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  • アジサイはアートである 「我が町・清瀬」2017初夏 - アジサイを接写していると、色相のグラデーションの鮮やかに驚かされること頻りである。 だから、毎年、初夏になったら「我が町・清瀬」で写真を撮る。 この一期一会の思いでアジサイを観賞していると、アジサイが一つのアートであることを実感する。 アジサイはアートなのだ。 時々刻々に変色していくアジサイは...
    3 か月前

2008年12月2日火曜日

さよなら子供たち('88)      ルイ・マル


<厳冬の朝の残酷―「秘密の共有」が壊されたとき>



1  母の胸に飛びついて



「ジュリアン、聞き分けのない子ね。泣かない約束をしたはずよ」
「泣いてないもん」
「3週間したら会えるし、外出もできる。すぐ過ぎるわ」
「過ぎるもんか」
「パパも手紙を書くわ」
「パパは嫌いだ。ママもだ」

母と子が駅のプラットホームで、出発する汽車を前にそんな会話をしている。

母子の前を通りかかる少年の兄が、明らかに母に甘える態度を見せる弟に声をかけた。

「甘ったれてる。汽車に乗り遅れるな」

列車の発車のベルで、少年は母の胸に飛びついていった。

それを強く抱き止める母が、優しく言葉を添えていく。

「ママを思い出してね。寂しいわ。男装して一緒に行けたら、毎日会えるのに。今のは秘密よ。離れ離れは辛いわ」

その後の映像は、おでこに母の真っ赤な口紅をつけた少年が、車窓からいつまでも名残り惜しそうに、移りゆく外の風景を眺める描写だった。

そこに、映画のタイトル・クレジットが流れていった。

少年の名はジュリアン。

母の胸に飛びついていくジュリアン
彼は、パリから遠く離れたカトリックの寄宿学校で疎開生活を送る12歳の少年。

1944年のナチス占領下の時代に、兄と共に、ブルジョワ育ちの少年が意に沿わぬ寄宿生活を強いられていたのである。



2  転入生



休暇が終わり、寄宿生活にリターンしたジュリアンを待っていたのは、三人の転入生。

神父に連れられて、大部屋に入って来た彼らは、神父の指示で空いているベッドを使うことになった。

その一人が、やがてジュリアンと親しくなるジャン・ボネだった。

ヨーロッパのブルジョアの子弟が経験する寄宿生活は、恐らく、このようなものだろうというイメージに違(たが)わない生活風景が淡々とスケッチされて、映像はそこに特段の感傷を交えることのないカットを繋いでいく。

「個人で食料を持っている者は、皆に分けなさい」

これは、この学校の校長であるジャン神父の言葉。

生徒たちの食事の際に放ったこの言葉は、占領下での食料事情の厳しさを伝えていた。

それでも学校に寄宿する生徒の親たちが、均しくブルジョアであることに変わりはないと思わせるのは、物資を闇で流す料理番のジョゼフの会話の節々に窺われた。

そのジョゼフにジャムを持ち出すことで切手を手に入れたジュリアンも、少年らしい駆け引きのスキルを既に身に付けている。

それぞれに、皆どこかで小狡さを見せている生徒たちの中で、ジャン・ボネ一人は寮生活に打ち解ける様子を見せない。

からかわれても反応しないこの少年は、数学の授業では抜きん出た能力を見せていて、それが却って少年を孤立させていくようでもあった。

映像は少しずつ、戦時下の空気を伝えていく。

警戒警報のサイレンの下で、地下に掘られた防空壕で授業する風景が映し出されて、上空から爆音の音が空気を裂くシーンがあり、暗がりの中で授業する神父の声だけが響き渡っていた。

ある夜のこと。

ジュリアンの嘆息が、闇に近い画面の中に漏れていた。

「畜生、またやっちゃった」

少年はベッドから起き上がり、周りの様子を窺いながら、自分のシーツの濡れた箇所を拭き取っている。この少年は、未だ夜尿症が抜け切れていないらしい。

ジュリアンはピアノの個人レッスンの授業でも、なかなか上達しないので、先生に「音楽は嫌い?」と言われる始末。

彼は、母の強制によってピアノを習わされていると弁明した。

「お母さんは正しいわ。今、止めると後悔するわよ」

先生にそう言われた後、代わってピアノの前に坐ったのは、ジャン・ボネだった。

彼は見事にピアノを弾きこなし、女の先生を嘆息させた。

その場面を教室の外から見ていたジュリアンは、「ゴマすり」と一言。

それは、全ての教科に抜きん出た成績を見せるジャン・ボネと、夜尿症から抜け切れないジュリアンとの能力的落差を象徴的に示すものだった。

告解式(カトリック教会での「赦しの秘蹟」)のこと)でのこと。

その場で、校長であるジャン神父がジュリアンの足を見て、ビタミン不足だから肝油をもらうようにと指示した。

「学校が寒いからです」とジュリアン。
「分ってる。だが、もっと不幸な人がいる。・・・聖職に就きたいとか?」

神父は話題を変えた。

「ママが?」とジュリアン。
「君は司祭には向いていない。嫌な職業だよ」と神父。

そこに電話がかかってきて、その電話で答える神父の深刻な反応が、ジュリアンの子供らしい好奇心を刺激していた。

「どこから?・・・噂だけだ・・・どうしろと?・・・主が決められる」

それが、電話で語った神父の言葉の全てだった。

受話器を置いたジャン神父は、ジュリアンに意外なことを聞いてきた。

「新入生と仲良しとか?」
「ボネ?」
「そうだ。親切にしなさい。他の生徒も君を見習う」
「彼は病気なの?」
「いや違う。行きなさい」

それだけの会話だった。

ある夜中でのこと。

自分のベッドの上に、二本のロウソクを立て、そこに正座し、祈っている様子のジャン・ボネが、ジュリアンの視界に捉えられた。

ジャン・ボネ
プロテスタントであると言って、聖体拝領(キリストの体であるパン=聖体を受ける儀式のこと)を拒むジャン・ボネの祈りの儀式は、ジュリアンの疑心を起こさせるのに充分だった。



3  森林彷徨の中で



突然、親独義勇兵が家宅捜査の名目で、学校にやって来た。

「入る権利はない。ここは私立学校だ。子供と修道士しかいない」

ジャン神父が拒んでも、強権的に侵入する親独義勇兵を、誰も止められない。

それを見た一人の教師は、全員で運動中の列の中からジャン・ボネを呼び寄せ、彼だけを学校の奥の一角にある部屋に隠し入れた。

それを目撃したジュリアンは、たまたま通りかかった料理番のジョゼフに尋ねた。

「義勇兵が何しに?」
「“反独”がいると、密告があったのさ」
「反独?」
「ドイツの強制労働から逃げようとする奴らだ。舎監(寄宿舎の管理人)のモローもだ。奴は偽名だ。俺は脚が悪いので免れた」

そう言って、ジョゼフは調理場に戻って行った。

まもなく、社会の授業の教室にジャン・ボネが遅れて入って来た。

教師もそれを咎めない。生徒たちだけが事情を知らないでいる。

その日、ジュリアンは母から手紙をもらって、それを読んでいた。

“家はひっそり寂しいわ。パリは毎晩、爆撃を受けています。昨日はビヤンクール(注1)で8人の死者が出たわ。妹たちは新学期よ。ソフィーは赤十字で無料奉仕。気の毒な人が多いわ。パパは、リール(注2)の工場が不振なので機嫌が悪いの。戦争はいずれ終わるわ。来週の日曜に会いに行きます。レストランに行きましょう。楽しみにしてるわ。ママより。追伸。ジャムを食べて、健康に気をつけて”

手紙を読み終えたジュリアンは、誰もいない部屋の状況を確認して、ジャン・ボネのロッカーを無断で覗いた。

そこで彼は、一枚の写真に眼を留めた。

そこには、ジャン・ボネを中央に、彼の両親が並んで写っている。

ジュリアン
ただそれだけのことだったが、寡黙なジャン・ボネに特別な好奇心を抱くジュリアンが、明らかに、思春期前期の少年の普通の存在様態を見せるようにして振舞っていた。

その直後、ジュリアンはジャン・ボネのところに近づいて、ダイレクトに質問した。

「両親はマルセイユ?」
「パパは捕虜だ」とジャン・ボネ。
「脱獄しないの?」

それに答えないジャン・ボネに、ジュリアンは畳み掛けていく。

「お母さんはどこ?」

それにも答えない相手に、苛立つように少年は、その答えを強要する。

「言えよ!」
「非占領地区・・・しつこいぞ。ママが今どこにいるか知らない。3ヶ月も便りがない」

この会話は、ジャン神父が教室の中に入って来たことで中断されることになった。


(注1)ブローニュ・ビヤンクールのこと。パリ南西部にある大都市で、ルノーの工場が置かれたことで発展した。ブーローニュの森に近くにあり、パリ市民の別荘地となっていたが、現在は高級住宅地として有名。

ノール県の地図・リール

(注2)フランス北部の都市。第一次大戦の際ドイツに占領され、街は破壊的ダメージを受けたと言われる。その後の世界恐慌においても甚大な影響を受け、多くのリール市民が困窮を究めた。映像でのジュリアンの母の嘆きは、恐慌後のナチスドイツの侵攻(第二次世界大戦の勃発)によって、更に苦境に陥っていたリールの現実を説明している。因みに、現在のリールは、英仏間を走るユーロスターやTGV(俗に「フランス新幹線」)の拠点ステーションとなっていて、大型施設が整備されサービス業が盛んである。


森の中で、生徒たちは無邪気に遊んでいた。宝探しのゲームである。

その中でようやく宝物を見つけたジュリアンは、その遊びのステージの森の只中で彷徨(さまよ)ってしまう。

そこで彷徨った少年の中に、ジャン・ボネもいた。

二人は闇の帷(とばり)が下り始めた自然の中で、脱出口を掴めずに彷徨い歩くばかり。

ようやく道路に出た二人を救ったのは、ドイツ兵の乗るジープだった。

ドイツ兵を見たジャン・ボネは咄嗟に逃げ出すが、すぐに捕捉され、二人は学校に送られることになった。ジュリアンは恐怖のあまり涙を啜っていた。

「夜8時以降は森に入れない。外出禁止令を知らんのか」

ドイツ兵に厳しく注意されたジャン神父は、二人を暖かく迎えたのである。

厳しい寒さの中の森林彷徨の一件が原因で、ジュリアンとジャン・ボネは風邪を引いてしまった。

二人はしばらく、校内の医療ベッドで休養を余儀なくされたのである。その医療室で、ジュリアンはジャン・ボネに、豚肉のパテを無理に食べさせようとして拒絶されてしまった。

「豚肉だから?」とジュリアン。
「バカなこと言うな」とジャン・ボネ。
「君の名は、キペルシュタインだろ?発音はキペルシュテイン?」

そこまでジュリアンが言ったとき、ジャン・ボネは、突然、相手に飛びかかっていった。

シスターに注意されて、喧嘩はすぐ収まったが、その行為は、ジャン・ボネを、豚肉を食べないユダヤ人であると認識するジュリアンの嫌がらせでもあった。

最も知られたくない親友の秘密を、ジュリアンは先日のロッカー探索の行為によって既に知っていたのである。

豚肉のパテを食べるジュリアン
しかし、嫌がらせの行為の裏に潜むジャン・ボネに対する好奇心が、ジュリアンの心理を支配していた事実は否めなかった。



4  レストランの空気が濁ったとき



父母参観の日がやって来た。

聖体拝領の儀式の前に、ジャン神父の説教が開かれた。

「今日の説教は特に、初聖体を受ける少年たちに聞いて欲しい。今は不和と憎悪の時代です。偽善が蔓延(はびこ)り、信者が殺し合っている。裏切りが横行。利己主義と無関心を許してはなりません。皆さんは極めて裕福な方です。多くを与えられた者は、多くを求められる。聖書にあります。“金持ちが天国の門を潜るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい”。聖ヤコブは言った。“金持ちよ、訪れる不幸に泣き叫べ。富は腐敗し、衣服は蝕まれる”と。地上の富は魂を腐らせます。人間を利己主義に変え、不正で冷酷な存在に歪める。富める者は、宴に酔い、持たざる者は怒りに燃える・・・」

ここまで神父の説教が及んだとき、席を立ち上がって帰って行く父兄がいた。

ジュリアンの隣に坐る母は、「言い過ぎよ」と一言。

しかし、神父の説教は続く。

「信者の義務は愛であると、心に刻んで欲しい。聖ペテロは書簡でこう述べている。“兄弟よ、己を賢者と思うなかれ。悪に悪で報いるな。敵が飢えたら食べさせ、乾いたら水を与えよ。皆で祈ろう。飢えたる者と、迫害される者のために。犠牲者と残忍なる者のために」

確信的にスパイスを効かせたかのような、ジャン神父の長広舌の説教は、そこまで言い切った後、閉じていった。

例・ポーランドの聖体拝領・ブログより
その後、聖体拝領の儀式が始まった。

一人一人、生徒たちが神父の下に集まって来る。その中に、友人の制止を振り切って、拝領を受けようとするジャン・ボネの姿もあった。

彼を含む三人の転入生は、ユダヤ教を信奉するユダヤ人なのである。だから聖体拝領の儀式を受けるわけがない。

それでもジャン・ボネは、神父の前に立った。神父の説教に感動したからである。

当惑した神父は、ジャン・ボネに拝領の真似だけを見せて、隣のジュリアンに聖体を与えたのである。

それは宗教の異なる者への、人格者然と振舞う神父の露呈された欺瞞性でもあった。ジャン神父もまた、宗教的な狭隘さから解放されていなかったのである。

生徒たちはそれぞれ、父母たちと再会の喜びを分かち合っていた。

しかし三人のユダヤ人の生徒には、喜びを分かち合う父母がいなかった。恐らく、彼らの親たちは絶滅収容所に送られていたのだろう。

ジュリアンは、母や兄と共にレストランの中にいた。

そのテーブルには、ジャン・ボネも招かれている。

「ご両親は?」とジュリアンの母。
「来ません」とジャン・ボネ。
「かわいそうに・・・」と母。
「ウチのパパは?」とジュリアンの兄。
「工場で問題が起きて・・・」と母。
「いつもだ」とジュリアン。
「パパは責任が重い地位なの」と母。
「ペタン(注3)派?」と兄。
「そうじゃないわ。森の話を聞いて、神父様に文句を言ったわ。あの寒さで森なんて・・・助かったのは、神様のお恵みね。撃たれてたら大変」
「鍛えられた」と兄。
「神父様もそう言ったわ。性格の鍛錬ですって」
「彼と一緒だった」とジュリアン。隣に坐るジャン・ボネを顎で示した。
「あなたなの・・・」

ジュリアンの母はその後、ジャン・ボネにトンチンカンな質問をぶつけていくが、それなりに親友の母としての役割を果たしていた。

レストランの空気が突然悪化したのは、ペタン派の兵士(独軍に降伏した傀儡政権のヴィシー体制の仏兵)に、一人のユダヤ人の紳士が身分証を求められたときだ。

「字が読めんのか。ここはユダヤ人禁止だ」

その紳士は言葉を失っていた。

険悪な空気に、ジュリアンの母は呟く。

「なぜ、嫌がらせを?相手は立派な紳士なのに」

言うまでもなく、その声は、母のテーブルに坐る子供たちの耳にしか届かない。

「20年来のお客様です。お断りできません」

レストランの支配人が、紳士を庇った。

「黙ってろ。営業禁止にするぞ」

ペタン派の兵士は支配人を恫喝する。そのとき、ジュリアンのテーブルから鋭い罵声が飛び出した。

「売国奴・・・」

ジュリアンの母と兄
思わずそう呟いたのは、ドイツに従順なフランス人を憎むジュリアンの兄だった。

「お黙り」と母。

長男を制止したのである。

しかしその声を聞き取った兵士が、家族のテーブルに近づいて来た。

「お前か」
「子供で何も知らずに・・・」と母。懸命に弁明する。
「祖国に奉仕する我々を侮辱した」

その兵士を含むペタン派のフランス人に対して、レストランの隅々から、「出て行け。祖国の裏切り者」という声が飛び交って、店内の空気は親独派の客たちをも巻き込み、一気に険悪化したのである。

レストランにはドイツの将校もテーブルを囲んでいて、静かに会食をしていた。

そのドイツの将校に、フランスの義勇兵は「出て行け」と言われて、黙って従うペタン派の兵士たち。

「いいドイツ人もいるわ」とジュリアンの母。
「ママのためさ」と兄。
「僕らユダヤ人?」とジュリアン。

レストランの空気がユダヤ人に対して、比較的温和であったことに対して、次男は素朴に母と兄に尋ねたのである。

「何を言うの?」と母。
「おばさんは?」とジュリアン。
「アルザスの人よ」と母。
「ユダヤ人かも」と兄。
「一族はカトリックよ。バカは言わないで。でもユダヤ人に反感はないわ・・・」

このジュリアンの母の言葉に、テーブルの真向かいに坐るジャン・ボネの表情から笑みが零れていた。


(注3)フランスの軍人で、第一次大戦の国民的英雄となったフィリップ・ペタンの政府の体制。後に首相となり、第二次大戦の際に、フランス中部の町ヴィシーに首都を定め、ドイツの傀儡政権となった。



5  渦巻く哄笑が渾然一体となって



この一件があって、ジュリアンとジャン・ボネの友情は深まっていく。

「チャップリンの移民」より
内に抱えた警戒感のためか、心の底から笑う表情が見えないジャン・ボネの硬い表情が大きく和らいだのは、サン・サーンスのヴァイオリンの伴奏の調べに乗って、「チャップリンの移民」が学校のホールで放映されたときだ。

成績優秀でピアノを巧みに弾く少年の自我は、その堅固な鎧を束の間解いて、心のバリアが劇的に緩和された時間の中に陶酔していったのである。

そこでは、場内を渦巻く哄笑が渾然一体となっていた。

戦争の末期に近づく時代状況の闇は、まさにそこだけが独立したかのような空間を作り出していて、ストレスフルな状況からの解放を願って止まない人間の、その思いの深さが作り出す共存感情を存分に吸収するに足る、そんな異次元の空間を仮構したのである。

人種や立場の違いを突き抜けた一種の人工的なユートピアが、そこに立ち上げられたのだ。

しかし、それは幻想でしかなかったのである。



6  至福の連弾



その日、いつも生徒たちに苛められている料理番のジョゼフは、その日に限って調理の賄い婦に追い駆けまわされていた。

「ラードを盗んで、売り飛ばす気だね!」

賄い婦のペラン夫人の罵声が飛んで、ジョゼフは折檻されていた。

そこを通りすがった神父はジョゼフを庇うが、「また泥棒を」と叫ぶ賄い婦の声に圧倒されている。

「嘘だよ!盗んだのはペラン夫人だ」

ジョゼフは懸命に弁明するが、それを見ていたジュリアンの兄は、弟に「いつか、バレルのに」と言うばかり。

ジョゼフ
既に一部の生徒たちの間には、ジョゼフの闇の取引が話題になっていたのである。

まもなく、生徒たちを前にして、ジャン神父の厳しい言葉が放たれていた。

「ジョゼフは盗んだ物を闇で売ってた。黙っていたペラン夫人も悪い。彼女も同罪だ。まだある。彼の棚にあった。個人の食べ物だ。全て君らのだ。誰のパテだ?ジャムは?」
「僕です」とジュリアン。
「君たちも、ジョゼフと同じ泥棒だ」
「いえ、僕のジャムです」
「独り占めした。私にとって教育は、自由の使い方を教えることだ。それがどうだ。情けない。闇市はもっと下劣だ。いつも金・・・」

神父はそこまで話したとき、ジュリアンの兄の声が遮った。

「交換しただけです」
「何と?」
「タバコ」
「ご両親のことを考えなければ、放校にしている。兄弟を」

神父のこの厳しい一言で、ジュリアンは兄と視線をクロスさせた。

しかし、その後の神父の言葉は、もっとシビアであった。

「ジョゼフを解雇する。君らは外出禁止だ。授業に戻れ」

そそくさと授業に戻って行く生徒たち。扉の外で、ジョゼフの涙声が別の神父に訴えかけていた。

「どこに行けと?ネグラもない」

ジュリアンの兄はジョゼフの肩に優しく触れ、ジュリアンもまた自分と親交のあった料理番を見つめている。

しかしジャン神父の厳しさは、一貫して変わらなかった。

「会計係に給料をもらえ」
「俺だけ悪者扱いは不公平だ」

ジョゼフの涙の訴えだけが、そこに捨てられていた。

そこには、チャップリンの滑稽なサイレントムービーを愉悦したジャン神父と、その隣に座って時間を共有したジョゼフとの、哄笑の爆発の片鱗など跡形もなく削られてしまっていたのである。

まもなく、空襲警報のサイレンが校内を劈(つんざ)いた。

ジャン・ボネ(左)とジュリアンの連弾
しかしジャン・ボネのピアノに誘われるように、ジュリアンはそれに聴き入り、やがて二人は連弾を始めたのである。

「どうせ見つからない」

ジュリアンはそう言った後、親友と二人だけの至福の時間を過ごしていた。

ジャン・ボネの明るい笑い声が、より高らかに室内を木霊(こだま)して、そこにだけは爆音の無機質な音声が入り込めないでいるようだった。

その後、二人は校庭を散策した。

「米軍が上陸するといいな」とジャン・ボネ。
「戦争後も学校に?」とジュリアン。
「分らない」
「怖い?」
「いつもさ」

今度は、調理室での会話。

「最後に会ったのは?」とジュリアン。
「パパ?もう2年になる」とジャン・ボネ。
「僕も会ってない」

会話はそこで遮られた。ジョゼフが調理室に入って来たからである。

二人は咄嗟に身を隠したが、ジョゼフと分ってジュリアンは尋ねた。

「何してるの?」
「忘れ物だ。貴様のせいでクビだ」

その一言を残して、ジョゼフは去って行った。

その夜、ジュリアンは「千夜一夜物語」を読んでいる。

発禁本を読み進めるジュリアンの傍らには、ジャン・ボネが寄り添っている。

ジュリアンはもう、母に甘えるだけの息子ではない。

少しずつ、兄が最も関心を寄せる世界に近づいていたのだ。無二の親友と、そんな時間を共有する喜びを分かち合っていたのである。



7  小さな涙の粒が滲み出て



その日は突然やって来た。

数学の授業を受ける教室の中に、全く異質な世界が侵入して来たのである。

ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密警察組織)のミュラーが教室に入るや、一人の生徒の名を確認した。

「ジャン・キペルシュタインは?答えろ」
「クラスにはいない」と数学教師。

その教師の反応を無視して、獲物を探すハンターのように、ミュラーは教室の中を徘徊する。

ミュラーが教室の黒板の脇に貼ってある欧州の地図に眼を留め、背中を向けた一瞬、ジュリアンは後方に坐るジャン・ボネを一瞥した。

ミュラーは、少年のその態度を見逃さなかった。

彼は少年が視線を向けた先に坐る一人の生徒に近づいて、「来い」と一言、無造作に言葉を捨てた。

自らの運命を括ったかのような、無抵抗なジャン・ボネがそこにいる。

彼は筆記用具を片付けて、静かに立ち上がり、クラスの一人一人と握手を始めた。

4人目に当たるジュリアンの手に触れた瞬間、ミュラーの命令でドイツ兵がジャン・ボネを荒々しく外に連れ出して行ったのである。

そこになお残るミュラーは、苛酷な命令を下達した。

「フランス人ではない。ユダヤ人だ。ジャン校長はあの子を隠し、ドイツ占領軍に反逆した。学校は閉鎖だ。荷物をまとめて、2時間後に整列」

それだけを命じて、ミュラーは足早に教室を立ち去った。

残された生徒たちはドイツ語の意味が分らず、右往左往していた。教師の一人が生徒たちの前で、ミュラーの命令を伝えたのである。

「ジャン校長が逮捕だ。誰かの密告だ・・・」
「ボネは?」とジュリアン。
「ボネはイスラエル人で、ジャン校長が救おうとした・・・寝室に戻って、荷物をまとめなさい。仲間のために祈ろう」

そこに、祈りのための小さな塊が形成された。

その中に、最も失いたくないものを失った少年の嘆きの表情が、印象的に映し出されている。

自分のほんの僅かなアクションを悔いているようにも見えたジュリアンが、その塊の中に埋もれていた。

自分の荷物を整理するジュリアンのいる寝室に、ドイツ兵に連れられたジャン・ボネが入って来た。

荷物をバッグに詰めるジャン・ボネにジュリアンが近寄って、何かを語りかけようとした。

その前に、ジャン・ボネが言葉を開いた。

「どうせ、いつかは捕まってた」
「ネギュスは無事だ」とジュリアン。

ネギュスとは、ジャン・ボネと一緒に転校して来たユダヤ人の生徒。

「知っている」とジャン・ボネ。

彼は自分の本をジュリアンに贈り、ジュリアンもまた、ジャン・ボネに二人で親しんだ「千夜一夜物語」を贈った。「友情の確認」の儀式と呼ぶには、あまりに情感の乏しいその短い会話が、二人の永遠の別れの言葉になったのである。

一方、一過的に難を逃れたネギュスは、なお残りのユダヤ人生徒を捜索するゲシュタポの兵士に追われていた。

ネギュスが教師の誘導によって逃げ込んだのは、病室だった。しかしネギュスに患者としての体裁を施す間もなく、ドイツ兵はその病室に押し入って来たのである。

その部屋には、ネギュスを助けようと動くジュリアンもいた。

「ユダヤ人がいるだろ?」とドイツ兵。フランス語で話しかける。
「見ないよ」とジュリアン。
「お前は?・・・来い。ズボンを下げろ。さっさとやれ」

ドイツ兵はジュリアンの体を捕まえ、ユダヤ人でないことの証明を求めた。割礼(性器の一部を切除する習俗)の有無である。

しかし、ジュリアンがそれに応じるまもなく、シスターの目配せを受け、ドイツ兵はベッドに横たわる一人の少年の布団をめくった。ネギュスが捕らえられた瞬間であった。

ネギュスはもう抵抗する術がなく、ドイツ兵に引き立てられて行ったのである。

戸棚に隠れていた舎監のモローは、屋根裏から脱走し、それをジュリアンは表に出て確認した。

そこにユダヤ人を匿っている事実を密告したジョゼフが、ジュリアンの前に現れた。

「ユダヤ人だけさ・・・ボネが好きか・・・お前らと取り引きしなけりゃ、追い出されずに済んだ。ペランも泥棒だ」

ジュリアンは、このジョゼフの弁明を、明らかに拒絶した。

「司祭ぶるな。これが戦争だ!」

根っからの悪人でないばかりか、自らの身体に大きなハンディを抱えて生きていくことの厳しさを負う青年の、余りある屈折した心情がそこに悲しく捨てられた。

そんな心情が理解できない鈍感さと無縁なジュリアンであっても、ジョゼフの裏切りを許せない感情の方が遥かに大きい少年は、ジョゼフの弁明の追い討ちを否定すべく、その場を立ち去って行ったのである。

まもなく、閉鎖間近な学校の中庭に生徒たち全員が集められた。

「他にユダヤ人は?・・・答えろ!」

ミュラーは権力的に恫喝し、整列させられた一人一人の生徒の態度と表情を確かめていく。

彼が気に留めた一人の生徒に向かって、厳しく尋ねた。

「お前はユダヤ人じゃないか?名前は?」
「ロジエル」
「壁に行け」

ロジエルと名乗る生徒は後方の壁の前に立たされ、その後、ミュラーの命令によって一人一人の生徒たちの名前が呼ばれて、ロジエルと並ばされていく。

その最中でのミュラーの訓示。

「規律がドイツ兵を強くする。フランス人には規律が欠けている。我々は敵ではない。ユダヤ人追放に、諸君は協力すべきだ」

ドイツ兵の生徒たちへの点検が続く中、校舎の中から、一人の大人と三人の生徒が、他の多くの生徒たちの前を通り過ぎていく。

先頭にいる大人は、ジャン校長。生徒の名は、ジャン・ボネ、ネギュス、デュプレ。

見送る生徒の一人から、「さよなら」と声が上がると、次々に別れの言葉が生徒たちの中から繋がれていく。

「さよなら、神父様」

ジャン神父と三人の生徒たち
その声にジャン神父は振り向いて、一言、その意思を明瞭に刻んだ。

「さよなら、子供たち」

校舎の外に出て行く最後の生徒は、ジャン・ボネだった。

彼は後ろを振り返り、ジュリアンを確かめようする。

ジュリアンはそれに反応し、小さく右手を振った。

それが、映像のラスト・シーンとなった。


“ボネ、ネギュス、デュプレは、アウシュビッツで死んだ。ジャン神父はアウトハウゼンで死亡。学校は1944年10月に再開した。40年の歳月が過ぎたが、私は死ぬまで、この1月の朝を忘れない”

作り手自身が思いの丈を込めて語る、痛切なるナレーションが最後に刻まれた。

その場に呆然と立ち竦むジュリアンの瞳から、小さな涙の粒が滲み出て、それが映像と完全に溶け込んだかのような、静謐なシューベルトのピアノの旋律の中でいつまで映し出されていた。


*       *       *       *



8  「教育とは、自由の使い方を教えることだ」



私がこの映画のビデオを借りて、初めて観たときの印象は、今でも鮮烈に残っている。

本作で描こうとする作り手の思いはひしひしと伝わってきたが、私の場合、恐らく、多くの本作の愛好者の印象と少し違っていたに違いない。

殆ど恣意的だが、私は本作を教育についての映画と読み替えたのである。

当時、私は練馬区の郊外で学習塾を営んでいたため、どうしても子供が主人公の映画を観ると、彼らと関わる大人たちの言動が気になってしまうところがある。

私の塾が補習塾であった関係からか、そこでの仕事上の普通のレベルの苦労に過ぎないものでも、それを何か特別なものと感じてしまう悪い傾向があった。

疾病によってその職を辞した今では、当時の様々な経験を客観的に考えられるスタンスが確保できたことで、ものの見方に随分幅が出てきたようにも思われる。

そんな折、繰り返し本作を観直しても、一貫して変わらない印象が、私の中に今でも張り付いていた。

私は当時も今も、本作を「ジャン神父」の映画であり、彼の教育実践の映画であると見ているところがある。それほど本作で描かれた、この教育者としての聖職者の圧倒的な存在感が、良かれ悪しかれ、あまりに眩しく映ってしまうのだ。

映像の中枢的テーマとは少し逸脱するが、この「殉教の英雄」についての言及から稿を起こしていこう。

ジャン神父
ジャン神父。

この人物は一体何者だったのか。

この神父にモデルが存在したことは、ルイ・マルの本を読めば確認できるが、ここで問題にしたいのは、その実在性についてではなく、映像で描かれたこの男の振舞いについてである。

映像の中で描かれたこの神父の顔には、人間としての普通の欺瞞的な振舞いの一端を含みながらも、そこだけは普通の振舞いを超えたかのような徹底した厳父の顔と、社会的正義感に根ざしたヒューマンな慈父のそれがあった。

それは彼の人格の中で全く矛盾なく同居する顔であって、彼がクロスする様々な状況の中で、その本来的な信念に基づく身体表現になって刻まれたのである。

まず、厳父の顔。

これは、それを表現する対象を選ばない。

最も印象深い描写は、学校に父母が慰労に来た際に教会の聖堂の中で説教した、あの刺激的なまでに過激な長広舌のシーン。

そのとき彼は、全ての学校関係者に向かって、こう言い放ったのだ。

「地上の富は魂を腐らせます。人間を利己主義に変え、不正で冷酷な存在に歪める。富める者は、宴に酔い、持たざる者は怒りに燃える・・・」

ブルジョア相手に、そのブルジョア性を指弾する神父の確信的な説教は、あまりにラジカルなものだった。それに反発して教会を去った父兄もいたくらいである。

それでも説教を続ける神父の、その確信的な信念の根柢にあるのは、生徒たちの食事の際に、彼が放った一言の中に集約されるものであるに違いない。

「個人で食料を持っている者は、皆に分けなさい」

彼はそのとき、均しく共有する精神を説いたのだ。

恐らく、この信念のうちには、後の「解放の神学」(注4)に通じる一種のコミュニズム的信条が胚胎しているものと思われる。

それにも拘らず、そこだけは充分に安全で、最低限の食料を確保された場所の中に私立学校を営む神父がそこにいた。

それが彼の負い目であったように想像されるのは、告解式の中で、聖職者の職業を望むジュリアンに対して、神父自身が「嫌な職業だよ」と放った言葉によって裏付けられるからだ。

ジャン神父の、厳父としての厳しさは一貫しているのだ。要するに、彼は富める者の独占を憎んで止まないだけなのである。


グスタボ・グティエレス
(注4)1960年代に、ラテン・アメリカのカトリック界に於いて、一時(いっとき)、爆発的なうねりの中で起こった社会主義的な神学で、神学の根本を貧困や飢餓、差別抑圧からの解放に求めるもの。グスタボ・グティエレス(ペルーの司祭)の思想が有名。                


彼は恐らく、自分の生徒たちに対して、均しく分け与えることの大切さを教育したかったに違いない。

だから彼は不正と私欲を憎んで止まないのである。

そのことが象徴的に現れたのは、闇流しで私欲を貪っていた料理番のジョゼフを解雇したときだった。

このときの彼は、身体障害者としての青年を庇う慈父の顔の片鱗を全く見せることなく、徹底的に頑なで非妥協的だった。

ジョゼフを解雇したことで生じる彼の生活上の問題など、一切省みる余地すら見せなかったのである。

更に神父は、ジョゼフと闇取引したジュリアンの兄弟を放校しようとする意思さえ示したのである。

ジャン神父がこのとき、そこに呼び寄せた生徒たちに向かって放った言葉は、蓋(けだ)し名言だった。

「私にとって教育とは、自由の使い方を教えることだ」

ジャン神父のこの一言は、映像に相当の重量感を持たせている。

彼は「自由の使い方」を知らない子供たちに対して、真剣に怒って見せた。

ジャン神父のこの教育観のうちに、「均しく共有し合う関係」の構築という世界観が濃密に絡んでいる。

彼はこの信念に基づいて子供たちとクロスし、時には厳しく、時には慈父のように振舞ったのである。

では、慈父としてのジャン神父の顔は何であったか。

その答えは、映像の中で終始映し出されていた。

彼はユダヤ人である生徒を確信的に引き受け、その人格を命がけで守ろうとしたのである。

しかも、彼はそれを生徒たちにも求めた。

告解式の際に、ジャン・ボネと親しいジュリアンに対して、神父は「親切にしなさい。他の生徒も君を見習う」と言い添えたのである。

外部からの権力的侵入から、常に生徒たちを守ろうとする神父たちの行動の基盤には、明らかに、「正しき信仰に依拠する者の確信的信念」があったと思われる。それは、原始キリスト教の平等主義の観念と脈絡するものだろう。

だから彼の反独レジスタンスは、神父の精神を貫流する平等主義の観念を蹂躙する外部権力への、極めて人間学的な反応であったに違いない。

「神の前では均しく平等である」という強靭な観念が、神父をしばしば厳父の人格に仕立て上げていくが、しかし映像のラストシーンは、この神父が生徒たちに、その人格性に於いて、いかに慕われていたかということを端的に物語っていた。

「さよなら、神父様」というメッセージの持つ感情的文脈は、慈父としてのジャン神父の、その本来的な人格表現に被される相応のの賛辞であると言っていい。

それに反応する神父の一言は、薄っぺらな叙情性を超えた、殆どそれ以外にない表現として屹立してしまったのである。

因みに、このジャン神父の表現した人格様態を考えるとき、私はどうしても、コルチャック先生の生きざまを想起せざるを得なくなる。

教育というフィールドに限定した場合、二人の類似点が散見されるものの、私は寧ろその相違点にこそ注目する。

ヤヌシュ・コルチャック
コルチャック先生は子供が愛しいから、彼らを命懸けで守り抜く。

彼は子供の世界に入り込み、彼らの辛さを内化する。そのためには、ユダヤの金持ち連中から悪銭を集めることも辞さなかった。

勿論、彼らの置かれた客観的状況は決定的に異なっている。

自らがユダヤ人で、そのユダヤ人の孤児たちをゲットーで守り抜く仕事を選択したコルチャック先生と、ブルジョアの子弟を集めた学校の校長を務めるジャン神父を、同列に論じるのは無理があるかも知れないが、しかし自らが選択したその職務と、そこでの確信的行為によって、自らの立場を最も危険なラインに踏み込む「状況選択」の切り取り方は、本質的に通底するものがあると考えるのだ。

ともあれ、ジャン神父は子供を愛すると言うよりも、自分の信仰と信念の強靭さを検証する形で、子供たちの庇護を特定的に選択し、その確信の下で動いていく。

それ故、彼は子供たちと常に一線を画している。子供たちの世界に自らの思いを預け入れ、そこで睦み合うことに特別の感情を持っていないように思われるのだ。

コルチャック先生との違いは、良くも悪くも、稀有なる人格がより強い使命感によって動いていくときの、その熱量の違いであるとも言えようか。

加えて、この二人には、そこにある種の類似点が認められながらも、微妙な温度差を見せる行動様態がある。

子供たちに迫りくる死を意識させた芝居をさせるコルチャック先生と、均しく共有して生きるという理念的な文脈から逸脱する子供たちに対して、放校させることを考えるジャン神父の厳しさがそれである。

思うに彼らは、死が迫りくるような厳しい時代の厳しい教育を余儀なくされ、それを実践する人生を選択した結果、最も厳しい状況下での時間を全うした教育者であるということだ。それ以外に形容する言葉を持たないのである。



9  「秘密の共有」が壊されたとき



―― 神父への言及が本稿のテーマではないので、以下、ジュリアンとジャン・ボネについての言及に移っていこう。

言わずもがなのことだが、そこにこそ映像の中枢的なテーマ設定がある。

本作のストーリーラインは、思春期前期に当たる少年たちの友情が、苛酷な時代状況に翻弄されながら、それが柔和な着地点に向かうことなく、残酷に切断されてしまうリアリズムの凄みによって貫流されていた。

時代が最も苛烈な牙を剥き出したとき、相対的に、そこだけは時代の歪みから解放されたかのような特定的な空間が存在していた。

そこは、真冬の森の中で生徒たちに宝探しのゲームを許容する、鍛錬教育などという厳しさを内包しつつも、特段に激しい体罰を加えられる訳でもなく、その限定された空間で年齢相応の遊戯に興じたり、女性の尻を追いかけたり、発禁本を盗み読みするような普通の寄宿学校であった。

周囲には同性の仲間たちしかいないから、そこで形成された友情が同性愛的な性格を内包したとしても、それも、至極当然の現象であると言えるだろう。

思春期前期の自我形成期には、このような関係様態の表現をダイナミックに包含させながら、異性愛的傾向を顕著にさせるプロセスを、ごく普通の人格形成の表現のうちに刻んでいくのが自然であるからだ。

ジュリアンとジャン・ボネの関係の友情関係の形成のプロセスもまた、特段に歪んだ内実を示すものではなかった。

どこかで常に自己防衛的な態度を見せる、ジャン・ボネという寡黙な少年が発露する有能さは、ごく普通の能力を持つジュリアンにとって、自分の中にないある種の魅力を感受させる一つの由々しき個性であったに違いない。

私にも経験があるが、この時期の少年が、自分の中に存在しないと決め付ける能力を、同年代の同性の内に見出したことの驚きは、そこに特別な価値としての何かを感じ取ってしまうほど、とても刺激的なことなのだ。

だから二人の喧嘩は殆どじゃれ合いであり、しばしばそこに身体接触する快感をも随伴するものである。

しかしジュリアンが、ジャン・ボネにそのような感情を抱いたとしても、人一倍自己防衛的なジャン・ボネが、その内面を簡単に晒す訳がなかった。

この時期、ヨーロッパのユダヤ人が理不尽に虐待されている現実を目の当たりにして、ジャン・ボネは、自分に関心を寄せるジュリアンのアプローチを無防備に受容する訳がないのだ。

現に彼の両親は、既にSS(ナチス親衛隊)によって焼却炉送りになっていた公算が強かったのである。

それでもジャン・ボネは、他の二人のユダヤ人の仲間との、その閉鎖的な関係世界では自己完結し得ない自我を彼なりに作り上げていた。だからジュリアンとの関係を少しずつ開いていったのである。

彼がジュリアンを決定的に受容する契機になったのは、レストランでの事件によってである。

彼はそこで、ユダヤ人に寛容なポーズを見せるジュリアンの母に好感を持った。

そこに建前的なポーズを被せている大人の欺瞞性を感受しない子供らしさが、未だこの少年の中に健在であったことが、ジュリアンとの関係をより強化させるに足る心理的文脈になっている。

因みに、レストランの一件があった日は、父母が私立学校に寄宿する息子たちを訪ね、半日の交流を深める日でもあった。

父母と共に子弟が外出に赴く前、彼らはジャン神父の過激な説教を受けている。

聖体拝領に先立って、家族が耳にする神父の説教は、時代状況を憂い、富める者たちの私欲を指弾する苛烈な内容だった。

ジャン神父のの説教に対して、「言い過ぎよ」と漏らしたジュリアンの母に象徴されるように、父母の多くは、一部の例外を除いて明瞭なプロテストこそしないが、当然の如く、説教の内実を快く思っていなかったのである。

しかし、ジャン・ボネだけは違っていた。

彼は神父の説教に感動し、異教の儀式を受けようとさえしたのである。この描写が端的に示すのは、ジャン・ボネの豊かな感受性の有りようでもあった。

この少年には、状況の理不尽さに鋭敏に反応するメンタリティが既に形成されていたのである。

ともあれ、レストランの一件で、映像に刻まれたジャン・ボネの小さな微笑が、少しずつ、そして確実に大きくなっていく。

それを象徴的に示した描写は、「チャップリンの移民」という映画の試写会での哄笑の渦の中に、少年自身がその本来の感情によって自然に没我していくシーンである。

ジュリアンとの会話においても、顕著に友情の深まりを見せる描写が挿入されていくようになるのは、プロット展開で確認されるものであった。

そして、空襲警報のサイレンを聞いてもそれを無視して、二人でピアノの連弾に興じる描写。それは、殆ど濃密にクロスした魂の睦み合いでもあった。

二人の睦み合いのピークは、隣り合う深夜のベッドで、「アラビアン・ナイト」を読み合う関係のうちに結ばれていく。

そこで二人の少年は、思春期前期のごく普通の感情世界に遊んでいたのである。二人はそこで、「秘密の共有」をごく自然に結んでいく関係を作り上げていたということであろう。

この映画は、自己防衛的なジャン・ボネの表情が、一人の友人とのクロスの中で次第に明朗化し、その表現の内に、子供らしい素朴な感情を乗せていくプロセスを描いた作品でもあったのだ。

私は、友情の達成点の重要なキーワードに、「秘密の共有」があると考えている

まさに二人の友情の深化は、「秘密の共有」に逢着するまでのプロセスをなぞるものだった。

森の中の宝探しゲームでの二人の彷徨は、多分に偶発的なものだったが、それでも二人はそこで恐怖を共有したのである。

真冬でのそんな恐怖経験を他の仲間に話すとき、思春期前期の男の子なら、その経験談の中で、自分の臆病さを見透かされないような脚色を加えるのが常であり、現に、ジュリアンはそのラインで物語化していた。

狼に慄いたあの恐怖は、二人しか共有しない経験だったのである。

彼らの「秘密の共有」は空襲時での連弾の経験を経て、発禁本の世界にまで進んでいく。

その前後に、ジュリアンは最も屈辱的な夜尿症の恐怖をジャン・ボネに曝け出していた。もっとも、それは皆の知るところになっていたが、その恐怖の感情を晒したのは、ジャン・ボネに対してのみである。

そして二人の「秘密の共有」の中で、最もシビアな秘密の内実こそ、ジャン・ボネが、「ジャン・キペルシュタイン」という本名を持つユダヤ人であったということだ。

これはやがて、二人だけの絶対的な秘密になっていく。

ジャン・ボネはジュリアンにプライバシーの吐露するに至るが、そこにはもう、親友を信じるジャン・ボネの心情変化が明瞭に窺えるものだった。

思えば、ピアノの連弾から繋がった「秘密の共有」に関わるこの一連の関係深化の描写は、映像の中で最も至福なる世界を象徴する描写として、眩しいくらいに輝く時間を刻んでいた。

しかもそれらを、映像は淡々とした筆致で描き出したのである。

この映像の流れが、「子供共和国」のシンボルの逢着点に立ったとき、一転して、その「子供共和国」を破壊する映像が残酷なまでに展開していったのだ。

二人の絶対的な「秘密の共有」は、ラストシーン近くのゲシュタポの侵入によって、図らずも裏目に出てしまったのである。

ゲシュタポのミュラーが、教室内のユダヤ人を特定できずに地団太を踏んでいるとき、ジャン・ボネに贈ったジュリアンの一瞬の視線が、あってはならない残酷を開いてしまったのである。

それはまさに、「秘密の共有」が壊された瞬間だった。

外部権力によって「秘密の共有」が壊されたとき、そこだけはアンタッチャブルであったかのような、「子供共和国」が壊されてしまったのである。

厳冬の朝の残酷が開かれてしまったのだ。



10  「英雄的フランス人」という欺瞞



―― 次に、本作を総論的に言及していこう。


それについては、本作の中で作り手が明瞭に答えを出していることに注目したい。

本作には、二つの最も重要な描写がある。

その一つが、レストランで起こった事件についてのそれであり、もう一つは、ラストシーンにおける苛烈な描写である。

まず前者について。

一人のユダヤ人の紳士が行きつけのレストランで、いつものように食事を摂っている。そこのレストランの支配人も了解済みだ。

しかし、親独派のフランス人義勇兵は、そのユダヤ人を店外追放しようとして、ジュリアンの家族を巻き込んでのトラブルに発展した。

店内では、親独派と反独派が言い争う騒動になりかけたとき、そのトラブルを制圧したのは、店内で一つのテーブルを囲んでいたドイツ将校だったという顛末。これはまさに、当時のフランス国内で出来していた状況の縮図以外の何ものでもなかったのである。

ドイツ将校にたしなめられたフランスの義勇兵が、国内のユダヤ人に対して先陣を切って駆逐しようとした構図が内包する怖さは、ユダヤ人狩りをリードしたのが必ずしもドイツ人だけではなかったことを如実に示している。

実際、ユダヤ人が強制(絶滅)収容所に送られたら決して生還できないというリアルな把握を、当時のフランス人の多くが、それとなく持っていたであろうことは良く知られていることだ。

因みに、ルイ・マルもその辺の事情について、自著のインタビューで答えている。

「フランス人の多くがユダヤ人の運命について何も知らなかったというのを聞いたり読んだりしたことがあるが、これは大嘘だ。もしフランス人が知らないと主張するのであれば、それは彼らが“知りたくない”ということを表しているんだ・・・」(「マル・オン・マル―ルイ・マル、自作を語る」キネマ旬報社刊より)

以上の文脈が含意するものが、レストランという特定空間の中で、その本質を醜悪にも晒していたということである。このレストランは、まさに当時のフランスそれ自身であったのである。

この徹底して抑制的な厳しい映像は、自国民であるフランス人に対しても決して容赦しないのだ。

ここで作り手が提示した一つの問題意識は、「フランス=善と正義⇔ドイツ=悪と不正義」という単純な把握を拒絶しているという点である。

「いいドイツ人もいるわ」とジュリアンの母の言葉は、意外に重量感のある台詞であったということだ。

そして、その直後のジュリアンが放った、「僕らユダヤ人?」という一言もまた、痛烈なアイロニーである。

次男のその言葉に動揺する母の反応は、殆ど喜劇の世界であると言っていい。

「一族はカトリックよ。バカは言わないで。でもユダヤ人に反感はないわ・・・」

このジュリアンの母の台詞こそ、当時の欧州のブルジョアの欺瞞そのものだったということである。

要するに、レストランという限定的な空間に成立した、当時のフランス社会の権力関係の縮図が再現されていたと言うことだ。

権力関係の頂点にドイツ将校がいて、その将校にたしなめられる、フランス義勇兵という名の「売国奴」が存在した。

そして、彼らに不満を持つ多くのブルジョアのフランス人も正面切って対峙できない脆弱な市民であって、その市民たちを含む圧倒的多数のヨーロッパ人が、その本音を言えば、ユダヤ人への抑圧という現実を黙認した複雑な権力関係の構図が、まさにレストランの中に再現されていたということなのである。

(ホロコーストに沈黙したピオ12世に象徴されるように、当時のバチカンのナチスドイツへのスタンスが今なお問題化されているが、「ユダヤ人問題」が内包する根深さは、恐らく、「時代状況の困難さ」という一点に集約されないであろう)

ジュリアンの兄(左)
因みに、レストランを出た後、ジュリアンの兄は学校卒業後、「マキ」(反独レジスタンスに奔走したフランスの地下組織)に参加したいと母に語っていた。

しかし、レジスタンス活動と言っても、テロや情報活動を含む様々な行動様態があり、何よりフランスのレジスタンスは、「勇敢なる愛国者」というイメージで語られやすいが、実際はドイツ敗戦が決定的になった大戦末期での、「駆け込みレジスタンス」の市民の方が圧倒的に多かったという話もあるくらいだ。

本物の抵抗者の多くは収容所送りになって、殺された者も多いという歴史的現実を無視できないのである。

従って、「ナチス・ドイツと戦った英雄的フランス人」という欺瞞的な括りで、この時代の人々の政治的スタンスを把握するのは事実誤認であるということだろう。

多分に自伝性の濃度の深い映像でありながらも、そこに過剰な感傷を含ませる描写を拒んだルイ・マルの、本作に於けるレストランの描写は、その辺の複雑な事情を客観的に再現しようとする作家的な誠実さが窺えるものであった。



11  別離を象徴した古い門戸の硬質な光景



―― 稿の最後に、最も重要なラストシーンの描写に言及する。


レストランでの権力関係の構図は、本作のラストシーンで、そこに曖昧な事情を削り取って、直接的に映像化されていた。

まず、この把握が第一義的に緊要である。

ここでは、「心優しきドイツ将校」は登場しない。

そこに登場するのは、その本来的な牙を剥き出しにした、「ホロコーストのドイツ」である。

ミュラーに象徴される「ドイツ」は、レストランでのユダヤ紳士を庇って見せた、ドイツ将校の「良心」の片鱗も見せないのだ。その行動はあまりに直接的であり、身体的であり、何よりも権力的であった。

ここでの権力関係の基本構図は、親独的か反独的かどうかということのみであり、そこで扱われたテーマを具体的に言えば、ユダヤ人、もしくは、それを庇った者たちか、或いは、その反独的行為を選択しなかった者たちのいずれかという二分法以外ではない。

そして、前者を権力的に捕捉し、然るべき機関に送り込んでいくのである。

この明快な行動論理によって、ミュラーは私立学校を権力的に囲繞したのである。そこで、三人のユダヤ人生徒と、彼らを確信的に庇護したジャン校長を捕捉したのだ。

ジュリアンを含む何人かの生徒や大人は、彼らの能力で可能な範囲の行動を開くが、反独行為として事件にインボルブされるのを恐れるシスターによって、難を一過的に切り抜けた一人のユダヤ人生徒が捕捉されることで、ミュラーの本来的な役割は閉じたのである。

なお疑念を抱くミュラーは、生徒たち全員を校庭に集め、一人一人その名前を点呼することで、生徒の実在性を検証していった。

普段は竹馬に興じることができた、言わば、そこだけが唯一の解放空間だった私立学校が閉鎖されるに及び、生徒たちの安全保障は根柢から崩されていくのである。

生徒たちは、自分がユダヤ人であると疑われることに恐怖感を抱き、壁の前に並ばされていく。彼らの自我は権力的に武装解除されていくのだ。

それは、昨日までの比較的牧歌的な風景を一変させた、最も戦慄すべき時間になったのである。

そしてそんな生徒たちの前を、ジャン神父と三人のユダヤ人の生徒がドイツ兵に引き立てられるようにして、一本の細いラインを繋いで歩行していく。

彼らはもう覚悟を括った者の感情を封印させて、友人知己や生徒たちの前を淡々と進んでいくように見えた。

厳父としての顔を持つジャン神父に対して、一人の生徒から言葉が放たれた。

「さよなら、神父様」

この言葉に誘(いざな)われるように、他の生徒からも同じような表現が刻まれて、最も澱んだ空気の重圧感を突き抜けるように、生徒たちの思いが繋がっていく。

その言葉に触れたジャン神父は、それ以外にない反応を刻んだのである。

「さよなら、子供たち」

この神父の言葉に生徒たちの思いを込めた反応が、厳冬の朝を劈(つんざ)くように繋がれて、最も哀切なる別離の感情が、そこに睦み合うようにしてクロスする。

そのとき、そこに侵入してきた圧倒的な権力関係の構図が、束の間、解き放たれたのだ。

それは、圧倒的な権力に対峙する荘厳な愛情交歓の儀式のようにも見えた。

生徒たちは尊敬しつつも、どこかで煙たがっていた厳父の如きジャン神父の人格の、その裸形のラインに触れて、それ以上の学習が存在しないと思われるような、純化された教育のエッセンスを、まさにそのとき、その自我の奥深いところで内化したのかも知れない。

彼らはこのとき、「自由の使い方」の一つの理想形を学習したのであろうか。

しかし、そんな生徒たちの中にあって、一人ジュリアンだけは、最も重い別離の時間を、その自我の内に鏤刻(るこく)してしまったのである。

扉の外に出て行くジャン・ボネが、一瞬、自分を振り返る。

自分を捜しているように見えた親友の視線に、ジュリアンは別れの動作を小さく刻んだ。

刻んだ後の少年の瞳から一滴(ひとしずく)の涙が滲んできて、それが一筋のラインとなって頬に伝わる時間の前で、突然、映像は見事なまでに潔く閉じられていったのである。

その後のナレーションは、本作を作るために、映画監督という困難な職業を選択したと明言する作り手の自我の内で、数十年間も封印されていた記憶を浄化するかのような語りとなって、本篇を淡々として括り切っていく。

それは、その映像化を決して避けられなかった作り手の、最も枢要なライフワークが自己完結した瞬間だったのだろうか。


―― それにしても、このラストシーンの描写が意味するものは何なのか。


稿の最後に紹介するが、映像の主人公、即ち本作の作り手であるルイ・マルは、自分の中で固まっていたであろう痛々しい記憶をそのまま再現する覚悟を持って、このラストシーンの中庭のシーンからシナリオを書き始めている。

彼の記憶の中で、捕縛され、残酷なる運命(注5)に流れていくであろう親友(実際はそれほどの深い関係ではなかったと作り手は語っているが、当然ながら、自立的な映像とは無縁な事柄である)や、仲間との決定的な別離を象徴した古い門戸の硬質な相貌こそ、永劫なる時間と化した鮮烈な残影となって、深々とその自我に張り付いてしまう何かであったのだろう。

その作り手が、遂に覚悟を決めてその時間と対峙したのだ。

ラストシーンの描写の持つ圧倒的なメッセージは、まさにそれを体験した者が放つ抜きん出たリアリティの凄みであった。


(注5)作り手自身は前掲書の中で、周囲の大人から(主に両親)の情報によって、絶滅収容所の現実について認識できていたと語っている。                


そのラストシーンの描写において、無二の親友であるジャン・ボネが、そこで見せた小さな別れの動作の中に凝縮された時間こそ、まさにジュリアンにとって「絶対時間」と言っていい何かであった。

親友の残した小さな別離のシグナルは、このような振舞いしか許されない状況のリアリズムを鮮烈に映し出すものであったのだ。

思うに、ジャン・ボネ自身も自分の運命が絶滅収容所に移送されて、その身も毛もよだつような凄惨な地で終焉するという、ハードなイメージを想定していなかったようにも思われる。

従って、そこでの親友との別離が、二人の関係の決定的な終焉を意味するとは考えていなかったのかも知れない。

周囲の大人には薄々理解できたことが、そのまま子供たちの了解ラインにまで及んでいたとは必ずしも言い切れないということだ。

その辺が、少年の自我の生存戦略の限界であっただろうが、当然過ぎることである。

自国民へのルイ・マルの指弾の思いは充分に理解できるものの、大体、噂の域で流布していた戦慄すべき情報、即ち、人間が同じ人間の身体を普通の物質と看做して、それを廃棄物のように焼却するという、殆ど未知の領域に属するであろう蛮行を、「凶暴なるナチスドイツ」というイメージで結ばれるような、ごく一般的な不安感や恐怖感の情動の範疇を超えて、本気で信じ切ることが、果たしてどこまで可能であっただろうか。

一切の真相は、戦後になって露わになった凄惨なる現実だったことを忘れてはならないのだ。

だからこそ、ジャン・ボネがそこで残したシグナルの放つ異様な重量感は、映像の力が訴える決定的なイメージ喚起力を持って、観る者の深い哀惜の感情を痛烈に刺激して止まないのである。

小さな別離のシグナルを残して、その場からさっと離れていく。

それがどれほど辛い別れであったとしても、人間の別れの儀式とは大抵そんなものなのだ、と言わんばかりの作り手のメッセージが読み取れて、却って観る者の感動を惹起する映像の凄さがそこにあった。

別離のシグナルが放ったその異様な重量感の中枢に、いつまでもあの硬質な門戸の残像が張り付いているのだ。

ともあれ、思春期前期におけるあまりに痛々しい経験の記憶が、感受性の強い一人の少年を俊英な映像作家に鍛え上げ、その体験を客観化でき得る時間の経過も手伝って、その創作能力の力量が頂点に達したと認知したとき、作り手は、それを映像化するという困難な作業を回避することが許されないと信じる、自己の人生のライフワークに全身全霊を込めて取り組んでいったのである。

戦後、特別な空間で一種特権的な関係を切り結んだ時間を、無残な形で決定的に喪失した記憶を再現させる以外に、この作り手のライフワークが果たされなかったとも思われるのだ。


―― その作り手の言葉をここに引用して、本稿を閉じたい。

ルイ・マル監督
「長年の間私はずっとこの事件を扱いたくないと思ってきたのだが、この事件(『さよなら子供たち』の中で描かれているように、マルの寄宿舎学校のクラスメートがゲシュタポに連れ去られ、校長が逮捕された)は、私のそれからの人生にとてつもない影響を与えた。

1944年の1月に起きた事件が、映画監督になることを決意させたんだ。説明するのはむずかしいが、この事件を乗り越え、理解するのに数年もかかってしまったのはショックだった。そしてもちろん、このことを理解することは私にとって、不可能に近かった。この出来事は実に恐ろしく、私たちが教えられた価値観を根底から覆すものだった。(略)

このシナリオを、私はラストシーンから書き始めた。このシーンは私の思い出から直接採ったもので、これだけは変えたくなかった。私は、台本を手直ししようともしなかったし、これらの会話は自然に出て来たものだった。そして私服のゲシュタポが教室に入ってくるシーン、病室のシーン、そして中庭のシーンは、この映画の要となるシーンであり、一切変更しないことを決めていたので、私は映画の進行とほとんど逆向きにシナリオを進めていった」(前掲書より)

やはりこの映画は、言語に絶する経験をした者が、その自我の奥深いところにべったりと張り付いた記憶を、このような表現世界の只中で解き放つことによって、そこに何某かの自我の浄化を図ろうとした決定的な方法論だったと読解するべきだろう。

ラストシーンに全てを賭けるという決意を持って、最後まで徹底的に感傷を排し、一貫して抑制的に描き切った作り手の覚悟の凄みを、私は全篇からひしと感受した次第である。

(2006年12月)

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