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    4 か月前

2010年3月27日土曜日

羊たちの沈黙('91)       ジョナサン・デミ


<「羊の鳴き声」を消し去る者の運命的自己投企―― 或いは、「超人格的な存在体」としての「絶対悪」>



1  「構成力」と「主題性」、「娯楽性」、「サスペンス性」がクリアされた一級のサイコ・サスペンス



「The Silence Of Lambs」

これが、本作の原題である。

和訳すると、「羊たちの沈黙」。

この謎に満ちた原題を持つ鮮烈なサイコ・サスペンスは、立場が異なるが、過去に深い心のトラウマを持つ二人の男と女の追跡劇と、この二人が関与した事件を利用して脱出を図る「食人鬼の男」の物語が濃密に絡むことで、人間心理の深層に迫る奥行きのある一つのドラマを構築し得た奇跡的傑作である。

「映画の嘘」を前提にしなければ成立しない、この種のサイコドラマに、「描写のリアリズム」が条件づけられても、「物語展開・人格設定のリアリズム」は不問に付されるという暗黙の了解が成立するが故に、一切はサイコ・サスペンスとしての「映像構築力」にのみ評価基準が委ねられるであろう。

「映像構築力」において、「構成力」と「主題性」、「娯楽性」、「サスペンス性」がクリアされたとき、映像完成度の高さが保証されるのである。

その意味で、本作は一級の水準に達していたと言える。

何より、過去に深い心のトラウマを持つ二人の男と女の追跡劇を、物語展開において不要な要素を完全に削り取ったことで生まれたサスペンス性によって、サスペンスの本質である「映像的緊張感の途切れのなさ」が担保されたこと ―― これが大きかった。

ここで、本作の生命線である、過去に深い心のトラウマを持つ二人の男と女の問題を考えてみよう。

異なる立場にある二人の男女の問題を分析するのは、女による「食人鬼の男」との接見の中で明瞭になっているので、本稿はこの接見に重点を置いた言及をしたい。



2  FBIアカデミー実習訓練生



バージニア州にあるF B I アカデミー(実習訓練所)
バージニア州クワンティコ。

山岳訓練中のFBIアカデミーの優秀な実習訓練生、クラリス・スターリングに、行動科学課のクロフォード課長から呼び出しがあった。

バージニア大学の教え子であった彼女に、クロフォードが切り出した内容は、以下の通り。

「任せたい仕事がある。と言っても、お使いかな。実は、監禁中の連続殺人犯の心理分析を始めた。未解決事件の解明のためだ。大抵の犯人は協力的なのに、一人だけ協力を拒んでいる。その男に会ってくれ。ハンニバル・レクターだ。彼が君に話すとは思えないが、是非、情報は得たい。観察報告だけでいい」

ハンニバル・レクターは、9人の人間の殺人とカニバリズム(人肉嗜食)によって、精神病棟の地下牢に隔離されている天才精神科医。

未解決事件のシリアルキラー、「バッファロー・ビル」という仮名の人物像の特定のために、クロフォードは、レクター博士に「プロファイリング」(注1)の技術を借りたいのだ。

レクター博士の心を開かせる手段として、若く美しいクラリスに白羽の矢を立てたと思われるが、恐らく、彼女の意志堅固で、優秀な心理学の知見への評価も依頼のモチーフになっていたであろう。

更に、後術するが、クロフォードはクラリスの「亡き父の代替モデル」になっていて、クロフォードもまた、後輩の彼女に目を掛けていたように思われる。良い意味での師弟関係が見られるのである。(注2)

しかし、「あいつは危険な男だ」という警告を告げるのみで、その辺りの事情を説明しないクロフォードには、彼女の課題のハードルを最初から上げる愚を犯したくなかったことも関与するだろうが、それ以上に、構え切った態度でのレクター博士との接見によって、本来の依頼目的を博士に見透かされることを恐れたに違いない。

レクター博士は、それほどの「難敵」であるという把握があったということだ。

これが、震撼すべき映像の起点となっていく。

以降、レクター博士とクラリスとの協力によって、シリアルキラーの本質に迫ると同時に、クラリス自身の封印された闇の記憶をも炙り出していくのである。


トマス・ハリス
(注1)行動科学、即ち、行動心理学や社会学、精神医学等の科学領域を統合する手法で犯罪を分析し、推論すること。連邦捜査局(FBI)の犯罪が有名で、経験則のデータベース化を基礎にする手法。事件対象は凶悪事件に限定されている。

(注2)原作(「羊たちの沈黙」トマス・ハリス著 菊池光訳 新潮文庫」)には、クラリスの起用の原因が「人手不足」であると思わせる、些か素っ気ない記述があるが、本篇でのクロフォードもまた、「観察報告だけでいい」という説明をしていたのは事実。それでもクラリスの起用が、「優秀な成績」故の「抜擢」であった事実は否定できないであろう。



3  クラリスとレクターの接見①



ボルティモア州警察病院の精神病棟。

精神病棟のチルトン医師に随伴し、降りて来たゲートから、長々と一本のラインで繋がれた地下牢の奥に、レクター博士の独房があった。

この悪名高いレクター博士との接見に、クラリスは、博士から嫌われているチルトン医師との「同伴」を拒んで、一人で会いに行くという意志を示した。

このクラリスの精神的強さこそ何より重要であるという事実は、時を経ずして、レクター博士との接見の中で検証されていく。


厚いガラス越しの障壁で仕切られた狭隘な空間で、二人は対峙した。

自己紹介の際、自分の眼を凝視するレクター博士から、一度も眼を離さないクラリス。

あと1週間で期限が切れる身分証明書を見て、彼女が学生であると一目で見抜いたレクターは、一瞬、訝(いぶか)る表情を見せた。

「ええ、学生です。ここへ来たのも勉強です。だから、あなたを調べる資格はないとでも?」

クラリスの、この態度に一目置いたように見えたレクターだが、学生である彼女の提示した質問書を無視した。

天才精神科医であるレクターが要求する、知的・精神的水準という難関をクリアする検証が未知数だからなのか。

「バッファロー・ビルが、なぜ被害者の生皮を剥ぐのだと思う?」

このレクターンの質問に、クラリスはシンプル過ぎる返答をした。

「喜びですわ。連続殺人者は記念品を欲しがる」

「私は違うと思う」

レクターのこの反応は、明らかに、俄(にわか)捜査官であるクラリスの心理学的分析水準を読んだもの。

因みに、「バッファロー・ビル」というシリアルキラーの犯罪は、些か肥満気味の被害者女性の生皮を剥ぐという共通点があった。

その後、病棟の囚人から精液を吹っ掛けられたクラリスへの同情から、バッファロー・ビルの事件に関わる簡単なヒントを与えられたが、それはクラリスの事件に対する取り組みの覚悟、執着心、能力などを試したものと思われる。

ここでは、事件の詳細はフォローしない。

少なくともこの接見によって、レクターは事件への協力を誓った。



4  クラリスとレクターの接見②



クラリスとレクターの接見が継続されていく。

クラリスへの精緻な観察を通して、レクターはクラリスの過去に関心を持った。

事件の情報を得るための交換条件として、クラリスは自分のプライバシーを開陳していく。

「子供時代の最悪の思い出は?」とレクター。
「父の死です」とクラリス。
「そのときのことを正直に話して」
「父は田舎署長でした。ある夜、雑貨屋を襲った二人の賊に出会い、撃たれました」
「それで、即死だった?」
「いいえ。父は丈夫で、一月以上持ちました。幼い頃、母が死んで、私には父が全てで悲しかった。10歳でした」
「君はとても正直だ」

この会話は極めて重要である。

条件付きとは言え、レクターの単刀直入な発問に対して、簡単に話したくないであろう封印された過去の記憶の重大な事実の一端を、僅かの情報から事態の本質を見抜く能力を持つ男に対して、正直に開いたからである。

その関係は、天才精神科医の前で問診を受けるクライアントという構図であった。

正直に自己を語るクライアントが受ける精神圧を、FBIアカデミーの実習訓練生は、取り敢えずクリアしたのである。

これが最初の情報の交換条件と評価されて、クラリスはレクターから貴重な情報の提供を受けた。

バッファロー・ビルの「皮剥ぎ」の犠牲になった、エルク川の女性の遺体は大きくて、胸が豊かであること。


そして、どの女性も喉の奥に異物が詰め込まれていて、それは蛾であったこと。

更に、他の犠牲女性の首でも同じだったこと。

「なぜ詰めたのか?」

これらの問題提起に正確に答えられないクラリスに、レクターはヒントを提示する

「“変化”だよ。毛虫が蛹に変化して、美しい蝶になる。ビルも変化を望んでいる」
「倒錯趣味と暴力は無関係です。倒錯はおとなしい」
「頭がいい。犯人に近づいている。分るか?」
「分りません」

ここでレクターは、再びクラリスの過去に振れていく。

「父の死後、君は孤独だ。その後は?」
「モンタナの母の、いとこ夫婦の牧場に行きました」
「牛の牧場か?」
「羊と馬です」
「何年いた?」
「2か月」
「短いね」
「逃げました」
「なぜだね?牧場主から性的乱暴を?」

レクターは、最も関心を持つ一言を突き付けた。

「いいえ」

これがクラリスの答え。

その言葉を受け、レクターは交換条件の情報を提示した。

「バッファロー・ビルはね、自分で性的倒錯者と思い込んでいるだけさ。性転換手術の病院はミネソタ大学やコロンバズ医療センター。ビルは性転換手術を希望して、病院で断られたかも知れない」
「なぜ?」
「彼は子供の頃、暴力を受け、心まで傷ついた。生まれつき犯罪者じゃない。絶え間ない虐待が人間を変えたんだ。ビルは現在の自分を嫌っている。それが性転換の動機だね。でも精神状態がひどく荒んでいて、病院で断られたんだ」

クラリスとバッファロー・ビルの、トラウマの内実が浮き上がってきた重要な会話である。

ジョナサン・デミ監督
とりわけ、バッファロー・ビルの犯罪が、子供の頃に受けた(父親からの?)暴力のトラウマと、それによる自我の発達障害があり、加えて、性転換手術を希望するほどに“変化”を求めていたこと。

即ち、喉の奥に蛾が詰め込まれている異常性に見られるのが、「毛虫が蛹に変化して、美しい蝶になる」というモチーフに起因するという鋭利な分析。

更に、肥満気味の被害者女性の生皮を剥いで、その皮膚を集めて、それをパッチワークして衣服を作るという行為の心象世界に張り付くのが、彼の未発達な自我の安寧の基盤であり続けたに違いない、母親への胎内回帰願望が垣間見られるという精神分析をも、既にレクターは視野に入れていたと思われる。

これは逆に言えば、ユング心理学で言う、「元型」としての「アニマ」(男性の中の女性性)の概念との関連については不分明だが、少なくとも、バッファロー・ビルが、「父親」に象徴される「男性性」を全否定する強い観念傾向を後天的に持つに至ったとも言えるものだ。



5  クラリスとレクターの接見③



クラリスとレクターの最後の接見。

今回は、上院議員の娘の誘拐があり、それに条件付きで積極的に協力する姿勢を見せるレクターは、チルトン博士の野心が絡むことで、地下牢から出された大きな独房に入っていた。


レクターは、バッファロー・ビルの事件から切り出した。

何より、それがクラリスの最大関心事だからだ。

「諸君が追い求めている男は何をしてる?」とレクター。
「女を殺しているわ」とクラリス。
「いや、それは二の次だな。本質は何だろう?彼を殺しに駆り立てるものは?」
「怒りか、社会の冷たい仕打ちか、性の抑圧・・・」
「違うね。とても強い願望だ。それが本質だ。願望はどうして始まる?願望の対象を探すのか・・・眼に触れたものを欲しがることから始まる。君の体も多くの眼に晒されている。いつも眼が、自然に何かを追い求める」
「だから、どうなんです?」

ここでレクターは、話題をバッファロー・ビルから、クラリスの過去のトラウマへの精神分析へと振れていく。

レクターは、父を喪った彼女の、「羊牧場」での体験に強い関心を持っているのだ。

以下、クラリスの過去のトラウマの核心に触れた長い会話を再現する。

「今度は君が話す番だ。もう嘘はお断りだよ。なぜ、牧場から逃げた?」
「ドクター。質問ごっこの時間はありません」
「今、君は任務を離れている。今、聞きたいんだ!君は10歳のとき、孤児になって、モンタナの母のいとこの羊牧場へ行った。そして?」
「ある朝、逃げ出しました」
「ただ、逃げたわけじゃないね?理由は?何時に逃げた?」
「朝、暗いうちに」
「何かで眼が覚めた。夢かい?何だった?」
「奇妙な音です」
「何の音だった?」
「あれは・・・悲鳴でした。子供の声のような悲鳴です」
「君はどうした?」
「私は階下に下り、外に出て、そっと納屋に近づいて、恐る恐る中を覗いたんです」
「そこで何を見た?何を見たんだ?」
「子羊です。悲鳴を上げてました」
「子羊を殺していたんだね?」
「悲鳴を上げてた・・・」

意志堅固だが、自我の深奥に封印された記憶を持つ、一人のクライアントを前にした精神療法家の鋭利な言語の切っ先が、なおも、来談者(クライアント)の自我に喰らい付いていくのだ。

既に彼女の顔に涙が滲み、自分の過去と向き合う悲痛な表情が浮かび上がっていた。

「それで逃げた?」
「子羊を逃がそうと、ゲートを開けたわ。でも、子羊たちは全然逃げないの」
「だが、君は逃げ出した?」
「子羊を一頭抱えて、必死で逃げたわ」
「何処へ行った?」
「分らないの。食料も水もなく、とても寒くて・・・寒かったわ。少なくとも、一頭だけ助けたと思ったけど、とても重くて、ダメだった・・・ほんの数キロ逃げて、保安官に捕まったわ。怒った牧場主は、私を施設へ送ったの。牧場はそれが最後・・・」
「君の連れ出した子羊は?」
「殺されたわ」
「今でも時々、眼が覚める?明け方に目覚めて、子羊の悲鳴を聞く?キャサリンを救えたら、もう悲鳴も消え、暗い明け方に眼が覚めることがないと思う?もう悲鳴にも悩まされずに?」
「分らない。分りません」
「ありがとう」

全てが終焉した。

レクターは何もかも、お見通しなのだ。

幼くして母を喪い、父が全てであった少女・クラリスにとって、その父の衝撃的な死と、その孤独の身を預けられた、いとこ夫婦の牧場主から性的虐待を疑わせる、忌まわしき過去は、彼女の自我の奥深くに張り付いて止まないトラウマ以外の何ものでもなかったのだ。

「子羊の死」=「クラリスの子供時代の死」を意味すると考えていいだろう。

多くの「子羊の鳴き声」とは、クラリスの自我が抱えた、様々な心的外傷の集中的表現であった。

だから、彼女は羊たちを救おうとした。

それが叶わず、一匹だけを抱えて逃走したが、それも助けることが出来なかったが故に、以降、彼女は「沈黙」せざるを得なかったのである。

つまり、彼女は子供時代のトラウマを、徹底的に否認して生きるしかなかったのだ。



「子羊の悲鳴が止んだら知らせろ」

これは、別れ際に、レクターが放った一言。

そしてレクターは、FBIアカデミーの訓練生に、彼の書き込みのあるバッファロー・ビルの資料を渡して別れた。



6  「子羊の悲鳴は止んだか?」



簡単に、事件解決の経緯について触れていく。


レクターの書き込みのあるバッファロー・ビルの資料によって、犯人を特定し、その所在を確認しつつも、ミスの発生によって、クラリスは直接、犯人と一軒家内で対峙するが、赤外線眼鏡を装着した犯人が銃に弾丸を充填する一瞬の隙を縫って、犯人を射殺するに至った。

そして、地下室の古井戸に閉じ込められていた上院議員の娘を救出したのである。


クラリスに関わる、映像のラストシーン。

FBI訓練生の卒業式で、事件解決の栄誉を称えられていたクラリスの元に、一本の電話がかかって来た。


クラリスと別れた後、その天才的知略によって病院職員を惨殺して、精神病棟を脱獄したレクターからの電話だった。

「子羊の悲鳴は止んだか?」(注3)

これが、別の犯行予告を匂わせつつも、どうしても、その一言を届けたいと願う男の言葉であった。

レクターにとって、凛と振舞うクラリスの存在は、一貫して、一定の「共感感情」で結ばれた模範的な来談者であったということなのか。


(注3)トマス・ハリスによる同名の原作から、レクターの言葉を引用しておこう。

「子羊たちの悲鳴は今のところは止むだろう。しかし、クラリス、きみはトリ―ヴの土牢の秤のような非情さで自分を判断すべきだ。きみはそのありがたい沈黙を何度も何度も自分の努力でかちとらなければならない。きみは人の苦しみを見てその苦しみに駆り立てられているが、世の苦しみは永久に絶えることがないからだ」(新潮文庫)



7  「超人格的な存在体」としての「絶対悪」



強盗殺人によって、愛する父を喪ったトラウマから解放されず、ひたすら、「非在の父を代替する父性モデル」を求め続けるクラリスにとって、父性を全否定し、ひたすら胎内回帰を求めて、多くの女性を殺害(「皮剥ぎ」のみが目的)し続けるバッファロー・ビルを逮捕することは、彼女の自我の深奥に封印されたトラウマを解決する格好の手段であった。

なぜなら、多くの女性の命を救うことが、彼女にとって「子羊の死」を防ぐことになり、「羊の鳴き声」を消し去ることになるからだ。

レクターは、彼女との会話の中で、既にその深層心理を分析し切っていて、その不快な問いに真っ向から眼を見据えて答えてくるクラリスに、一貫して強い共感感情を抱いていたと思われる。

クラリスとレクターの接見の本質は、シリアルキラー逮捕のための情報交換という名目で、実は、天才的精神科医である男の興味を惹き付けるに足る、凛と振舞うFBI研修生への分析療法にあるが、その苛酷な時間を覚悟するかのように、レクターと毅然と対峙する彼女との精神的睦みであったと言えるだろう。

クラリスは、レクターの鋭利な発問に誠実に反応していくことで、自らの封印された過去との対話を余儀なくされていった。

同時に、犯人逮捕への強い熱意とリンクすることによって、その内的モチーフがより強化されていくという自己運動を必然化したのである。

それを、全人格的に引き受けたクラリスの精神的強靭さこそが、最終的に犯人逮捕に繋がったと言っていい。

ラストシーンにおける、レクターからの電話の内容に見られるように、同時にシリアルキラーでもある男が、なお一貫して、天才精神科医であり続けた本来的な職分を自己完結させる結びとなったのである。

このように本作は、サスペンスドラマの中に心理学の要素を存分に導入させることで、おどろおどろしい物語展開の内に、闇の深淵を覗く深みを与える映像構築に成就したという把握に間違いはないだろう。

では、映像を支配し切ったレクターとは、一体何だったのか。


彼は紛れもなく「超人」であり、「絶対悪」であると言っていい。

「絶対悪」である限り、彼は「人の住む世界」で普通に呼吸を繋ぐ、「人格的或る者」とは縁遠い何者かである。

文明で量産される基幹的情報を蓄える広範囲な教養と、人の心の芯を推し量る卓越した能力を持つその類稀な才分は、充分に「超人格的な存在体」である。

その象徴は、彼が精神病棟の地下牢で、クラリスに下品な言葉を投げかけた囚人を、心理学の知識(叫び続ける行為の暴力性によって恐怖心理を張り付けていく)のみで殺害するエピソードに象徴的に表れているだろう。

彼の存在によって、クラリスもバッファロー・ビルも、「相対善」であり「相対悪」でしかない「人格的或る者」である、

彼以外の全ての人間たちの職業上の営為や、その犯罪者の身の毛がよだつ凶行さえも異化されてしまうのである。

即ち、「超人格的な存在体」である彼は、私たちが「世界」と呼んでいる一切の事象を異化させてしまう「絶対悪」なのだ。

その「絶対悪」によって逆照射される、「世界」の事象の愚かさが鮮明に浮き上がってくるのである。

そのような異界の「超人格的な存在体」として、「ハンニバル・ザ・カニバル」(人喰いハニバル=原作での命名)としての「ハンニバル・レクター博士」は造形され、永遠に生き続けていくという訳だ。

(2010年3月)

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