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2010年2月16日火曜日

病院で死ぬということ('93)       市川準


<「家族愛」という「究極のロマンティシズム」>



  1  激痛や苦悶の喘ぎを拾わない映像への違和感



 ここに、この映画のエッセンスを説明する最も重要な言葉がある。

 本作の舞台となった病院で、ターミナルケアという究極の医療に関わる山岡医師のモノローグである。

 「池田(注)さんが、自宅に帰りたいと言い出したとき、私はその気持ちがよく分りました。末期状態においては、彼女の意志は何よりも優先されるべきだと思いました。・・・・病院とは、不思議な場所だと思います。当たり前のことですが、この場所は、その人の人生に、最初から必要とされていた場所ではないということです。・・・・私たち医療者は、その人の人生の過程に、突然登場し、その人の前に大きく立ちはだかってしまうように感じることがあります。・・・・『死』を自覚した人の前で、私たちに願うことが許されるとしたら、矛盾した言い方のようですが、この場所が『死ぬための場所』ではなくて、『生きるための場所』であることを、最後のときまで感じて欲しいということです。自分の意志で、自分の『死』を取り戻す場所であって欲しいということだと思います」


(注1)本作の患者の一人である、池田春代のこと。60歳の彼女は、自分が末期癌であるという事実を知らず、入院当初は周囲に元気を振り撒いていたが、二度の手術を経ても病状が改善しない現実に苛立ち、喚き出すに至ったことで、遂に意を決して、山岡は彼女に真実を告知する。このモノローグは、その直後のシーン。


 「自分の意志で、自分の『死』を取り戻す場所であって欲しい」と語る、以上の山岡医師のモノローグに説明されているように、この映画では、病院という非日常の世界の本質が端的に表現されている。

病院とは、その空間と無縁な人々の日常性の風景と切れた、非日常の時空以外の何ものでもないのだ。

 フェードインとフェードアウトを反復する本作の中で、度々、挿入されるシーンがある。

 それは、病院とは無縁であると信じる世界で呼吸している人々の、ごく普通の日常性の風景である。

 その中で、笑みを浮かべて街路を歩行する人、自分の仕事に専念する職人や会社員、日常性の延長にあるレジャースポットにおける家族団欒の風景、そこに自然の変化と色彩が季節感を表現し、人々の日常世界の風景が淡々と映し出されていく。

 それらの日常的な風景の挿入によって、「その人の人生の過程に、突然登場し、その人の前に大きく立ちはだかってしまう」病院という名の、閉鎖系の空間の異質性を相対化させていくことで、ターミナルケアのスポットで呼吸する人々の非日常性を、本作は繰り返し繋いでいくのである。

 ターミナルケアのスポットで呼吸する人々は、その固有名詞が包含する存在感以上の意味付けによって、一様に「患者」と呼ばれ、その「患者」たちの非日常の営為が淡々と語られていく。

 無限の広がりを持った日常世界が営々と繋がっている、外部世界から侵入してくる心地良き風を受けて、物欲しそうに窓外を振り返る「患者」は、かつてそうであり、今もそうであらねばならない固有の日常性を想念し、その世界への生還を切望しながらも、「医師」、「看護師」、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)や、その他の医療関係者が常勤する特殊な密閉空間の中で、そこで必要とされる薬剤を処方され、しばしば、自らの身体が抱えた疾病の悪化に起因する外科手術を受けるのだ。

 それでも「患者」と呼ばれる人々は、「絵画の静物のように、気持ちよくおさまったフルサイズのベッド」(後述するシナリオからの言葉)を住み処として、その非日常の時空で呼吸をする人々に共通する心的現象、即ち、最適適応を困難にする疾病状態の中で揺動する内面の葛藤や不安、恐怖などが、ワンシーン・ワンカットの画面が静かにフェードアウトされるまで、その呼吸音の波動を乗せて、観る者に伝えられる。

 そういう映像なのだ。

或る者は、その閉鎖系のスポットの中で、非日常の生活の終わりの見えない延長でストックされた不満を爆発させ、喚きまくる。

 傍らに寄り添う妻は、反応する言葉を返せず、立ち竦む。

 主治医の山岡を前にしても、ストックされた彼のストレスは癒されることがなかった。

 彼には、自分が末期癌であるという現実を知らないからだ。

 その直後の映像は、癌を告知された件の「患者」が山岡医師と談笑し、自分の過去を語り、記憶に刻まれた相互の思いを交歓させていくシーン。

 映像が写し出したのは、それだけだった。

 本作は、一人の女性「患者」を除けば、末期癌に冒された「患者」の激痛や苦悶の喘ぎを拾うことをしないのだ。

 作り手の意図は明瞭である。

間近に忍び寄る〈死〉を約束された末期癌の「患者」が、病院という非日常の時空で、一貫して静謐な画像を隠れ蓑にして、それでもなお生きていくことの価値を訴えたいのだ。

 従って、これが山岡医師と談笑した、件の患者のメッセージに繋がっていくのである。



 2  「家族愛」という「究極のロマンティシズム」



 件の「患者」の名は、野口敏夫。

 以下、ラストシーンとなった、彼のモノローグ。

 「そして死ぬかも知れないことが、少しも怖くない理由が、今、よく分った。死を乗り越えることができるのは、勇気でも、諦めでもない。愛なんだ。愛なんていうことについては考えたこともなかったけれど、愛という言葉でしか呼びようのない心が、この世には確かにあるんだ。そんな広くて、豊かな心のある世界に、暫くでも生きてきたことを幸福だと思うよ。・・・・・お父さんは、心の底からお前たちを愛している・・・・・さようなら。父より」

 彼が想念する世界の中枢に、彼の愛する遺された家族が存在し、主を喪った妻と二人の子供が、「人生のように長く続く並木の間をすこやかに歩いていく」(シナリオから)。

 あまりに定番的だが、極めつけのラストシーンを、野口の長いモノローグが静かに、しかし存分の思いを込めて追い駆けていく。

 要するに、「死を乗り越えることができるのは、勇気でも、諦めでもない。愛なんだ」ということを言いたいだけの映画なのだ。

 存分に感傷を込めた、この「大感動」のラストシーンに、多くの鑑賞者は涙腺を緩めたかも知れないが、「厳しい映像の中で露わにされる人間の真実」を描き切る作品を好む私にとって、このラストの甘さにすっかり興醒めしてしまった。

 「患者」の「痛み」の描写の欠損に不満があっても、それまで構築していた映像のリアリズムの一端に触れて、「このままいってくれ」と念じていた私の期待が見事に裏切られて、結局、奇麗事に流れていくフラットな「映画」を見せつけられてしまったのだ。

 なぜ、我慢ができないのか。突き抜けられないのか。

 なぜ、鑑賞者を泣かせることを止められないのか。

 奇麗事は、もう沢山である。

 末期癌の苦痛で歪む人々に、「死の恐怖感」というテーマは存在しないのだ。

 私の知っている者の臨終の全てがそうだったように、彼らは寧ろ、「苦痛が延長されるだけの、『生に対する恐怖感』」に慄き、新たに加わっていく激痛からの解放だけを切望するのである。

 多くの場合、激痛に喘ぐ「患者」の感情世界の中枢は、一刻も早く死にたいという思いなのだ。

 「愛」という使い勝手の良い浮薄なメッセージで映像を閉じてしまう甘さが、本作の致命的な欠陥であった。

 そういう映画だった。

山崎章郎氏
実際、死を迎えるまでの数週間の時期の辛さ、具体的には、患者当人の身体的・精神的苦痛の絶望感の深さについて、原作者であり、その後、「在宅ホスピス医」(注2)として活躍している山崎章郎(ふみお)は、HPの中で報告している。

 「千人を超える末期のがん患者さんの道程に同行した経験から言えば、僕には、死までの数週間の時期が一番つらい時期のように思える。この時期、殆どの患者さんは入浴、食事、排泄などの日常生活が自力では困難になる。

 結果として出現する身体的・精神的苦痛は絶望的なほどに深いことが多く、それまでなんとか意味を見出しながら日々を過ごしていた人々が、もうこれ以上生きる意味はないと感じ始め、そのことを周囲に訴え始めるからである。

 患者さんの状態を見ていれば、その訴えは痛いほど共感できる。苦痛症状の緩和は当然のこととして、ホスピスケアが本当の意味で問われるのはこの時期なのだと僕は考えている」(山崎章郎さん「在宅医を生きる―東京・小平の現場から」HP/筆者段落構成)


(注2)医師が担当する患者宅を往診することで、痛みへの緩和治療などを施しながら、患者の最期を看取る医師のこと。


 山崎章郎は同時に、ターミナルケアの経験を通して、「自分を愛し、信頼し、共感してくれる人たちがいて、自分もまたそれらの人々を愛し、信頼しているのだということを実感」するホスピスケアの存在意義をも、原作の中で言及している。

 「末期ガン患者にとってたいせつなことは、患者が自分は決して孤独ではなく、自分を愛し、信頼し、共感してくれる人たちがいて、自分もまたそれらの人々を愛し、信頼しているのだということを実感できることだからだ。患者と患者をとり巻く人々の間に、そのような関係が成立すれば、人はどんなな場所でも闘病し、生き生きと生き、死を乗り越え、死を受け入れていくことも可能なのだ」(「病院で死ぬということ」山崎章郎著 文春文庫 1996年)

以上の一文は、「国立の施設で、宗教による精神介護はむずかしい。このため緑や野鳥など自然をふんだんにとり入れることにより、患者の心をなごませ、臨終のときを迎えてもらおう」(1989年7月9日付、朝日新聞 「末期がんに緑陰の病棟」)という、国立第二がんセンターの概要を伝える記事に対する反論として書かれたものだが、同時に、宗教的背景の希薄な日本ではホスピスケアは困難であるという記事内容への指摘でもあった。

 相当程度、ロマンティシズムが入り込んでいると思える原作だが、それでも「死までの数週間の時期が一番つらい時期」に置かれる「患者」を前にして、苦悩を深めた経験の分量が、「在宅ホスピス医」という先駆的ワークに、覚悟を括って、その身を預ける決意をしたのであろう。

 「患者が自分は決して孤独ではなく、自分を愛し、信頼し、共感してくれる人たちがいて、自分もまたそれらの人々を愛し、信頼しているのだということを実感できる」という思いに逢着した、山崎章郎のターミナルケアの地獄を身体通過した経験を、映像は単なる「家族愛」という最も安全で、無難な物語にまとめ上げてしまったのである。

 なぜなら、それこそが、一貫してこの国で待望される「究極のロマンティシズム」であるからだ。



 3  「最も『安楽死』に近い『死』」を手に入れられる時代の幕を開き切るという幻想



 ここで、ターミナルケアを専門に行う施設としてのホスピスの代表的施設である、神奈川県の「ピースハウス病院」の簡単な輪郭と基本理念を紹介して、ホスピスの存在意義を確認したい。

 「ピースハウス病院は、1993年に富士山を望む神奈川県中井町に日本で最初の独立型ホスピスとして開設されました。

 ホスピスとは、進行したがんで積極的な治療の効果が見込めない患者さんに、質の高いケアと療養に適した生活の場を提供する目的で作られた施設をいいます。

 ホスピス発祥の地であるイギリスと近代ホスピスケアの先進国であるアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの施設やケアの実際を視察し、日本にふさわしいホスピスを模索しながらつくったのが私たちのホスピス、ピースハウスです。
 
 開院までには、7年の準備期間を費やしました。全国各地から善意の6億円の寄付をお寄せいただき、神奈川県や日本財団からも多大な援助をいただきました。

 基本方針 

 1 患者が、痛みなどの心身の不快な症状の緩和を得て、穏やかに生きてゆくことができるように全人的ホスピスケアを提供する。

 2 愛する人を失う悲しみやその他の心身の反応は自然なことと考えて、かかわりを持ち始めたときから死別の後にいたるまで患者の家族を支援する。 

 3 多職種の職員とボランティアがチームを構成し、互いに協力してケアを提供する。 

 4 日本の実状に即したホスピスのモデルとして、より良いケアの実践、研究、教育を進める」(「ピースハウス病院」 HP/筆者段落構成)

ピースハウス病院
まさに本作が製作された年に、独立型ホスピスとしてのピースハウス病院が、平塚郊外(最寄り駅は二宮駅)に開設されたのである。

 現在の時点で求められる限りの高度の「全人的ホスピスケア」の遂行が理念化されているとは言え、「高額療養費制度」(自己負担限度額を超えた分が支給される制度)の対象になっている現実を考えたとき、「最も『安楽死』に近い『死』」を手に入れられるかも知れない高度な人為的試行のコストもまた、差額ベッド代等の費用が保険適用外である事実によっても判然とするように、「全人的ホスピスケア」を受容し得る現実の壁の厚さを認知すべきなのである。

 私たちの社会が、「最も『安楽死』に近い『死』」を手に入れられる時代の幕を開き切るという幻想に縋るのは自由だが、難しい理想の具現を、難しい現実の内側から突き破るには、それを手に入れようとする者たちの相当の覚悟が求められるだろう。

 このリアリズムの厳しさを、絶対に無視できないということだ。

 独立型ホスピスの本格的立ち上げを前に製作された映像が軟着した、「究極のロマンティシズム」の世界について、作り手がその後、どのような感懐を持ち、どのような学習を経ていったかについて、私は何も知らない。

 2008年9月19日に、脳内出血が原因で、59歳の若さで急逝した市川準監督には、「家族愛」という「究極のロマンティシズム」によって、襲い来る「死の恐怖感」を突き抜ける時間的余裕がなかったかも知れないが、是非、本作に対する学習的成果の有無について知りたかったところである。



 4  静音性の中のフィックスショット



 本稿の最後に、映像をフィックスショットによる描写に限定した意味について、一言。

 「ビスタビジョンのスクリーンのサイズに、絵画の静物のように、気持ちよくおさまったフルサイズのベッドである。ゆるぎない実在感のようなものが感じられる。

 この映画の中で、患者さんの登場するシーンは、すべて、この、ひいた『ベッド』の映像で通したいと思う。

 患者さん(つまり病室)が、変わっても、この、ひきぎみの『ベッド』をみつめるカメラの位置が、定点観測の様に、たえず同じである、ということ。

 病室のちがいや、時間の推移などは、最低限の『美術』と『ライティング』の変化によって、表現される。

 つまり、その場所が、ひとつの『聖域』であるような、印象を、観客に与える、ということ」(「‘93年鑑代表シナリオ集」シナリオ作協会 映人社)

市川準監督
以上の注釈は、本作のシナリオも担当した作り手の冒頭の説明。

   ひきぎみの「ベッド」をみつめるカメラの位置が、定点観測の様に、たえず同じである」ようにした理由は、恐らく、否が応にも、非日常の世界に拉致された者のリアリズムを表現する最大効果を意図したものだろう。

 加えて、特定の患者への感情移入を回避することで、観る者に、映像を出来る限り情感で流される印象付けをしたくなかったのではないか。

 もしそうであるなら、尚の事、ラストシーンのモノローグは不要だったと言えるだろう。

 末期癌の「患者」である野口敏夫の死を、一過的な借主を喪って、無機質の空間を寒々と見せる空きベッドの構図のフィックスショットが、静音性の中で捉えて放さなかった。

 それ故にこそ、「空になったベッドを見つめる山岡医師」という、それ以上ない静音性の空気が能弁に語るこのカットで、映像は閉じるべきだったのだ。

 「復活」した死者に鞭打つ言葉を、姉妹が平気で放つ、イングマール・ベルイマン監督の「叫びとささやき」(1972年製作)のような厳しい映像を、癒し系全盛のこの国で求めるのは無理だと分っていても、せめて奇麗事で塗りたくった映画の連射だけは勘弁してもらいたいもの。

 静音性の映像を世に放ってきた市川準監督であればこそ、最高到達点を極めた映像への期待もあっただけに、59歳の若さでの急逝には惜しまれてならないのである。

(2010年2月)

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