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2008年11月3日月曜日

名画短感③  恋恋風塵('89)


ホウ・シャオシェン監督



1  一級の「失恋映画」



ホウ・シャオシェンの「恋恋風塵」は、一級の「失恋映画」である。

その表現力、抑制の効いた描写、少年期の感性を見事に捉えた映像は特筆すべきであって、他の追随を許さないものがある。

祖父に癒されて閉じるこの静謐な映像宇宙は、失恋の痛みを知る者との追憶の夕べでもあった。

幼馴染の男女が恋をして、やがて兵役に就いた男のもとに、女からの変わらぬ便りが続いていた。

その便りが突然途絶えたとき、男は故郷での女の結婚を知らされる。

喘ぐ男を、祖父が優しく包み込む。

これだけの映画だが、青春の通過儀礼を、覚悟を決めて見守る作り手の視座が、たまらなく潔い。

「失恋の王道」をいく映像の展開が、そこにあるからだ。

他の異性に恋人をとられたという失恋こそが、「異性のお勉強」に不足気味の青春の、典型的な通過儀礼となるのである。

相手の裏切りが怒りを誘発させ、思い切り爆発すれば、あとは時間が癒してくれる。

経験した者でなければ決して理解できない辛さを随伴するが、しかしそんな失恋こそ、王道であると言えるのだ。

ゲーム・オーバーをきちんと認知できるから、青春の展開が流れるように決まるのである。

爆発することなしに、誰かが静かに寄り添ってくれれば、もうそれだけで、半分位は片付いてしまうのであろう。

少なくとも、何も語らぬ他人の小さな寄り添いを必要とするとき、「察し」の心遣いがそこにあるだけで、ほんの少しくらいは癒されたと思える経験を繋ぐ青春の曲線的軌道は、これからも続く長い人生の、何某かの糧となるに違いない。

辛さを堪える経験の固有の時間の記憶は、多くの場合、経験主体の自我能力に一定の免疫力を加えていって、いつしか、「あれがあったから、今の自分がある」と思わせる、貴重なる人生訓を刻んでいくかも知れないのだ。



2  「失恋の王道」を歩む曲線的な青春の航跡についての、一つの金字塔




「恋恋風塵」は、「失恋の王道」を歩む曲線的な青春の航跡についての、一つの金字塔とも言える映像だった。

恋人に寝返りされたりすることで、破綻する痛切な愛、これが「失恋の王道」であった。

「異性のお勉強」のレベルが上がっていれば、或いは、防ぎ得たかも知れない様々なミスマッチによる痛切な経験こそ、実は、恋愛ビギナーが通過せざるを得ない関門なのである。

彼らはいつか本物の恋愛と出会うために、その「失恋の王道」を突き抜けなければならないのだ。

そこに第三者による癒しがあれば、相手への必要以上の憤怒の感情が吸収され、やがてそのバカらしさに気づかされる。

相手に対するドロドロとした含みが劇的に一掃されるとき、もう、絶対感情と信じた何かが相対化されてしまっているのだ。

若者は深い痛手を負うことなく、より自分に相応しい異性を求める旅を続けられるのである。

「恋恋風塵」の若者の終幕は痛々しいが、その辛さの向うに新たな出会いが待っていて、その出会いを深くするためにこそ、この経験が必要だった、といつか思えるその日に向かって、重い腰を上げた若者は、何とか明日から動いていかねばならない。

そのように動いていくような、動いていけるような、その痛々しくも、固有なる「失恋の王道」を踏みしめてきたはずなのだ。

こんな身内がいて欲しいと思えるような、祖父役の李天禄(リー・ティエンルー・注)の存在感が映像をより印象的に立ち上げたばかりか、他の飾りのようのない、その連綿とした日常性の辛さを一時(いっとき)癒していた。

ホウ・シャオシェン監督
あらゆるものを昇華せずにはおかないようなこの清澄さこそ、この寡黙なる映像の生命線であった。まさに一級の「失恋映画」だった。

個人的に言えば、「悲情城市」(1989年)という一代の傑作でその表現世界を究めた感の深い、ホウ・シャオシェンの映像世界の中で、この「恋恋風塵」が私には最も馴染みやすいものであり、愛好する作品でもある。


(注)台湾の伝統的人形劇の演者で、その波乱に満ちた半生(1998年に逝去)は、本人が主演した「戯夢人生」(ホウ・シャオシェン監督)という秀作に詳細に描かれている。

(2000年1月)

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