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2010年1月16日土曜日

HANA-BI('98)      北野武


<自我が分裂した二つの〈生〉の究極の様態>



1  感覚を突き抜けていく映像作家



北野武は、「感覚を突き抜けていく映像作家」である。

単に、感覚を大切にする映像作家ではない。

突き抜けていくほどに「自分の感覚」を信じ、それをカット繋ぎの技巧によって、削って、削って、削り抜いて残った絵柄のみをフィルムに記録していく映像作家であるように見える。

無論、彼には主張がない訳ではない。言いたいことは山ほどあるだろう。

しかし彼の映像作りは、彼の主張したいテーマを言語化したシナリオに全面依拠することなく、撮影のプロセスの中で自在に変更するから、多くの場合、シナリオは「あってないような参考資料」に過ぎないようだ。

彼以外の多くの監督がそうしている範疇を遥かに超えて、彼の映像作りが、その場における「自分の感覚」を信じ切る者の確信的映像作家であるか否か、私は知らない。

恐らく北野武は、そのときの判断の基準を、観る者の立場に立って、その需要度・受容度を推し量り、それに極力合わせていく映像構築ではなく、「自分が観客だったら、どのような絵柄の繋ぎを求めるか」という徹底した自己基準によって、どこまでも「自分の感覚」の中で篩(ふるい)にかけていく映像作りを心掛けているはずである。

その際、彼は篩にかけた「自分の感覚」を信じ切って、妥協なしに映像作りを継続していくだろうから、どうしてもその作業の果てに構築された作品は、「感覚を突き抜けていく」映像に逢着するに至るに違いない。

「感覚を突き抜けていく映像作家」としての北野武が、そこに凛として立ち上げられているという訳だ。

当たり前のようだが、これを貫徹するのは相当に困難である

ピュアなまでに、感覚的な濃度の深い主観的世界で表現された映像に対する親和動機は、「それが自分の好みに合うか否か」という一点にしかないのだ。

従って、説明的な描写を捨てた彼の映像の中で頻繁に記録された、「暴力」や「日常性描写の特異な絵柄」等の描写の根柢にある、「脱感傷」の濃度に満ちた北野作品に対する評価は、その個性的な「北野武流映像世界」に対する、観る者の「好みの問題」の内に収斂される運命から解放されないだろう。

正直言えば、私も「北野武流映像世界」は、些か苦手である。

どうしても物事を理屈で考えてしまう性癖が、自分の中に内在すると思うからだ。

理屈で理解できない世界へのアプローチを敬遠する気持ちが強いのである。繰り返すが、それはもう、「好みの問題」と言うしかないだろう。

しかし、本作は「感覚を突き抜けていく映像作家」としての北野武の映像でありながら、そこで提示された形而上学的テーマは、単に感覚のみでアプローチし得る範疇を超えていた。そこに、私の主観的な映像感性がフィットし得る何かを感受したのである。

即ち、本作は「北野武流映像世界」の中で異彩を放っていると言えるだろう。

そこに、特定的に選択された主題に対する観念的・形而上学的なアプローチが堂々と展開されているからだ。


その男、凶暴につき」、「ソナチネ」(画像)といった作品に特徴的な、突き抜けるほどに圧倒的なバイオレンス描写を好む向きには不満かも知れないが、彼の他の作品に比較して、ジャン=リュック・ゴダールが絶賛(注1)した「キタノ・ブルー」(注2)全開の、情感系の濃度が些か深い本作だからこそ、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞した所以であったとも言えるだろう。

では、そのテーマ性とは何か。

それを一言で言えば、〈生〉と〈死〉の問題であり、その死生観であると言っていい。

以下、その深甚なテーマ性を持つ映像を検証してみたい。



(注1)「日本映画の中で、ここ四、五年、私が素晴らしいと思っている、北野武の映画があります。『HANA-BI』という作品です。私が『HANA-BI』を好きなのは、それが日本映画だからではなく、普遍的な映画だからです。そこに登場するほとんどの人物たちが一重瞼の細い目をしていることに気づかないほど、普遍的な映画だと思います」(2002.10.23 ジャン=リュック・ゴダールインタビュー「映画をつくること、それしかできない」より)

(注2)色彩心理学によると、ブルーは「冷たさ」、「重さ」、「後退色」=「遠距離感」に対して親和性を持っていると言われる。また、好みの順位では、最も好まれる色彩であるというデータがある。因みに、ブルーに次いで赤、緑が好まれ、年齢が高くなるに従って、暖色系から寒色系へ好みが変わってくると言われているそうだ。

また、「キタノ・ブルー」についての本人の説明があるので、それを掲載する。

「キッズ・リターン」より
「色に関しては、交通事故の後遺症だね。街のネオンやビルが雑然として統一性がないのが嫌になった。それでそぎ落とすとブルーとグレーが残って、で『キッズ・リターン』(1996)は色をはじいた」(「All About」・『TAKESHIS'』北野武監督に直撃インタビューより)



2  自我が分裂した二つの〈生〉の究極の様態 ①



ある事件によって、車椅子生活を余儀なくされたばかりか、妻子にも見捨てられ、自殺未遂の果てに、なお〈生〉を繋いでいかざるを得ない宿命を生きる元中年刑事。

彼の名は、堀部泰助。

彼は自らの自我の拠って立つ安寧の基盤を構築し得ないまま、アマチュア画家としての「余生」を時間に結んでいくが、彼の描く子供のような有彩色で明度の高い、暖色系の絵画のイメージと乖離するかのように、映像が記録する彼の表情には生気がすっかり削られていて、なお〈生〉を繋いでいく圧迫的な重量感だけがフィルムに刻まれているのだ。

もう一人は、その事件によって、自らのプライバシーを優先したが故に、少年期以降の親友刑事に車椅子生活を招来させたばかりか、犯人憎しの思い余った情動の、その抜け駆けの行動の暴発によって、結果的に、後輩の若い刑事を死に追い遣った挙句、自分の〈生〉の根柢を揺るがすほどの贖罪感に苛まれる中年刑事。

加えて、彼には子供を喪った哀しみから失語症になっただけでなく、不治の病で幾許(いくばく)もない余命を生きる妻に対する思いの深さによって、遂には、「死出の道行き」を必然化させた流れ方を括っていく「生き方」=「死に方」を選択するに至った。

西佳敬
彼の名は、西佳敬。そして、彼の妻の名は、美幸。

効果的な「キタノ・ブルー」の色彩感と、些か情感過多な久石譲のBGMとの親和性の中で結ばれた映像を、本作の根幹を成す〈生〉と〈死〉の問題という以上のテーマが、二つの〈生〉と〈死〉の様態を炙り出していくのである。

ここに、本作の中で極めて重要な会話がある。

車椅子生活を余儀なくされた元中年刑事と、新婚早々の現役刑事である中村の会話である。

「暇過ぎるのも大変だよ。時間潰しに絵を描いているんだけどさ。所詮、素人だよね。描くもん、なくてさ」

この堀部の言葉に反応できない中村刑事は、微妙に話題を変えていく。

「西さんから連絡ないですか?」

しかし、堀部の問題意識のコアは、自分の〈生〉の有りようにしかない。

「最近はないよ。以前にまとめて絵の道具を贈ってもらってさ、悪いことしちゃったんだけど。西さんも奥さんのことで大変なんじゃないのかな。本当のこと言うと、奥さんも、もう長いことないだろうしな。でも、考えようによっちゃ、俺より幸せだよな」

これは、前者の元中年刑事が、映像の中で、その思いを表現した言葉。

本作は、究極の〈生〉=究極の〈死〉の微妙だが、明らかに目指すべき方向性を異にする男たちが、対比的に描かれている。

西佳敬と堀部泰助(右)
これは、二人の人間の二人の生き方というより、私には作り手の主題の中にあったイメージ化した人格像の中の、その自我が分裂した二つの〈生〉の様態であるように思えるのである。

以下、本作のストーリーラインを簡単にフォローしていくことで、形而上学的なテーマ性を持つ表現世界の本質を考えていきたい。



3  男の情感体系の尖り方 ―― ストーリーラインの要約①



沈痛な表情の妻、美幸がベッドで俯(うつむ)いている。

数ヶ月前に愛児を喪った彼女は、その衝撃もあってか、重篤な疾病で苦しんでいた。

「まぁ、近代医学も万能じゃないですからね。これ以上良くはならないし、この際、家に帰してあげたらどうですかね。お子さんの件でだいぶ精神的に参っているし、病院にいるより、家でゆっくりした方がいいですから」

現役刑事である夫の西佳敬は、主治医に呼ばれて、反応する言葉もないほどに、殆ど死刑宣告を受けた妻の現状を冷厳に受け止めるばかりだった。

このとき彼は、自分の勤務をも兼ねてくれた親友の堀部が、担当する事件の犯人に撃たれたという連絡を中村刑事から受けた。


まもなく西は、中村刑事らとの地下アーケード街での張り込み中、そこに現れた犯人の捕捉を逸って、単独行動に打って出た結果、後輩刑事の田中の命を、拳銃を持つ犯人によって断たれてしまったのである。

この西の行動は、堀部に対する責任意識から惹起させたものだった。

若い刑事を殉職させたばかりか、脊髄を損傷した堀部もまた、車椅子生活に入っていくことになった。

一切は自らの責任に帰する、という西の重い贖罪意識が、田中刑事の若い妻への経済的援助や、堀部に対する様々な気遣いを継続させていくに至った。

睡眠薬自殺未遂を起こした堀部に、西はベレー帽と絵の道具を贈ったのである。

重篤な疾病の妻を扶助する医療費や生活費が底を突いた西は、とうとうヤクザから金を借りる羽目になり、その利子の支払いすらも儘(まま)ならなくなったとき、彼は遂に銀行強盗を起こしてしまうのだ。

映像は、中古車販売店から盗難車のタクシーを買って、それをパトカーに塗装した彼が、銀行強盗を成功させる描写を記録した。

その際、警官姿の西に拳銃を突き付けられた女子行員が、一人金を包んで持って来るが、それを近くの客や女子行員が気付いても、ポカンと見ているシーンを挿入したが、作り手によって感覚的に具現したに違いない銀行強盗の絵柄にしても、全く声も上げずに現金を袋に入れて持って来るという描写は、あまりに不自然であると言わざるを得ない。

ともあれ、この大胆不敵な銀行強盗によって、男は誰も殺傷することなく目的を達成したのである。

恐らく、誰も殺傷しなかったという行為それ自身が、男にとって何より重大な事実であり、作り手が男のキャラ造形に仮託した観念が、そこに垣間見えると言える。

因みに、静謐な「キタノ・ブルー」で彩られた特徴的な映像世界の中で、男は、その内側にある破壊的攻撃性を放射する対象人格を限定しているのだ。

それを一言で言えば、不法を働く犯罪者、ヤクザ、そして失語症になった妻を軽侮する者、自分に対して攻撃的に迫ってくる一般市民、という風に括られるだろう。

暴力による「痛み」を表現する田中刑事の殉職の画像
要するに、男の暴力の行使には、彼なりの美学が貫流されているのである

詰まる所、男の情感体系の尖り方を要約すれば、「誇りを知る者の男の観念」と「力の論理」という文脈に整理できるのだ。

それこそ、かつての「侠客」の美学以外の何ものでもなかったと言えるだろう。

しかし私は、そんな「侠客」の美学を貫徹した日本人が、この国に遍く存在したという愚かな伝説を全く信じない者である。

ともあれ、その金を持ってヤクザに金を返済しに行くシーンでも、暴力沙汰のエピソードが挿入されて、暴力なしに進展しない本作の展開に溶け込める観客は限定的であるだろう。



4  自己完結した「死出の道行き」 ―― ストーリーラインの要約②



西の心は既に固まっていた。

妻の退院後、「旅行でもして下さい」と主治医に言われた通り、彼は覚悟を括った「死出の道行き」に打って出たのである。

一方、車椅子生活に慣れない堀部は、西から贈られた画材セットを使って、これも慣れない趣味を持とうとするが、暖色系の絵画を描く彼の表情からは、一向に〈生〉を未来に繋ぐ者の意志が垣間見えないのだ。

それも当然だった。

退院後、堀部は子供を連れて妻に出て行かれたことで、自分が置かれた深刻な身体的、精神的状況を共有し得る、最近接の距離にいるパートナーを構築できないでいるのだ。

一人、海岸に出て、車椅子の中から遠望する親子の親和力に、いつまでも未練を捨て切れない現在性を呪うばかりであった。

「日常性描写の特異な絵柄」を好む作り手の映像には、確信的に切り捨てられる描写の山が堆積されていくが、ここでも、車椅子生活の堀部の絶対的不自由さを介護する人物像が簡単に捨てられてしまうのだ。

大体、車椅子の男が、そこで足が海水に濡れるほどの海岸の際にまで行って、深刻な表情でブルーの海を見続けるシーンの後方には、車椅子の轍(わだち)のみしか刻まれていないのだ。

要するに、彼は単身で、この危険な場所まで、その身を運んで来たのである。

リアリティの問題を削り切ってまで、この作り手は、「介護者」という名の日常性の臭気をフィルムに刻むことを厭悪するのである。

このように、極端なまでの説明描写を嫌う作り手の映像手法には、相当程度、馴致していく観客の受容度が要求されてしまうのである。

一方、「死出の道行き」に打って出た男の前に、彼が銀行強盗で手に入れた現金を奪おうとするヤクザが出現し、有無を言わさず、男は彼らを屠ってしまった。

元刑事が犯した殺人事件を現場検証した中村刑事らは、西を逮捕するために彼の前に現れた。

「ヤクザの死体、見ましたよ」

中村刑事のこの言葉に、西は特段に抗う態度を見せず、覚悟を括った者の意志を結んで見せた。

「ちょっと待ってくれねえか。もうちょっと、待ってくれ」

真剣な表情で言葉を結んだ西の態度に、中村刑事は戸惑いながらも受容するしかなかった。

先輩刑事の壮絶な生き方を目の当たりにした者の思いを乗せて、車内で待つ中村刑事は、同僚の後輩刑事に一言結んだ。

「俺は、ああいう風には生きられないんだろうな」

彼はそのとき、その後、この海岸で何が惹起するか理解していたのだ。

砂浜で、上手に揚げられない凧揚げをする少女が一人、走っていた。

少女は西に近づき、凧を揚げるために、それを高く持ってくれるように頼み、再び、砂浜を走って行った。

ところが、凧の両翼を両手で持っていた西は、ピンと張った糸が伸ばされても、それを放さなかった。

凧の両翼が切れて、少女は戸惑うばかり。

それを見て、悪意のこもった小さな笑みを捨てた男が、そこに立ち竦んでいた。

「ありがとう・・・ごめんね」

これが、その直後のシーン。

男の妻は、映像で初めて言葉を発したのだ。

そして、それがこの世における、彼女の最後の言葉となったのである。

映像の最後のカットは、二発の拳銃の音の後に、視界に入った異様な光景を見詰め続ける少女。


この一連のシークエンスに合わせるような久石譲の情感的なBGMが、この瞬間、ピタリと止んで、映像の終焉を告知していった。




5  自我が分裂した二つの〈生〉の究極の様態 ②




ここに、作り手自身の言葉がある。


「監督・ばんざい! 」(画像)のインタビューから拾った記事である。

「映画監督としてでも、人間としてでもいいのですが、監督のモットーを教えてください。

K:モットー? モットーはねぇ・・・人間は必ず死ぬってことだね(笑)。どうせ死ぬのに、なぜ100メートルが速い方がいいのか分かんないね。人間だったら、すぐ死んだ方が偉いじゃないかと思うんだけど。長生きする方が良いことだとは全然思わないね。でも、自殺する気もないし。」(「CINEMA VOICE」【北野 武 「監督・ばんざい! 」インタビュー】より)

この言葉を読む限り、北野武は、常に死を意識する映像作家であることが分る。

高度に発達した文明社会の中で、人間の〈死〉は病院という特定的なスポットに押し込められ、そこで形式的なエンゼルケアー(看護婦が遺体に施す死に化粧)を受けながら、病院指定の葬儀社に委ねられた挙句、焼却場で灰になっていくその風景を視認する者は、遺族と関わる限定的な人々だけであり、人間の〈死〉の普遍性の問題は、非日常の世界に踏み込んでいくときの私たちの会話の対象から弾かれて、この世には、〈生〉を謳歌する者たちの当り障りのない床屋談義が、其処彼処(そこかしこ)に捨てられていくのである。

北野武は、そのような時代の、そこに住む人々の、ありふれた日常性の土手っ腹に、私たちが最も回避したい〈死〉の普遍性の問題と、そこに架橋する〈生〉の有りようを問いかけていくのだ。

思えば彼は、〈生と死〉の境界を彷徨う大きな事故(1994年8月に起こした原付バイク事故)を私的に経験したことで、観念としての〈死〉のリアリティのインパクトに喉元を突き付けられたのだろうか。

危ういラインを垣間見たに違いない、その大事故から復帰して3年余。

〈生と死〉の境界を彷徨った末に、「キッズ・リターン」(1996年製作)に次いで2作目となる本作が、このようなテーマ性を持つ、真っ向勝負の映像なったことは必然的であっただろう。

以下、彼自身の言葉で語ってもらおう。

彼が上梓した著作の中で、最も重要であると思えるインタビュー集からの抜粋である。

「だから『あれえ~?』って思ったんだけど。で、『キッズ・リターン』っていうのはやっぱりリハビリの映画でプラマイゼロのもんなんだけど、生きるとか死ぬとか。だから『ソナチネ』あたりまではこう、死ぬってことがあるんだろうけど、逃げていく死のような気がすんの。

―― そうですよね。

うん。それで今回の『HANA-BI』は向かってったいう感じだね、生きると死ぬとを自分でこう決断つけに行ったっていうか。逃避したんじゃなくて向かっていく感じあるけどね」(「武がたけしを殺す理由・全映画インタビュー集」北野武著 ロッキング・オン刊 2003年)

事故直後に発表して高い評価を受けた「キッズ・リターン」では、なお事故のトラウマのような記憶が張り付いていたので、〈生〉と〈死〉の危うい際に関わる根源的テーマに対峙し得なかったが、3年余り経過して、そのテーマに少しは客観的に迎えるようになったとき、彼は本作への構想化に向かうことで、真っ向勝負の映像を回避しない「向かっていく感じ」の作品を構築し得たのである。

「生きると死ぬとを自分でこう決断つけに行った」覚悟の映像であったが故に、本作が稀にみるほどに突き抜けた作品に仕上がっていたと思えるのだ。

彼は観念としての〈死〉を絶えず意識しつつも、「今、ここにある」〈生〉を継続させる営為を繋ぎながら、少なくとも、その問題意識が飽和点に達する辺りで映像化を試みることで、問題の根源に横臥(おうが)するものと対峙し、決して自殺という手段を選択しない人生を、なお繋いでいくことを括っているのだろう。

本作の主人公は、〈死〉以外の選択肢を持ち得ない状況に自らを追い詰めて、それを遂行した。

彼にとって、余命幾許もない妻との「死出の道行き」だけが、その曲線的な人生の到達点だった。

映像では、「愛する妻との道行き」というプロットラインが敷かれていたが、恐らく、作り手が本作に投影した主人公の情感世界の中において、美幸の存在性は、「愛する妻」という形容よりも、自らの自我の拠って立つ安寧の基盤としての対象人格、即ち、「愛するもの」という把握の方が的を射ているように思われる。

本作を通じて、彼の妻は一貫して、「女」という〈性〉のリアリティを身体表現していないのだ。

「死出の道行き」の中で、彼女は常に野球帽を被り、ジャンパーを着て、ズボンを履いている。

その振舞いは、「女」というよりも「子供」であり、或いは、「妹」であるような人格性を身体化していたのだ。

要するに、彼女の存在は、主人公にとって「愛する何か」以外の何ものでもないということなのだろう。


と言うより、本作の作り手は、映像から〈性〉のリアリティを脱色させたかったという把握の方が的を射ているのかも知れない。


だから、それは妻との「死出の道行き」というよりも、既に寿命を持ち得ない、「愛するもの」との別れの儀式であり、それを喪うであろう主人公もまた、その〈愛〉の対象を完全に喪失したことによって、自死という究極の手段を選択せざるを得なかったということなのだ。


本作のラストシーンで、主人公が、海岸で凧揚げする少女の凧の両翼を折ってしまった悪意の、その根柢にに横臥(おうが)する心象風景は、まさに主人公の妻を失語症に追い遣った、「愛児の死」という問題を炙り出す暗鬱な現実だったと言える。(画像は、ラストシーンの撮影地の高萩市の海岸)

結局、妻の不幸の根源はそこにこそあり、その妻を喪うことになる男の悲哀もまた、その妻を通して我が子の死からリバウンドされてくる、痛烈な記憶の束に押し潰されていたということである。

何より、それこそが決定的に重要な心理的文脈であるだろう。

加えて、男が事件で冒した不手際によって、二人の刑事の不幸を惹起させた現実の重量感が、精神を圧迫するような贖罪意識となって、男の「死出の道行き」を決定付けるに至ったのである。

「愛するもの」の喪失が予約された男にとって、「死出の道行き」以外の自己完結という方法論は存在しなかったのだ。

〈生〉を繋ぐ男の人生を象徴する堀部泰助
しかし作り手は、このような男の死に方の対極に、絵画によってのみ辛うじて〈生〉を繋ぐ男の人生を描き出すことで、作り手自身の自我を分裂させていった。

車椅子生活を余儀なくされた男の人生がどれほど艱難(かんなん)を極めようと、この男は「死出の道行き」に旅立った男のように、簡単に自死を選択してはならないのだ。

彼は睡眠薬自殺を図ったが、作り手はこの男を生き残らせたのである。

なぜなら、この男は、作り手の「もう一つの分身」であるからだ。

北野作品の中で画期点とも言える、このような「もう一つの分身」を作り出すことによって、どれほど厳しくとも、与えられた命を全うせねばならない運命を委ねられた男を作り出したという一点において、彼の表現への意志が、〈生〉に向かう未知のゾーンに踏み入る映像世界を切り開いていったのである。

恐らく、この展開の広がりは、北野武という極めて個性的、且つ、独創的な映像作家の中において、重大な意味を持つに至るだろう。


即ち、「HANA-BI」以前と、それ以後の作品というように、彼の映像世界の展開の広がりが予約されたという意味において。

ともあれ、本作で提示された、〈生〉に関わるこの二つの対極の方向性は、作り手自身の自我を分裂させた究極の様態を切実に表現した肉感的イメージであると同時に、観る者へのシビアな問題提起にもなっていたに違いない。

観る者もまた、この二つの「生き方」=「死に方」のいずれかを、主体的に選択せざるを得ない由々しき状況に置かれるとき、退路を断つ者の重大な覚悟を括らねばならない。

そんなメッセージが聞こえてきそうな、痛烈な一篇だった。



6  北野映画の暴力描写について



北野映画を「暴力映画」と決めつける向きも多いが、作り手自身は、かつてインタビューで、「あなたの映画を見た若者が真似をすることはないですか?」との質問に対して、「オイラの映画で描く暴力は『痛み』があるから、決して真似はしない」(ブログ・「映画作家・北野武」より引用)と語っている。

そのことを象徴する言葉が、「余生」に載っているので引用してみる。

「ハリウッドの、ひたすら殴り合っている映画なんて、大っ嫌いだもん。やり返せるような暴力は暴力じゃないと思ってるんだね。一発で終わりだよ。そういう、自分なりの拳銃に対する考え方とか、殴ることに対する考え方とかをパッと入れちゃっただけだな。それはやっぱり生理だよね」(「余生」北野武著 ロッキング・オン刊 2001年)

確かに、彼の映画は死んでも痛みを随伴しないハリウッド映画や、日本の時代劇とは一線を画すと言っていい。

マーティン・スコセッシ監督
その意味で、私は彼の映画を、マーティン・スコセッシ監督が「タクシードライバー」で描いた文脈と同様に、「暴力の恐怖を知る者の、圧倒的にリアルな暴力映画」であると考えている。

そんな作り手自身は、例のフライデー事件やバイク事故を起こしたことで、世間やメディアから非難され、彼自身も精神的に辛かったことを吐露している。

しかし逆に言えば、前者は自分を誹謗したことに対する暴力であり、後者は本人も自ら語っているように自殺的行為と言えるものだ。

結果的に言えば、彼は自らの起こしたこの二つの事件、事故によって、痛みを随伴する「暴力の恐怖」を実践的に検証してしまったのである。

本人がどれほど自らの行為を相対化しようとも、そんな事例が「笑えないアイロニー」になってしまった分、彼はその本来的な「芸人魂」を削り取ってしまったようだ。


(2010年1月)

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