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2009年11月29日日曜日

小早川家の秋('61)   小津安二郎

長男の嫁・秋子(左)と、小早川家の長女・文子
<映像作家としての、そこだけは変えられない表現世界の癖>



1  小津ルールも極まれり



何度観ても、相変わらず馴染めない小津ルールの洪水。

小早川家の亡き長男の嫁、秋子と、小早川家の次女、紀子との会話の不自然さに、またしても大いなる違和感。

会話なのに口だけ動いて、切り返しのショットで表情の変化を見せないばかりか、ここでも会話の執拗な反復。

その直後の映像は、送別会における、美女揃いの見本市のような4人組と、男たちの典型的な「相似形の構図」の中で、「雪よ岩よ我等が宿り 俺達ゃ町には住めないからに」という「雪山賛歌」のコーラス。

「御機嫌よう」と紀子が言った後、「元気でね」と紀子の同僚、中西多佳子が言葉を機械的に繋いだ後、「有難う、有難う」と口パクの紀子の同僚、寺本が反応する絵柄の中に、同時に男たち4人がビールを飲むシーンが、これも機械仕掛けの動きの型に嵌った構図の内に自己完結していくのだ。

そして、プラットホームのベンチに、恋模様を穏やかに奏でる風情の若い男女、紀子と寺本が座っている。

「ああ愉快やった。あの連中と会ってると、行きとうのうなくなるわ」 
「ずっと長いこと、行ってはりますの?」

次女・紀子(右)と、紀子の同僚・寺本
「どうなることやら。あんた、都合ついたら、一遍、遊びに来て下さい」
「ええ」
「ほんまですよ」
「ええ」
「ああ、愉快やった。嬉しかった。僕も時々手紙出しますけど、あんたも下さいね」
「ええ」
「ああ、愉快やった」

表情の変化を殆ど封印した状態で、「ああ、愉快やった」という言葉が3度反復され、感情交歓の乏しさだけが突出してしまっていた。

会話の執拗な反復は、ラストシーン近くに、止めを刺す場面があった。

造り酒屋で財を成した、中村鴈治郎演じる小早川万兵衛が、昔からの愛人の家で急逝した際、愛人が長女の亭主に事情を説明する場面だが、その説明に長女の亭主が、「そうですか」を4度も繰り返すシーンがそれである。

「小津ルールも極まれり」という状態で、ここまで来ると、さすがに「好みの問題」の域を越えて、大いなる不快感だけが残されるに至った。

成瀬巳喜男の「放浪記」(1962年製作)で、初々しいが、情感の起伏を表現する演技を見せた、寺本役の宝田明は、ここでは完全に、中学生の学芸会の芝居を演じさせられて、同情するに余りあった。


そして、本物のラストシーンへのシークエンスに入っていく。

「なあ、あんた、えらい今日、カラス多いことないか?」
農夫役の笠智衆
「そやな」
「また、誰ぞ、死んだやろか」
「そうかも知れんな。昨日、火葬場の煙突、煙、出とらんな」
「あ、そやな」

以上の会話は、川で農機具を洗う老いた農夫の夫婦。

その後の描写は、武満徹のシュールなBGMに乗って、遺族一同が相似形の構図の中で、焼却炉から立ち上る白煙をいつまでも凝視しているシーン。

その焼却炉の白煙を仰ぎ見て、先の夫妻の会話が繋がれる。

「なあ、あんた。やっぱり誰ぞ、死んだんやわ。煙、出とるわ」
「ああ、出とるなあ」
「爺様や婆様やったら大事ないけど、若い人やったら可愛そうやな」
「けど、死んでも、死んでも、後から後から、先繰り(順繰り・筆者注)、先繰り生まれて来るわ」
「そうやな。よう、でけとるわ」

結局、この台詞を言わせたいための映像だった。

当時の、ごく普通の日本人の、ごく普通の死生観と添い寝するように、小津もまた残り少ない仕事の中で、これだけは言っておきたいと思わせるメッセージを記録したかったのだろうか。

万兵衛の葬儀を描いたラストの、渡月橋を渡る葬送シーン
木橋を渡る遺族が一列のラインを成して、喪服の黒で統一された葬送のシーンの鮮烈さ。

静謐だが、全く小津映画に馴染まない、武満徹のシュールなBGM(「葬送シンフォニー」)が、その心象をトレースしていって、日本人の最も厳かな儀式を再現して見せた。

しかし、映像を観る者は、既にこの時点で、死肉を漁るカラスというベタな描写を提示された挙句、殆ど、屋上屋を架すかの如き農夫の夫婦の会話を、2度も見せつけられているのだ。

ラストの葬送のシーンに象徴される、凝りに凝った様式美の鮮烈さと、農夫妻の会話のベタな描写の顕著な落差感は、明らかに、映像の完成度を貶めているだろう。

そう思わざるを得ない違和感だけが、印象深く置き去りにされてしまったのである。



2  映像作家としての、そこだけは変えられない表現世界の癖



以下、小津作品に言及した佐藤忠男の一文を引用したい。

弥之助(加東大介)の友人・磯村役の森繁久彌
「『小早川家の秋』で、テンポの早い動きとたたみかけるような話術を身上とする森繁久弥が出演したとき、小津は森繁が自分のテンポに合わないのにいらだって、一シーンの撮影が終わったとき、『ハイ、お上手お上手。助監督さん、小津組のシナリオを森繁君にあげて』と皮肉を言ったと伝えられている。

それぞれに動きやしゃべり方に個性のあるたくさんの俳優たちを、ぜんぶ厳格に小津好みのテンポに合わせようとすれば、一定の型をぴしっときめてそれにすべての俳優を合わせる以外にない。そして小津はそれを強行した。俳優たちは、小津から、そこで三歩あるいて立ち止まる、というふうに具体的に指示された。

(略)小津はこうして、演技の自然性を抑えてまで、自分のテンポと構図に俳優たちをはめ込んだ。しかもなお、それが自然に見えるようにリハーサルを繰り返し、最新の工夫をした。俳優たちを人形のように操り、そこからあの比類ない様式美を生み出した。

しかし、あの様式美の極致が、一面では生気のとぼしさ、と受けとめられることもやむを得ない。小津の助監督をしていた今村昌平は、小津作品では俳優からいきいきした自然な力強さが奪われていると判断して、小津の助手を辞した。

(略)こういう極端な形式性は何を目的にしていたのだろう。

佐藤忠男
簡単に割り切って言うことを許してもらうなら、それは、映画によって完璧な静物画をつくることだった、と言えるだろう。ひとつひとつの画面を、考えうるもっとも安定した図形を雰囲気につくり上げ、それを、うちに厳しい緊張をはらみながらも、外見はこのうえなくおだやかな情感でつないでいったのである」(「日本映画の巨匠たちⅠ」佐藤忠男著 学陽書房/筆者段落構成) 

ここで、佐藤忠男が言う「小津芸術」の「極端な形式性」が目的にしたものを想像するに難くないが、「完璧な静物画をつくること」という佐藤の把握が正解か否かは判断しかねるところである。

少なくとも私には、それは小津にしか理解できない、「技巧性の純度の固有性」への感覚的了解を基にした文脈に収斂される何かであると思っているので、私は、その「比類ない様式美」という名に被された定型化された技巧性への評価もまた、「映像作家としての、そこだけは変えられない表現世界の癖」であると考えている。

私にとって、「小津芸術」の「極端な形式性」に拠って立った、「比類ない様式美」の内実は、それ以上でも、それ以下でもないということだ。



3  小津映画の原節子



ここに興味深い批評がある。

「小津ごのみ」という中野翠の著書から、その一文を引用する。

原節子と紀子役の司葉子
「原節子は『ダメな男とつき合うよりは、一人でいるほうがマシ』と考える女である。少なくとも小津映画の中においては。

(略)小津映画の原節子を時代順に見て行くと、ハイミスがようやっと結婚を決意したかと思ったら、次に現れた時にはいきなり未亡人になているので、ちょっと驚く。『東京暮色』は例外として、小津映画の原節子はパートナーのいない女として描かれているわけだ。男がいない女。ハイミスじゃなかったら、未亡人――。

小津監督はよっぽど原節子のそばに男を近付けたくなかったかのようだ。いや、もっと正確に言うと恋をさせたくなかったかのようだ。結婚はさせても恋はさせない。たぶん・・・・・・恋する女はバカになるから。バカな原節子は描きたくないから」(「小津ごのみ」中野翠著 筑摩書房)

「そんな小津映画とはだいぶ違った、生活臭ぷんぷんの空間で、原節子は姪の若さと奔放さに嫉妬したり、姪や隣家の派手な女に甘い夫にいら立ったり、豊かに暮らす旧友たちの姿に動揺したりするのだ。女ゆえのネガティブな感情のさざなみを、成瀬はスッスッと掬い取って行く。抉るという大層な感じではなく、さりげなく掬い取って行くのだ」(同上)

小津と成瀬巳喜男の映像世界の比較を、原節子の描き方の決定的な落差の中で論じたものだが、原節子という様々な表現可能性に満ちた一人の女優を、深い慈愛に満ちた永遠の聖女のイメージの内に固めてしまった小津映画の支配力は尋常ではなかったのか。

「相似形の構図」の中の原節子と司葉子
本作の原節子もまた、喪服姿に身を包んで、紀子役の司葉子との「相似形の構図」の中で、義妹の行く末の相談に乗る、慈愛に満ちた永遠の聖女のイメージをなぞっていた。

思うに、「小津映画の原節子」を好む者は、夫に浮気され、義父との間に微妙な情感関係を抱懐し合うだけの「山の音」(1954年製作)なら、ぎりぎりセーフかも知れないが、「めし」(1951年製作)、「驟雨」(1956年製作)という出色の作品において、「生活臭ぷんぷんの空間」で、「女ゆえのネガティブな感情のさざなみ」をリアルに描いた成瀬巳喜男を認知しないという、「原節子オンリー」のシネマディクトぶりのその狭隘さに、正直、失笑を禁じ得ないのだ。

結果的に、山田洋次が渥美清の様々な表現可能域の広がりを封印してしまったように、小津もまた、女優としての原節子の飛翔の可能性を封じてしまったとも言えないか。



4  ルールの縛りに負けない稀有な俳優たち



長女・文子役の新珠三千代
映画サイトで、「われわれの日常をみせられているようで琴線に触れるものがある」という感想を眼にしたが、「美女揃い」という色彩感の輝きに、「日本人の日常性」を写し撮ることは不可能であるに違いない。

更に、「品行は直せても、品性は直せない」という秋子の言葉に影響を受けたのか、「映画の気品、洗練された美」という類の絶賛の評価もあったが、それはどこまでも様式美に拘泥する映像作家が仮構した「品性」であって、単に自己基準の観念の世界で酩酊し得る快楽のゲームが人為的に分娩した幻想の風景でしかないだろう。

それよりも、この映像の中で一人暴れまくっている、中村鴈治郎演じる、小早川万兵衛の家父長的な生き方の奔放さに瞠目せざるを得なかった。

その見事な身体表現が醸し出す匠の演技を確認し、本作もまた、「浮草」同様、中村鴈治郎の映画だったことが検証されたのである。

「ああ、これで終いか。これで終いか」

小早川万兵衛を演じた中村鴈治郎の独壇場
苦しんだ末に、妾の家で、この臨終の言葉を2言残して逝った男の物語は、家父長人生の自己完結として、最も印象深い括りだった。

「暢気な人だ。あれだけ散々好きなことしておいて、もうこれで終いかもないもんだわな・・・まあ、今どき、あんなに幸せな人も滅多にいないもんだ」

杉村春子演じる、万兵衛の妹のこの言葉が、映像で展開された自在気ままな一人の男の、その際立った人生の「天真爛漫な自由人の世界」を言い当てていた。

それにしても、独自のルールの厳しい小津作品の中で、アドリブが得意のコメディアン出身の森繁久彌、山茶花究のケースは例外としても、決してルールの縛りに負けない稀有な俳優たちの代表格であると思える、中村鴈治郎や杉村春子、更に、万兵衛の愛人の佐々木つねを演じた浪花千栄子のレベルにまで上り詰めると、かくも自然な演技が身体表現できるという典型例が、本作でも検証された訳である。

(2009年11月)

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

小津に対してフィルターがかかりすぎてますね・・

匿名 さんのコメント...

面白い記事でした。
しかし、この映画の音楽は武満徹ではなく、黛敏郎ですね。

Yoshio Sasaki さんのコメント...

ご指摘をありがとうございました。