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2010年2月18日木曜日

あの子を探して('99)   チャン・イーモウ


<チョークを手に持つ生徒たちの輝き>



1  「希望工程」の必然性を検証させる映画として



「後ろに山があるので、TVの電波が届きません」とチャン・イーモウ監督に言わせたほどの、河北省赤城県の僻村、チェンニンパオ村にある水泉小学校。

本作は、実母の看病のため、休職したカオ先生に代わって、13歳のウェイ・ミンジが50元の報酬のため、代用教員として悪戦苦闘する物語。

そんな物語で、私が最初に印象に残ったシーン。

それは、ウェイ・ミンジが引き受けた28人の生徒の中で、足の速い女の子を町の学校に強引に連れていくというシーン。

日本の約26倍もある広い中国の国土のあらゆる町村から、有能な素質を持つアスリートの卵を、殆ど上意下達の手法で集めて来る国家こそ、社会主義国の独壇場とも言えるスポーツ戦略であることを正直に描く映像に、取り敢えず、私は好感を持った。

ウェイ・ミンジは、「一人も減らすな」というカオ先生の命令で、そのアスリートの卵である女の子を隠して抵抗する。

ところが、村長からボールペンの芯を買ってもらえるという条件付きで、悪戯っ子のチャン・ホエクーがアスリートの卵の隠し場所を教えてしまったことで、件の女の子は町の学校に連れて行かれることになった。

必死に車を追うウェイ・ミンジに対して、チェンニンパオ村の村長は、「教えるより、減らさない方が難しい」と一言。

そこにこそ、ウェイ・ミンジの存在価値を認めたのである。

黒板に板書し、それを写させるだけのウェイ・ミンジによる「授業」は、代用教員としての「教科教育」の範疇にも入らないだろう。

思うに、「学級」を構成し、「授業」を成立させることなしに「教科教育」は存在せず、強いては、「教育」の存立の可能性をも疑わしいと言わざるを得ないのである。

しばしば言われることだが、「学級」の「無秩序性」を示す特徴として、4つの概念が提起されている。

「多様性」、「即時性」、「同時性」、「予測困難性」がそれである。

この4つの問題を処理し得ることで、初めて「学級」が成立し、同時に「授業」の成立も実現させるということだ。

「授業」の成立を基本要件にする「教育」は、「学級」の秩序の構築を前提とせざるを得ないだろう。

その意味で、13歳のウェイ・ミンジの能力では、「教育」は疎(おろ)か、「学級」を成立させることの困難さが露呈されるばかりで、あまりに荷が重かったと言える。

従って、「少女先生」が担った役割は、「学級」の生徒を減らさないための肉体的防波堤以外ではなかったのだ。

北京電影学院
このような基本的状況の改善の必要性を、北京電影学院(映画専門の人材養成の大学)出身で、中国人民政治協商会議(注1)の委員でもある作り手による映像が再現することで、「希望工程」という名の国家の教育政策の必然性を検証させたのである。

「希望工程」とは、1989年に、中国青少年発展基金が始めた社会公益事業で、基本的には国内外からの寄付によって成立している。

国内外から寄付を集めて小学校教育を始めるという発想は、とても社会主義国家の理念に相応しいとは思えないが、「家電下郷」(注2)というスローガンが中央政府から掲げられるほどに、都市と農村部との圧倒的格差の現実が存在すればこそ、「希望工程」というプロジェクトが必然的に立ち上げられたのである。

ドキュメンタリータッチで展開される本作は、今なおその現実が変わらない現代中国の暗部に焦点を当て、次稿で紹介する作り手の熱意の中で結晶化していったことが判然とするに違いない。


(注1)「政治協商会議は中国人民愛国統一戦線の組織であり、中国共産党の指導する多党協力と政治協商の重要な機構であり、中国の政治活動の中で民主を発揚する重要な形式でもある」(「北京週報・日本語版」より)

(注2)家電普及率を促進するために、農村部の消費者に対して、一律13%の補助金を出すという中国政府の消費刺激策。



2  「学習」を成立させた風景の変容



以下、チャン・イーモウ監督の来日記者会見の一部である。

「この映画を撮るときに、それほど複雑なことを考えていた訳ではありません。1984年に『黄色い大地』を撮っているときに、貧しい地方の小学校に行き、そこで、子供たちが一生懸命学ぶ姿を見て感動したんです。

その後も、私はあちこちの貧しい農村地域に行きましたけれども、そうした子供たちの姿は、普通に見られる光景でした。悪条件の中で勉強する子供たちの姿に感動した訳です。

私は、大都会の子供たちが勉強する姿に、感動したりしません。真っ暗な内に登校する子供の姿も見ました。都会では、商業主義が優先され、そうした素朴な愛が忘れられています。中国には3億人の文盲が存在すると言われています。

上海などは、東京やニューヨークと変わらない水準かもしれませんが、文化の程度を引き上げるということは、都会の現代化という意味ではなく、国民全体の文化の程度を高める事だと思っています。私はこの二つの目的でこの映画を撮りました」(「チャン・イーモウ監督来日記者会見」より/筆写段落構成)

貧しい地方の小学校に通う子供たちの学ぶ姿勢を目の当たりにしたが故に、その文化レベルを引き上げたいという、監督自身の真情の吐露の中に、既に政府による「希望工程」というプロジェクトの必然性が重なっていると言える。

チャン・イーモウ監督
しかしさすがに、ドキュメンタリー的映像を撮らせたら一級の腕前を見せるチャン・イーモウは、ここでも映画監督としての才能を如何なく発揮していた。

全てのキャスティングを素人俳優に委ねた物語は、家庭の事情によって、町に出稼ぎに行ったチャン・ホエクーが、今や27人の生徒のみになった教室から消えていく展開以降、その風景の色彩を顕著に変容させていったのである。

ミンジがホエクーを探しに行くためのバス代を稼ぐために、生徒たちとの協同作業によって、頼まれもしない煉瓦運びの仕事をして、15元を得る行為に象徴されるように、この辺りから「教育」の風景の様態が表現されてくるのだ。

「一日、煉瓦を8時間運ぶとすると、175時間は何日かかる?」

この「少女先生」の質問に、真剣に考える生徒たち。

そこに、「赴任」後初めての「算数教育」が出現したのである。

「授業」を成立させる上で困難な諸問題が、一つの目的に向かって統合されていき、そこに現実の必要性に駆られながらも、まさにそれこそが本来的な意味性を持つ、「教科教育」の基幹である「学習」が成立したのだ。

以降、バラバラだったクラスに通う26人の子供たちに、初めて統一感が生まれたのである。

このことは、「授業」の成立の最大の阻害要因でもあったホエクーの不在によって、生徒の統一感が形成された事実を検証したとも言えるだろう。



3  チョークを手に持つ生徒たちの輝き



物語を続けていく。

ホエクーを探しに行くミンジの旅が開かれた。

開かれた早々、ミンジはバス代を払えないため、バスに乗っても途中で降ろされる始末。

このリアルな描写が、観る者に、ミンジの旅の困難さを予約していた。

山道を歩き続けて、ようやく町の途中までトラクターに同乗させてもらって、何とか、「少女先生」は町までやって来た。

しかし、この13歳の「少女先生」の旅の本来的な目的は、不在の生徒の保護の故でなく、50元を手に入れるためだ。

この辺りの物語の展開は、プリティガールとは言えない、どこにでもいそうな女の子を主人公にした根性ドラマの臭気を漂わせつつも、充分過ぎる目的性を持つ「旅」の支配下にあって、農村との絶対的落差を炙り出し、その乾燥した空気の違和感が「都市彷徨」の孤立をも映し出す流れ方に、「純粋無垢」の「子供映画」と切れた「冒険譚」を彷彿させるものがあった。

ともあれ、根性ドラマの「少女先生」は、苦労してホエクーの働き場所を尋ね当てても、既にホエクーは逃げ出したあと。

いよいよ、「都市彷徨」の乾燥した空気の違和感が炸裂しかかっていく。

テレビ局を利用することを教えられたミンジは、早速、最寄りのテレビ局に向かった。

しかし、少女の淡い願いは呆気なく砕かれた。

「門の外で好きなだけ待つといいわ。行かないと人を呼ぶわよ」

テレビ局の局長に会おうとするが、ミンジは門衛の女性に追い払われた。

それでも日夜、テレビ局のゲートの前で、ミンジは粘り続ける。

朝になっても、路傍で眠り続けるミンジの苛酷な様態こそ、「都市彷徨」のイメージを喚起させていくだろう。

テレビ局のゲートが開いて、ゲートの前で、顔も知らない局長を探し続けるミンジ。

「映画の嘘」の結果、遂に努力が実って、テレビ出演が実現したのだ。

「テレビの広告は、30秒で600元もする」と言われても、実感が湧かないミンジだったが、いよいよ「生活七色橋」という高視聴率の尋ね人探しの番組の中で、自分の思いを開いていったのである。

「どうして、ホエクーを連れ戻したいの?」

この女性キャスターの質問に対して、緊張のあまり言葉を結べないミンジは、テレビカメラに向かって、溢れる涙を堪えながら、ホエクーへの語りかけを繋いでいった。

「ホエクー、どこにいるの?3日も探したわ・・・心配なのよ。早く帰って来て」

危うい「都市彷徨」を続ける、当の本人のホエクーは、たまたま放送を観ていた定食屋の女主人に促され、その再放送の番組を観るに至った。

立ち所に、ホエクーの頬を伝わって、涙が溢れてきた。

全てが、解決した瞬間だった。

その直後の映像は、放送局の車に同乗して、ミンジとホエクーの凱旋帰村のカット。

「村中で、大歓迎ですね。今のお気持ちは?」とテレビ局の女性キャスター。
「すごく嬉しいです。ホエクーが戻って良かった」と村長。
「心配なさった?」
「ええ」
「多くの人から文房具が贈られました。どのように使われます?」
「文房具は、生徒に配ります。これを使って、もっと勉強に励んでもらいます。今回の件で、寄付金も沢山集まりました。このお金は、どのように使われますか?」
「それは決まってます。ウチの校舎は老朽化が激しく。雨漏りします。新しい校舎を建てます」

些か調子のいい村長のコメントがハンディカメラに記録されていくが、それを皮肉る映像が、その直後に映し出したシーンは、寄付されたチョークを、「少女先生」としてのミンジが、一人一人にチョークを配って、そのチョークを手に持つ生徒たち全員が、黒板に自分の好きな文字を書いていくという、いかにも「希望工程」に相応しい映像の括りだった。

「ウェイ先生」

この3文字を、照れながら黒板に書いたのは、その「ウェイ先生」によって、「都市彷徨」から救い出されたホエクーだった。



4  中国映画という、「グローバリズム」の吶喊



ラストシーンに繋がる、ミンジとホエクーの「涙の競演」という、勝負を賭けたシークエンスにおいて、子供を上手に泣かせる演出を含めた作り手の映像構築には特段の破綻はなかった。

素人の子供を起用したその演出が、いかに「芸術的」であったかについては、以下の作り手の言葉が如実に示しているだろう。

「ホエクーは、実際にはミンジより1歳年上なので、絶対に先生とは呼ばなかったし、いつもいじめてばかりいました。だから、ホエクーを思って泣くなんてことは、彼女にできるわけがないんですね。それでも、あの場面では、ホイクーを思って泣いてもらわなくちゃいけない。だから私は彼女の耳元で、お父さんやお母さんのことを思いなさいと言って泣いてもらいました」(チャン・イーモウ監督来日記者会見)

「芸術的」の種を明かされれば、興醒めしてしまうような話だったが、所詮、「リアリティ」を作り出す「映画の嘘」の正体を聞き知っても、殆ど意味がないことだ。

「中国では法制度というものがまだまだ不完全なので、人々は、何か問題が起きると、TV局に訴えるんです」(同上)

この話は、「面白さ」の陰に張り付く問題の社会性が横臥(おうが)していて、「30秒で600元」払えなければ、ミンジのような無謀な吶喊(とっかん)を敢行する以外にない、「法」に依拠し得ないこの国の人々の直接性に驚かされる。

前述したように、チャン・イーモウ監督もまた、彼なりの問題意識をもって、本作で描かれた多くの主題性を含む映像を作り上げていったことが瞭然とするだろう。

それ故にこそ、「希望工程」というプロジェクトを必要とせざるを得ない、この国の都市と農村との圧倒的格差の問題は、「調和社会」の建設を模索する困難さを照射してしまうのである。

そして、この国で最も影響力を持つと言われるチャン・イーモウ監督は、原油で潤う中東の富裕国と共に、途上国の農地を大規模に囲い込む社会主義大国、中華人民共和国のド派手な「グローバリズム」の展開の中にあって、映像文化のフィールドで中枢的役割を果たしているように思える。

「純粋無垢」とか、「純愛」とかいう言葉を聞くと寒気がする私の好みの問題を超えて、現代を読み解くことがより困難になっている複雑な時代の中にあって、ただ単に姑息な「アイドル映画」に過ぎない作品を、シンプルな絵柄の連射を商品価値にしたかのような、「究極の純愛映画」の懐の内に隠し込んだ感のある、「初恋のきた道」(1999年製作)や、アメリカでの映画興行成績の成功に直結した、「HERO」(2002年製作)に代表されるように、商品価値としてのチャン・イーモウ監督の作品群が世界基準で認知される過程それ自身が、まさにハリウッド化を目指す中国映画の「グローバリズム」の成功と重なっているのだ。

「秋菊の物語」
今や、官僚主義が跋扈(ばっこ)する、この国の社会制度の歪みをユーモア含みで描き切った一代の傑作、「秋菊の物語」(1992年製作)を演出したチャン・イーモウ監督の、人間と社会を見詰める真摯な姿勢が劣化したと断じ得ないが、それでも、映像的完成度において散漫な印象を受ける、ジャ・ジャンクーの「長江哀歌」(2006年製作)などが高評価を受ける素地を築いたイーモウ監督の振れ方を見る限り、「国家政権転覆扇動罪」(注3)に問われた末に懲役刑を受ける少数の民主活動家や、「08憲章」(注4)に参加したこの国の文化人の行動とは明らかに一線を画すフィールドで、より良心的な仕事を継続させていく戦略が見え隠れすると言えるのだろうか。

これは、奇麗事を言わない映像作家であると信じたい、チャン・イーモウ監督への私自身のオマージュでもあったが、正直、期待値の劣化は甚だしいというのが実感。


(注3)国家に対する反体制的な活動をした者に対する厳重な罰則で、最高刑は懲役15年。

(注4)中国共産党の一党独裁体制廃止などを呼びかけた文書で、起草者として「国家政権転覆扇動罪」に問われた劉暁波へのの控訴審判決において、懲役11年、政治的権利剥奪2年の判決が確定した。共産党体制批判には厳罰を与えることを示す狙いだが、国際社会からは劉氏の即時釈放を求める声が強まっており、中国の人権問題に対して国際世論の批判が高まるのは必至。(北京共同配信参照・2010年2月11日)更に、「中国外務省の馬朝旭報道局長は11日の定例会見で、『中国にはディシデント(反対派)は存在しない』」というコメントをした。(同上)



5  少年少女の「都市彷徨」の危うい行方 ―― まとめとして



その目的性において一方通行だった、二人の少年少女の「都市彷徨」が、少年少女の村には存在しない、「テレビ」という近代利器を介在した時空で重なったとき、一方通行だった二人の関係の内側に、かつて経験しなかったような感情が噴き上がってきて、まるで双方向の温覚をリザーブした幻想の関係の復元を完遂したかのような、そこだけは作り手の希望的想念が存分に注入された奇麗な時間を作り出したのである。

これは貧しい村の、貧しい少女の、普通に打算的な行為が、いつしかその行為の目的性を見えなくしていくような自我の緩やかだが、しかし本人にも説明できない感情のうねりの中で、「都市彷徨」という危うい経験を媒介することで突沸した感性によって把握された、思春期の一つのステップの航跡の断面を記録した物語であったと言える。

貧しい村の、貧しい少年少女の、普通に希薄な関係が、彼らの絶対的貧困とは無縁な煌びやかなりし大都市の生活風景によって相対化されることで、なお自分たちが帰りたい世界を持つ思春期前期の自我が、その固有なる特性の中で鋭角的に突沸したかの如く、新鮮な輝きを放った時間を特定的に切り取った映像でもあった。

映像は、「少女先生」が赴任したときの乾燥した空気とは切れた、明らかに湿潤性に満ちた奇麗な軟着点を予約させてしまったが、実のところ、思春期前期の女子の自我の早発的な成長を垣間見せた少女はともあれ、少なくとも、「都市彷徨」の危うさをダッチロールしていた少年の、その後の未来の確実性の高い成長を約束するイメージまでも記録していないのだ。

「映画の嘘」は、その嘘を隠し込む技巧の導入によって、観る者に爽やか過ぎる感銘を置き土産にしたが、教育的な視座から冷静に観る限り、貧しい村を嫌悪する少年の、その暗い脱出行をも惹起させる何かが、そこに潜んでいた。

それが、私の最終的結論である。

(2010年2月)

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