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  • アジサイはアートである 「我が町・清瀬」2017初夏 - アジサイを接写していると、色相のグラデーションの鮮やかに驚かされること頻りである。 だから、毎年、初夏になったら「我が町・清瀬」で写真を撮る。 この一期一会の思いでアジサイを観賞していると、アジサイが一つのアートであることを実感する。 アジサイはアートなのだ。 時々刻々に変色していくアジサイは...
    2 週間前

2010年6月23日水曜日

サラバンド('03)      イングマール・ベルイマン


<圧倒的な女の包括力と強靭さ ―― ベルイマンの女性賛歌の最終的メッセージ>



序  肉塊の襞をも裂く人間の孤独の極相を抉り出して



ハイビジョンデジタルビデオカメラ(HDカメラ)の技術を駆使して抉り出された世界は、体性感覚の微細な揺らぎの見えない刺激まで捕捉して、自我の支配域をファジーにした、人間の愛憎の闇の深い辺りで迷妄する肉塊の襞をも存分に裂いてしまうのだ。

85歳のベルイマンが、20年ぶりに撮り上げた本作の凄みは、テーマに関わらない一切の装飾を剥ぎ取って、ひたすら人間の孤独の極相を、これ以上入り込めない心の奥にまで潜り込んで、ベルイマン特有の冷徹な眼差しの内に描き出したところにある。

圧倒されて、震え慄く程だった。

もうベルイマンの新しい映像と出会えないと思うと、観初めて10分も経たないうちに、そこで捨てられた遣る瀬ない気分の揺曳の中で、乾燥し切った被膜の頬を、液状の細いラインがうっすらと濡らしていた。

「サラバンド」―― 全10章から成る、この最後にして、或いは、最高の作品になるやも知れない映像には、追い詰められた男たちの孤独を小さく包み込む、優しい眼差しも投げ入れられていた。

そこだけはベルイマンらしくない、「大いなる調和」への、それ以外にない渇望の疼きだったのか。



1  マリアンの訪問



プロローグ。「写真を見せるマリアン」


広いテーブルの上に山積みになった写真を見せながら、カメラ目線で語りかける一人の女。

マリアンである。


「ヨハンは老年に入り、富豪になった。莫大な遺産を受け取ったから。経済的に余裕のできたヨハンは大学の仕事を辞め、祖父母の持ち物だった森の中の別荘を買い取った。ヨハンとは、ずっと疎遠だった。私たちの二人の娘は、遠くで暮らしている。マッタは療養所。独りで病気の世界に沈み込んでいるわ。私が行っても、母親だと分らない。サーラは結婚している。夫は優秀な弁護士で、オーストラリアへ移住した。子供はいない・・・私は今も現役の弁護士よ。でも自分のペースを守って、家族の揉め事や離婚を扱っている。ずっと考えていたの。ヨハンを訪ねようと・・・」


第一章。「マリアン計画を実行に移す」


「私は断ったんだ。今も同じだ。君とは会いたくない。なのに押しかけて来た。理由を聞こう」
「それは、言えないわ」

ヨハンとマリアンの30年ぶりの会話が、こうして開かれていく。

マリアンは、近くの小屋に住むヘンリックとカーリンのことを聞いていく。

「ヘンリックは妻の死に耐えられず、早期退職したんだ」
「父親似ね」
「とんでもない。私がくだらん伝統主義と揉めたことは確かだが、ミシガン大の名誉博士号を授与されて収まった」
「それで、ヘンリックは?」
「ウプサラ室内管弦楽団で、責任者をやっている。だが、じきに止めるだろう」
「カーリンは?」
「あの子ももチェロ好きで、この秋、音楽大学を受験する。父親が教えているよ。来る日も来る日も、小屋で二人で練習している」
「あなたは?」
「孤独な隠居生活が、時に地獄に思える・・・過去を充分に振り返り、整理もつけた」
「楽しくなさそう」
「そりゃ、つまらんよ」
「どんな人生だったという結論なの?」
「クズみたいな人生だった。全く無意味で、くだらない一生だ」

ヨハンとマリアン
息子を嫌い、自らの隠遁生活をネガティブに語る、ヨハンの毒気含みの言葉が、元妻の前で捨てられていった。


第2章。「およそ、1週間後」


ヨハンの留守に、孫娘のカーリンが訪ねて来た。

マリアンがカーリンを迎えたのである。

カーリンは、父親ヘンリックからチェロの個人指導を受けているが、そこでストックされたストレスをマリアンに吐き出していく。

「私はパパに言った。“これはレッスンじゃない。拷問だ”パパは怒っているくせに笑って、“最初からやろう”って。ミスをしたら、わざと失敗したと責められた。だから私は言ったの。“仕方ないでしょ。パパは教師の才能がない”。その時のパパは、世界一寛容で、敏感な先生で、こう返したわ。“教える側に責任はない。意欲と練習の問題だ。お前は怠けるからだ”私は立ち上り、震える手でチェロを置いたわ・・・パパは青ざめた。そんなの初めて。そして言ったの。“家から出さん”。私は構わず靴を履き、扉へ向かったわ。するといきなり、肩を掴まれた。“出て行くのは許さん。絶対に出さないぞ!”」

森の中を彷徨するカーリンを、映像は映し出した。

「でも、分ったの。パパがいなければ、私は何もできないということを。もう一つ、分った。ママは死んでしまった。もう何も聞けないの。自分が哀れで、また泣き叫んだわ」

カーリンの話を真摯に聞いていたマリアンは、父親ヘンリックの自殺の不安を指摘した。

「なぜ私は、ママのように愛されないの?ママは死の床で、私に“愛してるわ”と言ったの」

カーリンの訴えに、マリアンは結婚に失敗した自分の経験について語った。

「何度も浮気されたけど、世間知らずで疑うことをせず、純粋な愛情を持っていた。ヨハンっていう人は可哀想なのよ」

マリアンは、カーリンの祖父に当たるヨハンとの関係を涙交じりに話し、カーリンのストレスを吸収し、相対化しようとするのだ。

こうして、年齢の離れた二人の女の距離は一気に縮まっていった。



2  父と娘、そして父と息子



第3章。「アンナについて」


ヘンリックの山小屋。

一つのベッドで、添い寝する父娘がいる。

父ヘンリックと、娘のカーリン
娘の家出に衝撃を受けた父は、亡妻のアンナと起こした由々しきトラブルについて、傍らの娘に語っていく。

「“不満を吐き続けるなら、もう別れるわ。”そして廊下へ行くと、荷造りを始めたんだ。私は不安に襲われて、ますますいきり立った。止めようとしたが、アンナはきかない。だが、彼女の気持ちが体越しに伝わってきた。“私は出て行く。もうお別れだ”とね。私は自分でも驚く声で言った。“許さない!私を捨てて出て行くなんて。絶対に許さない”と。言った後で気付いた。“もう、終わりだ”だが、台所で気配がした。彼女がコーヒーを入れていた。その晩はずっと無言で、ただ縫物をしていた。子供が母親に言うように、“もう、二度としません”と、私は謝った。お前にも同じことを言いたい。あの晩、私はアンナの寝顔を見て、“私にとって、どれほど彼女が大きな存在か、本人は知っているだろうか”と・・・お前が出て行けば、私は困窮する。他に言いようがない。やがて、お前は自由となり、音楽大学へ行く出ろう。お前と過ごして来た時間は、神の恵みそのものだった・・・そのうち私には、恐ろしい罰が下る気がする・・・」


第4章。「一週間後、ヘンリックが父親を訪ねる」


父親ヨハンを訪ねた、ヘンリックの第一声は借金の申し込みだった。

「遺産を前借りしたい」
「返す気配もないくせに」
「息子を見下す気ならもう一つあるよ。僕は小屋の家賃を払ってない」
「一銭も払ってない。車を買ったな」
「借りたんだ。持ち主は海外に行っている・・・僕が来てから、ずっと厭味ばかりだ。金が必要なければ、とっくに帰っているさ」
「では、帰れ」
「僕のためじゃない。カーリンのためだ」

ヘンリックは帰りかけて、振り向いて言った。

「そうか。父娘喧嘩をしたそうだな。金で引き止めるのか?女々しさの中に、まともな憎悪が垣間見える」

ヘンリックは必死に、カーリンの才能のアピールをする。

拒絶の姿勢を崩さないヨハン。

「父さん、なぜそんなに僕に冷たい?」
「勝手な言い分だ。お前が18歳の頃、私は歩み寄ろうとした。反抗のひどいお前と話すよう、母さんが望んだからだ。私は言った。“悪い父親だったが、改善したいと思っていた”すると、お前は叫んだ。“父親なんかじゃない!あんたがいなくても、生きていける。”とも言った。偽りのない気持ちだ。尊重すべきだろう。私は憎まれても平気だ。お前はいないのも同然だ。母親似のカーリンが生まれていなければ、お前は私にとって存在しない。敵意すらない」

ヨハンとヘンリック
遥か昔の出来事への拘泥を言語化する父と、その父の話を茫然と聞く息子。

涙が滲んでいた。


第5章。「バッハ」


淡い光が差し込む澄んだ朝の教会で、ヘンリックはオルガンを弾いている。

そこに入って来るマリアン。

マリアンに話しかけるヘンリック。

「アンナが亡くなって2年。でも、まだ辛い。本当です。今は惰性で生きている。何かが欠けている。無能になった。今はカーリンだけが生きがい。あの子がいなければ、生きる意味がない。近頃、死を考えるのです・・・人は生涯、死について思い、死後のことを考え続ける・・・」

別れかけに、ヘンリックは弁護士のマリアンに信じ難きことを相談した。

「父を訴えられませんか?財産を抱え込んだまま、全然死なない」
「彼が正気なら無理ね」
「法的に言えば、正気だ」
「お父さんが、そんなに憎い?」
「言葉に尽くせないほど、憎いですよ。恐ろしい病気で死ぬのを、喜んで見送りたいものだ。毎日病院に行き、苦しむ様子を臨終までメモしたい・・・話を聞いてくれてありがとう。自分でも異常だと思うことがある。あまりに辛いから」

マリアンは言葉を失って、教会の中で静かに祈りをあげた。



3  絶望的な絡み合いの中での、自立への決意表明



第6章。「提案」


カーリンはヨハンに呼び出されて、書斎に入った。

カーリンの母、アンナの写真
書斎には、カーリンの母、アンナの写真が飾ってあった。

そこで、ヨハンがカーリンに語ったこと。

それは、ヨハンがレニングラードにいた頃の友人音楽家からの手紙の内容だった。

その音楽家が、あるコンサートで聴いた若いチェロ奏者の才能に驚嘆し、その父親に連絡したが、殆ど門前払いの無礼な態度に憤慨したと言うのだ。

若いチェロ奏者とはカーリンで、その父親とはヘンリックのこと。

その音楽家は、カーリンの祖父がヨハンである事実を知り、カーリンに入学試験を促し、教育を受けさせたい旨を求めたのである。

「どうするかね?必要な費用は全て私が負担しよう」とヨハン。
「何と言えばいいか。あまりにも良い話で・・・」とカーリン。
「確かに、お前の人生は一転するからな」
「感謝します」
「但し、打撃を受ける者がいる」
「打撃?」
「お前の父親のことだ・・・アンナの存在は、この世の救いだった。彼女の死で闇が深まり、光が弱まった」
「パパは、生きるのも辛そうよ」
「いずれにせよ、お前は母親似だ」

ヨハンとカーリン
ヘンリックを介さず、カーリンへの援助を申し出るヨハンの心から透けて見えるのは、ヘンリックへの憎悪とアンナへの深い愛であった。


第7章。「アンナからの手紙」


ヘンリックに宛てた、母アンナの手紙を、カーリンは偶然発見した。

アンナが亡くなる一週間前の手紙である。

それをカーリンはマリアンに見せた。

以下、アンナの手紙である。

「“あなたが来られず、良かった気がします。二人とも鋭すぎるもの。顔を見れば、お互いに取り繕ってしまう。それでも、あなたの表情で自分の病状に気付くわ。愛するヘンリック。今まで触れなかったことを書きます。カーリンのことを話したかった。でも、ずっと私がいたから必要なかった。今、私は病に倒れ、そこにはいない。勿論一緒にいるけれど、私は仲間外れだわ。あなたと私は愛し合い、私はその愛に守られていた。でも、愛は儚い。私の病のような悲劇の前には、破壊されてしまうの。あなたはカーリンを愛し、一方で縛っている。教えるのは構わない。でも、限度があるわ。私が死ねば、限界が曖昧になる。カーリンも父親を愛してる。でも、あの子の愛を利用しないで。傷つけるわ。一生の傷になりかねない。どうか、あの子を解放してあげて・・・あなたは繊細で思いやりがあって、愛情が深い。長年、共に暮らした私はよく知っている。でも私が死んで、行き場を失った愛情をカーリンに注げばきっと危険なことになる・・・”」

ここで、「もう読めない」とカーリンは嗚咽した。

「何で私の所に来たの?」とマリアン。
「事情を知っているでしょ。自分の考えを整理するのに、言葉にしたいだけ」とカーリン。
「付き合うわ」
「ママは見抜いていた」
「ええ、そう思う」
「ママの心配は、すべて現実になった。留学の話は断るわ」
「理由は何なの?」
「私が去れば、パパは死ぬわ。一人残されたら生きていけない・・・見捨てられないわ。うんざりすることもある。でも、私の将来のためにしてくれるの・・・今、私とパパの人生は絶望的に絡み合っているの」

「絶望的に絡み合ている」というカーリンの言葉は、あまりに重すぎる。


第8章。「サラバンド」


ヘンリックの小屋で、父娘がチェロの練習をしようとしているが、カーリンは自らの意志を父に語っていく。

「手紙のことを話してくれたら違ったと思う。でも、パパは黙っていた。それが間違いよ。だからこうなった」
「どうなった?」
「来週、エマとハンブルクへ行くわ。楽団員になるための学校に入るの・・・エマがビデオを撮って、遊び半分で事務局に送ったの。そうしたら合格通知が届いた。自分で決めたことよ」
「音大には?」

涙を滲ませながらを、首を振るカーリン。


驚きの表情を隠せないヘンリック。

「何と言うことだ・・・」

娘は父の頸に両腕を絡めて、なお思いを伝えるのだ。

「私はソリストになる自信がないの。楽団で演奏したい・・・自分で将来のことを決めて、つましく暮らすわ。私はごく普通に行きたい。ママの哀れな代役として、過剰に褒められながら過ごすのは嫌。いつか止めたい。それが今よ」
「せめて、良い別れにしてくれ」
「つまり?」
「組曲第5番のサラバンドを弾いて欲しい」
「今、ここで?」
「頼むよ」

父の頼みの応じて、「組曲第5番のサラバンド」を弾くカーリンを、ヘンリックは茫然と見つめ続けていた。



4  精神を吐き出させる下痢のような凶暴な不安



第9章。「決定的な瞬間」


病院からヨハンの邸に電話が入った。

電話を受けたのは、マリアン。その内容をヨハンに伝えた。

「ヘンリックが自殺を図ったそうよ。睡眠薬を飲んで、腕と喉を切ったらしい。今は集中治療室に入っている」

「何てことだ」
「一足遅れたら、危なかったらしい。小屋の脇を通った人が、倒れている彼を見つけたの。たまたまね・・・」
「全く・・・」
「ドアの鍵は開いていたけれど、意識はなかったと言ってた」
「信じられん・・・」
「カーリンに連絡したいけど、ハンブルクへの道中だわ」
「全く失敗ばかりだな。死ぬことすらできん」

その顔を訝しげに見続けるだけのマリアンに、ヨハンは洩らした。

「何か言ったらどうだ」
「今の言葉に?」
「一度くらい、思ったままを言ってみろ」
「やめてよ」
「言えんだろう」
「あなたって・・・時々、古い映画の注目されない脇役みたい。現実感がないの」
「やはり、言えないか?」
「今は・・・やめるわ」
「言い出したんだ。続けろよ」
「いつからそうなの?あれもこれも侮辱して」
「侮辱するのは、自分のことのつもりだがね」
「気の毒なヘンリック」
「そうだったか・・・ヘンリックは父親似なことに気付いていたのだろう。だから小太りで、愚鈍な息子を好きになれなかった。粘っこい愛で寄って来るヘンリックを拒絶したんだ。犬のような忠実なあの子を足蹴にしたくなった。精神的にだぞ。これから、どうなる?」
「カーリンが心配だわ。きっと自分を責める」
「ヘンリックのせいだ。衝動的に自殺など図りおって。カーリンを罪悪感から守らねば・・・皮肉だ。何も言えん。私はアンナを愛していた。彼女の死がまさに悪夢だった。どうしてヘンリックが彼女に愛されたのか、理解できんよ・・・」


重苦しい会話の中に、苦渋を深める心が炙り出されていった。


第10章。「夜明け前」


薄明である。

自宅の壁にもたれて、ヨハンは嗚咽の感情に耐えていたが、それを洩らした後、堪らずにマリアンの部屋に行った。

「どうかした?」
「分らない・・・恐らく不安のせいだ。眠れない。うなされた・・・」
「悲しいのね・・・」
「そうじゃない。もっとタチが悪い。私自身より大きな凶暴な不安だ。体中の穴を通って、私から出ようとする。まるで、精神を吐き出させる下痢のようだ。不安に比べ、私は小さ過ぎる」
「死が怖いの?」
「とにかく大声で叫びたい。君は泣きやまない赤ん坊をどうやって宥める?」
「来て。一緒に寝ましょう」

そう言って、マリアンはヨハンを優しく包み込んだ。

全裸になってくれ、というヨハンの要求を素直に受け入れて、マリアンも着衣を脱いで裸になり、かつての夫をベッドに導いた。

「なぜ突然来たか、教えてくれないか?」
「呼ばれたと思ったの」
「私は呼んだりせん」
「そんな気がしただけ」
「奇妙な話だな」
「ほらね、思った通りだわ」
「いつまでいる?」

10月27日の裁判に出るまで、とマリアンは答えた。

それだけの会話だった。 



5  アンナの愛、娘と心が通った奇妙な感覚



エピローグ 


マリアンの自宅。

プロローグのときのように、厖大な写真に支配されているテーブルの前に座って、マリアンはカメラに向かって語りかける。

「10月初めまで、ヨハンの家に滞在した。とても心安らかな毎日を過ごしたわ。微妙な話題には殆ど触れずじまい。最後の晩は乾杯をした。ささやかだけど、楽しかったわ。連絡を取り合おうと約束もした。ヨハンの体調が悪く、手紙の交換を約束したが、その後、私も書いたけれど、返事は来なかった。静寂が戻ったの・・・時々思うの。アンナのことを。彼女はどんな風に生きたのだろうと考える。彼女の眼差し。微かな、気付かないほどの微笑。アンナの気持ち、愛。もしかしたら、何かがその後の私の人生に影響したのかも知れない。ヨハンの家から帰った後、娘のマッタを見舞いに行った」

マリアンはマッタから眼鏡を外し、愛する者の深い思いの中でその顔に触れたとき、マッタの視線が復元したのである。

「そのときだった。奇妙な感覚を味わった。初めて娘と、同じ時が過ごせた気がしたの。そして感じた。娘と心が通ったと・・・実の娘と・・・」


嗚咽の中で、映像は閉じていった。



6  羽ばたく娘に絡みつく絶望的な関係の呪縛 ―― まとめとして① 



遺産で買い取った森の中に隠遁生活するヨハンと、そのヨハンの子ヘンリックが、娘カーリンと住む村の小屋には、共通の写真が飾ってある。

2年前に病死したアンナの写真である。

人間の愛憎を殆ど極限まで描き切ったような本作を、その根柢において支え、支配しているのは、このアンナである。

物語は、かつての妻であったマリアンがヨハンを訪ねるところから開かれるが、それは単に物語のプロローグでしかない。

実は、この映画で描かれた過剰な愛像の物語は、既に2年前に開かれていた。

誰からも愛されていたアンナの死によって開かれた物語が、マリアンのヨハンの森の中の別荘の訪問によって動いていく。

ヨハンから聞く、ヘンリック父娘の異常な関係の現実、カーリン自身から聞く、父ヘンリックの偏愛の様態。

そして、ヘンリックとの教会での、常軌を逸した会話。

物語の詳細は前述した通りだが、明らかにカーリンに対するヘンリックの偏愛は、最愛の妻アンナの死によって空洞化した、彼の自我を埋める代償行為であると言っていい。

ヘンリックにとって、アンナの存在は「亡くなって2年。でも、まだ辛い。本当です。今は惰性で生きている。何かが欠けている。無能になった」と、マリアンに向かって言わさしめる程の絶対的存在だった。

「今はカーリンだけが生きがい。あの子がいなければ、生きる意味がない」

これも、ヘンリックの言葉。

アンナの存在は、ヘンリックにとって、己が自我の安寧の絶対基盤だった。

自我の安寧の基盤を喪失した男には、それを補償するに足る対象人格が必要だった。

それなしには、彼はもうこの世と繋がれないのだ。

Uppsala Kammarorkester(イメージ画像
「ウプサラ室内管弦楽団の責任者」という高い立場にありながら、世俗との普通の交流を継続できない性格が、この男の偏頗(へんぱ)な自我を支配しているのである。

「近頃、死を考えるのです」

これも、ヘンリックの言葉。

大人の父娘が一つのベッドで添い寝しながら、「お前が出て行けば、私は困窮する。他に言いようがない」と本音を吐き出すことで、ヘンリックは漸次、そして確実に娘の自我を把握し、心理的且つ、物理的に支配していくのだ。

「やがて、お前は自由となり、音楽大学へ行く出ろう。お前と過ごしてきた時間は、神の恵みそのものだった」

そう言いながらも、ヘンリックににとって、才能溢れた娘が、その才能を大きく開花する世界に羽ばたいていくことは、「あの子がいなければ、生きる意味がない」と感受させる孤独に捕捉される恐怖そのものだった。

彼はベッドを共にする娘に嘆くことで、「自死」という究極のカードを、四六時中ちらつかせて見せるのだ。

しかも、そのカードがブラフでない現実を、娘は感受していた。

だからこそ、カーリンは、「私が去れば、パパは死ぬわ。一人残されたら生きていけない・・・見捨てられないわ」という感情の呪縛から放たれないのである。

「今、私とパパの人生は絶望的に絡み合っているの」

凄い言葉である。

これも、マリアンに吐露したカーリンの言葉。

この関係は、見方によっては、「共依存」の関係であると言っていい。

未だ学術的に認知されていない「共依存」とは、その関係性において、特定的な相互の人格が依存し合う嗜癖症である。

特定的な対象人格からの特定的な評価を常に配慮し、そのために、献身的な行為の必要性を再確認する類の強迫的メンタリティを、自我に内包しているケースが往々に見られるとも言われるものだ。

少なくとも、「共依存」の関係に陥る危機が、この父娘の間に存在しなかったとは思えないのである。

そして、そのことを何より恐れたのは、亡きアンナがだった。

本稿で紹介した、ヘンリック宛てのアンナの手紙の一部を、もう一度確認しておこう。

「あなたはカーリンを愛し、一方で縛っている。教えるのは構わない。でも、限度があるわ。私が死ねば、限界が曖昧になる。カーリンも父親を愛してる。でも、あの子の愛を利用しないで。傷つけるわ。一生の傷になりかねない。どうか、あの子を解放してあげて・・・あなたは繊細で思いやりがあって、愛情が深い。長年、共に暮らした私はよく知っている。でも私が死んで、行き場を失った愛情をカーリンに注げばきっと危険なことになる・・・”」

これは、アンナが病死する一週間前の手紙である。

しかし幸いにも、カーリンの自我は母親のDNAを受け継いでいた。

カーリン
彼女は「絶望的に絡み合っている」関係の呪縛を、自ら断ち切り、羽ばたいていったのだ。



7  「共依存」の関係に捕縛されない、「不安に耐える強さ」の突破力を身体化して ―― まとめとして②



思うに、ヘンリックにとってアンナの存在は、普通の男女の性愛の対象を遥かに超えた、拠って立つ愛情が集合する、殆どマキシマムな何かだった。

だから、過剰になってしまったのだ。

因みに、愛情の究極の本質を、私は「援助感情」と考えている。

対象人格の不安が自己に同化され、自らの煩悶になり得るような感情である。

相手の不安を払拭しなければ、己が自我の安寧が保証されないと感受されるような感情、それを私は「援助感情」と呼ぶ。

アンナとヘンリックの関係を考えて見よう。

ヘンリックの過剰な愛情を受容したアンナは、彼女なりに誠実に応えていった。

彼女もまた、夫を愛していたからだ。

しかし過剰な愛情は、しばしば相手の人格の自在性を奪ってしまうのである。

過剰な愛情が対象人格の許容範囲を超えて、知らず知らずの内に暴力性を帯びてきてしまうことがあるのだ。

アンナは、夫の過剰な愛情を常にコントロールし、上手に吸収していく包括力と優しさを併せ持っていたであろう。

だが時として、暴力性を帯びるほど、過剰な愛情が返報されない不満を吐き続ける夫の行為に対して、アンナはイエローカードを突き付けた。

それなしに、相手の感情のクールダウンが困難であると考えたからであろう。

“不満を吐き続けるなら、もう別れるわ”

これは、添い寝する娘に、ヘンリックが語ったアンナの言葉。

寡黙な彼女の性格に相応しい、このときのアンナのクレバーな対応は、ナイーブな夫に相当の安定感を保証した。

その夜、彼女は縫物をすることで、夫に出したイエローカードを反故にしたのである。

恐らく、こんな風にして、アンナは厄介な夫を巧妙に、且つ、愛情豊かにコントロールしてきたに違いない。

自分がコントロールされることへの甘えの情感もまた、ナイーブなヘンリックには認知できていたはずだ。

だから、この二人の関係には特段のトラブルもなく、長く恒常的に保持されてきたのであろう。

しかし、思いも寄らないアンナの発病は、夫の拠って立つ自我の安寧の基盤を根柢から揺さぶり、慄然とさせた。

足が地に着かない夫の振舞いを目の当たりにしたアンナは、死の床で書いた手紙を書いた。

それが、娘の将来を案じる、例のヘンリック宛ての手紙である。

アンナは、何もかも認知していたのだ。

自分の死によって空洞化された夫の自我を埋めるのは、自分と同じDNAを持つ娘以外には存在しないことを。

そして現実に、亡妻の予言どおりに事態は進行し、自己完結的な閉鎖系の空間に籠る父娘の関係は、闇の奥深くに踏みこんでいく。

もうそこには、差し伸べるべきアンナの包括的な優しさが届かないのである。

ヘンリックが妻に求めたものと同じように、二人の関係が抱え込んだものの中には、性愛的な要素に限りなく近づく感情の騒擾が垣間見えなくもないが、そこだけは気丈に振舞うカーリンの、自覚的な防衛機構のバリアを崩すまでには至らなかったであろう。

と言うより、父が娘に求める基本形は、アンナの代償をなぞるものであったが故に、相対的に抵抗力の脆弱な娘の自我を一方的に支配し、しばしば暴力的に管理するという流れ方を常態化せざるを得なかったと言える。

チェロ奏者としての自立のリアリティが増幅していくカーリンの人格が、有無を言わせず抱え込んだ、まさにそんな状況の只中に、その負の連鎖を一定程度相対化させ得る制御棒が投入された。

マリアンである。

マリアンとカーリン
マリアンの人格的存在が、カーリンの人格に寄り添うように介在することで、微妙な時期に踏みこんでいた彼女のストレスを、ある程度相対化されるに至るが、それ以上にカーリンは、自らの人生を自力で切り開いていくという決定的な選択を為し得たのである。

彼女は、祖父の紹介による一流コースに乗ることを拒み、友人が送った録音テープが採用されたことで、地に足を付けて、普通の楽団員としての一歩を踏みしめたのである。

この時点で、カーリンの中で「父の自死」がイメージされないはずがない。

恐らく、彼女はそこで命懸けの選択をしたのだ。

明らかに、カーリンの独立的自我は、息子の人格を露骨に厭悪する偏頗(へんぱ)な父(ヨハン)を原因子にした、機能不全家族の欠陥を露呈した関係性の中で、狭隘な自我を形成してきた父(ヘンリック)とは決定的に分れていたのである。

「父の自死」に耐えるほどの強さを持っていたのだ。

「不安に耐える強さ」こそ、人間の真の強さなのだ。

それもまた、寡黙だが、包括力を持つ母(アンナ)のDNAの善き贈り物であるのだろう。

「父の屍」を超えて、自らの人生の岐路を己が裁量で掻き分けて、疾駆していく才能ある若きチェロ奏者が、そこに立ち上げられたのである。

カーリンの自我は、「共依存」の関係に捕縛されなかったのだ。

彼女は、「共依存」の関係に捕縛されない、「不安に耐える強さ」の突破力を身体化したのである。



8  圧倒的な女の包括力と強靭さ ―― ベルイマンの女性賛歌の最終的メッセージ




ベルイマンは、そんな映像を遺作として選択し、構築してしまったのである。

会話の多い映像には全く無駄がなく、且つ、説明的な内実に貶めてもいなかった。

人間の内面描写を精緻に描き切ったのだ。

そこが凄い。

何より、ここで描かれた圧倒的な女の包括力と強靭さは、ベルイマンの女性賛歌の最終的メッセージであるだろう。

しかし、当然の如く、ここでもベルイマンは甘くない。

ここで描かれた男たちの、眼を覆わんばかりの脆弱さと言ったらどうだ。

結局、自分の中にあって、自分が嫌う性格を持つ息子への反発から、父であるヨハンは息子であるヘンリックを罵倒し、突き離す。

息子もまた父を呪い、その死を願うのだ。

自殺未遂した息子を、「全く失敗ばかりだな。死ぬことすらできん」と言って軽侮する父親もまた、その不安を一人で抱え切れず、束の間嗚咽した後、30年前に別れた妻の包容力に縋るのだ。

全裸の老夫婦が、一つのベッドに添い寝する行為は、このような形でしか自己を裸にできないヨハンの性格の偏屈さであり、救い難い独善性であるが、その孤独の心情世界は遥かに人間的ですらあるだろう。

映像には、とっておきのラストシーンが用意されていた。

カメラに向かって語りかけるマリアンの存在は、単に一人のナビゲーターでなかっのだ。

ベルイマンが作った映像の凄味に、殆ど圧倒される思いだ。

(2010年6月)

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