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2008年12月14日日曜日

父と暮らせば('04)      黒木和雄


<内側の澱みが噴き上げてきて>



 1  「見える残酷」と、「見えない残酷」



 「見える残酷」と、「見えない残酷」というものがある。私の造語である。
 
 それは危害を加えた者と、危害を加えられた者との距離の概念である。その距離は物理的な落差であると同時に、意識の落差でもある。
 
 その言葉が内包する苛酷さを集中的に曝け出したのは、第二次世界大戦だった。

 それまで人類は、見たくないものを記憶の底に貼り付けて、その貼り付けたものに困惑し、しばしば煩悶する特有の能力によって、それでも、そこに向かわざるを得ない戦争を限りなく合理的に処理し、正当化していく作業に自ずと熱心になることで、「良心」という形で表象化された自我にそれなりの折り合いを付けてきた。

 人を傷つけ、殺(あや)めるたびに、それを正当化する思想を作り出す作業にどれほどの労力を使い果たしてきたことか。考えてみれば、私たちは、実に途方もない、厖大なる「精神的」エネルギーの蕩尽の歴史を刻んできたものである。
 
 それにも拘らず、私たちは永い間、「見える残酷」を克服できないできた。

 そこには、それによって得られる快楽や怨念の解消という心理的ファクターも内包していただろうが、それ以上に、「見える残酷」を克服する技術を手に入れられなかったという、言わば、物理学的な範疇の問題であったと言える。
 
 第二次世界大戦は、その問題を決定的に克服した歴史的な戦争であった。

 それは、交戦の相手国に対する無差別爆撃が本格的に展開された戦争であり、それこそ、「見えない残酷」の凄惨な歴史を決定的に開いた戦争だった。


 それらは、日本の中国に対する重慶爆撃であり、ドイツのスペイン共和主義者に対するゲルニカ爆撃、更に、ドイツ、日本の各都市に対するアメリカ、イギリスの無差別爆撃(ドレスデン爆撃)であり、そしてその極めつけは、広島、長崎に対する原爆投下だったというわけだ。

とりわけ原爆使用は、「見えない残酷」の、これ以上ない極北の大量殺戮以外の何ものでもなかったのである。

 思うに、このことはホロコーストを強行したドイツが、その殺戮の手段で散々苦労したばかりか、眼前の地獄を見ることから逃げようとした、虐殺の直接の加担者の「人間的」な振舞いと比較すれば、その自我に負った「傷跡」の落差という一点に於いて、蓋(けだ)し瞭然とすると言えるだろう。


 なぜなら、ホロコーストこそ「見える残酷」の極北だったからである。

「見える残酷」の苛酷さは、そこにどのような思想が被せられても、実は「残酷」の被害者のみならず、その加害者の自我もまた、少なからぬ裂傷を負う危うさを持ってしまうことにあると言えるだろう。

「見える残酷」・ブーヘンヴァルト強制収容所(ウイキ)
この極めつけの「残酷」は、今日でも、カンボジアの「キリングフィールド」やルアンダの虐殺、ダルフール紛争下でのジャンジャウィードの蛮行に繋がっていくが、「残酷」の当事者の煩悶は自我の奥深くに張り付いているから、常に自我の解体の危機に直面する内的状況を晒しかねないのである。「見える残酷」は、まさに「見える」ことによって、これ以上ない残酷の様相を呈してしまうのである。

 従って、「見えない残酷」の達成は、「残酷」の人類史にとって、その「残酷」を少しでも稀薄にさせるという決定的効果によって画期的だった。

 「見えない残酷」の高レベルの達成によって、1万2000度もの光線を放ったエノラゲイ(注1)の爆撃隊員は、その後も一貫して、自らの行為の正当性を主張する観念の内に潜り込むことが可能だったのである。

 たとえ以下の報告のように、原爆投下時の生々しい記憶を自我に鏤刻(るこく)したとしても、多くの場合、それが「見えない残酷」の絶大なる効力によって、決してホットスポット(マグマが噴き上がってくる場所)に向かって噴き上げていく暴れ方をすることなしに、ほぼ予定調和的な軟着点を確保しつつ、時間の闇の中に封印されていくに違いない。

 そうでもしなければ、自我があまりに厄介な意識を背負い込んでしまうからだ。

 仮にそんな厄介な意識を自我が背負い込んでしまったら、「贖罪」という格好な自虐の方法論もまた可能であるだろう。人間は何としてでも、行為と観念の整合性を果たして生きていく。それだけのことである。

広島に投下された原爆によるきのこ雲
「副機長だった故ロバート・ルイス大尉が,米紙・『ニューヨーク・タイムズ』の依頼で搭乗中に書いたメモには『1分間,これから何が起きるか,誰にもわからなかった。爆撃手らは,(目を保護する)サングラスをかけ忘れていた。次の瞬間,ぞっとする光景を目にした。(投下直後のキノコ雲を見ながら)後,百年生きたとしても,この数分間のことは忘れない』、『この瞬間,いったい何人が死んだんだろう』と記している」(02年3月26日付・『東京新聞夕刊』より)

 二機の原爆機に搭乗していたクロード・R・イーザーリー少佐が、後に精神を病んだという報告がよく知られているが、あれだけのきのこ雲を目の当りにしたのだから、「ぞっとする光景」を見たという思いになるのは当然である。

 しかし、それだけのことだ。

 そこにはもう何も残っていないのだから、地図の中の一つの都市を消してしまった感覚と全く均しいとは言わないが、しかし、リアルタイムでその「残酷」を視界に収めない限り、イーザーリー少佐の例を特段に強調する必要もなく、多くの場合、当該国家が作った、「正義の戦争」という物語に収斂させていくことで、爆撃手たちの自我に解体の危機が忍び寄る戦慄など生まれようがないだろう。

 「見えない残酷」の真の怖さが、そこにある。「残酷」を見せた者と、それを見せられた者との落差は決定的であるのだ。切にそう思う。


作戦実行した兵士たち(中央がポール・ティベッツ大佐・ウイキ)
(注1)第二次世界大戦下で、アメリカの主力爆撃機であったB29。広島に原子爆弾(リトルボーイと命名)を投下した。



 2  贖罪、癒し、そして再生



 本稿の評論のテーマとして選んだ、「父と暮らせば」という映画は、「見えない残酷」を存分に見せ付けられた者の自我が負った傷跡の、その贖罪と癒しと再生を描いた印象的な一篇である。

 そこには、複雑で込み入った物語などない。

 そこにあるのは、煩悶する一人の娘と、その内側深くに澱んでいる精神世界の内実だけだ。

 それだけの設定で、「見えない残酷」の震えるような恐怖の中枢近くまで迫ったのだから、いかに筆者自身が、作り手たちのセンチメンタルな状況把握に馴染めないものを感受していたとしても、その原作となった戯曲と、それを演出した者たちの力量は相当なものであったと認めざるを得ないところである。

 
 ―― ともあれ、その娘の精神世界を簡潔にフォローしていこう。
 

 その娘の名は、福吉美津江。

木下正と福吉美津江
彼女は広島市内の市立図書館に勤めている。

 その図書館に一人の青年が現れた。彼の名は木下正。

 彼は原爆に関する資料を情熱的に集めていて、その協力を求めて、美津江が勤務する図書館に現れたのである。

 時は、1948年夏のことだった。
 
 いつでも若者の恋は、唐突にやってくる。

 いつしか二人の感情に、ときめきの思いが募ってくる。

 青年は美津江に、ピュアなるものの美しさを感じたのかも知れない。彼女も木下に同様の感情を抱いたのであろう。

 志で触れ合う者同士の魂は、掛け算のような膨らみ方で流れていきやすい。

 そこだけを切り取ってしまえば、二人のエピソードは数多ある純愛物語の一つでしかないだろう。
 
 しかし、この恋の進展に、手強い抑制系が侵入してきた。

 その抑制系の発信源は、娘の内側に潜んでいたものだ。

 恋をする娘は、その恋を抑制する何ものかによって縛られた。自縄自縛である。

 娘はほんの少し手を伸ばせば届くところにある至福の境地を前にして、その身体を一歩前に踏み出せないでいる。

 しかし娘の感情は、もうそこにまで踏み出してしまっていた。

 踏み出し切れない身体を、強引に引っ張り切れない感情の脆さがそこにある。娘の感情もまた、難しいラインの上を揺曳していて、それ以外の選択肢がない世界に一気に侵入できないのだ。

 そんなラインの微妙な攻防の中から、やがて二つの自我が眼に見えるような形で現出した。他者にとっては末梢的なことかも知れないが、娘の中では過剰なまでに切実だったのである。
 
 微分裂した自我の一つから、恋の進軍を押し上げるキャラクターが出現したのだ。

 やがてこのキャラクターは、娘に最も身近な肉親の姿となって、娘の周囲に絶えず取り憑くようになる。

 そのキャラクターこそ、娘の父、竹造だった。

竹造と美津江
彼は娘の「恋の応援団長」として、木下青年との関係を必死に取次ごうとするのだ。
 
 「あの日、図書館に入ってきんさった木下さんを一目見て、珍しいことに、お前の胸は一瞬ときめいた。そうじゃったな。そのときめきから、わしのこの胴体ができたんじゃ。お前はまた、貸し出し台の方に歩いて来る木下さんを見て、そっと一つ溜息を漏らした。そうじゃったな。その溜息から、わしの手足ができたんじゃ。更にお前は、あの人、ウチのおる窓口に来てくれんかな、そないにそっと願(ねご)うたろうが。その願いから、わしの心臓ができとるんじゃ」
 
 娘の美津江は、父のお節介な出現に当惑する。

 「ウチに恋をさせよう思うて、おとったんは、こないだから、この部屋をぶらーり、たらーりなさっておったんですか?」
 「うふふ」
 
 父竹造は、笑みを浮かべて頷いた。

 「・・・・恋はようせんのです。もう、ウチをいびらんでくれんさい」
 

 娘は竹造の応援を、頑なに拒むだけだった。


 映像展開の三日目。木曜日のことだ。

 「恋はようせんのです」と、恋に消極的な反応を示していた娘が、実は木下からプロポーズされていたことを、娘の告白によって知った父は、一人悦に入っていた。

 それにも拘らず、娘は恋の成就に拒否反応を示す。
 
 「そいじゃけん、いっそう、木下さんに逢(お)うちゃぁいけんのです」
 「・・・・ウチよりもっと、でっど幸せになってええ人たちが人が、ぎょうさんおってでした。そいじゃけん、そがぁな人たちを押しのけて、ウチが幸せになるわけにはいかんのです。ウチが幸せになっては、そがぁな人たちに申し訳がたたんのです・・・・」
 「あんときの広島は、死ぬるんが自然で、生き残るんが不自然なことやったんじゃ。ほじゃけん、ウチが生きてるんはおかしい・・・・ウチは生きとるんが、申し訳のうてならん!」
 
全て美津江の反応である。

 娘の反応の奥にある部分に描写が及んでくる。

 三日目からの映像の展開は、掛け合い漫才的な当初の会話の展開を逸脱してきている。

 
 映像展開の四日目。金曜日。最終日である。
 
 その朝、娘美津江は、庭に首がもげて顔が半分爛れた地蔵に見入っている。

 その爛れ方は、原爆瓦のそれと同じである。一個の石像に過ぎないが、まるで人の顔のようだ。

 いや、やはりそれは人の顔だった。娘の深層にあるものの顔が、紛う方なく、そこに映し出されているのだ。

 それは、父竹造の顔だった。

 父こそ、娘の心の根っこにある、最もネガティブな何かだったのである。
 
 内側の澱みが噴き上げてきて、遂に娘は父に告白する。
 
 「・・・・ウチはおとったんを、地獄よりもひどい火の海に、置き去りにして逃げた娘じゃ。そげな人間に、幸せになる資格はなあ!」
 
 娘の贖罪意識の基底には、「父を置き去りにして逃げた娘」という抑圧されていた感情があったのだ。

 娘にとって、ネガティブな反応を選択させる父竹造の喪われた身体が、娘の不可避な意識の中から飛び出して来て、娘と対峙し、未来に繋がる時間の内に何とか折り合いを付けようとする。

 娘もまた、自分の内なる父親像と対峙し、激しく葛藤するのである。

 そんな娘の煩悶に、父は確信的に応えていく。

 「親に孝行すると思うて、早(はよ)う逃げえや!おとったんに最後の親孝行してくれや、頼むで!そんでも、よう逃げんのやったら、わしゃ、今すぐここで死んでやるど!これでようわかったな。お前が生き残ったんも、わしが死によったのも、双方、納得ずくじゃ」
 「でも、やっぱ見捨てたことにゃ変わりがなぁ。ウチはおとったんとに死なにゃぁならんかったんじゃ!」


 ここで父親は、それ以外にない最後の言葉を搾り出す。

「・・・・お前はわしに生かされとるんじゃ・・・・まっこと、あよなむごい別れが、何万もあったということを覚えてもらうために、生かされとるんじゃ・・・・人間の悲しかったこと、楽しかったこと、それを伝えるんが、お前の仕事じゃろが・・・・」
 
 地の底で沸騰し、沸き上がり、そこから立ち上ってきたような父の言葉こそ、娘美津江が切望していたものであるに違いない。

 それは、娘の内側で長く抑圧されてきたものが、切々たるときめき感情のうねりの内に、遂に突き上げてしまったものである。

 娘の激しい葛藤は、恐らく、そのような言葉によってしか折り合いがつけられない何かであった。

 娘の中の何かがより見えやすくなって、そして何かがより見えにくくなっていった。それで良かったのだ。

 それ以外にない折り合いのつけ方が劇的に展開されて、形の上では、何かが一応終焉し、そして何かが始まっていく。
 
 あとは、終焉したものとの別れの儀式だけだった。

 「今度は、いつ来てくれんさるの?」
 「そりゃ、お前次第じゃ」
 「しばらく、逢えんかも知れんね」
 「おとったん、ありがとありました」

美津江という、PTSD(余稿にて後述)を抱えた一人の女性の内側で微分裂した二つの自我、即ち、過去に縛られ身動きできない自我と、希望の未来に向かって一歩踏み出したい自我が激しく葛藤した末、そこに一応の折り合いを付けた感銘深い映画の終りに、彼らをそのような苛酷な状況に追いやった、「見えない残酷」の不気味な恐怖が、観る者の心を鋭角的に切り裂いて、蓋(けだ)し名状し難い澱んだ感情が生き残されたのである。 

 
                       *       *       *       *

 

 3  内側の澱みが噴き上げてきて



 この映画は、「見えない残酷」を見せられた挙句の果てに生き残った自我が、その内側に澱むものを束の間洗浄するかのようなときめき感情のうねりの中で、その「残酷」を見せられて解体された者たちへの贖罪意識と、それを未来の時間の内に昇華させていくまでの内的過程を、些か小奇麗な筆致と巧みな演出によって、鮮烈に記録された「絶対反戦」の一篇である。

 そして、この作品が見事だったのは、親子の会話という形で具象化された一個の自我の内的葛藤の描写のみで、「見えない残酷」がもたらした歴史の凄惨なる闇を、鮮烈なまでに浮き彫りにさせたところにある。

 今にも切り裂かれそうな魂の再生への希望と、その魂を切り裂いたものへの静かな怒りが、狭隘な空間を舞台にした映像の内に離れがたく繋がって、十字架を負う者の幸福を優しく拾い上げようとする視線が、二人芝居の強靭な表現力の内に随所に揺蕩(たゆた)っていて、ここに映像が記憶し得る、マキシムなメッセージ効果を刻印したのだ。

 映像の主人公が背負った十字架の重さは、三層構造になっている。

 一つは、「見えない残酷」を見せられたことによって、その肉体が記録した絶対的な疾病。

二つ目は、それでもなお生き残った主人公が、既に解体された者、とりわけ、父親に対するあまりに重い贖罪意識。

 三つ目は、それでも手に入れた幸福を未来に繋ぐとき、同時に、「見えない残酷」を見せられた者としての語り部であることの、その不可避なる重責感であると言えようか。
 
 恐らく、この映像の主人公美津江は、自らが負った十字架を彼女なりに引き受けて、この国の戦後史をしたたかに生き抜いていくだろう。

 彼女があのとき、有無を言わさずに見せられた、「見えない残酷」の圧倒的な痕跡を自らの身体の内に刻み付けて、そこから発信される、それ以外にない固有な表現によって、彼女は一個の絶対的な語り部として、歴史の闇に決して逸(そ)らしてはならない眼光を照射し続けるに違いない。

 なぜなら彼女には、十字架を共に背負ってくれる、極めて頼もしい同志がいる。木下という名の、固有なる同志がいる。そのとき、二人が背負う十字架は、ちょうど背負うに足る重さとなって、彼らの若い身体を、ほんの少し前に進めていく律動を約束するものになったのだ。

 この映画は、贖罪で悶える一人の女性が生涯の伴侶となるであろう青年と出会って、その青年の愛を受容していくまでの物語であるが、同時に、その青年との間に結ばれた絆の強さによって、始まったばかりのこの国の戦後史に、彼らなりの固有の軌跡を描いていく未来のイメージまでをも暗示して、一貫して静謐だが、しかし厳しい問いかけを観る者に残して、繊細なる映像を完結させた。


 一人の女性の僅か四日間の、深々と内側を抉っていくような、苛酷なる自己葛藤。

 とりわけ、その後半の二日間の重い映像は、観る者の内面に深く迫っていくような、情感描写の炸裂以外の何ものでもなかった。

手を伸ばせば届くところにある幸福を、ダイレクトに掴みとれない感情の重さの中で、内なる煩悶を吐き下し、吐き下し、なおそこに張りつく心の傷を自ら炙り出して、それでも折り合いの付けられない焦燥と不安の内に、死に臨む父親の最後の、搾り出すようなメッセージを自らの魂に繋いだとき、そこに未だ色彩の見えない未来の扉を、何とか抉(こ)じ開けるだけの腕力が生き残っていることを証明してみせた。

 そんな映画だった。



 4  「聖なるもの」のイメージに囲繞されて




 最後に一言。


 本作の女性は、一種、「聖なるもの」のイメージに囲繞(いにょう)され過ぎている。

  だから、映画は綺麗過ぎる。美し過ぎる。

 そんな美しさの中に、その美しさの対極にあるものとして、様々な小道具の仕掛けが置かれていた。

 それらは原爆瓦であり、ガラスの破片であり、首のもげた石仏の爛れた顔であり、そして最後に、あまりに有名な「原爆の図」(画像)の圧倒的な表現だった。

 その表現の脈絡を象徴的に体現させた、「美しきもの」を映像の中枢に据えることによって、「見えない残酷」のその暴力性を際立たせることに成功したと言えようか。

 だが果たして、そんな単純な括りでいいのだろうか。

 私の知っている限り、あの日の広島は地獄そのものだった。

  そして、その地獄の惨状が露わにしたものは、私が聞き知っている限り、少なくとも、我が子を押しのけて逃げようとする母親であったり、ようやくのことで手に入れた水を奪って、果てていった男の話であったりもする。

 まさに、「見えない残酷」を見せられた者たちが晒した地獄の所業が、そこにあったのだ。

このような人間の尊厳を奪い取ってしまった恐怖こそ、まさに「見えない残酷」の本質だった。

  だから「見えない残酷」の対極に、美しきものを無前提に据えてしまうのは些か安直過ぎないか。

 自らを犠牲にして娘を逃がした父親の神業を、単純な理想形として描き出す意図は分らなくもないが、しかしこの描写によって、観る者を嗚咽させて浄化してしまう物語に終始したら、単なるレクイエムで片付けられてしまうであろう。

 ラストの木下の引越しの描写の内に、先述した未来に向かうメッセージが仮託されていたとしても、やはりトータルな印象としては、「聖なるもの」への幸福の贈り物というラインで了解される文脈に流れていかざるを得ないものがあったのだ。

 正直、そう思った。



 【余稿】  〈PTSDを自己克服する魂の、そのシビアな軌跡〉                   
 

 この映画は、美津江という一人の若い女性の内的葛藤を映像的に具象化したものである。

 それ故、この映画に対する一般的なアプローチ(感想や意見、批評)の多くは、心理的且つ、文学的な分脈に於いて語られてしまっている。

 しかし、そのような綺麗な切り口による語られ方には、私は一貫して不満だった。

 明らかにこの映画は、心理学的に分析される重大な内容を含んでいると考える。

 それは主人公美津江の心象世界が、PTSDによってのみ説明し得る、言わば、彼女の自我の内に澱んでいる、一種、病理的な症状を呈していた側面を無視できないのである。

 近年、何かと話題になるPTSDとは、「心的外傷後ストレス障害」のこと。

 それは、現実の死、激しい外傷、或いは、「自己と他者の身体的統一感が保障され得なくなるような事態を経験、あるいは目撃、遭遇し、それに対する反応として、強い恐怖感、無力感」(1994年、アメリカ精神医学会の「心的外傷」についての定義・注2)や、それに伴う罪悪感、自責の念が継続的に起こっている精神状態という風に把握できるものである。

 即ち、何某かの深刻な心的外傷(トラウマ)を経験すると、自我による人格統一が困難になりやすく、しばしば、生存と適応に関わる自己防衛のために、外傷の記憶を封印する手段として、様々な心的機制を図っていくということである。

 例えば、外傷に対して、「あのときは何も感じられなかった」と体験者自身が後に語ることが多い、「感覚鈍磨」の反応を示したり、もっと積極的に外傷を封印する「回避反応」に逃げ込んだりするというケースがそれだ。

心的外傷後ストレス障害(イメージ画像)
また、外傷の鮮明な再体験をすることで、自我を直撃する場合もある。これがよく言われる、「フラッシュバック」である。

 それは極めて強い感情の襲来で、自我の抑制力が瞬間的に劣化した状態であると言っていい。

 しかし、外傷体験者の多くが経験する症状の中で重要なのは、「過覚醒」という反応である。

 これは外傷体験後、しばらくは平穏な状態が続くが、次第に落ち着きを失って、不眠に陥ったり、集中力が続かなかったり、訳もなく他人に怒りを覚えたり、ときには外傷について考えている内に、パニックに陥ったりという状態が出来するような現象である。

 更には、心臓の動悸が激しくなって、気を失うような恐怖を感じたりするような過剰反応をも含めるもこともできようか。これはアドレナリンが循環系に流れ込むために起こる反応である。

 このような状態が継続化することによって、PTSDの病理が常態化する場合があるということだ。

 とりわけ、心的外傷に他者の不幸が絡んでくると、そこに強い罪悪感情が形成されて、「あのとき、自分が犠牲になれば良かった」という気持ちが生まれたりするのである。

 ―― 以上は、簡易な解説文献から理解し得る私なりの把握であるが、無論、仮説の域を超えるものではない。(参考文献:「心に傷をうけた人の心のケア」クラウディア・ハーバート著 勝田吉彰訳 保健同人社刊)


(注2)正確には、アメリカ精神医学会発行の「診断マニュアル第Ⅳ版DSM-Ⅳ」の定義に拠っている。因みに「DSM-Ⅳ」とは、有名な「精神障害の診断と統計の手引き」の1994年版(第4版)のことで、精神疾患の分類についての専門的な記述であって、私のような門外漢では、それについて簡易に記されている文献を参考にする以外になかったことを了承されたい。


 以上の言及によって、映画の主人公美津江の内的葛藤の本質が読み取れるのではないかと思われる。

被爆の地獄から運良く生還した彼女は、戦後になって図書館に勤め、地元に伝わる民話を子供たちに語り聞かせる文化活動に挺身してきたことで、しばらくは「感覚鈍磨」、或いは、「回避反応」によって自我を辛うじて守ってきたが、木下との邂逅という決定的事態によって、自分が忘れようとしても簡単に忘れられない、最も奥深い心的外傷に、彼女の自我が触れてしまったのである。

 ここから彼女の「過覚醒」の反応が常態化し、遂に、自我の根っこに封印しようと努めていた地獄を再体験してしまうのだ。

 彼女の繊細な自我に、彼女が最も思い出したくない父親との別離体験、即ち、心的外傷が衝撃的に纏(まと)わり付いて、苛酷な自虐と自己救済への喘ぎの中で烈しく葛藤した挙句、無秩序にローリングする最終局面において、張り裂けそうな自我を統一し、決定的な浄化を果たすのである。

 「父と暮らせば」という作品は、まさにPTSDを自己克服する魂の、そのシビアな軌跡を痛烈に映し出した人間ドラマの傑作であった。

(2006年2月)

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