このブログを検索

マイ ブログリスト

  • 旧古河庭園 ―― 炸裂するほど美しい2017年のバラ - 足尾銅山を買収し、「足尾鉱毒事件」を起こした「銅山王」・古河財閥創業者・古河市兵衛の実子・古河虎之助男爵の邸宅 ―― それが現在の旧古河庭園である。 旧古河庭園は洋館・西洋庭園・日本庭園に整備されて、今は国の名勝に指定され、それを東京都が借りて一般公開している。 ジョサイア・コンドル バラの名所として有...
    1 日前

2008年12月11日木曜日

日曜日のピュ('92)    ダニエル・ベルイマン


<「視線の二重性」―― そこに拾われた「絶対時間」>



1  「時計職人の縊死」の恐怖



1920年代のスウェーデンの夏。

8歳の少年イングマールは、ピュという愛称で呼ばれていた。
4歳年上の兄のダーグから、「こいつ、女みたいだ」とからかわれ、兄の仲間と遊ぶときも、まるで子供扱いされていて、「いつか殺してやる」などと強がって見せていた。

父エリックの職業は代々の牧師で、その謹厳実直な生き方が、しばしば子供たちとの微妙な距離を作っている。

それでもピュには、父を敬愛する気持ちが強い。

変人気質のカール叔父さんはユーモアに富んでいて、ピュの気持ちを常に柔和にしてくれる。

その叔父さんから、ピュは「口をつぐんどいて。口を開けていると、バカみたいだよ。お前はバカじゃないだろ」などと傷つくようなことを言われたりもする。

カール叔父さんにからかわれたその日、ピュはエリック家のお手伝いさんに連れられて、森の中に入って行った。

透き通るような川面にかかる小さな木の橋に佇んで、彼女から時計職人の話を聞くことになった。

「ここで時計職人が首を吊ったの」
「何?」
「聞こえたくせに、必ず聞き返すのね」
「どこで?」

自分の心を言い当てられて、ピュは話を先に進めていく。

「知らないの?茂みの中よ。自殺したの。失恋したからだって言うけど、嘘よ」
「それじゃ、なぜ?」
「知らないわ。ララに聞いてごらん」
「幽霊が出る?」
「幽霊?今も茂みで動いているって。私は見たことないけど。幽霊や妖精を見るのは特別な人間よ。私は普通の人間だからだめ」
「僕は、“日曜日の子供”だ」
「あら、そうなの?」
「1918年7月14日、午前3時に産まれたんだ」
「何か見えた?」
「色々見たよ」
「面白そう。いつか話して。でも本当かしら?」
「僕も死んだら、幽霊になる」
「どうして?」
「話してあげるよ」
「何を?」
「向こうの世界」
「知りたくないわ」
「昼間そっと来るから」
「バカ言わないで」
「きっと来るよ」
「死ねばそれきりよ」
「時計職人は?」
「ただのお話よ」

死の世界に関心を抱く振りをしつつも、その未知の恐怖に幼い自我が竦んでいる。あまりにナイーブな少年の心が、ぎこちない表情のうちにそのまま映し出されていた。

ピュはその夜、年長のお手伝いさんであるララに、時計職人の話を聞いてみた。

「なぜ時計職人は自殺したの?」
「よくは分らない」
「話してよ、ララ」

ララは、ピュの表情の中に真剣さを感じ取って、ゆっくりと時計職人の話を始めたのである。

「時計職人の店には、おじいさんの時計があったの。黒いノッポの古時計で、文字盤には金の飾りがついていた。古時計は重々しく堂々と時を刻んで、30分毎に時を告げた。物悲しい音だった。

ところがある日、全てが変わってしまった。針が進むかと思えば逆戻りしたり、死んだように動かないときもあった。それがとても気になって、職人は修理を始めた。歯車や振り子や針を取り替えてみたが、どうにもならなかった。

ある日彼は、時計を分解してみた。すると不意に歯車が跳ね上がり、手を切ってしまったの。流れ出た血は時計を伝わり、テーブルの上に溢れ出た。彼は急いで医者に行き、傷口を縫ってもらった。ある夜、時計が13を打って、眼を覚ました。それとも14か?彼は起き上がって、時計を見つめた・・・」

「なぜ、そんなに詳しいの?」

「彼が死ぬ前に、一緒に住んでいた人がいてね。祖母がその人から聞いたんだよ。時計職人は、彼に手紙を預けたの。“死ぬまで開けるな”と言ってね・・・

時計の扉が、ひとりでに開いて、中から奇妙な音が聞こえてきた。多分泣き声だったろう。職人は怖くなったものの、じっとしてはいられなかった。

そっと時計に近づいてみると、二本の針は下を向いて、6を指していた。上の扉は閉まっていたが、下は軋んで、少し開いた。

寝巻き姿の職人は、ひざまずいて扉を開き、中を照らしてみた。最初は何も見えなかったが、眼が慣れると、もう一つ扉があるのが分った。細く開いた扉から、誰かが泣いているのが見えた。それは小さな人間で、うずくまって啜り泣いていた。子供でも小人でもなく、本物の女性だった。

職人は時計が止まっているのに気づいた。聞こえるのは泣き声と、煙突を伝う風の音だけ。“これほど美しい人は、生まれて初めてだ”彼はそう思った。“あまりにも小さいけれど・・・”」

「彼は恋をしたのね?」と若いお手伝いさん。
「さあ、本当のことは分らないけど、何かが起きたのは確かだよ」
「それから?」とピュ。

「職人は彼女を外に出してやり、濡れた布で額や唇の血を拭ってやった。そしてショールで包み、ベッドに寝かせた。彼はランプを灯して、見えぬ眼を閉じた女を見つめていた。女は眠ったようだ。それも長くは続かなかった。じきに古時計が、狂ったようにギーギーいい始めたからだ。それはひどい音だった。時計が腹を立てて、彼を殺そうとしているらしい。

彼は店からハンマーを持ち出した。片方の端が尖ったハンマーで、彼は時計を叩き壊した。文字盤が粉々になろうかというとき、彼はそれを見たような気がした。歯車の間から睨む邪悪な顔を。とても恐ろしかったろう。時計を壊している間、女は狂ったように叫び続けた。それは人の声とは思えず、さながら罠にかかった獣。職人が宥めても、叫び続けるばかりだった。

彼は女を抱きしめ、体を撫でた。プロポーズさえしたかも知れぬ。でも女は叫び続けた。彼はますます動揺して、必死に鎮めようとした。まさに死闘のようだった。

その時、女が彼の手を叩いた。不意に彼の手を振りほどいた女は、這って逃げ出した。ランプがひっくり返り、燃え広がった。それは手紙にはなかったけれどね。時計職人は女に飛びかかった。接吻すると、女は彼の唇を噛んだ。ひどい乱闘だった。

起こったことの全ては話せないよ。彼は時計にしたように、女にハンマーで殴りかかった。殆んど正気をなくしていた。落ち着いてから、彼は女と時計を庭に埋めた。それから一年も経たず、時計職人は首を吊った」

長い話が終った。

二人の子供は、固まったように静かになった。

スウェーデンの夏①・よく見られる伝統的な色づかいの家屋(ウイキ)
ピュは敢えて饒舌になって、その場から中々立ち去ろうとしなかった。



2  父の孤独に寄り添って



食事が終った部屋では、オペラ歌手のマリアンが静かな旋律を歌い上げていた。

その思いの籠った歌に、ピュの両親が聞き入っている。

“天使の唇から 溢れ出る歌  主よ 何と美しいのでしょう  清らかな歌声を 聞きつつ死にゆく  我が魂よ 川を流れよ  天国の暗い紫の川を  幸福な魂よ ゆっくりと沈めよ  神の優しい抱擁の中に  主よ 何と美しいのでしょう  天使の唇から 溢れ出る歌  主よ 何と美しいのでしょう  清らかな歌声を 聞きつつ死にゆく”

このレクイエムを、まもなくその場に入ってきたピュも静かに聞き入っていた。この少年には、大人の難しい世界を理解できなくても、そこに流れる魂の揺らぎを感じ取れる感性が備わっているようだった。

その晩、ヌード写真を見る兄のダーグからそれを見せてもらって、精一杯、大人びた反応を示そうとする。

「この人、いいな。素敵だ。噛んでみたいな」
「バカだな。見せるんじゃなかった。寝ろよ」

この年頃の男の子の、4歳の年の違いは決定的だった。そこには明らかに、思春期によって分れたリアリティの差が映し出されていた。

ピュはその晩、中々寝付けなかった。覚醒したピュの耳に、両親が話し合う声が聞こえてきた。

「あんまりだ」と父。
「来なくて良かったのに・・・」と母。
「会いたいから来たんだ。君と子供たちに」
「何の騒ぎ?」
「一人は嫌だ。これ以上耐えられない。それなのに君の母親がやって来た。人の都合も聞きもしないで」
「ひどいことを。母はあなたに会いに来てくれたのよ」 
「嫌がらせだ。僕らのあばら家を笑いに来たのさ・・・眺めも悪いしな。あの女は冷たい。権力欲の塊だ。悪意を感じるよ。僕を嫌ってる」
「神の僕(しもべ)が言うことかしら」
「僕の破滅を望む人間は許せない」
「あなたのお母様と同じね。どうかしてる」
「僕の存在そのものを嫌う人間は許せん」
「恐ろしいことを」
「恐ろしい?そうだな・・・君は何も言わない」
「何を言ったらいい?」
「思っていることを」
「言うべきだというのね・・・それじゃ、言うわ。この頃ずっと思ってることがあるの。リランが生まれてからずっと」
「待てよ」
「いえ、言わせて」
「なら、僕も・・・」
「勝手になさいな・・・この際だから言うわ。しばらく子供たちを連れて、ウプサラに移りたいの。母のアパートがあるの。家賃は安いわ。日当たりが良くて静かで、改装したてで、設備も整っているの。学校も通りの向かい側にあるし、マイに子守に来てもらうわ。大学病院に戻ろうと思ってるの。婦長も歓迎するって。兄や母も近くにいるし、親友もいる。少し自由になれるわ。それから・・・」
「離婚したいのか?」
「そんなこと」
「別れたいんだろ、僕と」
「あなた、落ち着いて」
「子供と出て行くのか?」
「離婚するとは言ってないわ」
「トーシュテンの入れ知恵か?」
「そんな、違うわよ」
「彼と話したろ」
「当然でしょ」
「夫婦のことを他人に?」
「彼は親友でしょ?力になろうと・・・」
「母親にも話したな?兄貴や婦長にも相談しただろう。僕にだけ話さなかった。僕の意見だけ聞かないわけか。バカにするな。とんでもないよ」
「私の気持ちは分ったでしょ?聞くから答えたのよ・・・辛いわ。あなたを傷つけたくない・・・あなたはここに来ると、いつもイライラしている・・・お説教のことばかり気にして。一緒に外国に旅したこともないし、旅費を私が出すと、あなたは不機嫌になる。牧師の務め、家、子供たち。時にはそれが重荷になるわ」

長い夫婦の深刻な会話の後、夫は思わず落涙した。

その感情を抑え切れない夫は、真夜中に一人で散歩に出ると言って、行動に移していく。妻は夫を引き留めるが、夫はそれを斥けた。

「いいか、覚えておけ。出て行くなどという脅しは、これが最後だ。分ったな。君と母親には、もう充分な辱めを受けた」
「脅しじゃないわ」
「何もかもはっきりしたな」
「そのようね」
「ずっと一人だった。今、本当に一人になった」

その一言を残して、夫は外に出て行った。

この話を夫婦の次男であるピュが全部聞いていて、少年は父の後を追って、父が腰を下したベンチの隣に座った。もう明け方になっていた。少年は一睡もしなかったのである。

「早起きだね」と父。
「森に行こうと思って」と息子。
「どうしてだい?」
「お化けを見に行くの」
「お化け?」
「幽霊だよ」
「どこにいる?」
「自殺の場所」
「時計職人か」
「僕は“日曜日の子供”だ」
「本当に幽霊がいると信じているのか?」
「いるって聞いた」
「なるほど・・・」

父は息子に葬儀のための説教の同行に誘ったが、息子は即答できなかった。息子の中に、父に対する距離感が存在してしまっているのである。

スウェーデンの夏②・ブログより
それでも父の傍らに寄り添う息子の心は、この日ばかりは両親の深刻な言い争いを聞いた後だけに、ほんの少し父の孤独感に触れた分だけ、その小さな体を動かそうと考えたのだろうか。



3  父の死の床を前に(1)



―― 1968年早春。

壮年期を迎えたイングマール(ピュ)は、病床の父を訪ねた。

その父を看護し続けるエディットから、最近の父の事情を聞いた。

「一番厄介なのは、お父さまが家計を気にしていること。大丈夫だといくら言っても、アパートを取られると言うの。あなたや私が、このアパートを欲しがっていると。じき、施設に入れられると思っているの。混乱して手がつけられなくなるわ・・・

お父様のことが心配よ。とても寂しそう。ひどく悩んでいらして、手の施しようがないの。死という問題もあるし・・・お父さまは死ぬのを怖がっている。口ではおっしゃらないけど、分るわ。彼は人に打ち明けないから・・・

一人で悩むしかないの。私には理解できないわ。お父さまは牧師よ。主を信じなければ・・・恐らく・・・信仰を失ったのね・・・お気の毒に。大勢の人を救ってきたのに。私の心の支えでもあったわ。純粋で、強い信仰をお持ちだった。彼の信念に迷いはなかった。お母さまの死後、よく話し合ったわ。人が再び出会う奇跡を。“別の国で妻と再び結ばれる。罪を清められて”私は思ったわ。慈悲に溢れる神が、老人に輪廻を信じることを許したのだと。でも今は・・・

お父さまが哀れで仕方がないの。あんないい方が、これほど苦しむことになるなんて。理不尽だわ。お父さまに安らぎを与えるためなら、何でもするつもりよ」

エディットの話は、途中から涙声になっていた。

それは、エリックを介護し続ける者だけが知る心の呻きのようにも聞こえた。

そこに突然、見るからに老化したエリックが入って来た。

父を見るイングマールの驚きの表情が、そこに映し出された。

父は息子を特定して、20分後に自分の部屋に来いと誘って、部屋に戻って行ったのである。

息子が驚いた理由は、父が今は亡き母の名、カーリンを呼んだからであった。

「よく、お母さまが生きていると錯覚するの。正気に戻ると落ち込むのよ。奥様の死を悲しみ、自分を情けながって・・・」

エディットのフォローで、父を訪ねたイングマールの表情に安堵感が窺えた。



4  父との旅(1)



映像は再び、少年時代のピュに戻る。

彼は森の奥で、首を吊って晒されている時計職人を見て、震え慄いた。

「ごめんなさい。本当は来たくなかったんだ。ごめんなさい。いつ死ぬの?」

恐怖の中のピュの叫びに、吊るされている男は、その身を左右に激しく揺すりながら言い放った。

「永遠に!永遠に!」

ピュはそこで目を覚ました。傍らには、まだベンチに座る父がいる。

父との同行を決心できないでいたピュは、「僕が一緒に行く」と答えて、自宅に戻った。

父の説教の「旅」に同行する前の、少年ピュのもう一つのエピソード。

兄のダーグが、弟のピュに「ミミズを食べたら金をやる」という、いかにも男の子の兄弟らしい度胸試しを促して、我慢しつつもミミズを飲み込んだ弟に、結局金を渡さなかった小さなエピソードだったが、4歳年下の弟が強く意識する内面世界をグロテスクに描いていて、とても印象に残るシーンだった。

それは、少年ピュが、決して気の弱いいじめられっ子に甘んじていないことを示す描写でもあった。


そしてミミズを飲み込んだその後、ピュは父の自転車の前輪の荷台に乗せられて、駅に向った。

列車で向い合わせの座席に座り、その小さな身体を、息子は父に開いて見せた。その心もまた、いつもより大きく開かれていた。

「おばあちゃんが死んだら嬉しい?」と息子。
「どうかしてるぞ。なぜそんなことを」と父。
「僕は母さんが死んだら悲しい」
「父さんの死を望んだことは?頭にきた時とかに」
「そんなこと思ったことない」
「許せよ、ピュ。だがお前は、時々バカなことを聞くね」

強張っていた息子の表情が緩み、それを確認した父の表情も柔和なものになった。父と子の距離が、束の間至近性を映し出した瞬間だった。

しかし、それは継続力を持ち得なかった。

渡河のいかだ舟に乗り込んだピュは、その隅に座って、両足を水の中に投げ入れていたときだった。

突然だった。

父のビンタが飛んできたのである。

「ダメだと言ったろ!舟の下に落ちたらどうするんだ!分らんのか、注意したのに!」

激しい父の形相に、息子は固まってしまった。

日差しが強いスウェーデンの夏③・ブログより
何発殴られたか、覚えていない。乗り合わせた人々の怪訝な表情が視界に入って、息子の固まった表情に濡れるものが映し出された。



5  父の死の床を前に(2)



―― 再び、重い病床にある父と壮年の息子のシーン。

老いた父が、息子に尋ねた。

「わしが何をした?何をしたんだ。母さんの金庫を開けて、新しい日記を見つけた。1913年に結婚したときから、日記をつけてたんだ。亡くなる二日前までな。毎日だ」
「父さんはそのことを?」
「母さんに尋ねたことはあるが、ただのメモだと言ってた。だが・・・貪り読むうちに実感したよ。50年も連れ添った女をまるで知らなかった。失敗だと書いてあった。“一生の不覚”だと。分るか?こう書いてある。“ある日、本の中でこんな言葉を見つけた。一生の不覚という言葉だ。私は息もできなかった。あまりにぴったりの言葉で”」
「母さんは大袈裟なんだ」
「わしが何をした?」
「話し合わなかったのか?」
「話し合ったさ。だが母さんが一方的に話すだけだ。カーリンにはいろいろと人生の計画があった。わしに全ての答えを求めた。わしを怠け者と思っていた。牧師としてはともかく、怠け者だとね。分るだろう?・・・昨夜、母さんと通りを歩く夢を見た。手を繋いでた。昔はよくそうした。道の際に深い穴があった。突然、カーリンがわしの手を離して、そこに飛び込んだ」
「時々、母さんが近くにいるような気がする。懐かしさのあまりだろうけどね」
「当たり前だ。それだけのことだよ。だがすぐに・・・分らん。わしには分らん。わしが何をした?」
「知らないよ」
「母さんとは、全く別の人生を歩んだような気がする。人の一生は誰にも変えられないと思っていた。わしは犬のように従順すぎたのかもな。母さんはわしより知的だった。読書家だったし、外国へも旅した。わしは感情のままに生きた。衝動的にな。今は空っぽだ。生き方を間違えた。不平を言っているのではない。母さんの日記を理解しようとしているうちに、何と言うか・・・」
「僕らは怖かったんだ」
「怖かった?」
「突然、父さんが怒り出すのが怖かった。理由も分らなかったから」
「大袈裟だな」
「父さんの質問に答えている」
「わしは穏やかな性格だぞ」
「違う。すぐカッとした。大人に対しても」
「母さんもわしを恐れていたと?」
「そう思う。僕らとは別の意味で。僕らは言い逃れを覚えた。嘘をつくことを。今更、こんな話はしたくない。いい年をした紳士が二人、滑稽だよ」
「母さんは口うるさかった」
「母さんは皆のまとめ役だった。よく父さんは兄さんを叱った。布団たたきで何度もぶった。皮がむけて血が流れ出た。母さんは見てた」
「わしを責めるのか」
「そうじゃない。このやりとりは滑稽だよ。僕は質問に答えているだけだ。皆、ひどく父さんを怖がっていた」
「そうか。母さんが言ってたよ」
「何て」
「時々、腹を立ててこう言うんだ。わしは厳し過ぎると。日記にも方々に書いてある。“エリックは容赦しない。牧師だというのに、決して人を許さない。エリックは自分を知らない”・・・わしは充分に罰を受けた」
「罰?」 
「この日記を毎日読むことでだ。わしの説教にまで異議を唱えている。お前たちも満足だろう」

その言葉に反応して、部屋を出ようとする息子を、父は呼び止めた。まだ話があると。



6  父との旅(2)



再び、少年ピュが折檻されたシーンに戻る。

父はその理由を説明した。

「溺れたら大変だと思ったんだ。びっくりして怒鳴ったんだよ。分るだろう。やりすぎた。悪気はないんだ。考えが足りなかった。謝るよ。ピュ、行こう」

必死に弁明する父。

その父から眼をそらし続ける息子。

スウェーデンの夏④ソグネフィヨルド・ブログより
それでも舟から降りて、自転車で親子が、夏の自然の只中を走っている。



7  父の死の床を前に(3)



呼び止められた息子イングマールは、「急ぐんだ。また明日」と言って、扉を開けようとした。

「少しでいい」

父のその言葉に、イングマールは再び父の前に座った。息子は父が語る前に、自ら相手を制するように、しかし静かな口調で語っていく。

「感情的な強請(ゆす)りは軽蔑する。自分で悟るべきだ。理解してくれ、許してくれというのなら、相手を間違えている。過去は既に解けない、謎の彼方だ。もういじくり回したくない。友だちではいよう。実際的な問題には手を貸すよ。話し相手にもなる。だが、感情的になるのは止めてくれ」
「そうか」
「いいね・・・それじゃ、また明日」

その一言を残して、息子は父の部屋を離れて行った。

結局、父は一言もそこに加えることなく、その場に沈み込んでしまった。彼の人生の最後に示した身内への甘えの感情が、そこに沈み込んでしまったのである。



8  父との旅(3)



父が今、葬儀の教会で心の籠った説教をしている。

映像は、父の説教の「旅」に同行した少年ピュの場面に戻って来た。

父は説教を終えて、帰路についた。

自転車の前輪の荷台には、息子のピュが乗っている。

途中、父は自転車を止めて、誰もいない森の池で休憩を取り、二人は裸になって泳いだ。

ピュの気持ちの中には、もう折檻された辛い記憶が、束の間薄らいでいったようだった。

まもなく激しい雨が降り出し、その中を睦み合った父子が走っている。

「私も日曜日の子供だ!」と父。

珍しく燥(はしゃ)いでいる。

「僕も日曜日の子供だ!」と息子。

映像で最も激しく、その感情を噴き上げていた。

やがて雨がひどくなり、近くに雷雲が轟(とどろ)いている。

スウェーデンの夏⑤ボーイスカウトのテント村・ブログより
二人は自転車を降りて、一時(いっとき)、小屋でその濡れた体を休ませていた。



9  父の死の床を前に(4)



壮年のイングマールが、死の床にある父に寄り添っている。

父は息子を近づけて、何か言葉になり切れない発音を刻むが、息子はその意味が分らなかった。

代わりに、看護婦のエディットがその言葉を聞き取った。

「何だって?」とイングマール。
「あなたに祝福を。聞こえなかったの?“聖霊の御名によって、心の平安を”」

父エディットは、息子の上着を必死に掴んでいた。

息子は、その力ずくの父の非言語的メッセージを拒むかのように、その手を自ら解(ほど)いていったのである。



10  父との旅(4)



映像のラストシーン。

雨宿りする牧師と、その息子の柔和な時間が描き出されている。

父は寒がる息子に自分の上着を着せて、その思いの強さによって息子を守っているのだ。守られた息子は父に寄り添って、甘えてみせた。

まもなく驟雨が収まって、親子が一体となった一台の自転車が走り抜けていく。

突然、自転車が横転し、そこに父が転げ落ち、微動だにしなかった。それを見た息子の視線は固まってしまった。

その息子の視線を確認した父は、息子に笑みを返していく。息子も笑みで応えたのである。

「駅までは遠いぞ」

そう言って、父は自転車を引いて、息子と共に長い帰路を歩き出していった。

スウェーデンの夏⑥・ブログより
満足そうな息子の表情には、かつて味わったことのない愉悦の思いが滲み出ていた。


*       *       *       *       


11  「視線の二重性」―― そこに拾われた「絶対時間」



「日曜日のピュ」は、「愛の風景」(ビレ・アウグスト監督)という秀作の続編に当る。

共にイングマール・ベルイマンが脚本を書き、後者については、「ペレ」(アウグスト監督の作品)を観て感動したベルイマンがその脚本を届けることで映像化され、前者については、息子のダニエルが演出することになった。

いずれも、映画監督の世界から一時身を引いたベルイマンの強い思いがベースになっていて、彼が自らの自我の形成に関わった近親者への強い拘りが透けて見えるようである。

ベルイマンにとって、両親の微妙に交叉し切れない関係のあり方は、自分の自我形成に多大な影響を与えたという認識のもとに把握されていて、どうしても両親の関係史を記録しておきたかったに違いない。

「愛の風景」で描かれているように、両親の結婚は明らかに、その身分と育ちが異なる男女の関係をいかに修復し、その落差を乗り越えていくかという根本的テーマを内包するものだった。

貧しい神学校の学生である青年が、裕福な家庭の娘と恋愛関係に踏み込んだものの、周囲の反対と戦っていく青年の頑固な性格が、常に修復し難いネックになっていて、結局、自分の信念を決して曲げようとしない夫に、妻の心が離反していく悲劇を生み出していったのである。

「愛の風景」より
「愛の風景」で描かれた風景は、まさに様々な意識の落差を乗り越えられない、あまりに頑固なまでの男の精神世界の風景でもあった。

その男が、本作では、ピュと称されるイングマール・ベルイマンの父として、今度は感性豊かな少年の眼を通して描かれたのである。

イングマールの視線に捕捉される主体は、ここでは一貫して、父エリックの存在である。

その視線は8歳の少年と、映像作家として大成した50歳になった壮年の息子の視線である。

同一人物の内側に生まれた特定対象者への二つの視線には、ここでは微妙な誤差を含みつつ、40年余の年輪を経てもなお繋がることができなかったかのような、白濁した複雑な感情が垣間見えるのである。

これはベルイマンが、長く母の養育の保護下にあったことから指摘し得る、一般的な、「母子一体の視線」の枠組みで解釈できる範疇を超えているかも知れない。

その少年期から既に形成されていた父との心理的距離感は、必ずしも彼が、母の視線を経由してのみ、畏怖の念を抱く父の厳格な人格像の、そこだけが特化されたイメージのうちに感受していたという影響力の総体に収斂されるものではないからである。

彼が母の視線に同化した従属性の枠内で父を見てしまったら、本作に描かれた、あの両親の深刻な確執の後、少年が父の傍らに寄り添っていった描写の意味が矛盾してしまうのだ。

あのとき少年は、父の素のままの人格に触れることで、そこに父の寂しさを感じ取ることができたのである。

8歳の少年ピュの鋭い感性は、母の定番的な涙より、父の突発的な嗚咽の方に振れてしまったに違いない。

絶対的なまでに精神的権威を持つ有能な牧師である父が、そこで、あろうことか嗚咽したのである。

しかも、父は母の家族を罵り、自分への不当な仕打ちを訴えた。

その経緯は理解できなくても、少年にとって父の孤独な叫びは、幼い自我を痛々しく突き刺してきた、異界の驚異にも似た何かであっただろう。

その後、少年は迷った末に、生涯で最も思い出に残ったであろう、父と二人だけの「旅」に出ることを選択したのである。

全てあの夜の、父の孤独の涙がお膳立てした状況だったということだ。

「旅」についての言及は後述する。

ここでは、死に直面した父に対する壮年イングマールの白濁した感情について、少し拘ってみよう。

なぜなら、それが理解できなければ、壮年期を迎えた本作の主人公の、視線の厳しさの根柢にあるものが把握できないし、そのことは、本作の「視線の二重性」の構造的理解に迫れないと思われるからである。

まず、本作を観た者が、共通の理解に達し得ると思われるのは、父と子の不自然なまでの距離感である。

この距離感は、ピュの4歳上の兄のダーグが、父と保持した距離感のそれと隔たっているように見えるのだ。

それを象徴するシーンが、二つある。

その一つは、冒頭に於ける父子の再会の描写である。

あのときピュだけは、列車から降りた父に対して、その無垢なる思いを先陣切って、ダイレクトに表現するのを逡巡していたように見える。少年は、自分を受容する父の表情を読み切った後で、父の懐に飛び込んだのである。

それは、8歳の少年にこのような計算をさせてしまう何かが、既に、この父子の関係の中に存在することを暗示する描写であり、同時に、実父との間に微妙なパーソナルスペース(相手との物理的な距離)を作り出していた少年が表現した、このファーストシーンのナイーブさこそが、本作の中枢的テーマに絡んでいく伏線になっていることを端的に表現しているのである。

もう一つの印象的な描写は、両親の深刻な口論を聞いてしまった少年が、寂しく家を出てベンチに座った父にピタリと寄り添えない、この父子の距離感である。

確かに、あのとき少年は、父のベンチの一角を占領したが、しかしそこはベンチの片隅であって、二人の空間的距離は依然として埋まっていなかったのである。

なぜ、少年ピュは、父をかくまでに敬愛しながらも、観る者には意地らしいほどの距離感を、その父との間に形成してしまったのだろうか。

それを決定的に検証する描写が、本作の後半に用意されていた。

それは、「旅」の中でのことだった。

スウェーデンの夏⑦・ブログより
スウェーデンの夏のひと時、最も楽しいはずの父との旅を選択することに迷った理由が、そこに描かれていたのである。

少年ピュは渡河する際のいかだ舟の隅に座り、靴下を脱ぎ、冷たい水面に足を入れたとき、烈火の如く、父から折檻のビンタが飛んできたのだ。

少年の父を見る表情は殆んど固まっていて、そこには、少年がその自我を預け入れる柔和な空気が完全に遮断されていたのである。

少年の中にやり場のない不満感と寂しさが置き去りにされたとき、楽しいはずの旅への期待の裏側に潜んでいたに違いない不安感が、そこに露呈されてしまったのである。

この描写は、この種の不安感を心の隅に内包させていたからこそ、少年が説教を目的とする父の旅の同行への誘いに逡巡した理由を、端的に物語るエピソードだった。

明らかに少年ピュは、「厳格で怖い父」のイメージから長く解き放たれることがなかったに違いないのである。

父と子の間に生まれた距離感は、実はナイーブな少年が自らの幼い自我のうちに築いた、一種の自己防御のバリアだったのである。

その辺の事情については、幾つかのベルイマンの伝記本の中で正直なほど語られているので、その一部を紹介する。

父エリックは、子供たちの他愛のない悪戯に対して、体罰を持って常に対応したらしい。

父親による子供に対する罰の与えかたの一つに、子供の暗い衣裳部屋の中に閉じ込めてしまうという罰があったということ。

このような幼年期の経験は、相当の恐怖感を覚えるものとして、後々まで、その自我形成に、何某かの影響を及ぼすほどの過剰さを示していたことが容易に推測できる。

父の子供への折檻は、時と場所を選ばす、殆ど確信的に行われていたのである。

それは、父エリックのある種の性格的な厳格さ、偏狭さとも大いに関係するだろう。

このような経験が、イングマールをして豊穣な想像力を育て上げ、それが、後世の自分の職業選択に繋がったものと考えられるのだ。

本作でも、念入りに描かれた「時計職人の自殺」のエピソードに絡んで、それに怯える少年ピュの内面的描写が、瑞々しいまでに印象的に描き出されていたが、それもまた、彼がその自己史の中で培養した感受性であったに違いない。

更に言及すれば、イングマールの自我の形成過程において、父の存在は、しばしば決定的なほどの敵対者になっていたということである。

彼の活発な女性遍歴は有名だが、恐らく、それも謹厳な父へのリバウンドのように思われる。

牧師という職業を決して選ばず、イングマールが、それとは無縁な演劇や映像の世界に、その身を投じた心理的な風景もまた、父との私的な関係史の中で俯瞰すると了解されるかも知れない。

そんな父子が、遂に激しいバトルを演じて見せたのである。

その刺激的なエピソードを、伝記本より引用してみる。

「ベルイマンは女友達と半同棲のような生活を始め、何日も家に帰らなかった。それ以前から厳格な父エーリックに対する彼の憎しみは増大し、爆発寸前にまで達していたが、ある日父エーリックに女友達との関係を咎められるや、父と子の間の緊張感は絶頂にまで達した。ベルイマンは父を殴り倒し、家を飛び出て、スヴェン・ハンソンの所に駆けこんだ。それから何年もの間、ベルイマンは父エーリックと会うことはなかった」「ベルイマン」小松弘著 清水書院刊より)

イングマール・ベルイマン
以上が、イングマール・ベルイマンという稀有な才能の、その人生の軌跡の一端だが、この事実を知る限り、壮年のイングマールが、重い病床にある父に投げ入れた視線の厳しさが理解できるだろう。

そこには、父と子の長くて険しい関係の歪みが存在したのである。この視線は、彼が父に向った「視線の二重性」をなぞるものだった。

「視線の二重性」とは、こういうことだ。

有能な牧師人生を貫徹する父を敬愛する視線と、常にそこに張りつく甘えの受容を求める視線。これが一つ。

もう一つは、その視線が削られていくリバウンドの過程の中で形成された抵抗と、その突き放しの視線である。

少年ピュは前者の視線を代表し、壮年期のイングマールは、後者の視線を顕在化させたものであるということだ。

映像では、この二つの視線が時には柔和に、そしてしばしば冷酷に表現されていた。

いずれも同一人物の視線だが、しかし、40年余の時間の経過の内に形成された尖りの視線は、もはや柔和なものに変貌を遂げられず、最後まで後者の視線の絶対的距離感を埋めるに足る内的発動に繋がることがなかったのである。

しかしそんなイングマールにも、消そうとしても消えることがない、あの一時(いっとき)の愉悦の時間が存在したのである。

イングマールにとって、それだけが、父と自分を繋ぐ記憶の心地良い情報だった。

それは、それが存在する故にこそ、このような脚本を書き、映像化せざるを得ない決定的モチーフとなった、言わば彼にとって、父についての遺言ともなるべき「絶対時間」であったとも言えないだろうか。

父と共有した、あの夏の一時の時間。

それは日帰りの、葬儀の説教に同行しただけの他愛のない時間に過ぎないが、そこで展開された濃密な時間は、良くも悪くも8歳の少年ピュにとって、かけがえのない固有なる、言わば、「絶対時間」と言っていい決定的な記憶であったに違いない。

そこで少年は、厳格な父に何度も頬を叩かれることで、衆人の前で屈辱的な体験をした。

それは少年にとって、負の日常性の延長であった。常に父は厳しく、決して妥協をせず、自分のエゴを貫いてきた。

だから少年は父との心理的距離感を埋められず、そこに自然な流れで形成された団欒の睦みとは無縁な空気を嗅ぎ取っていて、母の涙に寄り添う思いを育ててきてしまったとも言える。

父は団欒を作れなかったのではなく、団欒を作らなかったのだ。

子供心に形成された父への視線は、客観的で知的なものではない。

それは全面的に感覚的なもので、その感情の中枢を支配したのは恐怖感であったと思われる。

その恐怖感を、あろうことか、愉悦を密かに期待する「旅」の只中で、少年は味わされた訳だ。

その感情に屈辱感が張り付いたとき、明らかに少年の感情世界は炸裂寸前だったのである。

次男の、いつにない重い沈黙を捕捉した父は、さすがに自分の行為の過剰に気づき、且つ、謝罪することも辞さなかったのである。

だが、ナイーブな少年の心は、簡単に溶解できないのだ。

それでも父の謝罪によって、「自分がなぜ、叩かれねばならなかったのか」という不可解な疑問の尖りは、そこにほんの少し自己正当性を手に入れることで解消されたに違いない。

少年はまもなく父の説教を耳にするが、それにも拘らず、少年の心は、未だどこか浮遊していたのである。

その浮遊感を払拭したのは、「旅」の帰路の時間であった。

そこで少年は父と森で遊び、弾丸の雨に打たれ、その中を、二人の呼吸をピタリと合わせる自転車が駆け抜けた。

そして雷雨が通り過ぎるまで、父と子は体を寄せ合って、稲妻の光の筋を見届けていた。人知を超える自然の驚異を目の当りにして、父と子の緊張感が解(ほぐ)れゆく瞬間がそこに待機していたのである。

息子は初めて甘えの心情を投げ入れて、父はそれを受容したかのようだった。その至福な時間こそ、「絶対時間」と呼ぶべき何かであったのだろう。

それは殆ど他愛のないエピソードだが、8歳の少年ピュが、そのシャープな感性の内側に、鮮烈に記憶するに足る価値のある時間であったのだ。

そしてこの「絶対時間」に達するとき、この優しくもストイックで、且つ、苛酷でもあった一篇の映像は閉じていった。

スウェーデンの夏⑧・ブログより
そこに静かな旋律が追い駆けていっても、駅へと続く長い帰路の歩行の「旅」が、いつまでも点景となって、観る者に伝えられるのである。


しかし、映像が「絶対時間」に侵入するまでの間に、何度か、重い病床に就く、老いを際めた父エリックと、壮年期のイングマールのシビアな会話が挿入されている。

時は1968年。

イングマール・ベルイマンが最も刺激的な映像作品を世に送り続け、まさにその充実期にあった頃の男の内面世界の一端が、父との絡みの中で映し出されていくのである。

そのとき、イングマールの父は、確信的であったはずの自分の人生を悔い、赦しを求めてさえいるのだ。

自分の財産を気にして、それを保守しようとする世俗の顔を、芸術家として功なり名とげた息子の前で晒すとき、息子はそれを拾えない。

拾いたくもないし、拾ってはいけないとさえ思っているかのようだった。

厳格な牧師人生を確信的に閉じられない一人の男がそこにいて、その男が息子に存分なほどの弱さを晒して止まないのである。

遂に、息子は父の孤独の極まった心境に寄り添うことをしなかった。臨終の床でも、息子は自分に縋りつく父の手を引き剥がしてしまったのである。

その映像の後に、「絶対時間」の描写が繋がっていくとき、観る者はそこに、父の孤独に寄り添わなかった息子が、父の年齢に達した頃に至って、その悔悟の念を記録しておきたいと考えて、本作の脚本をまとめあげたのではないか、と考えるかも知れない。

その真偽の程は全く不分明である。

イングマールは、父との対立の中で自分の表現世界を構築し、その世界の内実は、父への慈悲の感情によっては括れない痼(しこ)りの硬さを、なお残すものであっただろう。

それでも、自分と父の関係史の内側に、決して忘れることができない至福の一瞬があって、それだけは父と子が共有した時間であり、それを表現せざるを得ない心境に、晩年のイングマール・ベルイマンが辿り着いたのではないかとも思われる。

だから彼は、それだけは「絶対時間」として拾い上げたかったのではないか。

それは、本作に映し出された「二重の視線」の矛盾を、少しでも解きほぐしてくれる柔和なる記憶であったに違いない。

それが私の、本作に対する基本的な把握である。

(2006年8月)

0 件のコメント: