、法廷画家としての彼の10年間に及ぶ軌跡を思うとき、そこで出会った様々に深刻で、人間の情念の裸形のラインを、それを視認するには程好い距離感覚の中で触感し、感受する精神的営為の累積の内に、確実にその内側を成長させていった行程の価値を認知せざるを得ないのである。

暖簾(のれん)に腕押しという感じで、確かな手応えを受け取れない男の代表格のように見えるカナオであっても、映像で紹介されるシークエンスの中で記録された朴訥な表現の数々には、抜きん出た決定力を印象づける何ものもないが、紛う方なく、彼なりの自己形成力によって獲得された内面的成長の固有性を検証するものであった。

それは暴風雨の夜に、精神不安の極点に達した妻が、自己抑制力の脆弱性を露わにしたとき、その脆弱性を丸ごと受容した柔軟性を真骨頂にする、本来的な態度を差し出す一連の行為に見られたように、その人格性の漂流感のネガティブな側面のみに否定的に反応していた翔子の母が、多分に先入観含みの曇った視界を広げ、被写界深度を深めたパンフォーカスの視座を手に入れたとき、少なくとも、失踪した生真面目な夫に似た性格を持つ娘にとって、カナオという男の存在の必要性を初めて認知し、この男が、何事にも管理的な性癖と同居する脆弱性を晒す娘の、その「良き伴侶」に最も相応しき人格である真実を、彼女は切実に実感したのであろう。

決め台詞を吐き出せない普通の男の、その普通性こそ、何より代えがたき価値であることを、この重要な場面は暗黙裡に語っていたのだ。

結局、ウツという地獄の前線に拉致される以前の妻の、その天真爛漫な高笑いを大写しにして開かれた映像が、「好きだから、一緒にいたいと思ってるよ」というシンプルだが、それなしに有り得なかったであろう、我が妻を完全受容する夫の穏やかなる仕事ぶりによって閉じられた描写で判然とするように、この映画は、ごく普通の生活を営む夫婦の共生の時間を裂くかの如く生じた、特段に異常とも言えないレベルの不幸と、且つ、それを特段に超絶的な飛翔とも言えないレベルの努力によって克服し、傍目(はため)には小さいが、しかし本人たちにとっては特段に価値のある「再生」を果たし得たという題材を、一級の映像表現にの内に鏤刻(るこく)した稀に見る秀作だったと言えるだろう。

何が起こるか全く予想し得ないほどに、儘(まま)ならない人生を転がしていく振幅著しい固有の過程の中で、平凡な夫婦が呼吸を繋いでいくのに必要な分だけの眩さを手に入れることの枢要な価値を、観る者にこれだけ実感させる映像と出会う機会も久しくなかったような気がする。

そう思わせる一作だった。



5  時代を特定的に切り取る能天気 ―― 補論として



「日本人のメンタリティが大きく変わった10年だと思います。日本人の価値観を徹底的に変えたバブルとその崩壊。言語化不可能な得体の知れないものを生んでしまった連続幼女誘拐事件。さらにオウム事件や酒鬼薔薇事件・・・。日本人のメンタリティが変わる転機となっていった」(「eo映画 HP 『ぐるりのこと。』インタビュー」)


以上は、本作の作り手のインタビューの内容の一部である。

正直、この一文を読んで愕然とした。

多くの映像表現者がそうであるように、「この人物も、こんな決めつけの時代把握を持つのか」という思いを確認させられて、「やれ、やれ」と感受させられたのは事実。

しかし、これも多くの映像表現者が、しばしばそうであるように、この作り手もまた、「主観」と「表現作品」との乖離が指摘されるような、ほぼ完璧に近い映像作品を仕上げていた。


作り手の言うような、「日本人のメンタリティが大きく変わった10年」という感懐を抱くような、個々の事件に関わるイメージが強調される映像処理が為されていたとは思えなかったのである。

即ち、その映像処理が、法廷画家であるカナオの内面的成長を補完し得る役割を逸脱するものになっていなかったのだ。その辺りに、しばしば「作ろうとしたもの」と「作られたもの」の落差感が生まれて、映像表現の興味が尽きない所以でもある。

橋口亮輔監督
ともあれ、「日本人のメンタリティが大きく変わった10年」と言うが、日本人のどのようなメンタリティが、一体どのように変容していったのか、是非、作り手に説明して欲しいものである。

かつて「中国文化大革命」を絶賛していたこの国の大手メディアの欺瞞性や、「見透かされることへの恐怖感」という名の「虚栄心」ばかりが旺盛で、いつの時代でも女たちの逞しさに寄り掛かってきたと思える、我が国の男たちの「腰の引け方」を身近で散々見せつけられてきた私から言わせれば、一貫してこの国に根強く残るとされる、「日本人のメンタリティ」というときの「美徳」というものの正体が、何を意味するのか皆目不分明なのだ。

仮にその「美徳」の内実が、よく言われる「誠実さ」とか、「勤勉さ」とか、「人に対する優しさ」とかいうものを指すとするなら、本当にそれらの「美徳」を、時代性を超越する普遍的価値として、多かれ少なかれ、この国の人々の人格の内に遍(あまね)く浸透している事実を、歴史的にどのように検証できると言うのか。

この国の人々の小狡(こずる)さを嫌というほど見せつけられてきた私には、その人格において「立派」と思わせる人物が、いつの時代にも、ある一定の確率で存在する仕方において実在する事例を特化・幻想化して、実はそんな人格者が平均的、普遍的に存在しようがない現実を曖昧化することで、大してありもしない「美徳」を、恰も「誇れる文化的価値」のように語る手法の危うさこそ、往往に厄介な何かであると考えてしまうのである。

考えてみたらいい。

それほどの「美徳」がこの国に存在するなら、僅かばかりの時代性の変貌の中で簡単に壊れる訳がないではないか。もっと激しく変動する時代と付き合ってきた私から見れば、「失われた10年」によって「失われたもの」など高が知れているのである。

いつの時代でも、その時代の性格を象徴する事件が存在するように、この国の歴史にもまた、そのような時代性のイメージを集中的に表象する事件が存在しただろうし、これからも存在し続けるだろう。

そして、その時代の性格を端的に象徴するか否かに拘らず、いつの時代にも、愚かな者たちによる愚かな犯罪が、常にある一定の確率で惹起するであろうことは、人間の歴史の運命(さだめ)であると言っていい。

だから、本作で描かれた事件もまた、その時代を象徴するか否かは不分明だが、いつの時代にも出現するだろう、愚かな者たちによる愚かな犯罪が繋がったという文脈で語る以上の何かを、一体どれほど表在しているというのか。

バブル景気の象徴・日本企業による国外不動産買い漁り・ロックフェラー・センター(ウィキ)
その時代に呼吸した者たちの自我の内に特段に印象づけられた事件を、他の時代の他の事件との厳密な比較検討をすることなしに、主観の濃度の深い時代観・人間観で安直に語るのは、単なるセンチメンタリズムでなかったら、殆ど構築性を持ち得ない空疎なるノスタルジーでしかないのだ。

大体、「失われた10年」という経済史的なタームが、この国の戦後史に、経済史的な意味合い以外の特段の時代性、例えば、「凶悪事件が惹起した重苦しい時代性」という把握によって切り取られる意味があるかどうか、上述したように私には甚だ疑問であった。

それにも拘らず、本作の作り手は、この10年間に出来した特徴的な事件を切り取って、それを、この国の精神の在り処に影響を与える何かとして独立させる問題意識を前提にした上で、それらの特異な事件に法廷画家として関わり、様々な人生の破綻と悲惨と悲哀を目の当たりにし、一期一会的な稀少性を持つ経験的学習を媒介させることによって、人生を客観視する視座を培養するという、言ってみれば、個我の内面的成長の検証対象として「失われた10年」を肥やしにしている印象が強いので、私にとって、本章の冒頭の作り手の情感的把握を、「時代を特定的に切り取る能天気」という愛想のない文脈の内に相対化した次第である。

裏を返せば、この程度の悪態しかつけないほどに、上出来の作品だったということだ。

(2009年8月)

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