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    2 週間前

2011年10月4日火曜日

泥の河('81)       小栗康平


<差別された者たちの、拠って立つ共有幻想の時間の悲哀を訴える映像構築力>



1  「橋の下」に住む二つの家族の交叉の中で



「もはや戦後ではない」

これは、1956年の経済企画庁編纂の「経済白書」の表題である、「日本経済の成長と近代化」の中で使われた有名な記述。

流行語にもなったこの言葉の背景には、高度経済成長の嚆矢(こうし)となった神武景気が発現し、「三種の神器」に象徴される時代の幕が開かれていった。

そんな活気ある時代状況下にあって、高度経済成長の澎湃(ほうはい)たる波動に乗れないでいる、二つの家族がある。

それが、本作で描かれた家族である。

一方は、バラック立てのような「橋の下」でうどん屋を営む、父母と息子の三人家族。

もう一方は、その家族の対岸に停泊している宿舟に住む、母と姉弟の三人家族である。

共に、「橋の上」の世俗世界で、時代相応の日常を繋ぐ一般庶民の生活レベルと比較すれば、相対的に貧困の濃度が高い家族と言っていい。

「橋の下」という概念には、高度成長に乗り切れない貧困家庭の生活風景の象徴性という意味が内包されている。

「橋の下」のうどん屋の亭主は、一貫して、「戦後」を引き摺って生きてきているからだ。

これは、冒頭のシーンにおける、荷馬車引きの事故死のエピソードに象徴されていた。

「あんな惨たらしいい死に方するんやったら、戦争で死んどった方が、生きてるもんかて、諦めがつくちゅうもんや。今になって、戦争で死んどったほうが楽だと思うとる人、ぎょうさんおるやろな・・・・長いことば、人の死に目にばっかりおうて来た。そこへひょっこり、信雄が生まれてきよった。それも40過ぎて、初めてワイの子がでけた・・・」

信雄の両親
戦争で右耳を破損した、荷馬車引きの「オッチャン」の事故死の夜、うどん屋の亭主は、駆け落ちして逃げた若い女房に、そう吐露した。

その父のきつい言葉を、隣の部屋で、一人っ子の信雄は狸寝入りしながら聞いている。

そんな家庭にあっても、さすがに若いのか、それとも、この国の多くの女たちの強さの故なのか、亭主の妻には「戦後」の翳(かげ)りが全くなく、前向きに生きる努力家の印象を与えていた。

だから、この夫婦の程良い均衡感が、息子の信雄の、ナイーブで心優しい性格に引き継がれているようだった。

そんな信雄が、偶然、出会った一人の少年がいる。

土砂降りの雨の日、放置された荷馬車引きの荷物を盗もうとしていた喜一少年である。

この喜一こそ、対岸の宿舟で生活する家族の息子であり、礼儀正しい振舞いを見せる姉と、「丘では生活できない」と吐露する母と共に、学校に通うこともなく水上生活を繋いでいた。

喜一にとって、学校に通うことは、宿舟生活を否定して、丘の住人のコミュニティに加わることであった。

それは、宿舟生活者が特定的に差別され、排除されていく屈辱を累加させていくこと以外ではなかったのだ。

元より、喜一の母が丘で生活できなくなったのは、船頭であった夫が逝去したことに因る。

この時代、女手一つで家族を養う苦労は計り知れないものがあり、姉弟もまた、そんな母の苦労と心理的・生活的に共有する関係を作っていた。

信雄と喜一の母
「いつも波に揺られてんと、生きているような気がせんようになってしもうたんよ」

これは、初めて会った喜一の母から、信雄が吐露されたときの言葉。

喜一の母は、夫が死んだショックから、丘に上がって、身過ぎ世過ぎを繋ごうとしても無理だったと言うのだ。

喜一の母の生き方は、この国での〈生〉の絶対規範である「定着」の否定であり、「移動」への逃避であったが、同時にそれは、なお不安定な、「戦後」を引き摺って生きてきていることの開き直りでもあった。

それが、「揺られてんと、生きているような気がせん」という言葉のうちに表現されていたのである。

丘で生活できなかった母は、今や「廓舟」と蔑称され、夜毎、ヤクザ紛いの男を相手に、体を売る娼婦によって身を立てている。

しばしば、姉の銀子と共に喜一もまた、母の客引きをしているという噂も立っていて、この「廓舟」の家族が地域に溶け込めずに差別されている現実が、要所要所で描かれていく。

当然ながら、喜一の家族の根っこにあるものを認知し得ない信雄は、喜一と付き合うことによって、それまでの友だちを失う羽目になるが、そんな経験を介して、少年の心情には、喜一の家族が放つ「異臭」の如き「いかがわしさ」が想像できていた。


左から銀子、信雄と喜一
引っ込み思案で繊細な信雄にとって、親しい友だちとと交わり、その関わり合いを大切にするという児童期の発達課題は、自分にはないものを持つ喜一との出会いの中で具現されていったのである。

「遊びに来たんか?遊びに来たんやろ」

信雄を誘う喜一の言葉である。

公園の水を汲みに行く生活を普通に繋ぐ喜一にとっても、差別的振舞いをしない信雄の存在は、初めて経験する心地良き何かだったのだ。



2  丘との禁断の越境を果たした「友情」の形成と、その破綻



「夜は、あの船、行ったらあかんで」

これは、信雄の父の言葉。

いつの時代でも、我が子に見せてはならない世界があり、なお継続的に、その世界を隠し込むことで守られる秩序の維持によって、相対的な安寧を手に入れる何かが存在するのだ。

信雄の両親と銀子、信雄と喜一

それでも、心優しい父は、姉弟をうどん屋に招いて歓待するのである。

死んだ父が酔ったときに歌っていたという喜一が、「戦友」をフルコーラスで歌い、それを悦に入って聞き入る信雄の父。

「生きとっても、スカみたいにしか生きられないのかな、ワイら」

姉弟が帰った後に、女房に吐露したこの言葉を含めて、彼の自我には、「戦後」を引き摺って生きる心的風景が張り付いているのだ。

そんな男が、もっと苛酷ながらも、似たような風景を繋ぐ宿舟生活者への差別意識なしに、姉弟を歓待する優しさを体現していく。

そんな男だからこそ、「廓舟」と蔑称するうどんやの客が、姉の銀子に代って、弟が「客引き」することを洩らしたとき、烈火の如く怒って、件の客を店から追い出したのである。

うどんやの客に暴露され、言葉を失う弟の喜一。

暗い表情の姉の銀子。

重い空気を変えるように、姉弟の前で手品を見せて、明るく振舞う信雄の父。

「楽しかったわ。ご馳走様でした。喜っちゃん、帰ろう」

そこだけは意図して、最後まで礼儀正しさを崩さない銀子。

「信ちゃんのお母さん、石鹸の匂いがするなぁ」

これも、帰路、信雄に放った銀子の言葉。


信雄の母からもらった服を着て満足しながらも、自分の母への遠慮からか、それを返した女の子が、最近接した信雄の母の匂いを表現する小さなエピソードだった。

しかし、信雄と喜一の運命的な友情は、ある出来事を契機に劇的に破綻していく。

天神祭り・どんどこ船(イメージ画像・ウィキ)
大阪天満宮の天神祭りの日だった。

今度は喜一が、信雄の母からもらった金を落としたことで、少年なりの申し訳なさから、信雄を楽しませてやろうと宿舟に誘ったのである。

このときの信雄の心情は複雑だ。

なぜなら、その場所は、夜間に訪ねてはならない「禁断のスポット」だったからだ。

それ故に、ナイーブな少年の常と言うべきか、そこに「いかがわしさ」のイメージを感受した少年の未形成の自我は、自然に抑制的に働いていたのである。

信雄が、喜一の誘いに快く乗れなかったのはそのためだった。

宿舟の片側には喜一の母が、終の栖(すみか)にしているような特化されたスポットだったが故に、そこに触れたくなかったからである。

誘われても断れない信雄は、喜一の後ろについて、夜の宿舟の狭いスポットの中に吸い込まれていく。

夜の宿舟で、喜一が為した行為 ―― それは、自分で飼っている蟹をランプのアルコールに漬けて、火を点けるという遊びだった。

信雄の目前で残酷な遊びをする喜一は、少なくとも、優しい少年の許容範囲を越えるものだった。

信雄と喜一
信雄を悦ばせようとする喜一の遊びに、眼に涙を溜めた信雄は衝動的に反発する。

「可哀想や。やめとき」

そう言うなり、自ら炎を消していく信雄。

光る涙。

炎を消していきながら、舟の縁を伝わって、喜一の母のいるスポットまでゆっくり進んで行く。

「禁断のスポット」の内側で、入れ墨男と情交中の喜一の母親と、視線が合ってしまったのは、まさにそのときだった。

未だ、信雄の眼には涙が光っている。

気まずさを感受しつつも、動けない。

衝撃のあまり、体が凍りついてしまったようだった。

喜一の母親
眼の前で展開されている情景こそ、ナイーブな少年の自我に張り付いている「いかがわしさ」のイメージの正体であることを知ったからだ。

喜一のいる位置にまで這い戻った少年は、もう言葉に出す何ものもなかった。

二人の少年は、一瞬、見詰め合う。

信雄の眼から光る涙は、なお消えることがない。

このときの喜一の表情は、余りにも切なかった。

言葉に出す何ものもない信雄は、そのまま去っていくのだ。

たった一人の友人を見詰めるだけの、喜一の表情の哀切さ。

それは、映像で記録された子供たちの表情の中で、最も哀切を極めた印象的な表情であると言っていい。

絶対に見られてはならないものを見られてしまったときの、どうしようもない遣り切れなさであり、哀しさであり、耐えられなさであったに違いない。

それは同時に、失ってはならないものを失っていく不安と恐怖の感情が張り付く何かであった。

宿舟に戻って来た姉の銀子が、そこに立っていた。

信雄を見詰める銀子
信雄を見詰める少女。

ここにも言葉がない。

言葉に結ばせる感情が貯留していても、その感情を言葉に変えていく技術がないのだ。

言葉に変えていく技術を学ぶに足る経験が、未だ圧倒的に不足しているのだ。

銀子を見詰める信雄は、光る涙を捨てていくしかなかったのである。

銀子の傍らを通り過ぎ、走り去っていく信雄。

いつまでも、それを見詰める銀子。

全てが終焉した瞬間だった。

それは、丘との禁断の越境を果たした「友情」の決定的破綻を示すものだった。



3  差別された者たちの、拠って立つ共有幻想の時間の悲哀を訴える映像構築力



ここで、信雄の涙の意味について考えてみよう。

信雄は喜一から去り、姉の銀子を遣り過ごし、うどん屋に帰宅しても涙が止まないのだ。

家族の心配をよそに、身の置き所のない少年は二階に上がって、対岸に停泊する宿舟を、眼を凝らして見詰め続ける。

それほど遠くない過去に、姉弟をうどん屋に招いたとき、喜一が死んだ父から教わったという、「戦友」の歌が思い起こされて、信雄の頬を幾筋もの液状のラインが濡らしていく。

今、自分の眼で見てきたものから受ける衝撃が、只事ではない現実の重量感に押し潰されそうなのだ。

それは、最も大切な何かを失ったという現実の重量感であると言ってもいい。

思うに、少年の内側には、「禁断のスポット」に我が身を踏み入れたとき、どこかで予感していた不安感情が高鳴っていた。

その不安が現実のものと化したのだ。

少年の繊細な自我に衝撃が走った。

元より、信雄の涙の起動点は、喜一の残酷極まる遊びだった。

虐待するためにのみ飼っていた蟹を甚振(いたぶ)ることが、信雄を喜ばせると信じた喜一の発想それ自身に、何より信雄はショックを受けたであろう。

喜一の遊びに共感できない思いが、信雄の幼い自我を捕捉し、一気に支配したとき、心優しい両親に育てられたシャイな少年には、このとき、とうていコントロールし得ない、濡れた瞳を露わにする身体表現によってしか反応できなかったのだ。

ナイーブであるが故に、自分の最も親しい友だちが、どこかで密かに恐れていた負のイメージをなぞるように、突然、親愛感情のうちに包括した自分のパーソナルエリアから離脱して、自分が支配し切れない世界にまで行ってしまう寂しさ・哀しさ。

そして、丘に住む者たちが、宿舟の家族を軽侮する理由がどこにあるかという、忌まわしい現実を知ったことそれ自身が放つ衝撃の大きさ。

同様に、その現実をひた隠しにして生きてきた、掛け替えのない友だちへの憐憫の情にも似た、子供ながらの遣る瀬ない感情。

その寂しさ・哀しさ・遣る瀬ない感情を作り出した大人の支配する関係文脈を、少年なりに理解できたとき、少年の内側に、子供の力ではどうすることもできない喪失感を生み出したのだろう。

この一連の心理の絡みの中で、少年の涙が分娩されたのである。

何より、この夜に被弾した苛酷なまでに激しい衝撃が、二人の少年の友情を破綻させていくのだ。

翌日、別れも告げずに、宿舟は去っていった。


全てを察知した父の目配りが契機になって、その宿舟を追っていく信雄。

どこまでも追っていく。

走って、走って、走り抜いて、最近接した橋の上から、少年は叫ぶ。

「喜っちゃん!」

しかし、宿舟からの反応はなかった。

あれだけ、自分の姿形を曝け出しているのに、宿舟からの反応がないのは、その狭隘なスポットの中で、何某かの感情表現を表出する行為を禁じる心理的圧力が働いていたのだろう。

恐らく、姉弟の母から、「だから丘の子と遊んじゃダメだって言ったでしょ」などということを、とりわけ、喜一は言われていたに違いない。

それが現実となったとき、宿舟を追って走って来る信雄を視認しても、宿舟から顔を見せられない空気を突き抜けなかった要因ではないか。

結局、姉の銀子と同様に、丘での生活圏と切り離された喜一もまた、未だ児童期の半ばという年齢制約の故に、それ以外に身を寄せられない母との、既存の心理的・生活的共有の時間を延長させる以外になかったのだろう。

差別された者たちの、拠って立つ共有幻想の時間の悲哀を、切々と観る者に訴えるこの力こそが、紛れもなく本作の生命線である。


これが、5分間にも及ぶラストシークエンスの内実だった。

最後に、稿を変えて、それについて簡潔に言及してみる。




4  情感効果をマキシマムに高める映像を構築した戦略性の瑕疵




 5分間にも及ぶラストシークエンス。

感覚的には、充分に了解し得る。

映画としては、実に丁寧に描かれているだろう。

だが、相当に感傷過多な内容だったことは否めないのだ。

5分間のラストシークエンスに勝負を賭けた作り手の思いは、観る者にひしひしと伝わってくるが、敢えて、「別離の感動譚」を大袈裟にしない巧みな技巧の導入によって、その情感効果をマキシマムに高める映像を構築した戦略性の瑕疵を、そこに感じない訳にはいかないのである。

だから、この5分間は、親友との別離のセレモニーを果たせなかった哀感を描き切るために、主人公の少年を執拗に走らせる必要があったのだ。

走り続けた少年が最近接した、橋の上からの一方通行の叫びのうちに収斂させるためである。

殆ど予約していたに違いない、観る者の情感効果をマキシマムに高める決定的描写のインサートによって、その予約ラインの許容範囲のイメージの履行を果たすかのように、観る者の涙腺を緩めるに足る、それ以外に供出し得ない最大の見せ場として、この5分間が戦略的に構築されたと思わざるを得ないのである。

しかし、5分間は長過ぎるのだ。

とうてい、映像の勝負を賭けた描写が先読みされるハンディキャップの認知への鈍感さが、観る者の予約ラインの許容範囲のイメージのうちに、物語の自然な流れとして収斂されていくラストシークエンスの内実だったとは思えないのである。

どうして、もっと淡々と切り上げられなかったのか。

小栗康平監督
私としては不満が残る一篇だったが、だからと言って、本作が相当に完成度の高い映像という評価には変わらない。


ただ、この年の全ての賞を独占するに足るほどの映像であったかについては、今でも疑問が残る一篇だったと思っている。

それでも、処女作品に全力を傾注する若手監督の思いの強さだけは、ひしひしと伝わってきたのは紛れもない事実。

頗(すこぶ)る「善き映画」とだけ書いておこう。

(2011年10月)






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